其日、其日の気持
岸田國士
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最近二ヶ月ぶりで東京へ出た。用事もあるにはあつたが、その傍ら噂に聞くのみであつた数度に亘る空襲の被害をこの眼でちやんと看ておきたかつたのである。
一方から云ふと聞きしにまさる惨状であるが、また一方から考へると、これが当り前といふ気もする。もちろん到るところ完全な焼け跡が目につくばかりで、空襲当時の不安と混乱と市民の敢闘ぶりは想像の及ばぬものであつたらう。
焼野ヶ原の、その生々しい焼け跡のそここゝに、寄せ集めの材料でバラツクが建てられ、もう着のみ着のまゝの生活が始められてゐるのをみると、私の胸はひとりでに熱くなつた。
それにしても、東京は、まことに、空爆に対しては脆い街であつた。東京市民がさうだといふのではない。東京の都市計画と建築がさうなのである。それを今更気がついたとて何にもならぬが、この経験が教へるものは、単に「防空」といふ一点だけではない。わが国民の戦力のなかに、東京を始め、戦禍の予想外に大きかつた大都市の面影がありはせぬかといふこと、若し、それが無いとはいへぬとすれば、これはそのまゝほうつてはおけぬわけである。
わが信州には、時たま敵機の一二が姿を現はすにすぎぬけれども、その敵機が何を目論んでゐるかはわかる人にはわかつてゐる。「備へあれば憂なし」と云ふけれども、家財道具を運び出し、待避壕を掘り、形式的な防空訓練を繰返すばかりが備へではないのである。
私は、切に県民諸君に訴へたい、「備へ」の完からんためには、空襲を以てはじまる敵の侵寇に対して、国民戦力の基礎を急速に固めなほす必要があるといふことを。
国民戦力の基礎は、存外気のつく人は少いが、実は、われわれの日常生活に外ならぬ。一切の物質生活を超え、しかも、その物質生活を左右さへもする生活の精神面、人間の生き甲斐、働き甲斐、死に甲斐を意味する「その日その日の気持」の問題が、まさに決戦生活の価値を根本に於て決するものである。
私が特に、こゝで、「その日その日の気持」といふ云ひまはしをしたのは、それがたゞ、今日多くの指導者によつて叫ばれてゐる観念的な道義性を更に強調するのでないことを明かにしたいからである。
何よりも先づ、「その日その日の不安」を除かねばならぬ。不安はどこから来るかと云へば、信ずべきものを信ぜざるところから来る。われわれはどうしても、もつとお互を信じてかゝらねばならぬ。人を信ずるだけでなく、人をして信ぜしめよ。例へば、戦災者の数はいくらあらうとも、罹災を免れた国民全部が、これに温い手を差伸べれば、立ちどころに、もとの姿にかへれるではないか。
思ふに、今日の日本人ぐらゐ、他人の気分を尊重せぬ国民はない。自分はそれでゐて、人のすること、云ふことを、馬鹿に気にかける。そのくせ、相手にはうつかり不愉快なものの云ひ方をし、屡々平気で辛く当る。それが、もう一歩突きつめれば、政治の面でも、事務の面でも、生産の面でも、この一点が大きな波紋を描き、官民の疎隔、能率の低下に及んでゐる場合が意外に多いのを注意しなければなるまい。戦力とはかくも平常の力につながる。
まことに、「その日その日の気持」といふものは、自分だけではどうにもならぬやうにみえる。ところが、それをさう思ひ込むのはわれわれの教育のされ方にある。つまり、国民育成の機関と制度とに罪があつたのである。空爆に対して脆い大都市の面影が、そこにもあるではないか。
私はなにも好んで、われわれの弱点のみを挙げたくはない。戦災者のなかには、日本人ならではと思はれる恬淡な気分の持主もゐるし、込み合つた汽車の中でも、同胞なるかなと心の和むやうな風景をみせられることもある。
が、なにはともあれ、敵機は、空の中からも、仔細にわれわれの心理を偵察してゐることを忘れてはならぬ。
底本:「岸田國士全集26」岩波書店
1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「信濃毎日新聞」
1945(昭和20)年5月26日
初出:「信濃毎日新聞」
1945(昭和20)年5月26日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年5月21日作成
2011年5月23日修正
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