春日雑記
岸田國士
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去年の秋からどうもからだの調子がわるく、新聞の仕事があつたので、用心して入院したり転地したりした。
話をするとどうもいけない。それでなるべく人にも会はず、会つても向うにばかり話をさせておくといふ風で、これもなかなか骨の折れる修業である。
その間に、しかし、私は、偶然各方面の人々と識り合つた。どこでも同じと思ふが、人が寄れば必ず戦争の話である。それもいろいろな角度から、それぞれの現象をとらへて、めいめいの観察や批判を下すのであるが、案外、お互に人の知らないことを知つてゐるのに驚く。
ところで、私が最も奇怪に思ふのは、われわれは、その「知らない」ことを計算に入れずに、あれこれと判断めいたものを下してゐることである。
「すべてを知つてゐる」ものからみれば、それらの判断が噴飯に値するであらうことはまことに想像にあまりがある。
しかし、また一方、あることを「知つてゐる」から、その判断は常に正しいと云へないところもある。また、よくしたもので、「すべてを知る」といふことは、当の人間が信じてゐるほど容易なことではないのである。
原因と結果とをはつきりさせることは、最も単純にして、かつ、微妙な精神労作である。私は今日まで、この初歩的な論理を現実の面にあてはめて考へる必要のある時機は少いと思ふ。
なぜなら、世の風潮はすべて、この関係をさかさまにしようとしてゐるからである。
日支の紛争についても、まづ私は、その原因と称せられることがらが、果して、真に原因そのものなりや否やを疑つてゐる。私に云はせれば、それこそ今日の結果の最初の現れであり、原因は寧ろ、今日結果とみるところのものゝなかに厳として存在するのである。
両国の指導者はこゝに想ひ至らねば、永遠の和平など議する資格はない。
話は違ふが、昨日ある新聞社から電話で、所謂「チブス饅頭事件」の判決が発表されたが、懲役八年は意外とは思はぬかといふ問ひであつた。その問ひの意味は、世間の同情が当の被告に集つてゐる折柄、第一審で三年の云ひ渡しがあつたのであるから、控訴の結果、更にその罪が重くなるといふのは、世間の期待を裏切るやうに思はれたのであらう。私はそれに対して、新聞のニユースだけの知識でそんな判断はつけかねると答へた。男性の忘恩と冷酷さを挙げて、被告の罪を軽しとみる人もあるやうだが、その考へ方なども私にはをかしいのである。
今年は学校問題がやかましい。中等学校へ進む子女をもつ両親の苦慮を眼のあたりみた私は、更に、高等学校の理科志望が少いといふ傾向について、当局その他の意見を読み、つらつら「教育の危機」といふことを感じた。
例へば、理科志望者の減少は、科学思想の衰退に原因があるとか、又は、技術者は前途を恵まれてゐないからだとか、さういふ議論は一応尤ものやうでゐて、ちつとも真相を穿つてゐないのである。仮に、それが事実の一面を語つてゐるとすれば、それは寧ろ、この現象をさういふ眼でばかり見たがる人間が指導階級の中に充満してゐるといふ呪ふべき時代に罪があるのである。
科学思想は科学を奨励することによつてのみ高められるものではなく、技術者の前途が恵まれてゐないといふのは、立身出世主義の標準で片づけられる問題ではない。
ある専門学校で、新任の国語の教師が、最初の授業をはじめた。生徒は、時間の終りにその教師に向つてかう云つた……
「先生、僕たちは訓話の学は自分で勉強します。教室ではもつと、文学的な講義をしてください」
二時間目に、教師は、授業をはじめる前に宣言した。
「君たちの注文はわかつたが、急にそんな講義はできない。まあ、僕にできることをやらう」
三時間目には、生徒はたつた二人しか出席しなかつた。
試験の日には、生徒は殆どみな出席した。
「君達は、試験の時ばかり来て普段はまるで顔を見せないね。それでよく、どの学科でも試験が受けられるね」
すると、一人のよくない生徒が応じた。
「しかし、みんなが休むのは先生の講義だけですよ」
この話は厭な話である。しかし、これを私に話した学生は、この春休みに英語の小説を一冊、辞引を引きながら読む人だと云つてゐた。困つた話である。
底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「文学界 第七巻第四号」
1940(昭和15)年4月1日発行
初出:「文学界 第七巻第四号」
1940(昭和15)年4月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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