新劇と娘今日子
岸田國士




 劇団文学座に籍はおいてゐるが、新劇女優の卵にすぎない次女今日子のことをなにか書けといふ註文である。

 私は元来自分自身について語る趣味をまったくもたないから、たとへどのやうな立場にせよ、娘について語ることも、あまり気が進まない。

 しかし、考へてみると、本誌の編集者がとくに私にさういふ文章を書かせようとする意図もわからなくはない。

 また、私が今日まで周囲のだれかれから受けた質問の内容とほぼ一致してゐるところをみると、世間の好奇心もまた格別のやうに思はれるので、この際むしろ、進んで、私は、自分の娘を俳優にする決心をした心境を率直に語らうと思ふ。



 三十年前に、私は日本の新しい芝居をなんとかして育てていきたいと考へ、その一つの方法としてフランスの芝居を研究することを思ひたった。そして、研究の結果、芝居は、なによりも時代の文学と歩調を合はせなければならないといふこと、そのつぎには、新しい芝居、即ち「近代劇」は、近代的教養を身につけた俳優によって演ぜられなければならないといふことを発見した。

 それ以来、私は、いくたりかの先輩友人の驥尾に附し、乏しい才能に鞭うって、戯曲を書き、演出を引受け、俳優の指導養成に骨を折って来た。「新劇」はまだまだ前途程遠いに拘はらず、私の余命はいくばくもなく、できるだけのことはほぼし尽した。

 そこへ、たまたま、娘の一人が、新劇に興味をもち、この困難な道へ進んでみようといふ希望を漏らした。必ずしも女優としての素質に恵まれてゐるとはいへないかもわからない。しかし、彼女は、いはゆる花やかな職業として「新劇俳優」を志してゐるのでないことだけは、私にもよくわかった。それならば、と、彼女の地道な修業に私も力を藉す約束ができると信じた。



 万一、そんな機会があったにせよ、力に余る派手なデビューは絶対に避けること、これが、父親としての私の念願である。

 文学座の世話役の一人である私は、娘を文学座にあづけた以上、事、芝居に関する限り、すべて、文学座第一主義である。

 娘はいつか、きっと、仕事の上では、父親の存在を呪ふことがあるかも知れぬ。それが、私の罪でないことを、今はただ祈るばかりである。



 二人は、現在いろいろの都合で、別々に住んでゐるが、それが、彼女のために、いいかわるいか、まだよくわからない。

 二三日前の晩も、ラジオで、彼女の声を久々で聴いた。田中澄江さんのラジオドラマ「女の時間」で、今日子の欠点が容赦なく出てゐるやうな役で、私は、はらはらするばかりであった。

 こんなにまで露骨に未熟な自分を投げ出さなければならぬ仕事がほかにあらうか? 思へば不憫なことである。

 しつかり勉強して、早く、恥かしくない役者になりなさい。

底本:「岸田國士全集28」岩波書店

   1992(平成4)年617日発行

底本の親本:「婦人公論 第三十七巻第十一号」

   1953(昭和28)年101日発行

初出:「婦人公論 第三十七巻第十一号」

   1953(昭和28)年101日発行

※促音の小書きの混在は、底本のままとしました。

入力:門田裕志

校正:Juki

2010年128日作成

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