「現代演劇論」はしがき
岸田國士
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演劇に関する評論、感想、ノオトの類を集めてみたが、それらを系統的に配列する困難は、私が甚だ「学問的に」ものを言つてゐないといふこと、殊に、筆を執つた動機が殆ど常に外部からの註文に依つたといふことに原因がある。
しかし、一方で、これらの文章の何れにも、現代日本の演劇に向けられた不満と焦慮が含まれてをり、それぞれの研究、批判は、「わが演劇文化の向上」といふ空漠たる目的のために、いささか前のめりの姿勢を取つてゐることが、自分ながら滑稽なくらゐである。この姿勢は、それでも、過去十年以上に亘る極めて断片的な論議を、貧しいながら、一貫した主張と見做す手がかりを与へてゐるやうに思ふ。
すなはち、「なぜ日本の新劇は健康に育たなかつたか」といふ問題、更に「どうしたら日本に新しい演劇が生れるか」といふ問題を前にして、あらゆる面からこれに答へようとしたものである。
熱情あまつて言葉の足らないものばかりであるが、私の観点は誤つてゐないと今でも確信してゐるし、既に、これをひとつの立場と称し得るなら、その立場は、明かに将来への希望を示すものであることが実証されつつある。
これは、深遠な学理でもなく、標渺たる芸術談でもないのである。文明国日本に、教養ある見物を満足させる現代演劇が存在しないことはお互の恥辱であるから、これをなんとかして作り出さうではないかといふ提案に過ぎない。
私は、十年前に、「我等の劇場」といふ書物のなかで、やはりそれと同じことをやつた。そして、相当の効果を収めた。今度の本を出すについて、前の「我等の劇場」と連絡をつけるために、その中から、基本となる若干の項目を抜萃した。
今や、演劇の各分野は混沌としてゐる。目標があるやうでないものが多い。所謂「新劇」の運命についても、必ずしも楽観は許さない。
私は、一応、「新劇」から手を引いた。今のままでは、そこに私の仕事はないのである。これは決して敗退を意味するものではない。根本的な工作に転じるためである。それゆゑ、この本は、「新劇」への置土産であると同時に、次ぎの出発をここから起すといふ標識ともなるであらう。
私は今、かういふ風なことを考へてゐる。「新しい演劇」のために、現在最も必要とするのは、「新しい俳優」である。その「新しい俳優」は、今後、「新しい畑」からでなければ出て来ないといふ見当がついた。その「新しい畑」とはどんなものか? 「将来の映画」なのである。
発声映画に熟練な俳優を供給したのは、長い伝統を誇る西洋演劇であつた。現代日本の演劇は、映画の兄貴分たる資格をもつてゐない。だから、今日では、最初から映画俳優としての修業を積み、トオキイといふ芸術形式をマスタアしさへしたら、いつでも、舞台に立つて、専門の舞台俳優と太刀打ができるといふ逆な現象が生じさうである。それも、今の「日本映画」がこのままの状態では駄目だが、少くとも、その水準が何人かの手に依つて引上げられる方針さへ定まればいいのである。
映画俳優が舞台俳優を追ひ抜く時代がやがて来るだらう。さういふ時代を仮定して、私は、一般映画研究者、殊に将来映画俳優たらんとする青年男女諸君にこの書物の一読をすすめたい。
本格的な俳優の魅力、その演技感覚は、舞台とスクリインとに共通なものであることを私は信じて疑はない。その上、一個の人間たる俳優は、舞台に於てこそ、完全に芸術家としての創造欲を満足させ得るのである。
「将来の映画」が、如何なる好餌をもつて、素質あり、教養あり、野望ある青年男女を吸引し得るか、今のところ、私は、大きな期待をこれにかけてゐる。ところが、日本映画は、現在、自国に於ける既成の演劇から何ものをも学び得ず、また、受け継ぎ得ない結果、「将来の映画」は、自らその求むるところを、「空想の演劇」のなかに求めなければならない羽目にあるのである。私のこの書物が、その道を指し示す案内の役に立てば非常に幸せである。
本書に、「現代演劇論」といふ標題をつけたのは、これを単なる専門的な研究書とみず、一般社会現象に関心をもつ階級の人々に、一文化部門としての現代演劇の水準とその方向とを知らしめる意図をも含めたつもりである。従つて、これが、政治家、実業家、教育者、並びに、子女を演劇映画界に送らうとする世の父兄の、何等かの参考ともなれば、また著者の希望は十分達せられるわけである。
千九百三十六年十月
底本:「岸田國士全集28」岩波書店
1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年2月19日作成
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