文化運動への反省
──東北文化協議会講演──
岸田國士
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翼賛運動の発足と同時に文化新体制といふ声が起つてきました。この声に応じて、最も率直に、同時に最も欣然として立上つたものは、全国に於る知識層であつたと私は思ひます。その知識層の中で、特に情熱をもつてこの翼賛運動に参加しようとした人々は、文化運動の名の下に、新しい組織と活動とに着手したのであります。
私共はかね〴〵知識層に対する一部世間の批判に対し、その当否よりもむしろ、知識層に属する者の一員として、大きな憂ひを持つてゐました。果して我々知識層は、かういふ国家的な重大時局に当つて、その職域に於て、またその全人格をもつて、国家に御奉公することが出来ないのであらうかどうかといふことを、個人としてはもとより、お互ひ知識層の者としてその向ふべき道について深く思ひを致してゐたのであります。
然るにその後、全国各地に澎湃として起つてきました文化運動の姿を見てゐますと、今日までかれこれと批判されてゐた知識層は、恐らく表面的に面目を一新したと考へられるものもあるかも知れませんが、私自身としましては、これこそ知識層本来の姿であるといひたいやうな、底力のある、しかも、あくまでも理想を追求してやまない逞しい精神に立つた一つの運動の姿を展開し始めたのであります。翼賛会の一員として加はつてをります私自身にとり、まことに力強く、また頼もしく感じてゐる次第であります。
文化運動の意義と使命については、皆様方及び私達は既に共通の一つの理念を掴んでゐることを確信いたします。たゞ文化運動といふものが、それに拠つてゐるものの間には何等の疑がないのに、直接携つてゐない各方面の人々から、まだ一点疑義をさしはさまれてゐるといふ原因は何処にあるかと考へてみますと、やはり、文化運動がそれ〴〵の専門の領域に於ては新しい意義と使命をもつて進められてゐるにも拘らず、自己の立場でのみこの運動を進めようとする傾きが、非常に多いといふ点にあるやうであります。私の考へでは、本来文化運動文化部門のいろ〳〵の専門領域に於てそれ〴〵独自な進み方をして決して差支へないのだと思ひますけれども、現在の日本の実情に於てはまだ、これによつて外の領域と非常に離れてしまひ、つまり文化運動本来の姿であるところの綜合的な問題の採り上げ方をしないで、他の領域と無関係に事が進められてゐるやうな外貌を呈することがあると思ふのであります。
例を挙げてみますと、或る村では保健衛生の問題が採り上げられ、これが一つの文化運動として進められてゐるといふ場合に保健衛生といふ専門的な立場で、勿論この問題が解決出来る筈でありますけれども、専門的な立場からのみ進めてゆくと、他の領域、例へば教育であるとか、経済であるとか、さういふやうな方面と十分な調和が保てないのであります。従つて保健衛生の立場から農村に奨励すべきいろ〳〵な事項が、農村の経済状態とか教育事情と全く無関係に実行を要求されるといふことになりますと、折角の保健衛生の問題の解決が十分に得られないばかりでなく、運動そのものが一方に於ていろ〳〵な誤解を受け、又時には弊害をも生ずるといふことになります。
また生産拡充に邁進してゐる村があるとします。この問題は経済問題と考へて差支へないと思ふのでありますけれども、これが単に経済問題としてのみ進められますと、一方に於て、その村の人気が或る場合に於ては非常に悪くなり、その村の人達が非常に物質的な、功利的な傾向に陥るといふことも沢山あり得るのであります。また生産拡充の面にのみ熱心になつた結果、村民の体位が著しく低下したといふ例もあります。
また今日、模範村といはれてゐるやうな村について実情を調査しますと、成る程或る観点から見てその村は確に他村に勝つた成績を挙げてゐる、しかしそれは或る一点に於てであつて、その他の点に於ては、どうかすると、他の村に較べて最も悪い状態が現れてゐる、といふやうな事が統計の上にも現れてをります。これは私共が其処へ行き、たゞ観察して、直感的にその欠陥を発見することもあるのであります。かういふ風な状態になつてゐることが、今日文化運動の必要を痛感させる一番大きな点だと私は思ふのであります。
先日、私は或る画家と会つて次のやうな話を聞いたのであります。この画家は嘗て非常に貧乏をしまして、辺鄙な或る温泉宿に滞在し、そこの写生をしてゐたのであります。その画家の所へ毎晩のやうに遊びに来る村の駐在所の巡査がありました。この巡査は夕方になると駐在所を引上げて遊びに来る。毎日のやうに話をして行く。ところが或る晩、二人が話をしてゐると宿の女中さんがやつて来て、村の峠に行倒れがあるといふことを巡査に知らせた。彼は話を中途で切上げてアタフタと出て行きました。その時、その画家が巡査に、「君々、握り飯を作つて持つて行つてやり給へ」と言つたが、巡査は画家のその注意に対して、後を振り向き、その言葉が聞きとれたかとれぬか分らないやうな表情をして出て行つてしまつたのであります。
画家は、巡査が恐らく自分の注意を実行しないだらうといふことに気づいて、直ぐ宿のものに握り飯を作つて貰ひ、後を追ひかけた。そしてその時の行倒れの所へ行き、携へた握り飯を出してやりました。画家の直感の通り、その行路病者は空腹に堪へかねて倒れてゐたのであります。行路病者は握り飯を受取ると、喜んでガツ〳〵食べてしまつた。支度をして後から駈付けてきた巡査は、その様子を見て非常に吃驚しました。兎も角巡査は、漸く少し元気を取もどした行路病者を交番に連れて行つて保護をしたのであります。
翌日、彼は画家の所へやつて来、「昨日君が握り飯を持つて行けといつた時には、自分は何のことをいつてゐるのか、意味が分らなかつた。それでそのまゝ出かけて行つたが、あの時に自分は、行路病者が出た場合に警察官として如何なる規則で、如何に取扱つたら誤りがないかといふことばかりを考へながら出かけて行つた。ところが、君はどういふわけか知らんが、直ぐ握り飯だといふことに気がついた。果してその行路病者は空腹のために倒れてゐた。自分は巡査として、どうして君のやうに、行路病者といふ言葉をきいて、直ぐ頭が働かなかつたか。それを思ふと、つく〴〵自分が嫌になつた。」──つまり自分は適任者でないと、しみ〴〵告白したさうであります。
私はその話を聞き、その画家が別に特別な直感力を持つてゐたとは思はない、またその巡査が職務に対して忠実でなかつたとも思はないのであります。けれどもその巡査と画家の違ふところは、巡査が余りに巡査として専門家でありすぎ、画家はたゞ単なる常識のある人間であり社会人であつた点にあると思ふのであります。
文化運動も専門家の運動でありすぎると、この巡査のやうなことになる惧れが非常にあるのではないかと私は考へるのであります。
昨日も熊谷議長(熊谷岱蔵氏)と話をしてゐる間に、農山村のトラホームの話が出ました。トラホームが農山村に非常に多い原因は、一般に衛生知識の不足にあるやうに考へられてをります。それで、一つ手拭を家族同志で使つてはいけない、或は手を清潔にしなければいけないといふやうな知識が普及すれば、トラホームが減少する、乃至は無くなるといふ考へ方があります。従つて対策については、先づ衛生知識の普及といふ努力が今日最も行はれてゐると思ふのでありますが、決してそれだけで農村乃至一般国民の衛生状挙が向上するわけではないのであります。
トラホームの問題は昨日も結論が一致しました。清潔にすると気持がいゝ、清潔であるといふことに対して快感を感ずるといふ訓練が行はれなければ、決して清潔にしようといふ意欲も起らない。衛生を重んじ、体を丈夫にするために清潔にしようといふことは、人間としては殆ど実行出来ないことではないかと私は思ひます。
日常生活を振りかへつて考へて見て、自分の体のためだから、かうしようといふやうな頭の働かせ方をすることは、甚だ稀であります。たゞ、さうするのが自分の好みに叶ふ、その方が気持がいゝからやつてゐることが、たま〳〵衛生に叶ふといふことが多いのであります。むしろどうかすると、衛生には悪いけれどもこの方が気持がいゝといふことを往々にしてやつてゐるのであります。
かういふ点を考へますと、私は文化運動の最も重要なことは、文化的知識よりも、文化的感覚だと思ひます。かう申すと少し極論かも知れませんが、文化的知識と同時に、それと全く同じ重要さをもつて文化的感覚が考へられなければならない。これを留守にしておいては文化運動は殆ど掛声に終るのではないかと思ひます。
また文化運動を進める上に於て我々として注意しなければならぬ一つの点は、文化運動に対する無理解な人達に対して、彼等が一概に悪い、間違つてゐるといふ考へ方をすることであります。私共は文化運動乃至文化問題に対して無理解さを示される場合には、一応憤りを感ずるのでありますが、これは同時に自らにも向けらるべき憤りだと思ひます。これを一つの反省の緒口にしなければならないと思ひます。
我々日本人はどうかしますと、自分に反対するものは悪い人間だ、自分に反対するものは誤つてゐるといふ考へ方を非常にしがちであります。これは今日言はれてゐる所謂独善といふことになると思ひますが、文化運動の精神の中には、少くともこの考へ方を排し、広い判断力がなければ、運動そのものの本質に反し、同時にこれを健全に進め、国民全体の納得を得ることは困難ではないかと、私個人は考へてをります。
東洋には大義親を滅すといふ言葉さへあります。日本の発展のために我々国民が身命を捧げてそれ〴〵の職域に於て、またその全人格をもつて、それ〴〵の方向に邁進しなければならぬことは当然でありますが、徒らに、たゞ相手の悪口をいふことは文化運動のとる方法ではないと考へます。文化運動と政治運動との異るところは、そこにあるのではないかと思ひます。
今日文化運動を進めて行く上に於て、各団体に於ても亦、翼賛会文化部自体に於ても、非常に大きな困難を感じ、又それが或る場合には唯一の障害であるかの如く考へられるのは、やはり文化運動に対する一種の無理解であることは勿論であります。然し、文化運動が健全に進められて行く時にはこの無理解は漸次消滅するといふ確信を私共は持ちたいと考へます。従つて場合によつては、その無理解に対して勿論、敢然として戦はなければなりませんが、戦ひの方法はあくまでもたゞ相手を責めるといふだけの形でなく進みたいものと思ふ次第であります。
将来文化団体の活動の前に幾多の困難、幾多の障害があると思ひますが、正しいことであるのに障害があるとは不都合だとの考へでなく、むしろさういふ障害があることが今日文化運動を必要とする理由であるといふ風に考へたいと思ひます。私が申上げたいと思ふことは、実にこの一点だけであります。
底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「文学界 第九巻第一号」
1942(昭和17)年1月1日
初出:「文学界 第九巻第一号」
1942(昭和17)年1月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年3月1日作成
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