青年の矜りと嗜み
──力としての文化 第四話
岸田國士
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矜りとは自ら恃むところがあることであります。これさへあれば、何ものも怖れずといふ信念です。自負と云ひ、自尊と云ひ、いづれも、己をもつて高しとする精神でありますが、これはむしろ、相手に向つて自分を譲らないことで、いはば競争心の現れであります。しかし、矜りと云ひ、矜持と云ふのは、どちらかといへば、自分自身に対して、しつかりした信頼をもち、いやしくも自分で自分を辱かしめないだけの、ひそかな自信を胸にたゝんでゐることであります。
よく云はれることですが、自尊心といふものは、どうかすると、野蛮人や弱小民族の方が余計にもつてゐて、他から軽蔑されることを極端に気にするあの心理に通じます。これを劣等感のひとつの現れとみるのです。
ところで、さうとばかりは云へません。元来人並以上のものをもつてゐるにはゐるが、それを、たゞもつてゐるだけでは満足しないで、機会ある毎に人に認めさせようとするものがある。これが自尊心、自負心となつて現れます。最もひどいのが「己惚れ」であります。
かういふ人物は、自分を実力以下にみられるといふことが、堪へられない苦痛なので、普通、「負け嫌ひ」と云ふのがこれです。それが露骨に言動のうへに現れると、いさゝか滑稽味を帯びて来ます。それが「負け惜しみ」です。蔭で人が嗤つてゐるのも気がつかぬ有様であります。
自尊心は、以上のやうな場合を除いて、ほんたうに自分の名誉を保ち、面目を傷つけられないために、敢然と己を主張するやうな時、それは立派な行為となつて示されます。
これは、おなじ自尊心でも、矜り、または矜持と称して差支へないものです。
矜りとは、飽くまでも、自分の実力と真価について正しい認識をもち、しかも、ある大事な一点で何人にも負けを取らぬ自信と、その自信が自分に与へられた光栄とを深く心に秘め、如何なることがあらうとも物に動じない覚悟ができてゐることであります。
木村重成が一茶坊主の無礼に対して、「蠅は金冠を選ばず」と云つて、これを相手にしなかつた話を思ひ出してみませう。普通の武士ならば、相手が誰であらうと、身分の卑いものであればあるほど、無礼の程は容赦をしなかつた時代であります。武士の自尊心がこれをゆるさないのです。しかし、重成は、若年ながら、人並の自尊心などでなく、ちやんと名将の器としての矜りをもつてゐました。
日本の青年の矜りとはそもそも如何なるものでありませう。
申すまでもなく、それはまづ、世界に比類なき歴史の上に立つて、次の歴史を更に新しく書きつぐべき最も若々しい力としての矜りでなければなりません。
言ひ換へれば、第一に日本国民としての矜り、第二に、現代青年としての矜りが、そこでは一体となつて現れます。日本人ならば誰でももたねばならぬ矜りと、青年のみがもち得る矜りとが、渾然と融合したところに、日本青年男女の輝かしい矜りが生れるのだと思ひます。
日本国民として、われわれは、自ら大いに恃むところがある筈です。
万世一系の皇室を上に戴き、未だ曾て一度も外敵に屈したことがないのみならず、肇国以来、駸々として国力の発展を見つゝ、今や、亜細亜の解放を宣して強大米英の鋒先を挫くべく、決然起つたのが、われわれ日本人であります。これを矜りとせずして何を誇り得ませう。
かくの如き日本人のすがたは、決して偶然に示されたものではありません。
国の成り立ちから、既に神慮によつて定まつてゐたとは申せ、歴代の聖天子を中心とし奉り、われわれの祖先がひたすら忠誠をもつてこの国の繁栄のために精根を傾けたからでありまして、しかも、それは、行へば必ず為し遂げ得る絶大な国民の能力を示したことになると信じます。
これまた、われわれが自ら恃むところある所以であります。
偉大なる国民としての性能、素質を恵まれてゐるといふことは、明らかにわれわれの矜りとするところでありますが、この性能、素質を国民のすべてが受け継ぎ、その真価を十分に発揮してゐるかどうかといふことになると、これはまつたく別問題です。
従つて、この点でわれわれは、個人として、日本人たるの矜りをもち得るためには、それだけの覚悟と修業が必要でありまして、「日本人は偉いぞ、但し自分は例外だ」といふやうなことでは、困ります。
さて、今度は、青年としての矜りは何かと問はれゝば、それは「若々しい力」だと一口に答へるほかはありませんが、もつと詳しく説明してみませう。
まづ、青年といふものの特質から調べてかゝるのが順序ですけれども、これはあまり専門的な理窟はぬきにして、常識で考へることにします。
年齢から云ふと、大体、十五六歳から二十四五歳までのところを普通青年と呼ぶやうです。私は三十までとしたいのですが、異論のない人はさう思つてゐてもよろしいでせう。
男と女とでは、青年期なるものが多少違ひますけれども、さういふことに関りなく、いはゆる少年の時代を過ぎて、精神的にも肉体的にも、性の自覚をはつきりもちはじめ、世の中を見る眼が多少ひらけ、己の前途について希望や疑ひの起る時代にはひつて行く、これが青年になつた徴候であります。
青年は、例へば、花盛りの時代であります。蕾が綻びて、実を結ぶまで、それは、駘蕩たる春の季節、うらゝかな日光と微風の季節、万物みな歌ひ、天地これに和する季節であります。それはまた、最も盛んなる成長の時期、躍動の時期です。
そして、もちろん、この青春は、永久には続きません。やがて、花の散る如く、青春は去るのです。
青春との訣別は、人間の生長の歴史にとつて、二重の意味で重大であります。
まづもつて、この人生の準備期とも云ふべき時代を、ほんたうに正しく過したか。これから一人前の人間として世の中のため、つまりは国家のために尽す、その能力を十分養ひ得たかどうかといふことが一つ。
次に、生涯の最も楽しい思ひ出となるべきこの時代を、真に純潔に、伸び伸びと、光明にあふれ、歓喜にひたりつゝ、理想への憧れを抱いて邁進しつゞけたかどうかといふことが一つ。
この二つのことがらを顧みて、心から満足に思ふものは、そんなに沢山はありますまい。
しかしながら、そこで如何に悔んでも、もう取返しはつきません。
青年の前には、多くのものが開かれてゐるのに、ひと度、壮年の時代が来ると、半ば閉されたもののみが眼の前にあります。しかも、それを押し開く「力」が既に弱つてゐるのであります。
青年にのみ許された世界、青年のみを迎へ入れようとする領域が、いろいろの道によつて諸君に指し示されてゐるのです。
これを、青年の特権と云ひます。特権といふ言葉は、こゝでは法律的の意味はない。たゞ、青年が社会から好もしい眼で見られてゐるといふこと、それゆゑ、特別な待遇を受けてゐるといふことです。若さに免じて大目に見るといふところもあるでせうが、それよりもやはり、青年に対する世の中の期待の方が大きい。さう考へるのが当り前です。
青年にしてはじめて為し得る行動、青年でなければ易々とはできぬ人生の営みがそこにあるのであります。この時期を逸してはなりません。
もつと具体的に云つてみませう。
青年に対しては、誰も不必要な先入見をもたない。純潔は青年の生命だからです。例へば何処へ出かけて行つて、誰にでも会へる。またどんなことでも云つて、それに一応は耳を傾けさせるといふやうなことがこれです。
青年の欲求には、如何なる場合にも打算がないといふ魅力があります。分別臭さは断じて青年のものではない。右顧左眄は無用、善しと信じて直行すれば、常識ではどうにもならぬ現実が道をひらくのです。
青年のために、すべての学校が門戸をひらいてゐます。個人々々には望みの学校にはひれない事情があらうけれども、それすら、必ずしも不可能とは云へない。つまり、学校教育の施設は、悉くを挙げて、これこそ、専ら青年のために用意されてゐるのであります。
青年は何よりも、その純潔さのゆゑに美しい。肉体的には、皮膚の緊張と弾力ある肢体によつて、精神的には、天真爛漫と想像力と情熱によつて、青年は、その美しさの故に何人からも愛される。青年と青年とは互にその美しさに酔ひ、その美しさによつて結ばれるのです。
青年はまた男子であれば自由に職業を選ぶことができる。今日は戦時下の要求から必ずしもすべての青年がさうだとは云へませんが、それでも、準備と努力次第で、ほゞ自分の欲する道に進めます。少くとも、能力以外に掣肘を受けるものはないのであります。
更に、青年の一番大きい特権は、男子にあつては、国の護りとして、陛下のお召に応じ得る年齢がそこにあるといふこと、女子にあつては、同じく、国の宝を挙ぐべき妙齢と称せられる婚期が、もはや含まれてゐるといふことです。
かういろいろと数へ挙げてはみましたが、要するに、青年の青年たる特別の資格といふやうなものは、結局次の時代を背負ふ勇気と希望とに満ち、伸びる力と溌剌たる美とをおのづから具へた、かの逞しく花やかなすがたであります。
これだけの資格を自然に恵まれてゐるべき筈の青年です。仮りに、一人の青年について、この条件のうちのどれかが欠けてゐたとしても、なほかつ、青年の資格を失ふものではありません。自ら恃むところは何処かになければならぬ。これをはつきりと自覚することが大切です。
ところで、この青年としての矜りは、自分が単に青年であるといふことだけを矜りとするのでは不十分なのであります。その上に、青年として今、自分が何をなしつゝあるか、家のため、社会のため、ひいては国のために、どんな修業を積み、どれほどの役目をつとめ、これから先、如何に大きな使命を果さなければならぬか、といふところまで思ひいたらなければ、ほんたうの青年の矜りは生れて来ません。つまり、為すべきことを為しつゝある秘かな満足と責任の重大さの自覚です。
「前途洋々」といふ言葉は、実に、青年に向つて与へられた祝福の言葉であります。
日本の青年としての矜りは、以上のやうな青年の特質を土台として築かれるのでありますが、世の中は、この青年に大きな希望を寄せ、限りない期待をかけるあまり、青年に対して、いろいろ無理な註文をし、よけいな世話を焼き、うるさく見張りをするといふやうなところもなくはない。時にはまた、青年の気持を理解しないで、その行動を批判し、徒らに青年の自尊心を傷つけ、士気を沈滞せしめるやうな結果を招くこともありがちであります。
しかしながら、それは青年の一部に、たしかに、自ら青年の矜りを失つたやうなものが存在するからだといふことを、はつきり青年の側で認める必要があります。
尤も世間といふものは、必ずしも聡明なものばかりの集りではない。なかには、ものの値打がほんたうにわからない手合がゐるものです。青年を指して、「若造」とか「弱輩」とか、甚だしきは「青二才」とか呼ぶ、あの名称は、たしかに青年を軽く扱つたもので、青年の未熟な、単純な一面を強く指摘して、その発言権を奪はうといふ老獪な保守的思想が生み出したものであります。
とは云へ、一方、青年自身としては、青年の分限といふものを心得、先輩長老を立て、自ら「弱輩」として未だ足らざるところ多きを率直に告白する謙虚さがなくてはなりません。しかも、この謙虚さによつて、はじめて真の矜りが保たれるのだといふことを、深く肝に銘じておくべきです。
日本の青年は、日本の青年としての誇りをもたなくてはならぬ。それなら、その矜りは、如何なるかたちで現されるか。矜りが矜りとして青年一人一人の身につき、それが、立派に日本青年のすがたとなるためには、どういふ風にすればいいか。それがこれからの問題です。
この問題の答へは、私の考へでは、至極簡単であります。
曰く、日本の青年としての「嗜み」を完全に、どこまでも、自分のものとする、これだけであります。
それは、言ひ換へれば、日本人としての「嗜み」を、青年時代から、それぞれの立場でしつかり身につけるやうに修業するといふことに外ならぬのです。
「たしなみ」といふ言葉は、日本語として非常にいゝ言葉であります。最も日本語らしい日本語、落ちついて、含みがあつて、音も美しく、直観の鋭さにみちてゐます。
「たしなむ」といふ動詞から来たものに違ひありませんが、「たしなむ」といふ言葉の意味は、元来「好く」「好む」といふ意味のほかに、「苦しむ、なやむ」といふ意味があり、それが重つて、「修業する」「わざを学ぶ」「道にいそしむ」「磨き飾る」といふやうな意味に用ひられて来てゐます。
従つて、「たしなみ」といふ名詞になると、「趣味好尚」といふ意味から、「心がけ」「用意」「覚悟」の意味ともなり、「慎み」といふ意味にもとれ、「身だしなみ」と云へば身なりを整へることでありますが、「たしなみがある」といふことは今の言葉で云へば、「教養がある」といふ意味にまづなるのであります。
この言葉は、どちらかと云へば、久しく、忘れられてゐた言葉で、相当年配の人の間でしか普段は使はれてゐなかつたやうに思ひます。
私は是非とも、この言葉に今日の新しい生命を与へ、国民錬成の正しい拠りどころとしたいのであります。
私は今、参考のために大日本国語辞典を引いてみてゐます。「嗜み」の項に、太平記からの引用があります。「朝暮只武勇の御嗜みの外は他事なし」。それから、狂言の連歌毘沙門から「小刀は持ちませぬ。たしなみの悪い者共ぢやな」といふ句が引いてある。「武勇の嗜み」とは武芸の修業でありませう。刀を持たぬので「たしなみがわるい」とは、心掛けがわるいといふ意味です。が、こゝではそれがもつと強い意味、即ち、面目にさへかゝはる失態だぞと「たしなめる」意味が籠つてゐます。「嗜む」の項には、今鏡の「さやうに道をたしなみて、やんごとなくなんおはしける」がのつてゐます。道をたしなまれた結果、いとも気高くなられたといふことで、これは明らかに、深い教養が、品位を高めたといふ解釈であります。また、今物語から、「和歌の道をたしなみて、その名聞こゆる人なり」が出てゐます。これは云ふまでもなく、和歌の研究を積んでといふことです。最後に、謡曲から、「露の命を惜しまずして、最期を清くたしなみ給へ」といふ文句が引いてあります。この使ひ方は面白いと思ひます。「最期を清くたしなむ」とは、最期を立派に飾るといふことでせうが、それが平生の心構へにある、覚悟にあることを含めた言葉として理解しなければなりますまい。
言葉そのものの解釈はこれくらゐにしておきますが、もう少し、「嗜み」といふことについて、具体的な問題を拾つて行きませう。
昔から、「武士の嗜み」といふことを云ひます。これは、武士として、常人と異つた、或は人並以上の、特別の「嗜み」なるものが考へられてゐたわけです。武士の役割を果すために第一に必要な武芸の修得の外に、武士たるの体面を保つ上に欠くことのできない日常の心掛け、言語動作、装具外容を含んでゐます。
また、「女の嗜み」といふことが云はれます。女として「かくあるべき」理想を目指して、万事に心をくばり、妻として、母として、主婦として、娘として、申分のない技術と品位とを身につけることであつて、つまりは、日本の歴史が作りあげた日本女性の最も魅力ある映像がそこに示されるわけであります。
「嗜み」といふことは、かういふ風にみて来ると、あらゆる日本人を通じて、それが真の日本人である限り、社会的、性的、年齢的条件に応じて、それぞれに示されなければならぬ力と美との活きたすがたであり、信念と叡智と品位との最も巧まざる表象であります。近代の「教養」は元来結果としてこれと等しいものを目指してゐながら、それは衣裳の如く身に纏ひ、せいぜい栄養としてのみ摂取することで満足する嫌ひがありました。
従つて道徳は批判に終り、知識は答弁のために用意せられ、実は才能の所産としてしか考へられなかつたのです。そこからは心理の分裂が生じました。観念と生活との遊離が著しい現象となりました。そして、それを誰もが不思議と思はなかつたのです。
読書は教養のための殆ど唯一の手段と信じられ、また、それは事実でもありました。家庭と学校の大部分は、子弟の欲するものを与へ得ず、特に、何を欲せしむべきか知りません。雑誌の氾濫は一にその結果であり、活字は活字の力で、人間の精神と生活を支配しようとしました。
教養は新しい「たしなみ」でなければならなかつたのです。さう理解はしながら、なほかつ、修行の方法と場所をもたなかつた近代日本の社会は、あらゆる方面で、かくあるべき日本人の姿を見失はせました。典型の喪失、消滅は、男女性を通じて、青年の最大の不幸でありました。
さて、かういふやうに、「嗜み」といふことは、心と形、肚と技、言ひ換へれば、精神と外貌、或は技術を、常に一体として考へるところに、日本的な人間錬成の真面目が示されてゐると思ひます。
そればかりでなく、「嗜み」の最も重要な本質は、道徳と知識と情操とが、まつたく不可分の関係で織り込まれ、知情意の最も調和したかたちを、その標準として教へ、心身一如の訓練による生活の技術的体得を目的としてゐたといふことであります。今の言葉で云へば、「文化的教養」そのものであつて、これがまた、頗る日本的な、いはゆる綜合の妙味を発揮した物の見方、考へ方だと思ひます。
「嗜み」といふ言葉の含蓄の深さはこゝからも来るのです。それと同時に、この言葉の重み、鋭さ、いづれも、日本人が、長い歴史を通じて、真に「嗜み」を尊重し、「嗜み」に生きてゐたからでありまして、今日この言葉が、既にその内容と共に忘れられようとしてゐることは、日本のために、まことに悲しむべきことです。
そして、この「嗜み」こそは、現代の生活のなかにこれを活かせば、もうそれで立派な日本の文化であり、日本の力であり、日本の矜りなのであります。
さて、それならば、現代の日本人、特に、この未曾有の大試煉の前に立つた日本人として、如何なる「嗜み」を身につけなければならぬかといふ問題です。
これをもつと端的に云へば、われわれ日本人は、この重大な戦ひを見事に勝ち抜くために、どんな「嗜み」が必要かであります。
私どもは、まづこれを祖先の道に学ばうと思ひます。なぜなら、われわれ日本人を、生み、育て、力づけるものは、やはり、この国土と歴史をはなれてはないのであります。
世界の知識と云ひ、外国の長所と云ひ、これを採入れ、消化し、役立たせた、その働きは、もともと、われわれの祖先が、あらゆる修業の道において、その本質を究め、精神をつかみ、練りに練つて、生なきものに生命を吹きこむ、あの「道を悟る」といふ悟道、精根の限りを尽すあの「精進」の力に外ならぬのであります。
目下、国民運動として、あらゆる方面から、官民一体の国力増強の策が講ぜられてをります。
まづ生産拡充であります。工場、農村、鉱山等のいはゆる産業戦士に向つて、日々激励の言葉が放たれ、国民全体も亦、その労に酬いる用意をしてゐるのでありますが、この問題を解決する根本は、なんと云つても、能率をあげるための技術の向上と、技術の力を最高度に、しかも永続的に発揮し得る逞しい精力、即ち精神的肉体的の健康と、特にその精力の泉源とも云ふべき希望と光明に満ちた生活のしかた、即ち、秩序と潤ひある日常生活の確立であります。
以上の要素は、なにかといふと、工場や農村で働く人たちが、それぞれの「道」を体得し、自らの「矜り」として、その人にふさはしい一切の「嗜み」を身につければよいのです。
次には、物資の活用、消費の節約、貯蓄の増額であります。
これもまた、一言にして云へば、質素勤倹でありますから、われわれの祖先、特に華美と贅沢とを排し、剛健質実な家風をうち樹てた武家や町家の、特に農家の伝統的な生活のしぶりをこゝで振り返つてみる必要があります。それは厳粛なまでにつゝましく、美しいほどに無駄のない生活です。単純素朴の立派さ、それは、その単純が磨かれたものであり、素朴が鍛へに鍛へられたものだからです。
この厳粛さと美しさがあつてこそ、つゝましさも、無駄のなさも、それは人間生活と云へるのでありまして、そこには、「家」の矜り、名誉が厳然としてあり、その「矜り」が、一家の「嗜み」となつて現れてゐることに注意すべきであります。
かういふ家風は、むろん一朝一夕に成るものではありません。しかし、日本人の生活はこれでなければならないのです。
では、今日のわれわれの家庭に於て、どういふ点が第一に改められなければならないかといふことです。
それをはつきり云ひますと、迂遠なやうですが、一家のものがほんたうに気持をあはせて、家のなかから一切の「醜い装飾」を棄て去るといふことでせう。
故らに、私は、「醜い装飾」と云ひました。これくらゐ「不嗜みな」ものはないからであります。「不嗜み」とは、「嗜み」の反対で、どういふ点からみても、日本人の矜りを傷つけ、日本人の力を削ぎ、日本の理想に遠いものだからであります。
残念なことに、現代の日本人の生活は、ごく少数の例外を除いて、有形無形の別はありますけれども、実にこの「不嗜み」なもので満たされてゐます。
それでは、この「醜い装飾」とはどんなものを指すのか。それをいちいちこゝで数へあげることはできません。また、実際にあたつて判断を下さなければわからないものもあります。それはともかく、「装飾」である以上、それを求めた当人は、きつと「美しい」と思つてゐるに違ひない。そこが面倒なところであります。けれども、これは見る人が見ればすぐにわかるのでありますから、その気になれば解決は容易であります。
それから、「節度」といふものを固く守ることであります。これも、日本人の「嗜み」のひとつでありますが、例へば、食ひ過ぎ、飲み過ぎ、遣ひすぎ、いづれも、「不嗜み」である。といふのは、簡単に云へば、「だらしがない」といふことで、たゞ単に、物質的な不経済を意味するだけではなく、人間の品位を下げることになり、その上、例の「もつたいない」といふ神慮にもとる行為とみなされるのであります。
節度を失つた人間が、節度ある生活に立ち戻ることは容易な業ではありません。しかし、そこが、自分を鍛へ直し、真の日本人のすがたにかへる肝腎な道でありまして、この時代に生き、この時代を支へるわれわれの、矜りを以て貫かなければならぬ、光栄ある任務だと信じます。
家庭生活、日常生活の改善については、現に各方面でいろいろ研究もされてをり、参考になる書物もたくさん出てをります。
しかし、日本人の嗜みといふ立場から、序でに少しこの問題に触れてみたいと思ひます。
そもそも「家庭」といふ言葉は──どうもすぐに言葉の詮議になりますが、これはやはり現代の日本語が乱れてゐるからで、一応厳密な意味をきめてかゝらないと、誤解が生じ易いのです──「家庭」といふ言葉は、西洋の、殊に英語の「ホーム」といふ言葉から来たのではないかと思ひますが、それだけに、どこか西洋臭いところが残つてゐて、日本風の家族の概念といくぶん喰ひ違つたところがあるやうです。しかし、事実、日本の家族そのものの概念、実質が、現在では時代と共に遷り変つて来てをります。従つて、この家庭といふ、既に日本語になりきつた言葉を、ことさら忌み嫌ふ必要はありますまい。
前置きはこれくらゐにして、家族にしろ、家庭にしろ、ともかく、親子夫婦が一つ屋根の下に集つて生活を営む以上、そこに、他の集団生活にはみられない、特殊な秩序と雰囲気とが生れる筈であります。
祖先以来、幾代も続いて同じ家に住み、同じ習慣をつゞけ、親から子に一切のものが引き継がれるといふ昔の生活と違ひ、最近では、さういふ家庭はむしろ珍しくなつて、多くは、親の家を離れたものが、自分の働きで独立した生活を営み、そこへ家風の違つた他家から妻を娶つて、いはば若いもの同士が、それぞれの好みと経験とを持ち寄つて、いはゆる新家庭を作るといふのが普通であります。或る時機が来ると、郷里から老人を呼び寄せるといふ場合も少くありますまい。しかし、もうそれは、曲りなりにも、一家の流儀といふものが出来上り、または出来かけたところでありますから、老人は、それを見て見ぬふりをしてゐる。よほど目に余つたときは、遠慮がちに口は出すけれども、それはたいがい嫁の気に入らない。老人は唇を噛み、孫を抱いて無念無想に耽るといふ図がそこここに見られます。
頼みに思ふ息子を嫁に独占されたかたちの老人は、せめて孫でも思ひきり可愛がらうとする。孫は老人の愛撫に馴れて、人を人とも思はなくなる。両親の小言も馬耳東風で、しまひに大泣きに泣いて大人を強迫する。
母親は主人の方針に従つて子供をあまりひどく叱らない。叱つてはいけないと物の本にもよく書いてあるからでもある。云ふことを聴かぬ子を叱らないから、ますます横暴を極め、父親の背中さへ足で蹴飛ばす。「およしなさい、坊やちやん」などと母親は猫撫声で制する真似だけする。
父親は、いくぶん照れて、照れかくしに、わざと突慳貪な云ひ方で、母親の、台所へ瓦斯を止めに行くその背中へ浴せかける──「こら、新聞を早く持つてこい。何を愚図々々してるんだ」
まさか、こんな家庭はさうざらにはないと思ひます。しかし、この光景の一部は、今、殆どすべての家庭生活の隅にころがつてゐるのではありますまいか。
およそ、日本の家庭として、これくらゐ、ぶざまな、はしたない、つまり、「嗜み」の欠けた話はないのであります。
たいがいの人はそれに気がついてゐて、さてどうにもならないといふのが、佯りのない現状であらうと思ひます。私は少くともさう信じたいのです。
では、どうすればこの醜いすがたが改められるか。こゝから改めて行かなければ、すべての改革は不可能だといふ私の見解を少し述べてみませう。
こゝで前以て断つておかなければならないことは、なるほどそれは根本的な問題かも知れないけれども、今時分そんなことを問題にしてゐては、急場の間に合はないぢやないかといふ人があらうといふことです。
さういふ考へ方が私はいけないと思ふ。
錆びついた、ねぢのゆるんだ、歯車のすり切れた機械ならば、どんなことをしてでも、それはそのまゝはふつておいてはならないのです。さういふ機械にかけた製品は、きつとどこかに欠点があるばかりでなく、第一に、いくら油を差しても、いつかは全く運転が利かなくなることは眼に見えてゐます。少くともそのうちには能率も次第に下つて行くでせう。そんなことがあつていゝでせうか。
さういふわけで、私は、現在の家庭生活の、この根本的な弱点を改める国民的運動がどうあつても必要だと思ふのです。
それは、何よりも、家庭における「秩序」の確立、或は復活であります。
前にも云つたやうに、時代の推移は、日本の家族の性格を必然的に変へて来てゐます。封建時代そのまゝの家族制度、乃至は、その制度の中から生じた弊害までを、今日、無批判に踏襲せよといふやうなことを申すのではありません。
封建時代に於て、既に日本の「家」の精神はある程度歪められてゐたとも云へるのでありますから、この昭和の聖代に於ては、最も純粋で、美しく、健全な「家」の伝統を、新しい時代の要求に基いて、こゝに描き出して行くといふことがわれわれの務めであります。
この大事業の基礎となる思想は、申すまでもなく、日本の伝統のなかに燦然とその光輝を放つてゐる「忠孝一如」の思想でありますが、それと同時に、最もここで強調しなければならないのは、「家の子は国の子」といふ、久しく封建的家風の下に葬られてゐた極めて雄大な日本古来の国民的観念であります。
この二つの基本的な考へ方の上に、現代日本の「家」の秩序が整然と成り立たなければなりません。
そこからはまた、結婚は単に個人間の問題ではなく、むしろそれ以上に、「家」と「家」との問題であるといふ道理が生れて来ます。そして、最後に、結婚は、国家的にみて相当大きな問題だといふところまで、国民のすべてが考慮を払はなければならないのであります。
この問題はこれ以上詳しく述べる暇はありませんが、要するに、「家庭」の新しい秩序は、「家」の精神を正しく現代に活かした、家族一人々々の分を弁へた嗜みによつて保たれるわけであります。
家庭の秩序といふことは、かういふ家族同士の関係のみを指すのではありません。なんと云つてもそれが土台にはなりますけれども、それ以外に、家庭生活の日常の営み方、普通に家事とか家政とか呼ばれてゐる主婦の仕事を中心とした一切の家庭の問題の処理が、如何に秩序立つて行はれてゐるかといふ問題があります。
この点については、今むしろ各方面で云はれすぎるくらゐ云はれてゐることでありますが、その場合に、これをたゞ、生活の合理化とか、科学化とか、さういふ観点からのみ取りあげ、または、消費生活の規正といふ名で、計画的に生活水準を引下げることが、当面の急務といふ風に喧伝されてゐます。もちろん、その何れも、それだけとしては異議のあらう筈はありません。
しかしながら、国民の総力を最高度に、しかも、永続的に発揮する態度を備へなければならぬ今日、あまり性急に、ものの一面だけを考へて事を運ぶといふことは、注意しなければならないことであります。つまり、角を矯めて牛を殺すといふ結果に陥りやすい。
日常生活は、如何に科学化されても、科学化されるだけでは、それは「生活」とは云へない。金品の消費を極度に節約するのはよろしいとして、節約によつて、「生活」に欠くべからざるものまでを失ふといふことになつては、これは一大事であります。
それには、「生活」といふものの内容を細かに吟味し、日本人としての「生活の拠りどころ」をはつきり把み、苟くも、日本人たるの「矜り」を傷つけ、国民としての質を低下させるやうな「生活」にまで自分たちを追ひ込まないやうに心掛けねばなりますまい。
こゝで、物質の欠乏をある程度まで精神が補ふといふ実例をあげて、「生活の秩序」とは、かくの如き心構へと方法とから生れるものだといふ結論を得たいと思ひます。
幾組かの家族がありました。それぞれ子供がゐて、近頃は洋服がなかなか間に合はない。一軒の家だけでは、どんなに工夫をしても、順繰りに下の者に譲るといふことさへできません。そこでこの幾組かの家族が、共同で、子供の被服類をお互に融通したり、交換したりする組合のやうなものを作つたのであります。十六になる甲の家の娘の小さくなつたスェーターを、十四になる乙の家の娘が譲りうける。乙の家の中学を出た男の子の制服が、丙の家の今年中学へはひる丈高のつぽの子に丁度いゝ。かういふ工合にして、消費の節約と物資の活用とを実践してゐる話が私の知つてゐる範囲にあるのです。
生活を秩序だてるといふことは、近頃の言葉で云へば、生活に計画性を与へるとでも云ふのでありませうが、これは、一家の主婦だけの力では、すべての解決は困難でありませう。どうしても、主人の英断と協力が必要になつて来ます。そのうへ、以上の例でもわかるとほり、生活の協同化といふ一つの新しい試みが、十分の用意をもつて企てられなければならないのであります。
最後に、私は、生活上の「秩序」として、すべて「かまける」といふことがないやうに、常に心の余裕、ゆとりをもつことが大切だといふことを附け加へたいのです。余裕とは決して、心の緩みをいふのでもなく、骨惜しみを指すのでもありません。これこそ、家庭生活を味ひあるものとするひとつの要素であるのみならず、この「味ひ」のないところには、「秩序」も真の「秩序」となり得ないといふことを、とくと申しておきたいのであります。
家庭の「嗜み」についてはこれくらゐにして、次は、社会生活全般に亘つて、日本人の「嗜み」がどんな形で現れてゐなければならぬかを述べませう。
わかり易いところから、先づ、「身嗜み」について申します。
「身嗜み」は、女に必要であると同時に、男にも必要であることは云ふまでもありません。しかしながら、女の粧ひは、女にとつて一つの精神的労作ともいふべき「生命の表現」でありますから、これを男の場合と同様に片づけることはできますまい。
「女はおのれを好むもののためにかたちづくる」と古人は申しましたが、結局、女の本能は自分を美しくみせるにあるといふぐらゐの意味であらうと思ひます。
それはそれで異論はありませんけれども、そもそも、「美しくみせる」といふ技術と、その技術の根柢をなす真の「女性美」なるものの標準について、現代の女性は、私に云はせると、多少迷つてゐるのではないか、自分のどういふところを活かせば一番美しくみえるか、といふはつきりした目当てがないのではないか、さう思ふのです。
そこから、「女の嗜み」に反する「身嗜み」が平然と行はれるのではありますまいか。
最も私たちの眼を惹く実例は、お花の稽古に通つてゐる娘さんたちの、およそお花の精神とは縁遠い、つまり、自然の美しさを活かす、といふ極めて日本的な奥床しい芸道に身を入れながら、とんでもない不自然な、まつたく衣裳のなかに人間がかくれてしまつたやうなけばけばしい着物を着て、それで少しも自分の矛盾に気のつかない、あの「不嗜み」な粧ひであります。
もうひとつの例。工場などに働いてゐる娘さんたちの、工場への往復の衣裳、殊に、休みの日のいくぶんおしやれをした恰好は、なんと、この娘さんたちに似つかはしくない、どぎつい、軽薄な、そして物ほしげな卑しさの見すかされる着飾り方でありませう。
制服のできてゐるところは別ですが、さうでなければ、私は是非、適当な方法で、女子産業戦士としての、可憐なうちにも凜とした、爽やかで落ちつきのある外出着の選び方を研究してほしいと思ひます。
一般の男子についても、私は、かねがね、服装に対する観念が昔と大変に違つて来て、「嗜み」といふ見地から自分の身なりに気をつける男が少くなつたことを、これでよいのかと思つてゐたのですが、今は、殊更それを云ふべき時機ではありますまい。
たゞひとつ、青少年の服装について、世間があまり親切でないことを、私はいくぶん心配してゐるものです。材料に制限のあることは、これは已むを得ませんが、せめて、制服の仕立をもう少し注意して、からだに合ふやうにするとか、それも無理なら、軍隊のやうに一装二装に別けるとか、特に帽子の被り方、靴の手入など、そこまでの母親の心遣ひがみせてほしいと思ひます。
それから、大学や専門学校の、学生のあの制帽と詰襟の制服に、背広型の外套を着た姿は、決して見よいものではないといふことを、どうして誰も気がつかぬのでせう。近頃、襟巻は外せといふ声を聞きますが、これも外套を詰襟にすれば自然に解決する問題です。詰襟にして、しかも裾を短く、広く、海軍の水兵の外套に似せてなほ工夫すればよろしい。国民服についても同様のことが云へると思ひます。
こんなことを仰々しく取りたてゝ云ふわけではありませんが、かういふ無頓着さが、近頃は、だんだん目に余つて来て、「身嗜み」といふ点から、現代の日本人の「嗜み」を判断されたら、まつたく冷汗ものであります。しかし、一国の文化の程度は、かういふところからも推測し得るものであります。
なぜかういふことになつたかといふと、やはり、前に戻つて、家庭の責任といふことになりませう。
昔は、服装については実にやかましかつたのであります。それも、母親がちやんと、主人や子供たちの衣裳に関して、必要な知識と感覚とを具へてゐて、決して、世間で嗤はれるやうな恰好はさせなかつた。今のやうに、息子や娘に、「お母さんは洋服のことはご存じないから」とか、「お母さんの好みは野暮つたくて」とか、そんなことは、仮りにも云はせないだけの権威をもつてゐたのであります。
息子や娘が従順であつたからといふ、たゞそれだけの理由ではないことを、私は確信してゐます。むしろ、昔は、慣例、仕来りといふことが厳格に守られ、服装の選択範囲も比較的限られてゐたために、さう複雑な知識や感覚を必要としなかつたといふことだけは云へませう。そこが、現代の母親の大いに用意と苦心のいるところであります。
私は先だつて東北のある村を視察しましたが、たまたま国民学校の小さな生徒たちが、学校が退けてぞろぞろ家に帰る途中といふところに出くはしました。
農村の子供たちの将来について、私は非常な関心をもつてをります。無邪気に戯れながら、三々五々、野道を後になり先になりして、家路へ急ぐのでありますが、家には誰が待つてゐるかと、私はふと思つた。農村の母親は、多分、今時は野良の仕事を一手に引受けてゐて、子供のためにおやつを用意して待つてゐるやうなことはありますまい。それほど忙しく、それほど、子供のことはかまつてゐられないのです。
しかし、私は、その時、子供たちの服装をみて、どれもこれも、ひどいものだといふことに、聊かあきれたのです。どうひどいかといふと、それは、粗末だとか、汚れてゐるとか、そんなことではない。一種名状すべからざる「だらしのなさ」であります。それは、単なる醜さではない。なにか悲しげなものがある。私は心が真つ暗になりました。
私は考へたのですが、それはまさしく、母親といふものの愛情が、子供の服装の上に、どういふ形ででも現れてゐないといふ無残な光景ではありますまいか。つまり、子供に着物を着せるといふ、その母親らしい心持が、それらの子供たちをみてゐて、ちつとも私には感じられないといふ事実です。
農村生活の現状が若しかういふものなら、それは由々しいことだと、私はその土地の人にも語つた次第であります。
もともと、「身だしなみ」といふのは、飾りといふ意味での服装だけについて云ふのではありません。むしろ、頭から爪先までといふ全身にくばられた用意のほどを意味するのであります。何処へ出ても、人間としての矜りを保ち得るだけの身支度であります。
そこで、あまり「身だしなみ」にこだはつて、却つて不自然な、男ならばこせこせした印象を与へるといふやうな結果になることがあります。これはもう、ほんたうの「身だしなみ」ではなく、一種の虚飾であり、日本的な「嗜み」を失つた浮薄で柔弱な趣味の持ち主だと私は思ひます。「身なりをかまはぬ」といふことが、どうかすると、逆にその人柄の美しさを褒めた言葉として用ひられるのは、さういふ現象に対する皮肉であります。
フランスにも、エレガンス・ネグリジェといふ言葉がありまして、「身なりをかまはぬやうにみせた身だしなみ」を指すのであります。「なげやりの美しさ」であります。かうなると、おしやれの道は、東西その軌を一にしてゐると云はなければなりません。
「身嗜み」についてはこれくらゐにしておきまして、次には、「時と場所柄とを弁へる」嗜みについてお話をします。
「時と場所柄とを弁へる」といふことは、日本人が昔から非常に大切にしたことでありまして、家庭教育はこの点に力を注ぎました。
世間も亦、多少酷なと思はれるほど、これによつて人の値打をきめるといふ風がありました。
明治以来、封建的な社会秩序が乱れ、時と場所との観念が昔どほりでは通用しないところもできて来て、つい、世間一般もたいがいのことは、大目にみるやうになつた。家庭でも、以前のやうに厳しい躾けはできない。両親は、子供のすることを、はらはらしながら、黙つて見てゐるやうになつてしまつたのであります。
現在の社会は、云つてみれば、さういふ子供たちが大人になつて形づくつてゐる社会であります。
行儀作法といふやうなことも、この時と場所との観念をはなれては、もちろん、意味がないのであります。意味のない行儀作法を教へるから、それは守られないのが当然であります。
言葉遣ひにしても、標準になる正しい言葉遣ひといふものは当然なければなりませんが、それは飽くまでも、時と場所柄との観念と結びついて、美しく活かされるべき性質のものであります。習つたとほりの言葉を、何時、何処ででも遣ふといふことになると、それは滑稽であります。つまり、「嗜み」がないといふことになる。
行儀作法、言葉遣ひを含めた人間の行動の規準は、めいめいが己れの「矜り」を保つといふところにあるのは当然として、その「矜り」が、社会生活を最も秩序あるものとし、人と人との関係を常に円滑に運ばせるやうなものであることが絶対に必要であります。
自分の「矜り」が、他人の「矜り」を傷けるやうな場合が仮りにあるとしても、それが不必要に、不用意になされてはならないのであります。まして、他人の矜りを傷つけることによつて、自分自らの「矜り」を失ふといふ結果も往々にしてあり得るのです。米英両国の今日は、まことにその好適例のやうに思ひます。
時と場所柄とを弁へぬ「不嗜み」は、いはゆる躾けのわるさにもよりますが、一方、「思ひ上り」から来るのであります。
米国人の「がさつ」なことと、英国人の「人を人とも思はぬ」傲慢さは、既に譬へ話になるほどの世界の定評でありますが、われわれ日本人の古来、それによつて比ひなき「ゆかしさ」を示した謙虚の美風も、今はどうなつてゐるのでありませう。
時と場所柄とを弁へないために、相手の感情をそこね、一座の空気を白けさせ、纏る詰も纏らないやうにしてしまふ例を、私は屡々私の周囲に見るのであります。公の場所では、その例が特に目立ちます。最も「嗜み」がなければならぬ指導階級の人々で、「嗜み」を忘れた言動を敢てする結果、これに対する軽侮と反感が一般に生じてゐる例も間々あります。
およそ、人に対する尊敬と信頼とは、その人の「考へてゐること」に対してではなくて、その人の「すること」と「言ふこと」に対してであります。如何に立派なことを考へてゐても、人前で「嗜み」を欠いた、つまり、人としての矜りを自ら棄て去り、人としての魅力を台なしにするやうな言動を平然として示すならば、それはもう、指導者としての資格を失つたものと云はざるを得ません。
われわれ一般国民の相互信頼も一致協力も、また、われわれ一人々々の、時と場所柄とを弁へた「嗜み」ある言動によつて、多くはその実が挙げられるといふことを、今こゝで、深く考へなければならないと思ひます。
近頃、「親切運動」といふやうなことが提唱され実践されてゐますが、私は、これがつまり、「嗜み」の復興を目指した運動だと解してゐるのです。「親切」といふ言葉は誰の耳にもはひり易いので、さうしたのに違ひありませんが、どうも「含み」が足りません。親切の押売りは、やゝもすると、日本人の好みに反した「わざとらしさ」に終るからであります。人に親切にする前に、自分の「嗜み」として、自らの矜りのために、当然なすべきことが、そこでは取りあげられてゐるからであります。
例へば、乗物のなかで、若い元気なものが席を立つといふが如き、それは若いものの「嗜み」に過ぎません。決して「親切」などといふ道徳めいた色合で塗りあげなくてもよろしいのです。
商人が無愛想になつたといふ。誠に困つたことでありますが、これも、客の方が卑屈で図々しい以上、無理もないことです。そこで、商人も客も、それぞれ相手のためにどうかうといふ前に、まづ、自分自身に対して恥かしくないかどうかを反省してみるべきです。「矜り」の失はれたところからは、決して、高い道義は生れません。「礼」の精神も亦、本来、自らを持する「嗜み」の深さであります。徒らに相手の歓心を買ふことではありません。
時と場所柄とを弁へるといふことは、社会の一員として生きる自覚と、それがための幼少からの技術的訓練とによつて、ひとりでに出来上つた感覚を指すのであります。いちいちその場に当つて頭を使ふといふやうな性質のものではありません。
でありますから、これはどうしても、長い間の躾けによるほかはないのであります。
この躾けは誰がするかと云へば、申すまでもなく、家庭では両親、殊に母親、それから少し可笑しいやうですが、夫のある種の躾けは細君がやらなければいけません。現にそれは、いろいろな形でやられてゐるのであります。
学校では、教師がその役をつとめます。時によると、上級生乃至は同僚の手を煩はさなければなりますまい。
社会に出ると、社会そのものが目附役でありますが、その時はもう遅い。大小の差はありませうが、それはもう失敗、失策といふレッテルを貼られます。ある組織のなかでは、指導的な立場にある人の、かういふ点までの指導が是非なくてはならぬと思ひます。
今まで、この「躾け」といふことが、とかく七面倒くさい、窮屈なことばかりを強ひられるやうな印象を与へがちであつて、そこに、人としての魅力、品位がつくものだといふ、おのづからな矜りを伴はせるやうなやり方が忘れられてゐたことは、なんと云つても、大きな誤りでありました。
昔は、わざわざそんなことを云ふ必要のないほど、指導者には、指導者らしい「嗜み」があつて、その「嗜み」がそのまゝ、「躾け」の効果をあげてゐたのだと思はれます。
今はちよつと、さうは行きかねるやうなところもあるのですから、もう一度、「躾け」の方法といふものを考へ直してみなければなりますまい。
この点、軍隊における「躾け」は、国軍の威容と品位といふことに巧みに結びつけた、非常にはつきりした方法がとられてゐるのです。わが陸海軍軍人が、その実戦能力の卓抜さに加へて、それぞれの風格を発揮した「嗜み」によつて、国民に親しまれるのは、実に、その結果であらうと信じます。
時と場所柄とを弁へることが「嗜み」のひとつであるといふことは、「嗜み」なるものが、決して型にはまつた、融通の利かないものではないといふ証拠なので、何時も「他処行き面」をして取澄してゐることが「嗜み」であるなどと考へてはなりません。
締るときには締り、寛ぐときには寛ぎ、常に自然のうちに周囲との調和を保ち、その言動に聊かも狂ひのないことがその眼目であります。
それゆゑ、豪放と云ひ、磊落と云ひ、洒脱と云ひ、その性格のおのづからな発露である限り、それは一種の魅力でこそあれ、その性格のために「嗜み」がないと云はれる理由は毛頭ないので、たゞ、その性格が、やゝもすれば誇張を伴ひ、自己陶酔に陥る危険がなくもないので、さういふ場合は、得て俗にいふ「脱線」となつて、羽目を外すことになります。それも亦、時によつては愛嬌ですまされますが、その程度と場所柄によつて、他の顰蹙を買ふのであります。
これに反して、生真面目な、物事を慎重に考へるといふ風な性質の人物が、往々、座興の席でひとり苦虫を噛みつぶしたやうな顔をしてゐたり、さもなくても、人の戯談にすぐ腹を立てたり、突然固苦しい話題をもちだしたりして、座をなんとなく白けさせることがあります。これも「嗜み」の問題で、心が練れてゐない結果であります。
しかしながら、こゝで注意すべきことは、いはゆる「八面玲瓏」殊に「八方美人」といふやうなことが必ずしも「嗜み」ではないといふことです。これはむしろ「性格」そのものでありまして、訓練によつて磨かれた「勘」ではなく、この「性格」はどうかすると、「老獪」または「軽薄」に通じます。多くは「八面玲瓏」の油断のならなさ、「八方美人」の頼りなさが誰の眼にもそれと感じられ、もうそれが感じられるだけで、その人物は、それだけの人物だといふことがわかるのであります。
更にもうひとつ注意すべきことは、「嗜み」の消極的な一面、即ち、「羽目を外さぬ」といふ面だけをみて、それなら、結局、「尻尾を出さぬ」といふこと、「猫をかぶる」といふことではないかと考へるものがあるかも知れませんが、それは大きな間違ひです。なぜなら、最初にも云つたとほり、「嗜み」とは、「矜り」の現れでありまして、他人の前をつくろふ精神とはおよそ正反対なものであります。周囲との調和といふことも、周囲によりけりであることはもちろん、苟くも常におのれを屈して忍ぶべからざるを忍び、自己の保身のために妥協を旨とするやうな意味は絶対にないのです。
どの程度を忍び、どの程度を譲歩すべきかは、日常絶えずわれわれに迫つて来る問題ですが、この処理は、概ねその人の性格と「嗜み」とを示すものでありまして、いはゞ、社会生活を通じての興味ある自己訓練であります。
主張すべきことを主張し、貫徹すべきことを貫徹する断乎たる態度は、威あつて猛からぬ風貌挙止とともに、日本人の「嗜み」として最も尊重せらるべきものであります。
時と場所柄とを弁へぬといふ点では、堂々と自己の所信を述べるべき場合であるにも拘らず、徒らに遠慮また躊躇して、その機会を逸してしまふやうな例が少くありません。特に、それが勇気を欠くためとあつては、まことに「嗜み」のない話であります。かういふ際、よく、喋るのが嫌ひだからとか、下手だからとかいふ遁辞を用ひるのですが、これもよく考へてみると、喋るのは必ずしも、好きだから、上手だから喋るのではない──さういふ人もあるにはありますが──人間に言葉が与へられてゐる以上、人に向つて言ふべきことをはつきり言ひ得るといふのは、われわれの当然の「嗜み」であらうと思ひます。
ところで、かういふ私の配慮が、一般にはまつたく無用と思はれるほど、如何なる時、如何なる場所でも、必ず、一席弁じないではゐられない人々が近頃はなかなか多いのであります。みんなが演説に慣れて来た時代とでも云ひませうか、しかし、それにしても、「時と場所柄とを弁へた」演説、議論といふものは、なかなか少いものだといふことを私は痛感してゐます。さう改まらなくてもいゝのに改まりすぎたり、小人数の会合で大声を張りあげたり、人の喋る時間がなくなるほど長談議をしたり、罪もない参会者の一人を序でに槍玉にあげたり、可笑しくもない洒落をひとりで悦に入つたりといふ図は、いかにもその人の「嗜み」のほどが察せられるのであります。
議論といふとすぐ喧嘩腰になるのも、議論の目的を履き違へた「不嗜み」であります。論争とか討論とか云へば、相手の主張を理論的にも破砕し、飽くまで彼我の立場を正邪によつて分つべきでありませうが、普通、相談事や、衆智を集める意味での協議会、座談会などで、多少考へが違ふからと云つて、いきなり喰つてかゝるやうな剣幕で相手の説を論難攻撃し、またそれとは逆に、人が少し強く反対でもすると、やにはに血相を変へ、憂鬱になり、あとは拗ねて口も利かぬといふ独りよがりの態度は、まつたく、議論といふものを「勝負」とのみ考へ、長短相補ふ合議の精神を無視した、許すべからざる狭量さであり、少くとも日本的な「嗜み」に反するものであります。
近頃、「日本的」といふ意味が、どうかするとたゞ「一途な」、「理窟ぬきの」言動を指すやうに誤解されてゐないでもありません。
「一途な」といふことは、時によるとまことに美しく、屡々人を駆つて大きな働きをさせることもありますが、それはたまたま正しい道に向つてのことであつて、「理窟ぬき」が、飽くまでも「理を超えた真理」を主観的につかんだ時にのみ行為の価値を生むのと同様であります。そして、正しさを胸で感じ、真理を鼻で嗅ぎとるといふやうな「離れ業」を易々となし得る日本人の能力は、やはり、練りに練り、磨きに磨いた祖先の遺風、「嗜み」を身につけて始めて十分に発揮されるのであります。
臆病なものには我武者羅になれと云ひ、神経質なものには図太くやれと、激励叱咤するのは、あながちわるいとは云ひません。しかし、それを文字どほりに振りまはして、純乎たる中正の道を閉すことは、われわれ日本人の敢てとらざるところであります。
戦ふ国民としての覚悟と気魄とは、決して肩を怒らしたやうな強がりや、自制を失つた大言壮語によつて示されるものではありません。
「ゆかしく、凜々しく」とは、私が、つとに日本精神の表情として、自ら訓へとし、試みに人にも示した言葉であります。
日本人の「嗜み」が若し、日本人らしき心の様々なすがただとすれば、それは、男女の別なく、如何なる場合にも、「ゆかしく、凜々しい」ものでなければならぬと信じます。
「嗜み」の最も厳しい日本的性格は、如何なる場合にも、「不覚をとらぬ」といふことであります。「不覚をとる」といふ意味は、武士の戦場に於ける不名誉をはじめとし、何人たりとも、油断のため失態を演ずることであります。卑怯未練な振舞はもちろんのこと、用意周到を欠いて、いざといふ時あわてふためくが如きは、これみな「不覚」のいたすところで、それぞれの立場に応じ、分に従ひ、何時どんなことが起つても、自若としてこれに立ち向ふことのできる準備ができてゐて、はじめて、「不覚をとらぬ」ことになるのであります。
これがため、心胆の錬磨、技能の熟達、細心の注意、特に名を重んじ、恥を知ることが必須の要件であります。
およそ日常生活のあらゆる「嗜み」は、最後はこの「不覚をとらぬ」といふ一点にその目標をおいてゐると云つてもよく、それといふのも、めいめいが「自ら恃むところ」あるを期して深く己を戒め、男は男たり、女は女たるの「矜り」を全うすることが、日本人の生き甲斐であるからであります。
そこで、この「不覚」といふ言葉が、元来、精神のたしかでないこと、「思はず知らず」なにかをしてしまふこと、を意味しながら、そのことに対して、自ら責任を負ひ、罪を被るといふところに、峻烈苛酷な日本的道義の精神があるのでありまして、「うつかり」してゐたとか、気がつかなかつたとかいふ口実によつて、当然罪が軽くなるやうに思ふ風習は、頗る「嗜み」のない話で、「不覚」の一言は、常に冷汗三斗の思ひとともに述べらるべきものであります。
「用意周到」は、さういふわけで、「不覚をとらぬ」ための大切な心掛けですが、それと同時に、もうひとつ、不覚をとらぬ「嗜み」としてこれも是非、今日のわれわれが考へなければならないことは、よい意味の「強情我慢」といふことであります。
いかに用意周到であつても、人は何時なんどき「不意をくふ」ことがないと保証できません。更にまた、思ひもよらぬ困難、想像以上の苦痛に見舞はれ、或は、激しい衝撃によつて恐怖に襲はれるといふやうな場合、これに抵抗する力は、誰にでもおのづから具はつてゐるとは云へますまい。さうありたいものですけれども、それは、いはゆる凡人の常として、如何ともしがたいことであります。そこが、「強情我慢」の物をいふところです。特に武士の家に生れたからには、「弱音を吐く」こと、「悲鳴をあげる」こと、「取り乱す」こと、これが「不覚」のなかの「不覚」であつて、「嗜み」の上から、なんとかしてその前で踏み止る命がけの努力が必要とされました。
「武士は食はねど高楊枝」と云ひ、「侍の子は腹がへつても饑じうない」と云つたのはそこでありまして、この、見やうによつては瘠我慢とも称し得る強情一徹は、それだけとしてはなんの役にも立たぬやうに見えますが、実は、これが武士の死生観にもとづく、人間超克の苦行を象徴するものであります。
そこからはまた、喜怒哀楽を顔に現さぬといふ禁欲の精神が生れて来るのでありますが、これも極端な解釈は個人的な好みに委せるとして、普通は、度を越えた感情の表白は慎むべしといふ、「嗜み」のひとつとして心得べき自戒なのであります。
いづれにしても、この種の自己抑圧とでも云ふべき訓練は、単に武家に限らず、われわれの祖先が、あらゆる階級、あらゆる職業を通じ、或は芸道の修業に於て、或は日常生活の規律として、多かれ少かれ、これを経て来たのでありますから、それはもはや風習として身につき、相貌の如く自然なものになつてゐたのです。
これが明治以来、西洋文明の移入とともに、かの近代思想たる個人主義、自由主義の氾濫となり、しかも、それらの皮相な理解と歪められた現象の送迎によつて、何時の間にか「人間のかくあるべき姿」を見失ひ、「人間のかくある姿」に興味と同情が集つて、遂に、「人間の弱さ」を強調し、そこに「人間らしさ」を見ようとする不健全な思潮が上下を風靡しました。
封建時代の武門政治による、いくぶんは人格無視の傾向を示した社会秩序に対する反動と云へば云へませうが、日本の伝統は、将軍幕府の政策やその重圧下に萎靡した庶民の理想を、遥かに超えたところにあり、日本国民の見事な典型は、云ふまでもなく、万葉の「ますらをぶり」に昭々としてこれをみることができます。
「海ゆかば水づく屍」のあの悲壮な決意は、「大君のへにこそ死なめ」の大悲願によつて、はじめて雄渾典雅な響きをもつのでありまして、こゝに人間最高の「私なき」姿が顕現するとともに、日本人の窮極の「矜り」と「嗜み」とが、自然にしてしかも厳しく、悠々たるうちに情熱をたゝへた、世に比ひなき美しい映像となつて浮びあがるのであります。
昔から武士の「嗜み」の完全な姿を形容して、「花も実もある」といふ言葉があります。それは武士だけに限らず、日本人すべての理想もこゝにあつたに相違なく、つまりは、「力と美」への憧憬であり、「強くして優しい」人間像への讃美であります。
戦陣訓に「ゆかしく雄々しく」とあるのは、戦場に放ける将兵の「嗜み」をそれと示したものでありますが、これこそ、「花も実もある」の同義語と解してよろしからうと思ひます。従つてまた、これは、戦ひつゝある日本国民の姿として、今日、男女のすゞてに適応すゞき適切な標語であります。
「花」とは心情の深さ、豊かさであります。知徳秀で、忠孝の志厚く、古今の書に通じ、芸道に明るく、挙止端正にして礼にかなひ、温容よく子供をなつかしめ、弱者に対して涙あり、想は磨かれて詩歌ともなり、人心の機微をつかんで、明察よく事を断ずるといふのがこれであります。
「実」といふのは、武人ならばむろん武芸に熟達し、勇気に富み、名を惜しむといふやうな武士本来の資格を完全に具へてゐることを指しますが、一般には、それぞれの職分を達成するための実質的能力と、事に臨んで臆せざる剛毅にして果敢な精神でありませう。
かういふやうに、「花」と「実」とをはつきり分けて考へなくてもよく、また事実、さうはつきり分けられないところもありませうが、便宜上こんな説明をしてみただけです。
こゝで注意すべきことは、「戊申詔書」のなかにも、「華ヲ去リ実ニ就キ」と仰せられてある、この「華」といふ言葉は、「花も実もある」の「花」ではなく華美とか浮華とかいふ場合の、軽薄な装飾、つまり、「虚飾」を云ふのでありまして、これはまつたく問題が別であります。
要するに、花と云ひ実と云ひ、それが美であらうと力であらうと、単にその時々の心構へや努力だけではどうにもならぬものであります。
その意味で、「氏」と「育ち」は昔から、人間の人格価値を大部分左右するものとされてゐるのであります。が、少くとも、日頃の工夫鍛錬は、「育ち」の延長として、自己育成の仕上げともみるべき決定的事業です。「嗜み」の「嗜み」たる所以もまたこゝにあるのであります。
さて、「青年の嗜み」として、特に青年のみに必要なことがらはなんであるかといふと、それはもう、今迄の話でもわかるとほり、別に取り立てゝこれと云はなくても、日本人としての「嗜み」のすべては、青年としても既にこれを身につける準備をはじめてゐなければならぬ、といふことです。
しかし、それにしても、「青年の矜り」なるものが「青年の嗜み」の基礎となる以上、そこにはおのづから、「青年らしい」独自の表現が生れる筈です。
それについて、重要と思はれることを、二三例をあげておきませう。
先づ第一に、家族の一員として、青年男女の占める地位を考へてみませう。多くはまだ両親の膝下にある時代です。なかには父母のいづれかを喪つたものもありませう。しかし、何れにしても、家長またはそれに準ずる親権者の庇護と支配とを受けつゝ或は学業にいそしみ、或は家業を助け、または他の職場に通つてゐるのです。
従つて、これら青年男女の「嗜み」として最も肝要なことは、家族の年長者に対する心遣ひであります。
青年は、「家」の希望であり、光明であり、男子ならば将来を支へる力、女子ならば外に開く花であります。かゝる一家の期待に応へる覚悟と日常の行動は、青年をして、「よき息子、よき娘」たらしめるものでありますが、常に溌剌として意気昂れる風貌挙止は、最も両親を安堵せしめることを忘れてはなりません。それと同時に、謙抑己を持して、苟くも抗弁に類する言辞を弄しないといふことが、青年のいやが上にも頼もしい態度であります。
時には年長者の無理解といふこともありませう。これを正しい理解に導く手段は、決して抗争ではなくして、むしろ、沈黙の従順、然らずんば、好機を待つといふことであります。両親の譲歩は常に信用の程度に比例するものだからです。
両親に対する青年の絶対な聴従といふものは、そこに卑屈な陰翳を伴ひさへしなければ、まことに青年自身の品格を高め、一家の貫禄を重からしめるものであります。
次に、「青年の嗜み」として挙げたいのは、徒らに苦痛を訴へないこと、安逸を希はないことであります。暑い寒いの挨拶も、青年には似合はしくありません。烈風に面を曝して快とするやうなところが多分にあつてほしいのであります。青年は如何に瘠我慢を張つても「痛い」などといふ言葉を口にしないところに、少しも不自然でない、青年らしさがあります。
疲れても疲れをみせず、腰をおろしたくても起つたまゝでゐるといふ風なことは、それが仮りに「気取り」であつても、さういふ「気取り」ならば青年にはゆるされます。
ましてこの種の「我慢」は青年の自己訓練として当然必要でもあり、また、その「我慢」そのものが、ゆかしくも凜々しくもみえるのです。
青年男子は、何をおいても「男らしさ」の修業を心掛けねばなりません。「男になる」とか、「男を磨く」とかいふ言葉は、主として徳川時代にある特定の階級で用ひられたために、一種の臭味を生じてゐますが、これは決して侠客の専用に委すべき言葉ではないと思ひます。「任侠」の倫理は如何に男性的でも、「やくざ」と自称する理想の低さによつて、たゞそれだけで一般の倫理とはなり得ないだけです。
女子青年が「女らしさ」の完成を目指すべきことも亦これと同様でありますが、「女らしさ」といふことが、とかく誤られがちで、新時代の女性の理想は、たゞ単に「男性のために」といふ従属的な関係のみを基本として打ち樹てらるべきではありません。女は、女としての自らの矜りのために「女らしく」あるべきであります。
男女の特質の詳細な比較は、こゝでは必ずしも必要ではありますまい。たゞ、男の「男らしさ」は女を「女らしく」し、女の「女らしさ」は男を「男らしく」させる根本の条件だといふことを、こゝでははつきり云つておくにとゞめます。
そこで、男女青年、特に男子青年に「嗜み」として希望したいことは、前章「文化とは」の項に掲げた、「卑俗さ」をはじめとして、苟くも、「卑しい」と名のつく一切の言動に対して、常に敢然と戦ひを挑むことであります。これは他に向つて敵を求める前に、先づ自分のうちに厳重な掟を作らなければなりません。
「卑しい」と名のつくものに、その他、「卑怯」あり、「卑劣」あり、「卑屈」あり、「卑猥」あり、です。そのうちの幾分かについては前条でも触れたと思ひますが、更にこゝで繰り返しておきたいわけは、青年の高邁なすがたを、次代の国民として頭に浮べるだけで、私は胸がいつぱいになるほどうれしいのです。
そして、かゝるすがたは、「卑しきもの」すべてを払拭することによつて、鮮やかに描き出されるからであります。
「卑怯」、「卑劣」、「卑屈」は、いづれも、わかり易い道徳の範囲で、自他ともに、どういふ場合でも、すぐ「卑しい」といふことが判断されるのですが、「卑俗」と「卑猥」とは、しばしば、環境の作り出す雰囲気といふやうなものになつて、そのなかにゐると、ちよつと気がつかぬことさへあります。
殊に「卑俗さ」に至つては、前章で述べたとほり、世間一般に通用してゐる事柄のなかに、現在どうにもならぬほど充満してゐる風潮でありますから、よほどの見識と「志」とをもつてこれに対抗しなければ、遂にそれらの敵の虜となる懼れがあります。
もともと、この「卑俗さ」は、多くの場合、道徳的にみては、一見なんら非難すべき節がないやうな装ひをしてゐます。のみならず、どうかすると、甚だ「道徳的」に防備され、いはゆる「健全な思想」によつて骨組だけは整へられてゐるのですから、青年に対しては、公然、ある種の力をもつてのしかゝつて来ることもあるでせう。
こゝが「嗜み」として、青年の青年らしい用意を必要とするところです。
例へば、街を歩いてゐると、「花より団子、菓子より貯金」といふ標語が麗々しくポスターとして掲げられてゐる。
「なるほど」と、一応は心をとめて、この調子のいゝ対句を読み返してみるでせう。「さうさう、貯金をしなければならん、無駄使ひはしないやうにしよう」と、神妙に自分に云ひ聴かせながら立ち去る一人の青年を想像してみます。このポスターの効果は満点に違ひありません。
ところが、このポスターの標語に、ふと、なにか「味気ない」ものを感じ、「貯金はたしかに必要だが、かういふ奨め方をされては、どうも……」と、一瞬、顔を曇らして歩き出す青年の姿が、なんとしても私の眼の前にちらつくのは、いつたいなぜでせう。
この標語の「効果」については、私は強ひて問題にしません。たゞ、この標語から受ける国民の、殊に青年の印象を、「日本の文化」といふ立場から考へてみますと、これは決して、日本の気高いすがたを映したものとは云へないのみならず、逆に、甚だ日本的ならざる、露骨な実利主義の、それも、国語の滋味ある語感と、伝統的な美しい生活感情とを無慙に傷つけて恥ぢない、一種の冒涜が得意げに行はれてゐるからであります。
なぜなら、ほとんど誰でもが云はれてみれば気がつくやうに、「花より団子」とは、一種の自嘲的諷刺であり、少くとも、花見といふのに、花はそつちのけで、食ひ意地ばかり張つてゐる人間を軽く嗤つた、庶民の気取らない自己批判であります。
従つて、「貯金」といふ、戦時下に於ける当然の国民的責務を連想させるためには、頗る厳粛を欠いた、低い調子のものとなるばかりでなく、文章の勢ひといふものは微妙なもので、この標語をうつかり読むと、「花より団子」の意味が全く本来の面目を失つて、却つて逆な印象を与へ、花など愛でるのは迂闊者で、団子の一串さへあれば、そんな花などはどうでもよい、といふ風な口調に響いて来るのです。これまた、たとへ「菓子より貯金」といふ思ひつきが多少可憐であるにもせよ、全体の効果の上から、戦争遂行のために絶対必要な「貯金」の奨励としては、どうもがさつで、「美しい夢」がなさすぎ、たゞ、当り前に、「なるべく多く貯金を」と呼びかけられた方が、ずつとすつきり胸に来るのであります。つまり、多くの宣伝標語に見られるこの種の「いゝ気になつた」言葉の遊びは、おしなべて、語呂が月並で、着想が低く、はしたないまでに露骨で、押しつけがましいところがあります。穿つて云へば、賞金目当ての苦心がありありと文字の間に滲み出てゐます。事柄が事柄だけに、国家の財政を憂ふる気持など毛頭感じられないところに、もともと救ふべからざる表現の空虚があつて、それが根本で、全体から云ふに云はれぬ「卑俗さ」を匂はせるのであります。
こゝにどうして、責任者は気がつかないのかと、私は宣伝標語を見るたびに思ふのですが、恐らく、青年諸君の多くは、さういふ標語の募集に応じて当選したものを除いては、私と同感であらうと信じます。
さて、それなら、かういふ事実に対して、青年はどうすればいゝか?
くれぐれも断つておきますが、私は、今、青年の「嗜み」について語つてゐるのです。
最も「嗜み」のない一例は、かういふ標語をみて、反感を抑へきれず、「貯金などするものか」と、一瞬でも心の中で叫ぶ、その本末を弁へぬ態度であります。
「貯金」は国家のためにするのであつて、標語を作つたり、選んだりした人間のためにするのではありません。
それなら、そのポスターを引き裂いてしまふかといふと、これまた穏かでありません。今のところ、このポスターのために、一人でも二人でも、実際、貯金をするものがあつたら、もつけの幸ひだからです。
青年は、第一に、この種の標語から、「卑俗な」臭ひを嗅ぎつけて、困つたものだと思ふだけで、既に、「嗜み」をいくぶん身につけてゐると自ら信じてよろしい。さういふ「感覚」を備へてゐて、しかも、今時、いちいち、そんなことにばかり神経を使はず、自分たちの時代になつたらと、やがて来る光栄の日を待ちながら、その「感覚」を益々研ぎ澄ましておいてほしいものです。
青年の力が当然ものを言ひ、自分の意志で物事が処理できる場面で、この「卑俗さ」が忍び込むのを警戒し、阻止しなければならぬ機会は、ほかにいくらでもあります。但し、それは、周囲に気を配ることではない。自分自身の皮膚が犯されるか、犯されないかの問題です。「卑俗さ」は怖れるには当らぬもの、たゞ、何処にあるかがわかつてゐればいゝものです。それはちやうど黴菌のやうなものです。これに対しては、過度の潔癖は禁物で、精神の健康が何よりの抵抗力であります。
「滔々と」といふ形容が実によく当てはまる現代の世相の「卑俗さ」は、是非とも、この戦争の遂行中に、国民の自覚と努力によつて一掃しなければならぬものですが、実を云へば、これはもう、心構へや工夫の問題ではないのです。いはば時代を覆ふ不治の病ひのやうなもので、恐らく、成育期を異にする新しい世代の登場を俟つて、はじめて面目を改め得るていのものであります。青年は、しかし、青年としての矜りと嗜みとをもつて、この内外多難の時代を継ぐに当り、単なる風習の上に如何なる「卑俗さ」が尾を引いてゐたにしても、決して、前世代の善意と苦闘とを疑つてはなりませぬ。まして、諸君に対する熱烈な期待は、表面はどうあらうと、心中、祈りに似たものとなつて燃えてゐます。
先輩、長上、指導者の言動を、個々に批判するの愚を敢て犯さず、その言はんとするところ、その示さんとするところを、率直に受け容れ、その言ひ方、示し方の「心に満たぬ」ものは、自らこれを補つて、十分に力あるものとすべきです。
時代はまさにさういふ時代だといふことを、こゝで特に、私は、多感な青年諸君に愬へるものです。
最後に女子青年のために、「女の嗜み」について、もう少し補足しておきたいと思ひます。
「女の嗜み」のうち、最も卑近なものは、身だしなみでせうけれども、これは前にも云つたとほり、単に「化粧」や「服飾」によつて、「美しくみせる」といふことを問題にしてゐるのではなく、むしろ、女の「女らしい」慎みと用意とを正しい「身づくろひ」によつて示すことです。例へば、髪の毛を乱さず、帯をきちんと結ぶといふやうなことでも、それはもう貞節の堅固さを象徴することになるといふやうな意味があるのです。
「女の嗜み」として、特に大切なことは、どんな場合でも、女の本質を失はないといふこと、言ひ換へれば、女でなければ示されないやうな力を示すことであります。昔は「それは女の出る幕でない」といふやうなことをよく云つたものですが、今でもさういふことがないとは云へません。しかし、それは女の能力や役割を軽くみて云ふのではなく、女に不似合だといふことを云ひたいのだと思ひます。
ある種の仕事や、行為は、なるほど、今迄は女にふさはしくなく、または、無理だと思はれてゐたものでも、現在は、その必要からと、また、女の欲求からと、自然に、女にもできる、または、女は女なりにそれに向いてゐるといふことがわかつて来ました。
さういふ時に、やはり、「女のたしなみ」としては、「男のやうに」すべてをやつたのでは、女の本質がどこにあるかわからないことによつて、女自身の強味といふものが発揮されません。「女だてらに、あられもない」といふやうな言葉が、以前とはその内容がよほど違ふにもせよ、今日もなほ使はれていゝのでありまして、「流石は女だ」といふところが、消極的な方面だけではなく、積極的にも新しい「身上」とならなければなりません。
わけても、これからの女性が身につけなければならない「たしなみ」は、如何なる境遇にあつても、かの「家庭の雑用」と叫ばれる細々とした仕事を、最も能率的に処理し、しかも、それが目的ではなく、より大きな目的を達成するための手段であるといふ、いはゞ綽々たる余裕を保つ技術的錬磨であります。
次に、「女の嗜み」として是非とも若い女性に望みたいことは、普通の行儀作法もさることながら、特に、強靭な肉体の自由な操作と、敢為な気性のしなやかな表現とを、新しい「女性美」の目標の中に含ませることであります。つまり、女性的魅力の表に、凜然たるところを必ず附け加へることです。
「しをらしさ」とは、平生の風貌や言動のなかにそれがあるといふよりも、相手があつてはじめて表面に現れる性質のもので、これは云ふまでもなく、謙虚と従順とを示す女性的表情ですが、真に尊敬に値する相手の前ではおのづから、すべての女性がさうなるといふ風なものだと信じます。
それに反して、「しとやか」といふことは、これは相手に示すといふよりも、女性が自らの「矜り」として身につけるべき一種の威儀に外ならぬと思ひます。「しとやかさ」も、昔と今とでは可なりその性質が変つて来なければならないのですが、要するに、こゝにも、女性的に表現された「武」の精神がはつきりと感じられなければなりません。たゞ、「なよなよ」としてゐることではなく、油断をみせぬ厳然とした態度が、おのづから、落ちつきと、巧まない作法となつて女の品位を高めることになるのであります。
「貞節」といふことも、女の凜々しい一面を発揮したものです。それが日常の言動に如何に現れるかといふことは、また、「女の嗜み」の一つの大きな課題であります。殊に、異性との応対に於て、それが目立つて来るのですが、相手の男が何者であるかをよく弁へた応接は、女の「嗜み」をよく現し、男たちを前にしての一言一動によつて、その女性の「貞節」の程度を知り得ると云つても過言ではありません。
これはなにも、かの封建時代の女大学式婦道をそのまゝ認めることではありません。
徳川時代の社会制度と、仏教乃至儒教の影響を受けた女性観には、多分の非日本的性格と家族制度の末期的現象を反映した一種の偏見がみられます。女性を汚れあるものとし、或は、度し難いものとする傾向の如きは、まつたくそこから来てゐます。女三従説、即ち、家に在つては親に従ひ、嫁しては夫に従ひ、夫死しては子に従ふといふ教へですが、これも、支那流の男尊女卑と関係なく、真に日本的な「家」の精神から理解しなければ、甚だしい時代錯誤に陥ります。
事実、男尊女卑は日本の思想ではなく、夫唱婦和の妙諦は、夫の責任と妻の信頼とから生れるものであることを、日本の男と女ほど、よくこれを知るものはないのです。
服従が若し日本の女性の美徳であるとすれば、その服従は、男に委せるべきものを委せきる果断と、没我の勇気から来るものであると信じます。それゆゑ、女の服従は、男の決意をいやが上にも固めさせ、行為の責任を益々自覚せしめる力となるのであります。
嘗てフランスの詩人、ジャン・コクトオが、接客の儀礼を鮮やかに身につけた日本婦人の多くをみて、これを「奉仕の女王」と呼びましたが、男に奉仕するが如く見えて、実は、男に尊敬の念を喚起させる、あの「しとやかさ」と作法の技術的錬磨のなかに、威厳、鷹揚さ、気品、といふやうなものを外国人ながら、深く感じとつたからだと思ひます。言葉はむろん一時の洒落にすぎませんが、言ひたいことはよくわかるやうな気がします。
私は常に、多くの日本家庭に接してみて、最も痛切に思ふことは、主人の言葉に対して、細君が「はい」といふ返事をする、その打てば響くやうな「はい」の、少しも濁りのない声ぐらゐ、主人の心に、また客の胸に、細君の女としての凜々しさを伝へるものはないといふことです。これだけのことで、既にその家風が察せられ、この主婦の「嗜み」が、一家の清らかな秩序を想はせます。まことに、これは、日本の「家」の深々とした重みであります。
さて、これで、青年の「嗜み」とはどういふことか、この「嗜み」によつてはじめて、日本青年としての矜りが保てるといふことまではわかつたと思ひます。
そこで、もつと具体的に、これらの「嗜み」を身につける方法を知りたいといふ要求が湧いたとしたら、私は、この要求に対して、かう応へたいのであります。
それは、先づ何よりも、日本青年としての「大きな夢」をもて、といふことです。
この「夢」さへあれば、日常生活はおのづから希望に満ちたものとなります。一挙手一投足は、自分を高めるか、引下げるかの問題となります。修学、勤労はもとより、教養としての読書、慰安娯楽、休養、人との接触、すべて、目標がはつきりして来ます。
あらゆる機会に受ける「指導」の効果を、自分で活かす工夫と努力が、またそこから生れて来ます。
ことに、共通の「夢」をもち、共通の生活環境にある同僚友人との間に、絶えざる切磋琢磨が行はれるといふことは、青年にとつて最も大きな結果をもたらすものです。
青年の真の矜りは、青年同士の間で、最も高くかゝげられ、しかと保たれなければなりません。青年は、互に、その矜りを認め、これを尊重し、護り合ふべきです。
一人の青年が、自ら矜りを傷つけるやうな行動に出たとき、それは、あらゆる青年の矜りを傷つけるものとして厳しい無言の叱咤を受けなければなりません。
青年の「嗜み」は、かゝる雰囲気のなかでのみ、健全に、青年のものとなるでありませう。
底本:「岸田國士全集26」岩波書店
1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「力としての文化──若き人々へ」河出書房
1943(昭和18)年6月20日発行
初出:「力としての文化──若き人々へ」河出書房
1943(昭和18)年6月20日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年5月21日作成
2016年4月14日修正
青空文庫作成ファイル:
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