文学者の一人として見た現代日本語
岸田國士



 私は国語問題について別段専門的な研究をしてゐる者でなく、従つてこの問題について適切な意見を述べる資格はないのであります。一作家として現代の日本語について何か考へて居ることでもあればといふことなら、この機会に少しばかり感想を申上げて見たいと思ひます。従つて、今日御話しすることは多分極く常識的な意味の言語風俗と云ふことになるのではないかと考へます。

 先づ現代の日本語を現在の文学界が如何に取扱つてゐるか。そこに何か特殊な現象でもないかと考へて、二三気づいた点があるのでそれから申上げて見たいと思ひます。

 現代の日本文学と申しましても、その範囲は広いのでありますけれども、比較的若いゼネレーシヨンの中で特に目につく現象としては、一般に西洋風の表現が非常に取入れられてゐることを注意しなければなりません。西洋風の表現といふのは直接外国語を学ぶことから影響された点もありませうし、また外国文学の翻訳を読むことから影響を受けてもをりませう。更に一層広く考へれば、現代日本の知的な分野に於ては、西洋風の物の考へ方、感じ方が非常に滲み込んで居ると云へます。其処からもさう云ふ現象が起ると思ふのであります。純粋な日本風の表現では自分の考へや感情が十分に云ひ現はせなくなつて来てゐる。そこへもつて来て、文学本来の反俗的な精神と云ふものが、一般に使ひ古されてゐる表現を必要以上に毛嫌ひをする傾向を生んだのであります。例へば日本人が普通に使ふ言ひ廻しと云ふものを殊更それを俗な言ひ方として却ける、避けると云ふやうなこと。ところが一方で、西洋風の云ひ廻しならば、それが向うでは月並な表現であつても、それを新鮮な、独創的なものとして、知らず識らずこれを受け入れるといふ風があります。さう云ふ風な傾向から、作家が独自な文体を生みだす努力のなかには、新しい感覚主義と言葉の遊戯とが混り合つてゐます。

 少し断片的になりますが、第二の現象は最近非常に地方の言葉、つまり方言を会話として使つた作品が書かれ、流行とまでは云へますまいが、目立つた傾向を作つてゐるやうに思はれます。この地方語の特殊な魅力と云ふものが、作品を成る程或る場合には非常に面白くしてをります。その面白くしてゐる原因は、さう云ふ田舎の言葉で語る人物の生活が都会人にとつては目新しいといふ場合もありませうし、特殊な風俗習慣の描写といふことがその作品の魅力になつてゐる場合もありますけれども、もう一つ、この地方語そのものが自から持つて居る一つの魅力と云ふものが考へられます。私の見解では、地方語に依つて書かれてゐる作品の魅力は、結局その作品を書いた作家が自分自身の言葉で書いてゐると云ふことにあるのだと信じてをります。と云ふのは、その地方語を使つて会話を書いてゐる作家は、実は標準語を使つて書くよりも言葉を適切に選択し、活々と駆使し得て、その結果、表現に力と味ひとが出て来るのだと私は考へます。それは一面かう云ふことになります。つまり同じ作家が会話を標準語で書くよりもその作家が若し地方出身の人ならば、その自分の生れた土地の言葉で書く方が自由である。即ち極端に議論を進めて行くならば、その作家はまだ標準語と云ふものを十分自分のものにしてゐないと云ふことになる。また同時に、東京語が大体標準語の基礎になつてゐるものと考へられますけれども、而かもそれがまだ標準語として日本では十分権威づけられてゐないことにもなると思ひます。少くとも会話の文章の上では私はさうだと思つてをります。

 第三の現象は、日本の現在の文壇が既にその文壇の特殊語と云ふものを生みつゝあると云ふこと、つまり文壇だけで通用すると云ふやうな言廻し、更にそれが作家である場合に、知らず識らず使つて居る一つの言葉の癖、さう云ふものが既に生れつゝあると云ふこと、これは文学の畑ばかりではありませんが、ある職業は、必ずその職業の臭ひを帯びた言葉使ひを生む。それが日本では甚だしいやうに思はれます。ちよつとした例ですが、「かう云ふ風なこと」と普通言ふ場合に「かうしたこと」と云ふ言ひ方をする。これなどは殆ど現在一般に若い人の間で使はれてゐますが、この言ひ方は民衆の間から起つた言葉でなくて、文壇の習慣がヂヤーナリズムを通じて一般化したものだらうと思つてゐます。それから「かう云ふ感じの云々」、これなども矢張りさうではないかと思ひます。それからもう一つは、文壇ヂヤーナリズムを通じて用語の混乱と云ふことが見られるのであります。用語の混乱と云ふと多少専門的な言葉と云ふことになりませうが、その一例として「創作」と云ふ言葉を文壇ヂヤーナリズムの上では小説と云ふ意味に使つてをります。勿論、一つの綜合雑誌の創作欄と云へば、小説も戯曲も載せるのですが、唯「創作」と云ふと小説と解するのが常識になつてゐる。これなども一つの用語の混乱だと思ひます。以上のやうな現象が平然として行はれ、また私自身もさう云ふ現象の中で仕事をしてゐるのでありますから、今日の文学者は、概して、二三の特志家を除けば、厳密な意味でわが国語の正しい使ひ方、正しい発展と云ふ風なことについて口巾つたいことは言へないのであります。

 以上のやうな前置をした上で、私は少し文学者として見た現代の日本語と云ふものについて申上げて見たいと思ひます。現代の日本語は色々な性格を持つてゐるのでありますけれども、その性格はどう云ふところから生れて来たのかと云ふことは非常に面白い研究になると思ふのであります。併し私はまださういふ研究はしてをりませぬし、唯そこに面白い研究題目があると云ふことだけ気がついてゐるのであります。そこで更にもう一歩進めて、現代の日本語の言葉としての弱点を、寧ろ現代の日本語が使はれてゐる状態の中に見出して、いつたいこれでいゝのかと思ふことが度々あります。その弱点について私の気のついたことを一つ二つ挙げてみますと、先づ一般に現代の日本人は言葉をほんたうに自分のものにしてゐないと云ふことを言ひたいのであります。「言ひたいこと」と「言つてゐること」との間のギヤツプが常に感じられる。即ち紋切型、月並な辞礼と云ふものが非常に多過ると云ふことになるのだと思ひます。それは実際に於て感情が言葉から游離してゐると云ふことであります。場合によつてはそれ〴〵の人の思想が言葉に依つて裏切られてゐると云ふことになると思ふのであります。例へば現実の問題を非常に神秘的な表現で、有難く思はせやうとすると云ふやうな傾向が生れて来る所以も其処にあると思ふ。これは現代語と云ふものの基準が今日までまだはつきり立てられてゐないこと、つまり各自の職業身分等によつて使用する言葉の領域が非常に限定されてしまつてゐる。社会の各部門の共通の言葉と云ふものが完全に出来あがつてゐない。さう云ふことが一つの原因であります。またもう一つの原因はこの言葉遣ひがその儘その人の身分階級を示すと云ふやうな因襲に一方で縛られてゐること。従つて各人の言葉遣ひは真先に型にはまり、無難でなければならぬと云ふことを考へる──知らず識らずさういふ頭で物を云ふことが心理的に一般日本人を支配してゐると思ひます。

 今度は結果でありますけれども、さう云ふ個人々々の表現の貧しさ、固苦しさ、粗雑さ、さう云ふものが、現代日本の社交なるものを非常に殺風景な、不活溌なものにしてゐる。少し敏感な者は人の前で下手なことを言ふまいと消極的な努力をする。少し神経の太い者は人の前で平気で無軌道な放言をし、一座を白けさせる。これが現代日本の著しい現象だと私は認めます。そこで、普通の社交と云ふものゝ中には月並な挨拶と御座なりが瀰漫してゐるのであります。是が第一の点。

 もう一つは、言葉と云ふものの機能とそれからその言葉の機能の限界とについて一般の認識が足りないことであります。口で喋つたり文字で書いたりしたことを必要以上に重大に考へる癖が今の日本人にはある。これは言葉の力、微妙な作用に対して非常に勘が鈍くなつてゐる証拠であります。つまり「かう云ふことをいつた」といふことと「かういふ風に言つた」と云ふことの違ひがはつきりしない。これはまた現代の日本人が過去から受け継いだ一つの形式主義に繋るものだと思ひます。これも例を挙げると沢山ありますけれども、例へば今日の時局が国民にさう教へるある種の忌むべき言葉があるとします。その忌むべき言葉の範囲が非常に漠然としてゐる。漠然としてゐるから、国民は戦々恟々としてゐる。例へば「俺は自由主義者だ」とでも云へば大変だと考へてゐる。戯談にでもそんなことは云へないやうに思つてゐる。元来、そんなことぐらゐ云つても何んでもないので、唯それを如何に言つたかと云ふことが重大なのであります。かういふ誤つた判断は言葉の機能の限界と言ふものに対する認識の不足から来るものだと思ひます。そこからまた、スローガンと思想との混合、取違ひ、さう云ふものが生れて来ますが、また其処から、標語と云ふものの価値が過重に評価され、従つてその濫造と云ふ弊が生れて来ます。

 更に図書の検閲、言論の取締と云ふものの標準について、これは検閲を受ける者、検閲する者、両方にそれぞれ一つの困難な課題が生じて来ると思ひます。これは我々が一般にもう少し考へてもいいのぢやないかと思ひます。

 第三に、活きた言葉と死んだ言葉と云ふものがまだ無選択に使はれてゐる。或る人は死んだ言葉を使つてゐて、それが死んだ言葉であると云ふことを知らないでゐる。これも困つたことだと思ふのであります。社会的に生命のある言葉は常に民衆の生活から生れて来る。その生活を反映するのはヂヤーナリズムと文学だと思ひます。現在ある人の使つてゐる言葉──無論文章を含めてゞありますが、それに依つて、その人がヂヤーナリズム、或は現代の文学にどの程度に接触を保つてゐるかと云ふことがすぐにわかる。官吏や政治家などは実にその点、面白いくらゐにわかります。少くとも知識層だけについてみますと、かういふことが云へるのは、日本だけではないかと考へます。民衆を相手とする職業である場合には、その人の言葉遣ひに依つて民衆が動かされるかどうかと云ふことがほゞ見当がつく。或は少し言ひ過ぎかも知れませぬけれども、現代の政治に魅力がないと言はれる、その原因の一つは、政治の衝に当る者が社会的に生命のある言葉を使つてゐるものがごく少いからだと私は私流の考から、さう結論を下してゐるのであります。そこで前に申上げましたやうな三つの理由から、私はわが国語の改良問題の根本は、言葉そのものに手を着けると同時に、言葉に対する一般の観念の向上、これが重要な仕事ではないかと思ふのであります。民衆は無意識に既にこれを求めてゐる。言葉と云ふものはどう云ふものであるか、また言葉は元来、自分たちのもので、全国民の間で共通に使はれるものでなければならぬと云ふことを民衆は本能としてこれを承知してゐると思ふのであります。そこに目醒めることの最も遅いのは現代の日本の指導階級ぢやないかと私はひそかに思つてをります。これが先づ文学者として私が現代の日本語について考へてゐることであります。

 最後にこの国語と云ふものの改良の方針、その技術と云ふことについて、素人考で考へますと、先づ日本語をどんな国語にしようと云ふのかと云ふことが第一の疑問になるのであります。そこで次に起つて来る問題は、日本語のどういふところが主な欠点か。第三はその欠点を除くと同時に長所が失はれはしないかと云ふ事、これがまた問題であります。先づこの三つの疑問でありますが、これは疑問に過ぎませぬけれども、この疑問は、たまたま私が最近読みました書物によつて更に深められました。その書物といふのは、あるドイツ人の書いたフランス国語史でありまして、そのなかの十七世紀から十八世紀にかけての所謂、国語改良運動について書かれた部分であります。無論さう云ふ方面で造詣の深い方がおいでになるでせうが私の読みましたものは可なり要点をうまく伝へてあると思ひましたので、ちよつとそれを御紹介しておきたいと思ひます。

 フランス語の統制整理と云ふことが考へられたのは御承知の通りに十七世紀のことですが、その運動の先頭に立つたのはマレルブと云ふ詩人であります。このマレルブが一六〇九年に宮廷に召されて、さうしてフランス語の改良についての相談を王から受けると云ふのが発端であります。このマレルブと云ふ詩人は詩人としての才能から言へばまづ二流どころといふことになつてをりますが、このマレルブの仕事は単にその作品の上でフランス語を非常に純粋化したばかりでなく、フランス国民の全体に言葉といふものに対する新しい関心を植ゑつけた偉大な功績を持つてゐる人であります。マレルブは先づ誰にでも分る言葉、それをモツトーとしてフランス語の整理にかかりました。古語、新造語、外来語、地方語、学術用語、悉くこれを排斥しました。十六世紀頃から非常に学術語が生れましたが、これを普通の言葉の中では使つてはならぬことにした。非常に極端な整理案でありましたが、しかし幸なことにはこのマレルブの方針は忠実に社会の一部で守られたのであります。その社会の一部とは何処かと云ふと宮廷であります。これはマレルブ一人の力でなく、無論そこには王の意思が強く働いてをつたからだと思ひますけれども、このマレルブの方針は忠実に厳格に宮廷の中で実行されました。たゞ単語の整理ばかりではありません。色々な言廻しも、二様の意味に取れる言廻しを絶対に禁じました。かう云ふ命令は当然色々な反対を外部から受けてゐる。しかしマレルブはこの反対に耳を藉さず、飽くまでこれを実行する決心をもつて進んだのであります。ところが反対は次第に声をひそめて来ました。それは何故かと申しますと、このマレルブの取つた方針は非常に極端と思はれる程のものでありましたけれども、それによつてフランスの国民全体は思ひがけない利益を受けたからであります。さう云ふ言葉の制限はフランス語を言葉として非常に貧しいものにしはしないか、それこそ言葉の泉を涸らすやうなものだと云ふ一見甚だ穏当と考へられる意見も民間の一部の識者からは出たのであります。しかしこの心配は今日までのフランス語の歴史を通じてみますと、やがて次の時代に立派に解決されてゐるところがなかなか面白いところだと思ふ。国民一般の言葉の純化整理がどうしてそれほど楽に出来たかと云ふと、丁度フランスの十七世紀と云ふのは、国民的な自覚の最も高潮に達した時代であつたと云ふことが第一の理由であります。別の言葉で申しますと、文芸復興以後勃然として起つた個人主義の思想が次第に衰微した時代であります。十六世紀は自我の発見と解放の時代で、日常生活に於ても、社会現象に於いても、個人主義的な主張の充満した時代でありまして、言語風俗から申しましても、各人が勝手気儘な言廻しを平気でしてをつた時代ださうであります。自然この時代はフランス国内でも言葉の恐るべき混乱が生れてをつたのであります。その時代の言葉の混乱無秩序を個人主義の思想に結びつけてゐるのがこの議論の面白いところだと思ひます。十七世紀になりますと、この個人主義の思想といふものが一時衰へました。国家意識の浸潤と社会生活の変革がその原因とされてをります。そこから、隣人と共通なものを求める一つの考へ方、理性の尊重がこの十七世紀の一つの時代色になつてをります。かう云ふ時代の風潮が言葉の統制純化と云ふことを非常に容易にしたのだと云ふ議論は強ち牽強附会ではないと私は思ふのであります。この時代に、御承知のやうに例のアカデミーが創立せられました。さうして、このアカデミーがマレルブの仕事を受継いでフランス語の標準化といふ事業を完成しました。辞書の編纂、文法の確立であります。そのアカデミーの最初の討論がまた非常に興味があるのでありますが……先づ最初討論の議題となつたことは、フランス語の隣国の言葉に対する優越を確保する方法如何といふことでありました。これは当時フランスは領土的にも所謂国威を発揚した時代でありまして、フランス語が隣国に侵入する機会も多く、また隣国人が自から進んでフランス語を習得するといふことをどうしても考へなければならぬ時代であつた。しかしながら、単に武力を背景としてフランス語を習はせるとか、或は利害の問題からこれを学ぶといふだけでは心細い。なんとかして、フランス語自体の優越性によつて隣国人を惹きつけねばならぬ。フランス語の美しさに対する一種の憧れをもつてこれを学ばうとするやうに仕向ける必要がある。当時のフランスの学者達はかう考へたのです。非常な達見だと思ひます。その中の一人で、ヒューレと云ふ人は、「既に我が国語は他の総ての言葉に比して十分完成してゐるのであるから、こゝで一種の注意をエロキユーシヨンの上に払つたならば、恐らくラテン語がギリシヤ語を継いだ如く、我がフランス語はラテン語に継いで世界標準語となり得るだらう」と云ふことを述べてをります。しかし恐らく、これは当時既に国力に自信をもつてゐたフランス人の誇張された宣言だと思ひますけれども、それはやがて或る部分実現される結果になるのであります。そのアカデミーで編纂した辞典は、フランス語の標準になる言葉、現在日本で使つてゐる標準語と云ふのとは少し意味が違ふかも知れませぬが、標準になる言葉を選択し、正確に意味づけ、限定された用例を挙げてをります。この標準になる言葉とは教養のある人達の間で使はれる言葉と云ふ意味なのであります。このアカデミーの辞典に対して普通の辞典が市場に普及してゐる。この普通の辞典は一般民衆が自然に使つてゐる言葉を網羅するといふところが違つてゐるのです。或はそれ〴〵の専門語を集めた辞書もその外にある。さう云ふ辞書に対してアカデミーでは標準になる言葉と云ふものを規定してゐるのであります。その編纂には非常に苦心を払ひましたけれども、やつと十七世紀の終りになつて初版を出し、さうして今日迄八回それが改修されてをります。一九三一年から三四年にかけて現在のアカデミーの会員の手に依つて第八版が出てゐる。それで今日までフランスに於いて標準になる言葉はアカデミーの辞典に依るといふことが先づ常識になつてをります。何かお互の言葉遣ひについて疑問が起ると、結局アカデミーの辞典に解決を求めるといふことが現にフランス人の間で行はれてをります。アカデミーの辞典にさうあるなら、さうして置かうといふ程度にはなつてをります。やはりこのアカデミーの編纂員の一人だつたと思ひますが、ヴォオジユラといふ人は、フランス語についてかういふことを言つてをります。「言葉の主人あるじといふものは唯一人だ。即ちそれは慣例だ」慣例= usage =一般に用ひ慣れた言葉を標準にする以外に言葉を純化する有効な手段はない。従つて誰かが作り出し、誰かが決めた言葉を一般に使はせようとすることは絶対に無理なことだ。さういふはつきりした標準を持つてゐたやうであります。それともう一つは、アカデミーのこの規格は完全に宮廷の中で守られてゐた。従つてアカデミーで許されてゐる言葉以外の言葉を使ふ宮廷人は軽蔑され、或は排斥もされたのであります。この十七世紀に於けるフランス語の純化運動は所謂古典語なるものを作り出したのでありますが、意識的に統制されたフランスの古典語は、日本に於ける古典語とはよほど性質が違ふのであります。この古典語の完成といふことは、それが一般国民の上に徹底して、言葉の標準になる時期まで待たなければなりませぬ。古典語の創造者は矢張り時間を必要とすると云ふことをその当時から認めてをつたやうであります。しかし結果から見まして、この十七世紀に於けるフランス語の純化運動と云ふものは、少数の識者の力に依つてそれが有効に行はれたばかりではなく、実は国民の中にさう云ふ要求が既に無意識にでも存在したのだと云ふことを国語史の著者は指摘してをります。従つてこの少数の識者のこしらへた言葉の上の規則と云ふものは、実は民衆が意識しないで示してゐる言葉の上の現象と一致してゐるといふのでありまして、これ果して、それらの識者が、先見の明なり、或は一種の透徹力をもつてゐたからであるかどうかは、今日まだ疑問としなければならぬかも知れませぬが、さう云ふ一致が其処に見られる。十七世紀の精神は十六世紀の享楽を追ふ個人主義的生活から徐々に禁慾的な生活の讃美と云ふことに傾いて行きましたし、また感情を主とする行動と云ふものが漸時卑しめられて、理性と意思の力といふものが色々な面で尊重されだした時代であります。また、十七世紀は義務の履行と云ふことが特に強調された時代でありました。これがデカルトの哲学を生んだ一つの雰囲気であります。面白いのはかう云ふ時代精神は、言葉の自然の変化の中に現はれてゐると云ふことを、私はこの書物で教へられて驚いてゐるのでありますが、例へば……フランス語の例で十分説明はつきかねますが、十六世紀の頃には、自分の意見を述べるのに、相手の立場といふものを必要以上に考慮にいれる習慣がありました。それが個人々々の感情を尊重する形で表はれるのです。

 今、自分より身分の高い対手と、婦人の品定めをするやうな場合、自分の意見を云ふのに、日本の現代の言葉に強ひて訳しますと、「甲の方が乙よりも綺麗なのぢやないかと思ひます。」日本には現在さう云ふ言廻しがあります。この云ひ方は相手の思惑を斟酌した云ひ方で、非常に感情的です。これが十六世紀的表現であります。十七世紀になると、それがなくなつた。自分は甲の方が綺麗だと思へばきつぱり「甲の方が綺麗だと思ひます。」と云ふ。この言ひ方は、理性的です。意志的です。「ぢやないか」と云ふやうな廻りくどい表現が十七世紀にはなくなつてゐると云ふことをこの国語史は明らかにしてゐる。これは十七世紀といふ時代が自然に行つた言葉の改革です。或はさうかも知れませぬ。そこで考へることは、言葉と文化、時代精神と云ふことであります。

 十六世紀文化、十七世紀文化、それぞれ同じフランス一国内で考へて見ても、言葉それ自体の相貌が、それを或る程度示してゐる。時代精神が言葉の上に反映して来ると云ふことが我々には面白く考へられるのであります。たゞ何時の時代でも国民の下層階級と云ふものは元来知的な努力を好まない。従つて言葉の純化統一といふ風なことをいきなり国民の下層階級までそれを徹底させるといふことは恐らく不可能だといふことを既に実験者としてフランスの学者は告白してゐるやうであります。フランスに於けるこの言葉の純化と云ふ運動は先程申しましたやうに宮廷に出入する人々を標準として行はれた。それが重要なことであります。十七世紀に於いては、これが即ち今日の所謂知識階級に相当する社会層であつたと云へます。モリエールなどは自分の戯曲を見せる相手としてはつきり頭の中にこの階級を意識してゐたのでありますが、とにもかくにも、この階級には、ひとつの矜りがあつたといふことが、何よりの便宜でありました。感情の上でも理性の上でも選ばれた人達、別の言葉で言ふと優れた教養を持つ人達と云ふ風に自他共に許してゐたのであります。さう云ふ人達を相手として言葉の純化を試みたのであります。しかもマレルブに従へば、言葉そのものは、「波止場の人夫にも解る」といふことを標準にしたところが、注目に値します。それともう一つは、一般に言葉の進化は社会の発展より何時でも少しづゝ遅れてゐると云ふことをフランスの言語史は、語つて居ります。ところで、このフランス語の純化運動は、マレルブから徐々に企てられて、十七世紀には既に、正しく而かも美しいフランス語の創始者が幾人か生れてゐる。今日古典作家と云はれるラシイヌ、モリエール、パスカルはその雄たるものであります。フランスはこれらの作家の手に依つて所謂純粋なフランス語と云ふものを生み出しましたが、その特色は単純で、優雅で、明晰であると云ふ三つの点に帰します。なるほど、フランス語のこの優越性はたしかに世界の認めるところとなりましたが、しかしその純化されたことが今のやうに単純で優雅で明晰な言葉となつたゞけ、その反面に於いて、フランス語の致命的な弱点を生みはしなかつたかといふ意外な疑問を投げかけてゐるのが、十八世紀のある学者であります。それは十八世紀になつて、隣のドイツの知識がフランスにはいつて来た。さうしてドイツ語との比較が試みられた結果、フランス語はなるほど非常に単純化され、また優雅で明晰ではある。しかし、どちらかといふと固定した状態、或は継続する状態を写すのに適した言葉になり過ぎて、動く状態を写し伝へるのには、どうもあまり適しない言葉になつたといふのです。これは隣のドイツの言葉が非常にダイナミツクである。動きに富んでゐる。それに比してフランス語は一種の力に欠けてゐると公平なところをみせたのであります。それに対して、フランス語の一途な擁護者は、「なるほどドイツ語のダイナミツクなところは認める。その原因は何かといふと同義語が多いことである。同義語の数をフランス語は極度に制限した。またドイツ語は非常に動詞の数が多い。色々の動作をそれ〴〵の言葉で現はすやうになつてゐる。これは言葉の整理をしなければさういふ状態になるのは当然である。そのためにドイツ語は人間の心の動き、精神の活動、人間の内的の生活を写すのには、若干の強味はあるけれども、しかしフランス語ほど社会的な性格を持つてゐない。フランス語は個人の内的生活を写す為には或は余りに静止的であるかも知れぬが、しかし社会の各々の部分を繋ぎ合はすといふ役目はフランス語の特性が最も良くこれを果し得るのである。かういふ意味でフランス語は、結局一つの国際語になる特質を備へるに至つた。これは決してフランス語の為に悲しむべきことでない」といふ議論であります。ある国語がその整理のされ方、発展の仕方によつてそれ〴〵違つた性格を持つやうになることの適切な証拠であります。

 そこでわれわれの日本語の現在の状態を考へ、この言葉をどう云ふ風に改良すべきかといふ問題になりますと、私自身としては、ちよつと迷ふのであります。将来の日本語はどういふ風にするのが一番我々の望む所であるか、といふことをこゝで根本的に考へてみなければなりますまい。さういふ点でその道の専門家の御意見を私は伺ひたいと思ひます。

 フランスでも十八世紀になりますと、王室と教会の権威が衰へて、自然、言葉を統制し、保護する一つの中心がなくなりました。その上、例の戦乱が続き、民衆は窮乏し、科学の発展に伴つて色々の新しい言葉が生れて来る。外国との交渉が盛んになる。そんなことで、フランス語は一時また文字通り混乱しました。事実上混乱しましたけれども、十七世紀にはつきり植ゑつけられた、或はその以前から民衆の中に芽生へてゐた言葉に対する関心、言葉に対する一つの正しい観念が、この十八世紀の言葉の混乱時代を通じて、尚ほかつ自国語を純粋にと無意識ながら守りつゞけた努力が見られます。彼等フランス人は、自国語の誇りを傷けないだけの素地を作つてゐたのです。事実さう云ふことを直接声明し、或は仕事の上で見せた人達が十八世紀に沢山生れてをります。従つて、フランス語が前世紀に於いて一時非常に単純化されたのが、十八世紀に至つて、偶々非常に混乱はしましたけれども、その結果は、更に、国語を豊富にすることに役立つたといふ面白い現象がみられます。例の百科辞典の編纂は、かういふ時代が要求したひとつの国民的運動であるといふことにもなる。この時代はまだフランス革命の前ですが、「フランスは既に一つの革命を完了した。それは民衆の教養を高め得たといふことだ」と、デイドロは宣言してゐる。民衆の教養を高めたといふことは、フランス国民の中に正しい国語といふものを造り上げたといふ意味で言つてゐるのであります。これも誠に面白い。ルソオは一方でまた、かう云ふ意見を述べてゐる。「国語は所謂卑俗な言葉を避けることに依つて一層卑猥となる」。「卑俗と卑猥」と云ふ訳語が正確であるかどうかちよつと疑問ですが、兎に角下層で使はれてゐる言葉を極端に嫌ひ却けることは、必ずしも言葉の純化にならない。さう云ふことに依つて却つて言葉が卑猥になる。卑猥といふことは一種の臭み、「いやらしさ」と云ふ意味に私は解釈する。これは十七世紀に行はれた言葉の整理から、宮廷人士の間に言葉に対する一種宮廷風の好み、云ひかへると上品ぶつた云ひ廻しと云ふものが出来まして、マレルブの最初の意図からは遠い、民衆の言葉或は言廻しと違つた表現が巾を利かすやうになつた。全体ではありませぬが、極端なのはプレシオジテと云ふ流行がこれであります。婉曲に洒落れて言はうとする「いやらしさ」、その当時、モリエールが誰よりもそれを嗤ひましたが、ルソオも十八世紀的時代精神を以てその弊を此処で責めてゐるのであります。自然の言葉は民衆の言葉であると云ふことをはつきり言つてゐる。是は一つの時代精神だと思ひます。そこで私は、現代の日本語と云ふものを考へます時に、勿論十七世紀に於けるフランス語の純粋化と云ふことに較べて、一層色々な困難、複雑な事情があることを知つてゐるのでありますけれども、国語の改良と云ふことがやはり単なる便宜主義とか、或はまた一部人士の好みに依つて言葉を上品にするとか、さういふ方針に基づいて行はれたならば、日本語の為に果して好い結果が得られるかどうかと云ふことを惧れるのであります。

 最後に、フランス語の優越性を信じきつてゐるフランス人が、自分の国の言葉に面白い折紙をつけてゐますから、それをご紹介しますが、今度は英語と較べまして、「英語国民は英語に依つて領土的侵略を行つた。併しフランスはフランス語によつて、国民の為に、精神的領土を全人類の上に築きつゝある」と云ふ非常に自信に満ちた宣言であります。フランスはフランス語そのものの力に依つて精神的に国民の領土を拡げて行くと云ふ一つの誇り、この誇りが果して正しいかどうかと云ふことは、皆さんのご判断に委せたいと思ひます。

 今日は別に何について話せといふ特別なご注文もなかつたので、非常に勝手なことを申上げましたが、なにぶん日本語そのものについての知識が乏しい為に、故ら問題の中心を外した嫌ひがあるやうで、甚だお恥かしい次第であります。

底本:「岸田國士全集24」岩波書店

   1991(平成3)年38日発行

底本の親本:「現代風俗」弘文堂書房

   1940(昭和15)年725日発行

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2009年1112日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。