既往文化と新文化
──某氏との談話──
岸田國士
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通念の更新
一体、国防国家といふものゝなかで、文化はどういふ取扱ひを受けるべきかといふ問題ですが……この点に関しては、実にいろいろの意見があるやうです。すなはち、文化問題に就いてはまだ考へ及んでゐない、これは後廻しだといふ説が出たり、或る場合には、今までとにかく出来上つてゐる文化自体を、こゝで利用すべきだと考へられたり、一方また既往の考へ方では文化の発展などは望まれず、全く、国防国家のために必要な文化だけをこれから作り上げるべきだといふ考へ方等々が今日ではごつたになつてをるわけです。こいつを僕等はもう一応はつきりと決めてかゝらなければいけないと思つてをります。
政治に文化性を与へるといふことにしても、われわれが今日まで、かうあるべきものと考へてゐた文化と、方向を転ずべき今後の日本に於る文化との間には多少相違があるのではないかと思ひます。それを曖昧にして置いては、文化部門の仕事も一そう困難だ。例へば文化の擁護といふ立場になると、これはもうこゝでわれわれは討死の覚悟をしなければならん。そんな消極的な立場でなく、新しい文化の建設といふ方に、若し行き得るものとすれば、これは今までの文化の意識と、やゝ変つた文化を目指さなければならん。この新しい文化について、僕等は本当にもう一度、はつきりした意識をもつやうに、勉強しなければならない。いゝ加減な、今までの文化の概念に囚はれてをると、僕等は動きがとれなくなるのぢやないかと思ふのです。かういふ時代にこそ、どうしても国民は何か新しい文化が生れるんだといふ希望をもたなければ、いかに建設的な言説を繰り返しても、それは空論に終ると僕は思ふ。さういふ意味で、余程しっかりと腰を据ゑないと、却つて国民を誤ることになると、僕自身は考へてゐるのです。日本の一般知識層の考へてゐる文化の通念は、こゝで再批判の必要が僕はあると思ふ。
一般的に云つて、かういふ考へ方もできると思ふ。つまりかういふ時代のかういふ政治情勢下に於て現に圧迫を受けてゐるのは、必ずしも文化の健全な面ではなく、寧ろわれわれも既にさういふものとは十分戦つて来てゐるやうなものが圧迫を受けてゐるといふことです。たゞその場合、一方の認識が足りないために、健全なものも少なからずその巻き添へを喰つてゐるといふことです。そこでこの不健全なものと健全なものとは完全に区別できるのだといふ希望が与へられなければ、どうもわれわれは仕事ができにくい。文化の全面に亘つて本当に圧迫を受けてゐるんだつたら、われわれは時代と戦ふより外はないわけです。それではかういふ時代に希望をもつといふことはとてもできない。若しさうであれば公然とそれを云ふべきだ。然るに不健全なものがあつて、それに繋つてをる健全な部分が巻き添へを喰つてゐるのであれば、常に希望を失はずに寧ろ今までの不健全なものを克服するための努力を傾倒しなければならない。さういふ風に起ち上らなければ、一緒に巻き込まれて犠牲になつてしまふ。やはり今までの不健全なものと絶縁するといふ態度で行かねば、これからの健全な文化は作つて行けないのではないかと思ふのです。僕が今度こんな仕事を引受ける気になつたのも、考へがさういふ風に向つてをつたからだと思ふのです。
私生活面の文化
一般的に極く広い意味に於る文化を考へる場合、即ち文化の時代性、文化の水準を、全体として考へる場合、僕は地域的に都会に文化が集中して、田舎には文化が浸潤してゐないといふ考へ方を、大雑把には信用しないのです。或る場合には田舎の方に却つて水準の高い文化の遺産があつて、そこを離れた、近代化した都会のなかで、さういふものが亡びてゐるやうなことも考へられるのです。たゞしかし、文化の地域的偏在といふことも亦いろいろな意味で云へると思ふ。僕は、それぞれの地域が、それぞれの優れた文化をもつてゐる状態が一番理想的と思ふのです。一国の文化政策としても、或は国民のそれぞれの社会的関心といふ点から云つても、さういふ方向に向つて努力しなければならんと思ふ。たゞ今後の健全な文化とは一つは生産面に於る文化、もう一つは生活から遊離したところに発展したものでなく、本当に生活に根を下した、生活現象の発展としての文化でなければならぬ、といふ、二つのことが云へると思ふ。日常生活のなかにその人間の文化性、或は文化的価値を見ることが、今まで比較的少なかつた。今までと云つても、極く最近、明治の末期頃から一層さうなつたので、例へば一人の甲といふ人間を考へた場合、政治家なら政治、学者なら学問といふ、その専門的な部門では、立派な仕事をしてゐるが、一度この人間の生活──普通私生活といつてゐる部分、さうして、その私生活に寧ろその人間の全貌が実際現れるわけなのだが──を観るとその人の公の生活の中に十分発揮されてゐる人間的価値と幾分違つた形で、いはゆる非文化的な状態でそれが現れてゐるやうなことも度々あるのではないか。今後は人間の価値標準などももう少し実質的に見なければいけない。どうも今までは、仕事を生活の他の面から孤立さして秤にかけるといふところがあつたやうです。これなども、今後の文化を考へる場合、改めねばならぬことゝ思ひます。今日、職域奉公といふことが非常にやかましく云はれますが、作家は、作品を書くことが奉公でなければならん。さうするとすぐ作品そのものに何か奉公といふ精神がなければいけないといふやうに、ものゝ考へ方が狭くなつて行くやうな傾向が現在あることは、非常に危険だと思ふんです。人の仕事といふものは人の生活から出てゐるんだ。その人の人格全体、その人の生活全体が、現在の時代に役に立つて行けばそれでいゝので、逆にだんだん人間と社会の接触する面を狭めて行くやうなものゝ見方が、また起りかゝつてゐることは、大いに警戒しなければならんと思ふのです。一番極端な例は、八紘一宇とか、臣道実践とかいふことを、口の先で云つてゐれば、万事通用するなどゝ簡単に考へてしまふことです。鼻の頭にちよつと看板をぶら下げて置けばいゝといふことになつては大変だ。
隣組の力
隣組が出来たので、自分たちの生活内容が豊かになつたと喜んでゐるものもあり、或る処では、隣組が出来たから非常にうるさい、何か拘束を受けるとか、私生活の秘密を覗かれるとかいふので、いやがつてゐるやうです。が、運用の仕方によつては、非常にうまく行つてゐる例を知つてゐる。僕等なんかの側から云へば、隣近所と交際したからといつて、損をするところはないのだ。個人といふものゝ本来の観念から云へば、ちつとも他人から侵されるものはないので、隣組は、非常に理想的な形で僕等の頭に浮ぶんです。僕等の知つてゐる連中のなかでも、やああれはうるさい、迷惑だと云ふのが相当ゐるんだけれど、考へてみると、うるさいなどゝ云ふ連中は、これが旧体制と云つていゝかどうか知らないけれど、どうも時代の落伍者といふ気がする。ちよつと背中をどやしてやりたい人物に、そんなのがゐる。
日本人は本当に今力を協せなければ駄目だ。結局隣組が、本当に健全に発達しなければいけないので、都会生活は、隣同士が知らないからこそ暢気で都合がよいとか、都会の魅力は、お互が他人だといふ点にありとか公言してゐる人が未だにあり、僕等も嘗てはさういふ気分を肯定したこともあるが、然しこれは非常に時代遅れの考へ方です。
隣組も今のところ、非常に消費面ばかりだといふ説もありますが、それは運用の仕方にあるわけですから、隣組の機能をすべて消費的な面として片附けてはいけない。また、生産といつても、物質的生産ばかりでなく、もつと精神的な面も沢山あります。殊に文化運動──全国的に文化運動を巻き起すためには、多々困難な条件が必要です。現在の地区的、局地的の運動を多少でも発展させるためには、隣組を単位とし、これが町会に拡り、少くとも僕の考へでは、町会別のものが単位になり、その単位の上で真の文化的指導者が、その新しい目標の下にいろいろな施設なり、或は共同生活の面での娯楽とか、教養とか、お互の社交とかの指導に当るといふことが最も効果的であると思ふのです。さういふことは、消費面とは云へない。それは精神的生産面だと思ふのです。
指導者について
さうなると結局指導者の問題になつて来ると思ひますが、今までの知識層のもつてゐるものが、十分こゝで利用し得るわけです。知識層が自分のもつてゐるものを利用し得ないのは何によるかといふと、たゞ自分に対する自信のないことだと思ふのです。知識層がみんな自信をもつて、自分が立派に指導者になり得るといふ気持になれば、もう直ぐに指導者たる資格をもつてゐるんぢやないかと思ふのです。ところが一般に知識人は、今のところ、その自信をもつやうに努めてゐないと云へるんだ。さういふ点で、自信の無さが自分の聡明へのプライドであり、これで自信なぞもつてゐると思ふやうだつたらおしまひだといふ風に考へるのが、今までのインテリゲンチヤの通弊だつたのではないかと思ふ。知識層がお互にもつと相手を信じて、さうして、めいめいがもつと自信をもつて起ち上る必要があると思ふ。それには、たゞ自信をもつといふことだけでも足りないのだ。これはやはり、民衆なり人なりを指導する技術といふものを、もう少しもたなくちやいかん。
僕の考へでは、たしかに政治的の力といふものは今までより強くなつて行くが、政治的の力を形づくる要素といふものも、今までのものより、ずつと広く大きくなつて行くだらう。さういふ意味から云へば、現在のところ、今までに政治力のなかに入らなかつたやうな民衆のいろいろな要素が、それに加つて行く道が、寧ろこれから拓けるんぢやないですか。この機会に、それがなるべく沢山はひつて欲しいと思ふのです。翼賛会がさういふことに役に立てばそれだけでもいゝと思ふんです。今翼賛会の一番大きな本当の仕事は何かといふと、官制の改革と議会の改革で、これが誰の力でもできない。役人と代議士では官制の改革も、議会の改革もできないから、第三のものが出来て来たのが、この翼賛会だと思つてゐる。それなら、これは今までの政治力の上に、さらになんらかの力を加へなければいけない。それを、革命といふ形でなくて変へようといふ、日本的の含みのある一つの運動だと僕は解釈してゐる。随つてこれは、公明正大なる心で、政治に対して一番よく発言のできる時代になつたとも云へませう。これが或る時期を過ぎて、また固定すれば、いろいろな弊害が出来るかも知れないが、今は少くともさういふ時期で、知識層がこゝで起ち上つて、日本の今までの政治のなかに足りなかつたものを、ドン〳〵入れるやうに努めなければいかんと思ふ。さういふことの役割が、翼賛会のなかの文化部で果し得られゝばいゝ。また文化部だけでなく生活指導部、青年部なども、さういふ役割を十分果し得るのぢやないか。そこにゐるメムバーを見ても、いろいろな意味で、少くとも今までの官僚とか政治家といふ人たちよりも新しい考へをもつてゐる人があり、或は官吏のなかの新しい考へをもつてゐる人が、今まで実際に考へてゐても現実の政策の面に十分生かし得なかつたやうなところも、さういふ力がそれに加はることによつて、何かしら別に、今までと違つた結果が現れる可能性がいくらか多くなつたのぢやないかと思ふのです。
とにかく、こゝでどうにかなるだらうと、手を拱いてゐたら、一層悪くなるばかりなのです。
「職域」について
職域奉公といふ言葉を玩んではいかんと思ふ。或る仕事によつては、その仕事自体が国家のためといふ看板がかゝつてゐて、さういふ人々は遊んでゐて、煙草をふかしてゐても、国家のためになつてゐるつもり──少くともそんな顔ができる。さうでなくて、その仕事をどう考へて見ても直接に国家のためとは云ひ切れないやうな仕事がある。それを料理に例へてみると、国家のためには魚のこゝをかう切つた方がよからうと云つても、これはをかしなことだ。料理人としての時局認識から云つても、魚の尾を捨てる代りに豚の餌にしようといふくらゐが関の山だが、僕はさうぢやなくて、国民が今日国家のために役立つといふことは、もつと全人格の上に立つて考へなくちやならんと思ふ。一体自分は新体制であると個人的に云ひ切れる人は、実は本当に自分を見てゐるかどうか、もう一度考へ直して欲しいと思ふ。今日に至つて、このまゝではいけない、なんとか自分を鍛へ直さねばならぬといふ気持でゐるといふことをお互に知つて、もつと温く、お互に接し合はなければいかん。本当に必要なことは、個人がどう変るかといふことであるけれども、しかしそのためにお互に有無相通ずるといふ便宜な組織を作つて、さうして力の弱い国民が同じ国民としての働きができるやうに、引つ張つて行くことが肝要なのだ。
一体これほどいゝと分りきつたこと、或はやればいゝと分りきつたことがどうして今まで行はれないか。それは要するに、今までの政治家とか或は官公吏とかの責任のあり場所が曖昧なことによるのでせう。つまり或る人がそれをやらうとすれば、おつとそれはこつちがやるんだ。君のところでやつてくれと云へば、それは俺のところでやるんでないと、責任をとるんでもなく、与へるんでもない。これが到る処にある。これを一掃しなければ到底駄目だと思ひます。それで役人がやらないから民間でやらうとすれば、おつと待て、勝手にしてはいかんと云ふ。それでは役所でやるかといふと、こつちではしないと云ふ。どこでも問題が同じで、必要なものをあつちに転がし、こつちに転がし、宙に浮いてゐるといふ有様だ。
知識層のこと。僕はやはり文化部が知識層を動員し、知識層が動くことによつて、国民がついて行くといふ実績が示されねばいかんと思ふ。例へば地方娯楽にしても、知識層が地方の自主的なよいものを活かして行くのが本当で、自分の手で作り出させなければ結果はいけない。キャラメルを避難民にやるやうに、映画を農村にもつて行つて見せてやるといふ観念がいけないと思ふ。さうしてそれを見て村の人が喜んだ、感激したといふことで、その印象を何か誇らしげに語る人たちは、よほど注意して欲しい。どうして偶々もつて行くこんな映画に、彼等が飛びついて驚喜するかを考へたら、自分たちのやつてゐるより、もつと大事なことがあるのぢやないかといふことを考へなければならん。
学校・先生・青年
いろいろな学校の例を、聞いたり見たりしてゐるんですが、先生にもいろいろな型があります。一生懸命自分の研究を深めて行つて、その深めたものを生徒に正しく伝へようと工夫することが教師として一番正しいと確信してゐる先生。第二は、とにかく自分は専門家だ、知つてゐることを教へればいゝんだ、その教へるのには、先づ生徒の気持を惹きつけなければならん、そのためには自分の知つてゐることを深めることに努力するより、生徒と自分をなるべく近くして置いて、さうして物を与へ易くしようといふことに努めるのが、いゝ先生の代表的なものと考へてゐる先生。この二つを較べるとき、僕は後の方の教へ方は非常に間違つてゐると思ふ。さういふ先生を、生徒は本当に信頼してはゐないやうです。いゝ先生だと生徒が信じ切つてゐるのは、やはり勉強してゐる先生の方だ。これは殆ど例外なしです。生徒に表面人気があると見える先生は、本当は生徒から尊敬されてゐない。人気があると思ふのは先生自身だけで、客観的に見れば、いはゆる生徒にあまく見られてゐるのだ。これは日本の現在の、いろいろな意味での「道」が廃れてゐる一つの証拠で、道といふ言葉にはいろいろの意味があるが、友人道などでも、その友達に好意をもつならば、逢はなくたつてその友達に対する好意は変らない。友達に何かしてやつて、自分の好意を示さなければ気が済まないとか、非常に浅薄なことによつて友情を取結ばうといふことが、近ごろ友人間の道として、人が一般に認める事実になつたが、これは非常に間違つたことだ。同様に、教師と生徒の間も、本当に自分が教師として立派であることに努めることが、いゝ影響を生徒に与へることだ。これははつきりと確信をもつてやらなければいけない。ところが教師に対する社会の要求が、学問を伝へるだけぢやいかんとか、学生の手を引つ張つてやれとか、早く云へば小乗的な要求が多過ぎると思ふ。しかしこれは一方に、本当に教師の道といふものを知つてゐて、いゝ教師になることを努めてゐる人が少な過ぎるからでもあるが、本質を見極めず、一つの方針を樹てることができずに、なんでもない枝葉の部分で、非常に間違つた要求をすることが、いつでもいろいろなところで多いのです。例へばいま、臣道といふことが云はれてゐる。日本国民の道といふこともそれと同じだ。立派な日本国民になるといふのはどういふことだといふことを、もつとはつきりさせねば、教育の根本は始終ぐらつかなければならん。
学校教育と関連して、一般青少年の理想だが、これも今までのやうな考へ方から変へて行かなければいかん。今まで、偉い人間といふのは、なんとなく勲章を沢山つけた人とか、自動車を乗り廻す人とかいふ風に考へられがちだつた。立身出世主義をみんなの力で取除くことだ。さういふ社会的の立身出世でなく、社会がかういふ人を尊敬してゐる、またさういふ人の仕事は、社会的に名誉を以て報いられると同時に、物質的にも酬いられるといふことを、はつきり知らせる運動を起すべきだと考へます。名誉がいろいろな形に現れて来るから、やはり不純なものになる。大きな家にでも住んでゐれば、それが何か名誉のやうな錯覚が、民衆の頭に沁み込んでゐるからいけない。一方から云ふと、不名誉にもならないやうなことが、不名誉扱ひを受けてゐたりする。この社会の通念を矯正して行くためには、ジャーナリズムなど与つて力があると思ふ。
明治以来の、いはゆる誰でも偉くなれるといふ気運が、これを作つてしまつたんでせう。ところが誰でも偉くなれるといふ気運は一時の傾向で、さういふ情勢を遥かに超えてゐても、まだその気分だけが抜けず、足掻きを続けてゐるといふ現状です。誰だつて政治家にもなれ、軍人にもなれることは間違ひないけれど、さういふ社会的の地位だけが出世の目標であつてはならないのです。一勤労者が公のために、目立たないがこれだけの仕事をしてゐるといふことを少くとも知つてゐる人間が敬意を表して、その人に頭を下げるといふ気運が、どうしても出て来るべきでせう。どうも今までは、人間性といふものに対する、本当の教育の根本がなかつたのです。お互にあの人は立派な人だといふ標準が、もつと変つて来ねばいけない。
教育と政治と結びつき、多少極端な方針がそこに加つて来ると、立派な国民であれば立派な人間でなくてもいゝといふやうな、殆ど考へられないやうな方向に逸れて行くことがある。
新しい時代の日本人の形といふものは、作家には興味のあるものですが、何か作品で、さういふものを捜してゐる人はゐませんか。新しい日本人の型といふ問題を……。
こなひだも云つたが、形は旧くてもいゝが、日本人として望み得るやうな、一つの未来の日本の姿を、固くならないで、ユートピヤ小説の形で書いて見る人がゐると面白いだらう。
表現に於る政治性
文化人と云はれてゐるものが、他の社会の人とわかり合ふことが、予想以上に大変だといふことを今痛切に感じてゐます。それも、われわれを他の社会、他の部門の人にわからせることが一層困難だ。他の部門の人の云ふことは、割に、わからうと努力すれば、これはわかる。われわれは、あまり他に通じにくい言葉を使つてゐるんではないかと僕は痛切に感じるんです。いま文化部門、殊に文学芸術の畑で話してゐたものが、他の一般社会にものを云ひかけるといふ場合には、表現をもつと工夫しなければならん。お互のなかで感じ合ひ、通じ合つてゐたことをそのまゝ不用意に他の世界に使用しても、相手には通じない。その場合、僕もいまゝで罪は向うにあつて、それがわからないのは、文化的教養が彼等に欠けてゐるからだと思つてゐたが、必ずしもさうではなくて、文章を書くにも十分注意しなければならないと考へるやうになつたのです。
平生からもう少し一般文化面に興味をもち、綜合雑誌や小説や文芸評論などを読んでゐれば、僕等の云ふことがそれ程わからなかつたり通じない筈はないといふ風に今までは思つてゐた。しかし、たしかにさういふところもあるには違ひないが、今では、それをどうしても通じさせねばならんのです。向うに勉強なさいと云つたところで間に合はない。どうしても、自分たちの云はうとしてゐることを、相手がわかるやうな言葉で、或は云ひ方で表現することが必要になつて来た。しかしそのために、こつちが相手のレベルまでさがることはちつともないので、これははつきりしなければならぬところです。同時に向うの考へ方、例へば政治家としての考へ方について、われわれはさういふ要素があまり無さ過ぎて、今度は向うの表現そのものゝ中に、真理といふものを発見できない場合があるんです、あり得るんです。われわれのものの考へ方は、あまり現実から離れてしまつてゐるといふことも、一応反省しなくちやならない。その呼吸さへわかればわれわれが云はうとする主張が、もつと向うに正しく受容れられるところが随分ある筈です。お互の協力を強めるために、さういふ努力をすることが実は今日一そう必要なんぢやないでせうか。兎も角、今日の段階は、相手を克服して、自分がそれにとつて代らうといふ時代でなく、お互が協力すべきときであるだけに、先づこつちの云はうとすることを、正しく受けとつてもらふことが必要なわけです。そのためには俗な意味での妥協は不必要だが、相手にとつて疎遠な表現によらずして、少くも相手に親しみのある表現を使ふところまで努力しなければいけないのではないですか。
例へば政治の文化性といふ云ひ方なども、政治家には通じない。それを云ひ方を変へれば、わかるといふことがある。それで何処までも政治の文化性などといふ云ひ方でおし通さなければいかんといふことまで考へなくともいゝ。もつとそれをいろいろな云ひ方で、表現するだけの努力を、一般にして貰ひたいと思ふのです。
文学者の言葉にしろ、文章にしろ、文字面とか、意味とか、論理的にはわからん人はないが、文章の雰囲気、言葉の調子といふものが通じないのです。文学者でなければないもの、それによつて政治を新しくしなければならぬといふことは、勿論云へる。また一般民衆は、文学者の云ひ方に余計魅力を感じ、その方がよくわかるといふことも事実で、僕も今の知識層の動きが、寧ろ政治の力よりも、一層民衆に対して働きかける力が大きいと思ふ。であるからこそ、政治に文化性を与へる役割は、知識層がこれを引受けなければならないし、さうすることによつて、政治を民衆に近づけ、民衆を本当に動かす力を政治にもたせるやうに、われわれは努めなければならんのです。
政府から出る公文書や声明書でも、考慮の仕方によつてはもつと大衆に近づき、もつと大衆の心に訴へさうなものがあるんぢやないかと思ひます。何とかもつとうまく云つて貰ひたいと思ふことがよくあるのだが、なかなかむづかしい。当局に注意したいんだが、向うには通じない。文章の巧拙などの問題でなく、そこに何が足りないかといふことを、本当にはつきり指摘して、訂正して貰はなければならんことですが、それは今度みたいな仕事をしてをれば、云ふ機会もあるし、云はうといふ意志もあるが、なかなかにむづかしいことです。
その人でなければ云へないことを、みんな省いてしまふ。さうして誰が云つても間違ひのないことだけが残る。さうして出来上つたものが非常に間違ひないことは事実であるかも知れないが、何か一つの力が抜けてしまふ。然るに個人や民間でものを云つたり、書いたりする場合にはさういふことが全然ないから、それが一番人間の言葉としては、力強いものになり得るんだ。政治家でも役人でも、いゝ意味で普遍性をもたせるといふことをはつきり自覚して貰ひたいと思ふのです。いゝ作家はやはりさういふことを心がけてゐる。思想の深さはさういふところから来るのではないでせうか。非常に教養といふものを狭く考へて、今日のやうな時代では、わかるといふことが、何かそれだけで非常に浅いやうに考へる傾向があるんぢやないかと思ふ。さうぢやなくて、わからせるといふことは、ものを書く人間の非常な力であつて、それがわかるやうに書かれてあつたからといつて、わかつた人間の力であると思ふのは間違ひだ。普遍性をもつといふことは、俗衆とか愚衆とか云はれる種類の大衆に受容れられることぢやない。さういふ大衆は、本当にものを読んでわかるんでなくて、知つてゐることを云はれるのを一番楽しむんだ。
国民各層や或は多くの社会に於る摩擦の原因の多くは、さういふところにあると思ふんだ。つまらんことが理由で、一緒に仕事ができるものまでできなくなる。あまりこれが多過ぎるのです。
役割と責任
今日、国民全体が協力しなければならんといふことは、ちやんと理窟では云はれてゐるが、実際の形で、どういふ風に現していくかゞ、翼賛会今後の運動に表現されるわけです。文化部門の協力体制を、具体的にどういふ風にして整へるかといふことを、僕もいろいろ考へてゐるけれど、差当り或る形は想像ができる。そこから、本当にいゝ結果を導き出すのには、自分はかういふことを引受けようといふ自己信頼と、自分がこれならできるといふ事柄を自分で求めてそこにぶつつかつて行く気持──どうしてもこの二つがなければ、形だけいくら整つても駄目です。それぞれのポストがとにかく出来るでせうが、その人にそれをみんな委せようといふ態度が必要だ。仮にその人があぶなかしく思はれ、或は更に、その人自身それを自覚すれば、また代りの人が行けばいゝ。とにかく、その事柄を委せたら、その人の全能力を発揮させることが、協力の一番大事な形であらうと思ふのです。文化部としては、どんなことをやるのかと、つねに訊かれるが、いま云つたことがお互にはつきりわかり合へなければ、どういふ仕事を始めても仕方がないと思ふんです。文学方面でも、いろいろ形の上での動きがあるやうですが……無論、大部分の人は、協力はどういふ風にすれば行はれるか、一番早くわかつてゐる人たちであらうと思ひますが、それぞれの部門をお互に委せる、その代り自分のところでは、かういふことをやると、はつきりと役割を受取つて、それに責任をもつてやることが、今一番大事ぢやないかと思ひます。それさへあれば、もう官庁や何かゝら何をやれ誰をやれと指図を受けなくても、ちやんと自分でできるところに、日本人の非常に立派なところがあると思ふのです。それをお互に譲り合つてゐることや、或は協力することばかりに囚はれて、一つのことを誰もやれ彼もやれといふ形に流れて行くことは、却つて協力の実践を阻害することになるんです。われわれは一体さういふ習慣がないからまごつくんですが、今の自分としては、だんだんにこれは相談をしてやらねばならん、さうして次の時代には、どうかしてさういふ訓練を受けた人たちが、われわれの時代を継ぐやうにして行かねばならんと思ひます。(昭和十五年十二月)
底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
1941(昭和16)年12月20日
初出:「中央公論 第五十五年第十二号」
1940(昭和15)年12月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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