日本人とは?
──宛名のない手紙──
岸田國士



「大事なこと」とは?


 三年間の蟄居生活が私に教へたことは、「なにもしない」といふことの気安さと淋しさである。そして、この気安さと淋しさとは二つのものでなく、ひとつのものであり、それは表と裏、色と艶、光と影のやうな関係でつねに私の心を占めてゐた。もちろん、たゞこれだけの説明では誰にでもすぐにわかつてもらへさうにもない。「なにかをする」といふことにつきもののある精神の状態をひと口に云ひあらはすことはむつかしいが、そこにも必ずあるはずの明暗の交錯を思ひあはせてみれば、そんなものかと察せられるだらう。

 ところで、さういふ無為の生活において、ともかくも私が生きてゐたといふしるしは、デカルト風に云へば、いろいろのことを考へないわけにいかなかつたこと、たゞそれだけである。しかも、それらの考へはなにひとつ花咲かず、みのらず、たゞ雑草のやうにはびこつてそのまま今日にいたつてゐる。

 たまたま、S君の懇篤なすゝめがなければ、私はそれに手をつけることさへしなかつたらう。が、さて「なにもしない」ことの気安さはこゝで思ひ切るとして、一方の淋しさはいくぶん救はれるであらうか?

 実を云へば、それどころの話ではない。もうすでに私は、「なにかをしようとする」自分のうちに、底しれぬ別の淋しさを発見する。もの云へば唇寒しの、あの心懐とやゝちかい、しかし、それともいくぶんちがつた、一種の空虚感である。

 われながらまことに始末におへぬ気持であるが、それをいまこゝで追ひまはすことはやめよう。

 いろいろのことが、当節、いろいろの人によつて言はれてゐるのをみると、それは意識されてゐるゐないは別として、如何に今日はものを言ふのに危つかしい時代かといふことがわかる。危つかしいといふ意味は、いはゆる言論の自由不自由などといふことと関係のない、精神内部の問題である。

 さういふ風にみていくと、今日ほど、ものを言ふことが自分自身を試みることであり、さらに、自分を裸にして弄ぶにひとしいことを感じさせる時代はないやうに思ふ。それゆゑに、今日ほど、また、「沈黙」が良心にとつて易々たる時代はないとも言へるのである。

 私のさきに述べた気安さと淋しさは、まさにこゝから来る。


 難事を難事と気づかず、うかうかと行ふものは、往々、安易を安易と知らずして得々と行ふものである。この戯画的な風景をひとりわらふ資格は私にはもちろんない。

 ひとつの考へをたんねんにまとめる余裕がないのに、あへて未熟な思ひつきをとりとめもなく書きつらねようとするのは、たゞ、私は私なりに自らを鞭うつためである。

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 自分が日本人であることの宿命をつよく感じ、自分もろとも日本といふ国がこのまゝではどうにもならぬと思ひなやむやうになつたのは、ずゐぶん久しい前からである。

 なるほど、そのことは、いつぱし物の言へる日本人なら、誰でもおなじだと言へないことはない。しかし、つくづく思ふことは、その程度が人によつてまるで違ふといふことだ。

 どちらかと言へば楽観的な見方をまじへてさう言ふものもあるかと思へば、極端に悲観的な立場からそれを言ふものもあつた。が、そのいづれを問はず、どちらも、さう考へる考へ方のなかに、どこかひとごとのやうな調子がふくまれてゐる場合が意外に多いのである。

 調子だけで物ごとを判断してはならぬとは言ふものの、さういふ調子はどこから生れるかといへば、たいがいは、さういふ自分の考へが、考へだけで別になんの力もないといふ見とほし、言ふだけ野暮といふ自嘲の気味をさへにほはせてゐるからである。

 だが、しかし、まだそれだけではない。さうならないわけにいかぬもつと深い原因がある。それを簡単に封建的気風と言つてしまへばなんでもないが、さういふ面からでなく、これはどうしても、物ごとの認識の程度からわりださなければならぬ一面があるやうに思ふ。例へば、醜いものをみにくいと思ふ度合が、そのものに対する一人々々の態度をまづきめさせるとすれば、誰がみても醜いと思ふものでも、その醜さをあまり気にかけぬやうな素振りは、およそ二つのことを意味する。

 早く言へば、それがそんなに気にかけるほどの醜さとは言へない場合が一つ、それと、その醜さをそれほどとは感じない美意識の低さ、鈍さを示す場合が一つ、とである。

 日本人が、日本といふ国が、これでは困る、と思はせるふしぶしを数へあげることははなはだ容易であるとしても、慾を言へば、といふほどのおとなしい批判から、いはゆる志士気取りの悲憤慷慨にいたるまでの認識の段階、人さまざまの表情をみわたして、私は、それらのすべてを通じて、ほんとうにわれわれはどの程度に「日本はこのまゝでは困る」と思つてゐたかを、今こそたしかめねばならぬといふ気がする。


「どの程度に」といふことは、勢ひ、「どういふ点で」といふ前提を必要とすることは言ふまでもない。そこで問題が複雑になる。少くとも二重の性格をおびてくる。国家主義と社会主義とが入りまじるのはその現象を如実に示すものだ。

 それはそれでよろしい。「極端な国家主義」が排せられ、「極端な社会主義」が多少旗色のわるい現在の情勢で、私は直接に政治を語りたくない。しかし、たゞこれだけのことは云ひたい。──社会革命はぜひとも遂行しなければならぬが、人間改造をともなはない社会革命を私は信じない、といふこと。

 日本人がこのまゝで社会革命を行ふなどといふことはをかしな話である。「どの程度に」をかしいかといふことをお互にはつきりさせたいものである。

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 社会万般の問題で、「何々が大事だ」といふことがよく云はれる。しかし、その「大事なこと」がほんとに大事に取扱はれ、その結果が満足に達成されたためしはほとんどない。そして、いつのまにか、それが「大事だ」といふことも忘れられ、それ以外の別な「大事なこと」に眼を向けてしまふ。

 例へば──と云つても、例をあげるのもわづらはしいくらゐだが──それこそふと浮ぶ例をあげても、数十年来、国語の問題が蒸し返され蒸し返されして、つひに今日、どうやら「やむなく真面目に」取りあげられるに至つた。

 社会教育の問題はどうか? これまた可なり重大な関心を各方面に呼びおこしながら、いつこうどうにもならないでゐる。

 国民保健、とくに肺結核の対策については、なるほど厚生省といふやうな役所はできたが、全国の医療機関がそのために実質的に整へられた風もない。

 政府の施策ばかりを云ふのではない。民間の機運についてとくに云ふのである。ジャーナリズムが時に正しい輿論の指導をつとめはするが、笛吹けどもをどらぬのは、大衆でなくして、そのことを一番わきまへてゐる筈の知識層である。

「大事な問題」のどの一つをとつてみても、なるほどそれだけの努力を払はねばならぬのだな、と思はせるやうな努力を誰もしてゐるやうに思へないのは、まことに奇怪といふほかはない。きつと誰かがいくぶんの努力はしてゐるに違ひないが、その努力がなにかのかたちでもうすこしは目立たなければならないのに、それを目立たせるなんらの注意も、おほやけには加へられてゐない事実をなんとみるかである。


 一応は、「大事なこと」がある程度に大事だといふことは誰にもわかるのである。しかし、それが「どの程度に」大事であるか、といふことが、ごく少数の人にしかわかつてゐない。その少数も、おほかたは十分にはわかつてゐないのである。「どの程度に」といふことになると、それはもう、言葉や身振りだけではかることができない。「すこぶる」といひ、「絶対に」と云ひ、「なによりもかによりも」といくら副詞を重ねてみても、そんなに違はないことはたしかだ。声を大にして叫ぶなどといふことからが、そもそもあてにならないのである。

 それなら、いつたい誰が、「この程度に大事だ」といふことをはつきり示し得るのか? そして、そのことがほんとに「大事なこと」になるためにはどうしたらいゝのか?

 そこだけが実を云ふと私には興味があるのである。「大事なこと」にはともかく片つぱしから手をつけ、それをどしどし解決していく国民がゐないわけではないのに、われわれ日本人だけが、口では「大事だ」と云ひ、誰もかれもそれを知りぬいてゐるやうな顔をしながら、それがちつとも「大事なこと」としてとりあげられてゐない今日までの有様を、誰も不思議とは思はぬのであらうか。

 今度の戦争はどうして起つたかといふことがだんだん明らかにされてくる。なるほど事実はちやんと辻つまが合ふやうに運ばれてゐる。責任のありどころも自然にはつきりしたにはしたが、それだけで問題はをはるのではない。

 実に、これに眼をふさいではならぬと思はれる一事は、やはり、「最も大事なこと」が、たゞそれを「大事だ」と思ひ、「大事だ」と口にするだけで、いざといふ場合、政治家はもちろん、然るべき地位にあるものが、誰一人として、それが「どの程度に」大事であるか──を腹の底から感じ、それを「なによりも大事なこと」として通す聡明と勇気とをもちあはさなかつたといふことである。


 要するに、あることが「この程度に」大事だといふことを示す尺度は、そのことが、それだけの情熱と努力とで支えられ、持続的な関心の的になるといふこと以外にはない。

 云ひかへれば、そのことが不当に軽く扱はれてゐる状態を黙視できず、その状態が改まらない限り、どうしてもじつとしてゐられないといふ強い意慾のあらはれにほかならぬ。

 われわれ日本人にとつて、ほんたうに「大事なこと」は、戦争にやぶれたから突如としてそのことが「大事に」なつた、といふやうなものはなにひとつなく、むしろ、かういふ戦争をひきおこし、かういふ負けかたをした、その根本の理由のなかにすべてはあるのである。

 これもわかりきつたことだ。たゞみんなが「どの程度に」わかつてゐるか、である。


 その「わかりかた」についての私の観察はたぶん間違つてはゐない。

 個人の例をあげると面白い例がいくらもあるけれども、それよりも、現在の日本国民を代表するおほやけのひとつの機関を例にとる。

 元来、われわれ日本人は、国民のほこりと、人間としてのほこりとを、あいまいなかたちでしか自覚してゐないが、この人間のほこりをちやんと身につけてゐるものが少いところに、大きな弱点があり、それをこそ封建的悪風といふのである。

 敗戦国民は、その敗戦の責任がどこにあらうと、敗戦といふ事実によつてたしかに国民としてのほこりを失つたが、しかし、人間としてのほこりは厳としてこれを保つことはできないであらうか。できるはずである。人間としてのほこりが敗者としてのすべての損失をいつかつぐなひ得るのでなければならぬ。

 民主的な国家とは、国民に民主的な精神が浸みこんでゐることだとすれば、われわれは、人間軽視の重大事実をまづ自ら認め、これに向つて必死の戦ひを挑まねばならぬ。

 人間軽視の著しい現象は、われわれの日常生活のなかに充ち満ちてゐる。

 だが、そのことを理くつのうへでかれこれ云ふだけでなく、めいめいが内心の声としてそれを聞かぬうちは決して気をゆるめることはできない。

 日本がいま民主化されることを望まぬものはそれほどたくさんはないであらう。しかも、その民主化の動力とも云ふべきわが議会の今日の行動のなかに、法律的にといふよりも、むしろ形式的に、それゆゑにまたいくらかは道徳的に、「民主主義」が顔をしかめずにゐられぬであらうやうな決議を、おく面もなく満場一致でするといふ光景をみせつけられることは、かへすがへすも遺憾なことである。

 問題は微妙である。国民が餓ゑるか餓ゑないかといふさかひである。国内の食糧だけではどうしても足りない。少くとも、あるところにはあるが、ないところにはない。そこへ、連合軍司令部からいはゆる放出食糧といふものが来たのである。もちろん政府としても国民としても、これに対して感謝すべき筋合のものであらう。それはそれでいゝとして、その感謝をあらはす程度、方法、ことにそれらを含めた態度そのものは、敗戦国の立場を意識しつゝ、それだけにまた、十分に人間としてのほこりを保つものでなければならぬ。議会が国民を代表するといふ意味は、政府が国民を代表するといふ意味とは違ふ。勝者の寛仁をたゝへる気持がよし議員諸子を感傷にみちびいたにせよ、議会そのものは断じてかゝる感傷におぼれてはならぬ。

 連合軍乃至連合国の人道的な政策に対しては、政府自ら礼をつくして挨拶をすればよろしい。あの場合は、おそらく、内閣書記官長あたりが、司令部に出向いて一言謝辞を述べるといふ程度でありたい。日本人の人間としての品位にかゝはる問題である。

 重ねて云ふが、これはたしかに微妙な問題である。議会が感謝決議をするといふことは、事柄が事がらであるだけに、必要以上にどぎつい印象を与へるのである。そのどぎつさは、個人の場合でいふと、言葉がおほげさであつたり、頭をぺこぺこさげたり、余計なお世辞をつけ加へたり、といふやうな類で、相手が幼稚、尊大でなければないほど、それは却つて礼にかなはぬことになり、一種軽侮の念を起させるにきまつてゐる。民主的な精神は、「威張る」ことを欲せぬとともに、最も卑くつなヂェスチュアをきらふ。われわれは、どうかすると自ら気づかずして威ばつたり卑くつになつたりしてゐる。恩に着るといふ思想そのもののなかに、すでに正当な感恩の念をはづれた、卑くつな下司根性、相手の自尊心をあほるやうな奴隷意識が巣くつてゐるのである。矜持を失つた人間の、それに気づかぬいゝ気な態度ほど、顰蹙すべきものはない。日本国民はそこまで身を持ちくづしてゐるだらうか。

 何百人かの議員のなかに、これくらゐのことに気づくものが一人もゐないとは考へられぬ。「どうもちよつとをかしい」とは思つても、それが「どの程度に」をかしいかをはつきりつきとめようとしないわれわれのいつもの癖が、とうとうあんなことをさせてしまつたのであらう。

「恥づべきは負けたることにあらずして負くる道理に眼ふたぎしこと」といふ一首がふと私の頭に浮かんだのは一昨年の八月十五日のことであつた。

「大事なこと」がどこへ行つても大事なこととして通つてゐない現代の日本、それはまた、当り前のことがいつも当り前のこととして通用しない現代の日本なのである。

 くどいやうであるが、この当り前のことを当り前のこととして通用させることが最も「大事なこと」であり、それを誰も「大事なこと」として取りあげなかつたことが、とりもなほさず、現在の日本を破滅にみちびいたのだと、私ははつきり云ひたい。


日本人畸形説


 日本人とはいつたいなんだらうか? ひとはなんとでも云ふがいゝ。私は私もその一人だといふことを前提として、こんな結論を下してみる。──日本人とはおほかた畸形的なものから成り立つてゐる人間で、どうかするとそれを却つて自分たちの特色のやうに思ひこみ、もつぱら畸形的なものそれ自身の価値と美とを強調する一方、その畸形的なもののために絶えずおびやかされ、幻滅を味ひ、その結果、自分たちの世界以外に、「生命の完きすがた」とでも云ふべき人間の影像を探し求めて、これにひそかなあこがれの情をよせる人間群である。

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 いつ頃からこんな日本人ができあがつたかは明瞭でない。多分戦国時代をさかひとして徐々にかういふ性格が形づくられ、明治維新このかた、その歪みと膨らみがいちだん加はり、その上にさまざまな衣裳がほどこされたのだと思ふ。つまり、畸形の程度が甚だしくなつたのである。

 そもそも、この畸形的といふ特質は、むろんこゝでは精神の面について云ふことであるけれども、しかし、必ずしもそれに限るわけではなく、例へば骨格の一部、体質のある傾向、機械的な動作などにもそれはあり、容貌や音声となると、精神の領域へ大きくふみこんで来るから、当然問題となる。

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 戦争が終ると、その終り方の惨めさのために、われわれはひとしく自分たちが何者であつたかを省み、われわれをこゝに導いた原因が、久しきに亙る軍国主義的封建政治に馴らされたわれわれ自身のうちにやはりあつたのだと誰もが云ふ。しかし、結局それはいくたびか云ひふるされた、それもお互に「さう、さう」とうなづき合ふやうな弱点、短所を、さも事新しく理論化してこれを「民主主義」と結びつけ、けんけんがうがうの説をなすのが今日の風潮である。誰しもいさゝか食傷の気味であらうと思ふ。もちろんそれを云つたから、すぐ効き目があらはれるといふ風な所論を望むのは無理だとしても、私自身は、実は、この風潮をなんとなく危つかしく思ふ。云ふ方も聞く方も、一応云ふだけ云ひ、聞くだけ聞けばそれでよろしいといふことになりはせぬかと思ふ。是非耳を傾けなければならぬ意見もなかなかあるけれども、いつかまたゆつくり聞けるといふ安心もなくはない。それほどもう、われわれは自分の悪口は聞きなれ聞きあきてしまつてゐるのである。

 そこへまた私のこの「日本人畸形説」である。まことになくもがなの伴奏のやうにも思はれるが、しかし、私はあへてこれを今こそ云ふべきだと信じるのは、断じて人の尻馬にのるのが便利だと考へるからではない。むしろ、この際、如何に条理は整然としてゐても、自己批判のもう一歩といふなまぬるさは、百害あつて一利なく、解剖のメスは渋面の前にひるんではならぬと自らを励ますものがあるからである。

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 そもそも、「畸形」といふ名称は、医学的に云ふと、広義の不具者(盲者、聾唖者、肢体不自由者、精神病者)に対して、特に身体の一部が異常な相貌を呈するものを指し、その原因は胚種基原欠陥にありとされてゐる。また畸形に類するものに「変形」があり、これも、先天的なものは異常強制位及び胎児の疾患に由来し、後天性変形は骨疾患、関節疾患、麻痺、荷重、損傷に原因するものと考へられてゐる。そこで、私のいふ精神的「畸形」とは、精神のひろい意味に於ける機能障礙であつて、その病理は、あたかも肉体的な「畸形」或は「変形」に似て、これを治療し得るとしても、普通の精神病の病理とはほとんど関係がなく、一種の「人間学的」診断による症状の発見が必要であり、強ひて云へば、精神の領域に於ける「整形外科的」な理論と技術とに俟つべき種類の心理現象及び、その影響を指すのである。

 心理学、性格学の立場からこの問題を取扱ふこともある程度できるかも知れぬが、私はさういふ専門に精しくないし、極めて常識的ではあるが、ひろく人間の性情、知能、風俗習慣、時代色といふやうなものを含めて、そこに現代日本、及び日本人の、いはゆる「精神的畸形」を診断するいくつかのカルテを作つてみようと思ふ。

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 まづ「精神の畸形」と云はれるやうな現象について、一般的なイメージを決定しておく必要があらう。

 やはり便宜上、「生理的畸形(厳密には「変形」を含む)」との対照において考へてみる。均衡を失した肢体一部の発達或は未発達、筋肉の突然隆起又は陥没、骨格の異常彎曲、欠失、贅増、生理機関の転位、膨脹、萎縮、その一部の死滅、運動の機械的反復、関節操作の不随又は反対屈折、皮膚面の変質硬化等、要するに人体の標準に照らして、著しい不均整乃至不調和を示す先天性或は慢性的異常相貌を、一般に畸形(後天的のものは「変形」)と呼ぶのであるが、精神的畸形も右の例にならつてそのケースを分類してみることもできようと思ふ。しかしそれはいたづらに概念の羅列に終るおそれがあるから、むしろ、手つとり早く、具体的な解説にはいることにする。

 順序として、この問題を説くために極めて示唆に富む一つの事実をあげておきたい。それは眼科医学のある書物をみると、「ヒステリイ性弱視」といふ病名が出て来る。これには「外傷性神経症」といふ別名がついてゐるが、要するに、その症状にはいろいろあつて、その中で特に興味のあるのは、「視野狭窄」である。これにも、求心性視野狭窄、円筒状視野狭窄、螺旋状視野狭窄、などといふ様々な症状がある。これは、一見普通の眼でありながら、普通の視野のなかにはいつてゐるものがどうかすると見えない。見えなければならない筈のものが見えないといふ一種の視力変調をいふのであつて、求心性は一定距離に於ける左右上下の視野が交互にその一方中心に向つて狭められること、円筒状は、遠くはなれても視野の幅がおなじだといふもの、螺旋状は一定距離に於ける視野が視力試験中だんだん狭まつていくもの、である。

 そこで、この「眼科」でいふ「ヒステリイ性弱視」であるが、これはまづ「畸形的」と名づけることができるらしい。そこで、もう一歩進んで、一般精神機能、殊に、例へば、思考法とか、感受性とか、注意力とか、さういふ「心のはたらき」の上でも、「ヒステリイ性弱視」なる病名がぴつたりあてはまる一つの「畸形的」症状が考へ得られるのである。

 普通よく人物評などで「視野」が広いとか狭いとか云ふが、これも時によると、その「狭さ」の性質、程度によつては、この症状のあらはれかもしれぬが、それとはまた別個に、例へばすべてのことを自己中心、自分本位にしか考へられぬとか、一事をもつて万事を律したがるとか、あることに気をとられるとほかのことはまつたくお留守になるとか、は、明らかにこの「ヒステリイ」の徴候とよく似てゐる。少くとも、「ヒステリイ性心理的弱視」と呼ぶにふさはしい畸形的現象に相違ないのである。

 さて、かういふ都合のいゝ比較は多くの場合できさうにはないが、私がこれから述べようとするわれわれ同胞の特異な性情は、これを単に「弊風」とか「短所」とか云つただけではすまされない、云はば精神機能の厳密な意味での障礙を指すものであり、風俗としてはグロテスクな、従つて、多かれ少なかれひとに嫌悪感あるひは滑稽感を催させるやうな習性となつてゐるのである。従つて、これをおほざつぱに「畸形」と称する場合、いちいち以上のやうな対照はできなくても、ほゞ私の意図するところは察してもらへると思ふ。

 問題の根本はわれわれ日本人の「幸不幸」にあるのである。そして、われわれを今日の不幸に導いた病根のなんたるかをまづ知ることにあるのである。「畸形」なる自己宣伝は、いたづらに諧謔を弄することではない。他の如何なる反省語──例へば、封建的、島国的、形式主義的、非科学的、利己的、成り上り者的、小児病的、野蛮等々──よりも、なにか一層慄然とするもの、いかんとも自ら慰めがたきもの、ひとごととは思へぬもの、を感じさせはせぬか、との、最後の切札のやうなものである。

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 こゝで断つておきたいことは、俗に奇人、変人などと称せられる一種独特な性格、趣味の持主は、これは必ずしも「畸形」の部類にはいらないことである。常識人の眼からすればその言動はおよそ軌道をはづれた、突拍子もないもののやうに見られるけれども、それは時として、ある種の「哲学者」であり、「自然児」であり、「革命家」でさへもあり、凡俗の風習に対して戦ひを挑む孤独な勇者である場合もすくなくなく、かの、天才に往々みられる放心、偏執、矯激の傾向が、かへつてその精神の平衡を保つアクセントのやうなものである場合と同様、「畸形」の概念にはあてはまらない。若しそこに「病的」なものが認められるとしても、前に挙げた「ヒステリイ」を除いては、それは、あくまでも、精神機能の局部的昂進または衰弱を語るにすぎず、その程度により、性格破綻、または変質として精神病の系列にはいるだけである。つまり「エクサントリック」といふことは、それだけでは「畸形」に属するとは限らないのであつて、その本質に於て常に病理学的な症状の区別ができるやうに思ふ。この点をはつきりさせておかなければ、私のこの説は、たゞ表現の誇張にすぎぬものとみなされるおそれがある。

 しかしながら、いかなる「エクサントリック」にもせよ、それが「エクサントリック」としておほかたあやしまれず、最大級のもののほかはさほどのこともないやうに見過されてゐる場合、殊に、人間生活の常態のなかで、「エクサントリック」の百種百様がうようよと真面目くさつて横行し、時に互に迂散な眼を交し合ふ有様を想像すれば、その風俗はまさに「コミック」の一要素たる「畸形的破調」以外のなにものでもないのである。

 私は今こゝで「コミック」といふ言葉を使つた。これまた、「畸形」は常にコミックな印象を伴ふものでないことを注意しなければならない。宿命的不幸ともいふべき「不具」の一種である「畸形」がなぜ「可笑しい」か? どんな「畸形」もその在り方によつては決して可笑しくない。また、見かたによつては、心を痛ましめるだけである。その意味で、「畸形」そのものはむしろ悲劇であるが、「畸形」の表情が時とすると喜劇味を帯びるのである。私のこれからの叙述に若しも滑稽をあばくやうな気味あひがあるとしたら、それは自画像を描く画家の筆は却つて容赦なきものだといふことである。更にもう一つあらかじめ注意したいことは、限られた個人またはある少数の者がさうである場合、それはなほ例外的存在と云へるやうなことでも、程度を越えた多数乃至全部がさうである場合は、もはや社会そのものとしては「病的」乃至「畸形的」と断ぜざるを得ない、といふやうな事実があることである。例へば普通は「可笑しい」とは云へないやうな場合に、談話中にやにや笑ふ人間があるとする。その原因はともかく、さういふ人間がごく稀にゐたところで、そのこと自身「畸形的」とまでは考へられまいが、若しそれが一社会、一民族のほゞ共通の傾向とみられる場合、そこには著しく不気味な印象を生じる。かゝる傾向はこれを「畸形的」と名づけなければならなくなるのである。(米国前国務長官ハルの回想録中にみられる日本外交官の表情の印象にその特徴的な傾向が指示されてゐる)

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 最初に、次の三人の人物を例にあげて、それぞれの人物が日本人の「畸形ぶり」を発揮する一場面を紹介し、それが決して当代に於て例外とは云へない所以を述べることにする。

 甲は総理大臣である。ある日、官立某大学の講堂で全校の学生に訓示だか講演だかをすることになつた。それは型の如き内容のものであつたが、そのなかで、戦時の要求から学年短縮をしなければならぬことに言及し、「これは学生諸君には誠に気の毒であるが、しかし決して失望することはない。かく申す自分も、かつて日露戦役当時、学業半ばにして戦場に向ひ、しかも、今日、諸君の面前に、このとほり、一国の総理! として立つてゐるではないか」と見得を切つた。満堂の──ではなかつたかもしれぬが、心あるものの顰蹙を買つたことは想像に難くない。(その演説の要旨は当時の新聞に載つてゐる)

 乙は地方の某高等学校長である。文部省の指令で科外に文化講座といふものを設けることになり、講師の一人としていくらか名の知れた一作家を招いた。この人選は何人の手によつてなされたかは詳かでないが、ともかく、校長は当日演壇に上つて、まづ講師の紹介をしたのである。すると、そのあまり長くもない紹介は初めから終りまで、聴講者たる全校生徒の、実に傍若無人な嘲笑によつて迎へられ、その哄笑が何に原因するかを察知し得ない校長は、まことにしどろもどろな態度で紹介を切上げざるを得なかつたのである。(筆者自身、これを目撃した)

 丙は外交官である。彼はある重要な任務をおびて某大国へ乗り込むことになつた。公式に日本を代表する単独使節としての華やかな役割である。某国に於ては、官民をあげての大歓迎で、首都の駅前から国賓のために宛てられた宿舎まで、沿道をうづめる群集である。彼は接伴役の外相と同乗でオープンの高級車におさまり、湧きあがる歓声と日の丸の旗の波のなかを、左右に会釈をなげながら進む。ところが、宿舎へ着く頃は、群集の歓声はたちまち怒号にかはる。彼等は云ふ──なんだ、あれは! 毎日こんな歓迎は受けてゐるぞ、と云はんばかりの態度ぢやないか! けしからん! 群集のこの不穏な空気を鎮めるのに、当局はずゐぶん骨を折つたといふ話。(当時わが国に駐在してゐた某国大使館員の直話)

 以上三人の人物の、どこが「をかしい」かといふことは誰にでもすぐにわかる。たまたま最もそれがわかり易い場面に登場したからであり、かゝる地位にある人物にしてこのことあるのが更に「をかしい」のに輪をかけてゐるからである。しかし、この「をかしさ」は、日本以外の国、日本人以外の国民には、さうもち合せのない「をかしさ」であり、人に注意されゝば自分でも気のつくことに違ひないが、しかし、またいつか無意識にそれと似たことを繰り返す。自分ではどうにもならぬ、瘤のやうにかくしきれないもの、理窟ぬきに自然にさうならざるを得ぬ一種の「調子ッ外れ」のやうなものである。結果だけをみれば、原因の説明は簡単にできる。しかし、原因と結果との間に、一種不可解な跳躍があり、原因がそのまゝ、結果になつてゐるとでも云ひたい露出症的な風景である。そして、これをもし、困つたことと考へるならば、これほど困つた病ひはなく、この種類の病ひがいろいろの形で、いろいろな場合に、多くの同胞の間にみられるといふことは、従つて、この病ひは、個人の精神を冒してゐるばかりでなく、われわれの社会の組織、動向、感覚にそれが浸潤し、異常なることが常態とさへなつてゐるといふことは、もはや、覆ふべからざる事実なのである。

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 すこしくどくなるかもわからないけれども、これから、この病ひが「どんな形」でひろくわれわれの間に行きわたり、それぞれが、どんな症状を示してゐるかを、いろいろな場合にのぞんで診断を下してみることにする。


 例へば電車の中で人の足を踏んだり、人に足を踏まれたりする経験のない日本人はまづ珍らしい。しかし、人の足を踏んだ時は事情やむを得ぬことにするが、人に足を踏まれた時は、実に相手は気にくわぬ存在である。それはそれでよろしいとして、実は、人に足を踏まれることと、人の足を踏むことは、そんなに違つたことではなく、よく人に足を踏まれるやうな人間が、よく人の足を踏むのである。云はば同じ精神の状態から生れる偶然の異つた結果なのである。極端な場合を云へば、人に足を踏まれまいと気をつけるあまり、つい人の足を踏んでしまふことさへある。

「痛えなあ、気をつけろ!」

 耳のそばで声がする。──が、それでもまだ、気をつけねばならぬのは自分だといふことに気がつかぬ場合がある。なぜなら、自分は、こんなに足を踏まれまいと気をつけてゐるからである。

 この精神の状態が、慢性疾患の如く、日常の生活のなかで、時をきらはず頭をもたげるとすれば、これを精神的畸形と名づけるよりほかはないではないか。

          *

 私はこの信州の山村に移り住んで、いろいろ新しい見聞をしつゝあるが、日本人のこの種の畸形ぶりは、大都会も地方の山村も変りはない。

 家のものが小豆をすこしほしいと云つて近所の農家へ相談に行く。一升ぐらゐならといふので、それではと値段をたづねると、いくらでもいゝと云ふ。しかし、いくらでもいゝ筈はないので、強ひて云はせようとすると、ほかではどのくらゐだらうかと逆に問うてくる。それから、先日町から来た衆が何十円とかならいくらでも買ふと云つたが、そんなに高くとる気はないと云ふ。どうしても、これくらゐとは云はぬので、その町から来た衆のつけた値を払ふ。けつきよく、いらぬといふものを無理に受けとらされたかつかうがしたいのである。

「頭かくして尻かくさず」のこれほどぴつたりした例はないのであるが、これもまた、われわれ日本人の痛ましいすがたである。


 このへんでは、今でも、夫婦はいつしよに外へ出ないことになつてゐて、たまたま肩をならべて道を歩きでもすると、人がわらふと云ふ。

 ほんとに人がわらふかどうか、わらはれるやうに思ふはうが強いのであらう。

 男女青年の集りが時々ある。夜おそくなどなると家のものから抗議が出るらしい。さういふ抗議に反撥する気分がだいぶ出て来てゐる。それにも拘らず、その集りの帰りをみてゐると、男は男、女は女でかたまつてゐる。どうかすると、少しおくれて、二人の男女が話しながら歩いてゐることがある。しかし、その二人は道のはしとはしとを選んで歩いてゐる。つまり、手を伸ばしても決してとゞかない距りをおいてゐるのである。

 さうかと思ふと、この正月に、男女青年合同の新年宴会なるものが催され、飲めや歌への騒ぎを演じたさうであるが、ある人の話によると、集会場の中から漏れる歌は、まつたく大人たちの普通の乱れた酒席のそれと同じで、女子青年がよく黙つて聴いてゐられたものだ、といふことである。

 かうなると、なにがなんだかわからなくなる。この現象をどう批評しようと、人それぞれの立場でなんとでも云へるけれども、これらの青年に罪のないことだけはたしかである。

 彼等はいづれもさういふ風に育てられ、それ以外のなにものにも育つてゐないのである。当り前のことが当り前にできない精神の状態は、いつたいどこから来るか?

 急いで断つておかねばならぬことは、これを敗戦の結果とみる見方に私は同意しがたいといふことである。

 ある村の男女青年会の幹部は、男女青年の交際といふ問題で真面目な研究座談会をひらいた。私も是非出ろと云はれてその席に加はつたのであるが、それはまた異様な空気であつた。

 男女の友情とその限界といふやうなところで話題が賑はつた。恋愛と結婚についても論議された。男女青年の交際について父兄の立場も種々批判された。

 この会合はもちろん有意義でなくはなかつたが、かういふ会合を開かねばならぬ現在の青年男女の心境に、むしろ私は痛ましい青春の孤独を察することができ、かゝる会合の不自然な緊張、およそ青年の魂を傷けずにはすむまいと思はれるギゴチなさのなかに、現代日本人の不具的相貌をみたのである。

 まことに、われわれは、異性の前で、異性に対して、これに特殊な興味をもつもたぬは別として、まづ、あたり前の人間であり得ないといふ奇怪な習性を身につけてしまつた。異性を意識するといふ、その意識のしかたに、尋常でない、不健康な、均衡のとれないものがあるのである。早く云へば動物的とでも云へさうな差別感のほかには、たゞその感覚をカムフラージユしようとするいくぶんの努力が目立つだけなのである。

 さういふ社会にあつては、男女といふ存在が男女といふ言葉とともに一種のたゞならぬ連想を呼びさますのである。男女が席を同じくすることそのことにこだはりができるのである。

 このこだはりはまたいろいろな形でわれわれの生活に一風変つた秩序を与へてゐる。そして、それが秩序として通用してゐるところに、われわれ自身はもう無感覚になつてゐるが、普通の眼でみると極めてグロテスクな光景がくりひろげられる。

 せんだつて、ある若い友人が私を訪ねて来ての話である。

 東京の郊外のある省線の駅で、直接彼が目撃した最近の一小事件である。

 プラットフォームで電車を待つてゐる群集のなかに、夫婦らしい一対の男女がゐた。細君の方は赤ん坊を紐でおぶひ、両手には相当大きな荷物をさげてゐる。亭主の方は、洋服に中折れといふ紳士風のかつかうで、煙草かなんかふかしてゐる。すると、ちようどそこへアメリカ兵が二人通りかゝつた。二人の兵隊はこの夫婦の方を眺めながら互に何ごとかを囁き合つてゐたが、やがて、彼等はつかつかと細君のそばへ歩み寄り、いきなり紐をといて背中の赤ん坊をおろし、それを亭主の背中へ縛りつけ、荷物の方はどうしたか聞きもらしたが、とにかく、プラットフォームの哄笑のなかを、彼等二人の白人兵は意気揚々と去つて行つたといふのである。

 この話はいろんな感慨をこめて語られたものであるが、私はたゞ日本人の風習としてわれわれがさまで気にもとめずにゐる事実のなかに、かういふ種類の「あたり前でなさ」がいくらあるかわからぬと思ふ。そして、その「あたり前でなさ」は、単にもの珍らしい風景といふやうなものではなく、実にもとをたゞせば自ら人間としてのほこりをすてた、「不自然きはまる」習性に基くものが多いのである。

 男女の関係に限つてみても、西洋風がすべて理想にかなつてゐるとも云ひがたいところはあるが、少くともそこには強ひてゆがめられたものはなく、ありのまゝであつて、しかも自ら恥とせねばならぬやうな先入見がわりにないのである。つまり、男女であつて、しかも男女に相通ずるものを多分にもち合ひ、その部分がまた男女である違ひを一層きはだたせて、時には互に深い精神の交渉へと進み得るのである。かういふ状態が、人間としてあたりまへでなければならぬ。

 日本人の恋愛が多くは恋愛といふ名にふさはしくなく、やゝもすれば単なる情事にすぎぬと云はれるのは、まさにそのためである。

 それは恋愛の場合だけではない。結婚に於てもまた知らずしらずわれわれは便宜主義者である。

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 日本人の畸形的と思はれる最も甚だしいところのひとつは、人前でものを云ふ時、自分の云ひたいことはなんであらうと、まづどんなことを云つたらいゝか、をしか考へないことである。

 ほんたうはなにを云ひたいのか、それを自分で考へてみることさへしないもの、考へたくても考へられなくなつてゐるもの、たまたまそれは考へてゐても、口を利くとついそれとは別なことをしやべつてしまふもの、など、誰でもいくぶんこのいづれかの傾向をもつてゐさうに思はれる。

 月並な口上や紋切型の挨拶がどんな場合にもさほど不都合なく通るのはこのためであらう。しかし、日本人といへども、いつでも云ひたいことを云はないわけではない。それどころか、云ひたいことは、ぎりぎり結着のところで云はれてゐるのである。ところで、それがあまりぎりぎり結着のところであるために、こんどは、意あまつて言葉足らずといふ式になる。云ひたいことが、云はれただけの効果をもたない。われわれは常に自分の発言の価値に対しておそろしく懐疑的である。

 日本国ぢゆうでいちばん議論好きと云はれる信州人の話しぶりを観察してゐると、このことが実によくわかる。彼等は概して「自分の意見」をそのまゝ云はうとしない。その意味では「個人の考へ」といふやうなものは、彼等には無価値のやうにみえる。相手をみてものを云ふ呼吸がまことに板につき、それがあまり板につきすぎると、すべての意見は自分を語ることではなく、相手の反応を試みて自ら楽しむ手段と化する。談話の目的がいくぶんそこにもあることを否定するわけにゆかぬが、誰からでもきける話を或る一人から押売りされるほど退屈なものはない。

 信州人の聴き手にまはつた方が、相槌をうつためにつねに用意してゐる言葉に、「さういふこんだ」がある。「さう、さう」よりも高飛車で、「その通り」よりは素ツ気なくない、お互に呑み込み合つた、妙にアンニュイを含んだ言葉である。この倦怠感は、表面は賑やかな応酬のかげにひそんで、争へない間投詞のやうなものになつてゐるのであらう。

 ところで、この例は手近なところで拾つたにすぎぬ。

「自分の考へをもたぬ」とか、「自分の考へを素直に云へぬ」とかいふ傾向は、今日、誰でも、それは封建的性格であると断言する。一応それに違ひないとは云へるが、しかし、さう云へばそれで解決がつくわけではない。さういふ傾向を助長する一切の素因を、私は、家庭からも社会からも、殊に学校から駆逐しなければならないと思ふ。

 家庭では、みんなに、云ひたいことを云はせ、社会では先づ新聞が政治家の演説の紋切型をわらひ、国民学校では、教師が子供の衝動を巧みに導く工夫を積むべきである。

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 日本人の自尊心と云へば、既に早くから世界の話題になるほど「手のつけられない代物」であつた。たしかに、われわれは、自分自身のうちに、それがあることを知つてゐる。知つてゐてどうにもならぬといふところが、曲者の曲者たるところであるけれども、現在の日本人の立場から、その自尊心なるものがどうなつたかをちよつと調べてみたい。

 中国人やアメリカ人が、日本人の鼻柱をくじくことが必要であると考へ、それを今度の戦争でみごとに実行したとみることもできる。こゝでわざと第三者のやうな口吻を用ひることをゆるしてもらひたい。

 われわれの鼻柱はたしかにくじかれたが、しかし、自尊心といふものは鼻柱がいくつもあるものと見える。自分が日本人であることを認めながら、戦に負けたのは自分たちではなく、自分たちを除く他の日本人であるといふ理くつをつけるものがある。或はまた、自分も負けた日本人の一人ではあるが、自分の全体が負けたのではなく、自分の一部が負けただけであり、戦争といふものはさういふものだと考へる向きもある。しかし、そんなことにおかまひなく、日本及び日本人が文字通りたゝきのめされた姿は、誰の眼にも明らかであつて、どういふ面から云つても、大きなことは云へた義理ではない。なかには、たしかにわれわれはヘボかつた、そのことはもう戦さの始まる前からわかつてゐた、と云つて、わづかに自尊心を慰めるものもある。

 かう見て来ると、われわれは日本人であるがために人一倍自尊心が強いわけではなく、人一倍強い自尊心が日本人といふものを作つてゐたやうに思はれる。

 自尊心の講釈はこゝでは不必要であらう。私はたゞそれが畸形的なすがたをもつて示される場合を、注意したいのである。云ひかへれば劣等感の変形である強がりがそのひとつである。愚にもつかぬことで我を通してみる天邪鬼がそのひとつである。威張りたいところを逆に卑下を誇張して同じ効果をねらふのもそのひとつである。面目とか面子メンツーとかいふものの本体は実は畸形的に膨らんだ自尊心にほかならぬと思はれる場合がいくらもある。

 これらが時には愛嬌ですまされることもあり、偶発的なものなら人間性の弱点ぐらゐで許すこともできるが、しかも、日本人の場合には、その現はれかたが一種特別のどぎつさで相手を途方に暮れさせ、社会生活を味気なくさせるところまで行つてゐる。

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 私はかつてフランスの経済学者シグフリイドの書いた「現代の合衆国」といふ本を読んだことがある。

 そのなかで、著者は例の日本移民の問題にふれ、当時アメリカ政府のとつた政策は、純然たる人口政策であつて、日本がこれに異議をとなへるにしても、決して民族的自尊心などをふり廻す筋合のものではなかつた、といふ意味の批評を下し、日本のこの出方は甚だまづく、却つてアメリカを刺戟して事態を紛糾せしめたのだと断じてゐるのを、私は、冷汗をかく思ひで、なるほどさもありさうなこととうなづいたのである。

 それよりも前のことになるが、私は、日華事変の最中、南京で、いはゆる「和平交渉不調」に関する蒋介石首席の布告なるものを見た。諄々と抗戦の意義を説きながら、一方、日本と今、この条件で和を結ぶことは、徒らに日本をして……(言葉ははつきり覚えてゐないが、要するに)われら中国人が今日までさんざんなやまされたかの戦勝者意識を更に強めさせることになるから、それは断じてできない、といふ意味の一節があつたと記憶してゐる。

 この時も私は、顔を赤らめずにゐられなかつた。

 個人の場合でも、国民の場合でも、相手から、また第三者から、これほどまでに云はれるわれわれ日本人の自尊心なるものは、もうたゞの自尊心では片づけられぬ奇怪至極な風貌をもつたものに違ひないのである。

 いかに慎重を期する場合、どんな重大な結果が生じる場合にでも、それは不気味に、にゆつと現はれるのだから、日常、だれかれを相手になら、のべつ幕なしに顔を出してゐると見なければなるまい。どうかすると、かたはらに人なき時、われわれの巨大な自尊心はわれわれ自身を足蹴にして高笑ひをしてゐるかも知れぬ。


 かゝる畸形じみた自尊心と、ほとんど機械的な卑屈とがしばしば表裏をなすことは、われわれのよく知るところである。この二つの両極を占めるが如き心情は、実は互に最も近い関係にある証拠であつて、個人の場合にはそれが同じ心情の異つた表はれとなり、社会にあつては、その一方が必ずもう一方を傍に住まはせてゐる。この誰でもが気づいてゐる事実を、われわれは、たゞ、それに気づいてゐるといふことだけで安心してはゐられない。

 これもまた、封建的性格としてだけみる見かたに私は賛成できない。もちろん道徳以前の問題としてこれをとりあげるべきだといふ私の意見をこゝではつきりさせておきたい。

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 ある現代作家の随筆に──もうよほど以前のことであるが──省線電車のなかに並んでゐる老若男女の、いづれも日本人独特の暗鬱な、それでゐてその時鬱をぢつと噛みしめてゐるやうな、さういふ表情をいかにも「美しく感じた」と書いてあつた。言葉どほりを伝へることができないのは残念であるが、およそさういふ意味のことが、その詩人らしい鋭い感覚をとほして語られてゐるのである。

 また、ほゞそれと同じ頃、印度のなんとかいふ婦人が社会運動の闘士といふ振れ込みで日本を訪れ、ある席上に於て、彼女の日本印象をかういふ言葉で述べてゐるのを聴いた──「日本人の顔つきは非常に疲れてゐる人間の顔つきです」

 更に、あるドイツの学者が、東京の某大学を参観し、講堂で教師の講義を聴いてゐる学生の表情から、妙にグロテスクなものを感じたと告白した。

 さうかと思ふと、ある小説家がたまたま某大学の講壇に立つことになつたところ、彼はしばらくして辞任を申出た。その理由は講義をする張合がないといふのである。学生の顔が魚みたいでとんと面白くないと、彼は笑ひながら附け足したさうである。

 これらの感想は、みなそれぞれの立場によつて特色のあるものであるが、現代日本人の顔といふものについて、一般に、やはりどこか「人間の顔」として問題にしなければならぬものがあるやうに思ふ。なにも希臘彫刻や仏像を標準にその美醜を論ずるわけではない。これも、ごくおほざつぱにではあるが、すこし畸形に近い顔が目立ち、それが単に目鼻だちが整はぬといふやうな種類のものよりも、目鼻だちをわざわざ殺すやうな精神的風景の反映によるものが多いのである。

 例へば頤を不必要につき出すとか、唇を結ぶことを忘れてゐるとか、眼玉のすわりがあやしいとか、あいまいな笑ひ方をするとか、照れると不機嫌を装ふとか、欠伸は大きくするほど痛快に感じるとか、まあ、さういふたぐひのことから挙げていかねばなるまい。

 大きなお世話である。そんなら鼻くそをほじつてもいかんと云ふのか? 戯談ぢやない。自分のことは自分に委しておいてもらひたい。決してご迷惑はかけぬ、と云ひたいものもあらう。

 まつたくその通りだ。ところが、少々迷惑に思ふのは、ところきらはず、日本人が発する奇声である。蛮声といふ言葉ができてゐるくらゐだから、十分、声の文化性には関心をもつてゐる筈であるが、なんの必要あつてか、実に、奇々怪々な声を到るところできく。駅のアナウンスにそれが甚だしいのは、わざわざあゝいふ調子の声をよしとしてゐるからであらう。さう云へば、わが国でもて囃される演芸の類に、音楽的なもの、演劇的なものをもふくめて、これはまた如何に、「正常ならざる声」の多いことか。もともとその国にはその国らしい演芸的発声法があつて然るべきである。西欧風の歌曲をはじめて聴いたわが遣米使節の耳に、それが「気ちがひじみた」ものと感ぜられた話は有名である。エキスパンシフな表現に馴れないものにとつて、まさにカルメンは狂女であらう。逆に、フランスの一青年記者が歌舞伎を観て私にこんなことを云つた。──「あのせりふはもちろん意味はわからないが、声と調子だけについて云へば、あれは人にものを考へさせないせりふに違ひない」と。私は、彼がそれを云ふのは、歌舞伎の封建性をさういふ面から指摘したつもりなのだと解したけれども、そんなら、君たちのオペラはどうだと反問はしなかつた。それは無駄である。女形といふものが存在する以上、それが代表する日本演劇のグロテスクを、たゞグロテスクの美と呼んですまされぬ気持を告白しなければならないからである。

 ある浪花節語りが、ニューヨークで客死した際、かの地の医師が咽喉部の解剖に立会つて驚いたといふ噂を聞たことがある。なるほどさういふことはあり得る。なんでも発声機関の一部が畸形的な発達を示してゐたといふのだけれども、それは、颯田博士の医学的観察によつて三浦環女史の声帯が青春の柔軟さを保つてゐたといふ報告がなされたこととは、まつたく面白い対照だといふ気がする。

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 最初に、私は、日本人とはおほかた畸形的なものから成り立つてゐる人間で、どうかすると、それを自分たちの特色のやうに思ひこみ、畸形的なものそれ自身の価値と美とを強調する一方、その畸形的なもののために絶えずおびやかされ、幻滅を味ひ、その結果、自分たちの世界以外に、「生命の完きすがた」とでも云ふべき人間の影像を探し求め、これにひそかなあこがれの情をよせてゐる人間群である、と云つた。

 今まで縷々述べて来たことは、つまり、日本人が如何に畸形的なものから成立つてゐるかといふことを、自分自身で意識するために、やゝ手あたり次第に例をひろつてみたのである。

 そこで、われわれは、完全な若しくは健全な人間像といふものを自分たちの間で求めることを果して断念してゐるかどうか、その事実を承認するや否やである。

 私は、この場合、先づ最近の教育についてみなければならぬと思ふ。そのつぎは、文学芸術の領域に於て、作家の精神を支配するものが何かを考へる必要があると思ふ。

 それから、今度は、眼を転じて、国民一般の、特に知識層の「西洋」に対する関心の程度とその質を吟味すべきだと思ふ。

 そして、最後に、政治家を除くわれわれ日本人のすべてが、政治そのものに対して如何なる態度を示しつゝあるかを知ればよいのである。

 以上の点で、私は、いちいち詳しい説明をする代りに、いはゆる象徴的とも思はれる一二の事実をあげて、あとはあなた方の判断に委せることにしたい。

 先づ、教育について。われわれは物心がつきはじめると、どんな人間が立派な人間かといふことを教へられる。ところで、考へてみると、それらの人間の唯の一人も、真に「美しい人間像」としてわれわれの頭へきざみつけられてゐない。一面的な美しさは誇張されてゐるが、完全に美しい人間の活きた影像を、われわれの同胞のうちから、これと指し示すやうな教材は、おそらく絶無に近かつたことを思ひ起す。

 つぎに、文学芸術について。このことは偶々、最近、作家豊嶋与志雄君によつて指摘されたのであるが、私も実に同感なのは、日本の作家は「第三者の眼」で対象を捉へることをせず、人間をその全貌に於て描く能力を欠いてゐるといふことである。私はこの意見を少し敷衍して豊嶋君に質したい。日本の作家が人間をその全貌に於て描き得ないのは、全貌を描いてはじめて魅力を発揮する「全き人間」とでも言ふべきものの存在を周囲に発見し得ないところからも来るのではないだらうか。しかし「全き人間」を創造する熱意をさへ失つてゐるとすれば、その原因はやはり、作家自身の「畸形的な」素質以外のものではないと思ふがどうであらう?

 それが畸形的であらうとなからうと、一人物の「面白い」ところを描かうとする趣向は作家に共通なものであるけれども、その「面白さ」が「人間」の破片にすぎない場合がわが国の作家の場合には極めて多い。一人物の「面白さ」が如何なる特質によるにもせよ、その人間全体の生活を背負つての「面白さ」であるところに、西洋文学の強味があるといふことはたしかである。西洋の作家は、期せずして、「全き人間」のすがたを読者に示すことを努め、これを「全き人間」の関心と叡智とによつて、才能相当の「活かし方」をしてゐる。これが、西欧文学にのみあつて、わが国の文学に欠けてゐる、理想的人間像形成の熾烈な意慾なのである。

 文学に於てすでにさうである。その他の芸術分野に於ても、美術はその造形性をもつて、音楽はその複雑な音色とリズムとをもつて、演劇はその観念と感覚の時間的空間的な抑揚を通じて、人間精神のあらゆるひだに喰ひ入る野心を示してゐる。人間を形づくるすべての機能は、文学芸術の関り知らぬ隙間といふものをもたないといふことが、現代作家の正常な願望なのである。

 それから、一般国民、特に知識層、そのなかでも青年たちの「西洋」に対する関心について。──この問題はやゝ複雑であるけれども、大体に二つの傾向をとりあげて、一つを大衆的な好奇心、一つを教養にもとづく西欧文化の正当な価値づけとする。そして、そのいづれにも共通な、漠とした憧憬に似たもの、異質的ではあるが、ゆたかな人間生活の形態と表現とに対する魅惑がそこにあることは否定できない。それは決して機械文明の発達を羨むといふやうな単純な心理ではない。さういふ面もなくはないけれども、やはり、機械文明の発達に先だつもの、人間の尊重と、幸福の追求と、社会生活の合理化に向けられた偉大な精神の歴史が、そこでは畸形的なものをほとんど例外としてしか残さず、個人に於ても、また集団に於ても、常に「生命の完きすがた」が自然に呼吸し行動する世界を形づくつてゐる、その現象の云ふに云はれぬ魅力に心惹かれるからである。

 西洋映画から受ける好もしい印象の重要な一部は、映画としての優秀性は別として、私に云はせれば、それをそれとはつきり云ふものはないが、結局、「西洋」そのものの在り方、云ひかへれば、西洋人の生き方の人間的な自由さにあると思ふ。つまり、畸形的なものが当り前で通用してゐない健全な生活の表情が、われわれにとつてはひとつの驚異なのである。

 このことは、西洋に於ては既に理想社会が生れてゐるなどといふこととは違ふ。断るまでもないことであるが、悪徳と悲惨と滑稽とは、恐らく、西洋のどこへ行つても、日本と大差なく見られるであらう。それはまた西洋の文学や映画が示すとほりである。それにも拘らず、その悪徳と悲惨と滑稽とは、単なる悪徳と悲惨と滑稽なるに止まつてゐて、それはそれで、人間が人間であり、それ以上でも以下でもないことを物語るだけのものである。といふ意味は、悪徳の前には神の裁き(或は良心)と懺悔とが、悲惨のうしろには涙と救ひとが、滑稽のかたはらには微笑と哄笑とが程よくあしらはれてあれば、それが人間の健全を証明するのである。不幸にして、われわれの社会では、この両面の均衡が保たれてゐない。

 文学作品の場合はどうか。欧米の小説がわが知識層に圧倒的な歓迎を受ける最大の理由は、単なる流行は別として、そこには、たゞ「人生らしい人生」が描かれてゐるからである。「人間らしい人間」が、一切の距りを超えて、われわれ異国の読者に親しく話しかけるからである。デンマークの王子もフランスの売笑婦も、ロシヤの農民もアメリカの主婦も、すべて、人間としての完全な皮膚をもつて生き、すなはち欲望し、祈り、嘘をつき、笑ひ泣いてゐる。読者は、それらの作品によつて、全身を撫でまはされるといふ感じがする。日本の作品がやゝきまりきつたところを撫でるのとは大ちがひである。われわれは、西洋文学によつて、自分のからだの隅々に、さまざまな感覚が眠つてゐたことを教へられ、自分の「全身」がはじめて生気をおびて来るのを感じる。われわれの社会、われわれの同胞のすがたからはどうしても受けとることのできなかつた「全き人間」のいのちの息吹きが、やうやくそこで、われわれの魂の故郷を告げ知らせる。精神の愉悦が言葉どほりのものとなるのである。

 最後に、政治に対する国民の関心について。──専制政治が原始的な政治であることは云ふまでもない。同時に、専制政治が民衆を畸形的な人間に作りあげるとしても、専制を脱しようとする民衆の健全性は認めなければならぬ。その意味では、専制政治は、一方、民衆に最も健全な人間的自覚を与へるべき筈である。それが、日本の場合はどうであらうか。現在のこの未曾有の事態に処して、われわれはまだ政治といふものを、いくぶん人ごとのやうに考へてゐる。それは、普通の概念に於ける政治と、われわれの国の政治とは、どんなに制度をかへてみても、そこに根本的な喰ひちがひがあるやうに思はれるからである。つまり、政治の概念と、実際の通念との間には、理想と現実との間に於けるやうな距りがあることを感じてゐるのである。「かうすればかうなる」といふことは、日本の政治の場合に限つて当てはまらないやうな気がしてゐる。天皇も政府も議会も新聞も、なにがどうなつても、それは日本の政治をこれ以上わるくもしなければよくもしない、と高をくゝつてゐる。それはいつたいなぜだらう。なぜといふことははつきり云へないけれども、なんだか日本といふ国はさういふ国のやうな気がしてゐるのである。かういふ風にみられてゐる「政治」といふものは、そもそもほかの国に存在するだらうか? これはしかし、日本の政治そのものの実質がさうみられるやうなものであるのか、または、実質とは関係なく、日本人たる国民の眼にたゞさう映じるだけなのであらうか? 私は、まさにその両方だと云ひたいのである。日本の政治は、日本人がこれに当るかぎり、たしかに畸形的な、グロテスクな相貌を呈せざるを得ぬ。しかし、国民は、それをその通りには見てゐない。役所と云へば役人だと思つてゐるやうに政治といへば政治家そのものをしか考へないから、そこには「全き人間」による「全き政治」のすがたを空想する余地がないのである。

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 現在のところ、われわれがわれわれの間で「完全な人間像」を求めることに絶望してゐる証拠は以上の如くである。

 そこで、畸形的なものそれ自身の価値と美とを強調してゐる事実を示さうと思ふのだけれども、これまた既にその一、二にふれておいたから、それから推していけば誰にでもわかることである。

 念のために、国民学校の教科書が用ひてゐる例をあげる。教科書そのものは変つたかも知れないが、さういふものが通用してゐた事実が明らかになればよい。

 国語の本に、「五作爺さん」といふ題の対話体の文章がのつてゐた。五作といふ老農夫が、貧困の故に村税を免ぜられた。すると、当人はそれが不服で役場へねぢこむのである。役場の収入係がしきりにそれをなだめ、村長の計らひだからまあ今度だけはさうしておけといふのに、老人は頑として、税金を納めさせろ、それでなければどうしても気がすまぬとまくしたてる。収入係は弱り果てて、それなら村長にもう一度話してみるといふことで、その場面は終るのである。

 実に馬鹿げた話で、なにかの間違ひとでもいふならとにかく、税金を納める能力なしと認められる貧農なら、この鼻息はちとをかしいといふことは、いくら子供にでもわかると思ふ。どこがをかしいのか? それを教へるのが真の教育でなければならぬ。しかるに、このをかしいところを、をかしくないと力説しなければならぬわが国の教育は、畸形の美しさを説く結果になるのである。云ふまでもなく、この老人をしてかゝる行動に出させた真の動機は、国民の義務を履行しようといふ熱意などではなく、たゞの負け惜しみと一種の自己宣伝にすぎないことはその白々しい口上自体がこれを語つてゐる。このやうな人物は、実は隣人としてなんびとも歓迎はせぬであらう。しかも、それがしばしば美談の主としてたゝへられる世の風潮をまた誰が防ぎ得よう。

 この話を私は先年ある雑誌の座談会の席で話したところ、その記事を読んだ文部省の役人諸君が早速私のところへ訪ねて来て、あゝいふことを公言してもらつては困ると云ふのである。なぜかといふと、国民学校の先生たちが教科書に対して疑ひを抱くやうになるからだ、とのこと、私は、それはこちらの望むところで、恐らく文部省の教科書編纂の係の諸君も、民間のかういふ批判は仕事の上の参考にもなり、また、時によれば「心ならずも」諸君が上役の気をかねてやつてゐることがらを、さうでなく筋道を通すひとつの間接の力になるのではないかと答へたのである。しかし、問題は「五作爺さん」の内容が果して私の指摘するやうなものであるとしても、といふ前提で話されてゐたのであるから、その点で、役人諸君はどう考へるかをたしかめたかつた。すると、極めて率直な回答が得られた。すなはち、あの教材は地方の一国民学校長から提出されたものであり、当時大蔵省から納税に関する科目を教科書に加へるよう希望があつたので、早速これを採用することに決し、ついては、文案作製の順序として現地へ出かけて行き、その美談の主と直接会つてみることになつた。その会見の結果、実を云へば、その人物からはあまり好い印象を受けなかつた。それはほゞ私が教科書の文章から受けた印象に近いものださうである。そこで、これではまづいといふので、──こゝが重要なところであるが──事実だけを採り、人物はなるべく実在のそれと異つた、この事実にふさはしい人物らしく描き出す努力をしたのだといふ。さて、それについて、図書監修官の一人は、私に云つた。──「あの文章を読んで、実在の人物の性格を推断するといふことは、普通の人間にはできないことで、作家だからそれができたのだ」と。私は、──それは甚だ光栄の至りだが、しかし、それはまた貴下の独断ではなからうか。私は、あの文章を読んでへんな爺さんだと感じない子供は稀だらうと思ふ。特に教師諸君が、この教材をどう取扱ふか、ほん気で考へたら困るだらう、と答へた。これには、だが、まだまだ承服しかねるといふ面持であつた。

 文部省でも、今なら昔噺として笑つてくれるだらうと思ふが、かういふことも嘗てはあつた。私が、この話をまた蒸し返して云ふのは、一国の教育といふ厳めしい看板の裏で、どんな塩加減で料理が作られてゐるかといふ、そのからくりが実によくわかるからである。教育が歪められるのは、正面切つた理論のうちではなく、却つて、それにたづさはる人間の精神が、微妙なところで機能障礙を起してゐるからとも云へるのである。そして、その機能障礙こそは、遂に畸形に移行して、国民全体の性情の上に意外な作用を及ぼすのである。文部省と云へば国民有識階級からとかく揶揄されがちな立場にあるのは、そこに最もなくてはならぬ精神の溌剌さを欠ぐためである。が、官尊民卑の風は根づよいものと見え、文部省の教育方針は、不思議に、やはりよく徹底して、その時代の「国民」を作つてゐる。新聞や雑誌の膝をくづした記事にさへも、おほかたわが文教の府の声色がそのまゝ使はれてゐるのに驚くくらゐである。

 新時代と共に面貌一新したわが文部省の力に期待するのは私ばかりではあるまい。

 学校教育の面で、いはゆる畸形礼讃の一例をあげた序に、子供の生活の領域でなにか例をと思ふのだが、これはまた、なにを取り上げてもそれにあてはまりさうで、少し気おくれがする。もともと子供の趣味のなかにはビュルレスクはあるけれども、日本の子供は、由来、子供の想像のなかからは生れないやうなグロテスクなものを与へられる習慣があつた。西洋のギニョルはビュルレスクである。日本のテング、ヒョツトコ、ハンニャ、フクスケ、オタフク、などは、ビュルレスクと云ふよりはむしろグロテスクで、文字通り畸形的面相である。しかも、これらは、つい最近までわれわれの遊び仲間だつたのである。更に、日本の子供は、それと親しむまでに至つてはゐないが、彼等の無心の夢の中に出没する畸形の中の畸形、「お化け」なるものの数々を識つてゐる。大人の「妖怪」に対する趣味も子供心に養はれたスリルへの郷愁で、それがたゞ大人の世界では、浮世の波をくゞつた風流と結びつくのである。

 近頃の子供はよほどかういふものと縁遠くなつてゐるが、玩具などにはまだ不必要にグロテスクなものがある。

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 さて、われわれは、いくら畸形的なものの価値と美を強調するにしても、畸形はすなはち畸形であつて、「満足なもの」ではないのであるから、そこには必ず不自然、不自由が伴ふ。目障り、調子外れ、ぎごちなさ、不安定、鬱陶しいもの、焦らだたしさ、がある。そして、それはまた常に宿命的な「ひけめ」を背負ふものである。

 われわれ自身がめいめいに、それらの不快感の原因を作り、そして互に、結果を分ち合つてゐるのである。誰もどうすることもできない。なかには、これが「世の中」だと思ひ「まゝならぬ」所以だとあきらめてゐるものもある。鼻歌であしらふもの、やけくそであたりちらすもの、黙つて溜息をつくものはあつても、むきになつて、それがために人間改造を叫ぶものはない。革命家はひとり、労働賃金を引上げることによつてすべては解決すると信じてゐる。しかし、その革命家なるものが、最も「畸形的」である場合、革命は何処へ行くであらう。


平衡感覚について


 雑誌がむやみに出る。紙がないといふのに雑誌はいくらでも出るのは不思議だが、それにはそれだけの理由があるのだらう。

 じつさい、誰の眼にも、空白は感じられる。その空白はその人の眼によつてちがひはするだらうけれども、空白とうつることに変りはない。ジャアナリズムの面で、さういふ空白を埋めようとする興味あるひは野心が新しい雑誌を生むのだと考へられる。ところで、いつたい、さういふ空白は何時の時代にもあるかと云へば、それは程度の問題だと云へるだらう。今ほど、その程度が甚だしい時代は稀であり、その程度は、雑誌の数がふえればふえるほど大きくなるやうな気がする。

 つまり、雑誌ジャアナリズムのまつたく平衡を失した時代、平衡を保たうとする力が平衡を破らうとする力に抗しきれない時代なのである。

 しかし、一面から云へば、平衡を保たうとする力そのものが、平衡といふ感覚の上に立つてゐるかどうか。空白の全体を見るかはりに、自分の眼に映ずる空白だけしか見てゐないのではないだらうか。

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 これはまあ一例であるが、現在の事情は、社会現象がことごとく平衡を失つてゐるのであつて、あることだけが平衡を保つといふやうなことは望めないし、またさうあることが必ずしも望ましいことではない。つまり、今のところ下手に平衡を保たせようとすると、進歩が止まるといふ結果になることは明らかである。それゆゑ、もうかうなつたら、一つの新しい力が他を圧倒するやうな勢ひをもつことを誰しも承認しなければならず、そこにはどんな混乱が生じてもしかたがない。

 たゞ、すべてが平衡の状態に復することを将来の希望として考へるならば、そもそも、平衡とは何かといふことを一応吟味しておかなければならぬと思ふ。なぜなら、近代の日本は、生活のあらゆる領域に於て、真の意味の平衡がとれたことはなく、従つて、一種の自己偽瞞が行はれ、遂に国民の間に「平衡」そのものに対する正しい感覚が失はれたとみるよりほかはないからである。

 平衡といふ言葉はどうも専門語めいてしつくりしないが、私の云ふ意味は、けつきよく、「釣合がとれる」とか、「ちやうどいゝ」とか、「過不足なし」とか、時によると、「適度」「中正」などといふ言葉を使つてもよく、たゞ混同してはならないのは、「中ぐらゐ」とか、「穏当」とか、または「折衷」といふやうな概念である。要するに、決して「中間的」を指すのではないといふこと。その意味で、「中間的」をもつて平衡を保つものとする態度を、一種の自己偽瞞と称して差支へないのである。

 この「中間的」なるものは、「微温的」であり、「だいたい間違ひのないところ」であり、「どつちつかず」であり、「鴆香もたかず屁もこかず」である。

 こゝまで云へば、もうわかりきつたことであるが、「平衡」の感覚とは、例へば、月並な平衡を破つてより新鮮な平衡を求める精神のうちにもあるのである。しかしながら、それにしても、ともかく、平衡が保たれてゐるかゐないかを感じとる精神のはたらきは、「批評精神」と称せられるものの基本的な部分であつて、人間生活に新しい秩序と美とをもたらす不可欠の要素なのである。

 この感覚が極度に鈍つてしまつたことが、日本の今日の不幸を招いた最大の原因のひとつであり、また同時に、日本の再起を絶望的とさへ思はせる唯一の理由でもあるのである。

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 平衡が保たれてゐない状態は、個人にしろ社会にしろ、さほど憂ふべきことではないが、平衡の感覚が鈍り、または失はれた状態は、個人の場合でも社会の場合でも、これは由々しいことがらであつて、この状態は、なんらかの方法によつて、できるだけ早く是正されなければならない。これのみは後廻しにさるべきでない。また、例によつて学校教育のなかに織り込んでといふやうな悠長なことを云つてゐてはならぬ。総理大臣自ら先頭に立つて、国民平衡運動を行ふぐらゐの熱意を必要とするけれども、総理自ら平衡を失するが如きことがあつては、今度の戦争の二の舞を演じることであるから、この提案は引つこめる。

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「平衡」の感覚は主として訓練によつて身につけるもの、それだけに理窟だけではどうにもならぬものであるが、現在の日本及び日本人のすがたをうつすもろもろの現象のうちに、ことの大小を問はず、平衡を失してゐるといふよりも、むしろ平衡感覚の鈍磨、喪失を語つてゐないものはほとんどなく、その例はいちいちあげる煩にたへないのであるけれども、「あゝ、そんなところにもあつたか」と気のつくひともあるかと思ひ、二三、手近なところからひろつてみる。

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 旅行をして宿をとるとする。特別に贅沢をするつもりで出掛けたものは論外として、普通は身分相応な旅館をえらぶに相違ないのだが、さて、その身分相応な旅館といふものが絶対にない。若しあるとすれば、平生の生活よりももつと快適でない待遇に甘んじなければならぬ。日本以外の旅をしてみるとそれはよくわかると思ふが、すこし土地の事情に通じさへすれば、平生の生活費と大差のない予算で、どこへ行つても泊れるのである。休暇の数日を家族づれで、或は単独で、どこか静かなところへ保養に行くといふやうなことが、決して、特別に懐ろのいたむことではなく、そのために大した贅沢を強ひられることでもない。つまり、日本の旅館は、無理に金のかゝる仕掛になつてをり、いつでも、収入と釣合のとれない費用がかゝるやうにできてゐる。それは、云ひかへれば、日本の旅館は総じて、旅館を利用する客との間に、「平衡」が保たれてゐないのである。さうすると、こんどは、旅館とはさういふものだといふ観念がわれわれの間に作りあげられる。「かくあるべき旅館」のイメージが浮ばなくなる。旅館の在り方のなかに保たれるべき「平衡」の感覚が日本人にはもはやないといふことになるのである。

 そこで、「金さへ払へば」といふ客種の感覚喪失をいゝことに、趣味低き旅館経営者は、まことに驚くべき手段をもつて、その歓心を買ひ、自尊心をあふり、暴利をむさぼる口実とする。旅館はかくて娼婦なき娼家の趣きを呈するのである。

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 日本では哲学書が非常に売れる。売れることは哲学者のためには結構なことであるが、その哲学書を誰が読むかといふと、大部分は「読めさうもない」連中が読む。これも別に、さうだから読んではならぬといふわけではないが、もつとほかに読むべきもの、読んだらよささうなものがあるのに、それよりも、この哲学書を読んだ方が、或は読んだふりをした方が、どこか満足がいくのである。哲学といふものの「重み」が然らしめるのであらうけれども、さて、その「重み」と自分の頭との釣合がどんなものかは、いつかう気にかけない。

 書斎の本棚には「哲学書」がぎつしり並んでゐる。当人とその前で話をしてゐて、その書斎が彼の書斎であることが、どうしても納得のいかぬといふことは、いつたいどういふことであらう。

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 文部大臣を伴食大臣と呼ぶ習はしが日本にはある。たまにさういふ事実があつてもやむを得ぬが、歴代の政府が、それを承知で、その誤りを正さうとしないのはなぜであらう。政治の領域で、文教政策の占める地位といふものが、日本では、いつの間にか、ほかとの釣合がとれなくなつてゐるのである。この平衡を失つた状態を、口ではわかつたやうなことを云つてゐても、ほんとに「感覚」として感じてゐない政治家ばかりが、今日まで政治の衝に当つてゐた証拠である。国民もまた、一部ではその非を鳴らしながら、如何ともすべからずといふふうに考へ、今後若し文部大臣に伴食ならざる大臣が任ぜられるとしたら、むしろ驚きの眼をみはるであらう。

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 警官がちかごろはあまり威張らなくなつたさうだが、官吏一般とすると、下級官吏ほどえてして横柄なのは、あれは、自分で自分なりに「平衡」を保たうとする努力のあらはれである。但しその「平衡」なるものが、気安めといふ程度の「平衡」であつて、その限りに於ては、万人すべて意識的、無意識的にそれを心掛けてゐないわけではない。前に述べた一種の自己偽瞞である。つまり普通にしてゐると軽くみられ、軽くみられたらもうおしまひだといふ恐怖感が自己補強の工作をなさしめるのである。

 この自己偽瞞は、もちろん常に、もう一歩高いところからみれば、平衡を失した形としてあらはれる。威張れば威張るほど軽くみえるといふ現象がそれを明らかにしてゐる。

 下級官吏だけでない。日本人には、多くこの感覚が欠如し、或はひどく磨滅してゐるのである。

 逆な例をとれば、「平民的な殿様」といふやつがそれである。貴族的であることの不利な印象をごまかすために、努めて、或は好んで庶民的な態度を装ひ、自分にそれを強ひてゐるひとつのヂェスチュアであるが、この場合、「平民的」とは、「庶民の庶民的である」のとはまつたく趣きが違ひ、「殿様らしい」或は、「殿様ぶつた」庶民気取りであること、ほとんど異例はないと云つていゝ。かゝる場合、「平民的」であることが却つて、「貴族的優越感」の暴露となり、ひとつの平衡を失した人間像がそこに形づくられる。

 これとよく似た例に、往々「くだけた官僚」といふものがみられる。新聞記者などに、大いに「くだけた」物言ひをしてゐる、そのくだけかたを鋭い記者は、心中苦笑をもつて迎へてゐるに相違ない。それはおほかた、「平衡」を失つた「くだけかた」だからである。

 豪傑笑ひのバカバカしさもまた、平衡を失した笑ひであるからにほかならぬが、当人はそれでも十分照れくささとの「平衡」を保つたつもりでゐる心理に注意すべきである。

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 われわれは実に「名前」にこだはる。変なこだはり方をする。子供の名前をつける時がさうである。私は自分自身のことをも云つてゐるつもりであるが、これはすこしどうかしてゐる。もつとも、日本人の名前は、ちよつとひとひねりしなければ、どうにも人の子供のやうな気のする性質のものになつてゐるが、それはともかく、この点でも、西洋風のクリスチヤン・ネームは楽でうらやましい。

 さて、人の名前は、東洋風に大いに大事なものと考へるとしても、どうもそれを極端に履き違へて、この人にしてこの名前とは、と首をひねらせるやうなものが稀でない。これまた私自身のことを含めて云つてゐるのである。

 先年、欧洲のある土地で数人の日本人が泊り合せ、それが同じホテルに滞在していろいろな国の男女と混つて雑談をしたことがあるが、その時、日本人の名前の話が出て、たうとう、そこにゐたわれわれ同胞の名前をいちいちフランス語に訳してみせねばならぬ羽目に陥つた。日本人の名前にはそれぞれ意味があると教へた手前、無理矢理に、例へば、「宮廷の仕立屋こと二番目の息子の戦士」といふ具合に、やつたのである。想ひ出しても冷汗ものだが、これは実は、「服部兵次郎」なのである。幸ひこの仁は陸軍武官であつたから、「なるほど」といふことになつたが、私は一介の演劇修業者として、自分の名をあからさまに訳すことはどんなに気まりのわるいことであつたか。

 それはさうと、この傾向は、人の名前ばかりでなく、あらゆる場合の命名法にこれと似た傾向があり、例へば官製煙草のおよそ煙草なるものの性格と釣合はぬ取りすました名前を、国民はどう思つてゐるだらう。煙草などといふものは、何処の国へ行つても、気軽でざつくばらんな、といふ風なねらひでおほかた名前がつけられてゐるものである。それでこそ、のんびりとくゆらす煙草の感じがするのである。こゝにもまた、「平衡」を失した、わかり易く云へば、ピントのはづれたなにものかがあると云はねばならぬ。

 そこへ行くと、昔の日本人は、いゝ感覚を具へてゐたやうである。商店の屋号も、近頃のそれとは段違ひに落ちついた、渋い、なにげない、従つてゆかしいものであつた。もちろん時勢のためでもあるが、わが国の民主主義はこの感覚を踏みにじつてしまつたかの如くである。

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 服装については、いちばん目につくものであり、そして普通に調和が重んじられるものだけに、明治末期以来のでたらめさを、眼のあるもの、心あるものは十分に気づいてゐる筈であるが、それほど趣味の問題を云々しなくても、およそ文明の洗礼を受けた人間の服装とは思へぬやうな奇々怪々な風俗を、だんだん多くみるやうになつて来た。

 もちろん、なかには、いろいろな思惑から、故意に傍若無人な風体をこらしてゐるものもある。戦時中や戦後の、ある程度やむを得ざる「なりふりかまわぬ」状態は、こゝに問題としない。

 私の特に指摘したいのは、いまどき、女が(最近たまたま男がさうしてゐるのを目撃した)子供をおぶつて外へ出るあの習慣である。

 これは意外に思ふ人があるかも知れぬが、私は、これを絶対にやつてもらひたくない。少くとも、このことは、自ら「をかしい」ことを意識してやつてもらひたい。それを意識しながら、なほかつ堂々とやつてのけるなら、私はすこしも文句はないのである。

 子供を背負ふ女であるが、これを服装とみるのは無理だといふ意見も出さうだが、私はどんな理由がほかにあつても、この恰好は、服装の立場からも批評し得るといふ考へを捨てることはできない。背負ひ紐とねんねこは、どうみても服飾の一部になつてゐる。これも、自分の服装などかまつてゐられない「ある特別な場合」のいでたちだと云へばそれまでであるが、そのいでたちなるものは、「特別な場合」を斟酌すればするほど、女性の体力と威儀とにふさはしくなく、ほとんどそれは人間としての最悪の生活条件を誇示するかに思はれるものであつて、子供の健康に影響するとか、体格の不整を来す主な原因だとか云ふこと以外に、なんとしてもこれは日本女性の名誉のために一考を煩はしたいものである。たしかに、日本婦人は、われわれ多くの男性がそれを認めざるを得ないやうに、自ら平等の権利を抛つてゐるところもないではない。かゝる「釣合のとれぬ」恰好はなんびとに抗議をしてもよい、たゞちに廃止を断行すべきであり、それによつて生ずる不便不如意は、男性の責任に於て解決するのが当然である。

 また聞きではあるが、この日本婦人の風俗にはじめて接したある米兵が、「おや、二つ頭の人間がゐる」と叫んださうである。おどけてそんな戯談を云つたとも受けとれるが、「二つ頭の人間」とはよくも云つたもので、これこそ「畸形的なるもの」の見本と云つてもよろしく、我儘や贅沢ではない、子供を背中に縛りつけて外へ出るけなげな風姿は、新日本の家庭から駆逐すべきであらう。

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「平衡」の感覚は、当然、かゝる風俗を時代と共に淘汰すべきものなのに、われわれは、いくぶん、それと気づいてゐて、瘠我慢を張つてゐる傾きがないであらうか。これもたしかにある。その理由は、あまりに多くのことが「平衡」を失してゐるために、なにかひとつのことだけに骨を折るのは、骨の折り甲斐がないといふこと、ついでに我慢してしまへといふことなのである。これはお互にいちばんわかる気持だが、この「我慢してしまへ」がそもそも「我慢のできる程度」と感じてゐる証拠なのであつて、それがもういくぶん麻痺状態に陥つてゐることであり、更に、これから次第に完全な不感の徴候をあらはして来る前提である。

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 最後にもう一つ別な角度からの例をあげてみる。

 それはわれわれ日本人の道徳意識なるものについてである。

 つまり、「道徳」だけはいかに「強調」しても誤りはないと単純に考へる傾向がこれである。道徳教育の面では例の「掛値教育」が生れ、世間的にはいはゆる「感激美談」の流行する所以であるが、人間性なるものの無視がしばしばこれによつて行はれるばかりでなく、人々の行為に一種「平衡」を失した独善的臭味を帯びさせる。

 親切の押売り、馬鹿遠慮、責任感の誇示、愛国心の宣伝、矜持と面子との履き違ひ、厳粛と真面目の混合、慇懃無礼、などがすぐに頭に浮ぶ。

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 道徳はもちろん強調しなければなるまい。しかし、道徳的行為、道徳的言辞、道徳的相貌といふやうなものは、じつさい、真の「道徳」とはあまり関係のないものだと私は思ふ。それにも拘らず、「道徳」の強調がおほむね、道徳的行為、道徳的言辞、道徳的相貌の強調に終始してゐるために、国民は、遂に「道徳」を甘くみるに至つた。仮面の如くこれを懐ろにするものは別として、自ら時として道徳家をもつて任ずることがそれほど「をかしい」ことでないと信ずる向きを生じたのである。市井の俗人が道徳の看板を掲げて得々とし、これをもつて他を圧することはしばしば易々たることであり、あはよくば、これによつて利を占めようとさへ目論むのである。そして、それらは、不思議にも偽善者の後ろめたさを内心感じてゐないやうである。それはその筈である。「道徳」とは人間精神の内奥に生きるものでなくして、外形の装ひにひとしいものだと心得てゐるからである。

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「交通道徳」とか、「親切週間」とか、「貯金報国」とかその他なになに、すべて国民の「道徳」に愬へようとすることのみに汲々としてゐる有様であるが、国民の方では、またかといふ顔をしていつかう相手にしない。たしかに、国民は、いはゆる「道徳」といふものが到るところに立ち塞がり、眼にちらつきすぎて、それをよけて歩かねば自分の道がはかどらぬやうな気にもなつてゐる。

 要するに、それは実体ではないにしても、ともかく「道徳」といふ観念の巨大な影がわれわれの生活におほひかぶさつてゐることはたしかで、今や日本人の生活には、その「道徳の幻」を追ひ払はうと必死にもがいてゐるといふ一面がなくはない。

 道義の頽廃とかなんとか云つても、もともと道義らしい道義を身につけたこともない人間に、頽廃も糞もない。あるのはたゞ、「道徳の幻」との格闘である。それはもう、実体ならぬ影だと見きはめた人間の自信のやうなものである。

 政治家と官吏と教育者は早くそれに気がついてほしい。そして、当分「道徳」だけを故ら声高らかに叫ばないことである。それは、「平衡」を失してゐるなどといふのは、もう云ふだけ野暮な話である。

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 前の手紙に書いた「日本人畸形説」は、いづれその対症療法を述べることによつて結末をつけなければならぬと思つてゐるが、今度のこの「平衡感覚について」は、そこに至るひとつの道順のやうなものである。病理の一端がこれでつかめたやうに思ふ。


精神の健康不健康について


 肉体の健康不健康といふことは問題として極めて簡単である。なにを健康と云ひ、何を不健康と云ふかを、あらためて論じてみる気もせぬくらゐであるが、しかし、たゞ、われわれは、この場合に於ても、真に健康の意義及び不健康の結果について、考へるべきことを考へつくしてゐるかどうかは、大いに疑問としなければなるまい。民族消長の一つの鍵がそこにあるといふ見方から云つても、個人並びに社会生活の幸不幸にかゝはる緊急な課題の一つだといふ点から云つても、「健康」の観念の正しい把握がどれほど必要かを今さら痛感しないわけにゆかぬのである。

 しかし、このことは、その方面の専門家の発言に俟つとして、こゝでは触れないことにする。

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 たゞ、この健康不健康といふ概念が、肉体と精神との両面にまたがり、かれこれ相通ずる領域があることに気がつけば、まづ、その概念について、一応吟味をしておくことは必ずしも無駄ではないと思ふ。

 そもそも、健康といふものは、誰でもそれを望まぬわけではないが、さて、それをほんとに自分のものにしようと努力するものは案外すくないのである。

 逆に、不健康は、そのために生じる苦痛や不便を訴へもし、とくに生命の危険を感じるほどになれば、なんとかして健康をとりもどしたいと念じるのであるが、たゞ、ある程度健康を害するといふやうなことなら、人はそれほど意に介しない。

 これは非常に厄介なことだが、また同時に、多分に興味のあることである。

 つまり、健康といふことは、通念としては、それほど「平凡」なことなのである。健康の魅力は他の様々の魅力にくらべて、あまり「ぱつとしない」魅力であり、空想が誘惑となるやうなものでなく、ことに、それだけでは、なんとしても人間のねうちを決定的なものとなし得ない性質のものだと、いふほかはない。

 更に重要なことは、誰かが健康であるといふことは、そのもの自身のために「有利」であり、時には「仕合せ」でさへあるばかりでなく、他のものにとつても、それは同様に「よろこばしい」ことだといふ事実が、不思議に深くは省みられてゐないことである。

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 一方、不健康といふことは、健康の平凡、単調なのにくらべれば、なにしろ、刺戟的であり、感傷を誘ひ易く、往々冒険をはらみ、神秘的な気分をさへたゞよはす。そして、それが苦痛や不安と結びつけば、劇的なパセチツクにも通じるのである。人生の局面として、むしろ色彩に富むものと云へよう。

 芸術の創造が、健康を母胎とするよりも、むしろ不健康の源泉より発するといふ説が一部に行はれる所以もまた、こゝにあるのである。


 実際、健康の価値を如何に正しく、また、高く見積つても、健康の果し得る役割には一定の限界があるといふことを認めないわけにいかぬ。

 しかし、また、一定の限界をもつた価値について、人は、しばしば、その限界を見定めないさきに、たゞ限界があるといふことがらだけに目を注いで、その価値を過少に評価することがあることを注意しなければならない。

 健康といふものは、それがた易く得られるものとしたら、それはまことに「くそ面白くもない」ものに違ひない。健康であることを望むなどは、満腹を希ふほどの他愛ない欲望の一つであり、健康をもつて幸福とするが如きは、人間の知能を侮辱するものかもしれぬ。

 これだけのことは、前提として、まづ考へておいていゝことであらう。

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 さて、問題は、精神の健康不健康といふことについてである。

 これは、肉体のそれにおけるごとく、問題の性質は簡単明瞭ではない。なぜなら、精神の健康不健康とは、単なる人格の優劣といふが如き世俗的な道徳の基準とも関係がなく、また、いはゆる精神病理学の対象ともなり得ないものだからである。そして、更に、「精神」といふ言葉の理解、及び、「健康」の標準の設定が、わが国では、どうしても先決問題となるからである。

「精神」と「肉体」とは人間の生命の二つのすがたとして今日では誰でも不用意に並べて使つてゐる言葉だけれども、一般には、この「精神」といふ概念が極めて不確かなまゝで残されてゐる。「こゝろ」といふ在来の言葉がさうであつたからにもよるが、ひとつには、「精神」といふ言葉の濫用にも原因してゐると思ふ。

 もちろん、「精神」といふ言葉そのものは、いろいろなニュアンスをもつてゐる。使ふ場所によつていくつかの意味をもつこともよろしいが、使ふものがそれを心得、互に共通なイメージを描き得るやうな使ひ方をしたいものだと思ふ。将来の国語は、かういふところへも力を入れて、整理すべきは整理すべきであらう。

 これは余談であるが、つまり、肉体と並べて精神といふ場合、なんとしても、「人間精神」の全機能、すなはち、「心のはたらき」の一切を指すのであつて、ある特定の精神の領域や、限られた「心のあり方」を指すのではない。いはゆる「日本精神」が道徳の面だけを強調したやうな、「精神」の歪められた概念の強制は、それ自身、「精神の不健康」を語るものなのである。

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 そこで、いよいよ、本論にはいることにするけれども、当節の世相を慨くものの声として、道義の頽廃といふ言葉をよく聞く。この「頽廃」といふことは、どういふことであらうか。このことから、まづ考へてみたい。

 私は、持論として、日本人の道義の頽廃など、今日云々するのはをかしいといふ意見なのだが、表面的な現象としてみる時、さう見れば見られるものがなくはない。

 しかし、元来、「頽廃」といふ現象は、厳密に云へば、さう急激に、例へば敗戦といふやうな事実を契機として、とつぜん起るものではなく、現在の日本国民に、若し道義的にみて眼をおほはしめるやうなすがたがあるとすれば、それは一面、道義の頽廃が既に数十年、数百年以来徐々に醸されてゐたことを証明し、一面、戦争の結果、特に、敗戦といふ衝撃のために、単に、自制心を失つた部分がむしろ目立つてゐるだけのことだと思ふ。

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 云ふまでもなく、「頽廃」すなはち、デカダンスは、すべて、爛熟の結果生ずるものとするのが常識であり、未熟のまゝ頽廃に至るといふやうなことは、観念として成り立たない。それは単なる堕落であり、荒廃であり、紊乱である。

 これはひろく民族の文化についても、時代の風俗についても、また、特定の政治や制度についても云へることである。

 更に、個人の生活に於ける「精神と技術」の面でも、従つて、その生活態度の全貌を通じても、これと同様のみかたができるのだと思ふ。

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 十九世紀末の西欧文学の流れのなかに、かのデカダンと呼ばれる一派の存在したことも、芸術文化史の上から、当時の百花繚乱の時代相を背景としてでなければ、その確乎たる意義はとらへ難いのである。

 そこには明らかに、「常道」への反撥があり、「円満具足」への冷笑があり、価値顛倒への野心と歓喜とがあり、一口に云へば、「健康らしきもの」への止みがたき呪咀さへもがあつた。覆はるべきものの中に美を、崩れるものの上に輝きを、秩序よりも混沌の側に力を、発見し、これを讃へる傾向をあらはに示した。

 もちろん、スノブの群れも多く混つてゐたらう。しかし、文学運動としてのデカダニスムの真髄は、人間性の反語的な闡明と、芸術の新生命の開拓にあり、それのみが原動力とは云へないまでも、少くとも、当時既に人心を囚へてはなさなかつた町人的合理主義、凡俗化した良識の牙城を脅やかす機運を作つたのである。

 それゆゑ、デカダニスムは、私に云はせれば、それ自体、「健康」なすがたを呈しはしなかつたけれども、実は、「健康らしく」して「不健康」な時代の空気と戦ひ、毒を以て毒を制するはたらきをなしたと云ひ得るのである。

 つまり、「世紀末」と呼ばれた一世のデカダンスの波に乗じ、彼等は、その精神の健康の最後の一線を以て、花々しく時代の生き方を生きてみせた驕児たちである。


 わが国に、もし、正当な意味におけるデカダンスの時代があつたとすれば、それは恐らく、たゞ徳川中期以後の江戸文化の腐爛期のみではないかと思ふ。

 大正末期の一時代が、ついで、やゝ部分的なそれらしい現象をみせてはゐるが、非常に手軽な、むしろ、デカダンスの上滑りといふやうなものにすぎず、まして、現在の世相は、およそそれとは根本に於て異つた、文字通り、虚脱より来る混乱、人間としての矜りの喪失といふ、単なる一時的醜態暴露とみればよいのである。

 しかし、それだから、事は簡単だといふのではない。たゞ、デカダンスなどといふ、いくぶん意味ありげな言葉でこれを批評するのは、ちよつと座が白けるやうな気がするたぐひのものだといふに止まる。

 その証拠に、いかなる階級の生活のなかにも、真に「精神の苦悶」と名づけ得るやうなものはほとんどみられず、さういふ叫びは何処からも聞えて来ない。言語道断なみすぼらしい風俗の横行はあつても、意識的に羽目を外した行動の人目をひくやうな闊達さもなく、まして自ら「地獄」行きをもつて任ずる意気軒昂たる青春の姿もみあたらぬ。

 二、三の文学作者が、それらしい意図をもつて珍奇な選材をえらんでゐることはわかるけれども、それが作家の精神のどの程度の表白になつてゐるか、私にはまだ見当がつかない。或は、それをにはかにデカダニスムの発芽と断じるのはまだ早いのかもしれぬ。

 デカダニスムは、精神のポーズでもなく、肉体の衣裳でもない。まして、世俗に媚びることでもなく、況んや、決して、易きにつくことではないのである。ある意味に於て、デカダニスムは、精神的貴族主義の部類に属するものだと、私は信じる。生活に於ても、芸術に於ても、デカダンは一種の気品をたくはへ、それを誇示することによつてその特質が発揮されなくてはならぬ。

 かゝる精神は、いかに「弱々しいもの」「不健康」なものをもつてゐても、それ自身として毅然たる拠りどころと、不気味なまでの「しぶとさ」が必要である。「不健康の強靭さ」とでも云へるやうな精神の生命力をなんと呼んだらいゝか。

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 話は全く違ふが、ある種の「健康な精神」が、その実、まつたく抵抗力を欠くものだ、といふ事実を見逃してはなるまい。それは、肉体の場合にも云へることらしいが、健康とは、まことに、さういふ「脆さ」を一面に於て示すことがあるのである。

 しかし、また、忘れてはならないことは、かゝる健康のみを健康といふのではないといふことである。

 地方の農家で健やかに育つた青年が、都市に出ると呼吸器病にかゝり易いといふ説はかなり知られてゐるところであるが、精神的にもこれと同様な場合がある筈である。

 精神の完全な意味の健康とは、原始的な、素朴な精神のそれを指すのでないことはもちろん、周到な訓育によつて「規格化」された精神のそれともまた異つた、一個の人間が形成されていく複雑な自然的、社会的過程を経て、そこにはじめてかち得られる、全精神機能のゆるぎなき成熟の程度を意味するのである。

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 文明は、従つて、人間精神の鍛錬の場であり、また試煉の器でもある。文明は、精神の健康を害ふといふのは俗論であるが、また、文明は、精神の健康を保証するものでもない。西洋文明は数多くの精神の不具者と、その試煉に堪へない落伍者とを生み出しはしたが、また一方、強健な精神の血統を世界の隅々に植ゑつけたのである。

 東洋諸民族は、その風土と、特殊な社会環境のゆゑに、その文明は新しい時代の気候に適せず、「近代」の洗礼により、まづ、精神の革命を強ひられる羽目に陥つたのであつて、われわれ日本人もまた、その例外ではなかつたのである。

 東洋の近代化が、西洋文明の移植、模倣に始まつたことは、実は止むを得ぬことであつた。しかしながら、西洋文明に神の救ひの如きものを求めたり、せいぜい、長を採り短をすてるなどといふ甘い考へで出発したことが、そもそもの間違ひであつた。

 たとへ西洋文明の拒否すべからざるを覚つたとしても、東洋の精神は、単なる局部的な抵抗を試みただけで、精神自体が、精神と取組むていの格闘を演じたことはない。云ひかへれば、自己の固有の精神を新しい精神によつて鍛へ試みる自信と勇気と粘りとを欠いでゐたことは、なんと云つても、人間としての第一の敗北であつた。

 素朴にして、型にはまつたわれわれの精神は、西洋文明の前に度を失つて、そのなすがまゝに姿態を変へ、体裁をつくろひ、そのことに快からぬものは、強ひて、面をそむけて自己の世界に閉ぢこもつてゐたのである。

 われわれの多くは、かくて、「二つの顔」をもつた精神の所有者となつた。二つの顔の一つは仮面であるものもある。二つの顔がいづれも生きた顔に違ひないものもある。

 かゝる精神が、いかなる意味でも、健康であらう筈はないのである。

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 健康だが何もできぬ人間よりも、多少不健康なところはあつても、何かをよくなし得る人間の方が、いくらましだかわからぬ。これは、肉体的にも精神的にも云へることである。

 それゆゑ、健康不健康は、そのことだけで人間の価値をきめられないことは、わかりきつたことであり、それが前にも述べたやうに、健康の魅力がどうかすると人々をそれほどに誘惑しない原因でもあるが、しかし、おなじ人間の行為でありながら、精神の健康を基礎としてそれが示された場合と、不健康を土台としてそれが示された場合とを比較し、まさにその価値がはつきりとわかれるといふ例がすくなくないのである。こゝで価値といふのは、人間生活の「在るべきすがた」を標準として考へることは云ふまでもない。

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 先日、ある文芸雑誌で、諸家の「本年に対する希望」といふやうな回答を求めてゐたが、正面からまづまづ誰でもなるほどと思ふやうな各種の注文を掲げてゐる人のなかに、たつた一人、某作家──はつきり云へば太宰治氏──が、「なにを云つたつてできやしねえ」と、はなはだあつさり一行の意見を述べてゐるのを発見し、私は、心からをかしくなつた。この「をかしさ」はどういふ種類のものかと云へば、ちよつと簡単には云へないが、ともかく、さつぱりしたをかしさである。いはゆる臍まがりの痛快さも手伝つてゐるが、決してヤケつぱちな放言でもない。それはたしかにある急所にふれたもので、誰でも一応はさう云ひたいところを、なにかの都合で云ひ渋つたり、云ひそびれたりしてゐるのである。それを、なんの躊躇もなく、ズバリとやつたヒヨウキンな啖呵である。さう云はれてしまへば、なにもかもおしまひだといふ風な、いさゝか人の虚をついた皮肉で、頓智のきいた一言であつた。なにもこれがどんな場合にも通用する最上無類の名答だといふわけではない。雑誌のアンケートといふお定まりの型にはめて、みんながみんな真面目くさつて「本年への希望」を縷々述べるにも当らぬといふ理由もあり、ことに、改まつて何かを云ふにしては、さうさう適切なことが浮ぶはずのものでなく、ある程度思ひつきでお茶をにごさなければならぬ場合も考へられ、更に、平生はさほど真剣に考へてもゐないやうなことを、さも言はずにゐられぬといふやうな身構へで云ふ始末にもなりがちだし、うつかりすると、こんな機会に、我田引水、自己中心の要求を臆面もなくつきつけて役目を果したつもりにならぬとも限らぬとすれば、この「なにを云つたつて……」が、きはめて投げやりで無責任のやうにみえながら、案外その実、責任を感じての慎ましい返答のやうにも考へられ、それやこれやで、読者として、ちよつと無意識に膝を打つてしまつた次第である。

 ほかの誰かれを引合に出すのはやめるが、この太宰式回答は、私の読んだ他のすぐれた回答に劣らず、なかなか生彩ある「健康な精神」を思はせるものであつた。それにくらべると、正面切つた数々の希望や注文のなかに、その提出のしかたが、いかにも「精神の不健康」を感じさせるものがなくはなかつたといふことを附け加へておかう。


 この例でもいくらかはわかるやうに、精神の健康は、まづ精神の自由にあるやうに思はれる。精神の自由は、ひと口に云へば、精神の全機能の平衡のとれた活溌なはたらきとも云へるけれども、一面から考へると、常に表面の平衡を破つて、新たなる平衡を求めるものであり、強制と誘惑と先入見とに抗して、自然でかつ自律的な行動を促すものでなければならぬ。

「自由なる精神」は、それゆゑ、不羈独立の精神であると同時に、安易なる方向への傾きを拒否する精神であり、順応は必ず厳密な警戒のもとにおいて行はれる。自由なる精神がしばしば天邪鬼の風貌を呈するのはこれがためである。

「自由なる精神」は、それゆゑにまた、「流行」を追はぬ。流行を追はぬだけではない。「流行」そのものを歯牙にかけない。

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 精神の健康不健康と、広い意味に於ける「趣味」といふことは、非常に関係が深い。「よい趣味」が健康な精神から生れ、「悪趣味」が精神の不健康を語ることは、ひととほり事実として承認しなければならぬ。

 しかしながら「趣味」はまた常に固定し易いもの、障壁を作りやすいものである。健康な精神は、だから「よい趣味」によつてひとつひとつの行動を規整しようとはしない。ひとつひとつの行動に、おのづから「よい趣味」が反映するといふだけである。

 従つて、俗に「よい趣味」とされてゐるものに反逆する行為のなかに、趣味としての「よいもの」が感じられ、俗に「わるい趣味」と考へられてゐるやうなものでも、それが処を得れば存外「よい趣味」として匂ひ出るのである。


「趣味」といふ言葉が精神のはたらきに対して用ひられる場合がもつとあつていゝと思ふ。これは、いろいろなニュアンスを含んだ、ものごとを綜合的に批判するのに適した言葉である。ことに、生活と直結する「文化」の問題について、人間的な価値判断を加へるのに、非常に便利な言葉である。

「趣味」の感覚と、前回の手紙に書いた「平衡感覚」とは、ある点で一致するものであるが、これは主として物ごとを「美醜」の標準に照らして直覚的に選択する能力であつて、つねに相対的な好悪の判断と、ほとんど衝動に近い言行とによつて、赤裸々に一個の人間を示すものである。そしてまた、それは、日常の生活と気分とに深く結びつくだけに、見やうによつては、一つの思想の具象化となり、とくに、社会観、人間観の不用意な告白ともなるのであつて、その意味では、また、のつぴきならぬ近代的ヒューマニズムの尺度をなすものである。まことに、「人間侮辱」は、悪趣味のなかの悪趣味と云ふべきであらう。

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 民衆の精神が、不健康を意とせぬ方向へ向けられた原因は、決して、政治と教育の罪だけではない。これこそ、政治を批判し、教育の刷新を叫ぶ多くの識者の怠慢、独善、日和見、ことに、驚くべき説得力の不足に最大の罪があると思ふ。

 かくて、われわれは、われわれの最も信頼する「選ばれた人々」の精神の健康を疑問とせざるを得ぬことになるのである。

 一雑誌のアンケートではない場合に「なにを云つたつてできやしねえ」と内心うそぶく精神の不健康、何事にも自分の順番を待てぬ人間の悪趣味を、私は、自分のうちに発見して、しばしば苦笑することがある。

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 久々で東京の街を歩くと、いろいろな新しい現象が眼につく。これらの現象は、次第に地方の都市に、更に、田園に延びひろがる性質のものである。

 これらの現象は戦後、ことに敗戦国の特殊事情のなかに発生したものが多いことは明らかであるが、私は前大戦の直後、フランス、イタリイ、ドイツ、オースタリイの諸国をまはつてみて、それぞれの国民性と、戦後の立場とを考へながら、いろいろな観察を試みた。その記憶を今日呼びさまし、当時の日本と現在の日本とのまつたく反対な立場に思ひ至ると、まことに感慨無量である。

 戦敗国には、もちろん想像を超えたインフレーシヨンの波、正視できぬ飢餓の相貌、外国人旅行者の大尽遊び、街の女の氾濫、わけてもドイツでは、青壮年男子の著しい陰鬱な表情がわれわれの心を強く打つた。

 しかし、総じて、戦敗国民の精神を支配してゐたのは、平和に対する希望や安堵ではなく民族の運命についての不安と焦躁であつたやうに思ふ。それは、彼等自体の力の問題、政治の動向に深い関心を示す国民の杞憂に類するやうなものであつた。そこからは、当然、楽観的な見透しなぞは許されない、緊張と動揺の交錯が全生活を彩つてゐるかに見うけられた。若い世代の宗教への指向もその一つ、絶望と狂躁の歌声もその一つの現はれである。


 ドイツ、オースタリイの敗戦ぶりは、今度のことは知らぬが、あの当時はむしろ立派であつたと私は思ふ。国民は、心身ともに疲れ「精神の不健康」がある点では目立つたけれども、それも敗戦そのものの結果とのみ見ることができた。しかるに、現在の日本のすがたは、まことに、戦に敗れたことそのことよりも恥づべき徴候を露はに示してゐる。云はば、赭ら顔の高等官が、大名行列の露払ひの如く「下にをれ、下にをれ」と同胞を下知して廻つてゐる図は、断じて、敗戦によつて負はされる当然の苦難とは関係のないものである。この「精神の不健康」の由来は、遠く、戦勝の凱歌に酔つた時代に遡らなければならぬ。


 われわれの世代は、日本をかくも精神的に不健康なものとした責任を負はねばならぬが、そのわれわれの世代から、今日もなほ不用意に受け継がれてゐるさまざまな風習に、若き世代は、もつと厳しい批判を加へてほしい。


恐怖なき生活について


 ちかごろ、ふと「平和な世界」といふものについて考へてみた。どうも私には、さういふ世界が現実の世界としては眼に浮ばない。理想社会といふやうなものとおなじで、学問の対象にはなるかも知れぬが、真に平和を望む人間の今日の問題とは可なり距りがあることに気がつく。

 そこで「平和な世界」といふことから、私の考へは「恐怖なき生活」といふものへ移つた。恐怖と云へば、生命財産名誉行動の自由、生活の安全などを脅やかされることがまづ第一に頭に浮ぶけれども、さういふ単純な脅威だけではない。むしろ、法律や一般道徳には触れないいろいろなかたちで、何ものからともなく精神的苦痛を与へられる危惧不安を数へなければならぬ。

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 人間の生涯を通じて、絶えず何ものかの脅威にさらされ、一言一行、目に見えぬ力の圧迫を意識しなければならぬといふやうな状態を、仮に、脅迫観念の連続と云ひ得るならば、かゝる状態のなかに成育する精神の機能は、いきほひ、なんらかの障礙を起さぬはずはなく、その結果は、たとへ、その脅威がとり去られ、圧迫が除かれた後でも、なほかつ、異常な相貌を残すに違ひないのである。

          *

 私は自分の過去をふり返り、また、現在のわれわれの生活条件を考へてみて、上に述べたやうな影響が決して人ごととは思へず、おそらく、日本人のおほかたがその例に漏れないといふことをひそかに信じる。

 いまさら、われわれには「自由」が与へられてゐなかつた、などと公言する勇気は、私にはない。なぜなら、真の「自由」は与へられるものではなく、また、与へられた場所にはないものだからである。

 われわれはむしろ「自由」といふものを知らなかつた。脅威や圧迫からの「自由」は、時に望まぬわけではなかつたが、一つの手から逃れることは、もう一つの別の手に縛られることであつた。そして、ある強制を脱することのみが自由を得ることだと考へるのが関の山で、「自由」の敵が、ほかにいくつもあり、その最も大きなものが「誘惑」と「先入見」であることに気づくものは意外に少かつたのである。

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 話はちよつとわき道へそれたが、われわれ日本人は、ほんとに畏るべきものを畏れず、怖れるにあたらぬものを怖れざるを得ぬやうに育てられて来た。

 だが、怖れるにあたらぬといふのは、実は理窟の上のことであつて、やはり、それはどんなかたちかで、われわれの存在を脅やかし、これをなほざりにするものは、いつかきつと手痛い目にあふといふ事実を否定するわけにいかぬ。さういふ脅威を脅威とせず、さういふ手痛さを手痛さと感じないやうな強靭な精神をもち合せてゐれば問題はない。たゞ、それを万人に望むことがそもそも無理といふだけである。

 してみれば、さういふ名の知れぬ脅威の正体をつきとめ、それが取り除き得るものなら、それを取り除くといふことは、今後のわれわれの生活をいくぶん明るくし、従つてまた、将来の国民を伸びやかに育てるうへに、是非とも払はなければならぬ考慮のひとつであると思ふ。

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 こゝで断つておきたいことは、われわれ日本人の、なにかに脅える表情なるものは、決して一様ではないといふことである。それこそ、陰陽さまざまな表情がある。一見それとはまるで反対な姿勢を示すものもある。平気を装ふとか、虚勢を張るとかいふやうなものまでを含めれば、その色合はまことに種々雑多である。

 それにしても、ともかく、内心、ある脅威を感じ、自らこれに屈することに慣れたひとつの習性の如きものは、われわれのうちに一種云ふべからざる鬱陶しい精神の気候を作つてゐる。

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 煎じつめれば、この脅威の正体は、いはゆる「人間性」無視の社会的風潮であると云へないだらうか? これが封建的陋習の最も顕著なものであることに疑ひはないけれども、その封建性を批判する態度のなかに、既に、何ものかを憚り、しかも民衆を威嚇する口吻がなくもないことは、ある限られた精神の構造を遺憾なく示すものである。

 漢書の教へる「大丈夫」の意気は、わが日本の風土において早くも色褪せたかの感がある。

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 さて、すべての罪をわが封建制度に帰することはたやすい業であるが、いかなる封建制も、わが国民の如き国民を作らなかつたといふ一点に、私は注意を向けざるを得ない。徳川幕府の悪政の下に於て、日本人は、今日よりもましな日本人であつたといふ証拠はいくらでもある。明治維新は、どんなに中途半端な革命であつたにしろ、一応近代国家としての面目を整へ、進歩の旗じるしを掲げたのである。われわれの血液が真に毒されたのは、必ずしも、専制政治とその支配力のためばかりではなく、寧ろ、名目と実質とが相反する偽瞞政治とその影響の下に於てであると思ふ。

 教育勅語は、当時の勅語としては、かくあるべきものであつた。この勅語を表看板として、裏では徐々に飽くことなき軍国主義が鼓吹されたのである。

 皇室と人民とは親子の関係だと説きながら、実は、主従の関係、或はそれ以上距離のある関係を強ひた。

 議会は国民の代表であることを標榜しながら、各党派は私利私慾をほしいまゝにし、政権以外に国民の利益を眼中におかなかつた。

 警察は良民を保護するものと宣伝しながら、民衆のことごとくを罪人扱ひにした。

 そして、法律によつて美風を維持するが如く規定された家族制度は、その強ひられた美風なるものによつて多くの人間悲劇を生んだのである。

 かゝる現象は、社会万般の制度や機構のなかにこれをみることができた。人間対人間の関係に於て、秩序はもはや利害につながる表面の体裁にすぎぬものとなり、権力はあらゆる衣裳をまとつて個人生活の隅々にまで干渉の手を伸ばしたのである。社会は文字通り「成り上り者」の支配に帰した。自由競争、機会均等の美名が、最も権勢に憧れるものを権力ある地位につかせ、職責と称する役得の味を彼等に占めさせたのである。

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「ご無理ご尤も」といふ思想は、われわれの祖先から受けついだものであらう。「泣く子と地頭には勝てぬ」も同様である。

 それにしても、私は、かゝる思想が、今日のわれわれを慚死せしめないといふことが不思議である。

「無理が通れば道理ひつこむ」などと、薄笑ひを浮かべながら恬然としてはゐるが、その実、さういふ人間は、絶えずやはり神経を尖らせて、どこからか突きつけられるであらう「無理難題」に脅え、頼みにならぬ「道理」は、たゞ、抽斗の奥へしまつておくだけである。「道理」は決して「無理」への挑戦の武器とはならず、これを最少限度に喰ひ止める手段は、それとはまつたく別の、哀訴嘆願に類するものとなつたのである。

          *

 われわれ日本人が「目上」のひと睨みや官憲の暴圧といふやうなこと以外に、おほむねたえず一種の脅威を感じてゐるもの──そんなものは感じないといふ例外もあることは事実だが──は、なんと云つても、いはゆる「世間」であらう。世間の眼といひ、世間の口といひ、世間の思惑といひ、世間の義理といひなどするのは、いづれも、漠然と自分を取り巻く周囲の動向を指すものであり、それには、特定の個人の場合とは比較にならぬ、ある不可抗力にも似たものを認め、その反応をもつて時には致命的なものと考へるから、法律や道徳と関係なく、事毎に「世間を憚る」といふ意識が頭をもたげて来る。

 それなら「世間」とはいつたい何か? もちろん「社会」といふ概念とは一致しないが、その道徳と習慣と、特に群集心理によつて支配される意志表示とを重くみた考へ方で、それはまた、自己保存のほかなんらの理想をもたず、非情とも云ふべき形式的な掟の上にたち、すべての異分子的存在を排撃する本能の極めて目立つ、地域的、時代的に限られた一社会を指すものと思はれる。

 われわれの「人生」は、この「世間」の裏打ちによつて営まれてゐる。それゆゑ、この「世間」の風波の中に個人が生きることが、すなはち「人生」だといふ認識こそ「うき世」といふ言葉を作り出したものと云へよう。

 西洋でも「人生」は憂患多きものとされてはゐるが、この「世間」といふ概念をそれに結びつけるとしても、日本のそれほど「冷酷」な調子を含んではゐない。

 これは、云ふまでもなく、個人の自覚と、社会の発達とが「世間」を多少ともあたたかく、愛想よくしたからである。つまり、世間は、少くとも主観的には日本の場合ほど「暗く」もなく「無気味」でもなくなつたのである。

          *

 日本人の社会意識とか社会感覚とか云はれるものが、実際はどういふ風なものを指すのか私にははつきりしないが、少くとも、この世間といふ概念の中に含まれる感情的要素が変らぬ限り、健康な社会意識も社会感覚も生れるはずはないと思ふ。

「世間を憚る」といふ思想が公けに是認せられて今日に至つてゐる証拠はいくらでも挙げられるが、それが国民道徳教育の中に取り入れられてゐる事実に気がついてゐるものは少いかも知れぬ。

 旧い教科書ではあるが、第四学年であつたかの修身に「責任」といふ標題をつけた一文がのつてゐた。九州の、農村で画期的な水利工事を完成した人物の事蹟を伝へたものである。その人物がいよいよ工事を完成し、村民あまたの前で、石の水道に水を引いてみせるといふ日の朝、家を出るに当つて、短刀を懐ろに忍ばせ、万一、工事に不備なところがあつたらその場で腹を切る覚悟をきめてゐた、といふ話である。この人物は幸ひ腹を切らずにすんだが、いつたい、なぜ、工事がうまくいかなかつたといつて腹を切らねば気がすまぬのか? これは決して純然たる「責任感」のためではないにきまつてゐる。いはゆる「面目がつぶれる」と自分で思ひ込むからである。「面目」といふのは、元来「矜り」とはいくぶん違ひ、それより一層、相手を意識し、相手の思惑を勘定に入れた、他人の眼にうつる自己の値打を意味する言葉であつて、この場合、自分の失敗が公衆によつてどう受けとられるかといふ予想が知らず識らず前提となつてゐるのである。彼は、自分の仕事に精根を打ち込んだであらうが、それと同時に、世間が自分の仕事の真の性質を理解せず、その成否にのみ興味をつなぎ、結果によつては、彼の着眼と努力とに一顧の礼も払ふことなく、たゞ、嘲罵を以てこれに酬いるであらうといふこと、つまり「世間」の実体を身にしみて知つてゐたのである。彼はおそらく、責任感の強い人物であつたらう。しかし、それ以上に、自尊心の強い男であつたに相違ない。工事の成否よりも、ことによると、自分の面目の方を重大に考へる一個の人物が目に見えるやうである。しかしそれは決して、彼に限つたことではあるまい。人物教育はさういふ風に行はれた時代であり、当時の「世間」はまた、是が非でも、不運な彼を殺さずにはおかぬ「世間」なのである。それは必ずしも責任を問ふなどといふ意味ではなく、失敗を恥辱として嘲笑し、人を嘲笑することを無上の快とする風習のためである。

 私はこの話を、かつて、日本の一工兵将校に話してきかせ、その所見をたゞしてみた。彼は直接に私の問に答へず、その代り、彼がアメリカ留学時代、たまたま、所属してゐた工兵学校の教官が、学生一同に「技術者の責任」といふ話をしたことを想ひ出したと云ひ、これとよく似た実話を私に伝へてくれた。それは、ある地方のダム工事を設計監督した一技師が、竣工式の当日、関係者多数の面前で、工事の一部に大きな欠陥があることを発見し、甚だ面目を失した。が、彼は、その日から、設計をやり直し、工事の完全な結果を見届けて、自己の責任を果した末、いく日か後に、ひそかに自殺した──といふ話である。

 こゝまで行けば「責任感」といふ道徳の価値がはつきり浮びあがつて来る。

 東西の道徳の相違は、また、東西の「世間」の相違ともなる。

 われわれ日本人が、何かしらに脅えてゐる表情は、この「世間」を「悪意に満ちたもの」としてまづこれに対してゐるといふところから来る。

          *

 先日来の新聞に、進駐軍司令部から続いて発せられた二つの興味ある「脅迫禁止」の指令がのつてゐた。当事者はおそらく、それが「脅迫」になるとは思つてゐなかつたかも知れぬが、それほど、これに類する事実は、日本では月並で、誰も問題にしなかつたのである。そこがまた私には興味のあるところで、「脅迫する」方も、「脅迫される」方も、平生は、別にそれほどのことと思はず、お互に習性のやうになつた感情のやりとりを平気でしてゐるわけである。それは結局、ちよつとした意志表示が「脅迫」の色を帯び、あたり前の要求が「脅迫」めいて受けとられることにもなるのであつて、われわれの生活と「脅迫観念」とがつねに離れがたい関係にあるといふ一面に通じるのである。

 これは、かの「世間」といふやうなものとは別に、われわれ日本人の性情や知能のうちに、宿命的な原因がひそんでゐるからだと思はれる。狭量とか、短気とか、一徹とか、それらのことにも関係はあらうし、さらに、私は、別の角度から、「表現力の貧しさ」といふものに、大きな原因を認めなければならぬと思ふ。「表現力の貧しさ」は、結局、「説得力の弱さ」である。説得できないのに目的を達しようとすれば、たゞ、直接間接、脅迫の一手あるのみである。「泣き落し」もまたしばしば相手の感情的弱点をねらふ「おどし」にすぎぬ。

          *

 われわれは子供の頃から、まことに無意識に人を脅迫し、また、脅迫されつゞけて来た。

 まづ、泣きわめくことによつて母親を脅迫した。人前でしばしば行儀をわるくするのは、「あつち」へ行つてお菓子をもらふためであつた。父親に小遣をせびる一番有効な方法は、友達に借金をしたといふ口実である。

 両親は両親で、お灸、押入、お巡り、人浚ひ、学校の先生などを持ち出し、ご飯をたべさせぬとか、家の中へ入れない、などと無法なおどし文句をならべた。

 そればかりではない。子供同士の会話を聞いてゐるとわかるが、日本の子供は、二た言目には相手を脅迫してゐる。「これからもう遊ばないよ」と云はれる悲しさを私は想ひ出す。「云ひつけよう、云ひつけよう」とはやしたてる少年少女の意地わるな眼つきはどうであらう。「いゝわ、いゝわ」と口をゆがめて単調に繰り返す女学生の、あの心理には、軽くとも報復を匂はせてはゐないだらうか。「よし、覚えてろ」に至つては、明らかに、復讐の宣言である。「よろしい、それならこつちにも考へがある」とか、「たゞではすまさん」とかは、大人がそれを大人らしく云ひかへたまでのことで、いはゆる「凄む」といふ型には硬軟の別はあるが、いづれも職業的な「ゆすり」の如く、なるべく底気味わるく云ふのが定石である。「おどし文句」の日本ほど豊富なところはどこにもないやうに思はれるが、悪態をつくことにかけては天才のフランス人も、恐喝専門の悪党以外、「おどし文句」といふやつはあまり使はぬ。その場で決裁をする方がお互に楽なわけである。

 なにしろ、日本人の脅迫には、往々、「死ぬ」「殺す」といふやうな気味合がふくまれてゐて、それだけでも物騒なものになりがちである。

 が、それほどでなくても、「人前で恥をかゝせる」とか、「強ひて不利な立場におく」とかいふ風な脅迫のしかたは、そのことを言葉に表はさず、意味ありげな微笑ひとつで、それが先方に通じる仕組みになつてゐるのだから、極めて厄介である。ある種の権力をもつものは、さういふ地位そのものが、一種の「脅迫」となつてゐる日本の実情を見逃がすわけにいかぬ。

 正当な要求や主張が多くの場合相手の弱点をつくことになるために、常に「後の祭り」を警戒しなければならないといふやうな経験はだれにでもある。

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「睨まれる」とか「睨みが利く」とかいふ言葉がよく使はれるのも、やはり一種の威嚇がいたるところで行はれてゐるからで、「頭のあがらぬ」人間を多勢手下にもつことを得意とする風が昔からあるのである。威光と云ひ、威勢と云ひ、いづれもなんらかの意味でその「影響力」を誇示する姿であり、威儀とか威厳とか云はれるものは、今日の日本では、自然に具はつた気品を指すよりも、むしろ、故ら相手を屈せしめようとする傲然たる態度と考へるものが多い。

「相手を呑んでかゝる」などといふ不埓なポーズが時によると奨励され、讃美される。これまた、「威圧される」ことの不利と苦痛とをしみじみ感じてゐる人間どものひそかな反抗意識に外ならぬ。

 世の中で一番恐ろしいのは「人間」だといふ皮肉な箴言は、たぶん世界共通のものであらうけれども、わが日本では、それが、皮肉でもなんでもなく通用してゐるやうなところがあり、昔から、「人を見たら泥棒と思へ」だの、「男子外に出づれば七人の敵あり」だの、とにかく、人間と人間との関係を、おのづから相親しむべきものとせず、却つて、互に心の許せぬもの、油断をすれば隙に乗ぜられるもの、といふ風に教へてゐるのである。それゆゑ「赤の他人」と云へば、まつたく交渉のない人間といふだけでなく、うつかり交渉をもつてはならぬ人間といふくらゐな、反撥と警戒の意をふくめた呼び方なのである。この習慣は多少改まつて来たやうだが、それでもなほ、たまたま同じ場所に落合つた未知の二人が、双方ともに、容易に相手を近づけず、自分からも近づかうとしない、妙に冷淡な素振りを示し合ふことは屡々である。それはほとんど反目にちかい表情で、つとめて相手を無視するやうな態度をしてみせ、どうかしてその一方がつひに折れて、そろそろ話をもちかけでもすると、相手は、内心勝者の誇りを感じながら、表面は、さも大儀さうに、生返事をするのである。

 他人の前へ出るといふことが、かうなると、われわれには一つの負担である。必要がそれをさせる以外、「赤の他人」と顔をつき合はすといふことは、まづまづ、差控えたいといふことになる。これはつまり、われわれ日本人が「人間」そのものに脅威を感じるそもそもの理由となるのである。

 かう考へて来ると、われわれは、お互同士、なにかやかやのかたちで、多少とも「睨み合ひ」をしてゐるのだと云へないことはない。「脅迫」といふ言葉が大袈裟なので、「睨む」と云つたまでであるが、かういふわれわれの風習は、「隣人愛」といふやうな精神の理解を妨げることおびただしく、「人間性」そのものの自覚をもほとんど不可能にしてゐると、私は思ふ。

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「無愛想」「ぶつきらぼう」は、その人柄の自然の発露でなく、時として、相手を「おさえる」手として用ひられることがある。甘く見られまい、軽く扱はれまい、さういふ用心は、必ず、不機嫌を装ひ、無関心を衒ふ表情態度となる。相手が小心であり、卑屈であれば文句なくこの手に乗る。これ以上機嫌を損じては大変であり、なんとかしてこつちへ一瞥を与へてほしいからである。この手は、日本では、なかなか効き目のある手だといふことが察せられる。この「無言の脅迫」には、われわれは到るところで出会ふ。戦時中はとくに甚だしいやうな気がした。

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「拗ねる」といふことは、どこの国の人間にもみられる表情心理であるけれども、これは、婦人や子供に多いとされてゐる。壮年や老年の男子が事毎に拗ねるといふのは、日本特有の現象のやうに思はれるがどうであらう?

 これまた「無言の脅迫」にちかいもので、拗ねた結果、なにを云ひだすか、なにをしでかすかわからんといふところに、威嚇の効能があるわけだけれども、たゞ「拗ねられた」方からいへば、もう、これ以上なにを言つてもはじまらず、理窟もくそもない、それこそ、交渉断絶を宣言するか、若しくは、言葉穏やかになだめすかすかよりほか、手の下しやうがないといふ厄介な立場におかれるのである。

 ほんとに腹を立てて喧嘩になるなら、まだ始末はいゝが、この「拗ねる」といふやつは、もともと陰性で、手ごたへなく、ゲリラ戦法に似て、油断のならぬものである。

 しかし、一方から云へば、われわれ日本人は、相当の年をしながら、実に場所柄をわきまへぬ言動に出ることが多いのである。他人のさういふところは、なかなか微妙にわかる神経をもちながら、自分の場合には、どうもそれがわからなくなる傾向があり、つい、誰彼の見さかひなく、その場の調子で、人をはらはらさせるやうなことを口走り、または、やつてしまふのである。つまり、大小の脱線によつて、相手なり、一座なりを興がらせもするが、同時に、おびたゞしく白けさせもする名人なのである。

 人を白けさせ、人に白けさせられることが習慣になつてゐるやうな人間の集合を、私は、私の周囲にみる。人を白けさせたあとは、多くは「とぼけ」、人に白けさせられた場合は、しばしば「拗ね」てみせるのである。それよりほか、なんともしかたがない、といふのが実情であらう。奇怪な風景と云はざるを得ない。

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 今日では「封建的」だとか、「非民主的」だとか云ひさへすれば人をへこまし得ると考へるものがある。これはかつて、「自由主義者」のレツテルをはり、「非国民」呼ばはりをすることによつて人を沈黙させようとした流儀とまつたくおなじである。

 かういふやり口が何時の時代にも行はれるといふことは、われわれ日本人の情ない事大思想に由来するものであるが、結局これは、かの「錦の御旗」なる言葉によつても示される、虎の威をかる狐の心理であり、早く云へば、なんらかの権威をカサにきての「脅迫」に外ならぬ。

 純然たる討議や、評論に於て、往々、人身攻撃に亙る言辞を弄したり、触れる必要のない部分に故ら触れて相手の口を噤ませようとする論法に出たりすることは、われわれの間で屡々みかけるところである。そこには、つねに知的な探究をよそにした勝負意識のやうなものが目立ち、自己の優越を誇示しようとして、その手段を択ばない性急な俗情が幅を利かしてゐる。それはあたかも、兇器をつきつけて抵抗を断念せしめようとするにひとしい手口である。

 もちろん、抵抗を断念するかせぬかはこつちの自由であるが、ともかく、これを敢へてする心事に至つては、真に「強きもの」の心事とは云ひ難い。

 それについて想ひだすのは、私が前回の手紙に書いた、国民学校教科書の問題が云々された当時、文部省の一官吏が──幸ひその名前を今では忘れてしまつたが──某誌上で私の行為を批難した文章を公けにしたことである。その文章は、なんの目的で書かれたものであつたかも今日では記憶にない。しかし、その中で、勅令によつて公布された国定教科書をかれこれ非議するのは「不忠」であると断じてあつた。その頃、一国民が不忠の臣といふ名をきせられることがどんなことであつたかを考へてみると、この文章はたしかに私のみならず、一般国民をして再び同じ行為を繰り返さしめないための「脅迫」であつたといふほかはない。時代はまさにさういふ時代であつたとすれば、これは当然すぎるほど当然なことだが、時代一転して、なほこの空気のみは一掃されるに至つてゐないといふことは、いつたいどうしたわけであらう。

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「脅迫」することを日常茶飯事と心得、「脅迫」されることがまた「世のならひ」と神妙に諦めてゐる国民、かゝる国民の精神の世界に、まつたく新しい光明を投げ与へる思想は、今後のわれわれの生活に最も大きな革命をもたらすものだと、私は信じてゐる。


悲しき習性について


 牝山羊の傍らにうづくまつて、十八九の農家の娘が、霜やけの痕のついた頬を緊張させ、もうほとんど滴しか落ちて来ない薄桃色の大きな乳房を、あまり器用ともいへぬ手つきで撫でおろしてゐた。

 私は偶然そこを通りかゝり、顔見知りのその娘に言葉をかけた──

「おとなしくしてるもんだね。いゝ気持なのかねえ」

 娘は、はにかむやうな眼で、私をみあげ、

「どうだか知んねえ。でも、以前にゐたやつは、こんにじつとしとらんだつた。あばれて、あばれて、手におえんだつた

 私と娘との話声を聞きつけて、娘の母親がそこへ顔を出した──

「以前にゐたやつは、わしらも慣れんもんだで、子供の時分から乳を撫でてやるちうことをせなんだでなあ。やつぱり、さうせんと、かうやつておとなしうしとりませんの

「なるほど……」

 と、私は感心しながら、この牝山羊の「人間に乳をいぢらせる」気持を理解したつもりになる。

 乳牛などはどういふものか知らぬが、或はもつと本能的な習性によつて、人間に乳をしぼらせるのではないかと思はれる。

 さう云へば、私が山の家で飼つてゐる緬羊は、もう毛を剪る時分だといふので、近所に住んでゐる青年学校のH先生が鋏をもつて来て──「わしがやりませう」と云つてくれた。──いよいよ、仕事にとりかゝるのをみてゐると、なんのことはない、緬羊を綱もつけずに横に寝かせ、横つ腹の毛からはじめて、一時間あまりのうちに、きれいに剪り終つた。──「熟練工なら二十分でやるんですが」と、H先生は謙遜したが、先生の手際のあざやかさもさることながら、私が驚いたのは、緬羊がわりにぢつとからだを委せきりにしてゐる神妙さであつた。さすがに、時間がたつにつれて、多少倦きてきた風はみえたが、人間の子供が頭を刈らせる時よりはずつと聞きわけがよく、これも、本能的な習性をすでに身につけてゐるやうにみうけられた。

          *

 動物の習性については、もちろんいろいろな例を学んだ覚えもあり、今さら事新しくそれについて考察をめぐらすまでもないのであるが、私がこゝで問題にしたいのは、最初の牝山羊の例であつて、子供の時から乳を撫でる習慣をつけておくといふ話は、本能的な習性とも多少趣きを異にし、かつ、ちよつと普通の訓練といふこととも違ひ、なにかそこに微妙な面白味があるやうに思はれる。

 それは、人間が社会生活を円滑に営むために、是非とも具へてゐなければならぬ一種の「感覚」──道徳とか法律とか、または、その他の約束に類するものでない──に通じる、云はば後天的な習性ともいふべきものだからである。

 われわれ人間が、実は、それぞれの意志によつて行動する範囲といふものは極めて少く、その大部分は欲望によつて、厳密に云へば、習性化された衝動のおもむくまゝに日常の行為を営むものであることは、ラツセルなどの指摘するとほりである。

 牝山羊が人間におとなしく乳をしぼらせるといふ事実は、われわれ人間が、幼時から、よかれあしかれ、周囲の手によつてある種の習性を与へられ、その習性から生涯逃れることのできぬといふ運命を暗示するもののやうである。

 人間にしても家畜にしても、いはゆる「訓練」によつて一定の秩序ある、目的をもつた行動を営み得るといふことは、これはまた別な話であつて、「訓練」には、つねに罰則と奨励法が設けられ、多少とも強制が伴ふものであるけれども、直接の目的をもたぬ特定の刺戟に慣れて、いつの間にかその刺戟を不思議とも不快とも感じなくなる生理的心理的状態は、更に、ある選択された「衝動」の誘発を手段として、一定の行動にそれらを導く可能性と同様、一般に考へられてゐる「訓練」の概念よりもむしろ、「知らず識らず与へられる習慣」に近いものである。

 この習性には、文字どほり機械的なものもあるにはあるが、家畜のたぐひが功利的な人間の飼育に適するやう不自然に附与された習性ほど、考へてみれば悲しいものはない。しかも、その人間がまた、正常な社会生活の環境のうちにではなく、卑俗な世間の手によつて、家畜の様に飼ひならされ、惨めにも「人間の特権」を放棄してゐるものがあるかと思へば、また一方、教育は単に衣裳として「原始的衝動」の裸身をつゝむにすぎず、生れ落ちてから今日まで、逆に「社会人」として最も好ましからぬ習性を身につけてしまひ、行動のはしばしにかゝる習性の如何ともすべからざるすがたを暴露してゐるものが数知れずあるのである。

          *

 満員の電車の中へ、母親らしい中年の女が男の子の手を引いて乗り込んで来た。多くの人々がするやうに、その女も空席はないかときよろきよろあたりを見廻す。むろん、ない。諦めて、やつと一つの吊り革に手をかける。男の子は小学校にあがるのにはまだ間のある年頃で、それでも、出来あひの学生服かなんかを着せられてゐる。彼は、母親の手に縋りつき、電車がゆれると、やゝ大袈裟にひよろけてみせ、母親に一種の合図をする。が、母親はまだ相手にしない。すると、背のびをして窓から外を眺める風をし、母親に七分、すぐ前の席に腰かけてゐる小父さんに三分といふ気味あひで、窓の外がみたいといふ意志をほのめかす。──そんなこと云つたつてダメよ。席があいてないんですもの。と、母親は、今度は、子供に三分、すぐ前の席にゐる気の弱さうな小父さんに七分の気味あひで、わざと大きな声で云ひきかせる。母親のこの反応は子供を勇気づける。──ようッてば、ねえ、よく見えないんだよう。それに、ボク、だるいんだよう。母親の手をゆすぶり、地団駄をふみ、その隙にちらと小父さんの顔をみる。母親は当惑する。少くとも当惑したやうな表情を示す。──困つたねえ、ボクそんな無理なこと云つちやいやよ。ごらんなさい、いつぱいだわ、どこもかしこも。──ようッたら、よう。──いたいッ、なにすんの、あんた……。母親はどこかをつねられたのである。

 すぐ前の席の小父さんが、この時、やをら腰をあげる。母親はすかさず、──おそれいります。すみませんですねえ。さ、あがるなら靴はぬぐのよ! これは、子供の我儘と云つてはすまされない、手の込んだ芝居である。芝居ではあるが、かゝる芝居を演じる子供の心理には、もう既に「かうすればかうなる」といふ筋書を呑みこんだ、一定行動を導く習性が生れつゝあることを見逃がし得ない。この習性は、まづなによりも母親、家族、先生、それから世の中の大人たちが、子供の本性としての自己中心の衝動を絶えずゆるし、または誘発する傾向に乗じて次第に形づくられるものである。

          *

 自分のことしか考へられないものとは、「自分」がまつたく見えなくなつてゐるもののことである。つまり、「自我」の意識のみあつて、「自我」の認識をかくことである。「自己を中心とする世界」といふものはある。それは、あるにはあるが、たゞ、自己の主観のなかでのみ存在をゆるされる世界であり、なんびとの言動も、かゝる主観のみを土台とする場合、その言動は、「社会人の言動として」公正であり得ないことは当然である。

 利己的といふことは、かゝる言動の一部には違ひないが、全体ではない。意識的に自己の利益のみを考へ、他の迷惑を顧みない言動について、私は今更なにも云ふことはないのである。

 損得の問題をはなれ、たゞ、なににつけても自分のことばかりが気になり、なにをするにも、自分のことで頭がいつぱいだといふ風な人物の性格には、どこか一徹で、正直で、臆病で、間が抜けたところがある。個人的に観察すれば、それほど排斥すべきところはなく、むしろ、愛嬌の掬すべきものさへあり、そのうへ、ある才能に於てすぐれてゐれば、立派にその道では通用する器である。

 ところが、この性格は、前にも述べたとほり、幼少時から身につけた習性が募りつのつたすがたであり、「自己を中心とする世界」以外に心の棲家をもたなかつたものの宿命的な成長ぶりである。しばしば、それは、立身出世の夢と結びつき、さらに、失意の連続による自卑ともつながり、いづれにせよ、知らず識らず、「自己を中心とする世界」が殻のやうにその全生活をつつみ、精神のあらゆる襞にまつはり、言動のいつさいを支配してゐるのである。

          *

 精神のはたらきが既に絶えず「自己中心の世界」を形づくるやうな習性をもつてゐるのであるから、そこには、また、つねに観念の固定、あるひは凝結といふ特殊な傾向が生じる。つまり、頭脳活動の局部への偏しかたが甚だしいといふ現象である。云ひかへれば、あることを一途に思ひつめると、そのことに関連のあるすべての点に眼が届かなくなるといふ状態である。

 かういふ精神のはたらき方は、元来小児特有のものであることも注意すべきである。しかも、それが、大人の場合は、より一層柔軟性のない、容易にほぐれ難い性質を帯びる。従つて、それは、抜くべからざる先入観の基礎となり、「知つてゐることしか解らぬ」俗見の源をつくる。視野の狭さ、見解の狭さとは、知識の乏しさを云ふのではなく、思念の框のみすぼらしい限界をいふのである。

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 謂はゆる「ヒューマニスト」とは、人間探究の道を倦まず歩むもののことである。すなはち、人間の全貌を「在るがまゝ」に見、そして、その「在るべきすがた」をも捉へることが、ヒューマニストの到達点である。この努力の結果は自己中心の世界からは決して生れないある種の精神の作業を必要とする。

          *

 人間尊重の気風を阻み、萎靡させる原因の一つは、個々に通じる「自我」と一個の歪められた「自己」との混同にある。

 己れをもつて他を律するものは、真の「自我」を永久に見失ふ。

「自我」の発見に先立つものは、云ふまでもなく「自己」を「自己中心の世界」から解放することである。

          *

 どんな世界でも「自己中心の世界」を透してでなければ見えないといふ心理状態は、精神のはたらきといふ面からみて、人間と人間との協力を最も妨げる精神の在り方である。それは、悪意なく他人の邪魔をし、心ならずも孤独となることである。

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 あなたはあなたの悲しみによつてわたしを悲しませ、あなたの悲しみは、それによつて半分になるとおつしやるが、わたしは、わたしの幸福によつてあなたを幸福にし、それによつてわたしは自分の幸福を二倍にしたいと希つてゐる。

 しかし、わたしは、あなたの悲しみを半ば分ちもつことで、もうすでに、自分の幸福が二倍になつたやうに感じる。

 あゝ、わたしの幸福は、かうして、間もなく四倍になり十六倍になるだらう。

          *

 恋愛心理は「自己を中心とする世界」のひとつの代表的風景であるが「自己を語る興味」なかに示される「自己」そのものの位置についても、その傾向の著しい場合がみとめられる。「自己を客観する」といふけれども、その眼はやはり自己の眼である以上、自己本来のすがたは争へない二重の性格を帯びて浮びあがる。自慰と自虐、偽善と偽悪。恋愛がつねに、自己拡大と自己縮少の二作用を出ないといふことと頗るよく似てゐる。

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「自己を中心とする世界」に安住することは、現実の生活では望み得ないことであり、また、仮に、望み得たとしても、それが果して我が意に叶ふかどうかは必ずしも保証できぬといふことを、案外、人は気づいてゐないやうである。そこで、さういふ世界が最も住み心地よささうに思はれる理由は、たゞ、幼少時から身につけた習性によるものである。

 無礼講と云ひ、傍若無人と云ひ、お山の大将といふが如き世界への素朴なわれわれの憧憬は、この悲しき習性が現実世界の厳しい抵抗に遇つて少しも怯まず、虎視眈々として隙をねらつてゐる証拠である。

「我田引水」こそ、半ば無意識になされる現実世界への滑稽でしぶとい挑戦であり、「自分のことを棚にあげる」式は、これまた自己中心の世界を守らうとする反射的な身構えにほかならぬ。

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 最も献身的と思はれるやうな行為が、やゝもすれば、最も自己中心の世界のなかで行はれるのは、われわれの周囲ではそれほど珍らしいことではない。

          *

 われわれは、自分の眼と他人の眼との区別を軽視しがちである。すべて自分が見てゐるやうにひとも見てゐるといふ錯覚に陥るのである。それはまた、自分自身の全貌を見失ふことである。「馬脚」が現はれたり、「尻尾」を出したり、「頭だけ」かくして安心したりするのはまさにそのためである。

「自分の眼」をちやんともつてゐるといふことは決して生やさしいことではない。しかも、自分の眼だけしかもたぬといふことは、どうかすると、見落してはならぬものを見落す危険がある。

 とは云へ、「何もかもみてゐる」と公言するものがあれば、それは嘘にきまつてゐる。そして、さう信じこんでゐるものは、狂人とみて差支へあるまい。

          *

 希望的観測ほどその誤りを他の罪に帰したがるものはない。

          *

 われわれは何をもつて不満となすか?

 周囲に悪徳がはびこることよりも、隣人が不当な給料に甘んじてゐることよりも、議員が醜態を演じることよりも、平和の鐘がいつまでも世界に鳴り響かないことよりも、なによりもかによりも、まづ、自分の存在が無視され、自分の要求が斥けられ、自分の安全がおびやかされることである。

 が、それだけなら、まだまだ凡人の常として大目に見られないことはない。まして、それをもつて直ちに、「自己中心の物の考へ方」とばかり断じ去ることはできないのである。

 ところで、われわれの悲しき習性は、自己を中心としない一切の世界が、自己の為めのみに存在しないといふことを、限りなく不満に思はしめる。

 不必要に、絶えず暗鬱な表情にとざされてゐる民族の風貌はこゝからも来てゐる。

          *

「自己を中心とする世界」を絶えず精神のはたらきの場所とする習性は、また、自分をも含む一つの世界からいつの間にか自分をはみ出させてゐるものである。

 自分とまつたく関係のない世界といふものが自分の近くの周囲にざらにあるやうに思ひ込む結果、その世界の一員としての当然の役割を忘却する。

 主役でなければ「出る幕でない」とうそぶく役者。

          *

──雨が降りだした。天は僕のために泣いてゐる。ハッハッハ。さようなら!

──いゝ文句だ。しかし、傘はないかい?

──ない。

──弱つたな。

──いや、なに。今日は、僕、どこへも出んつもりだ。


──あんな愚劣な客は断つたらいゝだらう。こつちでおとなしくレコードをかけてるのに、下手くそな歌なんぞがなり立てやがつて……。


──どこへ行つても人がじろじろ顔を見やがるんで閉口したよ。

──なぜお前の顔なんか見るんだい?

──そら、おふくろがさ、新聞に名前が出たらう?

──へえ?


──君、君、ちよつと窓をあけてくれませんか。さつきから呼吸がつまりさうで。

──この窓? とんでもない。僕、風邪をひきさうなんだ。すまないが、外へ出て空気を吸つてくれたまへ。


──癪にさはるつたら、ないの。どのボートもどのボートも、ひとの漕いでいく方へ漕いで来てさ。だから、十メートルも漕ぐと、もうぶつかりさうになるのよ。


──日本の再建はまづ石炭から。

──祖国の復興はまづ貸金の値上から。

──平和国家の創造はまづダンスから。

──おくればせながら、民主精神の確立はまづ学校から。


──当村の供米成績は割当量の五十一パーセント、全郡第一の好成績を収めたわけで、まことに御同慶の至りです。

──さう云へば、隣のA村は、最初五十三パーセントと報告されたのが、実は計算の誤りで、結局五十パーセントに満たないことがわかり、第一位が当村にまはつて来たらしい。

──そいつは儲けもんだ。すべてがさういきたいね。


──類焼に遭はれたさうで、ご災難でした。

──いや、ところがね、運よく友人が二人遊びに来てましてね。これがわしの家の荷物をあらかた運んでくれてゐるうちに、自分の家をすつかり焼かれちまつたんですよ。おまけにね、幸ひなことに、家は借家と来てますからね。


──今日の会議はつまらん会議さ。こつちの言ひ分はなにひとつそのまゝ通らず、有象無象が勝手な熱を吐きやがつて、せつかく練りに練つた案も骨ぬきさ。


亀──狡いよ、君は!

兎──どうして?

亀──だつて「ひと眠り」しないんだもの。


──さあ、入口を塞がないで奥へはいつてください。

──おれはぢきに降りるんだ。

──こつちはすぐ乗りたいんだ。


──おれのこれほどの親切がわからんのかなあ、あいつは?

──おれは、あいつを得意にさせるためにあいつの親切を受けなければならん義務はまづないからなあ。


──なに、つまらんもんだが、たゞ、ほんのお礼のしるしだ。

──つまらんしるしか。そんなものは貰はんよ。


──こゝは真つ暗でなんにも見えやしない。

──ありがたい。お前もその見えないもののひとつだ。


「人間らしさ」といふこと


 最近の新聞に掲載された一学生の投書が私の目についた。「主張と感情」といふ題で、日比谷公会堂で行はれた放送討論会に出席した時の感想が述べられてゐる。要するに、労働戦線の統一を妨げてゐるのは、各派の主張の相違といふよりもむしろそれぞれの感情の対立にありはせぬかといふ論旨で、それは別にとりたてて言ふほどのことはないが、私が特にこゝで引用したいのは、当日の討論会を通じてかういふ印象を受けたこの青年が、最後に附け加へてゐる一言である。

──演説の最中に野次を飛ばし、相手のいふことを全然聴かうとしないで、たゞわめくことに興味をもつてゐると思はれる者がある場合、もちろんその者自身の自己反省は必要だが、まはりにゐる人々がなぜそれに対して注意をしないかといふことである。かへつて「黙れ」とか「うるさい」とか言つて会の進行を妨げるだけである。かうした感じをもつたのは決して私一人ではあるまい。心の中ではにが〳〵しく思つてゐながら、それを少しでもなくさうとしないのは、無気力といふか何といふか、こんな問題も自己の主張に忠実なれといふ点から考へられるべきである。


 このことはいつたいどういふことであらうか? 考へれば考へるほど、たゞごとではすまされない事実なのである。

 これとよく似た例は、われわれの間ではそんなに珍らしいことではなく、それなら誰も気にしなくなつてゐるかといふと、決してさうではない。この学生も言つてゐるとほり、お互に「にが〳〵しく」思つてゐるだけで、どうにもならないのである。

 先日、私は中央線のある駅の前で、牛車を挽く男が、疲れて膝をついてゐる牛を、力まかせに丸太ん棒で殴つてゐるのを目撃した。そして、それを取り囲んでゐる人々の誰ひとり、これをどうすることもできないでゐるのである。それよりもつと驚くべき例をあげると、最近、新聞に出てゐたことであるが、電車の中で警官がスリをみつけてつかまへようとしたところ、そのスリが大あばれにあばれて警官に傷を負はせるに至つたのだが、それを乗客のすべてが見物してゐてだれも手をかさうとしなかつたといふことである。

 禁煙の場所で、ちよいちよい煙草をふかしてゐる男を近頃みかける。群集の視線は明らかにその男の傍若無人をなじつてゐるのだけれども、それだけではなんの効き目もない。

 念のために断つておくが、私は、今こゝで、牛を殴る男や暴力をふるふスリや煙草をすふ男を問題にしてゐるのではない。その周囲の人々を問題にしてゐるのである。つまり、それらの人々の同様に「惨めなすがた」を問題にしてゐるのである。「人間らしさ」といふことを、かういふ面から見ていくことは誤りであらうか?

          *

 つくづく思ふことは、われわれ日本人は、決して人並の「人間らしさ」をもつてゐないわけではない。たゞ、それがそのまゝのかたちで現はれてゐないのである。それがそのまゝのかたちで現はれることを阻む「何か」があるのである。その「何か」とはなんであらうか?

 前回の手紙で述べた「悲しき習性」といふことにも関係がある。つまり、「自己中心」の物の考へ方である。同情とか、正義感とかいふやうなものさへ、自分本位の感情を出ないからである。従つてさういふ感情のおほやけの表示が、どんな反響を呼ぶかといふこと、自分がその結果どんな立場に立つかといふことしか考へないのである。一対一の対決を余儀なくされた場合の利不利を直感するからである。結局、事面倒になるおそれのあることは差控へるくせがついてしまつてゐるのである。「さはらぬ神に祟りなし」である。

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 ところで、これは、煎じつめれば、必ずしも個人の罪ではなく、お互がさういふ習性を身につけるに至つた原因が、やはり、さういふ性格の「周囲」にあるのであつて、よほど運がよくなければ、個人の正しい考へや行動が、「周囲」の支持を公然受けることはむづかしいといふ実情をわれわれは身に泌みて知つてゐる。いつかそれが自然の身構へになつてゐることは、誰よりもわれわれ自身がよく心得てゐるのである。

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 云はば、直接個人の利害に係ること以外、まつたく無関心とも見える周囲の眼を感じながら、われわれは自分の行動を律しなければならぬ時がある。それと同時に、人々の注意をひくといふことの意味が、われわれの間では、不自然に誇張されてゐる。つまらぬことで人の眼をみはらせようとするものがあるかと思へば、別に恥づべきいはれもないのに、むやみに人の間で目立つことをおそれるものもゐるのである。そして、いづれもその極端なものは、人間の「人間らしい」すがたを失つてゐるのである。

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 これもついせんだつてのこと、汽車のなかで、一人の専門学校の学生が通路に立つたまゝで本を読んでゐたところ、急激な車体の動揺のために重心を失ひ、片手を傍らの座席の背へもつて行くはずみに、そこへ腰をかけてゐた老紳士──特に紳士といふのは、その老人がいかにもさういふ風な型の人物であつたからであるが──の頭を横なぐりに肱で小突いたらしい。あつといふ間もない出来事である。「どうもすみません」と頭をさげてゐるその学生と、それにはなんとも答へず、さも言語道断であると云はぬばかりに、肩をゆすり、口を尖らし、額に三角の皺をよせて学生をにらみつけ、しかも、その表情であたりの人々の顔を眺めまはしながら、威厳だけは崩すまいとしてゐる老紳士との対照が、私には実に異様に感じられた。

 学生は一旦恐縮はしたが、相手のとりつく島のない態度にすつかり度を失ひ、おまけに周囲の無表情な視線に取り囲まれてやりきれなくなり、じりじりとその場から遠ざかつた。無理もないことである。

 が、ひるがへつて、一方の老紳士の心理と、その態度とについて考へてみると、これはまたなんといふ「人間らしからざる」すがたを示してゐることであらう! 私は、かういふ人物を一番軽蔑しないではゐられない。そして、かういふ人物が、われわれの間には非常に多いのである。

 悪意はむろんなく、過失と云つてもほとんど不注意とさへ云へないほどの、誰にでも起りがちな粗忽である。たとへそのために自分にどんな災害が及ばうと、咄嗟の不快感に自分の感情のすべてを支配させ、それを当の相手にぶつけて、それでよしとしてゐられるといふことは、よほど「人間として」はどうかしてゐるのである。

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 その学生のやり場のない眼が、若し仮に、その時、周囲の人々の視線のなかに、「気をつけたまへ、君は運がわるい。とんだひとの頭がそばにあつたもんだ」と言ひたげに笑ひかける眼を発見したとしたら、彼はまことに救はれるであらう。人間は、つねに自分の周囲にさういふ眼を求めてゐるのである。人間の心が触れ合ふといふのは、小さい例ではあるが、さういふ時のことをいふのである。

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 信州のある鉄道の駅長で鉄道職員には珍らしい型の人物を私は識つてゐる。その駅で乗り降りをしたものならすぐに気のつくぐらゐ万事に行き届いた駅で、ちようど乗換駅である関係から、駅員の指図に従つて、乗客は一糸乱れず、しかも、和気あいあいと車を降り、車に乗るといふたのもしい駅であるが、私はこの駅長とたびたび雑談を交す機会があつた。

 その駅長が、ある時、踏切番の仕事について面白い話をしてくれた。

 それは、彼がその任務について部下を訓へるのに、かういふ簡単な「原則」をまづのみこませるやうにしてゐるといふ。すなはち、「踏切番は、人を通さないのが目的ではなく、人を通すのが目的の仕事である。これをあべこべに考へると、この仕事はダメである。」なるほどさう云はれてみると、われわれにはよくわかる。踏切を遮断するといふことが目的の仕事であるかのやうな印象を受けるのは、微妙なところで、踏切番の「心得違ひ」を暴露してゐるからであらう。しかも、これはいろいろなことにあてはまる「原則」の履き違ひのやうに思はれる。

 こゝにも亦たゞ単に、「仕事の上手下手」ではすまされぬ「人間らしさ」の問題が含まれるわけである。なぜなら、踏切を「早く、完全に通す」といふ心遣ひと、自分の職務に落度さへなければ、通行人の迷惑は顧慮しないといふ料簡とは、もちろん格段の差があるばかりでなく、どうかすると、微々たる職権を濫用して他人の行動の自由を束縛し、一種の優越感にひたらうとする野蛮な心情が無意識に頭をもたげないとは限らないからである。

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「人間らしさ」を、時には「人間性」と呼んでもよい。それは、一面は神に通じ、一面は悪魔に通じるすがたには相違ないが、それはまた、絶対に機械のやうではなく、獣の如くでもないことである。

「人間らしさ」とは、また、「かくある人間」のすがたを通して、「かくあるべき人間」のすがたを映してゐることである。

 人間の「かくあるべき」すがた、すなはち、人間の典型の喪失が、われわれの不幸の大きな原因である。

 狂信(フアナチスム)、公式主義、無関心、暴力沙汰、極端な猜疑心、などが、「人間らしさ」から最も遠い人間のすがたであることは云ふまでもない。

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「人間らしさ」をいはゆる「人間味」と解するのはまだいゝとして、──むろん、これも同じものではないが──「人間の弱さ」と同一視する奇怪な傾向が、従来、われわれの周囲の流行であつた。かゝる曲解はなにに原因するか? そして、なんびとの罪であつたか?

 そのために、わが国では「人間性」といふものの厳粛さが、いまだに多くの人々に理解されずにゐるのである。つまり、「人間否定」の潜在的信仰から脱しきれずにゐるのであらう。この偉大な思想の残骸を抱いて、不用意に近代の洗礼を受けざるを得なかつたわれわれは、この思想を再び活かし、更にこれを偉大ならしめる真の「人間発見」の道程をおそらく踏みつゝあることにも気づかねばならぬ。

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「人情」といふ言葉ほどわれわれの精神を麻痺させる言葉はない。「人情」を「人間的感情」と混同することははなはだ危険である。なぜなら、「人情」とは、時には低俗な感傷をもそれが世の常の人のこゝろとして肯定しようとするものだからである。従つてそれは高貴な人間生活を眼ざすものではなく、単なる市井人としての自慰に類することが多い。たゞ、それすらも失はれた状態を、人はなげく。しかし、それはまさしく外部の条件によつて姿を消すやうな性質のものだといふ証拠である。

「義理人情」といふことになると、すこしわけが違つて来る。義理と人情とを対立させる場合をのぞき、この二つをひつくるめると、それは、ある意味で、人間の生き方にひとつの基準を与へるものである。もちろん、封建的道徳と云はれるものは、これであるが、このなかにもなほ、古今を貫く「人間らしさ」のおぼろげな探究といふものが見られなくはない。不幸にして、われわれの祖先は、道徳的にも驚くべき形式主義者であつた。秩序を保つための形式が、成長を遂げるべき本来の精神を扼殺したのである。

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「人間らしさ」を測る尺度のやうなものはないであらうか? 「美しさ」を計る目盛りがないやうに、そんなものはないと答へることは容易である。しかし、事実、なにかしら「あるもの」が一人の人間のすがたのうちに見られる程度によつて、その人間の「人間らしさ」を、やや一面的にしてもほゞ誤りなく評価することができさうに思へる。

 その「あるもの」とは、いつたいなんであらう?

 私は、それを、「人間尊重」といふ言葉であらはしたい。

「人間尊重」は、しかし、必ずしも人間万能の思想を伴ふとは限らぬ。まして、唯我独尊とは対蹠的なものである。

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「人間らしさ」の完璧なすがたは、人間の「典型」に与へられる特質のすべてである。時代は、それぞれの経験と好みとによつて、その「典型」を創りだす。

「典型」は進化するのである。

 現代人の典型とは、現代が生んだ「かくある」人間の代表的な型を指すもののやうであるが、それとは別に、現代の求める「かくあるべき」人間のすがたを想ひ描くことは、決して無駄なことではあるまい。

 かゝる「新しい典型」は、過去のいづれのそれとも違つてゐていゝはずである。そこでは、「人間らしさ」の新しい要素が、──少くとも、新しく重要さを加へた要素が目立つてゐなくてはならぬ。

 その意味で、私は、人道主義をはるかに超えたヒューマニズムの歴史に、わが民族の決意が織り込まれる時が来てほしいと思ふ。

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「我身つねつて人の痛さを知れ」といふ平俗な訓へほど、「人間らしさ」の初歩を皮肉に喝破した言葉はない。

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 めいめいの世界などといふものはめいめいの幻想にすぎぬ。幻想を弄ぶものはあつてもよい。しかし、自分一人の世界からものを言ふ人間を残らず引き出せ!

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「われわれ軍人は……」と叫んだ軍人の多くは、自分以外の軍人のことをあまり考へてゐなかつた。「われわれ労働者は……」と叫ぶものはどうであらう!


「女なんていふものは」と、口で言ふのと、肚で思ふのとは、たいへんな違ひである。そして、そのいづれであるかは、「をんな」といふ発音だけですぐにわかる。


「道徳家」といはれる人間の「人間らしさ」からの遠さは、どこから来るか? 良心がゆすぶられていないと思ひこんでゐる、または思ひこませようとする表情から来る。


 ところで、「人間らしさ」の新規で安直な看板は、常にある種の懐疑主義乃至悲観説である。


「職業的」でありすぎることの弊は、「人間的」でなくなることだ、とはよく云はれるのだが、しかし、「病める人間」のすがたをそこに見ることもまた必要である。


 犬が人間のあるものより「人間らしい」などといふ論法は決して成り立たない。


 機械文明を呪ふ声のうちに、人間が自分の作つた機械に支配されるといふ事実に対する警告がまじつてゐる。さういふ事実はなくはない。しかし、機械のみが、人間を支配する人間以外のものではない筈である。

 つまり、真の機械文明は、まだ、地球上に行き渡らず、人間の典型が、「機械」との距離によつて、二つに分れようとしてゐる時代である。


「事務的」といふことを軽蔑する気風がある種の人々のなかにある。それは多少、「人間らしさ」の邪魔になるやうな印象を与へる表現でもあり、また、事実、時によるとさういふ一面もあるからであらう。が、果してつねにさうであらうか!

「事務的」な人間といふのはなにごとでも「事務的」にかたづけようとするから、それがひとつの人間の型になつて「人間らしさ」から遠ざかるので、「事務的」なことは「事務的」に処理するのが一番「人間らしい」といふことをも一方、近代生活は教へてゐるのである。「甚だ事務的でない」とは卑下とも自慢ともつかぬ挨拶である。が、自らさう標榜しながら、案外さうでもない風流人がゐるのはその証拠である。


「自己に忠実である」といふことの意味がしばしば安易に考へられてゐる。こゝで「自己」といふのは、「最も人間らしい自己」をおいてほかにあらう道理はない。

 自己に忠実であるためには、それを妨げる一切のものとの闘ひが予想されなければならぬ。「自己」以外のもの、自己内部の自己にあらざるもの、そんなものから区別される純粋に「自己」と言ひ得るものの認識のうへに立たなければ、「自己」に忠実であるもくそもないのである。


 しよせん、「人間らしさ」とは、人間が時として極めて困難な道を歩くことである。

 周囲一切のものから手を切らなければならぬことがある。孤独に徹することはこのことである。


 こゝで「人間らしさ」の両端ともいへるすがたがはつきり浮びあがる。すなはち、人間と人間との完全な結合のうちにそのひとつがあり、人間と人間との永久の離別のなかにそのひとつがあるのである。


歪められた「対人意識」について


 人間が社会を作るといふことは当り前なことであるが、社会が人間を作るといふこともまた議論の余地のないことである。

 しかし、複雑な人間の精神のはたらきと、社会の複雑なからくりとの間に、たとへどんな関係が成り立つにしても、さう簡単にそれらの関係の原則を発見することはできない。人間教育と社会革命とが、常に別々の角度からとりあげられざるを得ないのをみてもわかる通り、問題は微妙にからみ合つて、われわれの明日への夢想は、果てしのない平行の二つの流れとなるのである。

          *

 それにしても、日本の現状を憂ふるものの眼に、混濁したこの二つの流れは、その源を一つにしてゐることがおぼろげながら察せられなくもない。そして、その源をこれと指し示す明確な言葉を私はさがしあぐねてゐるのである。

 なにかしら、あるかたちをもつたもの、わかるものにはわかつてゐる筈の特殊なニュアンスをおびた現象の如きものである。

 強ひて云ふならば、人間対人間の相互関係に於けるどうにもならぬ「不自然さ」、われわれの対人意識のなかにみられる一種の感覚の欠如とも名づけ得べきものである。

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 われわれは、どういふ人間に対する場合でも、その相手をまづ「一個の人間」としてみる前に、その「人間」に附随した様々な条件、その人間を他の人間と区別する属性の方をそれだけとして極端に重くみる傾向がはなはだしい。

 このことは、ほんとによく考へてみないとわからない。それが普通のことだと思つてゐるものにはなほさらさうである。人間を「人間」としてみるといふことは、人間を抽象化してみることではない。また、「人間」以外のいつさいのものとの識別といふやうな単純なことでもない。そもそも、「一個の人間」とは、様々な条件によつて他と区別され得る「何某」のことではないか、といふ反駁にも答へなければならぬ。それはそれでいゝのである。その何某は、如何なる属性によつて他と区別されようとも、もともと「人間」であることが第一の前提であり、その意味では他の誰かれとひとしい運命のもとに生き、その本性だけがわれわれを無条件に結びつけるのであつて、「何某」であることによつて、自分を含めた他の如何なる人間とも本質的変化を生ずるものではない。さういふ「一個の人間」を如何なる場合にも、心の底でまづ受けとる習慣がわれわれには根本的に欠けてゐるといふことを云ひたいのである。

 試みに、虚心坦懐に、周囲の人物を心に想ひ浮べてみよう。それらの人物に直接話しかける時、われわれは、その社会的地位、職業、自分との特殊関係の有無、年配のちがひ、身分風体、などによつて、ほとんど応対の調子をまつたく変へてかゝるのが普通である。調子がいくぶん変るといふのなら、それはまだ自然かも知れない。しかし、まつたく変るといふ変りやうは、それらの相手のどれにもひとしく通じる筈の土台の感情といふものがどこかへすがたを消してゐることを明らかに示すものである。

 われわれ日本人は、どんな人物に対しても、その人物が「目上か目下か」をまづ気にかける。その結果、目上とみればなにもかもが目上を標準とし、目下とみるといつさいすべてが目下の扱ひといふことになる。

 つぎに、相手は自分にどれだけのことをしてくれる人物であるかを素早く見てとらうとする。云ひかへれば、応対の呼吸をその計算のうへにおくのである。もちろん、つむじ曲りもなくはない。虫の居どころで剣つくも喰はすであらうけれど、相手を単なる取引の相手としてみる見方に変りはない。

 さて、そのつぎには、旧知の間柄か、初対面かによつて、更に、初対面でも、誰かの紹介があるかないか、名前を知つてゐたかゐないか、同窓か、同郷か、などによつて、ほとんど別人のやうに態度が違ふ。態度が違ふのは無意識と云つてよく、なによりも親疎の感情と警戒心の強弱に一切が左右される。

 更に、異性の場合は、以上のことがらを含めて、その異性であるといふことに必要以上の神経を使ふ。このことは重大な事柄であるに拘らず、あまり誰も気にとめてゐない。男女ひとしく「人間」として相対し、相語る一面のごく稀であることは、われわれの日常生活を貧しく、薄ぎたないものにしてゐる。

          *

 要するに、われわれの周囲を取り巻くものは、それぞれに「一個の人間」であるのに、われわれには、その「人間」といふ実体がぴんと来ず、それらは、なるほど「人間」の仲間かも知れぬが、むしろそんなことよりも、肩書であり、商売であり、旧知であり、未知であり、時には好感がもてるもてないであり、更に肉身であり、恩人であり、仇敵であり、競争相手であり、泥棒であり、馬の骨であり、女ならば、人妻か処女か、素人かくろうとか、(この言葉に注意せよ)それが一切である。

          *

 かゝる対人意識は、表面的には、それで別に差支へないと思はれるかも知れぬが、人間同士の接触がこれですべてをすましてゐるといふ現象は、決して他の国にはみられぬものだと私はひそかに考へる。

 この由々しいことが、どうして今日まで問題として取りあげられなかつたであらう? それが封建的、非民主的な所以だと云つてしまへばそれまでであるが、決してそれだけでは問題の核心にふれてはゐない。なぜなら、封建制を批判し、民主主義を唱へた多くの日本人が、やはり、かゝる対人意識をもち、自ら省みるところがまだまだ足りなかつたやうに思はれるからである。

 日本人の不幸の多くと、日本の社会の病弊のほとんどすべては、この、われわれの対人間意識の「不健全」に基くと云ひ切ることはできないであらうか? 私は、そのことをますます強く信じるやうになつた。

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 これは結局、「人間的自覚」の問題に帰着するわけで、さうだとすれば、そんなことはもう云ひふるされたことだ、と考へられなくはない。たしかに、「人間的自覚」と云ひ、ヒューマニズムといひ、われわれはずゐぶんいろいろの人から、それについて聴かされた。私はそれらの説教の効能について疑ひをさしはさんでゐるのである。響くべきところへ響かない鐘の音の性質について考へてみたいのである。

「人間的自覚」とは、人間としての「自我」の発見を云ふにしても、「自我」の発見とは、また同時に、他人のなかの「人間」の発見であるといふことを、われわれはもつともつと強調してもよささうである。

 問題は、「人形の家」で止まつてはならぬ。「人形の家」には、より遠い問題の示唆と発展がある筈である。

 それにしても、今日までの経過をみると、わが国に於ける西欧ヒューマニズムの紹介は、多くは序説の繰り返しに終り、本論各章の解明に力を入れることが案外少かつた憾みはないであらうか?

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 相手も「人間」だといふのでたかをくゝり、あるひは、みくびつてかゝることは、自分が「人間」であることをほんとにはわかつてゐないことである。「人間」であることの意味は、その弱さや醜さのために軽くなりはしない。

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 われわれは、お互のいざこざ、殊に、わけもなく暴言を吐き、暴力にまで訴へるいざこざをみて、たゞ、「感情に走り易い」と云つて片づける。ところが、その走り易い感情とはいつたいぜんたいどんな感情であらうか? 人間尊重の感情が少しでもそれに含まれてゐれば幸ひである。

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 外国の婦人で日本人の細君になつてゐる、と云つても、私の識つてゐるのはおもにフランスの女だが、その日本人の夫君について、親しい会話の最中、しばしば「彼は非常にやさしいことはやさしいのだが、一方で、おそろしく意地わるなところがある。おゝ、なんといふ性格!」といふ甘ずつぱい批難を聞かされたものである。かく云ふ私自身も、彼地で懇ろにした女どもから二言めには、mauvais caractére! と、思ひがけぬ時に、たしなめられた。

 これは日本の女性が、「あら、意地わる!」と軽くにらむやうな眼つきで云ふ、あれとはよほど程度のちがつたもので、ほとほと愛想がつきるとでも云ひたげな、実に手の焼ける、女にとつては味気ない種類のものらしい。それは、一と口に云へば、相手の気持をちつとも斟酌しない意地つ張りを指すのである。程よく譲歩してみせる、あのゆとりのなさなのである。

 この傾向は、たまたま、フランスの女の神経に強く響くものとみえるのだが、さう云はれてみれば、たしかに、われわれ日本の男には、女性、特に、自分の所有物と考へてゐる女性に対して、一種の見栄のやうに「意地を張る」ところがある。些細なことであるけれども、このへんに、われわれの歪められた女性観、人間観が尻尾を出してゐるやうに思ふ。

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 近頃、新聞の投書欄に、毎夜の停電について面白い注文をつけてゐるのがあつた。いくら必要からとは云へ、時間かまはず、不意に電気を消されるのはまことに殺風景だ。せめて、いよいよ消すといふ前に、まばたきで予告をしてほしい。それが親切といふものだ、と、まあ、ざつとこんな注文である。誰でも「ほんとに」と思ふ注文だが、これが親切といふほどのものかどうか、私は、むしろ、それをしないのは、「人間」ではないと思ふくらゐである。

 こんなことが、人間の世界に行はれてゐることを、それほど不思議と思はなくなつてゐる社会が、日本以外のどこにあらうか?

          *

 せんだつて、また汽車の中で、こんな光景を目撃した。一人の中老の婦人が小さな男の子を連れて乗つてゐる。二人は向ひ合つた座席に腰かけてゐるのだが、男の子の隣にはマドロスパイプをくはへた男が膝の上に膨らんだ鞄をおいて雑誌を読みふけつてゐる。ところが、男の子は、眠りこけて、その頭を隣の男の鞄にのせかけた。男はちよつともぢもぢしてゐたが、それをみた例の中老の婦人は、男の子の頭をぐいと持ちあげ、窓ぎはへ押しつけた。いくどさうしても効き目がない。それは当然である。しかし、彼女は、戯談にではなく、真面目くさつていくどでもそれを繰り返す。男も、それをさせて黙つてみてゐる。熟睡しきつた子供は、頸が頭を支へる力を失つてゐるので、ガクリ、ガクリと起されるたびに前後へのめる。女は意地づくでそれを男の方へ倒すまいと頑張るのである。私は見てゐてくたびれたが、その男か、女かが、どつちからでもいゝ、ひと言、なんとか挨拶のしやうがありさうなものだと思ひながら、時のたつのを待つた。

 この異様な光景は、もちろん、ざらにあるものとは云へないが、しかしまた、わが国でなければ見られない光景のひとつであることに間違ひはない。

 つまり、この二人の大人は、なにかしら当り前な、それゆゑに非常に大事なことがら──お互が人間だといふことを──まつたく忘れてゐるのである。

          *

 汽車の話ばかりになるが、誰にでもわかり易い例だと思ふから、もう二つ三つあげさせてもらふ。

 場所をはつきり云ふと信州の篠ノ井で上りの中央線に乗り換へた時のことである。わりにすいてゐると思つた車は、ちやうど座席いつぱいの人で、見たところ、いづれも普通の二人がけだから、私たちあとから乗り込んだものは、若し、例の三人掛がゆるされるならば、まづ一人も立つてゐる必要のないほどの込みやうである。

 乗り換へのために三時間も待たされた挙句なので、おほかたのものは、いさゝか疲れ気味である。で、通路に荷物だけおろしてほつとした面々は、未練がましくあたりを見廻して、若しや空席が──いや、それは虫がよすぎるとしても、ひよつとすると、近所の席で膝をずらせてくれるものがないとも限らぬ、といふ一縷の望みをすてかねてゐた。

 しかし、さういふ篤志家は一人もゐない。せめて肘掛にでもと尻をもつて行くと、さも既得権を侵害されたやうな眼つきで相手の背中をにらみつけるものがある。

 私は、実を云ふと、あまり長い旅だと閉口するが、幸ひ松本で降りるつもりだつたので、むしろ、この情景を興味半分に眺めてゐた。

 誰か一人ぐらゐ、「ちよつとごめん」といふやうなことでも云つて、どこかの席へ割り込むものがありさうなものだと思ひ、それがきつかけになつて、あつちでもこつちでも三人掛が始まれば、これは面白い、と固唾をのんでゐた。

 また、それとは反対に、誰かが、立つてゐるそばの一人に「もし、しばらく替りませう」と云つて席を譲るか、「ごきゆうくつでせうが、こゝへどうぞ」といふ風に云ひ出すものがあるとすれば、ほかの二人掛先生たちはどうするであらう、とも想像してみたのである。

 二人掛先生たちは、よくトンネルのある場所を心得てゐて、汽笛が鳴る前にたいがい窓を閉める。開けるのも早い。まるで自分の家にゐるやうだ。

 立ちん坊先生たちは、一人しやがみ二人しやがみ、なかには新聞紙を床に敷いて尻をのせるのもゐる。

 私は、さすがに、もう面白くもなんともなくなつて来た。なにかが私をけしかけるのである。──おい、黙つてゐないで、なんとか云へ、と。私は心の中で呟いてみる。──諸君、同じ車のなかで、ゆつくり腰かけてゐるものと、立ち通しで足に力がなくなつてゐるものとが、長い間、そのまゝ顔をつき合はしてゐるといふのは、これはいつたい、たゞごとだらうか? なにか変だとは思はないか? 変だと思つたら、どつちからでも、変でないやうにしたらどうだらう。お互に変なのを我慢してゐるのはなぜだ。誰に遠慮がいるのだ!

 私のこの呟きはむろん声にはならない。それにもう、私は息苦しい。喉になにかがつかへてゐるのである。

 人間が人間に語る言葉としては、どうしても口に出せない言葉なのである。

          *

 これはある地方鉄道の起点になつてゐる駅である。例によつて改札口には行列が作られてゐる。行列は一列である。ところが、いよいよ改札がはじまつた。突如として、改札口が二つになつた。混乱が生じたことは云ふまでもない。一人の老婦人は荷物を背負つたまゝ押し倒された。

 かういふ光景は、しかし、誰でも見馴れてゐて、その原因もはつきりしてゐるから、今さらこの無秩序がどうのかうのといふのではない。問題は、一つの改札口が突如二つになつたことを、駅長の臨機の処置として一応認めたうへで、さて、二つにするならするで、それ相応の予告がなぜ行はれなかつたかといふことである。俗に、気が利いて間が抜けたと称するたぐひのものだけれども、さて、間が抜けるにも抜けやうがある。この場合は、かりにも人間を扱ふ扱ひ方ではないのである。旅客を「貨物のやうに」早く車に積み込むための臨機の処置であつて、折角神妙に行列を作り、その順番を唯一の頼みとしてともかくも秩序に服さうとしてゐる人間を、無惨に裏切る行為である。混乱は自ら秩序を保つ能力のない乗客の責任だ、と、駅長は空嘯くかも知れぬ。然らば、一列励行などといふ看板を掲げぬがよい。

 かの無警告停電と同じく、これまた、人間が人間に対する行為としては重大な感覚喪失であると云はなければならぬ。

 そこで、最後にひとつ変つた例をあげる。さうしてやつと乗り込んだ電車であるが、相変らずの座席あらそひである。夫婦連れが二人の小さな女の子を中にはさんでひろびろと場所を占領した。後れて来た中年の女が、これは子供をおぶつてゐて動作が敏活でない。やつと、例の夫婦連れの男の方の隣へ割込まうとして、「ちよつと、すみませんが、もう少しそつちへ」と嘆願してみる。男は、けんもほろゝに、「ダメだよ。ほかを探しなよ」と、てこでも動きさうにない。すると、突然、なにものが叫んだかと思はれるやうな声で、「その子供を膝へのせるんだよ!」しかし、それは、誰でもない。子供をおぶつた今のおかみさんが、たまりかねたやうに男に喰つてかゝつたのである。

 すると、その声が終らぬうちに、夫婦連れの女の方が、素早く、実にあつさりそばの女の子の一人を膝へ抱きあげた。男は、しかたがなく、腰をずらした。

 なんでもないことである。当り前の「人間のゐる風景」である。しかし、いまどき、いさゝか溜飲のさがる風景である。

 それに、もつと面白いことは、その子供をおぶつたおかみさんと、しぶしぶながら腰をずらした男とは、やがて、沿道の風景について、高原の秋の気配について、リンゴの値段について、ぼそぼそと口を利き合つてゐたことである。

 私は、不覚にも胸がつまつた。私には、かういふことが、そんなにまで感動に値することなのである。

          *

 私は、気がついてみると、あまりにも些細なことがらのみを例に引いてゐるやうである。

 しかし、人間対人間の問題は、その人間がどんな平凡な人間でも、その交渉がどんなに他愛のないものでも、それはおなじである。

 対人間意識の正常であること、健全であることは、そもそも近代文明のイロハであつて、またひとつの大切な根源である。自由平等の精神はこゝからのみ生れると云つてよく、社会の連帯も亦、これによつてその強靭さを増すこともちろんである。

 ところが、今日、誰もかれもしきりに民主的たらんと努めてゐる風はみえるけれども、また、何人の造語にもせよ、いはゆる「文化国家」なる新目標を民衆の前に掲げながら、かんじんかなめの「対人間意識」の歪みを軽々に附することは、われら何を欲しようとも、それはたゞ無駄の一語につきる。

          *

 こゝで、現在のいはゆる「人民政府」当局に試みに思ひついた質問をしてみたい。

 多分内務大臣の管轄かも知れぬが、貴下は何故にあの銀座界隈をうろつく人力車なるものをなんとかせねばならぬと考へられないのか? たとへ本人たちは平気でそれを望まうとも、国民の人間としての矜りを直接間接擁護し、誇示さへもすべく努めなければならぬ政府が、これを公然と許可し、放任しておく法はない。失業者を出す心配なら無用である。彼等は、健脚にものを云はせて、当節需要の多いであらうメッセンヂャアとなるがよい。

 内務省がそれに反対なら、文部省が、社会教育の見地から強くこれを主張すべきである。

 官吏には、「人間として忍びざる心」といふものはないのであらうか?

          *

 人間として「忍びざる心」といふやうな表現をつかふと、ある人々には、「同情心」とか、「憐愍の情」とかいふ概念が頭に浮ぶかも知れぬ。それもなるほど「人間的」な感情にはちがひないが、私のこゝでいふ「忍びざる心」とは、さういふ種類の、云はば相手と自分とを引きくらべ、相手の不幸を意識することによつてひそかな自己満足を味ふといふやうな道徳的感傷に類するものではないのである。自分とおなじ人間が、なにかの原因で、「人間らしからざる」姿を呈してゐるのをみることが堪へられぬほど心苦しく、これをなんとかせねばならぬと思ふ切なる衝動を指すのである。相手のためにさう思ふことは、相手も自分をも含めた人間全体のためにさう思ふことなのである。

 しかし、さう思つたからとて、どうにもならぬことがらはたくさんある。「永遠の悩み」とでもいふべきものであらう。ところが、人々にさういふ気持があるのとないのと、濃いのと薄いのとでは世の中はたいへん違つて来るのである。ことに、人を使ふ立場にあるもの、人を教へ導く任にあるもの、多人数の代表として公けの仕事を引受けてゐるものなどは、この気持がすべてを支配すると云つていゝのである。

 日本国民の一つの弱点が、もし、「どんなあさましいことでも、ひとがすれば自分もする」といふ附和雷同性であるとすれば、それは必ずしも個人を責めることはできない。むしろ、われわれ同胞の多くが、この「人間として忍びざる心」をどこかへ置き忘れてゐるからである。そして、最も注意すべきことは、久しい間に亙るわが国の政治が、小さな政策、行政のはしばしに至るまで、いまだ嘗て「忍びざる心」をもつて、これが行はれたためしがないからである。

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 礼儀作法を説くものは、先づ「長上」に対するそれからではなく、なによりも「人間」相互の礼節から説くがよい。

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「人間らしさ」といふものを、凡人には手の届かぬ聖人君子の徳のやうに思ふものがあれば、それは大間違ひである。

 したがつて、「人間としての忍びざる心」は、それを自然に引きだす力さへあれば、すべての人間の心のうちに育てあげられてゐるべき筈のものなのである。

 私は想ひ起す。おのおのがひと通りさういふ気持をもち、さういふ気持をことごとに示し合つてゐる人間の集りを、日本以外の、文明国と云はれる国々に於て、これを見たことを、都鄙を通じての民衆の生活の隅々でこれを見たことを。

 そこでは掛値なく「悪徳」にさへ「人間らしい」面影が多分にあり、悲惨な風景を前にして、かの「人間としての忍びざる心」がそれを取り巻いてゐる気配が感じられたのである。つまり、それこそが人間生活の常態であると思はれるやうな、よくもわるくも、「人間」に対する一種の安心感は、いつ、いかなる場合とまではいかなくても、しばしば、生きるよろこびと希望とを私に与へてくれた。

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 いま私は、ふと、古い記憶のなかから、どうしても消し去ることのできない「ひとつの場面」を想ひ起してゐる。それは、現実の場面ではないが、一人の日本人の想像の世界のなかになにげなく呼吸してゐる場面である。

 それはわが戦国時代の歴史に材をとつたある注目すべき映画の一場面である。

 主人公である一武士が敵手に捕へられ、取調のため縄つきのまゝ白洲に引き立てられて来たところである。彼は、まづ水を飲ませてくれと申出る。許されて、番卒が柄杓で差出す水に口をあてて飲む。いく口か飲んで、ほつとする途端、番卒は、柄杓に残つた水を、この捕虜たる武士の面上にびしやりとひつかけるのである。まことに無造作なひとつの科である。あゝ、なんといふ描写! なんといふ写実主義!

 私はこの場面だけで、この映画を再び見る気はしないのである。

 なぜなら、それがなんといふことなしに、その番卒の特別な役柄といふ風にはとれないからである。つまり、劇中の一人物の効果的な所作といふ解釈はできず、日本の下級武士は、抵抗力を失つた故に対し、日常茶飯事の如くかういふ取扱ひをしてゐたのだ、といふ印象しか与へぬからである。が、それだけならまだいゝ。私がその時感じた不快感を率直に述べるなら、今の時代にもわれわれの同胞のなかに、この類ひの人間はざらにゐるのだ、といふ証拠を見せつけられるやうであつた。しかも、なによりも心淋しく思ふのは、作家も俳優も、そこまでのことは気がついてゐないらしいといふことである。

 私は断言する──この映画を一外国人に見せたとする。この場面が必ず与へる衝撃は、彼にとつてどんな残忍な描写にも劣らず「胸糞のわるい」ものに違ひない。しかも、これが日本人だといふ事情を決して見逃がさぬであらう。それは、悪魔の行状ではもとよりない。最も卑小な人間の最もけちくさい快楽の表現である。半身は機械、半身は獣とみられるかの奴隷の舌なめずりである。

 これは、拷問や虐殺の非人間的なるより以上に、救ひやうもなく非人間的である。

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 この映画は、たまたま私の記憶に深くとゞめられたものであるが、日本の数多くの映画や芝居や、その他の演芸、読物などについて注意するがよい。作者がことさら悪玉乃至は冷やかな世間の代表として描きだしてゐる人物にしても、その悪玉ぶり、世間の代表ぶりが、実に日本独特のものであり、一方の善玉の美挙快挙にもかゝはらず、これを善玉たらしめるわれわれの社会の底知れぬ「いやらしさ」「日本人の軽薄な非人間的一面」を、作者の意図とは関係なく、おのづから告白するために登場したかたちになつてゐること、常にまつたく型の如くである。時に善玉といへども、油断がならぬ。

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 人間性の探究とその啓発に役立つ文学作品に於てすら、作家の対人間意識の歪み、乃至は不健全さのために、作品は更に「人間性」の表面を撫でまはす結果となつてゐるか、もしくは、ある限られたすがたにおいてのみ人間の「人間らしさ」を捉へ、それがすべてであるかのやうな印象を与へるものが多いのである。

 しかしながら、そこにもまたひとつの問題がある。作家の眼は人間の全貌を見ようとし、それを捉へたつもりでゐるのに、「人間」としての彼の心は、もはや、作家の眼をはなれて、風俗の習性化した意識によつて対象を受けとるに過ぎないのである。

 かの民主主義を標榜する政治家が、どうかすると甚だしい封建的調子でものを言ふのと類をおなじくするものである。

 今日の日本人の反省は、こゝまで容赦のないものでなければならぬと思ふ。

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 日本人は「話せばわかる相手」だと、日本人自身は考へてゐるらしい。それは、同胞意識が強いためか、人間として「ものわかりがいゝ」といふ自慢なのか、私には、どうもよくその意味がわからないのである。おそらく、それは、「泣き落しが利く」といふやうな場合が多いこと、「わかつてもわからなくても、ともかく一応わかつたことにしておく」といふ礼節がひろく行はれてゐることを、自分本位に都合よく云ひかへた言葉ではないかと思ふ。

「話せばわかる」といふことは、なるほど、「話してもわからない」よりは有難いに違ひないが、私の観察によると、「話せばわかる」といふ意味の裏に、「話さないとわからない」絶望感のやうなものが含まれてゐさうに思はれてしかたがない。

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 俗に云ふ「察しのよい、わるい」ともやゝ違つた、場合によれば、とうに察しはついてゐながら、それをそのまゝなにかの形で現はすことを怠り、或は憚る状態である。従つて、それは相手に通じる道理がない。なんでもないことがわかつてもらへぬ不満や、こんなことさへわからぬのか、といふいらだたしさが、われわれお互の心をかきむしることが多い。

「文化」といふことは、人間と人間とがなるべく少い努力でわかり合ひ、わかり合つた結果がなにかの形でもつとも円滑に現はされる、そのはたらきなのである。

 われわれ日本人は、その大事なはたらきを、実にうつかり無視してゐる傾向が強い。

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「かういふつもりだつた」──「いや、さういふつもりではなかつた」といふやうな言葉のやりとりは、われわれの耳には、もう馴れつこになつてゐる。これほど、相手を、そして同時に、自分を馬鹿にした話はない。

 契約は双方の利益と立場とを、双方がはつきり認め合ひ、完全な合意の上で、第三者にも対抗し得る共同の権利と義務とをひと通り成文化したものでなければならない。

 ところが、この契約の精神がいまだに理解されず、或は、故ら理解しようとせず、うやむやにしておく方がなにか相手を信用したことになりさうな気がし、ことに一方は、契約によつて拘束を受けることのみをおそれ、他方は、強ひて恬淡を装ふことをもつて得策と考へ、えてして契約書といふものは無用視されてゐる現状である。

 しかも、たまたま契約書を取り交す段になり、多くは企業者側で用意してゐる印刷の契約書なるものを見ると、まづ型の如き法律的用語をもつて双方の権利と義務とを箇条書にしてあるのはよいとして、その全文に亙り、注意して読めば読むほど、企業者としては当然の義務を掲げてゐるに過ぎないのに、協力者側に対しては、著しい権利の譲渡を迫つてゐるものが少くない。もちろん、草案であるから、企業者側の希望的条件とみなければならぬが、それにしても、そんな虫のいゝ条件を協力者に黙つて承諾させようと思つてゐる腹が私には呑み込めないのである。

 そこには、なにか、企業者といふものの、やゝもすれば横暴な性格が顔を出し、若干の例外を除いての協力者の弱点につけ入る非人間的態度を見逃がし得ない。

 極めて紳士的と呼び得る企業者もなくはあるまい。しかし、それでもまだ、協力者を協力者として遇する道を知つてゐるだけで、果して「人間」として、「話さなくてもわかる」程度に扱つてゐるものがどれだけあるだらう。

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 すべて契約を楯にとるのはよろしい。契約とはさうあるべきものだからである。しかし、契約がないのを楯にとつて自己の立場を不当に有利ならしめようとはかるのは、人間のさもしさである。契約が無いといふことは、特別な契約以上に、「人間」の本性と社会の常識とに従つて事を運ぶ暗黙の理解があつたとみなければならぬからである。

 契約が無いことを楯にとつて恬然としてゐるくらゐ、「人間」のずるさをむきだしにしたものはない、と私は思ふ。

 それは、法律を防禦的にでなく、攻撃の武器として使ふ高利貸や悪質官吏に似てゐる。かういふ人物が横行する社会を「不気味な社会」といふのである。

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 契約は双方を縛ることが目的ではなく、自分の理解の程度を最も完全に相手に示すひとつの円滑な手段とみなければならぬ。それゆゑに、人間が人間であるかぎり、そして契約は時に強制的に行はれ得るといふ事実を除外すれば、これは比較的「人間らしい」行為である。

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 人間が人間である限り、甲乙の利害が一致せず、それぞれ自己の立場を主張し合ふといふことは起りがちである。この場合、たとへ冷静な判断といふものが得られたにしても、甲のそれは乙を服せしめることはまづ不可能であり、乙は自分の意見が正しいために、却つて冷静に甲を説得できぬものと信じきるやうな場合もある。

 第三者の審判が必要となる。第三者は、なんらかの意味に於て、神に近い存在でなければならぬ。それは、絶対公平であることによる権威の所有者であらう。

 裁判といふものを、かういふ風にみる習慣がすこしはあつてよい。

 法廷を出た甲と乙とが、笑つて運のよしあしを語り合ふといふやうな「人間的風景」を、私はこのうへもなく楽しく心におもひ描く。

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「人間らしからざる」すがたは、つねに、「人間性」の不足、または低さにのみ原因してはゐない。

 日本人は、一面に於て、いはゆる世界の文明国民にひけをとらぬ高度の、そして、豊かな「人間性」をそなへてゐる民族だと思ふ。この信念は、私みづからひそかに抱いてゐる信念である。

 ところで、他の一面に於て、われわれの人間性及び人間性そのものに対する認識が問題になつてゐる。なにゆゑに、われわれはいまさら、われわれ自身の「人間らしさ」について厳しい反省を加へなければならないのであらうか? それは、云ふまでもなく、われわれのうちに伸び育つた「人間」なるものは、あまりに「個人的」であつたといふこと、「自己中心的」であつたといふことである。

「人間性」をかたちづくるもろもろの要素が、それゆゑに、社会人としては甚だしく釣合のとれない結びつき方をしてゐるのである。発育不完全な部分が過度に発育した部分と隣り合つてゐるといふ風な状態のまゝ今日に至つてゐるのである。

 それは、鉢植の盆栽のやうに、それだけをとつてみれば、ある美しさ、奇抜さを発揮してゐるやうでも、これを自然の一隅にうつすと、自然との調和はまつたくとれてゐず、たゞいたづらにこましやくれた独りよがりの枝ぶり葉ぶりが、むしろ、グロテスクで、植物の本性に遠い観を呈するやうなものである。

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 対人間意識の歪みも亦、こゝから来る。盆栽作りは、すべての草木を、たゞ盆栽作りの眼でしか見ることができなくなる。それぞれの植物に通じる生命の貴重な法則をつい見失つてしまふのである。

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 人間の最も「人間らしからざる」姿とは、必ずしも悪徳を身につけて、それを表面にさらけ出してゐるといふことではない。

 欲望の強さ、または意志の弱さのために、いはゆる恥づべき行為を自ら制しきれぬ、といふことでもない。

 私の考へでは、それは、文明人としての人間精神の正常な機能の一都が習慣的に麻痺し、或は、慢性的に変質して、獣類にひとしい一面を暴露するか、または、機械のやうな表情を呈してゐるか、そのいづれかに属する。もちろん、精神病の病理に当てはまるものでもなく、単なる風俗上の奇現象に止まるものであるが、「文化」の観点からは、むしろ最も重大視せらるべき傾向であり、その部分だけをみれば、かの未開野蛮と界を接し、文明の性格に照らせば、類例のない畸形的人間像をかたちづくつてゐるものである。

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 歪められた「対人意識」が瞬間々々に顔をのぞかせるわれわれ日本人の社会生活を、なににたとへたらいゝか?

 重ねて云ふけれども、たゞその部分だけをじつと見つめてゐると、私は、自分もそこに生ひ育つたのだといふ事実をはつきり感じながら、なんとしても「お化けの国」に住んでゐるやうな心細い幻覚にとらはれるのである。


いはゆる教育について


 私は不幸にして「わるく教育された」ものの一人としての自分を発見するに至つた。

 このことは、わが国現代の「教育」といふものの効果について私を根本的な懐疑主義者にしてしまつたのである。そして、さういふ眼で周囲を見渡すと、われわれ日本人のほとんどすべてが、恐らく私の例にもれないのではないか、といふ考へを動かすことはできなくなつた。

 まつたくのところ、これまでのおびたゞしい「教育論」とはなんの関係もなく、近年のわが国の教育は──教育と名のつくほどの意志と方法とは──一律に「畸形的な」人間を作ることにしか役立たなかつたといふ事実ほど私を慄然とさせるものはない。いつたい、これはどうしたわけであらうか?

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 この原因は非常に複雑なやうに思はれる。しかも、これは、いはゆる教育の専門家には窺ひ知ることのできない領域に属する問題ではないかと思ふから、私は敢へて私の思ふところを述べてみる気になつた。

 むろん、第一の原因は、「教育」そのもののなかにある。すなはち、「人間教育」の誤つた目標と、教育者自体の素質の低劣とにある。が、このことは、今はふれずにおかう。

 第二の原因は、いはゆる教育と、教育といふ概念にあてはまらないその他の「影響力」の遊離、従つて、教育そのものの孤立といふ状態にある。なほ云ひ換へれば、よきにつけあしきにつけ、教育が人間精神の形成に極めて消極的な役割しか演じてゐないといふことにある。

 第三の原因は、今日までの「教育」を歪め、ほとんど無力にし、いな、むしろ、「教育されるほど愚劣になる」やうな教育の在り方をゆるしておいた政治の没理想、つまりは、「教育」の根柢をなし、教育の効果を高め、教育をして真に意義あらしめるやうな社会の建設をおろそかにし、最も「反教育的」な環境のなかにわれわれを住まはせて省みるところのなかつた政治の無定見にある。

 第四の原因は、云ふまでもなく、かゝる政治に本質的メスを加へようとせず、教育の振興は学校増築にありといふやうな幼稚な観念に支配されてゐた国民有識階級の「政治意識」にある。

 そこで、問題は循環する。かゝる国民有識階級は、なにによつて生れたか? 概して「高等」と称せられる教育によつて生れたのである。

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 最近、世界で最も普及率が高いと自任してゐたわが国の義務教育なるものが、いかなる成果をあげてゐるかを統計によつて曝露された事実がある。小学校で教へる漢字の大部分を、大部分のものが覚えてゐないといふ一例を、われわれはそんなに驚かない。中等学校で習ふ英語がてんでなんの役にも立たぬとおなじだからである。

 私の指摘しようとする「教育」の無能とはかういふ事実を基礎としてゐるのではない。それは、一つの微々たる結果にすぎぬからである。

 この手紙を書くことを思ひたつた動機は、この「信ずべからざる教育」の弱点をつきたいからではなく、却つて、「教育」のよつてもつて立つ地盤の絶対的とも思はれる不幸な現状についてわれわれの認識を改めねばならぬと感じるからである。

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 私のいちばん同情に堪へぬのは、小学校の教育に当る教員諸君である。

 かういふと、当節はすぐに待遇問題であらうと誰でも早呑み込みをしさうだが、それはもう十分に言ひつくされたことであるから、こゝでは取りあげない。私の言ひたいことは、それ以外のことである。

 当の教員諸君はどういふ意見だかまだ質してはみないが、私のみるところ、まづ、大体に於て、彼等は、医者で云へば既に手おくれになつた患者を運びこまれたといふかたちである。

 それでもなほ、命脈ありとして、治療にとりかゝる。が、小さな患者たちは、医者の努力にも拘らず、病院の内外であらゆる不摂生を犯すのである。そして、ごく少数の神妙な患者のみが、衝動の機能を失ひ、蒼白な潜伏症状のまゝ恢復といふ宣言に勇みたつて病院の門を出る。

 小学校の教員諸君は、これら優等生の後ろ姿をどんな心持で見送つてゐるであらう?

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 私のしばしば見聞したところによると、小学校(嘗つての高等科を含めて)卒業といふ学歴の持主には、一種の共通した型があり、個人としてはそれほど目立たぬ場合でも、それが集団となると、もう、なんとも云へぬ特別な雰囲気を作りだすのである。青年は青年なりに、壮年は壮年なりに、学力などといふこととは関係なく、人間として、ものの考へ方、感じ方、言語動作、身だしなみ、といふやうな点に、云はば小学校の教育と世間的な経験との結びつきから生じる無意識的な「柄」とも云ふべきものができあがつてゐる。

 この人間としての「色合」は、日本人の大多数のそれであつて、民衆の決定的な特徴として見逃し得ないものである。

 ところで、かういふ「色合」は、中等学校の卒業生になると、それにいくぶん新たな要素が加はり、前者とやゝ区別のつく「色合」を帯びたものとなる。女性の場合には、とくにその区別がはつきりして来る。

 しかし、おなじ中等学校でも、普通の中学校、女学校と、職業教育を主とする中等学校との間柄には著しい差異があり、後者は、不思議にも、「小学校型」の色合を多分に帯びてゐるのである。

 高等専門学校或は大学の卒業生には、もはや、「小学校型」の色合は表面的にはみられない。たゞし、それぞれの学校の校風をそのまゝ身につけた型が、帽子の徽章のやうに個々の精神の刻印となつてゐる。

 この事実をみて私の特にこゝで指摘したいことは、いづれの学校を問はず、学校当局は由来、自分たちの指導下にある学生生徒の、年齢及び性に応じての品位といふものに、ほとんど無関心と云つていゝことである。この品位とは、もとより人間としての真の品位であり、いはゆる世俗的な上品下品の標準と断じて混合してはならぬが、ともかくも、広い意味の教育によつて主として後天的に身につける人間価値のいつはりなき表情であつて、時としては、精神の高度を示す尺度ともなり、多くの場合、性格の練磨によつて生ずる輝きにほかならぬ。徒つて、家庭及び学校に於ける教育の成果は、なんとしても、この品位といふ問題を除外して考へることはできないわけである。特に学校教育は、最も計画的に、最も慎重に、あらゆる面から人間精神の健全な育成を目指して行はるべきものであり、学生生徒は、かゝる環境の中に、希望と矜りとをもつて身を投じ、青春の幾年かを過すのであるから、学校が学校らしくありさへすれば彼等は、おのづから学生生徒にふさはしい品位を身につける筈である。知育とか徳育とかいふ名目でわれわれは何を与へられたかと云へば、なるほど何かしらを与へられたには違ひないけれども、それらを含めて一番大事なもの、つまり、人間の品位として浸み出るやうな性格の力、教育によつて綜合的に高められ、深められ、豊かにされた精神の矜りといふやうなものをつひに与へられることなく終つた、といふ感がまことに深いのである。

 今日までのわが国の大多数の学校が、いかに学校らしくないか、現在までの学生生徒がいかに学生生徒らしくないか、といふことを、誰もそれほど不思議には思はないのであらうか?

 先年、ある大学の総長が、学生一同に向つて電車の中で老幼婦女には席を譲るやうにと訓示をしたところ、その当時はなるほど効き目があつたけれど、時のたつにつれて、その実行は極めて稀になつたといふ話を聴いた。

 さういふことに気づいて、ともかくも学生に注意を与へる教師がゐることはいくらか心強くはあるが、だいたい、大学の総長をしてかゝることにまで気を配らせる今日の教育の在り方がそもそも問題ではないか? 誰でも苦々しく思つてゐることでありながら、それがどうにもならぬ原因はいつたいどこにあるか? それを考へてみる教師はゐないのか? もちろん、教師のみが責任を負ふべきだとは云はぬけれど、この問題に無関心な教師は、もはや教師の資格はないと私は思ふ。

 青年が混み合ふ乗物のなかで席を譲るとか、空席に眼をくれぬとかいふ態度は、それ自体、別に礼儀とか、親切とか、公徳心とかいふやうな名目にあてはめるべき性質のものではない。そこが肝腎なのである。たゞ、さうすることが「青年らしい」といふだけである。つまり、青年としての矜りがそれをさせるのである。さうしなければ、青年らしい品位が保てぬだけの話である。それゆゑに、もともと、青年としての矜りを自覚せず、品位のなにものかを教へられてゐないものが、強ひて「善行」に及ばうとする困難は察するに余りがある。

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 学校教育が人間精神の形成にどれほどの作用を及ぼすものであるかといふことは、以上の例によつていくぶんは察せられるのであるが、私は、この場合、それぞれの学校のいはゆる教育の「程度」そのものよりも、教育の「方式」あるひは「様態」とも云ふべきものが大きな問題だと思ふ。つまりどの程度のことを教へるかといふよりも、どういふ教へ方をしてゐるかといふことが肝腎なのである。

 教育の価値が、ほとんど常にその「程度」によつてのみ計られてゐる今日までのわれわれの社会が、つひに、現在のやうな「教育」の実情を生んだのである。

 その結果は、早く云へば、私が嘗つて極言したやうに、われわれ日本人の大部分が、学校の「程度」といふ一点で、意識するとしないとに拘らず、文字通り、「落伍者」たる負け目を背負つて「世間」と向ひ合つてゐるのである。

 この厳然たる事実に対し、教育の衝に当るものはもちろん、教育の問題を考へる立場にあるものも、まだ誰一人適切な発言を試みたものはないと私は信じる。

 わが国民の現在の精神的危機は、実は、この「落伍者意識」の様々な変貌にすぎないと云ひきつても、それほど云ひすぎではないと私は思ふ。なぜなら、ほかに原因の数々はあげられるにもせよ、まづ、青春の夢を蝕む立身出世主義の跳梁と戦ひ、幼い希望を無慚に蹈みにじる運命の悪戯に抗して、「人間」としての誇りをあくまでも保たせるやうな教育が、どこにも行はれてゐないといふことは、まことにおそろしいことではないか。

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 これが、前にのべた、いはゆる「教育」と、教育の概念にあてはまらぬ他の影響力との遊離、教育の孤立といふ事実の確たる一つの証拠であつて、「人間」を作るべき教育に信がおけぬ理由の最も著しいものである。

「教育」と云へば、ちかごろは、学校教育と並行して、家庭及び社会教育の重要性が度々説かれてゐるやうである。着眼はもちろん誤つてはゐない。しかし、声のみ大にしてその結果がすこしも具体的な形をとらないのはなぜであらう?

 やはり、「教育」といふものを甘く考へてゐるところから来るのである。

 学校がわるいといふことは、学校教育が無益であるばかりでなく、むしろ、判然とマイナスになるのとおなじに、家庭教育にしろ社会教育にしろ、家庭や社会の在り方が現在のまゝでは、そんなところへ教育は委せておけぬ道理であるが、そのことは、とかく、「教育」の問題としては真剣に取りあげられず、やうやく、母親の講習会や、娯楽の取締やでお茶を濁し、国民の精神的畸形をたゞ粉飾によつて蔽ひかくさうとしてゐる現状を私は黙視することができない。

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 国民の「人間改造」は、もとより、一朝一夕の事業ではない。しかも、やはり、これは広い意味の「政治」や「教育」をも含めた民族の運動として考へなければならぬのであつて、さういふ立場から、少くとも日本人の人間としての素直な成長を阻む一切の原因を取りのぞくことが目下の急務である。

 民衆は強制に対して本能的な反撥を示すことは事実である。しかしまた一方、いろいろな事実が証明するやうに、民衆は安心して「導かれる」ことを、時には自分がよりよく「教育される」ことを望んでゐる。特に現在のわが国民ほど無意識に「理想」に餓ゑてゐる国民はないやうに思ふ。

 われわれは、絶えず意識下に、ひとつの願望をひそませてゐる。われわれがもつと「幸福」になるために、われわれお互の醜い精神的外貌を跡かたもなくするやうな巧妙な魔術を行つてもらひたいといふことである。

 これは、あくまでも、個人々々の意識下にひそんでゐる願望であるから、つまり前に述べた無意識に憧れる「理想」そのものであるから、自覚的にそれとはつきり明言するものはないにきまつてゐる。「幸福」が何によつてもたらされるかといふことすら、現在の日本人には、適確に云ひ得るものはない。それほど、われわれは、幸福の国からは遠いところに住んでゐるのである。

 しかし、試みに、一つ一つの事実について、われわれの不幸の真のすがたを知ることができたとしたら、それは明らかに、われわれ自身のうちにその原因があることを認めないわけにいかぬ。われわれ自身とは、われわれ個々のうちに、お互の関係に於てそれがあるといふ意味である。

 例へば、常に暴力をもつて脅迫される立場にあるものの不幸は、その暴力が取り除かれるだけで解消はせぬ。かゝる立場にあるものは、必ずまた新たな暴力を発生せしめるやうな素因を身につけてゐるのである。かゝる人間の幸福は一応はその暴力が更に大なる力によつて打ちのめされることであるかも知れぬ。しかし、それよりも、真底は、みごとな勇気によつておのれを武装すること以外に絶対の幸福はあり得ないことをおぼろげに感じてゐるのである。卑屈こそ、彼の不幸の原因なのである。そして、さうであればこそ、彼は、なんとかして「暴力」をおそれぬ人間でありたいと、無意識に祈りつゞけてゐるのである。

 別の例をあげれば、われわれ日本人の青春の不幸は、「恋愛」に対する周囲の偏見と、恋愛ならざる異性間の交渉にさへ不自然が伴ふといふことである。これは、しかし、その原因が周囲にのみあるのではなく、青年自身のうちにあることを、彼等は、無意識に感じつゝある。彼等自身、異性をみる眼がいつの間にかゆがめられてゐるのである。異性に接する態度がもともと自然でないのである。彼等は無意識にそれを自覚し、時には自己嫌悪に陥り、時には、その反動として傍若無人を装ふ。情事をもつて足れりとしない以上、彼等は青春の不幸を身辺索漠たるなかに味ひつくすのである。

 われわれはまた、不幸な老人の数々をみる。彼等の不幸は、肉体や精神の衰耗とか、老い先に希望が少いとか、余生を不自由なく送る資力がないとかいふことだけではない。彼等の多くがひとしく感じなければならぬ最大の不幸は、「ひとにうるさがられる」といふ運命のやうである。そして、さういふ老人が日本には比較的多く、一家のうちに老人がゐるといふことは、ほとんど常にその一家に暗い影をおとす結果になり、それが家族といふ特殊な関係でなくとも、ある集会の席に老人が混つてゐるといふことが、これとまつたく同じ現象を呈するのは、だれもよく気のつくことである。

 老人には老人の云ひ分があらうけれども、若いもののひとしく心の中で呟く言葉は、「あゝいふ年の取り方はしたくない」であらう。事実、老人は、老人なるが故に不幸なのではなく、まともに年を取り損ねたがために不幸なのである。

 かういふ風に考へて来ると、われわれ日本人の人間としての不幸の原因を、まづ、われわれ自身の精神の畸形に求めなければならなくなる。

 精神的畸形の治療は、強ひて云へば、生理的奇形と同様、整形外科的処置以外に有効な方法はない。

 それなら、精神の整形外科的処置とはどんなことを指すのか?

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 胎児が母胎内部で「人間」としての肉体のほゞ完全な原形を与へられるやうに、出生後間もなく、われわれは、乳幼児と呼ばれる期間、すなはち、普通は六、七歳に至るまでに、「人間」としての基本的な精神機能をほゞ万遍なく働かせ得るやうになる。これは精神形成の第一期とも称せられる重要な時期で、母胎内に於ける肉体の形成とほゞその関係をひとしくするものである。

 ところで、生理的な畸形が、主として、胎児の期間に発生すると同様、精神的畸形は、これまた、おほかた、乳幼児の期間、すなはち、精神形成の第一期、精神の諸機能がその基礎的な形をとる時期に於て、ほゞ、出来あがつてしまふのである。

 先天的な精神素質の遺伝といふ問題も、これに含めれば、幼児の環境が如何にその精神の発育に影響し、人間としての性情に決定的な方向を与へてしまふかは、これまでも、教育学者の一部によつて指摘されてゐるところである。

 従つて七、八歳以後の少年期に施される初等学校教育は、既に一定の習性としての精神活動を営む児童を対象として、多くは、畸形的に身につけたその習性を正常なものに引きもどすといふ「余計な」役目を負はされてゐるのである。実際には、小学校教育だけでそんな効果を挙げることは不可能なのであつて、さういふ習性には盲目になつてゐる家庭や、さういふ習性がすべての風俗を作つてゐる社会の無言の抵抗のなかで、小学校そのものは、たとへ理想的な方針のもとに運営されたとしても、云はば空まはりをする危険が多分にあるのである。

 まして、小学校は、その教育に於て、日本人にほゞ共通な畸形的習性を、むしろ、美化し、合理化し、一般徳目と並べてこれを助長する傾向が強いにおいてをやである。

          *

 そこで、私が整形外科的処置と云ふのは、ほかでもない。先づ第一に、母胎そのものから、胎児を畸形に生みつける原因を除去するといふことである。すなはち、乳幼児の精神の正常な発育を妨げ、或はその発育に好ましからざる影響を与へる一切の条件を、その環境から思ひきつて取り除くことである。

 こゝで、理想論を振り廻すことはやめよう。しかし、ある程度の困難には打ち克たなくてはならぬ。易きにつくことをもつて実際的なりと考へる風習とはあくまでも戦ふ覚悟が必要である。

 私が次に述べようとする意見は、必ずしもそれをそのまゝ実行に移せばよいといふやうな具体案ではない。むしろ、ひとつの原理のやうなもの、幾多の実験を経てはじめて臨床医家の手に委ねらるべき性質のものである。

          *

 さて、順序として、現在われわれが営んでゐる家族生活の風習といふ問題が大きく浮び上つて来る。もちろんそれは、いはゆる家族制度なるものと密接に結びついたものであるけれども、制度の改革だけではもはや解決のつかぬ一種の日本的風習がそこに根を張り、例へば社会主義者の家庭に男子横暴の声を聞くが如き矛盾が存在する。

 われわれの家庭生活に根を張る日本的風習の根源を観念的に論議し、その弊害を観念的に是正することは、一応必要であらうけれども、今それは私の関心のほかにある。

 私は、かゝる内科的治療がその効少きことを従来あまりに見せつけられてゐるのである。そこで、どうしてもこれは、「生活様式」そのものの徹底的改革を試みるのが早道だといふ結論に達した。つまり、私の云ふ整形外科的処置の一つなのである。

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 昔はいざ知らず、現在のわれわれの生活様式は、衣食住のどれをとつてみても、いはゆる日本的な部分は専ら「形骸化」し、いはゆる国際的な部分は、まだまだ「借り物」である。要するに、惰性的で、薄手で不統一で、「いびつ」を極めてゐる。われわれは決して楽な暮しはしてゐないといふけれども、それは経済的に恵まれないからといふ理由だけでは片づけられない。この始末におへぬ「生活様式」それ自体のために、お互が心身ともに疲れきるばかりではない。この「生活様式」のなかで、この「生活様式」を押しつけられることによつて、われわれも、われわれの子供たちも、精神的畸形児に仕立てあげられるのである。

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 われわれは、いくぶん、日本的の生活様式に未練をもつてゐる。なにかしら捨てがたいところがあるからである。ところで、その捨てがたいところとは、決して、「生活」の第一義的な部分ではない。

 われわれはまた、欧米風の生活様式に好奇心をよせ、恐る恐るそれを採り入れる。しかし、その採り入れた部分もまた、その本質的な部分ではなく、例へば、住宅に於ける客間といふやうなところへまづ手を出す。

 床の間はあるけれども、おほかたは床の間として使はれずに、物置の一部となり、椅子は買つたけれどもスプリングの具合を調節する主婦はなく、珈琲を飲ますと云へばほしくもない粉ミルクが黙つて入れてあるといふ風な都会生活者の悲哀はともかくとして、まづまづ伝統墨守と思はれる地方の小都市乃至農村の家庭生活にも、これとはまた違つた、一種の無秩序、ひからびたもの、精神と技術との貧しさが感じられる。


風俗の改革について


 政治の形態が変るにつれて、それにふさはしい人間の新しい型が生れるといふ事実は否定すべくもない。ある種の社会革命が人間生活の歴史にひとつの画期的な方向を与へ、いはゆる時代の精神と心理を導きだすといふ原則は、今日もなほ動かすことのできぬものだと、私は信じてゐる。

 それにもかゝはらず、フランス人はフランス人のやうな、ロシア人はロシア人のやうな政治の動かしかた、制度の変へ方、生活の営み方、しかできぬといふ見方を私はなんとしても間違ひだとは思はない。

 日本の君主制がどこの君主制とも違つてゐたやうに、日本の新しい政体もまた独特のものであつていゝ筈であるが、たゞ今日叫ばれてゐる民主革命は、日本人が現在のまゝの日本人である限り、それがどんなお手本に則つたにもせよ、いはゆる民主革命とは名ばかりの、形の変つたボス政治に終ること必定である。その上、現在の日本人の知能の水準とは別に、社会制度と国民生活の実体との遊離をともなひ、次の時代の苦患と失望とを約束するものではあるまいかと、私はひそかにおそれる。

 それにしても、それだけの理由で、この千載一遇ともいふべき革新の好機会を逸してはならぬ。むしろ、私の望むところは、法文化され得る制度とか機構とかの改変に満足せず、在来のそれらを生み、育てて来た一切の生活習慣、生活様式にまで手をのばし、観念的な宣言や教訓ではなしに、最も具体的な日常の現象をとらへて、これを綿密に、そして容赦なく解剖批判し、破棄すべきものは即刻これを破棄し、空白は滞りなくこれを埋め、国民総体の名に於て、新しい風俗の建設に希望と情熱とを抱かせるやうな力強い運動の音頭を、然るべき人々がとるといふ風にしてほしい。

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 さて、私のかういう意見は、いま時、甚だしい空論のやうに響くかもしれぬ。

 まことに、これが空論と響くことそのことが、現代日本の宿命なのである。われわれの頭上を覆ひ、われわれの手足をしばるこの当世の現実主義こそは、精神の畸形をもつとも露骨に示すものだ。

 最近の新聞が報じたほとんど信じることのできぬ議会風景の一端を、君たちはどんな気持で読まれたか? ちかごろの新聞なんか読まないといふなら、しかたがない。私も、当の代議士の蛮行をこゝに紹介する興味はない。たゞ、問題は、あの新聞記事を読んだ国民ひとりひとりの表情を私はこゝで想像しないわけにいかぬといふことだ。これは、お互にすぐ眼に浮ぶ珍奇な表情に違ひない。新聞の調子が代表するひとつの表情は、なるほど公けの表情にしてなほかつ、どこかで「匙を投げ」てゐるかたちである。むきになつて憤慨するのは野暮だといふ分別のやうなものが、それらの批判の陰にある。この現実主義は、わが国民のすべてを支配してゐる。そこからなにが生れるかといへば、政治の堕落以外のなにものでもない。

          *

 かういう現象は、政治制度の変革と関係なく、将来もながく繰り返されるであらうことは、わが国の実情なのである。

 話は違ふけれども、当り前のことが当り前になつてゐない例は、われわれの社会の隅々に到るところ転がつてゐる。多少公けの性質を帯びたもののなかから例をひろへば、終戦後、国内のあちこちに、いはゆる観光事業と称せられるものが流行しだした。それも、いやな言葉だが「文化国家」といふ標語と結びつけてである。

 地方自治体を基盤とする観光事業団体の性格をのぞいてみる。その首脳部を形づくるメンバアの経歴と職業を知つただけで、そもそも今日、観光事業といふものが、かゝる人々の手に委ねられてゐていゝかどうかを疑はしめるのが常である。心あるものには、それがどんなに可笑しいかがわかつてゐながら、さういふ批判は表面には現はれない。観光日本の経営は、短見愚劣な営利主義者の発言によつてのみ次第に本筋から遠ざかりつゝあるのである。

 もうひとつ例をあげよう。

 公共施設としての図書館の実情をすこし調べてみると、いまの日本人に何ができるかといふことがよくわかる。もちろん、若干の優秀な図書館を私は識つてゐる。しかし、それらは奇蹟のごとき存在である。地方図書館のほとんど全部は、私に云はせれば、完全に眠つてゐる。

 どうしてだらう? 予算がないと、館長たちは口を揃へていふ。予算がないから眠つてゐるでは返事にならない。さうではない。まづ第一に、館長にその人を得てゐないのである。第二に、図書館といふものに対する官庁はじめ一般地方有力者の認識が足りないのである。第三に、これが実は一番肝腎なことだが、誰も彼もが、なんと云つてみてもしやうがないと思ひ込んでゐることである。

 これがこの町の図書館です、と指し示され、一歩そのなかへ足を踏みいれて、この町としては「まづこれなら」と納得しえられるやうな図書館が、日本にいくつあるだらう? 私の知る限りでは、いくつもない。むしろ、不完全などと評する気にさへならぬ、不思議にもみすぼらしい、寒々としたものばかりである。つまり、この程度のものしかできぬのに、どうして図書館などを作る気になつたのか、そのへんの消息がどうも腑に落ちぬといふやうな、実に奇怪な印象を受ける場合が多いのである。まつたくない方が自然なのに、なまじつか妙なものがあるから、一層目障りだと云ひたくなるやうな図書館!

 思へば、これが現代日本のすがたである。

          *

 都市計画といふ言葉はある。都市の美観などといふ観念もなくはない。

 日本の首都東京が、地震や戦争の災害は別にして、いつ、いつたい、首都らしい首都になる希望をもたされたであらう。

 早い話が、銀座の通りひとつを、どうにもできぬのが日本人ではないか!

 われわれの政治家は、どういふ時代になつても、東京のあるべきすがたを脳裡に想ひ描きうるやうな余裕はないであらう。このことは、しかし、一東京の問題ではなく、全日本の、造形的にみた社会生活の風貌の問題である。

 われわれは、かゝる蕪雑な都市を都市として見馴れ、そのなかで、視覚を通じての一般生活感覚を養ひつゝあるのである。

 かういふ角度から、私は、建築に関する現行法令の不備をさへ想像することができるのであるが、政治制度の改革は、はたして、早急にそこまでのところへ注意が向くかどうか疑はしい。

          *

 私のいま住んでゐる浅間山麓一帯の高原は、なんでも最近国立公園の指定地とかになつたさうである。指定したのはたしか厚生省であらうが、農林省は、それをどう思つてゐるか。まさか知らずにゐる筈はないと思ふが、さういふいきさつに関係なく、附近の森林はどしどし伐採され、土地のものは、そのあとに畑を作るといつて騒いでゐる。どこからどこまでの森林は是非残すといふことが今からはつきりきまつてゐなければ、風致もくそもありはしない。かうしてすべてが掛声に終り、国民はその掛声に倦き、そして、一切の政治が空まはりをする。なにかそこには、普通でない、例へば呼吸をさまたげる甲状腺膨脹のやうな症状がわれわれの社会機構のなかにはあるのである。

 今日の経済の行きづまりのなかには、敗戦国の必然の運命と解すべきものもあらうし、政治技術の貧しさ、独善にその原因があると云へるものもあらうけれど、私は、さういふもの以外に、われわれ国民の生活自体のなかに、或は不文の掟として、或は習慣として、一種の性癖の如く根をおろしたわれわれの精神のはたらきの奇怪な一面があることを見逃してはならぬと思ふ。

          *

 ちかごろ私は機会あるごとに、小学校の先生たちに次のやうな問を発してみた──

「修身といふ課目がなくなることをどう思ひますか? これは、修身といふ独立した課目は不必要だといふことと、今迄の修身教育なるものに弊害があつたといふことと、この二つの主張の現はれだと思ふのですが、そこでまづ、修身といふ課目に代るべきものはおのづから諸君に指し示されるとして、いつたい、今迄の修身のどこが悪かつたか、どんな弊害を生んだか、といふことを、いままでの教科書について、諸君は第一に批判研究してみる必要はありませんか? それが具体的に行はれた後でなければ、新しい道徳教育は根柢が薄弱だと思ひますが?」

 この問に対して、私の接した範囲では、たゞの一人も、それはもう既にやつてゐる、と明言した先生はない。

 たゞ漠然と、旧い修身はもう通用せぬと思つてゐるだけらしい。それは超国家主義的だから、軍国主義的だから、と、一概に片づけてしまつてゐるのである。

 道徳教育のかゝる観念的傾向をこそ、今後根こそぎ改めなければならぬのであつて、平和的、民主的といふやうな題目それ自身の「権威に頼る」教育の、更に恐るべき結果を生むであらうことは、もうすでに予想できるものにはできるのである。

 旧い教科書などをまだ本箱に並べてゐる先生の、なにかを憚るやうな気持は察せられなくもない。

 ──君はまだそんなものを持つてるのか? 調べられるとうるさいぜ。

 ──いや、これはたゞちよつと……。

 ──どんな理由をつけたつてダメだよ。そいつは、今日の危険思想ぢやないか!

 もちろん、これは戯談である。しかし、戯談だと云つて笑ひきれない真実がこのなかにないであらうか?

          *

 社会制度の改革は、これをみても教育界の性格にまで及ぼさなければならぬ。校長の一顰一笑が何事を意味するかを厳しく吟味することからはじめ、教師の人間的価値と教師としての資格との間に些かの不均衡をも生ぜしめないひとつの制度の確立を目標としなければならぬ。

 そして、このことは決して教育界のみを対象とするものではない。

 われわれは、これと関連して、われわれの家庭、その制度と生活習慣とにまづ眼を向けなければなるまい。

 家族制度の改革は、一応民法の改正によつてその輪廓が示された。それはそれでよい。しかし、「意識的に」習慣を変へようといふ動きは、かういふ時代としては、まだまだ微温的である。

 私は、日本の家族制度の革命は、男性と女性との性別に基くそれぞれの典型の創造によるほかはないと思ふ。

 男性の「男らしい」といふ世俗的な標準を何よりも改めなくてはならぬ。これがためには、母親が息子を「かうあつてほしい男の子」に育てる準備と計画と覚悟とが必要である。

 この場合、父親の存在が、男の子に好ましからぬ影響を与へると気がついたら、母親は、断然、息子を父親から隔離するがよろしい。

 真に「男らしい」男性のみが、真に「女らしい」女性を創る。その逆もまた成り立つけれども、私は別に女性の味方をするわけではないが、日本の現状に於ては、男の方が平均して質が落ちる。家族の一員としての資格に於て特にその傾向が著しい。

 女性の解放が今さら叫ばれて、女性は何をすべきかに迷つてゐる風がみえるけれども、女性は、何をしなくても、「男性教育」のためにあらゆる努力と工夫とをしてもらひたい。

 若い娘は若い娘なりに、それができる。「男らしい男」の純粋なひとつの典型を、あなた方はおのづから夢に描き得る天性を恵まれてゐるのである。周囲をよくみたまへ。そして、行動に於て「男らしい」といふことを標準として、あなたがたを取り巻く男性に思ひきり辛い点をつけたまへ。

          *

 生活習慣のうち、われわれの精神の畸形的なはたらきを助長させてゐるものに、現在のわれわれの、えたいの知れぬ風俗──生活様式の混乱とその荒廃とがあることを私は特にこゝで強調したい。

 それは、日本式と呼ばれる形骸化した、時代錯誤的な衣食住の様式と礼儀作法の大部分がその一つ。それと、いはゆる西洋風と称せられる、似て非なる、間に合せの、模倣がその一つである。

 われわれの生活は今や最も悲観的な経済条件に支配されてゐることは事実であつて、かゝる生活に対して多くを望むことは無理なやうに思はれるが、ともかく、問題は、今日に始まつたことではなく、少くとも、将来の国民生活が世界文明の圏内に於て営まれることを望む以上、どうあつても、確乎たる目標を掲げた風俗革命の第一歩を急速に踏み出すことが、われわれに負はされた重要な課題であると思ふ。

 さて、しかし、どこから手をつけたらいゝか?

 誰がまづ起ちあがるか?

          *

 日本の農村で酪農をはじめたところはあちこちにあるけれども、実際には、その成績はあまり芳ばしくない模様である。北海道のやうな最初からさういふ方式で計画をたてた土地でさへ、全体から云つて決して満足な結果をあげてゐないといふ。その原因はいろいろ研究もされ、技術的な面からは相当進歩のあとが見えるにも拘らず、農村自体の経営はだんだん成り立たなくなる傾向があつて、どこかに無理があるのをどうすることもできぬ現状であるらしい。

 これは、農業経済の専門家の或ひは気のつかぬ原因に基くのではないかと、私は、ある地方の酪農経営の実情を見て感じたことがある。

 つまり、農家に乳牛を飼はせるのであるが、場合によつて、それは無料で貸しつけ、労役にも使へるし、肥料もとれるうへに、搾つた乳は一定の価格で買ひとる約束をするのである。飼料についても特別の配給を受けることができる。早く云へば、農家に損はさせないやうにしてあるのである。搾つた乳のあがりだけは余分の収入になる勘定なのであるが、さて、一頭の乳牛を飼ふ苦労とそれによる収入とを天秤にかけて、農家は、やがて乳牛を飼ひ続ける意志を放棄するか、さもなければしばしば、乳牛を瘠せさせたり、病気にしたりしてしまふのである。

 牛乳が仮にもつと高く売れても、乳牛の飼育法について必要な改善が施されても、そんなことゝは当座の効き目があれば関の山で、私の見るところ、問題はさういふところにあるのでなく、むしろ、根本的には、一般農家自体が、牛乳を食生活の必需品としてゐないばかりか、嗜好物の部類にさへ入れてゐない実情にあるといふことが重要なのである。

 これに類することが、山羊や緬羊の場合にも云へるのである。山羊を相当に飼つてゐる農村で、その乳の生乳としての需要量を超えた部分を、南方諸民族にそれがみられるやうに、加工貯蔵して日常の食膳に供してゐる例を私はまだ知らないし、現在緬羊の頭数を誇り、商品としてのホームスパンの工場まで建てて農村工業の先鞭をつけたと称してゐる村でも、農家が自家用の毛糸を十分にもち、子供や女たちが温かいスェーターを着てゐるといふ風景はまだ展開されてゐないのである。しかし、これでは、有畜農業の新しい経営といふ事業さへも中途半端なものに終り、ある点で行きづまることは目に見えてゐる。

          *

 われわれの今迄のやり方は万事がこの調子で、西洋風のなにかを採り入れるにしても、一向そのものと自分たち本来の生活とのギャップに気づかず、気づいてもそれをそれほど苦にしないで押し通し、そのために、知らず識らず人間生活の自然のすがたからも、理想の方向からも遠ざかつて、云はばグロテスクな風俗がわれわれを地球上で最も品位を欠く国民にしてしまつてゐるばかりでなく、その風俗がまた健康と能率のうへに、大きなマイナスの作用をなしつゝあるのである。

          *

 私はかつて事変中、中国の某都市で映画館を経営してゐた同胞からこんな話を聴いたことがある。それは、たまたま日本映画を上映すると、観衆は、あるとてろできまつて哄笑するのを不思議に思つて、よく注意してゐると、どうも、彼等に一番可笑しいのは、日本人の「お辞儀」であるらしいことを発見した、といふのである。私はその話を聴いて、これは、と、思ひあたることがあつた。それは、ずゐぶん以前のことであるが、巴里の映画館でニュースを見た時、日本のさる高貴な旅行者が多くの随員を伴つて画面に現はれた。場所はエッフェル塔の下である。その時、その一行をそこで迎へてゐるいくたりかの日本人が、その高貴な人物に向つて恭しく敬礼をしたのだが、その時、場内の観衆は期せずして、ドツと笑つたのである。私はなぜともなく辱しめられたやうな気がし、顔をあげてゐられなかつた。しかし、よく考へてみると、巴里ではエキゾチスムは時の流行であつたし、異民族の珍奇な風俗習慣を見ることには慣れてゐるし、彼等は日本流のお辞儀ぐらゐに吹き出す筈はないのである。思い出しても目に浮ぶのであるが、たしかに、その時の日本人のお辞儀は、いかにも取つてつけたやうな、わざとらしい、ギゴチないお辞儀のしかたであつて、普通礼式と呼ばれるひとつの動作に織り込まれた形態の美しさといふやうなものは微塵もなく、むしろ表情を伴はない機械的な運動──ある種の昆虫の反復する肢体の動かし方に近いものがそこに見られたことは否むべくもないのである。

 われわれが日本風のお辞儀として日常見過してゐるものは、実は、現代日本の、畸形化された、精神を失つた、申訳的の、自分でもこれでいゝとは思つてゐない、半分照れながら行ふ挨拶のしるしに過ぎないのである。

 こんな「お辞儀」をいつまでもし続けてゐていゝのであらうか? 到るところ通行の妨害になるといふことは別にしても。

          *

 かういふ例を挙げればまことに際限がなく、そのいちいちについていまさら意見を述べるまでもない。しかし、これは、いつかどうかなるだらうといふやうな、悠長なことを云つてすまされる問題ではなく、現代に生きるわれわれとしては、どうにかしなければならぬ当面の緊急課題なのであつて、若しそれが、どうにもならぬものなら、われわれはもう日本といふ国の将来に見きりをつけなければならぬくらゐ、それは民族の生命にとつて疑ひもなく不吉な徴候なのである。

          *

 われわれの文化の伝統として、ごく最近まで、いくぶんみづからこれを尊重しなければならぬやうに考へられてゐたことは、第一に連綿たる皇統、第二に家長制度、第三に漢字を含む日本文字、第四に米の飯、第五に女の着物、第六に畳敷の部屋、第七に能楽と歌舞伎、第八に日本刀と浮世絵、第九に茶の湯生花といふやうなところであらう。

 そのうち、第一、第二、第三は、今日の問題として既に取りあげられてゐる。第七、第八、第九は、国民一般の生活と直接それほど深い関係はない。そこで、私は、第四、第五、第六の問題をひろく日本風の衣食住といふ問題に結びつけ、われわれの日常生活のうちにみられる一種の不自然、不健康を指摘し、それらの風俗が、精神形成の途上に於て、かの畸形胎児が母胎の異常性より生じるといふ結果にひとしい結果の一部を、われわれに与へてゐはせぬか、この私の想像に一応説明を加へたいとも思ふ。しかし、考へてみると、それはもう理窟で解決のつく問題ではない。

 モンテスキュウが云ふやうに、政治の要諦は民衆の楽しみを奪はぬやうにすることである。

 米の飯を腹いつぱい喰ふことと、若い女が袂の長い、裾のひるがへる着物を着ることと、畳の上にごろりと寝そべることを禁止する政府は、おそらく国民の怨嗟の的になるであらう。

 しかしながら、われわれは、それらの魅力に大きな執着はもつてゐるけれども、実は、それに代る別のものをほんたうに知らないのである。例へば、パンとチーズの味も、捲き毛をのぞかせた帽子の縁のあでやかさも、鍵をかけさへすれば一人きり、必要ならば二人きりになれる部屋の自由さも、われわれには、しん底からわかつてはゐない。それは止むを得ぬことだが、日本人だけが、いつまでもそれらと縁遠いといふことが、いつたいわれわれの強みと云へるであらうか?

          *

 私はこの数年間を農村で暮したのであるが、一般的に云つて日本の農民の生活がどの程度に恵まれてゐないか、といふことがよくわかつた。その恵まれない生活のなかで、彼等は、かたくなな心を抱きしめて日を送つてゐる。

 ある山村の青年の集りで、私はまづ最初にこんな問を出してみた。

「諸君は町へ出るのに二里も三里もある道をてくてく歩いてゐる。時には重い荷物を背負つて、汗だくだくで隣の部落へ出掛けて行くこともある。諸君は、諸君のお父さんお母さんがさうしたのだから、それはなんでもないことだと思つてゐるかも知れないが、ひよつとして、諸君のうちで、もつと楽に、もつと早くこれだけの用事がたせられないかなあ、と思つたことはないか? 自分のやつてゐることがどうも馬鹿げたことのやうに思つたことはないか? つまり、早く云へば、馬車に乗つて、一鞭あてれば、と空想してみたことはないか?」

 集つてゐる青年たちの顔には、たゞ怪訝の色が浮んだだけであつた。

 私はちよつと張合ぬけがした。で、重ねて、──どうだ? と返事を促すと、そのうちの一人が──それは明らかに村のインテリとおぼしい青年であつたが──非常に皮肉な調子で、かう答へた──

「そんなことは全然考へたことはない。そんなことより大事なことがいくらもあるからだ」

 私は、これは面白いと思ひ、その大事なこととはなにかを問うてみた。すると、その青年は、もう私の話には興味をもたぬといふ風に、眼をそらしてしまつた。

 この青年の云ふ大事なことは、察するに、小作対地主の問題、農民の政治意識、封建的因襲、生産技術の幼稚さ、などを指すのだらう。私にはもちろんそれはわかつてゐた。更に、これに附け加へなければならぬとすれば、農村に於ける教養と娯楽の問題ぐらゐであらう。ところで、こんな辺鄙な村の青年たちも、この種の問題については、ひと通り議論をするやうになつてゐるのである。従つて、さういふ点では、ともかく人の言ふことに耳を傾ける好奇心があるにも拘らず、いつたん、その線からはなれて、「かくあるべき農村」のすがたを、農民の日常生活の面で、ひとつひとつ具体的なイメージとして想ひ描いてみるといふことは、およそ彼等の精神の働きのうちになくなつてゐるのである。

 このことが、実は、現在の農村にとつて何よりも大事なことではないかと、私は、その時もつくづく思つた。しかし、これは農村に限つたことではない。これこそが、日本人の自負する「困苦欠乏に耐へる精神」と甚だまぎれ易い代用品として通用するものなのである。

「困苦欠乏」をいやいや忍ぶ習慣が、「困苦欠乏」を人間生活から除かうとする意慾の前に、どんな醜態をさらしたか、今度の戦争がよくそれを示してゐる。

          *

 衣食住を含む日常生活の習慣の問題は、およそ、最も卑近な問題として、いはゆる高尚な話題にされにくいから、誰でも一応の意見はもちながら、これを真面目にとりあげる熱意を欠くことになる。

 しかし、それなら、その一応の意見とはどんな意見であらう? 絶えず人生の問題に悩み、知的訓練も相当に受けてゐる筈の青年の誰かれに当つてみるがよい。

 彼ら或は彼女らは、多少、自分の畑ではないといふよそよそしさを以て、一二、思ひつきの意見を述べるであらう。

 生活様式の反省などといふことは、元来、それ自身、衣食住の「通」を並べたり、いはゆる「生活改善」のお題目を叫ぶことと同様に、とかく精神の急所には触れにくいとみえる。習慣の威力は、かくてこの問題についての一切の思考を封じてゐるとしか思へない。そこで、われわれの風習は、単に、われわれを今日の衣食住の形式に縛りつけてゐるといふだけではなく、それはまた、われわれを生活様式に対する安易な考へ方から脱せしめない大きな作用をなしてゐるのである。

          *

 醇風美俗といふ言葉がある。その反対をなんといふか、まあ、濁風汚俗でもなんでもいゝが、われわれ日本人の風俗にも、たしかに善いところと悪いところとがあるに違ひない。その善い悪いの標準をどこにおくかといふことがこれからの問題である。

 これまでのやうに、警察が醇風美俗に反するといふ裁定を下すなどといふことは、これこそ醇風美俗に反するやうに私は思ふ。

          *

 世の中が醇風美俗ばかりになることはちよつと淋しいやうな気がする。しかし、醇風美俗を誤りなくそれと感じる感覚だけは、人間の人間らしさとして飽くまでも尊重したい。さういふ感覚が健全に保たれてゐる社会を、まづもつてよしとしなければなるまい。

          *

 風俗の美醜を道徳的な標準だけで判断しようとすることは非常に危険なことである。ある道徳がある風俗を生むことは滅多にない。むしろ、風俗そのものが屡々道徳の母胎であることこそ注意すべき事実なのである。

 そこで、道徳以前の風俗といふものも考へられるし、道徳と関係のない風俗といふものもあり得る。こゝで道徳とは、もちろん狭い意味の Vertu を指し、人間の心性といふが如き Moral の意味ではない。

 例へば脚を曲げて坐るといふ風俗は、どんな道徳とも直接の係りはない。しかし、この風俗は、日本人をはじめ、多くの東洋民族の精神機能に特殊な影響を与へてゐることはどうしても事実らしい。どんな影響か? 科学的な研究の結果がわかれば面白いが、まだそこまでのことは望めぬであらう。たゞ、心理的に一応の推断がゆるされるだけである。つまり、思考力の凝結、衝動に従ふ意慾の鈍さ、といふやうな現象が見られはせぬか? これは現代日本人のほゞ共通の精神的特異体質である。そこから、今度は、道徳的には、自己中心の物の考へ方から脱せられぬ一種の顰蹙すべきエゴイズムが生れる、と云へるかもしれぬ。

          *

 日本建築の美術的な価値については、誰も認めてゐるが、これを住宅の構造としてみる時、どんな特色をわれわれの生活習慣に与へてゐるか?

 現在の日本家屋は、普通一家族を単位とする生活を標準として作られてゐて、個人生活の領域といふものが厳密に守られないことが最も大きな特色である、どの部屋も唐紙か障子でつながつてゐることは、ある意味では開放的であり、ある意味では油断がならぬ。隣室の物音は手に取るやうに聞え、時には、便所で用を足してゐる気配さへ客間へ漏れて来るのである。

 かういふ生活からは、自他の利害をはつきりさせる習慣は決して生れず、そこでは互に相手を楽しませる心くばりよりも、際限なく甘え合ふ気風が募り、寛大にゆるし合ふ精神よりも、双方で眼をつぶつて我慢する努力の方が大切だ、といふことになる。

 元来、一定の場所に起居を共にする家族といふものが、どちらかと云へば、さういふ雰囲気を伴ひがちのものであるのに、われわれの住居の構造が、それに輪をかけて、少くとも正しく自我を認識する社会人として伸び育つべき個々の精神を、完全に窒息せしめるのである。

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 われわれの精神の畸形は、決して道徳的な善悪の規準に照らしてこれを批判すべきではないが、要するに、結果として、道徳的弱点のあるものに移行する性質を含んでゐるのである。

 従つて、この症状は、精神機能の未成熟期に於ける環境の整理、すなはち、幼年期少年期を通じて、精神形成の母胎たる教育を含む一切の影響の健全化といふこと以外に、予防と治療の方法はないことになる。

 私は、決して、一個の人間の価値の問題について論じてゐるのではない。日本人といふ民族の運命、われわれのすべてが形づくる一社会の幸不幸について、この時代に是非とも考へなければならぬと思ふことを述べてゐるのである。

 風俗の人為的な改革といふやうなことが、理論的にも、歴史的にも、その可能性が疑はれることは、一応尤もである。

 しかしながら、経験と常識が教へる可能性の限界を超え得るかどうかが、かゝつてわれわれの将来の安否を決定するのだと私は信じるものである。

底本:「岸田國士全集27」岩波書店

   1991(平成3)年129日発行

底本の親本:「日本人とは?」目黒書店

   1951(昭和26)年35日発行

初出:「大事なこと」とは?「玄想 第一巻第一号」

   1947(昭和22)年31日発行

   日本人畸形説「玄想 第一巻第二号」

   1947(昭和22)年51日発行

   平衡感覚について「玄想 第一巻第三号」

   1947(昭和22)年61日発行

   精神の健康不健康について「玄想 第一巻第四号」

   1947(昭和22)年71日発行

   恐怖なき生活について「玄想 第一巻第五号」

   1947(昭和22)年81日発行

   悲しき習性について「玄想 第一巻第六号」

   1947(昭和22)年91日発行

   「人間らしさ」といふこと「玄想 第一巻第七号」

   1947(昭和22)年101日発行

   歪められた「対人意識」について「玄想 第二巻第一号」

   1948(昭和23)年11日発行

   いはゆる教育について「玄想 第一巻第八号」

   1947(昭和22)年121日発行

   風俗の改革について「玄想 第二巻第二号」

   1948(昭和23)年21日発行

※「「大事なこと」とは?」初出時の表題は「宛名のない手紙」です。

※「日本人畸形説」初出時の表題は「日本人畸形説 宛名のない手紙二」です。

※「平衡感覚について」初出時の表題は「宛名のない手紙 平衡感覚について」です。

※「精神の健康不健康について」初出時の表題は「宛名のない手紙四 精神の健康不健康」です。

※「恐怖なき生活について」初出時の表題は「「恐怖なき生活」について──宛名のない手紙五」です。

※「悲しき習性について」初出時の表題は「悲しき習性について──宛名のない手紙6」です。

※「「人間らしさ」といふこと」初出時の表題は「「人間らしさ」といふこと 宛名のない手紙(7)」です。

※「歪められた「対人意識」について」初出時の表題は「歪められた「対人意識」について 宛名のない手紙9」です。

※「いはゆる教育について」初出時の表題は「いはゆる教育について──宛名のない手紙7」です。

※「風俗の改革について」初出時の表題は「風俗の改革について──宛名のない手紙完」です。

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2010年525日作成

2016年813日修正

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