演劇の様式──総論
岸田國士




「演劇」の範囲をどこまでひろげるかという問題は、けつきよく、「演劇」の定義次第であるが、また逆に、「演劇」に一つの定義を与えるとすれば、やはり、「演劇」の範囲をまず決めてかからなければならぬ。

 われわれが現在、「演劇」と呼んでいる舞台芸術は、狭い意味では、文学作品としての戯曲の上演を指す。これはもう論議の余地はあるまい。しかし、「戯曲の上演」といつても、そこに厳密な一線を引くことは、どうしても無理である。例えば、即興劇のような、あらかじめ準備された脚本によらず、俳優が舞台に出てから、いきなり「即興的」に対話のやりとりを始め、勝手に「動き」をつけ、彼等の当意即妙の工夫によつて、ひとつの筋を作りあげていく、というような「演劇」の種目も存在する。

 しかし、こういうものを例外として含めても、なおかつそのほかに、様々な特殊な上演形式があつて、俳優はその肉体を舞台に現わさず、その代りに「幻燈の人物像」を使つて、セリフだけを陰でいう、という方法もあり得る。つまり、戯曲、演技、舞台機構、演出、それらの組合せによつて、一つの「物語」が語られるという点で、正統的ともいうべき「演劇」の「かたち」は限定されることになる。

 そこで、ひろい意味では「演劇」の範疇にいれてもよいが、厳密には、それぞれの、固有の名称で呼ばれなければならぬような、一種の「演劇的創造」或は、「演劇的興行」がある。この場合には、おおかた、文学としての戯曲はもはや存在せず、単に物語の主題、または、構成が、音楽または舞踊の「演劇的展開」に利用されているにすぎない。「歌劇」および「舞踊劇」がこれである。ただ、そのうちに、ひとつ、「ラジオ・ドラマ」という特別な種目があつて、これは、「演劇」としての重要な要素を欠きながら、なおかつ、正統的な「演劇」と最も近い繋りをもつている。重要な要素というのは、視覚にうつたえるものが皆無だということで、普通、演劇は、少くとも、俳優のセリフとシグサとをもつて仕組まれるという原則に当てはまらないのである。

 ところが、ただそれだけなら、セリフのない演劇というものが、既に成り立つている。「黙劇」とも「無言劇」とも、「パントマイム」ともいう、俳優のシグサだけの舞台である。このことは、「演劇」の本質と深い関係があるわけで、要するに、俳優が一定の場所へ集つた「観衆」を前にして、じかに、その肉体の表情をもつて、物語りを物語ることが、原則として、演劇の演劇たるゆえんなのである。

 従つて、ラジオ・ドラマが、「テレヴィジョン・ドラマ」になり、たとえそこに視覚にうつたえる要素が加つたとしても、俳優がじかに観衆の前で演技をしてみせ、互にその反応を示し合うのでなければ「演劇」としての真の「すがた」とはいえないことになる。

 それは、それでいいのである。



 狭い意味の演劇、文学としての戯曲の上演という限られた範囲をとつてみても、そこには、いろいろな条件の変化によつて、さまざまな「かたち」のものができあがる。

「かたち」は単に外形を指すばかりでなく、その「内容」をも指すとすれば、その種類はどれだけあるか、大きな分類を行うことすら困難である。

 一般に行われている見方に従い、いわゆる「演劇のジャンル」について、ひと通りの説明をしておこう。

 最も古くから行われている「演劇」の大きな分け方は、誰でも知つている通り、「悲劇」と「喜劇」とである。これはもちろん、文学としての戯曲の分類であるが、ギリシア悲劇の流れを汲む悲劇の本質は、人間と神、乃至運命との対立抗争にあつて、苦悶し、慟哭する人間のすがたに、観衆は共鳴し、同情し、自己の罪と汚れとを、一瞬自覚することによつて、心を清められる、というのが、悲劇の効果とされていた。

 これに対して、一方、現実の世界を、露骨に、滑稽に描き出し、そこに反省と警告とをさりげなく示すものが、「喜劇」である。

 この二つの分け方は、たしかに、演劇の二つの大きな枝を明らかに区別したことにはなるが、時代は、この二つの枝を、常に、別々に伸ばそうとはしなかつた。

 イギリスにシェイクスピアが現われて、既に、この二つの枝は、時に、一本となつた。

 フランスでも、十八世紀になると、悲劇と喜劇との区別を無視しはじめた。いわゆる「悲喜劇」という代物が生れ、批評家はこれを「ジャンルの混淆」と言つた。悲劇でもなく喜劇でもないという中間的な色合いの戯曲も書かれるようになる。フランスで「ドラマ」という名称が使われだしたのはこの時代で、〝Pièce〟という名称は、悲劇でも喜劇でもない戯曲を指すために用いられるのである。

 ジャンルの混淆は、自然、「悲劇」と「喜劇」の性質をも徐々に変化させるに至つた。

 なお、そのほかに、劇場機構の改革、社会思潮の変化、外国文物の移入、などが原因となつて、演劇の相貌は急激に近代化し、複雑化し、自由奔放となつた。

 ことに、浪漫主義の運動を境として、各種芸術分野の活溌な新生命の探究となり、演劇の領域もまた、その影響を受けないわけにいかなかつた。

 文学的流派の消長は、そのまま、演劇の面に著しい波紋を投げたことは、既に他の巻において述べられたとおりであるが、その間、演劇独自の立場で、いろいろの試みがなされ、さまざまな種が蒔かれた。そして、そのうちのあるものは、演劇に新たな傾向をもたらした。

 それらの種目をいちいちここで細かに挙げることはもはや繁雑にすぎるであろう。ただ、今日まで、一般に通用している名称だけをいくつか例にとつてみれば、次のようなものがある。


心理劇 人間心理の追求、解剖を劇的に取扱つたもの。

気分劇 舞台にある特殊な生活雰囲気をかもし出し、その気分的な味わいを生命とするもの。

夢幻劇 架空な物語を美しい幻想の世界として描いたもの。

神秘劇 人生の一事件に神秘主義的な解釈を織り込んだもの。

社会劇 現代社会の病根に批判を加えようとするもの。

問題劇 ひろく人生、社会の現実に即した問題をとらえ、論理的にその本体を究明しようとするもの。

思想劇 一つの新しい思想を提出し、作者の主張をこれに托そうとするもの。

歴史劇 歴史的事件、人物を素材としたもの。

諷刺劇 人間社会を対象とし、これを諷刺的に扱つたもの。

詩劇 (または韻文劇)文体としての詩的表現による戯曲の上演。

宗教劇 宗教的な題材によつて、その宗教の教義の伝道乃至信仰の昂揚を目的とするもの。カトリック教の秘蹟劇などは、その一種である。

怪奇劇 怪奇、グロテスクな事件、情景を舞台にのせ、観客にスリルの快感、こわいもの見たさの好奇心をそそろうとする演劇。パリのグラン・ギニョルなど。


 なお、このほかに、いくらでもあるが、多分、これからもどこかで使われるかも知れぬもういくつかの名称をあげておこう。


静劇  へんな名称であるが、これは、劇の概念が、「動的」なものと結びついているので、とくに、波瀾のない、激しい言葉のやりとりすらみられない、静寂な境地に観客を引き入れるような「演劇」を指す。

沈黙劇 これは前大戦直後に、フランスで起つた演劇運動の一つの看板で、饒舌な対話を排し、努めて沈黙の効果を生かすことによつて、人間生活の深奥、機微を伝えようとする演劇を指す。

仮面劇 俳優が仮面によつてそれぞれの役の性格を表現するもの。ギリシア劇、能などは、仮面劇の一種である。

左翼劇 プロレタリア演劇ともいい、社会主義、主として共産主義の立場から、労働階級対資本主義の争闘を描き、階級革命のための宣伝、煽動を目的とするもの。即ち革命思想を鼓吹する社会劇の一種とみることができる。

大衆劇 大衆のための演劇という意味では、例えば知識層を対象とするというような特定のものでない、広い範囲の要求にこたえる普遍性のある演劇を指す。しかし、実際には、純文学に対して大衆文学というように、主として「通俗」の意味と混同されている。

科白劇 科はシグサ、白はセリフであるが、音楽や音響効果、装置や衣裳に相当の重点がおかれる演劇に対して、主として、戯曲の対話を活かした俳優の演技による舞台のイメイジを生命とする演劇を指す。

メロドラマ 元来、音楽を伴う演劇の意であるが、今日では、興味本位のどぎつい「大芝居」の意に用いられる。筋は波瀾万丈、人物は類型的、泣かせたり笑わせたりすればよいという風な人を喰つたものであるが、この手法を特に新しい演劇の実験として用いる場合もある。

翻訳劇 外国劇の翻訳を台本として用いるという意味であるが、この名称は、すこしおかしい。過渡的な名称であろう。

翻案劇 外国劇を種本として、「日本もの」に書き直した台本。人名、地名等を変えるだけで比較的原作の面影を忠実に伝えたもの、単に荒筋だけをかりたもの、など、その程度はいろいろである。



「悲劇」という厳密な演劇のジャンルは、近代になつて、その影が薄くなつたけれども、「悲劇的」という言葉で現わされる、やや常識的で、あいまいな要素は、相変らず演劇の内容として可なりな部分を占めている。

 悲劇的境遇とか、悲劇的性格とか、悲劇的結末とかいうような言葉は、一種の「演劇」の特色を指すために用いられている。そして、かかる「悲劇性」ゆえに、ある演劇を、「境遇悲劇」、「性格悲劇」、「田園悲劇」などと呼ぶ場合があるのである。

「喜劇」の場合は、これに反して、その名称の用いられかたが、近代に至るほどひろくなり、多くの劇作家は、自作に「喜劇」と銘をうつことが、あたかも、「こは悲劇にあらず」と断るためであるかのような印象すら与えている。もちろん、実際は、その作家の「喜劇観」に基くものであるけれども、「喜劇」という名称が、それほど、近代演劇の一般性を代表するものと見ても差支えないのである。

 その面白い証拠として、例えば、チェーホフの『桜の園』や、ポルト・リシュの『過去』などという、一見「悲劇的」とさえ思われる戯曲が、作者自身によつて、はつきり、「喜劇」と名づけられていることを指摘すればよい。これは、まさしく、作者の人生観をもつてすれば、現代社会はそのまま「喜劇」であり、「現代人」は、宿命的に「喜劇的存在」であるという皮肉な現実主義の宣言にひとしいように思われるけれども、一方、それほどの深い意味をもたせずに、ただ、古代悲劇が、人間と神乃至運命との対決を主題とするのに反し、すべて人間と人間との関係には、もはや「悲劇」はあり得ず、これを「演劇」としてみれば、「喜劇」の部類に入れるのが当然だ、という解釈も成り立つのである。

 西洋では、古典悲劇専門の俳優だけは、トラジェディアン、即ち悲劇俳優と呼んでいるけれども、その他の、一般の俳優は、コメディアンと称し、特に、「喜劇」のみをやらなくても、ただ「役者」という意味で通つていることも注意すべきである。

 それからまた、フランスの国立音楽演劇学校の演劇科は、悲劇科と喜劇科とに分れていて、前者は専ら古典悲劇の、後者は、古典喜劇を含む一般演劇の演技研究を目的としている。

 こういう風にみてくると、「喜劇」という名称の概念が、日本語で考えられるような、ある限られた性格を示すものではないともいえるのであつて、その辺のことは、演劇の様式を論ずるに当つて、一応心得ておくべきことである。

 なお、「喜劇」の本質そのものは、美学的にある厳密な定義が与えられないことはない。これはもちろん、「笑い」の哲学として、いく多の主張や研究が既に発表されているばかりでなく、そういう「喜劇的」要素を主とした演劇が文字どおりその名で呼ばれていることも否定できない。そして、それらの「喜劇的」作品は、その主題の性質によつて、また舞台の色調によつて、さまざまに分類され、固有の名称を与えられている。諷刺喜劇、風俗(或は世相)喜劇、恋愛喜劇、などというのがあり、フランスなどでは、十八世紀の頃、ヴォルテールによつて「歴史喜劇」なるものさえ、書かれたことがあり、「涙を催させる喜劇」(Comédie larmoyante)という反語的な名称で、その時代としては珍しい「ジャンル混淆」の戯曲を発明したルメルシエという作家もいる。近くはまた、エドモン・ロスタンの『シラノ』が、「英雄喜劇」(héroï - comique)と銘うつて発表されたことは、この戯曲の風変りな性格を想像させるに役立つた。



 もともと、「喜劇」とは別個のものでありながら、今日では、「喜劇的」という意味で、その一種と見做されているものに、「ファルス」がある。英語風に読めば「ファース」であり、これを日本では、「笑劇」と訳しているようである。

「ファルス」の歴史は非常に古いのであるが、現在、文献として残つている最古のものは、フランス十六世紀の所産である『代言人パトラン先生』で、この作品は作者不詳であるにも拘わらず、フランス古代劇の傑作とされ、「ファルス」にも高度な芸術性があることを再認識させる契機をつくつた。

 それ以来といつてもいいが、才能ある新作家のあるものは、特に「ファルス」の名を冠した劇的作品を発表するようになり、日本にもその余波が伝つて来たように思われる。

「ファルス」の「喜劇味」は、むしろ、「道化味」と称すべきものであることが、最も大きな特色であろう。度外れた誇張によるとぼけた可笑味、きわどさと露骨さとを撒きちらす愛すべき素朴さ、最も庶民的な感情に根ざす権威の否定、というような点が、まず共通な色調としてあげられる。主題は常に寓話的ではあるが人生の機微にふれ、構成はおおまかで、表面、必然性を無視し、とくにその対話形式の、単純、率直、傍若無人、そして、しばしば、愚鈍と軽妙との交錯による滑らかな流動感が、ファルスの生命ともいえよう。

 日本の「狂言」は、この意味で、まさに、立派な「ファルス」の一典型であるが、このジャンルの演劇は、たまたま、民衆の、自然発生的な、安手な娯楽的催しに端を発しがちであつて、文学的、乃至芸術的価値の点で、多くは、低い水準を脱し得ないのと、また逆に、現代文学の不必要な「真面目さ」が禍となつて、この種のジャンルの発展を妨げているとも考え得るのである。尊大な力の前で、狡猾な弱者がどんな振舞いに及ぶかという永遠の喜劇は、常に民衆の健康な笑いの対象となり得るのに、近代の日本は、この笑いさえも忘れようとしているのである。

 今日わが国で、軽喜劇、時に「軽演劇」と呼ばれている一つの演劇ジャンルは、正確には、どういうものを指すのか、いずれ、その部門の担当者の解説があると思うが、私のみるところでは、どうも、西洋とおなじく、「軽い」を口実に、好い加減な、チャラッポコを演じて、よしとしているものが多いのではないかと思う。「ファルス」は、たとえ「笑劇」と訳すにしても、浅はかな笑いを誘う、軽佻浮薄な演劇を指すとは限らぬのである。



 演劇の「様式」という題目は、ジャンル(種目)という意味を含めた「かたち」の分類に主眼をおくつもりであるから、今までの分類を仮に「内容」のうえでの分類とすれば、これからすこし、「外形」からの分類をしてみることにする。

 まず、そのためには、演劇をかたちづくる要素を、二つの見方から、それぞれ並べていくと、第一に、最初に述べた正統的な「演劇」を組みたてるために必要な材料として、戯曲、俳優、舞台、演出、それから、観客、とをあげなければならない。

 戯曲は、脚本または台本ともいい、近頃はテキストという言葉も使われている。つまり、文学としての物語の要素である。

 俳優は、その肉体的、精神的条件のすべてをもつてする、科(しぐさ)と白(せりふ)とが、いわゆる演技の実体である。

 舞台とは、演技の演ぜられる、ある限られた空間であつて、これに必要な舞台装置を施すことによつて、物語の行われる一定の場所を示すことになり、この装置は、背景、大道具、小道具、照明、とに分れる。そして、この舞台は特定の建物(劇場)のうちに設けられるのが普通であるが、時としては、戸外の、臨時にそのために用いられる一区域であることもある。

 演出とは、舞台指揮と舞台整備とを含む技術的職能で、演出家と称する専門家がこれに当り、その指令の下に、舞台監督が整備、運営の事務を担当し、その要求に基いて、舞台装置、照明、舞台効果等の考案、作業が進められる。

 演出家は、原則として、俳優の指導者でも教師でもない。俳優が自分では気のつかぬ、或は判断に苦しむ演技のバランスを、客観的な立場で測定し、裁断する役目をもつ。舞台の統一的な効果は、それゆえ、演出家の経験と感覚とによつて割り出され、それが決定的なものとなる。

 この責任を超えて、演出家が俳優そのものの領域に踏みこみ、演技を自分流の型にはめ、いわば、演出家の主観と独断とによつて構成された舞台を作りあげることもあり得る。この場合、俳優はすでに人形である。俳優よりも「人形」の方がよい場合もないではない。「人形劇」が成り立つ所以である。しかし、これはまた、別な話である。

 最後に、観客もまた、「演劇」をかたちづくる一つの要素だ、という動かすべからざる意見を、私はもつている。このことは、もつと詳しい説明をしなければならないのだが、それは略す。どんな「演劇」も、現実的に、観客の質によつて、その成果が明瞭に左右されるという事実にもとづく意見である。


 以上の要素によつて組みたてられる「演劇」のうち、その「かたち」として、どの要素が比較的大きな地位を占めるか、どの要素がとくに強調されているか、によつて、演劇の性格が非常に変つて来るのである。

 例えば、戯曲本位であれば、それは文学的な匂いの強い、「読む代りに見る」演劇の印象を受けかねないし、また、そういう非難を顧みず、ある時代には、文学を前面に強く押し出した演劇運動なるものがあつても、それはそれで、必然性がないとはいえないのである。

 俳優本位の「演劇」というものは、それ自身、ある意味では、極めて自然な「かたち」であると言い得るのであるが、一方、その極端なものは、さまざまな弊害を生むに至る。とくに甚だしいのは、いわゆるスター・システムと呼ばれる「主役万能」の歪められた舞台である。また、俳優の都合で、戯曲の原形を無造作にこわしてしまうようなことも起り得る。更に、観客に媚び、その安易な要求に応えるために、自らを屈して恥じないような、演劇の堕落がここから生じる原因にもなる。

 演出家万能、演出至上主義の演劇が成り立ち得ることについては前に述べた。演出家ひとり天才であるという稀な場合を除いて、この傾向は、徒らに演劇を萎靡させることに役立つのみである。

 舞台中心の演劇という表現は、まさに意味がないようだけれども、ここで言おうとするのは、舞台を含めた劇場の性格が、演劇の「かたち」をいろいろに変える実例についてである。

 まず、「大劇場演劇」とか、「小劇場演劇」とかいう名称が、既に、われわれの間で用いられはじめたのは、ずいぶん以前のことだが、これは観客数の違いもあり、また、舞台の大きさ、広さの比較の問題もある。上演される戯曲の密度とその普遍性、俳優の演技の幅、装置や効果の工夫にまで、その関係は直接に響いて来る。「大劇場」必ずしも、商業劇場とは限らず、「小劇場」必ずしも高踏的な舞台を目指してはいないが、そういう誤解も生じ得る。

 ここで、「民衆劇運動」と呼ばれる外国の例をとれば、なるだけ多くの観衆に、なるだけいい芝居を観せるために、座席数千という大劇場で、すぐれた新旧の戯曲を上演し、これを安い料金で見せることをも目的としている。

 そして、このために、最も適当な戯曲の生産を提唱し、また自ら、これを標榜する作家もあつた。

「野外劇場」で演ぜられる「祝祭劇」などは、そういう目的をもつて書かれたものである。

 ローマ時代の旧跡「円形劇場」における壮大な楽劇の試みも、イタリアなどで行われている。

 これと反対に、「室内劇」と称し、極めて少数の観客を対象とするサロンの一隅に舞台を設けた「演劇」の実例を私は知つている。これにも、アマチュアの道楽に類するものと、専門家の研究的態度から出発したものがあつて、それぞれに、主催者と観客との要求を反映していることに興味をひかれた。

 これをみても、観客は、常に、その質と、自然な欲求とによつて、ある種の「演劇」を創造する貴重な役割を負つていることがわかるのである。

 劇場と観客との関係によつて、一つの特殊な雰囲気を作りだし、これによつて、一国の文化水準を測り得る「演劇」の社会制度が、古い文明国には存在する。

「国立劇場」、「帝室劇場」、「公共劇場」がこれである。

 前二者は、それぞれに、国庫の補助によつて成立し、多少アカデミックなところはあるが、管理者にその人を得れば、十分に国民の期待に添う「選ばれた演劇」を、比較的低廉な料金で鑑賞できる唯一の場所なのである。

「公共劇場」というのは、国立ではないが、各地方自治体が所有する公の管轄に属する劇場で、経営の方針は、普通の営利的な興行でなく、努めて、市民の文化的意欲を満し、健全な娯楽を提供するにあつて、中央都市から名のある劇団を招聘することもあり、平生は、その劇場専属の俳優の出演とか、その地方に根城をすえた職業的、非職業的劇団の公演にあてるとか、適宜の処置がとられている。



「演劇」をかたちづくる、もう一つの要素の分け方は、いわゆる「演劇は総合芸術なり」という主張を裏書きするもので、つまり「演劇」の構成要素を、あらゆる姉妹芸術、音楽、美術、詩文、舞踊、俳優術の綜合、統一なりとして、ことさら「演劇」の独立性を無視しようとする意見であるが、それはそれとして、たしかに、「演劇」のなかに、それらの要素を含めて考える考え方も成り立ち得るのである。こういう分け方を押しすすめると、結局、光、色、音、影、声、言葉、線、運動、という風な、極めて抽象的な単位要素まで還元しなくてはならなくなるが、そういう理論のための理論は、ここでは取りあげないことにする。

 ひろい意味における「演劇」とは、これを「舞台芸術」と言いかえてもよいが、まさに、視覚と聴覚とにうつたえるあらゆる芸術の要素が、必要に応じて、いろいろな割合で、いろいろな強さで、混り合い、融け合い、組み合わされて出来あがつた、綜合的な「時間芸術」であると言えよう。

 この要素の分け方を標準として、それぞれの要素が、演劇のどの部分に、どんな関係で、即ちどういう「かたち」をとつて位置づけられるかは、本論各項で、それぞれの担当者によつて述べられることと思う。

 ここでは、単に、これらの要素の混り合う比重によつて、「演劇」の「かたち」が明らかに特色づけられ、それが、それぞれに、一つの「ジャンル」として独自の存在を主張していることを言えば足りるであろう。

 すなわち、音楽が主位を占めれば、それは「楽劇」又は「歌劇」となることはいうまでもない。

 舞踊が圧倒的な地位に立てば、それは、「舞踊劇」または「バレエ」となることもちろんである。

 美術は、「演劇」においては二義的役割しか果さぬようにみえる。ところが、実際は、舞台装置を、または、衣裳を、「売り物」にする「演劇」もないではない。多少、こじつけにはなるが、「装置劇」という名を冠してもよい芝居があり、ことに、衣裳に至つては、「コスチュム・プレイ」の名さえある一種のスペクタクル(観世物)が存在する。

 詩文、すなわち、文芸的な要素といえば、戯曲にちがいないが、これはもう、「狭い意味の演劇」に属するから、ここであらためて説明する必要はあるまい。

 最後に、俳優術であるが、これまた、前項で、俳優万能の「演劇」についてふれておいたとおりである。但し、ここで、もし、これを「演劇」の一様式として、強いて、ジャンルの名を与えるとすれば、イタリアにその源を発した「コメディア・デルラルテ」であろう。いわゆる「即興劇」の一種で、「脚本なしに演じる芝居」の代表的な様式である。



 名称というものは、すべて、得てして便宜的なものである。

「演劇」のいろいろな「かたち」に与えられた名称も、あるものは、時代を画する一様式の典型を指す場合もあるが、その時々に、批評家や、世間や、作者自身が、思いつきで、または、宣伝の意味で、「新奇な試み」に貼りつけたレッテルにすぎない場合も多いのである。

 日本でも、そういう例は今日までたくさんある。

「中間劇」などというのは、なんのことだか想像もつかぬような名称であるが、これがわが国の一時代の劇壇には、ちやんと通用したひとつの「演劇のかたち」を指すのである。

 それは、「新劇」と「新派」の中間に位する「演劇」という意味らしく、「新劇」ほどむづかしくもなく、「新派」ほど低俗でもないという看板だつたのである。

 現在では、「現代劇」という名称を至るところで濫用している。もともと、現代劇にあらざるものは、旧時代の演劇である。過去の演劇である。古典劇乃至準古典劇に非ざるもの、現代がつくり出している演劇、現代の思想と感覚とによつて演ぜられる舞台は、いずれも「現代劇」でなければならぬ筈である。その意味では、むろん、歴史劇といえども、現代作家の手になる戯曲である以上、これを現代劇と呼ぶことができよう。しかし、また、「歴史劇」に対して、「現代劇」という区別のしかたもある。それゆえ、この名称は、名称としてはあいまいで、むしろ、その対立するものをはつきりさせる時にだけ使う言葉でなければならぬ。こんな自明の理がまつたく無視されて、これも、どうやら、いわゆる「新劇」にもあらず、新派にもあらざる、「大衆的にしてやや新味のあるらしい演劇」を、特に「現代劇」などと銘うつ習慣ができかかつている。怪奇にして危険な現象である。

 私はまた、「学校劇」とか、「職場演劇」とか、とくに「自立演劇」などという名称も、名称としては、はなはだ気に入らぬ。

 いずれも「アマチュア(素人)演劇」の部類にいれて、そのうえで、個々の性格をはつきりさせる説明的な言葉をつけ加えた方がよいと思う。

 学校にしろ、いろいろな職場にしろ、または、ある地方の有志の集りにしろ、現在、アマチュア演劇の盛んなことは、まことに興味のある現象で、われわれ専門の立場からいつても、また、同時代の一市民としての感情から言つても、決して無関係ではいられないのである。

 そういう欲求がいつたい、どこから起つたかということが第一の問題、そういう欲求の底に、いかなる無意識的な不満、自覚せざる不幸がひそんでいるのか、ということが第二の問題、そして更に、そういう欲求が、どんな支援と障碍との間で、どの程度に満されているかという第三の問題、最後に、そういう風潮から生じるプラスの面とマイナスの面との均衡の問題、これが第四、それだけのことを、お互に頭において、その疑問を徐々に解きつつ、この傾向を、最も健全にして、美しい運動たらしめるようにしたいものである。

底本:「岸田國士全集28」岩波書店

   1992(平成4)年617日発行

底本の親本:「演劇講座第四巻 演劇の様式」河出書房

   1951(昭和26)年1125日発行

初出:「演劇講座第四巻 演劇の様式」河出書房

   1951(昭和26)年1125日発行

入力:門田裕志

校正:Juki

2011年1018日作成

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