『日本人とはなにか』まへがき
岸田國士



 雑誌「玄想」の創刊号から十回に亙つて毎号「宛名のない手紙」といふ題で発表した文章をこゝに一冊の本として出すことにした。

 書物の題としては「宛名のない手紙」ではちよつと内容が想像しにくくはないかといふ出版者の意見に従ひ、思ひきつて、「日本人とはなにか?」と露骨な標題をつけてみた。

 しかし、これで内容とぴつたり合ふかと云へば必ずしもさうでないのが厄介である。もし仮に標題が内容を正確に示さなければならぬとすれば、こんな風にでもいふよりしかたがない──「日本人にはかういふところがある」と。


 さて、私のこれらの文章が雑誌に発表された当時、いはゆる反響といふべきものが相当にあり、私自身も直接間接、いろいろな読者の声を聞くことができた。それは、私にとつて、誡めともなり、励ましともなり、要するに、まつたく無駄なことをしたのではなかつたといふことをはつきり教へられた。

 たゞ、今もなほいくぶん残念に思ふことは、これらの文章はあまり不用意に、しかもあわたゞしく書かれたからでもあるが、むしろそれよりは私の貧しい素質に原因する説得力の不足から、本来の意のあるところを十分に尽し得ず、ある人たちには、私がなんのために、誰をめあてに、これを書いたのかさへ、どうやらわかつてもらへなかつたらしいことである。

 そこで、なによりも読者諸君に明らかに断つておきたいことは、この文章は、「宛名のない手紙」として、私が、眼に見えない、これと名指すことのできない、一人乃至いくたりかの人物、架空とは云へぬまでも実体を具へてゐない漠とした対手に向つて、云はば鬱憤をうつたへるやうに投げかけた言葉である。モンテーニュを気取るつもりはないが、これこそ、高い精神にとつては平凡極まりなき繰り言であり、低い頭脳のためには、やゝチンプンカンプンに類するたぐひのものである。私もそれだけは承知のうへである。しよせん、これらの文章は、まことに単純なことがらを、すこし開き直つてむつかしく、おほげさな言ひ方をしてゐるやうにみえるかもしれない。敢へて云ふならば、かゝる平凡なことを今日なんびとかによつて強く叫ばれなければならぬといふ私の気持をそこに汲んでほしいのである。いはゆる「当り前のこと」が当り前で通らぬ現在のわれわれの社会の特異性について、最も高い精神の領域を含め、多くの識者の注意と同感と、できれば、責任ある発言とを求めようといふ私の念願がそこにあつた。

 繰りかへして言ふが、読ませる必要のあるものにはわからず、わかるものには珍らしくもない談義だ、といふ評ほど、尤ものやうでゐて、実はつれなく、私をがつかりさせる評はない。第一に読んでほしいのは、読んでわからぬ人々ではなく、わかりすぎるほどわかる人々にであり、さういふ人々にこそ、私は珍らしいことを聞かせるつもりはなく、たゞ、こんなに当然で誰にも関係のある問題が、今日までその問題の在り方さへ突きとめられずにゐることを、ひとつの疑問として提出したまでのことである。ものごとは、「わかる」だけでよしとするわけにいかぬ場合がある。まして、珍らしくないもの、必ずしも無用とは云へない。なぜなら、わかつてもゐるし、聞けば珍らしくもないことがらで、君自身はそれについて特別になにも考へたことがない、といふ場合は、ないであらうか? まして、「考へたこと」がないばかりではなく、それは自分にもあてはまることでありながら、さうと気づかず、気づいても気づかぬふりをし、これを軽々に見過さうとする傾向はなかつたであらうか?


 この「宛名のない手紙」は、やゝ私自身に宛てた手紙であり、同時に、懐かしい祖国日本に宛てた手紙でもある。

 同胞ひとしく不安窮乏のうちにある時、激励と慰藉の言葉をおくるかはりに、却つて、その弱点をつき、傷口にふれ、徒らに自己嫌悪の感情を刺激するに止まるものだ、とする評もまた、私は首肯しかねる。私は、敗戦の結果、はじめて日本人の自己反省を云々しだしたのではない。そして、敗戦といふ現実の教訓によつて、われわれの果すべき最も緊急な課題は、われわれの久しきに慣れて無自覚となりつゝある病根の、全身に亙る容赦なき摘出にあることを痛感したのである。

 この手紙に書かれたことがらは、われわれ日本人が、自分自身の問題として一人でも多くそのことに「気づき」これについて「考へ」そして「言ひ」、一人でも多く、そのことに関して、ある「決意」をなすべきことがらだと、私は信じる。この書物がすこしでもそのきつかけを作ることができたら、微々たる私の発言の如きは、当然忘れられ、やがて不必要となるであらう。それこそ私は心から待ち望んでゐるのである。


 私は、なにはともあれ、日本の良心と叡知とが、厳としてどこかに存在することを、身をもつて感じてゐる。私の眼の及ぶかぎり、身辺の世界をつねに照らす一条の光はまさにそこから来るのである。

 私がいま心に想ひ描く美しい精神像のひとつは、世界のどの国にもみられぬ性質のものであつて、わが同胞のだれかれのうちにのみそれを見出すことを、私はこゝに断言するが、かゝる「美しさ」が、なにによつて久しく無残にも蔽はれ、曇らされ、汚されてゐるかを考へると、私の胸はさらに痛む。


 この機会に、私の考へや態度を楽天的なりとする一部の批評に答へたい。

 楽天的とは、一種の甘い理想主義を云ふのであらう。別の言ひ方をすれば、現実の正しい認識なくして徒らに人間社会の改良を夢み、転落の過程を無視して上昇の可能性を妄信するものとなすのである。

 水掛論はよさう。私は一方的に私の立場を述べておくことにする。

 私はいはゆる現実主義者でもないが、単なる理想主義者でもない。といふ意味は、私は現実をあるがまゝに享けいれ、理想はその本来のかたちに於てのみこれを信じるものである。現実は非情であり、理想には眼もくれぬ。しかし、そのために、理想が無力だとは思はない。理想の追求と理想主義の抵抗は、それが地についた実践であらうと、観念としての思想であらうと、たとへそれが悲劇に終ることはあつても、なほかつそれはひとつの行動としてもはや現実の中に含まれるといふ意味で、現実のすがたにより好ましいひとつの変貌をもたらすものである。かゝる現実の歴史に、なにものかをつけ加へる労を私は惜しみたくないのである。

 日本の精神的破滅はまづ必至とみてもよい。しかし、日本人は残る。その日本人のどこかに全き人間として再び伸び育つ力が残されてゐないと想像することは、私には堪へ得られぬ悲しみである。なにがよくその力を残すか? 誰にもわからない。だが、それをなんとかして知らねばならぬ。あれか? これか? そのどれでもないかもしれぬが、それを知らうとする「意志」だけは、持ちつゞけてゐなければならぬと思ふ。

 この書物は、私のこのやうな「意志」の表白でもある。それをしも楽天的といふなら、私は黙るよりほかはない。


 ところで、もうひとつ、人間改造も結構であるが、それは社会革命の傍観者によつて唱へらるべき主張ではない。人間改造の必要を説くものこそ、社会組織の不合理と不健康とに対してまづ戦ひを挑まねばならぬとする忠言を私は耳にした。これはまことに傾聴に値することがらである。私のこの文章は、なるほど、政治問題には具体的に触れてゐない。しかし政治の重要性、云ひ得るならば、政治の免かれがたき責任についてはしばしば機会あるごとに述べてゐるつもりである。たゞ、かくかくの政治制度を絶対至上なものとする結論に私はまだ至つてゐないまでである。


 最後に、この書物は、日本に好意をもつにせよ、反感を抱くにせよ、特に日本人を不可解な民族なりとする一部の外国人に読んでもらひたい。そこには、宣伝ぬきの真実が語られ、その真実は、好意に一段の理解が加はり、反感に的を外させない効果を与へるものと期待する。しかも、この書物に書かれてあることは、彼等にわが国民を故ら軽侮する口実を与へたり、または不幸な先入見を注ぎこんだりするおそれがあるとは思はれない。なぜなら、おそらく、この日本人の手になつた反省の書は、それとしてだけ掛値なく受けとられ、こゝにあらはには書かれてゐない一面をも彼等が察し、知るとき、日本人とは、まつたく彼等と同じ「人間」であり、まつたく同じ歓びを歓びとし、哀しみを哀しみとする兄弟であることを直ちに会得するに違ひないからである。


  一九四八年四月           静岡西大谷の仮寓にて

著者

底本:「岸田國士全集27」岩波書店

   1991(平成3)年129日発行

底本の親本:「日本人とはなにか」養徳社

   1948(昭和23)年725

初出:「玄想 第二巻第六号」

   1948(昭和23)年61

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2010年527日作成

2011年530日修正

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