老病について
岸田國士
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内科の医者である私の友人Aは先日面白い話をきかせてくれた。
専門のことは私にはよくわからないが、Aはずつと以前から老齢期特有の病気に興味をもち、小児科に対して、老人科とでも称すべき医学の新分野を開拓しつゝある篤学の士である。
Aの研究によると、高齢者の肉体は常に衰耗の一路を辿るにしても、その程度はひとによつて違ふばかりでなく、同じひとりについて、部分的に遅速の差があり、その結果、ひとによつて、ある部分は既に老境に入り、ある部分は未だ青春の名残りをとゞめてゐるといふ現象がしばしばみられるといふのである。別の言葉で言へば、ある人間がどこから先に年を取りつゝあるかといふ徴候の測定によつて、臨床的に必要な対策を講じることができるのであらう。
しかし、かういふ事実は、素人のわれわれでも、ぼんやりとは感じてゐることで、それを学問的に系統づけ、その理論をいかに医者が応用するかといふことこそ、注目に値することなのである。
ところで、私は、その話から、いろいろ他愛もない空想をして、ひとり悦にいつた。
例へば、肉体各部の機能と精神のさまざまなはたらきとを明確に結びつける精神生理学なるものは成り立たないか? そして、からだのある部分の発育、乃至老衰の徴候から、その人間の知能や道義心の程度を推しはかることができたとしたら、これはなかなか画期的な発見にちがひない。
が、こんな空想は、空想だけに終るのだつたら、別に事新しいものではなく、ある種の宗教はそれぞれの病気をなにかしら道徳の欠如にもとづくといふ、噴飯に値するコヂつけで俗耳を迷はせてゐる。肺病は、不従順が原因で、なんでも「ハイ」と言はぬからだ、と称するが如きである。わが国に肺患者の多いのは、そのためであらうか?
老人病と言へば第一に動脈硬化があげられるであらう。
ところが、精神の動脈硬化的症状は、意外に早くわれわれを訪れる。血圧が普通だとすれば、その治療はどうすればいゝか。わが民族の精神年齢について、一外国人は甚だ前途洋々の望みを嘱してゐるやうだが、果してその観察は誤りであらうか?
動脈硬化的症状の一つは、なんといつても、かのセクショナリズムである。しかも、それは、習癖となつてゐる無意識的セクショナリズムである。
このことは、われわれ自身、みな百も承知しながら、いかんともなしがたいのであるから、いよいよ、A博士の研究の成果を期待するわけであるが、それに先だつて、私がふと思ひついたことは、すべて分化と綜合とが交互に行はれるやうな仕組みを、政治や教育の分野に、もつとはつきり打ちたてたらどうか、といふことである。
これもほんのわづかの一例にすぎぬが、最近私は、こんな提案を吉田首相にしてみたくなつた。
いよいよ国際関係が正常に復することになるのだが、日本のこれからの立場を考慮にいれたうへで、近い将来、外国に設置される大公使館の機構を、ひとつ、既成観念や、旧い慣例にとらはれず、まつたく新しい組合せで作つてみたらどうかといふことである。
外交問題の現地での処理といふことはむろん第一の役目であるにしても、それ以外に、或は、それ以上に、在外公館としての資格において、最も能率的にその「文化的使命」を果すため、各国別に、それぞれ適任者と思はれる「アタッシェ」を配置し、教育、宗教、科学、芸術、出版等の各分野に亘つて、われわれの要求に応へ得るやうな基本的調査、重要資料の収集、及び時として、文化交流の企画と事務の運営を担任せしめてはどうかといふことである。
この「アタッシェ」は、官制としてはおそらく文部省から派遣されることになるであらうが、人選は、官庁の独善に陥らぬやう、然るべき機関に諮つて決定することが望ましい。この場合、更にいはゆる文化各専門部門の縄張り争ひを避けるため、当分の間、ジャアナリストのうちから、その任に堪へ得る優秀な人物を登用(?)するに限る。
この「若返り法」について、先づわが畏友A博士はどう考へるか、その解答はもう耳に聞えるやうである。曰く、「うむ、まあ、それでも、やらないよりはましだらう」
底本:「岸田國士全集28」岩波書店
1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「文芸春秋 第三十巻第四号」
1952(昭和27)年3月1日発行
初出:「文芸春秋 第三十巻第四号」
1952(昭和27)年3月1日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年2月19日作成
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