「道遠からん」あとがき
岸田國士



 この集におさめた戯曲三篇は、いづれもわたくしの最近の作品で、「速水女塾」以後のものである。

「女人渇仰」は昨年九月「文学界」に、「椎茸と雄弁」は今年一月「世界」に、「道遠からん」はこの六月「人間」に、それぞれ発表した。

 わたくしは、自分の劇作といふ仕事を通じて、現代に於ける「喜劇」の存在理由をますます強く感じるやうになり、その精神の探究と形式の確立に、おぼつかない努力をこれまで払つて来た。その努力は今もつて実を結んだとはいへないけれども、どうやらひとつの方向だけは、これできまつたといふ気がする。必ずしもそれはまつたく新しい方向ではないかもしれない。しかし、わたくしは、わたくしの視角のなかにとらへ得たその方向を、もう見失つてはならない年齢なのである。

「喜劇」はまづなによりも、人間と時代とに対する深いかなしみから生れるものだといふことを、わたくしは信じる。かなしみがかなしみのまゝに終れば、それは、絶望に通じる。わたくしは、そこで立ち止まらないために、あらゆる鞭を自分に加へた。灰色のかなしみから、褐色の憤りが煙のやうにたちのぼるのを、自然の結果とみるほかはなかつた。だが、その時はじめて、自分のうちに、鬱積した「笑ひ」が出口を求めてやまないのを知つた。「喜劇」は、外になくして、内にあつたのである。

 人世批判が諷刺のかたちをとつて喜劇を生むことも事実である。しかし、その事実はまた、批判者が批判に堪えなければならぬといふ意味を含んでゐる。しよせん、喜劇は他のすべての文学作品と同様、或はそれ以上に、鏡にうつる作者の像である。


 まつたく空想の産物であるこれらの三篇は、偶然に、ある現実の一瞬からヒントを得たといふ点で、これまでのわたくしの作品のなかで、むしろ例の少いものである。

「女人渇仰」は、昨年八月、文学界編集者K君の強要によつて、これも珍しく、わたくしは東京のある盛り場のホテルに部屋をとり、雑誌の締め切り日に追はれて、なにかを書かねばならぬ破目に陥つた。暑さは暑し、周囲の騒音にさまたげられて、容易にこれといふ感興が湧かぬ始末であつたが、たまたま、夜更けて散歩を思ひたち、人影のまれな裏通りをぶらぶら足の向くまゝに歩いてゐると、薄暗い町角で若い二人の女性とすれちがつた。その一人が、私に声をかけた。なるほど、東京の夜もパリの夜に似て来たのかと、わたくしは、思はずそちらをふり向いた。すると、もう一人の方が、わたくしの視線をそらすやうに、「なあんだ、ぢいちやんぢやないか」と言ひ放ち、相手の腕を引きよせてから、そのまゝ行きすぎてしまつた。これはおもしろいと、わたくしは思つた。なぜ、おもしろいのか。分析は必ずしもその場の役には立たない。必要なことは、一人の老人のイメージを戯曲的に設定することなのである。わたくしは、その夜から翌日にかけて、一気に、この作品を書きあげた。

「椎茸と雄弁」の主題も、わたくしの住んでゐる山国の部落に、どこからか、一人の男が舞ひ込んで来て、一夕、部落民を集めて椎茸栽培に関する講演をし、その講演がなんともいへぬ怪しげな講演であつたうへに、その男は宿の心配をしてくれと要求し、誰ひとりこれに応ずるものがなかつたといふ話をきき、わたくしは、これはものになるなと思つた。その事件の切れつ端を種にしたものである。

「道遠からん」は、わたくしがある海岸地方へ旅行をした時、ちやうど、海女の代表的ないくたりかを、伝説的な注釈を加へられながら、直接にこの眼で見たことと、その地方の町で、観光事業の一つの催しとして、海女の海中作業をコンクールの形式でみせるといふ計画をきかされ、これはどんなものかと考へさせられた、その二つの動機から、わたくしの創作欲が刺激されたのである。これは、なんとしても、現実の問題として取扱つては、いかに誇張したところで、喜劇にはならぬ性質のものである。たゞ、現実が提出してゐる問題を、さまざまに仮設のうへに展開していくと、そこからは、慄然とするやうな情景のなかに、ある種のをかしみが湧いて来ることを発見した。

 この戯曲は、文学座からも俳優座からも、上演の申し込みがあつた。文学座が先口なので、これを許した。そして、十一月公演のために、わたくしは、書き足りない部分に手を加へ、原稿の枚数にしてはほとんど倍に引きのばした。上演の決定は作者に、さういふ手間を惜しませないものなのである。

 従つて、最初「人間」に発表し、更に、文芸家協会編纂の創作集に収録された第一稿は、今後、上演台本として用ひないことにしたいばかりでなく、いかなる目的にしろ、これを再び活字にすることは絶対にないやうにしてほしい。

昭和二十五年十月二十五日
著者

底本:「岸田國士全集28」岩波書店

   1992(平成4)年617日発行

底本の親本:「道遠からん」創元社

   1950(昭和25)年1115日発行

初出:「道遠からん」創元社

   1950(昭和25)年1115日発行

入力:門田裕志

校正:Juki

2011年925日作成

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