空襲時に於ける興行非常対策について
岸田國士
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一、警戒警報発令中の興行に関しては、其の期間、劇場、映画館の閉鎖を以て一応の対策と見做し、目下これに従つてゐるのであるが、警報長期に亙る場合、然も早急に解除の見込立たざる情勢下に於ては、各地方官庁に於て適宜必要に応じ、興行場の再開を許可する方針らしいけれども、其の内容及興行方法に就ては、自ら臨時的考慮を加へなければならぬであらう。
一、空襲を受けた場合、その被害地に於ける興行場の再開に関しては、勿論当局の指示を俟つべきものであるが、興行関係者としては、常に其の動員態勢を崩さず、民心の動向と被害の実情とを察知し、最も敏速に其の機能を発揮して各方面の要求に応へ得る準備を整へておかねばならぬ。
次に東京都を一例とすれば、直ちに研究実践に入るべき問題は左の通りである。
1、空襲を予想して準備すべきもの
イ、劇場、映画館等は直接災禍を免れたとしても、被害現場に近いものは、恐らく罹災者殊に負傷者の臨時収容場として利用されるであらう。
従つて興行場としての機能を果すことは不可能であるから、かゝる処置が決定されると同時に、所在の機具等で移動し得べきものは、責任者を定めてこれを適当な場所に運搬し、出来ればその場所を仮興行場として直ちに当局の認可を求めておくこと。
ロ、空襲直後は多少人心興奮し、応急の自衛処置に忙殺されてゐるから、主として音楽、殊に吹奏楽の如きものを街頭へ繰り出す必要があらう。
これが為には、日本音楽文化協会の組織する各区音楽挺身隊の活躍に期待されるが、この場合、各挺身隊の事務方面を興行関係者が奉仕的に援助し、活動能率を高めることが出来れば最も理想的である。
ハ、日本音楽文化協会、日本浪曲協会の独自の活動に始まる空襲直後の芸能事業は、更に、演芸各部門を組合せた慰問隊の活動となるであらう。
この慰問隊は、何人によつて組織され、派遣されるかの問題は、今日から決定しておかねばならぬ。各機関各団体がめいめいの思ひつきによつて、てんでんばらばらの行動をとることは出動者の為にも迷惑であり、重複と空白の出来るおそれも多分にあるから、この統制は或る程度絶対必要である。
そこで先づ、次のことを今日から提言しておく。
芸能事業の統制は、東京都は東京都庁がこれに当り、都庁は、警視庁の治安取締を背景として、都庁の委嘱する芸能事業非常対策委員会の手に一切の責任と権限を与へる。
委員会は、興行協会、芸能会各部会の役職員、並に大政翼賛会支部職員を以て組織する。
委員会は、興行者、興行場主、芸能仲介業者、芸能各部門の動員計画を樹て、都内各地区に於ける仮設興行場(屋内、屋外共に)の実地調査を行ひ、専門家の協力を得て必要なる準備計画を進める。芸能各部門及び芸能会が独自の立場に於て展開せんとする運動、及び公私団体の名義による芸能事業の内容を知悉し、成し得れば予め協議を行ひ、その間の調整を計る。
ニ、慰問隊の活動に次いで、映画の巡回映写又は移動演劇が要求せられるであらう。
映画にあつては、日本映画配給社、日本移動映写連盟、演劇にあつては日本移動演劇連盟の活動を主としなければならぬが、場合によつては、映画館の人的物的能力をこれに充当することも考へられ、劇団の自主的挺身活動も期待せられる。
これらについては、大体取締当局の諒解を得れば適時任意にこれを行はしめ、たゞ、委員会は、これに対し応分の補助と便宜とを与へることゝする。
劇団の挺身活動に関し、それぞれの計画案を予め委員会に於て取纏めておくことは必要であり、それによつて、各劇団の使命が自ら明かとなる。なほ、それらの計画案に基き、更に綜合的計画を委員会に於て作製することも出来、各劇団の部署を定めることも出来る。
ホ、劇団自体は、空襲直後の活動に備へて、団員の連絡につき周到な規定を作り、演出目録の撰定を行ふことが必要である。予め作者の諒解を求めておくことも忘れてはならぬ。
ヘ、劇団の自主的挺身活動は、いろいろの形で行はれるであらうが、この場合、他からの補助を受けることが出来ず、興行場借入等の為め困難が生ずる場合を顧慮し、興行場主は一定期間興行場の無償提供を行ふべきである。一歩進んで、興行者としては、時期を見て、無料興行を行ひ、国民士気の振作に当らねばならぬ。
興行場の再開に当り、災害の程度と、秩序の恢復程度に応じ、興行法にも自ら適切な工夫を盛るべきであり、演し物についても一応の稽古ぐらゐしておくのが当然である。
ト、映画、演劇、演芸等の外、一般観物と称せられるものゝ興行については、特に空襲時の対策は必要なきものゝ如くであるが、若し、慰問の意味に於て無料提供の意志ある場合、それぞれの団体の統制に服するやう指令すれば足りる。
2、空襲直後実施すべき事業計画
以上の準備に基き、各方面それぞれ活動を開始するのであるが、問題は、一に、被害場所、程度、人心動揺の実情に照し、且つ、政府当局の政治的処置に応じ、最も敏速、適切なる対策が講ぜられなければならぬ。しかしながら、いちいち各種の情況を想定し、これに該当する対策を準備することは不可能であるから、大体に於て左の三つの場合を標準として、臨機応変の措置に出なければなるまい。
一、被害場所が比較的小部分に限られ、帝都全体にさしたる影響なき場合。
一、被害相当大なるも局部的にして、全体として見れば人心や、動揺の色ある不安を生じてゐる場合。
一、被害は帝都の全地域に亙り、治安維持の為め非常措置がとられ、都民の生活混乱に陥りたる場合。
第一の場合は、主として被害地区の慰問激励であるが、都委員会の機構整備の上は恐らく大した問題ではあるまい。
第二の場合は、被害地域の慰問激励と併せて、都民全体の士気を鼓舞するため、敏速に芸能活動を開始しなければならぬ。即ち、被害地区以外に在住する芸能人は、先づ自発的に激起し、都委員会と連絡し、その指令に基いて必要な場所に出動する。都委員会は、自動車又はトラツクを以てこれら挺身隊を移動せしめ得ることが必要である。
次に、都委員会は被害地区の視察を行ひ、計画的に慰問激励の演芸団、劇団、巡回映写隊等を派遣する。それと同時に被害地区に非ざる地域の興行場は、当局の諒解指示を求め、可能な限り急速に、しかも、時期を撰んで最も効果的に開場せしめる。なほ、それと併行して移動演芸、演劇、映写隊の計画配給を行ふ。
この場合、町内会を単位として、これと連絡、時日及時間場所等の打合せをし、一般に回覧版を以て予告せしめることが必要である。
第三の場合は、言語に絶する困難な事情の下に芸能活動が行はれるのであつて、これは、もはや、強力な政治の一翼として、民心把握の原動力たるべきものであり、最も活溌に、しかも、堂々たる形式に於て実施されなければ効果が薄い。単なる個人的思ひつきや、特定の団体の慰問といふ名義では一層混乱を助長する恐れなしとしない。
政府自体、少くとも、都自体が、国家の名に於て、国民に呼びかけるといふ形をとらなければ、群衆心理に支配されがちなかゝる立場の民衆を惹きつけることは不可能である。
従つて、空襲直後、未だ人心安定を保たない初期の活動は最も困難ではあるが出来るだけ大規模な、整頓した陣容を以て之を行ふ計画を樹てゝおかねばならぬ。或は陸海軍々楽隊の出動を要請するが如きは最も効果的であらう。その他、優秀なる吹奏楽団、合唱団等の総動員も計画通り実施する。
廃墟と化した地区へ、若しバラツクでも建ち並ぶことがあるとすれば、適当の空地で、恐らくラヂオは急速に設備されるであらうが、なほかつ、音盤音楽試聴会の如き催しを行ふことも、音盤協会の事業として適当である。その為に要する人員の動員は、地区婦人会或は女子青年団の協力によつて達成し得ると思ふ。
一、警視庁管下の警察管区内に、芸能報国会なるものが設置せられ、警察当局の慫慂指導により目下主として出征遺家族の慰問事業が行はれてゐる場所がある。
また一方、音楽文化協会の事業部面に於て、都下各区に音楽挺身隊が組織せられ、必要に応じ出動演奏の準備態勢にある。いづれも、その目的とするところは結構であるけれどもその事業の限界と、同種事業間の連帯関係を無視することにならなければ幸である。従つて、これらの機関は、常に、都下芸能事業全体の一環として、その占むべき地位を明らかにし、空襲時に於ける事業の統一調整を乱さないやうな配慮が必要であるのみならず進んで、上部機構の指令を仰ぐと共に都委員会の計画に基く芸能適正配置の意図を汲み、その統制に服する用意がなければならぬ。
一、空襲時に於ける興行とは、前述の如き情勢の下に運営せらるべき芸能事業の一重要部門である。
従つて、興行者及興行場主、並に、その職域機関たる大日本興行協会の役割は、当然、自主的たると、所謂上意によるとを問はず、常に、純然たる公共事業の経営管理者たる責任に於て果されなければならぬ。
固より、情況これを許し、事業の精神に反せざる限り、適正な企業の形式に立ち帰ることは差支ないけれども、しかも時局対応の処置が、自己防衛の手段に通ずることは厳に戒めるべきであり、寧ろこれを機会として、わが芸能事業の国家性と公益性とを全企画面に具現し、しかも、国民大衆の必然的要望に応へ、苛烈なる戦局を背景として、新鮮溌剌、最も滋味に富む芸能の生産活動を促し、企業そのものゝ信用に基く確乎たる発展を期すべきである。
興行とは抑も「現に在るもの」をたゞ眼先を変へて大衆に観せることではなく、芸能の本質に徹した識見を以て、時代の好尚と芸能界の動向を察し、優れた才能の萌芽を発見して之を障碍なく成長せしめ、斬新卓抜な趣向を加へてその創造的価値を公衆の前に遺憾なく示し、芸能の魅力によつて其精神に慰安と糧を与へんとする一個の文化事業なのである。
演劇といひ、演芸といひ、また映画といふも、何れも今日では型にはまつてしまつてゐる。興行者は公平にみて其責任の一半を負はねばならぬ。なぜなら、その趣味に偏向がありすぎ、企業としての安全を求めるに急であつたからである。
既往は問はず、この際、興行者は、本然の姿に帰り、戦時下の芸能界に新風を捲き起す抱負をもつて、あらゆる智能を結集しこれを事業の面に取入れ、新鮮な感動によつて国民の渇を癒やすことも亦戦力増強の所以なることを如実に示すことが急務である。興行界にこの機運ありとみれば、才能ある芸能人の奮起は固より期して俟つべく、平時に於て許される如き悠長な重々しい形式内容を離れ、簡素にして明快、しかも、色とりどりの綜合的芸能様式が、何人かの立案によつて生まれて来ること必定である。
かの露国人パレイエフの率ゐる蝙蝠座の公演を一度観たものは、その印象を終生忘れ得ず、かゝる趣向が、如何なる天才の頭脳から生まれたかを知りたく思ふのである。ところが趣向としては別に奇想天外なものではなく、たゞ、パレイエフの芸能各部門に対する綜合的な理解によつて、各部門の有機的な結合が見事に行はれ、スラヴ民族独特の色彩が、その結合に自然な調和と弾力とを与へてゐるのである。単純素朴と快活大胆とが、微妙な近代的感覚によつて処理調合され、そのまゝの模倣ではやゝ日本の国情と時代に適せぬ一面もあるが、それを除けば、採つてもつて今日なほ範とすべき面が多々あるのである。特に附言したいことは、この趣向は決して一部好事者の口に合ふばかりでなく、同国人には勿論、異国の一般大衆にも同様に愛好される極めて万人向きの最も興行らしい興行の見本であるに拘らず、この事業に参加する音楽家、美術家、舞踊家、俳優、そして詩人は、舞台感覚ともいふべき一種訓練された技術的閃きをもつてはゐるが、この仕事に参加するまでは、恐らく、所謂興行界とは無縁乃至は縁の遠い人物ばかりであるといふことである。
更にもう一つ、興行者にして座頭のパレイエフは、開幕前の挨拶を必ずひとくさりやるが、これが聴きもので、観衆は先づ、この人物の類のない魅力に胸を躍らすのである。
巴里を中心に、前大戦後欧米の興行界を驚倒させた曲者は、まことに芸能の国露西亜の宝であると言つて差支なからう。
必ずしも、蝙蝠座に似たものを日本にも作れといふのではない。空襲を予想される戦時下の興行とは正にかくの如きものではないかといふことを言ひたかつたのである。
底本:「岸田國士全集26」岩波書店
1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「興行日本 第一巻第一号」
1944(昭和19)年9月20日発行
初出:「興行日本 第一巻第一号」
1944(昭和19)年9月20日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年5月21日作成
2011年5月21日修正
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