文芸銃後運動
──各地講演旅行の目標──
岸田國士
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文芸家協会の主唱にかゝる文芸銃後運動はその第一着手として、去る五月七日より十三日まで、東海道近畿の大都市八ヶ所において講演会を催し、引続き毎月これを全国各地方に及ぼす計画である。
実際のプラン及び諸般の準備はそれ〴〵適当な機関に委せてあるので、われ〳〵はたゞ動員に応じ、からだを運べばいゝわけであるが、今度の講演旅行の径路に徴して、やはり運動の目標だけははつきりさせておいた方がいゝと思つた。
一行は久米、横光、中野(実)、林(芙美子)の諸氏と私、別に、岐阜と名古屋とでは私の代りに吉川氏が加はり、京都からは菊池氏が参加した。
各地とも講演会は空前といはれるほどの盛況であつた。われわれはみないひたいことをもつてゐる。それは恐らく、国民の多数が──少くとも知識層の大部が──考へてゐてどうにもならぬことなのだらうと思ふ。われわれはさういふ人々に、なにも教へる必要はない。たゞ、各地の講演会場の空気で感じられたことは、聴衆がわれわれの意図をよく汲み取り、さういふことが誰かによつていはれねばならぬといふ賛同の意を強く示してくれたことである。
かういふ感応は、今度の講演を通じて、われわれに力と覇気とを与へた。誰がなんと見ようとも、国民は今、真剣にものを考へてゐるのである。
国家の難局に際してわれ〳〵は現在どうあらねばならぬかといふ問題ほど痛切に一般民衆の注意を惹くものはない。文学者が果してこの問題にすぐれた解答を与へ得るかどうかは別として、私の信念は、たゞこの種の問題の核心がどこにあるかといふことを、文学者が最も奥深く指摘し得るといふことである。
なぜなら、文学者こそは最も近く民衆の心に触れ、その日常生活を観察し、その苦悩と希望とに絶えず眼を注ぎ、現実の可能性とその限界とをよく知つてゐるからである。
為政者と声を合せて国民に様々に警告を発するのがわれ〳〵文学者の任務ではない。寧ろかゝる警告を受けねばならぬ国民の立場に立つて、自らを批判し、一切の警告を無用たらしめる方法を探究し、進んで、国民全体のぎり〳〵結着の力を出しきる生活と秩序とを自分自身の手で作り上げる正しい方向を発見することが、今日の文学者に課せられた一面の仕事であると思ふ。
この運動に参加する文学者たちのそれぞれ聴衆に愬へようとする課題はまちまちであらうけれども、単なる個人的意見を通じて、一人の人間の特異な所在を知らしめることはさほど重要ではないと思ふ。
国民は今、祖国の直面する運命をひたすら凝視し、自己のおかれた場所に応じて、十分の義務を果し、且つ、その義務に反せざる限り、安全に身を護らうとしてゐるのである。この心理は自然である。それゆゑ、義務がこれを命ずれば献身もいと易いといふのが、われわれ日本人の常態である。
しかしながら、義務を義務と感ぜしめるものは、国民全体の高貴な精神の昂揚にあることはもちろんで、この点、わが国の為政者は、もつと時代の表現を身につけた一種の詩人であつてもらひたいと私はかねがね思つてゐるのである。
文学者は幸ひにして、時代の言葉をもつて自己の信念と理想とを語る術を心得てゐる。国民はその言葉を、自分みづからの言葉として聴くであらう。そこには自己陶酔による徒らな鼓舞や激励や叱咤はない代り、政府の代弁者たちのもたぬ反省もあり、自責もあり、苦さにみちた述懐がある。しかもそれはもはや決して、消極的傍観的な態度ではあり得ないところに、今度のわれわれの行動の出発があるのであつて、黙々として国民の歩む道が、所詮平坦でないにしても、すべての努力を傾けることによつて、やがては光明に達するであらうことを互に固く信じ合はうとする祈念の衷はれなのである。
われわれ一行のスケヂユールは文字通り強行軍であつたが、私が病後のからだを多少労はつた以外、他の諸氏はよく頑張つた。そして、いづれも、こんないゝ聴衆はいままでにないといつて褒め、かつ、悦んでゐる。なにかしら手応へがあつた証拠である。
私はこの運動の意義と効果について、一層これを徹底させる上から、是非、講演の反響を知り、聴衆諸君の自発的協力を望みたいと思ふ。
次回のプログラムは、さういふ目的が達せられるやう、若干の考慮を払はれんことを計画者側に希望する。
底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「東京日日新聞」
1940(昭和15)年5月22、23日
初出:「東京日日新聞」
1940(昭和15)年5月22、23日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年7月2日作成
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