芸術家の協力
──楽壇新体制に備へて──
岸田國士
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一
翼賛会の文化部と致しましては、実は、現在の楽壇の実状を考へまして、直ちにこれをどうしようといふ風には考へてゐないのであります。申すまでもなく翼賛運動は国民自身の運動となるべき性質のものでありまして、芸術分野といふやうなものも抑々国民生活の中から生れ出たものであり、従つて国民生活の実際の動きからは離れることはできないものであります。特に音楽などは、今日までどういふ歴史の変遷がありましたにしても、結局国民が求め、国民自身が作り出して来たものでありまして、その時代時代の国民生活の中に生れ、よくその生活を反映してゐることは他の芸術以上ではないかと思はれます。現代の音楽に致しましても、また当然国民現在の生活そのまゝが反映されねばならないものと思ひます。
現在の日本の文化といふものを考へてみますと、特にわれわれが遭遇してゐる今日の重大な時局を思ひ合はせてみますと、そこに甚だ心痛に堪へないものが多々あるやうに思はれます。私としてはすでに十数年来かやうな見解を懐いて来ましたが、特に今日のやうな時期に遭遇しますと、われわれはもはや一刻も猶予ができない、なんとかして国民として誇るに足るやうな現代文化といふものを生み出す力、それをもう今日から準備しなければならない、と思ふのであります。しかも今日からそれを準備するといふことは実は甚だ心細いことであります。文化といふものは明日生み出さうとして即座に明日生み出せるものではないのでありまして、今日の生活の中で遠い将来を考へ、さうして一歩一歩現実に途をつけて行かなければならぬものであります。
二
一般に文化の問題を考へますときに、私は現在の日本の状態にはまづ次のやうな四つの弱点が考へられると思ひます。
まづ第一に、国民生活のうちに現代の文化として誇るに足るやうな要素が浸潤してゐないことであります。これが結局その国民生活の中から、文学とか、芸術とかその他種々の文化機能といふものが十分に育ち、立派な花をつけ、実を結び得ない最大の原因なのであります。それでは、国民生活のうちに、十分の文化的要素が浸潤してゐない原因は何処にあるのかと考へますと、我が民族自体は決してさういふ要素をもつてゐないのではありません。これは全く反対に、われわれの歴史を顧みますと、祖先の生活の中には十分にさういふ文化的要素が浸潤してゐたのでありまして、それが最近の数十年の間にいろいろな形で混乱し、或はそこに空白が出来、また或る場合には自ら頽廃的な傾向をもたどつて来たことがあります。国民生活の実体をよく分析してみますと、その中には伝統的な非常に優れた文化の要素が埋没してゐたり、或はまた非常に高度な西洋文化の破片が散乱してゐたりするのであります。さういふものを尊重し、秩序立て、かつこれに栄養を与へ、さうして一つの新しい現代の日本文化、国民の文化といふものを築き上げる力が、現代のわれわれの何処かに欠けてゐるやうに思ひます。
第二の弱点は、文化活動の大部分が、今日までの最近数十年におきましては、殆ど民間だけの手にゆだねられてゐたことであると思ひます。これがまた、現代の文化の要素が国民生活の中へ十分に滲透しないといふ、たゞいまの状態の原因ともなつたのであります。
部門部門によりましては国家が多少の助成や誘導をしてゐたといふことは勿論でありますが、しかし、私どもは決してそれだけでは満足ができない。もつともつと大きな助成誘導の力を望むのであります。それが今日までの数十年の間に行はれてゐたならば、今日の日本の国民生活の中には、もつと高度な文化がもつと整然とした形で植ゑつけられてゐただらうと考へます。この点は今後私どもが政府を通じまして十分な配慮のなされることを希望してゐるのであります。その意味から申しても、私ども民間にゐる文化部門の人間と致しましては、個人個人の別々な意見でなく、われわれの総意としまして、さういふ希望を宣揚する義務があると思ひます。
第三の弱点はいろいろな文化部門の相互の連絡が十分でなかつたことであります。御承知のやうに文化はいろいろな専門の部門に分れてをりますが、この専門部門はおのおの今日まで全く孤立してゐるだけでありまして、他の文化部門との間に敢て連絡が求められるといふ風なことがなかつたのであります。そのために各専門部門は他の専門部門から必要な協力を得ることができず、いはば一種の栄養不足に陥らざるを得ない状態を続けて来たのであります。同じ芸術の部門におきましても、個人的には或は美術、或は音楽、また或は文学、演劇といふやうに、それぞれの関係を保つてゐる人々があつたかと思ひますが、その部門と他の部門とが密接な協力体制をとつてゐたとは、どうしても考へられないのであります。この点が実はそれぞれの部門部門の十分な発育を妨げたのであると、さう私は考へるのであります。
そればかりでなく、第四の弱点として考へられることは、従来は同じ専門部門に属するものゝ間におきましても、何らの理由もなく、否むしろ非常に些細な理由のために相対立し合ふといふ状態が今日まで度々繰返され、また現に今日でも続いてゐると思ひます。何処の国を見ましても、同じ専門部門におきまして相互に対立し、或は排撃し合ふといふ傾向は決してなくはないと思ひます。これは或は人間一般の弱点だらうと思ひますが、特に現在の日本の文化事情を顧みますと、そこにはそれぞれの専門の文化部門本来の仕事、或は本来の天職といふものを殆ど顧みないで、さうしてそれぞれの立場の利益を擁護し、或は今までの習慣にとらはれて現代文化の大局を見失ふといふやうな現象が実に少くないと思ひます。これは特に今日の私どもとして深く反省しなければならぬ点であります。その例はどこにもあることでありませうが、楽壇における事情は私は実は余り通じてはをりませぬけれども、自分が携つてゐる部門について考へてみましても、その例は枚挙にいとまないほどであると思ひます。このやうな事情が一つの専門の文化部門の健全な発展を妨げてゐることはどれほどであるかと考へますと、実に寒心に堪へないのであります。
以上列挙しましたやうな現代日本の四つの事情は、日本文化の今日までの全く特殊な事情でありますが、特にわれわれがたゞいま直面してゐますやうなかういふ国家の運命の危機に際しましては、このやうな事情をいつまでもそのまゝ放置して置くわけにはまゐりませぬ。各個人がいかに国民としての十分な覚悟が出来てをりましても、現在のこのまゝの状態では日本人の文化は実際どれほど国家の役に立つかといふ危惧をいだかざるを得ないのであります。今日仮に現在あるだけのものをすべて国家に捧げることができたと致しましても、将来の日本が担ふべき非常に大きな歴史的使命に応ずるといふことになりますと、もはやこの点では、現在のまゝのわれわれは何ら国家の役に立つことができないのではないかといふ心配を致してをります。
三
日本全体の文化問題を考へます時に、いつもさつきの四つの弱点に思ひ至りまして、各専門部門の水準を引き上げることや、或はこれに新しい方向を与へるといふ問題よりも前に、取り敢ずこの四つの文化事情をどうしても健全なものとして解決しなければならぬ、少くともその解決をつけ得る準備だけでもしなければならぬと考へる次第であります。
音楽について兎や角申し上げることは、門外漢の私として甚だ僭越でありますし、またそれだけの準備もありませぬが、たゞ現代の日本の芸術部門のうちで特に西洋の影響を受け、また西洋の模倣を採り入れた芸術部門におきましては、今日のこの大きな国民全体の文化運動が起らうとしてゐる事情の中で、今後自分の道をこれらの芸術部門がどういふ風に押し進めて行くかといふことは、これは各部門ともお互によほど慎重に考へてみなければならぬ問題だと思ひます。われわれは今この国民的な重大時機を前に致しまして、日本人であるといふ自覚を一層高められることは事実であります。これは誰からも強ひられるのではなく、われわれの心に湧き上る、おのづからなる力でありますけれども、われわれが今日まで芸術家として歩んで来ました道を考へますと、それがもし西洋芸術の模倣や或はその追随のうちにのみ終始してゐたとすれば、これは今日のわれわれの自覚からして、どうしてもその中から抜けださなければならぬ時機であると思ひます。
音楽にしても、美術にしても、或は文学に致しましても、日本人として西洋の芸術を基礎にしてやつて行く場合、われわれはそれを近代における世界的芸術の典型として考へ、これを自分たちの文化を創造する要素や参考資料としようとしてゐるにすぎないので、われわれの血液中で、それがいつまでも全く非日本的なものとして残つてゐるとはどうしても考へられないのであります。この点、私どもは、日本の文化、日本の芸術を豊かにし、色々な意味でこれを近代化して行かうとする立場から申しますと、益々外国の芸術を学び取り、且これを十分消化するといふ態度は、今後といへども決して変へる必要はないと固く信じてをります。かういふ態度はわれわれの歴史がすでにわれわれの民族の矜として、しかもわれわれの民族の特色として実際に立派に証明してゐるのであります。
とくにこゝでわれわれが注意を払はねばならぬのは、日本の伝統的な芸術、特に音楽においては邦楽といふものに対して、洋楽専門のかたがたの関心のもち方、或はそれに対する結び附き方、特にそれに対する批判につきましては、更めて研究する値打があるのではないかといふことであります。
伝統的な日本の芸術のうちで今日一般に行はれてゐるものについて見ます場合に、さういふ芸術が曾ての日本の如何なる時代に、また如何なる環境においてはぐゝまれて来たか、さうして如何なる時代の如何なる階級の民衆によつて創り出されて来たかといふことを十分考へてみますと、これらはいづれも特殊な事情の中で創り出されたにも拘らず、なほかつそれらのうちに或る渝らざる日本のすがたとして考へられるものが見出されます。われわれはいま日本芸術のこの渝らざる或るものを見極めることが、一つの重要な任務ではないかと思ひます。音楽に関しましても、日本の伝統的な音楽の中からこの渝らざる或るものを見出すといふ努力が、今日では一層大切ではないかと痛感致します。
このやうに日本芸術独自の渝らざる部分を見極めると同時に、われわれが最近学びとつた西洋の芸術についても、十分にそれを日本人として消化し得る部分と、消化し得ない部分とをやはりはつきり見極めることが大切ぢやないかと思ひます。さういふ批判検討の上に立つて、将来何十年或は何百年か後に、新しい日本の国民芸術が生れて来ることを、われわれは十分の希望と期待をもつて今日から準備することができると信じます。
四
翼賛運動はいふまでもなく一つの国民運動であります。さうしてこの国民の翼賛運動に対して芸術家はどういふ風に協力しなければならないかといふ点を考へてみますと、この協力は、浅薄な考へ方によつてなされるときには、かへつて日本の文化の将来のために、非常な危機をもたらすやうな結果にもなると思ひます。目先のことに捉はれた時局便乗的な態度で安易に満足するのではなく、決然たる態度をもつて今日の国難の根柢に処する道を考へると同時に、芸術家として或は芸術を守り育てる責務をもつものとして、悠々国民の血となり肉となる仕事をし続けねばなりませぬ。
芸術関係者の、特に音楽関係者の新しい組織が必要であることは今さら申すまでもありませぬが、しかし形が出来ても魂がはひらぬといふことでは勿論困るのであります。
今日まで芸術家は、個人主義とか自由主義とかいふやうな思想の側から、自分の考へ方や態度に対する厳しい自己批判を加へてまゐりました。また今後といへどもこの批判を失つてはならないことは申すまでもありませぬが、この思想的自己検討と同時に、特に芸術家としての過去の一つの習癖を反省してみなければならぬと思ひます。この習癖といふのは、自分勝手に一人で自由に手足を伸すといふ習癖であります。今日まで、芸術家はいつもこの習癖を非常に尊重して来ました。しかしさういふことは、それが許される時代においてこそ馴致されて来た習癖であります。従つて、さうすることが最も自分の芸術を生み出すのに適してゐるために生れた習癖ではないと思ふのであります。たゞ、今までの時代には幸ひ、芸術家のいはゞわがまゝなかういふ習癖が許されてゐたのであります。しかし、今日日本が全く新しい形を整へて建て直されるといふ時代には、さういふ習癖を身に附けた芸術家はいろいろな点で窮屈な思ひをしなければならなくなりました。しかしこれは芸術創作の上で窮屈な思ひをするのだといふやうな錯覚を生じがちだと思ひますが、これはいままでの習癖によつて生れる文字通りの錯覚であり、誤解であらうと思ひます。例へば今まで胡坐をかいて食事する癖のあつたものが、急に膝を揃へて食事をしなければならなくなつたと致しますと、今迄と同じ食事をしながら、味が変つたやうに思ひ、食事そのものが非常に窮屈なものになり、足もしびれて来て十分に御馳走も味へないといふやうなことにもなる。もとのやうにちよつと胡坐が組んでみたくなるのであります。
私どもがこれから一つの新しい組織の中にはひつて仕事をしなければならない場合にも、やはりこの習癖の違つた窮屈さが生ずると思ふのであります。しかしかういふ窮屈さに対して、自分の芸術活動が狭められたとか、不自由になつたとかいふやうな錯覚を起さないやうに、お互に心掛けねばならぬと思ふのであります。現に私の如きもさういふ覚悟は十分出来てゐるつもりでゐながら、やはり足がしびれてしやうがないのであります。また自分は芸術家だから組織の中にはひつて仕事をするのは嫌ひだなどゝ、ついうつかりわれわれは口にさへ出して云ふことがあります。しかし苦しければ口に出してしまふこともかまはぬと思ひますが、窮屈な膝を暫く辛抱して坐つていたゞけば、そのうちに自然と坐ることにも慣れてまゐります。さうして食事の味も以前と少しも変りなく味へるやうになると信ずるのであります。
また、どうかすると、われわれ一代のうちにさういふ新しい習慣をすつかり身につけることはできないかも知れませぬ。その場合には、少くとも子孫に対して新しい習慣をつけさせやうとすることがわれわれ国民としての今日の義務であると思ふのであります。特に音楽の専門的な畑では、この新しい組織や習慣がどんな風なものでなければならないかといふ点については、今後忌憚なく皆様のご経験やご意見を聴かせていただきまして、れわれ文化部の担当者として十分ご相談申上げ、かつ誠意ある御協力をいたし度いと希望する次第であります。(昭和十六年五月)
底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
1941(昭和16)年12月20日
初出:「会館芸術 第十巻第五号」
1941(昭和16)年5月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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