都市文化の危機
岸田國士
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一
都市は元来、その規模の大小にかゝはらず、政治、経済の中央集権的な機構が作りだした、高度技術生活の凝結体である。
従つて、都市を形作る要素は、それ自体技術文化と緊密に結びついてゐるのだから、民族として発展した基本社会のうちにあつて、おのづから、頭脳的な地位を占めるものである。
こゝから、首府が地方に対し、都邑が農山漁村などに対して、支配的となり、指導的となり、強圧的となり、搾取的となることがある。都市自体の、近代主義的な優位には、かういふ人為的或は堕性的な傾向がみられる一方、都会人と所謂「田舎の人」との間には、複雑な対立感情が発生したのである。
こゝで詳しくこの問題にふれることを避けるが、要するに、「文化」といふ言葉の広い意味に於ては、一民族の協同体としての等質文化のほかに、都市は都市としての文化様相を備へ、田舎は田舎としての文化様相を保ち、その何れも、各々の生活表現を豊かに健かに示す限り、互に相侵さず、羨まず、軽んぜず、寧ろ、独自の面貌を誇りつゝ、時に他を慰め、鼓舞し、酔はすことこそが望ましいのである。
都市文化は、それが技術的に高度なるが故に尊くはない。地方文化は、それが「自然」に護られてゐるのみで愛すべきものとはならぬ。
近代都市の文化的危機は、それが技術的には高度であつても、「永久的なもの」の欠如、つまり、歴史的なものゝ消滅と雑居的な勢力の横行に原因する。
一方、都市文化は、「物質的なもの」を多く含んではゐるけれども、それは単に外観であつて、都市には都市の極めて重要な精神があり、都会人は必ずしも「物質的」だとは云へない。たゞ、「物質」に対する観念が、都市と田舎とでは甚だ相違するのである。都会人は、「物」を使用する側から見る。田舎の人は、「物」を作る側、獲る側から見るのである。
ただ、都会人は、生活をも技術的に考へる傾向があり、「物を使用する」ことに、より多くの興味と欲望を感じ、遂に生産の労苦を忘れて消費の快楽を追ふ結果となる。
しかしながら、都会人は、あらゆる刺激によつて、心理的に鋭くされ、それが病的にまでなつてゐるものもあるが、また、その鋭さが、精神生活の面で、一種の強味を発揮する場合もある。これは、感覚的に趣味の洗煉といふ形で現れ、頭脳活動に於て速度と飛躍性とが加る。
近代都市の最も惨憺たる現象のひとつは、その住民の大多数が、いはゆる都会人でなく、または都会人になりきらず、しかも、都会人的要求を満たし、満たさしめんとしてゐる状態である。
この現象は、いかなる時代の都市にも起り得るものであらうけれど、嘗ては、何れの都市に於ても、ほゞ確認された都市生活の形態があり、その伝統的様式が無言の権威をもつて異郷的なものを同化したのである。
今日はさうではない。異郷的なものは、寧ろ「新風俗」として迎へられさへもする。それは、そのまゝで都会化しつゝある。これに反撥する何ものもないのである。いづれはハイカラなモンペ姿、粋な国民服も出ようといふものである。
それはそれでいゝ。だが、問題は、この都会に生れ育つ、次代の市民は、その生れ育つた土地に対して、いかなるつながりを過去と未来にもつことができるかである。そこには、たゞ、変るものがあるだけである。動くものがあるだけである。深まるもの、持続するもの、自分を静かに見戍る何ものもない。つまり、全体として自己を包むもの、自分がそのなかにゐて、そこから受け継ぎ、それをまた更に全体のなかで伸して行くといふ何ものもないのである。
つまりそこには、愛すべく誇るべき祖国の姿といふものが何ひとつない。彼らは、たゞ、すべての都会人に共通な弱点を背負ひ、強味を強味として発揮し得ない国民となるおそれが多分にある。
都会文化の高揚は、もちろん、技術的な面に主として注がれなければならぬ。技術は知識と感覚とを基礎とするが、また、道徳とも無縁ではない。例へば公衆道徳の問題にしても、かの消費面に見られる諸設備の倫理的意義を考へるだけでなく、都市を構成する諸機能のひとつびとつについて、それが市民生活を混乱に陥れるか、秩序に導くかを一応吟味してみるがよい。混乱は市民おのおのゝ社会的訓練によつても幾分は救はれるが、なによりも、それらの混乱を生ぜしめない、都市行政の「技術」を必要とする。混乱はすなはち頽廃から野蛮につながる。都会の非文化性は常に国民道徳の脅威である。
二
以上の観点から、一般都市文化の危機を踏み越へるために、若干の提言を試みよう。
先づ、形体として都市の要素をなすものは、道路と建築である。最近におけるわが国の都市の膨脹はまつたくその企画性を無視したものである。これを一朝にして改めることは不可能であるけれども、今からでも決して遅くはないのである。速かに全国の都市を、統制ある機関の手によつて、合理的に、審美的に、そして、特に風土的条件に従つて、発展性ある再建設計画の下におくべきである。この計画はすぐに着手しなくてもいゝ。たゞ、自然膨脹を防ぐ指導案として、各監督官庁にその実行を委しておけばよい。この計画は、単に膨脹面を規定するばかりでなく、主要街路の建築表面の様式をある程度統一する。
次に、区画整理を断行する。一つの街路は一つの名称を必ずもち、番地はそれぞれの街路のそれぞれの家屋に一定方向から順序に附せられることを原則とする。尋ねにくい人の家といふものがなくなることは、国民協同親和のためにも甚だ好ましい結果を生む。「ずいぶん捜したよ」とか、時には、「いくら捜してもわからなかつた」といふ挨拶を、われひと共にそれほど苦にしない現状が、おそらく、われわれの社交生活を知らず識らず索漠たるものにしてゐることは大きい。
人に遊びに来いと云へば、いちいち名刺の裏へ道順を書かねばならぬ。この手間と不細工とを、もう誰もなんとも感じなくなつてゐるのであらうか。私の住ひは東京新市域のはづれである。比較的区画整理もできた場所であるけれども、公の町名だけでは、殆ど見当がつかず、二時間も捜して歩いたといふ訪問客もあつた。日本人には膨れつ面をしてゐるものが多いと、よく西洋の女などが云ふ。これで膨れつ面にならなかつたらどうかしてゐるのである。膨れつ面は、怒るにも怒れぬところから出来るのである。だから、私は、市役所に代つていつも詫びを云ふことにしてゐる。ところが、さういふ場所を択んで住ひを求める人間がゐるからわるいとも云ひ得るといふことを、近頃つくづく感じるやうになつた。云ひかへると、国民の為政者への協力が、足りなかつたのである。
さてその次に、都市の交通機関について一言する。ほかの都会のことはよく知らぬけれども、東京では、人口と面積に比して交通機関がまだ未発達であり、従つて、混み合ふ時の混み合ひ方は言語に絶してゐる。これも屡々市民の不徳として問題にされるけれども、それを調節する方法が考へられてゐるかどうか、東京市民の気質が年々兇悪になり、同胞を同胞と思はぬ冷酷さが養はれて行くのである。当局は速かに、市民と協力してこれが整理方法を考究してほしい。実は大して頭のいる仕事ではないのである。寧ろ、この惨状を見るに忍びないといふ神経のあるなしによつて解決される問題である。一例を挙げれば西洋のある都市で既にやつてゐる番号札制度を採用すれば簡単であらう。
更に、円タクの運転免許は、兵役をすましたものに限りこれを渡すといふ規定を当分実行すること。少くとも、歩調を揃へることのできない青年に、この危険な職業を委してはおけないのである。
もうひとつ、都会の隅々から人力車なるものを一掃したい。それによる失業者をどうすることもできなければ、せめて、新しく免許しないことにしてほしい。仏領印度支那の苦力でさへ、近頃はリヤカー式の後押し洋車を「操縦」しはじめてゐるのである。この人力車なるものゝ発明は、抑も東洋の西洋人による植民時代に端を発し、今なほ、極東のエキゾチスムとして白色観光者の間に喧伝されてゐるが、かゝる事情は別として、第一に、人間の労働姿態としても、乗客たる人間との関係に於て甚だグロテスクなものである。最近自動車の払底に乗じて、またまた各所にその数を増した、この居留地撤廃以前の乗物を一日も早く絶滅させたいのは、東亜の盟主たる日本国民の痛切な願ひである。
三
私も勧められるまゝにその会員の一人となつてゐるが、実はその事実の成果について迂闊ながらなにも知らぬ、都市美協会なるものがある。たしか半官半民の堂々たる研究諮問機関のやうに聞いてゐる。「都市美」といふ雑誌も発行してゐて、口絵には、建築や公園の「芸術写真」のやうなものがよく出てゐる。車道の石の敷き方にはどんなのがあるかといふやうな例や、醜い看板が並んでゐる不体裁な街頭の例などものつてゐた。
都市文化の一面は、たしかに、都市美のうちにも窺はれるものである。ところが、都市美に於てすぐれた大都市が、必ずしも、近代都市として好ましい文化をもつてゐるとは限らぬ。巴里や北京を想ひ出すまでもなく、われわれはもはや、この国土にさういふものを求めてゐるのではない。
都市美の本来の理想は、その建設者と、現住者との一貫した美の理念の発揚にあるのである。それは、個々の建築にも、一連の住宅のたゝずまひにも、街路樹の風情にも、道行く人々の衣裳の好みにも、商店の窓飾りにも、ポスタアにも、看板にも、レストオランの空気にも、劇場や公園の設備にも、裏町の暗い軒下にも、縁日の雑沓の中にも、その民族の特性と時代の意味とをそれぞれに反映した都市生活者の歴史と鋭敏な感性がひらめいてゐることである。
学校都市には学校都市の、軍事都市には軍事都市の、また工場都市には工場都市の風格と色彩があり、それはそれなりに、都市らしく繁華でも、整然としてゐなければならぬ。新開地の興味は、粗製濫造の模擬都市であるところから発するのであつて、その安手なといふ印象は、特に金をかけないからではなく、都市建設の文化的能力を欠いだ手合によつて次ぎ次ぎに偽物が積み重ねられて行くからである。東京で恐らく最も巨額の資金を投じたと思はれる某大料理店の、顔を蔽ひたくなるやうな卑俗さを嗤ふものは嗤つてゐるが、しかもなほかつ、これが東京での名物のひとつとなりすますのである。田舎の親類をおつたまげさせるだけならまだいゝが、近頃の東京人は、憚るところなく次代の若者をこゝへ連れ込んで競つて飲み食ひさせてゐるのである。都市美低下の極めて重大な症状である。
ところで、この種の症状は、今や、流行病の如く、全国に蔓延しつゝある。最近どこでも目につく一流と称する新築旅館の部屋部屋の凝つては思案にあまる滑稽な業々しさ、材料と手間と愚劣な技術の濫費、これこそ、都会のならず者と田舎の蓮葉娘との図々しい野合である。
私はかゝる風潮の一般国民に与へる影響を大きく見積る。うかうかと贅沢の自己満足にひつかゝるばかりではない。これに慣れることによつて、ほんたうに壮麗なものがわからなくなり、高い文化の与へる人間生活の深い快適な味ひさへも見失つてしまふからである。
特に、時節がら、一挙両損といふべきこの不健全な都会的偽態を撲滅しなければならぬ。奢侈禁止令は、屋外のみをさ迷つてゐる時機ではない。
四
都会はまた知識層の働き場所としての特色をもつ。農山漁村にも、個人としては高等教育を受けた人もゐるであらう。しかし、大都会になればなるほど知識人の集団としての職場があり、それは都市の最も中枢的な生活面に反映する筈である。レストオランのムニユーが横文字で書かれてあるといふやうなことだけではない。試みに三大都市の住民の学校程度の比例をとつてみると面白いが、これは誰も正確に数字を云ひあてることはできない。仮に学生を含めて専門学校以上程度の学力あるものを、その他のものゝ約百分の一と考へてみよう。実際はそんなにないかも知れぬが、都会に育つといふことは、ある意味で、本人の努力と野心が伴へば、学校は早く切りあげても、知的教養の水準はいろいろの方法で高まるものである。かういふ風に見て来ると、都会はともかくも、知的な需要を満たすひとつの場所でもあり、また、知的なものによつて動かされても行く一個の国民集団であると云へるのである。
知的な文化設備の必要もそこから生れるが、また、その設備の程度、即ち量と質との観察によつて、その都市の文化程度、それが若し、一国の首都であれば、その国家の文化水準が推し量られるわけである。
市民の知的な誇り、国民の文化的優越感は、それゆえに、常にこれが完備を目標として進むのが世界各国の例になつてゐる。政策的にも亦、単に教化の資料とするに止まらず、これをもつて国家が外国に自国文化の高度を誇示すると同時に、国民の自負、即ち祖国への愛と尊信とをかち得る一手段としたのである。
わが日本は、さういふ形で国民の自負心を煽る必要は、さうさうないであらう。しかしながら、一国民の、他国民に向つて「これを見よ」と云ひ得る真の人間的能力の表現が、相手の如何ともなし能はざる、また、競ふにも競へぬ国体の精華だけでは、こちらもなんとなく相手が気の毒になるばかりである。「さあ来い」と云へるやうな、それも、遠い過去の遺産だけでなく、現在のわれわれの力で作りあげ、築きあげた各種の文化の殿堂で、わが大都市のいくつかを飾りたいものである。
後進国とは云つても、東亜の盟邦は、いづれもその文化感覚に於てはわれわれに劣らぬものをもつてゐる人々の指導によつて、新時代の国家建設を企図してゐるのである。現代日本の知的最高水準は、欧米のそれに匹敵するものさへあるのに、たゞ、それを具体的に、国民の中枢生活の中に、即ち都市文化の上に、表示する設備に於てのみ、欧米の植民地にも劣る観があるのは、どうしたわけであらう。わが日本は、それらの国々の民衆を直接に指導することはできぬ。たゞなし得ねばならぬのは、その指導者らを指導することである。果して彼等はわれに学ばうとするであらうか?
近代美術館もなく、知識人のための劇場もなく、市民の挙つて参加する祭典もないのは、これは、今すぐにどうしやうもない。民間の科学者や芸術家が、国家からも都市からもなんら「記念」されてゐないのもしかたがない。せめて、社会救済のための、社会教育のための、理想的な施設案を政府並に都市当局に於て、速かに樹てゝもらひたい。これが実行はやはり二十年計画で差支へないのである。私は、新体制国家の少くとも国防完備と同時に、この方面への邁進を熱望するものである。
五
都市生活が、民衆娯楽の営利化といふ面を通じてゞも、一般に享楽的に傾くことは否定できない事実である。しかし、これは、人間自然の要求がそこでは満たされ、またそれがある程度誘発されるといふだけであつて、都会自身のもつ不健全性ではないのである。
不健全なのは、寧ろ、かゝる娯楽機関をあげてこれを営利の具となさしめる為政者の怠慢と、文化意識の欠如である。
わが国では、まだ、官営或は公営娯楽施設などゝいふ言葉を聞いたゞけで、民衆は尻ごみをしさうな気がするけれども、これはもはや、放任しておけない問題である。
尤も、既に早くから、文部省あたりで国民娯楽の研究的調査が進められてゐるとは聞いてゐるが、そして、紙芝居の如きものには、相当の干渉が加へられたといふことも知つてゐるが、国家ひとたび動いて紙芝居を取締る図のなんと本末を誤れるやである。簡単にいふことを聴くものから槍玉にあげるのは、自信と勇気のない証拠である。
今日まで、国民の指導者をもつて任じてゐた人々は、多く芸術と娯楽の区別を知らず、また、娯楽とスポーツ、或は教育とを屡々混同してゐた。
一国の芸術的生産が、現代日本に於ては、殆ど大都市中心に行はれてゐる関係と、娯楽機関の施設が都市、殊にその中央部に蝟集してゐる状態とは、甚だよく似てゐる。
農山村の青年男女が都会生活に憧れる理由の一つは、「いゝ芝居や映画が見られるから」といふのだといふ事実が発表されてゐた。
さうかと思ふと、大都市の郊外居住者は、殊に家庭を守つてゐる主婦や、その監督下にでなければ街へ出られない年少者は、地方の小都市の方がまだましなほど、娯楽施設との絶縁を宣告されてゐるのである。
この不均衡を国民生活の豊富化のために、早くなんとかせねばならぬ。それにはまづ、都市の娯楽のあるものを、農山村に巡回せしめ、大都市の郊外地域をも含めて定期的に移動する、一種の高級娯楽機関の組織を考へる必要があるだらう。
娯楽的要素は、芸術の中にもあり、また、娯楽を芸術的に成り立たせることも可能ではあるが、娯楽そのものゝ本質は、人間が最も自然な姿に於て歓喜し、興奮し、心身の苦痛なしにこれに没頭し得る「遊び」でなければならない。娯楽にはまた、知的なものと感覚的なものとがあるが、その何れを高しとするやうな性質のものではない。娯楽の文化的意義は、決してさういふ見方にあるのではなく、寧ろ、その純粋性と品位にあるのである。
民衆の娯楽は、それゆゑ民衆自身の手になつたもの、民衆の素朴な精神を精神としたものが、一番高い価値をもつ。民衆の欲求は元来健康なものだと私は信じてゐる。これを不健康なものにするのは、民衆を食ひものにする手合の陰謀と術策である。営利業者と独善的な民衆指導者の猛省を促したい。
そこで、都市を中心とする娯楽の徹底的改善は、先づ、都市居住者をして、共同の娯楽を楽しむ時間と余裕とを得せしめることからはじめなければならぬ。
共同の娯楽とは、小にしては家庭的娯楽、これを押しひろめれば、町内隣人と倶にする娯楽、更に進んで、市民挙つてこれに参加し得るていの祝典的催しなどである。この種の共同の娯楽の衰微は、現代日本の全般的徴候であつて、殊にそれが都市生活者の孤独の心理となり、「遊び」は暗黒の中に追ひ求められるのである。
六
都市生活の明朗化のために、私は、以上のやうな娯楽の観念の徹底的反省を要求するが、更に、問題になるのは、市民の雑居的性格である。
第一に、有閑無為の階級もあるにはあるが、勤労者の悉くは、あまりに忙しすぎる。従つて、隣人同士が口を利く機会さへないのである。主婦同士は、近頃、隣組制度のお蔭で、ぼつぼつ近づきになりつゝあるやうだが、男同士は道で遇つても顔を覚えてゐないくらゐである。忙しすぎるといふのは、よく働くといふのとはやゝ違ふと思ふ。お互に自分のことを考へてみればわかる。役所や会社の仕事はだらだらしてゐて、そのくせからだが空かないやうな仕組みになつてゐるし、義理の交際がこれまた勤務時間の延長を強ひるやうなものだし、住居が不便なところだと、帰る前にビールを一杯ひつかけたいし、といふやうなことで、家に帰るともう身心ともにくたくたである。
ラジオでは盛んに岡本さんの「隣組の歌」を合唱してゐるけれども、なんだか、そのへんのサラリーマンは、茶の間の畳の上に寝そべつて、「うちは女房のゐるところ、隣はあつても用がない」などゝあの節に合せて唄つてゐるやうな気がするのである。
これでは駄目だ。
概して都会の知識層は、かくの如く、隣人に冷かであり、また冷かならざるを得ぬ境遇におかれてゐるのである。
私はしかし、それが彼等勤人階級の特性であるとは思はぬ。なかには厭人的傾向をもつてゐるものも少くないが、それとても真に隣人と悦びを共にすることを希つてゐないわけでもない。たゞ、道が通じてゐないだけであることが、だんだん近頃わかりかけて来たのである。
だが、こゝに最も機微な関係が存在する。それは、同一町内に居住する異種階級層の相互の親睦が、いかなる契機によつて、結ばれ得るかといふ問題である。これらの階級層を大体、金利生活者、所謂勤人、手工業者乃至小売商人、筋肉労働者の四つに分けることができると思ふが、それらは、生活程度の差、生活様式の独自さ、職業的偏見、若干の利害対立、教養の相違、等々によつて自然、交渉の疎隔を来すのみならず、時には必要な協同行為をすら避ける傾向を生じてゐるのである。
この現象が、都会を個人個人の生活の場とするものから多分に隣人互助の精神を奪ひ、これを努めて郷土的なものとする工夫を無益なりと感ぜしめるのである。
都市文化の跛行性がそこから生れる。町内の政治は必然的に移住者たる勤人階級の参加を拒み、局地的な施設は主として金利生活者の選択に委ねられ、祝祭の行事は最も文化的教養の低い階級によつて多くはリードされつゝあるのである。
例へば町内に神社を建てるとする。その境内を装飾し、これを小公園とする案は先づ通つた。ところで、この相談を町内に住む建築家や造園技師にもちかけたといふ話が今まであつたらうか。
また、例へば、出征兵士の送迎をするのに、町内の人々はそれぞれ集つて趣向を凝らすが、その儀式的な形態について、それがほんとに厳粛で荘重なものであるかどうかを、いつたい誰が批判するのだらう。町の祭典の装飾について、その音楽について、行進について、余興について、嘗て一度でも、美術家や音楽家や演劇関係者が、町民の資格をもつてその企画に口を出したことがあるだらうか。私は寡聞にしてそれを知らないのであるが、どこの祭典を見ても、さういふことが行はれた形跡すらないと断言し得る。これでいゝのであらうか?
七
かういふ問題をひろへばきりがないけれども、要するに都市文化の危機は、都市そのものに対する為政者の認識と、都市住民の生活意欲の、混乱、誤謬にあると私は思ふ。云ひ換へれば、こゝにも確乎たる理想がないのである。たまたま理想を懐くものがあつても、それを追求する情熱と、これを支持する集団の力がないのである。
都市居住者の時局への積極的関心が足りないやうに云はれてゐるのは、必ずしも、彼等が一人一人国民としての自覚が足りないためではなく、主として都市そのものゝ無目標的存在に知らず識らず生活を托してゐるところに原因があるのだと思ふ。
都市生活者の共通の目標を先づ明らかにする必要がある。市会にはもつと文化的な空気を注入すべし。町会なるものゝ機能をできるだけ活溌にすべし。市民としての訓練がやがて国民として役立つといふ信念を高く掲げるべし。
都市の粛清工作は警察の手にのみ委すべきではない。殊に風紀上の些末な醜悪面を洗ひ立てたり、追ひまくつたりすることは、労して効なきものと私は思ふ。複雑微妙な都市生活の裏面では、人間が社会から離脱して、羞恥なき行為も行はれるであらう。さういふものがひよつこり街頭の明るみに姿を現はしても、そんなに驚くことはない。かういふものゝ善良な市民の上に及ぼす影響力はそれこそ知れたものである。
それよりも、やはり私は、待合とか遊廓とかいふものを一掃したい。特に、それらのものゝ在り方を現在のまゝ続けさせるといふことは、日本の都市の性格をいつまでも封建的なものから脱せしめないことになる。悪所通ひを風流とし、社交の具とするある種の観念を、われわれの頭から、即刻排除しなければならぬ。これは道徳上の問題ではなくて、まつたく趣味上の問題なのである。しかも、それがどんなに悪趣味であるかといふことすら、われわれ自身の意識の上では感じられなくなつてゐるのである。
そこで、お互の社交の形式について、考へなければならぬ問題が提出される。
都会人、特に男性間の交際は、多くは家庭外に於て行はれるが、かゝる要求に応ずる施設が、即ち単純なクラブを除けば、すべて女性のサーヴィスを附きものとする飲食店である。
多くの主婦のうちには、それが結局面倒でなくてよいとするものもあるやうである。主人も亦細君を労るつもりで、よそへ人をよぶといふ場合もあるだらう。ものゝ因果関係はなかなか断定を下しかねることがあつて、この風習は、男が求めて作つたか、女の仕向け方に責任があるか、それはちよつとわからぬ。人にご馳走をするといふことがあんまり多すぎる現代都会式儀礼の罪ももちろんあるだらう。
しかし、これは、思ひ切つて社交の精神と形式を一変し、従つて、家庭に於る主婦の仕事を合理化し、女性の社会生活者としての教育をやり直し、人をよぶことの嫌ひな細君や、家庭をのぞかれるのを卑下する亭主が、最も不幸な男女であることを、社会の一般認識とする新生活運動が開始されなければならぬ。たゞ、恐らく、三十年は続けなければほんとうに実績のあがらぬ運動であることを覚悟してかゝるべきである。
そんなに苦労して、それだけの結果を得たら、ぜんたい国民としてどれだけの得があるかと反問する中老紳士の顔がありありと見える。
では、市民としての健全な社交生活がいかに国民として非常の時に役立つかを説明しよう。
日本人は元来、面識のあるものには大変丁寧であるが、見ず知らずの他人に対しては、無礼を案外平気で働く国民である。汽車に乗つたり、宿屋に泊つたりするとそれがよくわかる。また、震災当時東京にゐた某独逸人の観察によれば、日本人は平生と危急時と、どうしてあんなに変つてしまふのだらう。平生は落ちついた、親切な、節度ある国民だのに、一旦周囲が騒然とし、安全が脅かされるとなると、まつたく態度が違つてしまふ。非常に度を失ふ。無我夢中になる。責任のあるものは別だが、さうでないとわれ勝ちに安全を求める。粗暴にさへなる。これは不思議な現象だ。われわれの場合はまつたく逆なやうに思ふ。平生は日本人よりもずつとがさがさし、善行に無頓着であり、時には興奮し易い。しかし、なにか事があると、すぐに、狼狽してはならぬと思ふ。あたりの人のことを考へる。悲壮な善行慾が頭をもたげる。まあ、さういふ風な傾向がある。これはどういふわけだらう?
すべてがすべてさうではあるまいが、たしかに、さう云はれてみると思ひ当るところがないではない。
私が思ふに、日本人は、道徳的に利己主義者だといふわけでもなくて、たゞ、「赤の他人」といふ言葉の含む、何の某ならざる人物に対する無意識の疎隔感情が、いかなる場合にも自分を周囲から孤立させてしまふのである。
日本人の多くは酒の上でなければ腹を割らぬと云はれ、娼婦立合の下にでなければ、裸になれぬ、また裸になつたとみせられぬやうな警戒気分をもち合ひ、友達になつても、友達になつたといふジェスチュアがなく、よほどのきつかけがなければ同席しても話をせず、話をしても大ていはすぐに話題が尽き、その点で自信があると、少し独りで喋りすぎ、相手はそれをなかなか辛抱しないのである。かういふ国民的性格は、実に、われわれの現代の社交形式が、何ものかの媒介なしには保ち得られぬといふ弱点につながるのである。そしてそれは同時に、群集の一人として、そこにはやはり「社会」があることを忘れさせ、その「社会」を互により住みよくする可能性を放擲させるのである。
かゝる性格はまた、不意に同じ場所に落ち合つた他人同士の、その時に必要な協力をも妨げる場合が多い。これらの例だけでも、かう観ていくと、社会のため、ひいては国家のため、どれだけの損失を積み重ねてゐるかゞわかると思ふのである。国民総力の結合が叫ばれてゐる際、われわれの力はたゞ機械的に結合されるだけでは十分と云ひ難い。一人一人の力が、精神が、いつ如何なる場合と雖も、立ちどころにぴつたりと結びつくことが望ましい。祖国のためにと云へば、なにびとも、誰とでも手を握るであらうといふ信念は、市民としての日常生活のなかでは、さうはつきりと人には見えぬ。そのはつきりとは見えない、なんの気なしの仕事のなかに、真の国民の協力が大きな結果として期待されるのである。
八
最後に、都市生活の一つの特色は、そのなかに、学生生活を含んでゐるといふことであらう。
これは、もう、批判の時期ではないから、対策だけを簡単に述べる。
一、そのへんで眼につく如何はしいバラツク建ての校舎を取毀し、先づ学園としての威容を整へること。
二、教室を各級各組の専用とし、僅かの経費を惜んで、不潔乱雑な場所で、神聖な学問を学ばしめないこと。
三、中学以上は必ず寄宿舎を設け、従来のやうな監督法でなく、また従来のやうな賄制度でない、新鮮溌剌たる青年の気分に適した、もつと温かみと空想に富んだ、知らず識らず秩序の悦びを味ひ得るやうな協同生活を実行せしめること。
四、この寄宿舎には、なるべく、教師が交替で学生と寝食を共にし、所謂自由主義的な甘さを克服した人生修業の先達に任じること。四十歳以上の教師は特別の志望者のみに限る。但し、最初は、相当ごたごたするかも知れぬ。やつてみればこれは案外教師にも歓迎される制度だらう。
五、女学生も同様寄宿舎に容れる。こゝでは、問題が少しやゝこしいが、ともかく、その指導精神については研究する。そしてこゝでも、女学生に家庭及び社会生活の第一歩を修得させると同時に、万一の場合に備へて、軍陣看護学、一般兵食調理法、その他、戦場に於る後方勤務に必要な基礎訓練を行ふ。要すれば非常時の化粧、服飾美学の概論を授けてもいゝ。
六、専門学校以上は、教師の監督のもとに、男女学生の交互寄宿舎訪問を許す。このために必要な社交室の設備をする。ダンスはいけないが、ピンポンやテニスぐらゐはやらせる。数校の合併による、男女合唱団など作るのもよい。ピクニツクにも教師引率の下に連れて行く。在学中、恋愛は絶対に禁制である。
七、外出は届出によつて自由である。休暇は短いが、帰省のためにだけ与へる。学生の外出には必ず服装検査を受ける。帽子の被り方や、その他の点についていちいち監督者は注意を与へる。習慣を作らせるためである。これは軍隊式だが、しまひにはそれをやらぬと気がすまなくなる。
八、姿勢、歩き方、話し方の、著しい醜い癖を直す。現代礼式の一般を教へ込む。学生は都市の街頭に於る秩序の保持者をもつて任じ、端正な市民の一模範たることを身を以て示すやうに訓練される。これは決して固苦しい意味に於て行儀がいゝとか、真面目腐つてゐるとかいふことではない。学生の姿を見かける市民の誰もが、その若々しく頼もしい次代の市民に微笑みかけたくなるやうなものでなければならぬ。
九、学校当局は、新しい学生の生活訓練に於て、十分研究された独自な方法を実行するのであるが、一二の不心得者がその結果、ヘマをしでかしたからと云つて、その案をすぐに引込め、すべて事なかれ主義で臨むことは最も悪質の保守教育であることを自戒すべきである。
学生には、何よりも、学生であるといふ自信と気楽さを与へ、次に、所属の学校に対する信頼と愛情とを吹き込み、更に、今日最も肝腎な注意として、日本国民の真の再組織は、彼等の時代に於てこそ力ある発展段階に入るものであることを心に期せしめなければならぬ。
一〇、剛健な気風を養ふと称して、近時、再びまた肩を怒らせ、一種の蛮声を張り上げるやうな学生の型を生ぜしめつゝあるのは考へものである。かかるポーズは、年少者の他愛なき英雄主義を満足させるだけで、決して、底力ある勇気と緻密な頭脳の涵養にはならぬ。この反動的な虚勢の赴くところは、国民一般をして、学生に親ましめず、神経質な青年を陰鬱な懐疑に陥らしめ、遂に普通の人間を剛健そのものゝ精神から離反させる効果しかないのである。絶えず撃剣の構へをしてゐるやうな表情も、一部青年指導者の好みに適つてゐるやうだが、戦国時代の武者修業ならいざ知らず、そんな気取りで国民の価値は少しも高められず、却つて、この武術にのみは必要とされる凝結心理の相貌は、自由な思考の力と、背面の声に気附く敏感性とを鈍らせるおそるべき受難型である。われわれの都市風景は、この大なる受難の時に当つて、学生のみがその苦悩を背負つてゐるやうに見えても相成らぬ。それで暢気千万な自堕落書生が、影をひそめてしまふならまだしもだが。
九
これで根本的な問題だけはとりあげたつもりである。
都市の代表的娯楽としての興行物のことにも及びたいのであるが、これは、もう書く暇がない。
私は、明日の船で満洲へ渡るつもりである。新興国家の新興都市、新京の現状を見るのが楽しみである。そこでは、民族性を超え、しかも、五族協和の姿を映した理想的近代都市の建設過程が、果して私の眼を驚かすかどうか? そこには若く未熟でも、健康な文化の実が結びつゝあるかどうか?
今ゐる神戸の宿は、海港都市の最もそれらしい雰囲気のなかにある。
この種の雰囲気は、国際的といふよりも寧ろ異国的な情趣に満ち、それがわれわれ日本人の立場からさうなのではなく、自分を西洋人の側においてさう見るやうな習慣がついてゐるのに気がつく。
これは変な錯覚であるが、こゝにある日本的地方色は、私の眼には単なる東洋植民地色なのであつて、これこそ、私の国民的矜りが強ひてさう感じさせるのかもわからぬ。
日本は、この侵入によくも持ちこたへたものであると思ふ。それにしても、もうひと息である。戦ひの最後の五分間が近づきつゝあるのである。(昭和十五年十月)
底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
1941(昭和16)年12月20日
初出:「文芸春秋 第十八巻第十三号」
1940(昭和15)年10月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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