国防と文化
岸田國士
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いよいよ事態が切迫して来たやうであります。それに対して国を挙げての準備は整つてゐるでありませうか。
議会でも、質問を中止して、直ちに予算の審議にはいりました。
国家総力戦の真のすがたが、国民一人一人の眼にはつきりわかる時が近づきつゝあります。
われわれはこゝで、国の力といふことを考へてみなければなりません。国の力、即ち国民の力であります。武力といひ、経済力といひ、外交の力といひ、すべてこれ、われわれ日本民族の現実の行為であり、その肉体と精神の火花であります。そして、それらすべてが、広い意味の文化をこゝに示すものであります。
先日、議場に於る陸海軍大臣の声明が新聞に出てをりましたが、それは誠に意を強くするに足る言葉でありました。
しかし、軍備はいかに充実しても、充実しすぎるといふことはありません。なぜなら、敵国は必ずその上に出ようとするからです。経済力はと申しますと、これまた御承知の通り、日本はそれほど恵まれてゐるとは云へません。では外交は? 然し、外交の終るところから戦ひがはじまるのであります。
それらに付し、高度国防国家体制の必要がとなへられ、いはゆる文化の部門がその一翼として動員されることになつた理由は、国の力が、まだ、そこにもあるといふことの証拠であります。
そこにもあるどころではありません。私の考へでは、これこそ、国民の底力であり、それによつて明日何かゞできるといふことであり、それが、未来へのたしかな希望となるのであります。
去年の十一月、皇紀二千六百年を記念するため、宮城前でとり行はれた国民的祝典は、参列者悉く感動に胸をつまらせたと聞きますが、これこそ、現代日本文化の華といふべき盛儀であつたと信じます。儀式の精神は、もちろん、秩序ある集団をもつてする敬虔な道徳的感情の昂揚にあるのでありまして、その点、まさに儀式として絶対無二のありがたさを示した一例でありました。かつ、近代の設計と古典の彩色とが、あの清々しい芝生の緑の上を流れる光景を私も謹んで想像することができます。不幸にして私は参列の光栄に浴することはできませんでしたが、偶々友人の一人からその感動を語り聞かされ、実に髣髴として千古の偉観を拝する思ひがいたしまして、思はず頭がさがり、口がきけなくなりました。
しかるに、それから後、またある人からかういふ話を聞かされました。あの祝典に参列した一外国人が、そばにゐた親しい友人に向つて訊ねたさうであります──「私はこんな立派な儀式を世界のどこでも見たことがない。ところで、こんな立派なことができる日本人が、なぜ平生はあんな風なことしかできないのだらう。実に不思議だ」と、かうであります。
「あんな風なこと」とはいつたい何を指すのか、私は突つこんで訊きはしませんでしたけれども、およそ見当はつきました。残念ながら、われわれの日常生活、即ち、われわれの衣食住、お互のたしなみ、われわれの芝居と映画、われわれの停車場、公園、これはなんと申しても、われわれの輝かしい歴史と、その見かけがあまり距たりすぎてをります。
それについて、ゲーテだつたと思ひますが、次のやうな言葉があります──「何事かを成さんとすれば、まづ何者かでなければならぬ」
ところでわれわれ日本人は、そもそも何者でありませうか?
健全な文化、壮大な文化は、既にわれわれの精神のうちに宿つてゐるのでありますから、それは時を得れば忽ちその完璧な姿を天下に示すことができる筈であり、それでわれわれはまづもつて足れりとすべきであるかも知れません。
が、私は、もう一度、ほんたうにそれでいゝのかとみなさんに伺ひたい。
今日たゞいま、われわれの日本のおかれてゐる運命は、まさにさし迫つた乾坤一擲の大勝負によつて決せられるのであります。
われわれの営みは、かゝつて一人一人の腕に、頭に、情熱にあり、これによつて、国を富まし、政治を正し、軍備を整へ、生活に秩序を、勤労に生気を与へ、教育に魂を、学問に権威を、宗教に意志を、文学芸術に気品を与へなければならないのであります。
さもなければ、日本は、踏み出した足をさらはれ、ひろげた両手を捉へられること必定であります。
東亜の指導民族をもつて自認するわれわれの現代文化が、真に指導性をもつか否かは、日本の歴史のみが保証することはできません。今日たゞいまの日本人は、職域の如何を問はず、老若男女を問はず、唯の一人と雖も、日本人の日本人たる所以、即ち、高い、豊かな、力強い文化の創造者たる責任を忘れてはならないのであります。
それには何が必要かと申しますと、さしあたり、いはゞ「軍隊的なるもの」を、先づわれわれは身につけなくてはなりません。正しい意味に於る「軍隊的なもの」は、国防国家にとつて、欠くべからざるものであります。なぜなら、軍隊ほど、秩序の力と美しさを尊ぶものはないからであります。そしてそこには、文化を形づくる要素が、偶然、四つとも具つてゐるのです。即ち、倫理性、科学性、政治性、それから芸術性がそれです。
国防国家といつても、必ずしも国全体を軍隊化することではありませんけれども、ある意味で「軍隊的に」組織づけ、秩序立て、訓練し、動かしていくことは、絶対に必要であります。
申すまでもなく、戦争と文化とは相容れないやうに考へるのは、戦争が侵略のための戦争であり、文化が消費と装飾の面に結びつくと考へる旧い観念であります。
今日、日本が目指してゐる高度国防国家建設とは、兵備そのものを第一義とする侵略的武装国家を理想とするものでは決してありません。あくまでも道義的な国家目的を達成するに当つて、已むを得ず排除すべき障碍を予想しての軍備と、いはゆる東亜共栄圏を確立するための経済的基礎と、後進諸民族指導の実権を他に譲らないだけのすぐれた文化的能力とを完全に蓄積することに外ならぬのであります。
こゝで、従来の、西洋流平和主義に対し、われわれ日本人として、厳しい批判を加へておかなければなりません。
元来、国家の存立といふものは、個人の存在と、その根本に於て意味が違ふことを、はつきりわれわれの道徳は教へてをります。個人は、その生命に自然の限界があり、生命の尊さにも亦おのづから制約があるのであります。人は数々の理由によつて、みづから死を択ぶことすらあります。然るに、わが国は、いかなることがあつても滅んではならず、また、いかなる困難があつても、栄えねばならぬ絶対無上の生命が籠つてゐるのであります。そのため「七生報国」は、日本国民の血液にひそむ大悲願なのであります。
こゝに個人の倫理と、国家の倫理との微妙な相違が生じます。道義日本の正道は、饑ゑて死を待つところには断じてないのであります。
さて、いま私が静かに過去、現在、未来を考へてみますと、わが日本のいろいろな姿が目に浮んで来ます。そのうち過去はともかく、未来もさておき、この現在について考へると、それはどこかで少し無理をしてゐるといふ気がしないではありません。といふ意味は、決して、実力以上のことをしてゐるといふのではなく、寧ろ実力を発揮するためにどこか自由にならぬところがあると云へるものがあるのであります。さういふ事情がもとになつて、新体制の呼び声となり、国民再組織の運動となつたわけでありますが、その原因はいづれにあるかと云ひますと、私の考へでは、国民の一人一人が、わが国古来の「たしなみ」といふものを、つい、忘れかけたといふ一事に尽きるやうに思ひます。
国民に「たしなみ」が欠けてゐては、国の国風といふものは振ひません。
日本の歴史を通じて、時代時代に形の上の移り変りはありますが、あれほど、人間的滋味を発揮した日本的な「たしなみ」が、この昭和の聖代に、なぜ、その影を消したかのやうに見えるのでありませう?
それは西欧的教養が、未熟のまゝ取り入れられたからであります。また、封建的な躾けが、一方そのまゝ若い時代へのしかゝつたからであります。この二つの現象は、明治末期から今日へかけて、すくよかに発展すべき日本文化を、混乱させ、荒廃させました。そんなわけですから、若し日本の近代化が先づ軍備より起り、民族の特質が先づ国軍の結成の上に集中し、国家活動の重点が、勢ひ武力の宣揚におかれなかつたならば、今日われわれは、恐らく、世界の半ばを敵とすることはできなかつたでありませう。
ところで私は、一国の文化といふものは、まことに、何気ない生活の表情のなかにあるものだといふことを、常々感じてゐるのであります。
こゝに、先年東北へ旅行をしました時、私が秋田の町で目撃した、ちよつとしたことを御紹介いたします。
場所は例の城跡の公園であります。
夏の終りでありました。まだ昼間は散歩に暑く、私は一軒の茶店に腰をおろして、氷水を注文いたしました。
六十をいくつか越したと思はれる人の好ささうなお婆さんが、ひとりで店をやつてゐるのです。
ほかに若い男の客が一人、縁台に片膝をのせて、昼飯代りのうどんを食べてゐます。お燗も一本ついてゐるやうでした。若いといつてももう三十近くでありませうか、非常に落ちついた様子で、最後の杯をあけ、勘定をすまし、やがて外へ出て行きました。
私は氷水に咽喉をうるほしながら、店の中をあちこち眺めました。なにひとつ眼を引くものゝない、あの平凡な、くすぶつた、どこにでもある住ひであります。
急に表で女の子の泣き声が聞え、その泣き声と一緒に、ずぶ濡れになつた六七歳の女の子が駈け込んで来ました。そのうしろから、知り合ひらしい中年過ぎの女がついて来て、たつた今、その女の子が池へ落ちて、手だけ水の上へ出してゐるのを引きあげてやつたのだといふ話をするのですが、私には、むろん、言葉がところどころしかわからず、やつとそれだけの意味を察したのであります。
茶店の婆さんは、──多分孫娘でありませう──その女の子の着物を手早くぬがせながら、小声で二こと三こと小言を浴せ、助けてくれた女に礼を云ひ、盥を持ち出して釜の湯をあけ、女の子に行水を使はせるのでありますが、その、うろたへもせず、邪慳にもならず、手まめにひとつひとつ、なすべきことを処理して行く態度に、私は感服しながら見入つてをりました。
婆さんは、まだ泣きやまない女の子を裸のまゝ店の奥に起たせ、着物を箪笥から出してやります。
その間、助けてくれた女と、平生通りの会話を続けてゐます。私はその調子の巧まない朗かさに興を覚え、耳をぢつとすましてゐました。
話は、さつきそこにゐた男の客のことらしく、なんでも、戦地から帰つたばかりで、今日、東京からわざわざ出かけて来て、戦死した中隊長の墓参りをしたのだといふやうなことでありました。それからまた、近頃、ラヂオ体操ばやりで、年寄りまでが妙な恰好をして体操をするが、あれはちよつとどうかといふやうな話です。
相手の女は、娘の命を助けたご褒美に、氷水二杯を振舞はれ、これは、馴れないことゝみえ、やゝ照れながら、もう一度、娘のあぶなかつた話を繰り返しました。
これだけの話であります。
たゞこれだけの話であります。が、この情景は、観るのと聞くのとではよほど違ひませうけれども、しかし、私のその場で感じ、今もなほ心のなかに刻みつけられてゐる印象は、まつたく、懐しく快いものであります。
こゝには何ひとつ教訓らしいものはありません。おそらく頭の下るやうなところはどこにもありません。しかもなほこれらの人物一人一人のうちに、私は愛すべき人間のこゝろをしみじみと感じるのであります。かういふ例は、決して、珍しいといふのではありません。たゞ、これが、社会の目立たない部分にしか見当らないといふことであります。素朴な民衆の自然なたしなみがそこにあるといふ意味でです。そしてそれが一旅人たる私を知らず識らず抱き込むのだとすれば、祖先を異にする国民と国民との交りも、かういふ共感の上に立たなければ、ほんたうの親善に進み得ないのではないかと思はれます。
国と国とは、利害相反し、主張相容れなければ、結局に於て、戈を交へるでありませう。その国と国とが、利害を同じくし、主張を等しくしても、人間としての味ひに於て、相軽んじ、相疎んずるならば、永久に、真の味方となることはできません。
われわれは先づ、国内に於て、同胞の一人と雖も、今日限り、赤の他人と見なしたり、また、さう呼ぶことをやめませう。
われわれは次に一タス一ハ三といふ日本的原理を信じませう。といふのは、云ひかへれば、日本人は、元来、外の国の人間のやうに、一人なら一人の力、二人なら二人の力といふ風に、人の数と力の量とが比例せず、一人は一人の力ですが、二人になると三人分の力ができるといふ特質をもつてゐることをお互に信じようといふことです。ほんたうに力を協せればそれができるのです。その実例はいくらでもあります。
私は、現今日本文化の発揚は、高度国防国家の見地よりみて、以上の二つの決意とその実践以外にないと信じます。(昭和十六年一月)
底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
1941(昭和16)年12月20日
初出:「文学界 第八巻第三号」
1941(昭和16)年3月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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