シャボン玉
豊島与志雄



 むかし、トルコに、ハボンスといふ手品師がゐました。三角の帽子をかぶり、赤や青の着物を着、一人の子供をつれて、田舎の町々をまはり歩きました。そして町の広場にむしろをひろげて、いろんな手品をして見せました。しやちほこだちや、棒上りや、金輪の使ひ分けや、をかしな踊りなどを、太鼓たいこをたゝきながらやるのです。

 けれども、さういふ広場の手品師の生活は楽ではありませんでした。見物人がはふつてくれる金はごくわづかなものでしたし、その上、天気のよい日にしか出来ないのです。雨が降つたり雪が降つたりする時には、宿屋の中にぼんやりしてゐなければなりません。

 る年の冬、毎日毎日冷い雨が降りつゞきました。ハボンスと子供とは、山奥の小さな町に行つてゐましたが、広場に出て手品を使ふことも出来ず、きたない宿屋のへやにとぢこもつてゐました。そして、早く天気になつて、美しい金輪を使ひ分けたり、思ふさま踊り狂つたりして、広場にあつまつてる人たちを喜ばしてやりたいものだと、そればかりを待つてゐました。けれども、なか〳〵天気になる模様がないばかりでなく、ちよつとした風邪の心地でゐた子供が、だん〳〵苦しみだしてきました。

 ハボンスは心配で心配でたまりませんでした。可愛かはいい子供に死なれでもしたら、自分は世の中に一人ぽつちになつてしまつて、何の楽しみもなくなるのです。で、夜も昼もつきつきりで子供の看病をしました。けれども、子供の病気はひどくなるばかりです。町で一ばんよい医者にもかけてみましたが、何の甲斐かひもありません。四五日の後に、たうとう死んでしまひました。

 ハボンスはひどく泣き悲しみました。一度に十も二十も年をとつて老いぼれたやうになりました。そしてもう自分はどうなつても構はないといふ気で、金輪や棒や太鼓たいこなど手品の道具も売り払ひ、持つてた金もみな出してしまつて、出来るだけ立派な葬式をしてやりました。

 それからハボンスは、宿屋のきたないへや引籠ひきこもつてぼんやりしてゐました。もう世の中に用もないから死んでしまはうかと考へましたが、どうして死んだらよいか分りませんでしたし、また、なくなつた子供のことを忘れようとも考へましたが、なか〳〵忘れられませんでした。そしてふと、その山奥に住んでるといふ魔法使まはふつかひうはさを思ひ出しました。

 それは名高い魔法使で、死んだ者を生き返らすことも出来るし、生きてる者をすぐに死なせることも出来るし、何でも出来ないことがないといふのです。

「その魔法使のところへ行つて、死んだ子供を生き返らしてもらふか、自分を死なしてもらふか、どちらかにしてもらはう。」

 さう決心してハボンスは、残つてるわづかな金で食べ物を買つて、それを肩にしよひ、山奥の魔法使を探しに、雨の中を一人で出かけました。


 ハボンスは次第に山深くすゝんで行きました。腹がすくと背中の包みから食べ物を取りだして食べ、夜は木の下や岩蔭いはかげに寝ました。どこに魔法使まはふつかひが住んでるか分りませんでしたが、たゞ山深いところといふのをあてに、一心にたづね歩きました。

 そしてある日の夕方、大きな森の奥に火の光を見つけ出して、ハボンスは躍り上らんばかりに喜びました。疲れきつてるのも忘れてしまつて、火の光の方へ走り出しました。

 森の奥のがけのところに、大きな洞穴ほらあながありまして、その中で一人のばあさんが、真黒まつくろなべで何かを煮てゐました。ハボンスはそのそばまで駆け寄つていつて、地べたに手をついて頭を下げました。すぐには口もきけませんでした。

「お前は、こんなところへ、何しに来たのだ。」

 がーんと響くような声で婆さんがたづねました。ハボンスはこは〴〵顔をあげて、これまでのことを話しました。

「さういふわけでございますから、なくなつた子供を生き返らして下さいますか、わたくしをこのまゝ死なして下さいますか、どちらかにして下さいませ。わたくしは手品使てじなつかひでございますし、あなたは魔法使でございますから、いはゞわたくしはあなたのちつぽけなお弟子みたいなものであります。その縁故によりまして、どうかわたくしの願ひをかなへて下さいませ。この通りお願ひいたします。」

 ハボンスは泣かんばかりにして頼みました。魔法使の婆さんはそれを黙つて聞いてゐましたが、しまひに気の毒さうな顔をして言ひました。

「なるほど、手品と魔法とは縁があるといへばいへないこともないから、出来ることならお前の願ひを聞いてあげたいが、それだといつて、もう土の中にうづもつて長くたつてるお前の子供を生き返らすことは、わたしの力にも及ばないのだからね。」

「それでは、わたくしを死なして下さいませ。あの子がゐなければ、わたくしは生きてゐても甲斐かひのない身でございますから。」

「まあさう短気を起したところで仕様がない。わたしがいゝやうにしてあげるから、明日あしたの朝まで待つてゐなさい。」

 そしてハボンスは婆さんにいろ〳〵慰められて、その夜は婆さんの洞穴ほらあなの中に泊りました。

 翌朝になると、魔法使の婆さんはハボンスを呼んで言ひました。

「考へてみると、お前の心はいかにも可哀かはいさうだ。わたしが少し力をかしてあげよう。こゝに無患子むくろじの実と銀のはちとがある。この鉢に無患子の実の汁をしぼつて、それでシャボン玉を吹いて空に飛ばすと、そのシャボン玉が何でもお前の思ふ通りのものになる。死んだ子供にひたい時には、心でさう思へば、シャボン玉が子供の姿になる。ためしにやつてごらん。」

 そして婆さんは、両手で握りきれないほど大きな無患子の実と、小さな銀の鉢とを差出しました。

 ハボンスは大層喜んで、いはれる通りにシャボン玉を吹きました。「わたしの死んだ子供になれ、子供になれ、」と心の中で言ひますと、シャボン玉が子供の姿になつて、にこ〳〵笑ひながら空高く飛んでいきました。ハボンスはびつくりしてしまひました。

「子供ばかりぢやない、何でもお前の思ふ通りのものになるんだよ。」と婆さんは言ひました。

 そこでハボンスは、こん度は馬にしてみようと思ひますと、全くその通りに、シャボン玉が馬になつて飛んでいきました。

「それさへあれば、お前はまだ生きてゆけるだらうね。」と婆さんはいひました。「だけど、こんな魔法はめつたに使ふものではない。わたしはたゞ、お前が可哀かはいさうだから教へてあげたのだ。その代り、よくおぼえておきなさい。この無患子の実がなくなると一しよに、お前の体もあわとなつて消えてしまふ。だから、長く生きてゐたければ、大事に使ふがよい。それから、わたしのことはだれにもいつてはならないよ、よいかね。」

 ハボンスは生き返つたやうな気持がして、婆さんのことはだれにもいはないと約束をし、厚くお礼を述べて、無患子の実と銀の鉢とをかゝへて帰つて行きました。


 ハボンスはうれしくてたまりませんでした。自分の望む時にはいつでも死んだ子供の姿が見られるのです。その上、どうせもう死んでしまはうと思つたくらゐですから、長く生きてゐたい気もありませんので、無患子むくろじの実のあるかぎり見事なシャボン玉を吹き上げたら、国一番の手品使てじなつかひの名前を残すにちがひありません。

「これから一つ死に花を咲かしてやらう。」

 さう思つてハボンスは、ちよつとした手品なんかを使ひながら旅費をこさへて、たうとう都まで上つてきました。そして、都の中の一番にぎやかな広場にむしろをひろげ、無患子の実の汁を銀のはちの中にしぼつて、竹の管でシャボン玉を吹き上げました。

「さあ〳〵皆さん、昔から今まで世界にまたとないシャボン玉吹きのハボンス。の楽しみ命の洗濯せんたく、息のあるうちに見ていかつしやれ。天気はよし、風はなし、あれ〳〵シャボン玉が飛ぶわ、飛ぶわ。飛んだシャボン玉が、何でもござれ望み通りのものになるといふ、ふしぎなふしぎな芸当はこれから。……さあ、御註文ごちゆうもん、御註文……。」

 そして彼はあたりに立つてる見物人を見廻みまはしました。

すずめ。」とだれかゞ声をかけました。

「よろしい、雀。」

 さう答へてハボンスは、シャボン玉を一つ吹き上げながら、「雀になれ、雀になーれ、」と口の中でとなへますと、ふしぎにもシャボン玉が雀になつて飛んでいきました。

「お次は。」

へび。」

「よろしい、蛇。」

 ハボンスはまた一つシャボン玉を吹いて、「蛇になれ、蛇になーれ、」と口の中でとなへますと、蛇になつて飛んでいきました。

 さあ見物人たちは大変な騒ぎでした。今まで見たことも聞いたこともないふしぎ極まる芸当なんです。広場一面に人立ちがして、それ〴〵、ねこだの馬だの犬だの花だの筆だのと、いろんな註文ちゆうもんを出しました。するとハボンスのシャボン玉は、いはれる通りのものになつて飛んでいきました。

 やがて、銀の鉢の中の無患子の汁がなくなりかけますと、ハボンスはさびしさうな顔でつつ立ちました。

「今日の芸当はこれでおしまひ。あとはまた明日のこと。そこで今日こんにちのうちどめとして、この世界一のシャボン玉吹きハボンスの、なくなつた子供をお目にかけます。それがすんだら、子供の追善として、いくらでもよろしいから、お金をこゝにはふつていかつしやれ。芸を見せた料金ではない。子供の追善のために喜捨さつしやれ。」

 そして彼は、残りの汁で大きなシャボン玉を一つ吹き上げて、「わしの子供になれ、子供になーれ、」と口の中でとなへました。するとシャボン玉が、なくなつた子供の姿となつて、にこ〳〵笑ひながら、空高く消えてゆきました。ハボンスはその方へ手を合して、じつと見送りました。

 大ぜいの見物人は、もう喝采かつさいすることも忘れて、酔つたやうになつてゐました。それからふと思ひ出したやうに、ばら〳〵と四方から金をはふり始めました。

「もうよい、これでよい。さう沢山はいらない。」

 さう言つてハボンスは、むしろの上の金を拾ひ集め、銀の鉢と無患子の実とをふところにしまひ、むしろをまき納めて、宿の方へ帰つて行きました。たくさんの人が宿屋の前までもぞろ〳〵ついて来ました。


 ハボンスの評判は、一日のうちに都中へひろまりました。ハボンスが出てくる広場には、朝の暗いうちから見物人が立ちならびました。

 ハボンスは無患子むくろじの実がなくなるまでと思つて、毎日広場へ出かけました。そしていろんな物の形をシャボン玉で吹き上げて、しまひにはいつも自分の子供の姿を見せました。さうしてあつまつた金は貧乏な人たちに恵んでやりました。

 ところがある朝、ハボンスがいつもの通り出かけようとしてると、その小さな宿屋へ、王様から迎ひの駕籠かごが参りました。

「お前のふしぎな芸当を聞かせられて、王様がぜひ一度見たいと仰せになつてゐる。これからさつそく来てもらひたい。」

 さう使つかひの者は言ひました。ハボンスは、王様よりも大勢の人に見てもらひたいと思ひましたが、一日でよいからと頼まれましたので、迎ひの駕籠かごに乗つて御殿へ参りました。

 御殿の中の美しい庭で、王様はじめ多くの家来たちの前で、ハボンスはふしぎなシャボン玉の芸をしてみせました。

 王様はすつかり感心されました。

「お前はだれからその芸を教はつたのか。」と王様はおたづねになりました。

「それは故あつて申上げかねます。」とハボンスは答へました。

「それでは無理にはたづねまい。だが、お前の芸は全く世界に二つとは見られないものだ。どうだ、今日からこのわしに仕へてはくれまいか。」

「それもお受け致しかねます。」とハボンスは答へました。「なぜかと申しますと、わたくしはもう間もなく、あわとなつて消えてしまはなければならない身の上でございますから。」

 王様はおどろかれました。そしていろ〳〵たづねられましたが、ハボンスはどうしてもそのわけを申しませんでした。

「明日、町の広場までおで下されば、何事もよくおわかりになります。」

 さう答へるだけでした。

 王様は大へん残念に思はれましたが、どうも仕方がありませんので、翌日町の広場に出向くことを約束され、なほまた、世界一のシャボン玉吹きといふ名をお許しになりました。

 ハボンスは、もうこれで自分の望みもかなつたと思ひました。そして、この上は明日あしたこそ、なくなつた子供のあとを追つて、消えてしまはうと決心しました。


 いよ〳〵翌日になりますと、町の広場は大変な騒ぎです。王様は大勢の家来をつれてやつて来られます。都の人たちはその話を伝へ聞いて、今日のハボンスの芸を見落してはならないと、われも〳〵と出かけます。都中の人たちがその広場にあつまつたのです。

 ハボンスはもう今日が終りだといふので、赤青黄紫などの美しい筋のはいつた着物をつけ、金色の三角の帽子をかぶり、「世界一のシャボン玉吹きハボンス」といふ旗を立てゝ、しづかに広場のまん中にあらはれました。

 四方かららいのやうな拍手喝采かつさいが起りました。

「さて皆さん、これから世界一のシャボン玉吹きハボンスの芸当、よく〳〵を止めて見ておかつしやれ、芸の長いは退屈とやら、二つ三つでおしまひとします。」

 そして彼は、魔法使まはふつかひばあさんからもらつた無患子むくろじの実を取出し、種のまはりに残つてる肉をすつかり銀のはちにはぎ落し、それに湯を少しさして、わづかばかりの汁をこしらへました。

 それから竹の管を取つて、鉢の汁でシャボン玉をいくつか吹き上げました。それに日の光がきら〳〵と美しく映りました。

 それから最後の芸にとりかゝつて、まづりゆうの姿を吹き上げ、次に鳳凰ほうわうの姿を吹き上げました。竜と鳳凰とがもつれ合ひながら空高く飛び去るのを、あたりの人たちは息をこらしてながめました。

「いよ〳〵最後の最後の打止うちとめ、世界一のシャボン玉吹きハボンスの子供の姿。」

 さう言つてハボンスは、残りのしるをみな竹の管に吸ひ入れ、ふーつと一つ大きなシャボン玉を吹き出しながら、「わしの子供になれ、子供になーれ、」と口の中でとなへますと、シャボン玉が子供の姿になつて、にこ〳〵笑ひながら空へ上つていきました。

 人々はその子供には見おぼえがありますから、例の子供だなくらゐに思つてゐますと、子供の後から大きなシャボン玉がふはり〳〵と上つてゆきました。おや、と思つて気がついてみると、いつのまにかハボンスの姿が消えてなくなるてゐました。

 ふしぎなことだと人々があきれ返つてるうちに、子供の姿と大きなシャボン玉とは空高く消えてしまひました。そしてハボンスの姿はどこにも見出みいだせませんでした。無患子の種と銀の鉢とだけが残つてるきりでした。

 だれにも、王様にも、さつぱりわけが分りませんでした。そして、消えせたハボンスの記念として、まつ黒な無患子の種と銀の鉢とは、王様の御殿に長く残されました。

底本:「日本児童文学大系 第一六巻」ほるぷ出版

   1977(昭和52)年1120日初刷発行

底本の親本:「エミリアンの旅」春陽堂

   1933(昭和8)年1

初出:「赤い鳥」赤い鳥社

   1926(大正15)年3

入力:菅野朋子

校正:門田裕志

2011年123日作成

2012年1219日修正

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