支那人研究
岸田國士
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私は近頃支那人について語られてゐる文章を読む機会が多いのであるが、やはり永く支那にゐて親しく彼地の人々と接した経験が土台になつてゐるやうな意見には、なかなか傾聴すべきものが多い。
この種の研究や紹介が時に目につくといふのは、私自身、これまであまり支那及び支那人について識ることが少なかつたところから来てゐるが、さういふ気持を多くの日本人が持つてゐるところへ、ヂヤアナリズムが抜目なく一般の要求に応へる記事を絶やさぬやう心掛けてゐるためでもあらう。
支那人に対する正確な認識をもつことは、まことに日本人にとつて刻下の急務に違ひない。支那人が日本人の特質をあまりよく識らぬと同様に、日本人が支那人の心理、風習を深く究めてゐないところから、思はざる様々な誤解が生じ、誤解が積り積つて遂に取返しのつかぬ紛争を捲き超したのだといふ風な考へ方は、まさに時局の一解釈に相違ないのである。
殊に今後の大陸経営、乃至は、両国の親善提携の条件として、この問題が両国識者の間で真面目に取りあげられることは甚だ好ましい傾向だと私はひそかによろこんでゐる次第であるが、さて、前に述べたやうないろいろな経験者の支那人観なるものを読んでゐるうちに、私は、一つの大きな疑ひにぶつかつた。
それは外でもない。われわれ日本人はいつたい対手たる支那人を識る以前に、自分自身をもつとよく識つておく必要があるのではないかといふことである。
日本人は支那人のかういふところを知らぬから、かういふ不都合な結果が生じたといふ風に教へられる。なるほど一応は尤もだと思ふ。ところが、さういふ不都合な結果が生じたのは、実際は、支那人のある特別な流儀を知らぬからといふよりも、寧ろ、日本人がなんでも自分本位に物を考へ、一事を以て全般を律する癖があるところから来てゐるのではないかといふ気が私はするのである。
その証拠に、支那人は概してかういふ風だと云はれてみても、さういふことを単に知らないために大きな間違ひが起りさうなことはひとつもないのである。
もちろん、すべての対人関係に於て、双方が相手の特徴を呑み込み合ふといふことは必要に違ひないけれども、それを呑み込んでゐるだけで万事うまく行くといふ訳合のものではない。識つてゐるにも拘はらず、どんな悶着でも起し得るのが人間同志の浅間しい一面である。日支両国民の感情に若しも融和を欠くといふ点があるとすれば、私は、お互にもつと根本的な人間心理の機微について自覚反省すべき領域がありはせぬかと思ふ。
いつたい、どんなつき合ひでも、初めから相手を識つてかゝるなどいふことは、実際に云ふべくして行はれないことにきまつてゐる。日本人と支那人との間に、将来どんな交渉が続けられるにせよ、相手がこつちの流儀を知らぬからといふので、それをかれこれ問題にする筈はなく、問題はたゞ、相手がどんな人物であるか、人間として尊敬し得るかどうか、仲間として信用できるか、双方相手に求めるところが互に悦びをもつて与へ得るものであるか、さういふ点にかゝつてゐるのだと思ふ。
さうだとすれば、何も今更慌てゝ支那人研究を始めるにも及ばぬといふ気がする。もつと大事なことは、既に国内的にも幾多の摩擦の原因となりつゝある吾々日本人の一つの性癖に就いて、徹底的な研究をしてみることである。
支那側でも、同時にさういふことを試みて欲しい。私はかういふ時代に決してわれわれ同胞の短所をあげつらつて故ら快とする気持はないのであるけれども、将に齎されんとする輝やかしい国民の栄誉を前にして、私の心甚だ平かでないのは、現在の日本人が自ら恃むところのものを、世界の識者がひとしくこれを讃仰するためには、公平にみて、われわれ自身余程の思想的鍛錬が必要ではあるまいかと感じるからである。
例へば、と来ると、やはり政治の面に触れたくなる。が、こゝではそれが目的ではないから、例を卑近な所にとれば、支那人は非常に社交的でお世辞がうまい。だから日本人はついそれに引つかゝる。相手の好意を過重評価して、屡々裏切られる事があるといふ話を大分聞く。
この見方は甚だ双方を理解した見方だと思ふが、さて、さういふことを知つてゐたからとて、どうにもならぬのではないかといふ気がする。なぜなら、もともと、それがお世辞だといふことが判らないから起る問題なので、お世辞かお世辞でないかを区別する能力に欠けてゐる者にとつては、結局、相手の真意がわからぬことになり、間違ひはそこからでなく、どこからでも生じるわけだから、如何ともなし難い。お世辞をお世辞らしく紋切型で云ひなれ、聞きなれてゐる民族は、お世辞らしからぬ妙味など食ひ分ける舌はもたないのが普通である。この知識は正に実地の応用は不可能とみてよろしい。
また、かういふ話もよく聞く。支那人は恩恵といふものを感じない。何をしてやつても、受けた利益だけは有難く思ふが、それを与へた人間に心から謝するといふ気持がない。これだけの恩を施してあるからと日本人は秘かにその報酬を期待するが、それがとんだ間違ひの因である。こゝで支那人はうつかりすると忘恩の徒とみなされる。豈計らんや、彼等は決して忘恩の徒ではないと或る人は弁護する。たゞ、日本人のやうに、相手の顔さへみれば礼を云ひ、事毎に恩を着てゐる風を見せぬだけである。その代り、いつかは必ず、その恩義に応へる道を心得てゐる。彼等は、それを黙つて、それとなくやるのである。恩返しなどと吹聴は決してせぬ。かう聞いてみると、なかなかもつて話せるといふ気がするではないか。
ところが、これも、日本人はそんなことを知つてゐるだけでは、どうにもならぬほど性急なのである。殊に、恩を施すことに少しばかり無神経すぎるのが現代日本人であつて、相手の迷惑をさへ顧みず、恩の押売りをやりかねない風習は、われわれお互に段々気のついてゐることである。報酬などあてにせぬと大きく出てみても、それは、大きくみせたいからであつて、横目で相手の感謝ぶりを計算してゐることに変りはない。総てが総てとは云はぬが、これが末流日本人の素朴な姿なのである。
日本人は支那人に対してばかりではない、何処人に対しても、要するに、単純すぎるのである。単純であることは、一面、得がたい美点でもあるが、それは相手との関係次第で、世の中が複雑になつて来ると、その手では押して行けない部分ができるのである。(「大陸」昭和十四年八月)
底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「現代風俗」弘文堂書房
1940(昭和15)年7月25日発行
初出:「大陸 第二巻第八号」
1939(昭和14)年8月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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