梅若七兵衞
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂・編纂
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引続きまして、梅若七兵衞と申す古いお話を一席申上げます。えゝ此の梅若七兵衞という人は、能役者の内狂言師でございまして、芝新銭座に居りました。能の方は稽古のむずかしいもので、尤も狂言の方でも釣狐などと申すと、三日も前から腰をかゞめている稽古をして居ませんければ、その当日に狂言が出来んという。それでも勤めますと後二三日は身体が利かんくらいだという、余程稽古のむずかしいものと見えます。許し物と云って、其の中に口伝物が数々ございます。以前は名人が多かったものでございます。觀世善九郎という人が鼓を打ちますと、台所の銅壺の蓋がかたりと持上り、或は屋根の瓦がばら〳〵〳〵と落ちたという、それが為瓦胴という銘が下りたという事を申しますが、この七兵衞という人は至って無慾な人でございます。只宅にばかり居まして伎の事のみを考えて居りますから貯えとてもありません。お大名から呼びに来ても往きません。贔屓のお屋敷から迎いを受けても参りません。其の癖随分贅沢を致しますから段々貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるりと廻って、戸棚の前へぴたりと坐ったり何か変なことをいたし、まるで狂人じみて居ります。ちょうど歳暮のことで、
内儀「旦那え〳〵」
七「えゝ」
内儀「貴方には困りますね」
七「何ぞというとお前は困るとお云いだが何が困ります」
内儀「何が困るたって、あなた此様に貧乏になりきりまして、実に世間体も恥かしい事で、斯様な裏長屋へ入って、あなたは平気でいらっしゃるけれども、明日食べますお米を買って炊くことが出来ませんよ」
七「出来ないって、何うも仕方がない、お米が天から授からないので」
内儀「そんな事を云っていらしっては困ります、何処へでも忠実にお歩きあそばせば、御贔屓のお方もいかいこと有りまして来い〳〵と仰しゃるのにお出でにもならず、実に困ります、殊に日外中度々お手紙をよこして下すった番町の石川様にもお気の毒様で、食べるお米が無くっても、あなたは心柄で宜しゅうございましょうが、私は実に困ります」
七「困ったって、私は人の家へ往ってお辞儀をするのは嫌いだもの、高貴の人の前で口をきくのが厭だ、気が詰って厭な事だ、お大名方の御前へ出ると盃を下すったり、我儘な変なことを云うから其れが厭で、私は宅に引込んでゝ何処へも往かない、それで悪ければ仕様がない」
内儀「仕様がないたって、あなた何へいらっしゃいましよ、あの石川様へお歳暮だって入らっしゃると、いつでも貴方に千疋ぐらい御祝儀を下さるじゃアありませんか」
七「他人のものを当にしちゃアいかん、他人のものを当にして物を貰うという心が一体賤しいじゃアないか」
内儀「賤しいたって貴方、お米を買うことが出来ませんよ、今日も米櫃を払って、お粥にして上げましたので」
七「それは〳〵苦々しいことで」
内儀「そんな事を仰しゃらずに往って入らっしゃいまし」
七「じゃア往こう、だが当にしなさんな」
内儀「あなた、そのお服装じゃアいけません、これを召していらっしゃい」
七「なに、これで沢山だ、悪いと云えば帰って来る」
と無慾の人だから少しも構いませんで、番町の石川という御旗下の邸へ往くと、お客来で、七兵衞は常々御贔屓だから、
殿「直にこれへ……金田氏貴公も予て此の七兵衞は御存じだろう、不断はまるで馬鹿だね、始終心の中で何か考えて居って、何を問い掛けてもあい〳〵と答をする、それが来たので、妙な男で、あゝ来た来た、妙な物を着て来たなア、何だハヽヽ袖無しの羽織見たような物を着て来たな、七兵衞構わずこれへ」
七「へえ」
殿「誠に久しく会わんのう」
七「へえ」
殿「再度書面を遣ったに出て来んのは何ういうわけか」
七「へえ」
殿「他へでも往ったか」
七「へえ」
殿「煩いでもしたか」
七「へえ」
殿「然うでもないようだな」
七「へえ」
殿「何だかそれじゃア分らん、迎いをやっても来てくれんから恨んでいた。今日は宜く出て来たの」
七「へえ」
殿「続いて寒いから雪催しで有るの」
七「へえ」
殿「何だえ……御覧なさい、あの通りで……これ誰か七兵衞に浪々酌をしてやれ、膳を早く……まア〳〵これへ……えゝ此の御方は下谷の金田様だ、存じているか、これから御贔屓になってお屋敷へ出んければ成らん」
金田「予て噂には聞いていたが未だしみ〴〵会わん、下谷辺へ来るような事があったら、身が屋敷へも寄っておくれ」
七「へえ……彼方へは往きません、面倒だから何処も往きません」
殿「何かぐず〴〵口の内で言っているな、浪々酌をしてやれ、もう一杯やれ」
七「へえ、お酒なら否とは云いません」
殿「其の方が久しく参らん内に私は役替を仰せ付けられて、上より黄金を二枚拝領した、何うだ床間にある、悦んでくれ」
七「へえ」
と張合のない男で、お役替だと云えば御恐悦でございますとか、お目出度いぐらいの事は我々でも陳べますが、七兵衞は面倒だというので、只へえへえという、誠に張合抜がいたします。
殿「何うだ見せようか」
七「見たって仕様が有りません」
殿「なれども上から拝領するは容易ならんことだよ」
七「へえ……大きなもんですな、これは幾許ぐらいのものですな」
殿「それは何んだの相場によって違うが、大抵二十五両ぐらいの通用のものである」
七「へえ一枚二十五両ッ……これが一枚あれば家内にぐず〴〵いわれる訳はないが、二枚並んでゝも他人の宝を見たって仕方がないな」
殿「何をぐず〴〵いって居る、別に欲しくはないか、一枚やろうかな」
七「へゝゝゝ嘘ばっかり」
殿「なに嘘をいうものか、一枚やろう」
と御酒機嫌とは云いながら余程御贔屓と見えまして、黄金を一枚出された時に、七兵衞は正直な人ゆえ、これを貰えば嘸家内が悦ぶだろうと思い、押戴いて懐へ突っ込んで玄関へ飛出しました。
殿「あれ〳〵七兵衞が何処かへ往くぞ、誰か見てやれ」
七兵衞は委細構わずどッとゝ駈けてまいると、ちら〳〵雪が降り出してまいりました。どッとゝ番町今井谷を下りまして、虎ノ門を出にかゝるとお刺身にお吸物を三杯食ったので胸がむかついて耐りませんから、堀浚いの泥に積っている雪の上へ吐しました。十分嘔いて胸が癒ったからせっせと新銭座の宅へ帰ってまいりましたので、女房は恟りいたしました。
内儀「おや大層お早く、たま〳〵いらっしゃいましたから今晩はお遅かろうと思いましたが、石川様は御機嫌宜しゅうございましたか」
七「はい、お役替で」
内儀「お役替、おゝ〳〵それはお目出度いところへ入らっしゃいました」
七「どうもね、その、お役替で」
内儀「何うなすったの」
七「むゝゝ……じゃ」
内儀「懐を捜していらっしゃいますが、何うかお落し物ですか」
七「え……これは無い、これは無い」
内儀「何うなすったの」
七「何うしたって(金を受取り押戴き懐へ入れる真似をして考えている)」
内儀「あなた何をなすって入らっしゃいます」
七「お屋敷を駈出して、虎ノ門の堀端で屈んだ時に懐から辷ったに違いない……ちょいと往って来るよ」
とまた駈出しました。
内儀「傘も差さずに貴方何処へいらっしゃいます」
七兵衞はどん〴〵駈けてまいり、こゝらで嘔いたろう、と思いましたから、堀浚いの泥が山盛りになって居ります所を捜すと宜い塩梅に有りましたから、
七「あゝ有難い」
と押戴き、幸い雪で人も通らず、懐へ入れてせっせと帰ってまいり、
七「往って来たよ」
内儀「あらまア貴方何うなすったの、笠も被らないで、そゝっかしいお方じゃアありませんか、あなたは石川様で黄金を御拝領なすったの」
七「え……何うしてお前それを知ってるえ」
内儀「何うしたって貴方が、顔色を変えて懐を捜しながらお駈出しなすったので、落し物に違いないと思いまして出て見ますと、路地に小さい紙入に宜い金物が打ったのが落ちてましたから開けて見ますと黄金が入っていました、何でもこれは石川様に頂戴したに違いないと思い、余り嬉しうございますから神棚へ上げて置きましたところへ、宜い塩梅に酒屋の御用が通りかゝりましたから申付けて御酒を上げてあります、何にも包まずにお置きなさるから落ちるんで、本当に貴方は何ぼ何だってお金を粗末に遊ばすと罰が中りますよ」
七「嘘をお吐き、黄金はこゝにちゃんと有るんだよ」
内儀「有るたって此処にもございますもの、御覧遊ばせ此の通り……」
七「おや〳〵こゝにも一枚……一枚の黄金が二枚になったか知ら、これは驚いた、黄金が子を生みやアしめえ。(ポンと手を拍ち)あ分った、二枚拝領したんだ、しかし一枚やろうと仰しゃって二枚出したのを嬉しまぎれに奪取って二枚一緒に持って来たに違いない、これは済まん、直に往って返して来る」
と云いすてゝせっせと石川様へ来て見ると、お客様がお帰りになった後で。
殿「何だえ七兵衞、雪だらけになって何うしたんだ」
七兵衞はせえ〳〵息を切り、
七「ハアー水ッ一杯……」
殿「これ誰か七兵衞に何かやんな、せえ〳〵と云っているから……今日は変だな、だまって駈出してしまって、まだ種々話もあったに、何うしたえ」
七「殿様、誠にお恥かしい事でございますが、手前は何処からお招きがございましても面倒だから何処へもまいりません、あなた方の我儘を聞くのが厭だから滅多に出ません、ところが今日家内が米がない、米櫃を払ってお粥を炊いた、これではいかんから石川様へいらっしゃれば、屹度お歳暮を下さると云いましたので参りました」
殿「そう思って来てくれゝば嬉しいじゃアないか」
七「ところが黄金を下さいましたろう、貴方が」
殿「左様」
七「私は余り嬉しいから二枚一緒に奪取りましたものか、一枚遣ろうと仰しゃったのは慥かに覚えて居ります、それを懐に入れてせっせと駈けて行くと、胸がむか〳〵いたしますから虎ノ門の傍で反吐を吐きました」
殿「汚ないのう」
七「それから宅へ帰って懐を捜すと無い、定めてこれは反吐の中へ落したんだろうと思いまして、虎ノ門へ取て返し、反吐の中を掻廻すと有りましたから悦んで宅へ帰ると、家内の申すには、溝板の上へ黄金が落ちてたと申しましたが、大方御前のお出しになった時、二枚奪取ってまいったに違いありませんから、これはお返し申して一枚頂戴……」
殿「いや其の方には一枚しか遣りゃアしない………これに一枚ある」
七「へえ……こゝに二枚あります」
殿「一枚剥がして其方へ遣ったんだよ、これに一枚あるだろう」
七「へえ……黄金はだん〴〵殖るかね、妙な事もあるもんですな」
殿「貴様の拾ったのは」
七「堀浚いの土の盛ってあるに吐いた反吐を掻廻して捜し出しましたから、再び返しにまいりましたので」
殿「どれ、見せろ」
と手に取上げてつく〴〵見られ、
殿「これは泥の中へ埋っていたものだ、金色が違っている、書いた文字が摺れて分らんようになって居る、大方これは堀浚いの泥と一緒に出ていたを、其の方がだん〴〵掻廻したので泥の中から出たんで、全く天から其の方に授かったところの宝で、図らず獲たんだの」
七「へえ……それは飛んだ事をしました、彼処へ往って置いて来ましょうか」
殿「いや其の方の手許に置いて宜かろう、授かり物じゃ」
と早々石川様から御家来をもちまして、書面に認め、此の段町奉行所へ訴えました。正直の首に神宿るとの譬で、七兵衞は図らず泥の中から一枚の黄金を獲ましたというお目出度いお話でございます。
底本:「圓朝全集 巻の三」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年8月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の三」春陽堂
1927(昭和2)年1月28日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼の」と「彼」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※底本中「七兵衞」と「七兵衛」が混在しますが、「七兵衞」に統一しました。
※「〴〵」の誤用と思われる箇所もありますが、底本通りとしました。
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年11月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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