『えり子とともに』の序に代へて
岸田國士
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内村直也の名は、いまや天下の知るところで、私の序文はこの書物になにものも附け足すことにはならぬが、需められるまゝに、「えり子とともに」の作者について、私の観るところを少し語ることにしよう。
劇作家内村直也が舞台戯曲においてその才能を示すと同時に、ラヂオ・ドラマにおいて独自の領域を開拓し、専門的にみて、ほとんどその第一人者と目されるに至つたことは、偶然のやうで決して偶然ではない。彼は誰よりも劇詩の本質とラヂオの機能とを結びつけるのにふさはしい資質に恵まれてゐたのである。
この問題を詳しく論じる暇はないが、私などのやうに、演劇そのものには興味をもちながら、ラヂオといふものには、日常その恩沢に浴しながら、機械構造についても研究的な態度でのぞんだことがなく、生活必需品としても甚だ冷淡な利用のしかたしかしないものからみると、内村直也は、まつたく別種の存在のやうに思はれる。
従つて、ラヂオ・ドラマなる新しい芸術形式の近代性を早くも身につけ、ラヂオ聴取者なるわれわれには正体のつかみにくい公衆の性格を誤りなくつかみ、そして、最もインティメイトな雰囲気のなかで、必要かつ十分な効果を活かすといふ創作技術を体得したのである。
「えり子とともに」は、さういふ彼の力作であるばかりでなく、東京放送局の画期的な事業であるが、聞くところによると、この果てしなく続いた物語の構成には、時として、いくたりかの協力者がゐたといふことである。これも、内村直也のラヂオ・ドラマが、いはゆる手工業的名人芸の産物でなく、ある意味に於て、近代工業的規模の上に生産されたともいへる一つの特色を示すもので、近代文学の機械性への示唆を含んでゐることを注目すべきだと思ふ。いづれにしても、内村直也は、この作品によつて、まさに「時の人」となり、今日の話題をつくつたことになるのだが、私をして率直に言はしむれば、そのことによつて、彼は作家として更に大きな責任を負ふ結果となり、洋々たる前途に、必ず難航の日が待つてゐることを覚悟すべきである。
公衆は貪婪で、かつ気まぐれだ。水曜日の夜は「えり子とともに」を愉しむものときめてゐるだらう。そして、一旦、その味をしめたあげく、もう、彼等は、内村直也が引きさがることをゆるさぬだらう。それだけならまだいゝ。もつとちがつた、もつとうまいものを与へろと要求するだらう。
私もその一人である。
底本:「岸田國士全集28」岩波書店
1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「えり子とともに第一部」市民文庫、河出書房
1951(昭和26)年3月15日発行
初出:「えり子とともに第一部」市民文庫、河出書房
1951(昭和26)年3月15日発行
入力:門田裕志
校正:Juki
2011年8月27日作成
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