犬の八公
豊島与志雄



 る山奥の村に、八太郎はちたらうといふ独者ひとりものがゐました。呑気のんきな男で、皆のやうに一生懸命に働いてお金をためることなんか、知りもしないし考へもしないで、のらくらとその日その日を送つてゐました。食物がなくなると、日傭稼ひやとひかせぎに出たり、遠い町へ使ひに行つたりして、わづかの賃金をもらつてきて、それで暮してゐました。

 その八太郎が、る日、やはり遠い町へ使つかひに行つた時のことです。用をすましてぼんやり帰りかけると町外れの木の下に、白と黒との小さな子犬が二匹、一つところにかたまつて、くんくん泣いてゐました。雨が少し降りだしてゐまして、その雨のしづくが木から落ちかゝる度に、二匹の子犬はさも悲しさうに泣きたてるのです。

 八太郎はしばらくつゝ立つて、不思議さうに子犬を見てゐました。彼の山奥の村には、まだ犬が一匹もゐませんでしたから、彼にはその子犬が珍らしかつたのです。

 すると子犬は、くんくん泣きながら、彼の足元に寄つてきました。

「捨てられたんだな。可哀かはいさうだなあ。……おれが拾つていつてやらう。」

 八太郎はさう独語ひとりごとつて、二匹の子犬を拾ひ上げて、懐の中に入れてやりました。子犬はあたたかい懐の中で、うれしがつて鼻を鳴らしました。

「よしよし、おれが育てゝやる。」

 八太郎は雨の降る中を、かさもさゝずに、二匹の子犬を懐の中に抱いて、山奥の村へ帰つて行きました。


 八太郎が子犬を二匹拾つて来たことは、すぐに村中の評判になりました。前に言つた通り、まだ犬なんか一匹もゐない村でした。

「あんな貧乏な八太郎が、犬なんか拾つてきてどうするのだらう。」とる者はひました。

「犬なんて、金持か町人かの慰み物だのにね。」とる者は云ひました。

呑気者のんきもののすることは違つたものだ。今に自分も犬と一緒に腹をかすやうになるまでさ。」とる者は言ひました。

 しかし八太郎は一向平気でした。その白と黒との二匹の子犬が、まるまるとふとつて、ふざけ散らしてるのを見て、さもうれしさうに笑つてゐました。村の子供たちがまた始終、犬を見にやつて来ました。そしていろんな食べ物を持つてきてくれました。八太郎は犬のために特別に働かなくても済みました。

 犬は見る見るうちに大きくなり、一年二年たつともう立派な親犬になりました。一匹のが男で、一匹のが女でした。そして、二年目の末には、女犬が四匹子供を産みました。

 八太郎はびつくりしました。

「ほう、一度に四匹も産むのかな。」

 子犬は四匹とも、元気に丈夫に育ちました。

 ところが、それからが大変です。親犬は一年に二度づゝ、一度に四匹も五匹も、子供を産みました。子犬もやがて親犬になつて、それがまた子供を産み初めました。八太郎の家はもう犬で一杯で、わんわん、くんくん、えたり鳴いたり、喧嘩けんくわしたりふざけたり、大変な騒ぎでした。

 村の人達はあきれ返りました。彼のことを八太郎といふ者はなく、いつのまにか犬の八公といふやうになつてゐました。

「やあ、犬の八公さんか、犬共の御機嫌ごきげんはどうですか。」

 たれでも彼に出逢であふと、そんな風に挨拶あいさつしました。

「はゝゝ、みんな元気ですよ。」と犬の八公は笑ひながら答へました。

 けれども、実は笑ひごとではありませんでした。もう村の子供達も犬にあきて、食物たべものを持つて来てくれる者がありませんでした。犬の八公は一人で、何十匹もの犬を養はなければなりませんでした。自分一人がやうやく食べてゆけるだけの貧乏人でありましたから、いくら一生懸命に働いても、さう沢山の犬を養ふことはとても出来ませんでした。その上、これからまた、犬は次から次へと子供を産んでいつて、どれだけふへるか分りませんでした。

「困つたなあ。」

 犬の八公は途方にくれて考へてみました。しかし、犬を一匹でも捨てる気にはどうしてもなれませんでした。

 一日どこへ行つても仕事がなくて、ぼんやりもどつてくると、犬達は腹をかして待つてゐます。

「おう、みんな腹がいたらう。」

 犬の八公はさう云つて、泣きたい思ひをしながら家に残つてる食べ物をみんな、犬にやつてしまひました。

「もうこれきり、お金も食べる物もなくなつたよ。明日あしたの朝は何にもないんだ。それにおれの仕事もないときてる。我慢してくれ、な、我慢してくれ。その代り、こんど仕事があつてかせいできたら、うんと御馳走ごちそうしてやるからな。」

 彼はさう犬に云つて、泣きながら布団ふとんをかぶつて寝てしまひました。犬達も彼の言葉が分つたか、土間におとなしく並んで、じつとしてゐました。


 翌日の朝、犬の八公は遅くまで寝てゐました。起き上つたところで、どうせかせぎに出る仕事もないし食べる物もないし、寝てる方がましだつたのです。

 ところが、犬たちが朝早くから、わんわん騒ぎ出しました。しまひには座敷へあがつてきて、彼の布団を引きはがさうとします。彼は初め、それをしかつてゐましたが、たうとう仕方なく起き上りました。

 起き上つてみるとびつくりしました。庭のすみござの上に、鶏やこひふなや芋やかぶなどが、山のやうにつみ重ねてあつて、そのまはりに犬達が並んでゐます。

「ほう、これは……。お前達が持つてきてくれたんだな。有難い、有難い。」

 犬の八公は急に元気づきました。そして、鶏や魚や野菜を料理して、犬達と一緒に食べました。四五日では食べきれないほどありました。

 ところが、村では大変な騒ぎでした。おれのところの鶏がゐなくなつた、おれのところの池の魚が見えなくなつた、おれのところの畑が荒された……とあちらでもこちらでも騒ぎです。そしてそれがみな一晩のうちの出来事です。それからだん〳〵調べてみるとみな犬の八公のところの犬達の仕業と分りました。

 村の人達は腹を立てゝ、犬の八公のところへ押しかけて来ました。

 犬の八公は話を聞いて、またびつくりしました。そして犬達をしかりながら、もう二度とこんなことはさせませんと村の人達に誓ひました。

「お前が知らないことで、犬の畜生共のしたことなら、こんどだけは許してやらう。その代り、二度とこんなことをしたら、もう容捨はしないからね、よいか。」

「いえもう、決して……。」

 彼の堅い約束をきいて、村人達は帰つてゆきました。

 彼は困りました。自分のためにしてくれたのですから、犬達をひどくしかるわけにもゆきませんし、それかつて、村人達からうらまれたら、この後仕事に雇つてもらへないかも知れません。

「まあいゝや、そのうちにどうにかなるだらう。」

 呑気のんきな性分からさうあきらめて、彼は犬達と一緒に、鶏や魚や野菜の御馳走ごちそうを食べました。四五日は大丈夫でした。彼も犬達も腹が一杯になり、元気になり陽気になつて、飛びまはつたりはねまはつたりしました。

 そして御馳走ごちそうがだんだん無くなつてくると、彼も犬達もまたしよげ返りました。彼は腕をくんで首を垂れ、犬達はそのまはりを取巻いて、黙つて考へ込みました。


 するうちに、る夜中のこと、村の真中まんなかで大騒動が起りました。犬が一匹え出したのをきつかけに沢山の犬がえ出して、やがて一団ひとかたまりになつて、激しい争ひを初めました。それが普通と違つて、死にもの狂ひの騒ぎだつたものですから、村の人たちは皆を覚して、飛び出してきました。

 見ると、真黒まつくろな着物をきた男が、四方から犬にとり巻かれて、身動きも出来ないで地面につゝ伏してゐます。見馴みなれない男です。犬の八公のところの犬達です。

 犬の八公も飛び起きてきました。犬達を押しのけて、真黒まつくろな着物の男を引捕ひつとらへました。調べてみると懐に一杯お金をつめこんでゐます。泥坊どろばうなんです。村一番の金持のところにはひつて、お金を盗み出したところを、犬達に見付かつたのです。

 村の人達はお金をすつかり取戻とりもどし、泥坊どろばう袋叩ふくろたたきにして追つ払ひました。

 そのために、犬の八公は大変得意になりました。犬達はなほ得意でした。そして村の人達は、初めて犬の有難いことを知りました。毎日汗を流して働いてためたお金を、泥坊どろばうに盗まれてしまつては、これほど馬鹿ばかげたことはありません。

「犬の八公さん、」と金持の主人はひ出しました、「わたしに犬を一匹譲つてくれませんかね。」

 すると村の人達は、わたしにも、わたしにも……と、四方から犬をほしがりました。

「へえー……ですがわたしは、犬を手放すのが措しくてどうも……。」

 犬の八公は、一匹でも犬を人手に渡すのが、悲しいやうな惜しいやうな気がして仕方ありませんでした。

 そこで、村の人達はいろいろ相談した上で、犬達を村全体の番人にして、犬の八公をその係りとすることにし、犬の八公と犬達との食べ物は、一切村から出すことにしたいと、さう云ひ出しました。犬の八公も、それならばと喜んで承知しました。


 それからは、もう何の心配もありませんでした。犬の八公は毎日、犬たちを相手に、ぶらぶら遊んでをればよいのでした。

 村の人達も安心でした。犬の八公とその犬達とがをれば、泥坊どろばうも何もこはいことはありません。昼間はふまでもなく夜分でも、うちを空けて構ひませんし戸を開いたまゝ眠つても構ひません。小さな子供のあるうちでは、犬達が遊び相手になつてくれますので皆で田圃たんぼに出て働くことも出来ます。

 ところが、そのうちにも、犬は次から次へと子供を産んで、次第に数がふえてきました。

「ほゝう、よく産むなあ。」

 さう云つて、犬の八公はにこにこしてゐました。

 けれども、村の人達はやがてまゆをひそめるやうになりました。もう村中犬だらけになつてゐました。その調子で犬がふえていつたら、後にはどうなるか分りませんでした。犬の数が人間の幾倍にも幾倍にもなつていつたら、その食物ばかりでも大変です。

 犬の八公が沢山の犬を引きつれて歩きまはつてるのを見て、村の人達は小声でささやき合ひました。

「どうかしなくつちやあ……。」

「どうしたものかな……。」

 そしてたうとうる日、村の重立つた人達が犬の八公のところへ来て、犬の数を何とか出来ないかと相談しました。

「へえー、なるほど、犬の数が多すぎると云ふんですね。」と彼は答へました。「そこで、犬に子供を産ませないやうにするか、産まれた子供を殺してしまふか、まあそれより外に仕方はないわけですが……しかしそんなことは、どうもわたしには……。まあ考へてごらんなさい。これがもし人間だつたら……。」

「人間だつたら……。」

 そこで村の人達は、何とも云ひやうがありませんでした。

 犬の八公と村の人達とは、不満のまゝ別れました。

 犬の八公はむつつり考へ込んでしまひました。そのまはりには多くの犬が、大きいのや小さいのや、ずらりと並んで、心配さうに彼の顔をながめてゐました。


 翌日、犬の八公と多くの犬達とは、もう村にゐませんでした。

 村の人達が騒ぎ出しました。がいくら探しても、一匹の犬の姿も見えませんでした。何処どこへ行つたのかも分りませんでした。

 多分、犬の八公がその犬達をみんな連れて、遠く山の奥へでもはいつてしまつたのだらう、と村の人達は想像して、心配なやうな安心なやうな気持になりました。心配なのは、泥坊どろばうのことでした。安心なのは、やたらに犬の数がふえる恐れのなくなつたことでした。

 そしてそれきり、犬の八公とその犬達とのことは、全く分らなくなつてしまひました。

底本:「日本児童文学大系 第一六巻」ほるぷ出版

   1977(昭和52)年1120日初刷発行

底本の親本:「童話」コドモ社

   1926(大正15)年7

初出:「童話」コドモ社

   1926(大正15)年7

入力:菅野朋子

校正:門田裕志

2011年123日作成

2012年1219日修正

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