金の猫の鬼
豊島与志雄



 むかし、台湾たいわんの南のはじの要害の地に、支那しなの海賊がやつてきて、住居すまひをかまへましたので、附近の住民はたいへん困りました。殊にその海賊の首領は、頭に角が一本ある鬼で、船には守神まもりがみとして黄金のねこをもつてるといふので、「きんねこの鬼」と綽名あだなされてる、気性の荒々しい大男でした。

「金の猫の鬼」をどうかしてたちのかせたいと、附近の住民たちはいろ〳〵相談しましたが、よい考へも浮かびませんでした。

 それをピチ公がきいて、よしおれが行つてやらうといふので、一人でのこ〳〵出かけていきました。──ピチ公といふのは、元気な快活な少年で、魚が網ですくはれた時のやうにいつもぴち〳〵してるので、みんなからさう呼ばれてるのです。

 ピチ公は散歩にでも行くやうな気持で、口笛をふきながらやつていきました。野を横ぎり、丘を越え、森をつききつて、「金の猫の鬼」の住居すまひの方へと進みました。

 ところが、森がいつまでも続いて、方向が分らなくなりました。しかも、道が二つに分れてゐます。

 その分れ道のところに、変な男が、木を切るやうな風をしながら、煙草たばこをすつてゐました。ピチ公は平気で尋ねました。

「『金の猫の鬼』のところへ行くには、どつちへ行つたらいゝんですか。」

 男はをちらと光らして、答へました。

「右へ行きなさい。」

 ──まてよ、とピチ公は考へました。こいつは変なやつだ。右へ行けといつたが、俺の方から見た右は、こちらを向いてるこの男から見れば左だし、この男から見た右は、俺には左だし……はてな。

 ピチ公は思ひきつて、左の方へ──その男から見れば右の方へ、進んでいきました。男は何ともいひませんでした。

 それから、いくら行つても森ばかりでした。ピチ公は心細くなつて、道をまちがへたのではないかと思つてると、また変な男に出逢であひました。

「『金の猫の鬼』のところへは、こつちから行けますか。」とピチ公は尋ねました。

「わたしは知らない。」と男は答へました。「この先に行くと、ひとが三人ゐるところに出るから、そこでききなさい。」

 それからしばらく行くと、少し森の開けたところに出て、そこに変な男が二人ゐました。

 ──はてな、とピチ公は考へました。あいつは三人といつたが、二人きりゐない。だが、おれを加へると三人になるし……。

 ピチ公は思ひきつて、「金の猫の鬼」の住居を尋ねてみました。

「この森を出ると、すぐそこだよ。」と二人の男は答へました。

 なるほど、しばらくすると、森から出ました。その向うの丘の上に、大きな土蔵のやうなうちがあつて、そり返つた太い剣をもつてる番人が、入口に立つてゐました。

 ピチ公は平気な顔で進んでいきました。そして、右手をあげ、それを左から逆に額にかざして、おどけた顔をしながら、失敬、といつてやりました。

 番人はにやりと笑ひました。ピチ公を仲間の少年と思つてか、黙つて通らせました。

 土蔵の中には、広い廊下があつて、その左右に、幾つもとびらがありました。そしていちばん奥のとびらには、金の猫の模様がついてゐました。

 ──これだな、とピチ公は考へました。

 ピチ公はそのとびらたたきました。

だれだ。」と大きな声が中から響きました。

ぼくです。」とピチ公は答へました。

「僕とは……誰だ。」

「わたくしです。」

「わたくし……一体誰だ。」

おれだ。」とピチ公は大声でいひました。

「オレ……。」

「この俺。」

「コノオレ……をかしな名前をいふな。はひつてこい。」

 ピチ公はとびらをあけて、中にはひつていきました。

 へやの中には、三方の壁に、いろんな武器がいつぱいかゝつてゐて、方々に、いろんな骨董品こつとうひんが並んでゐて、その真中まんなかに、赤い絨毯じゆうたんの上に、額に角みたいな長いこぶのある大男が、あぐらをかいて、酒を飲んでゐました。

 彼は酔つた眼付めつきを、じつとピチ公の上にすゑました。

「コノオレといふのはお前か。何しに来た。」

「あなたは、海賊でせう。僕は海賊が大好きだから、手下になりに来たんです。」

「うむ、面白い気性の子供だな。丁度退屈してたところだ。まあ酒でもつげ。」

 細長い酒瓶さけがめと、大きなさかづきでした。ピチ公はおしやくをしてやりました。そして彼が一杯飲むと、眼瞼まぶたをぱちぱち動かしてみせました。二杯目には、鼻の頭をひくひく動かしてみせました。三杯目には、耳をぴく〳〵動かしてみせました。海賊はそのたび大笑おほわらひをして、すつかり機嫌きげんよくなつて、酔つ払ひました。

 その時、手下の男がはいつてきて、彼の耳に何かささやきました。彼はむつかしい顔付かほつきをして、手下の男といつしよに出て行きました。

 ピチ公は一人になると、きふにおそろしくなりました。自分のことがばれたのかも知れない。殺されるのかも知れない。とそんな気がして、あたりを見まはしました。すると、海賊の首領がすわつてたうしろの方のたなの上に、金の猫がのせてあるのが、につきました。どうせばれたのなら……といふ気持から、元気が出て、彼はその金の猫をとつて、へやの外にとび出しました。

 入口と反対の方へ逃げだすと、岩山の上に出て、下はすぐ海でした。

 ピチ公は逃げ場所に困つて、岩のかげに隠れました。


きんねこの鬼」は、やがてへやもどつてきました。見ると、コノオレの子供がゐません。見まはしてみると、金の猫がありません。

 彼は顔色をかへました。「金の猫の鬼」とまで呼ばれた海賊の首領が、一人の子供にばかにされて、大事な金の猫を盗まれたのです。彼は怒鳴りたてました。大勢の手下がかけつけてきました。

「金の猫が盗まれたんだ。コノオレが盗んでいつた。」と彼はたけりたつて叫びました。「コノオレをふんじばつてしまへ。コノオレが、金の猫を盗んでしまつた。早くしないか。コノオレをひつとらへて、切りきざんでしまへ。」

 手下の者たちは、あつけにとられました。なるほど、金の猫は盗まれたらしく、そこに見えません。けれど、をかしいことには、首領が自分で、このおれが盗んだといつてゐます。この俺を縛れといつてゐます。この俺を切りきざめといつてゐます。気が狂つたのかも知れません。

 手下の者たちがぐづ〳〵してるので、首領はほんとに気違きちがひのやうになつて、怒鳴りたてました。

「何をぼんやりしてるんだ。早くつかまへないか。金の猫を盗んだのだ。コノオレをつかまへろ。コノオレを切りきざんでしまへ。」

 手下の者たちは、仕方がないので、なはをもつてきたり、武器を引抜ひきぬいたりして、首領をとりかこみました。それを見ると、彼はなほたけりたつて、大きなまさかりをとつて、彼等かれらの中に切つていりました。彼等は逃げだしました。彼は追つかけました。

「ばかども、あのコノオレだ。コノオレをつかまへろ。」

 彼はもうむちゆうになつてゐました。手下の者たちもむちゆうでした。岩山の上に出て、命がけで追つたり追はれたりしてるうちに、大きなまさかりを持つて大勢を相手にしてる彼は、次第に息がきれてきて、岩かどにつまづいて倒れました。それを、手下の者たちは上からおつかぶさつて、なはで縛りあげて、そこの岩かどに縛りつけました。

 その始終の様子を岩かげから見てゐたピチ公は、その時、まかりまちがへばがけから海の中に落つこちる覚悟で、ぐら〳〵する岩をつたつて、がけのふちまでやつて行き、そこに金の猫をそつと置いて、またもどつてきました。そしていきなり、大声で叫びたてました。

「大変だ、大変だ……。金の猫が逃げだした。みんなやつて来い。金の猫が逃げだした。」

 その声をきくと、首領を縛りつけておいてさてどうしたものかと相談してゐた海賊たちは、いちどに立上つて、けつけてきました。

 ピチ公はわざと息をはずましていひたてました。

「ふしぎなことがあるものだ。首領かしら気違きちがひになるし、金の猫は生きあがつて逃げだすし、これは何か悪いしらせだぜ。ぼくは一生懸命にあの猫を追つかけたが、どうしてもつかまらない。たうとうあんなところまで逃げていつてしまつた。がけの下は深い海だ。命がけでなくちや行けやしない。だれかあの猫をつかまへに行く者はないか。」

 海賊たちは顔を見合はせました。実際金の猫は、がけのふちのぐら〳〵した岩の上にうづくまつて、今にも海にとびこみさうな様子です。

だれも行く者がなかつたら、僕が行つてやらう。」とピチ公はいひました。「その代り、もし落つこつて死んだら、身体からだだけは引上げてくれよ。」

 ピチ公のその命がけの申し出に、多少疑つてた者たちも、すつかり信用してしまひました。たかが一人の少年ですし、首領のへやで酒をのんでたさうですし、首領の特別の知りあひかも知れません。そこで一同は彼をいたはりながら、彼の腰になはをゆはへつけて、万一の時はそのなはで彼を引上げるつもりで、その端を持つてゐてやりました。

 ピチ公はがけのふちへつていきました。ぐら〳〵した岩がつき立つてる高いがけで、一足まちがへて落つこつたら、下には深い海が荒れてゐるし、死ぬ外はありません。見てゐてもひや〳〵するやうな冒険でした。でもピチ公は、前に一度猫を置きにいつたところなので、平気でした。その上、腰にはなはがついてゐます。わざと岩をぐらつかせたりして、みんなをはら〳〵させながら、静かにつていつて、やがて、ぱつと金の猫にとびつきました。

 その瞬間、海賊たちは、はつと息をつめました。そして次に、わーつと喜びの声を立てました。ピチ公が金の猫をつかまへたのです。ピチ公が金の猫をだいて飛びもどつてきたのです。

「早く縛つてくれ。また逃げるといけない。」

 ピチ公の腰にゆはへてゐたなはで、金の猫はぐる〳〵縛りあげられました。海賊たちはまるで夢でもみてるやうな気持でした。首領との争ひで疲れきつてるところへ、ピチ公の命がけの冒険です。

「ぐづ〳〵しちやゐられないぜ。」とピチ公はいひました。「首領かしら気違きちがひになるし、金の猫は逃げだす。これからどんなことがおこるか分つたもんぢやない。これはきつと、何かのたたりだ。それとも、海の神が怒つたのかな。早く逃げよう。首領かしらも金の猫も、縛つたまゝ船にもちこんで出帆してしまはう。こんなふしぎがおこるところにぐづ〳〵してると、とんだことになるぜ。」

 海賊はいつたいひどく迷信家なものです。首領が気違きちがひになつたり、金の猫が生きあがつて逃げだしたりしたので、まだ〳〵ふしぎなことが起りさうな気持がして、彼等はすぐにピチ公の言葉に賛成しました。

 大変な騒ぎになりました。岩山の横手の入江に、大きな船がつなぎとめてありました。そこへ、金の猫を持つてゆき、何やらどなり立ててる首領をかついでゆき、うちの中の宝物を運んでゆくんです。

「早く、早く……。早くしなけりやだめだ。うちは焼きすててしまふんだ。」ピチ公はかけまはつて、一同をせき立てながら、うちに火をつけました。さうしておいて、一人で、船とは反対の方へ逃げていきました。森をかけぬけて、ふり返つてみると、海賊の住居はぱつと燃えあがつてゐました。

 ピチ公はほつと息をついて、それから急にをかしくなつて、腹をかゝへて笑ひました。

底本:「日本児童文学大系 第一六巻」ほるぷ出版

   1977(昭和52)年1120日初刷発行

底本の親本:「少年倶楽部」講談社

   1933(昭和8)年10

初出:「少年倶楽部」講談社

   1933(昭和8)年10

※表題は底本では、「きんねこの鬼」となっています。

入力:菅野朋子

校正:門田裕志

2011年123日作成

2012年1219日修正

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