女優の親
岸田國士



 三島由紀夫君の戯曲『夜の向日葵』を読んだときには、これを、文学座の本公演でやるのは、ちよつと無理じやないか、観客がついて来ないのじやないかと心配した。──それは作品の責任ばかりではないけれども──。

 ところが、実際あゝして舞台にかけてみると、一部の気むずかしい批評家を除いては、わりにみんな楽しんで観ていたので、あゝよかつた。これだけ観客にわかつて、観客がついて来ればまア大丈夫だ。そういう安心感のようなものを感じた。あれで観客が冷然と、あの舞台を観ているようだつたら、僕もあるいはあれほど楽しく観られなかつたかも知れない。

 それと、三島君の場合、あゝいう大勢の観客の前で作品を上演するのは初めてであり、僕は自分の経験からいつても、最初の観客の反響というものは劇作家の生涯──生涯というのは大袈裟だけれども──これから後の仕事にずいぶん影響するわけで、こんどの三島君の場合のように、あゝいうふうに観客が素直に作品を理解して、──どの程度まで理解したかということは別だけれども、──とにかく楽しんで観ていたということは、これからの三島君の劇作家としての仕事に一つのプラスになることで、それを非常に嬉しいことだと思つた。

 観客というものは実によき批評家であると同時に、これは誰も言うことだけれども、舞台をつくる一つの協力者であつて、いろ〳〵なことを役者も演出家も作者も教えられるとともに、反省させられたり、また時によると非常に甘やかされたり……するもので、今度の『夜の向日葵』の場合など、舞台稽古の時まで、役者が手探りでやつていた不安な部分が、舞台にかけて、観客の反響に直接ぶつかつて、新しい、いろいろな事がはつきりした、そのいい例だと思う。

 それから、僕の非常に喜んでいることは、文学座が福田(恆存)君あたりから、若い、新しい作家の創作劇をやるようになつて、役者がまた新しく勉強しているということで、その結果は、まだはつきりとは現われていないけれども、新しい演技への意欲のようなものが感じられた。一部の人たちから、文学座の俳優の演技には、一つの古い殻が出来かけているというようなことが言われているとき、そういう殻をだん〳〵にふるい落す、一つの契機になつていると思う。


 この『夜の向日葵』に、僕の娘も出ている。今日子の初舞台は『キティ颱風』で、あのときは、はら〳〵するばかりであつたが、その後、アトリエ公演の『狐憑き』に出て、こんどが三度目であるが、しかし、まだ、それこそ役者というようなものではない。

 僕は『罪の花束』という小説で、若い女優の育つていく経路を書いたのだが、俳優の場合、どこからが職業人と呼べるか、けじめがむずかしい。それは、どういう職業でも同じことだけれども、役者の場合は、特にメチエというものが尊重される。それがなくては、ほんとうに人に観てくれということは出来るものではないのだ──。作家の場合は、メチエというよりも、もし分ければアートという要素が大きい。──素人、玄人のけじめは、むしろ問題ではないのだが、──役者の場合は、素人でたま〳〵ある面白味があつたりなどしても、それは非常にはかないものである。長続きするようなことはあり得ない。

 自分の娘を、あゝいう仕事に行きたいというままに行かせているわけだが、さて、娘の舞台を客席から観ていると、やつぱり辛い。自分の娘がこんなことをしてくれなかつたら良かつたのに──と、よく思う。上の娘は油絵の勉強をしているのだけれど、絵の場合だと、わりに冷静に、どうかすれば冷やかし半分の気持ちで見ることが出来るのだが──。


 昔は、たいがいの親は、子供を役者にするなどということは躊躇するだろうし、子供のそういう希望を一応退けるのが常識になつていた。近頃、戦後になつてからは、このへんがだいぶん変つて来た。僕らそのためには、大いに力をいたしたと思つているのだが──。

 新劇というものが出来てから、役者の社会的地位というか、信用がいくらか向上したことは事実である。少くとも新劇に関する限りは、普通の職業を選ぶ場合と、同じような標準に近づいている。しかし戦前は「新劇役者」といつても、親は新劇の役者と、ほかの役者との区別がつかなかつたし、それに新劇の役者になるということは、生活の保障が全くないということだつたから、なか〳〵に警戒して、子供の俳優志望は許されなかつた。戦後、文学座なり俳優座なりの研究生募集に対して、その十倍に近い応募者があるということは、まことに隔世の思いがする。

 自分の娘を役者にした親として考えることは、これからの役者は、あまり小さいときから役者の修業というものをさせなくてもいいということだ。そのための学校とか、勉強する機関が完備されていればともかくだが、職業化された劇団なりグループなりに入ると、結局安易に役者気分になつてしまつて、大成が望めない。若い人たちは、人間としての自分をちやんとつくるということよりも、焦つて、すぐに通用するような方向に行つてしまう。いま一番大事なことはすぐに役者の勉強をすることよりも、まず人間としての自分をちやんとつくることで、ほんとうは、それが並行して出来ることなのだが、やはり劇団に入つてしまうと、役者になることに急で、人間をつくるということがお留守になる。指導者や、若い仲間たちが、そういうことを念頭において、互に警戒をしないといけないと思う。

 娘の今日子を「キティ颱風」に出したあとすぐに劇団活動に入れなかつたという事情もそこにあるので、あの雰囲気の中では、余程しつかりしていないとスポイルされると思つたからである。物事に対する批判力ができてから劇団に入れよう、また、それからでも遅くはないと考えたからである。


 俳優という職業が今まで誤解されたり、また実際に職業の持つている尊厳さというものが歪められたりしたのは、俳優という職業が持つている本質的な一種の弱味にある。これは厄介な問題で、こゝに詳しく述べる余裕はないが、その傾向は古今東西共通で、ヨーロッパでも宗教に凝つている家庭だつたらば、ほとんど絶対といつていいくらい子供を役者にはしないだろう。まだ〳〵堅気でない商売の部類にはいつているようだ。これがいけないのだ。客商売とか、水商売、人気商売というような観念が、いまでも芝居の世界の一つの常識になつている。それに対して僕の子供などは多少反撥しているようだ。これからの役者は、謙虚な態度で勉強するということとは別に、自ら恃むところがなければならぬ。だから、卑屈になることを極度にきらいながら、様々に自分の美質を伸ばし、俳優として、立派な成長をして来た人は新劇の畑に既に少くないのである。


 初めに『夜の向日葵』の舞台を楽しく観たと書いたが、しかし、のん気な気持ちでいたわけではない。三島君の芝居だからとか、子供が出ているからということではない。私はだいたい芝居をのん気な気持ちで観たことがない。文学座の場合とは限らず、客席から舞台を観ていて、自分を忘れるというような経験がない。時によると、僕は芝居が嫌いなのじやないかと思うことがある。芝居を観て楽しめない僕が、どういうわけで脚本を書くのか──と、僕に近い仲間たちは思つているのではないだろうか。僕が芝居を書くのは不思議だ。僕の芝居に対する愛情が一体どこにあるのか、それがつかめないという人もある。僕の場合、手放しの愛情というようなものがない。

 たいがい芝居の好きな人には役者との交友関係があつたり、楽屋の空気に親しみを持つていたり、また芝居の廊下の雰囲気に何となく酔える──といつた、そうした楽しみをも含めて芝居が好きということになるのだけれども、僕の場合には、そういうものが全然ない。だから芝居の社会にいても、やはり孤立するのかも知れない。

底本:「岸田國士全集28」岩波書店

   1992(平成4)年617日発行

底本の親本:「芸術新潮 第四巻第九号」

   1953(昭和28)年91日発行

初出:「芸術新潮 第四巻第九号」

   1953(昭和28)年91日発行

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2011年219日作成

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