文語詩稿 一百篇
宮沢賢治



    目次


岩手公園

選挙

崖下の床屋

祭日〔一〕

保線工手

〔南風の頬に酸くして〕

種山ヶ原

ポランの広場

巡業隊

医院

〔沃度ノニホヒフルヒ来ス〕

〔みちべの苔にまどろめば〕

〔二山の瓜を運びて〕

〔けむりは時に丘丘の〕

〔遠く琥珀のいろなして〕

心相

肖像

暁眠

旱倹

〔老いては冬の孔雀守る〕

老農

浮世絵

歯科医院

〔かれ草の雪とけたれば〕

退耕

〔白金環の天末を〕

早春

来々軒

林館開業

コバルト山地

旱害地帯

〔鐘うてば白木のひのき〕

早池峯山巓

社会主事 佐伯正氏

市日

廃坑

副業

紀念写真

塔中秘事

〔われのみみちにたゞしきと〕

〔猥れて嘲笑あざめるはた寒き〕

岩頸列

病技師〔一〕

酸虹

柳沢野

軍事連鎖劇

峡野早春

短夜

〔水楢松にまじらふは〕

硫黄

二月

日の出前

岩手山巓

車中〔二〕

化物丁場

開墾地落上

〔鶯宿はこの月の夜を雪降るらし〕

公子

〔銅鑼と看版 トロンボン〕

〔古き勾当貞斎が〕

涅槃堂

悍馬〔二〕

巨豚

眺望

山躑躅

〔ひかりものすとうなゐごが〕

国土

〔塀のかなたに嘉莵治かも〕

四時

羅紗売

臘月

〔天狗蕈 けとばし了へば〕

〔秘事念仏の大師匠〕〔二〕

〔廐肥をになひていくそたび〕

黄昏

式場

〔翁面 おもてとなして世経るなど〕

氷上

〔うたがふをやめよ〕

電気工夫

〔すゝきすがるゝ丘なみを〕

〔乾かぬ赤きチョークもて〕

〔腐植土のぬかるみよりの照り返し〕

中尊寺〔一〕

嘆願隊

〔一才のアルプ花崗岩みかげを〕

〔小きメリヤス塩の魚〕

〔日本球根商会が〕

庚申

賦役

〔商人ら やみていぶせきわれをあざみ〕

風底

〔雪げの水に涵されし〕

病技師〔二〕

〔西のあをじろがらん洞〕

卒業式

〔燈を紅き町の家より〕



  母



雪袴黒くうがちし     うなゐの子瓜みくれば

風澄めるよもの山はに   うづまくや秋のしらくも


その身こそ瓜も欲りせん  としわかき母にしあれば

手すさびに紅き萱穂を   つみつどへ野をよぎるなれ




  岩手公園



「かなた」と老いしタピングは、  杖をはるかにゆびさせど、

東はるかに散乱の、        さびしき銀は声もなし。


なみなす丘はぼうぼうと、     青きりんごの色に暮れ、

大学生のタピングは、       口笛軽く吹きにけり。


老いたるミセスタッピング、    「去年こぞなが姉はこゝにして、

中学生の一組に、         花のことばを教へしか。」


弧光燈アークライトにめくるめき、       羽虫の群のあつまりつ、

川と銀行木のみどり、       まちはしづかにたそがるゝ。




  選挙



(もつて二十をち得んや)   はじめの駑馬うまをやらふもの

(さらに五票もかたからず)   雪うち噛める次の騎者

(いかにやさらば太兵衛一族まき)  その馬弱くまだらなる

(いなうべがはじうべがはじ)  懼るゝ声はそらにあり




  崖下の床屋



あかりをれし古かゞみ、  客あるさまにみまもりて、

唖の子鳴らすから鋏。


かゞみは映す崖のはな、  ちさき祠に蔓垂れて、

三日月凍る銀斜子ななこ


いてたつ泥をほとほとと、  かまちにけりて支店長、

玻璃戸の冬を入り来る。


のれんをあげて理髪技士、  白き衣をつくろひつ、

弟子の鋏をとりあぐる。




  祭日〔一〕



谷権現の祭りとて、     麓に白き幟たち、

むらがり続く丘丘に、    の数のしどろなる。


頴花はな青じろき稲むしろ、   水路のへりにたゝずみて、

朝の曇りのこんにやくを、  さくさくさくと切りにけり。




  保線工手



マミの毛皮を耳にはめ、    シャブロの束に指組みて、

うつろふ窓の雪のさま、   黄なるまなこに泛べたり。


雪をおとして立つ鳥に、   妻がけはひのしるければ、

仄かに笑まふたまゆらを、  松は畳めり風のそら。




  〔南風の頬に酸くして〕



南風の頬に酸くして、  シェバリエー青し光芒。


天翔る雲のエレキを、  とりも来て蘇しなんや、いざ。




  種山ヶ原



春はまだきのあけ雲を

アルペン農の汗に燃し

繩と菩提樹皮マダカにうちよそひ

風とひかりにちかひせり


繞る八谷に劈櫪の

いしぶみしげきおのづから

種山ヶ原に燃ゆる火の

なかばは雲に鎖さるゝ




  ポランの広場



つめくさ灯ともす  宵の広場

むかしのラルゴを  うたひかはし

雲をもどよもし   夜風にわすれて

とりいれまぢかに  歳よれぬ


組合理事らは    藁のマント

山猫博士は     かはのころも

醸せぬさかづき   その数しらねば

はるかにめぐりぬ  射手いてや蠍




  巡業隊



霜のまひるのはたごやに、  がらすぞうるむ一瓶の、

酒の黄なるをわかちつゝ、  そゞろに錫の笛吹ける。


すがれし大豆まめをつみ累げ、  よぼよぼ馬の過ぎ行くや、

風はのぼりをはためかし、  障子の紙に影刷きぬ。


ひとりかすかに舌打てば、  ひとりは古きらしゃ鞄、

黒きカードの面反おもぞりの、   わびしきものをとりいづる。


さらにはげしく舌打ちて、  をさぞまなこをそらしぬと、

楽手はさびしだんまりの、  投げの型してまぎらかす。




  夜



はたらきまたはいたつきて、  もろ手ほてりに耐へざるは、

おほかた黒の硅板岩礫イキイシを、   にぎりてこそはまどろみき。



  医院



陶標春をつめたくて、    水松いちゐも青く冴えそめぬ。


水うら濁る島の苔、     萱屋に玻璃のあえかなる。


瓶をたもちてうなゐらの、  みたりためらひ入りくるや。


神農像にささぐと、    学士はつみぬ蕗の薹。




  〔沃度ノニホヒフルヒ来ス〕



沃度ノニホヒフルヒ来ス、   青貝山ノフモト谷、

荒レシ河原ニヒトモトノ、   辛夷ハナ咲キ立チニケリ。


モロビト山ニ入ラントテ、   朝明ヲココニ待チツドヒ、

或イハ鋸ノ目ヲツクリ、    アルハタバコヲノミニケリ。


青キ朝日ハコノトキニ、    ケブリヲノボリユラメケバ、

樹ハサウサウト燃エイデテ、  カナシキマデニヒカリタツ。


 カクテアシタハヒルトナリ、  水音イヨヨシゲクシテ、

 鳥トキドキニ群レタレド、   ヒトノケハヒハナカリケリ。


雲ハ経紙ノ紺ニ暮レ、     樹ハカグロナル山山ニ、

梢螺鈿ノサマナシテ、     コトトフコロトナリニケリ。


ツカレノ銀ヲクユラシテ、   モロ人谷ヲイデキタリ、

ココニ二タビクチソソギ、    セナナル荷ヲバトトノヘヌ。


ソハヒマビマニトリテ来シ、  木ノ芽ノ数ヲトリカハシ、

アルイハ百合ノ五タマヲ、    ナガ大母ニ持テトイフ。


ヤガテ高木モ夜トナレバ、   サラニアシタヲ云ヒカハシ、

ヒトビトオノモ松ノ野ヲ、   ワギ家ノカタヘイソギケリ。




  〔みちべの苔にまどろめば〕



みちべの苔にまどろめば、  日輪そらにさむくして、

わづかによどむ風くまの、  きみが頬ちかくあるごとし。


まがつびここに塚ありと、  おどろきるゝこの森や、

風はみそらに遠くして、   山なみ雪にたゞあえかなる。




  〔二山の瓜を運びて〕



二山の瓜を運びて、    舟いだす酒のみの


たなばたの色紙購ふと、  追ひすがる赤のうなゐ。


ま青なる天弧の下を、   きららかに町はめぐりつ。


ここにして集へる川の、  はてしなみ萌ゆるうたかた。




  〔けむりは時に丘丘の〕



けむりは時に丘丘の、  栗の赤葉に立ちまどひ、

あるとき黄なるやどり木は、  ひかりて窓をよぎりけり。


(あはれ土耳古玉タキスのそらのいろ、  かしこいづれの天なるや)

(かしこにあらずこゝならず、  われらはしかく習ふのみ。)


(浮屠らも天を云ひ伝へ、  三十三を数ふなり、

上の無色にいたりては、  光、思想を食めるのみ。)


そらのひかりのきはみなく、  ひるのたびぢの遠ければ、

をとめは餓ゑてすべもなく、  胸なるたまをゆさぶりぬ。




  〔遠く琥珀のいろなして〕



遠く琥珀のいろなして、  春べと見えしこの原は、

枯草くさをひたして雪げ水、  さゞめきしげく奔るなり。


峯には青き雪けむり、   裾は柏の赤ばやし、

雪げの水はきらめきて、  たゞひたすらにまろぶなり。




  心相



こころの師とはならんとも、  こころを師とはなさざれと、

いましめ古りしさながらに、  たよりなきこそこゝろなれ。


はじめは潜む蒼穹に、     あはれ鵞王の影供ぞと、

面さへ映えて仰ぎしを、    いまは酸えしておぞましき、

澱粉堆とあざわらひ、

いたゞきすべる雪雲を、    くだせし馬鈴薯とさげすみぬ。




  肖像



朝のテニスをなげかひて、   額はたか 雪の風。


入りて原簿を閲すれば、  その手砒硫の香にけぶる。




  暁眠



微けき霜のかけらもて、   西風ひばに鳴りくれば、

街のあかりの黄のひとつ、    ふるへて弱く落ちんとす。


そはまみゆらぐ翁面おきなめん、     おもてとなして世をわたる、

かのうらぶれのいか物師、   木どうがかりのかどなれや。


写楽が雲母きらを揉みこそげ、   芭蕉の像にけぶりしつ、

春はちかしとしかすがに、  雪の雲こそかぐろなれ。


ちひさきびやうや失ひし、  あかりまたたくこの門に、

あしたの風はとどろきて、  ひとははかなくなほ眠るらし。




  旱倹



雲の鎖やむら立ちや、     森はた森のしろけむり、

鳥はさながら禍津日を、    はなるとばかり群れ去りぬ。


野を野のかぎり旱割れ田の、  白き空穂のなかにして、

術をもしらに家長たち、    むなしく風をみまもりぬ。




  〔老いては冬の孔雀守る〕



老いては冬の孔雀守る、    蒲の脛巾はばきとかはごろも、

園の広場の午后二時は、    湯くだのむせびたゞほのか。


あるいはくらみまた燃えて、  降りくる雪の縞なすは、

さは遠からぬ雲影の、     日を越し行くに外ならず。




  老農



火雲むらがりべば、  そのまなこはばみてうつろ。


火雲あつまり去れば、  麦の束遠く散り映う。




  浮世絵



ましろなる塔の地階に、    さくらばなけむりかざせば、

やるせなみプジェー神父は、  とりいでぬにせの赤富士。


玉かゞやく天に、     れいろうの瞳をこらし、

これはこれ悪業あく栄光さかえ、   かぎすます北斎の雪。



  歯科医院



ま夏は梅の枝青く、     風なき窓を往く蟻や、

碧空そらの反射のなかにして、  うつつにめぐる鑿ぐるま。


浄き衣せしたはれめの、   ソーファによりてまどろめる、

はてもしらねば磁気嵐、   かぼそき肩ををののかす。




  〔かれ草の雪とけたれば〕



かれ草の雪とけたれば

裾野はゆめのごとくなり

みじかきマント肩はねて

濁酒をさぐる税務吏や

はた兄弟の馬喰の

鶯いろによそほへる

さては「陰気の狼」と

あだなをもてる三百も

みな恍惚とのぞみゐる




  退耕



ものなべてうち訝しみ、   こゑ粗き朋らとありて、

黄の上着ちぎるゝまゝに、  栗の花降りそめにけり。



演奏会リサイタルせんとのしらせ、   いでなんにはや身ふさはず、

ゐのこはも金毛となりて、    はてしらず西日に駈ける。




  〔白金環の天末を〕



白金環の天末を、     みなかみ遠くめぐらしつ、

大煙突はひさびさに、   くろきけむりをあげにけり。


けむり停まるみぞれ雲、  峡を覆ひてひくければ、

大工業の光景さまなりと、   技師も出でたち仰ぎけり。




  早春



黒雲峡を乱れ飛び  技師ら亜炭の火に寄りぬ

げにもひとびと祟むるは  青き Gossan 銅の脈

わが索むるはまことのことば

雨の中なる真言なり




  来々軒



浙江の林光文は、      かゞやかにまなこ瞠き、

そが弟子の足をゆびさし、  凛としてみじろぎもせず。


ちゞれ雲西に傷みて、    いささかの粉雪ふりしき、

警察のスレートも暮れ、   売り出しの旗もわびしき。


むくつけき犬の入り来て、  ふつふつと釜はたぎれど、

ぬか青き林光文は、      そばだちてまじろぎもせず。


もろともに凍れるごとく、  もろともに刻めるごとく、

雪しろきまちにしたがひ、  たそがれの雲にさからふ。




  林館開業


凝灰岩タフもて畳み杉植ゑて、  麗姝六七なまめかし、

南銀河と野の黒に、     その牖々をひらきたり。


数寄すき光壁くわうへき更たけて、    千の鱗翅と鞘翅目、

直翅の輩はきたれども、   公子訪へるはあらざりき。




  コバルト山地



なべて吹雪のたえまより、  はたしらくものきれまより、

コバルト山地山肌の、    ひらめき酸えてまた青き。




  旱害地帯



多くは業にしたがひて  指うちやぶれ眉くらき

学びの児らの群なりき


花と侏儒とを語れども  刻めるごとく眉くらき

稔らぬ土の児らなりき


    ……村にあがたにかの児らの  二百とすれば四万人

      四百とすれば九万人……


ふりさけ見ればそのあたり  藍暮れそむる松むらと

かじろき雪のけむりのみ




  〔鐘うてば白木のひのき〕



鐘うてば白木のひのき、  ひかりぐもそらをはせ交ふ。


凍えしやみどりの縮葉甘藍ケール、  県視学はかなきものを。




  早池峯山巓



石絨アスベスト脈なまぬるみ、     苔しろきさが巌にして、

いはかゞみひそかに熟し、  ブリューベル露はひかりぬ。


八重の雲遠くたゝへて、   西東はてをしらねば、

白堊紀の古きわだつみ、   なほこゝにありわぶごとし。




  社会主事 佐伯正氏



群れてかゞやく辛夷花樹マグノリア、  雪しろたゝくねこやなぎ、

風は明るしこのさとの、    ひとはそゞろにやぶさけき。


まんさんとして漂へば、   水いろあはき日曜どんたくの、

馬を相する漢子をのこらは、    こなたにまみを凝すなり。




  市日



丹藤タンドに越ゆるみかげ尾根、  うつろひかればいと近し。


地蔵菩薩のすがたして、   栗をうぶるわらはべと、

縞の粗麻布ジユートの胸しぼり、   鏡欲りするその姉と。


丹藤に越ゆる尾根の上に、  なまこの雲ぞうかぶなり。




  廃坑



春ちかけれど坑々の、    祠は荒れて天霧し、

事務所飯場もおしなべて、  鳥の宿りとかはりけり。


みちをながるゝ雪代に、   銹びしナイフをとりいでつ、

しばし閲してまもりびと、  さびしく水をはねこゆる。




  副業



雨降りしぶくひるすぎを、  青きさゝげの籠とりて、

巨利を獲るてふ副業の、   銀毛兎に餌すなり。


兎はつひにつぐのはね、   ひとは頬あかく美しければ、

べつ甲ゴムの長靴や、    緑のシャツも着くるなり。




  紀念写真



学生壇を並び立ち、   教授助教授みな座して、

つめたき風の聖餐を、  かしこみ呼ぶと見えにけり。


(あな虹立てり降るべしや)

(さなりかしこはしぐるらし)

 ……あな虹立てり降るべしや……

 ……さなりかしこはしぐるらし……


写真師台を見まはして、   ひとりに面をあげしめぬ。


時しもあれやさんとして、  身を顫はする学のをさ

雪刷く山の目もあやに、   たゞさんとして身を顫ふ。


 ……それをののかんそのことの、  ゆゑはにはかに推し得ね、

   大礼服にかくばかり、     美しき効果をなさんこと、

   いづちの邦の文献か、     よく録しつるものあらん……


しかも手練てなれの写真師が、  三秒ひらく大レンズ、

千の瞳のおのおのに、   朝の虹こそ宿りけれ。




  塔中秘事



雪ふかきまぐさのはたけ、  玉蜀黍きみ漂雪フキは奔りて、

丘裾の脱穀塔を、      ぼうぼうとひらめき被ふ。


歓喜天そらやよぎりし、   そが青きあめの窓より、

なにごとか女のわらひ、   栗鼠のごと軋りふるへる。




  〔われのみみちにたゞしきと〕



われのみみちにたゞしきと、  ちちのいかりをあざわらひ、

ははのなげきをさげすみて、  さこそは得つるやまひゆゑ、

こゑはむなしく息あへぎ、   春は来れども日に三たび、

あせうちながしのたうてば、  すがたばかりは録されし、

下品ざんげのさまなせり。




  朝



旱割れそめにし稲沼に、  いまころころと水鳴りて、

待宵草に置く露も、    睡たき風に萎むなり。


鬼げし風の襖子あをし着て、   児ら高らかに歌すれば、

遠き讒誣の傷あとも、   緑青いろにひかるなり。




  〔猥れて嘲笑あざめるはた寒き〕



猥れて嘲笑あざめるはた寒き、   凶つのまみをはらはんと

かへさまた経るしろあとの、  天は遷ろふ火の鱗。


つめたき西の風きたり、    あららにひとの秘呪とりて、

粟の垂穂をうちみだし、    すすきを紅くかがやかす。




  岩頸列



西は箱ヶとドグヶ森、       椀コ、南昌、東根の、

古き岩頸ネツクの一列に、       氷霧あえかのまひるかな。


からくみやこにたどりける、   芝雀は旅をものがたり、

「その小屋掛けのうしろには、  寒げなる山によきによきと、

立ちし」とばかり口つぐみ、   とみにわらひにまぎらして、

渋茶をしげにのみしてふ、    そのことまことうべなれや。


山よほのぼのひらめきて、    わびしき雲をふりはらへ、

その雪尾根をかゞやかし、    野面のうれひを燃しおほせ。




  病技師〔一〕



こよひの闇はあたたかし、   風のなかにてなかんなど、

ステッキひけりにせものの、  黒のステッキまたひけり。


蝕む胸をまぎらひて、     こぼと鳴り行く水のはた、

くらき炭素のに照りて、   飢饉けかつ供養の巨石おほいしめり。




  酸虹



鵞黄の柳いくそたび、  窓を掃ふと出でたちて、

片頬むなしき郡長、   酸えたる虹をわらふなり。




  柳沢野



焼けのなだらを雲はせて、  海鼠のにほひいちじるき。


うれひて蒼き柏ゆゑ、  馬は黒藻に飾らるゝ。




  軍事連鎖劇



キネオラマ、  寒天光のたゞなかに、  ぴたと煙草をなげうちし、

上等兵の袖の上、  また背景のあけぞらを、  雲どしどしと飛びにけり。


そのとき角のせんたくや、  まつたくもつて泪をながし、

やがてほそぼそなみだかわき、  すがめひからせ、  トンビのえりを直したりけり。



  峡野早春



夜見来よみこの川のくらくして、  斑雪はだれしづかにけむりだつ。


二すぢ白き日のひかり、   ややになまめく笹のいろ。


稔らぬなげきいまさらに、  春をのぞみて深めるを。


雲はまばゆき墨と銀、    波羅蜜山の松を越す。




  短夜



屋台を引きて帰りくる、   目あかし町の夜なかすぎ、

うつは数ふるそのひまに、  もやは浅葱とかはりけり。


みづから塗れる伯林青べれんすの、  むらをさびしく苦笑ひ、

胡桃覆へる石屋根に、    いまぞねむれと入り行きぬ。




  〔水楢松にまじらふは〕



「水楢松にまじらふは、    クロスワードのすがたかな。」

誰かやさしくもの云ひて、   いらへはなくて風吹けり。


「かしこに立てる楢の木は、  片枝青くしげりして、

パンの神にもふさはしき。」  声いらだちてさらに云ふ。


「かのパスを見よ葉桜の、   列は氷雲に浮きいでて、

なが師も説かん順列を、    緑の毬に示したり。」


しばしむなしく風ふきて、   声はさびしく吐息しぬ。

「こたび県の負債せる、    われがとがにはあらざるを。」




  硫黄



猛しき現場監督の、    こたびも姿あらずてふ、

元山あたり白雲の、    澱みて朝となりにけり。


青き朝日にふかぶかと、  小馬ポニーうなだれ汗すれば、

硫黄は歪み鳴りながら、  か黒き貨車に移さるゝ。




  二月



みなかみにふとひらめくは、  月魄の尾根や過ぎけん。


橋のも顫ひ落ちよと、    まだき吹くみなみ風かな。


あゝ梵の聖衆を遠み、     たよりなく春はらしを。


電線の喚びの底を、      うちどもり水はながるゝ。




  日の出前



学校は、  稗と粟との野末にて、  朝の黄雲に濯はれてあり。


学校の、  ガラスひらごとかゞやきて、  あるはうつろのごとくなりけり。




  岩手山巓



外輪山の夜明け方、    息吹きも白み競ひ立ち、

三十三の石神に、     よねを注ぎて奔り行く。


雲のわだつみ洞なして、  青野うるうる川湧けば、

あなや春日のおん帯と、  もろびと立ちてをろがみぬ。




  車中〔二〕



稜堀山の巌の稜、  一を宙に旋るころ

まなじり深き伯楽はくらくは、  しんぶんをこそひろげたれ。


地平は雪と藍の松、  氷を着るは七時雨、

ばらのむすめはくつろぎて、  けいとのまりをとりいでぬ。




  化物丁場



すなどりびとのかたちして、  つるはしふるふ山かげの、

化物丁場しみじみと、  水湧きいでて春寒き。


峡のけむりのくらければ、  山はに円く白きもの、

おそらくそれぞ日ならんと、  親方ボスもさびしく仰ぎけり。




  開墾地落上



白髪かざして高清は、     ブロージットと云へるなり。


松の岩頸 春の雲、      コップに小く映るなり。


ゲメンゲラーゲさながらを、  焦げ木はかつとにほふなり。


額を拍ちて高清は、      また鶯を聴けるなり。




  〔鶯宿はこの月の夜を雪降るらし〕



鶯宿はこの月の夜を雪降るらし。


鶯宿はこの月の夜を雪降るらし、  黒雲そこにてたゞ乱れたり。


七つ森の雪にうづみしひとつなり、  けむりの下を逼りくるもの。


月の下なる七つ森のそのひとつなり、  かすかに雪の皺たゝむもの。


月をうけし七つ森のはてのひとつなり、  さびしき谷をうちいだくもの。


月の下なる七つ森のその三つなり、  小松まばらに雪を着るもの。


月の下なる七つ森のその二つなり、  オリオンと白き雲とをいたゞけるもの。


七つ森の二つがなかのひとつなり、  鉱石かねなど掘りしあとのあるもの。


月の下なる七つ森のなかの一つなり、  雪白々と裾を引くもの。


月の下なる七つ森のその三つなり、  白々として起伏するもの。


七つ森の三つがなかの一つなり、  貝のぼたんをあまた噴くもの。


月の下なる七つ森のはての一つなり、  けはしく白く稜立てるもの。


稜立てる七つ森のそのはてのもの、  旋り了りてまこと明るし。




  公子



桐群に臘の花洽ち、      雲ははや夏を鋳そめぬ。


熱はてし身をあざらけく、   軟風のきみにかぐへる。


しかもあれ師はいましめて、  点竄の術得よといふ。


桐の花むらさきに燃え、    夏の雲遠くながるゝ。




  〔銅鑼と看版 トロンボン〕



銅鑼と看版 トロンボン、  孤光燈アークライトの秋風に、

芸を了りてチャリネの子、  その影小くやすらひぬ。


得も入らざりし村の児ら、  叔父また父の肩にして、

乞ふわが栗をうべよと、  泳ぐがごとく競ひ来る。




  〔古き勾当貞斎が〕



古き勾当貞斎が、       いしぶみ低く垂れ覆ひ、

雪の楓は暮れぞらに、     ひかり妖しく狎れにけり。


連れて翔けこしむらすゞめ、  たまゆらりうと羽はりて、

沈むや宙をたちまちに、    りうと羽はり去りにけり。




  涅槃堂



烏らの羽音重げに、  雪はなほ降りやまぬらし。


わがみぬち火はなほ然へて、  しんしんと堂は埋るゝ。


風鳴りて松のさざめき、  またしばし飛びかふ鳥や。


雪の山また雪の丘、  五輪塔 数をしらずも。




  悍馬〔二〕



廐肥こえをはらひてその馬の、  まなこは変るべにの竜、

けいけい碧きびいどろの、  天をあがきてとらんとす。


黝き菅藻の袍はねて、    叩きそだたく封介に、

雲ののろしはとゞろきて、  こぶしの花もけむるなり。




  巨豚



巨豚ヨークシャ銅の日に、   金毛となりてかけ去れば、

棒をかざして髪ひかり、    追ふや里長のまなむすめ。


日本里長森を出で、      小手をかざして刻を見る、

鬚むしやむしやと物喰むや、  麻布も青くけぶるなり。


日本の国のみつぎとり、    里長を追ひて出で来り、

えりをひらきてはたはたと、  紙の扇をひらめかす。


巨豚ヨークシャ銅の日を、   こまのごとくにかたむきて、

旋ればくだつ栗の花、      消ゆる里長のまなむすめ。




  眺望



雲環かくるかの峯は、    古生諸層をつらぬきて

侏羅紀に凝りし塩岩の、   蛇紋化せしと知られたり。


青き陽遠くなまめきて、   右に亙せる高原は、

花崗閃緑 削剥の、     時代はもろあげつらふ。


ま白き波をながしくる、   かの峡川と北上は、

かたみに時を異にして、   ともに一度老いしなれ。


砂壌かなたに受くるもの、  多くは酸えず燐多く

洪積台の埴土壌土はにひぢと、    植物群フロラおのづとわかたれぬ。




 山躑躅



こはやまつつじ丘丘の、  栗また楢にまじはりて、  熱き日ざしに咲きほこる。


なんたる冴えぬなが紅ぞ、  朱もひなびては酸えはてし、  紅土ラテライトにもまぎるなり。


いざうちわたす銀の風、  無色の風とまぐはへよ、  世紀の末の児らのため。


さは云へまことやまつつじ、  日影くもりて丘ぬるみ、  ねむたきひるはかくてやすけき。




  〔ひかりものすとうなゐごが〕



ひかりものすとうなゐごが、  ひそにすがりてゆびさせる、

そは高甲の水車場の、     こなにまぶれしそのあるじ、

にはかに咳し身を折りて、   水こぼこぼとながれたる、

よるの胡桃の樹をはなれ、   肩つゝましくすぼめつゝ、

古りたる沼をさながらの、   西の微光にあゆみ去るなり。




  国土



青き草山雑木山、      はた松森と岩の鐘、

ありともわかぬ襞ごとに、  白雲よどみかゞやきぬ。


一石一字をろがみて、    そのかみひそにうづめけん、

寿量の品は神さびて、    みねにそのをに鎮まりぬ。




  〔塀のかなたに嘉莵治かも〕



塀のかなたに嘉莵治かも、     ピアノぽろろと弾きたれば、

一、あかきひのきのさなかより、  春のはむしらをどりいづ。

二、あかつちいけにかゞまりて、  烏にごりの水のめり。


あはれつたなきソプラノは、    ゆふべの雲にうちふるひ、

灰まきびとはひらめきて、     桐のはたけを出できたる。




  四時



時しも岩手軽鉄の、  待合室の古時計、

つまづきながら四時うてば、  助役たばこを吸ひやめぬ。


時しも赭きひのきより、  農学生ら奔せいでて、

雪の紳士のはなづらに、  雪のつぶてをなげにけり。


時しも土手のかなたなる、  郡役所には議員たち、

視察の件を可決して、  はたはたと手をうちにけり。


時しも老いし小使は、  豚にゑさかふバケツして、

農学校の窓下を、  足なづみつゝ過ぎしなれ。




  羅紗売



バビロニ柳掃ひしと、     あゆみをとめし羅紗売りは、

つるべをとりてやゝしばし、  みなみの風に息づきぬ。


しらしら醸す天の川、     はてなく翔ける夜の鳥、

かすかに銭を鳴らしつゝ、   ひとは繩を繰りあぐる。




  臘月



みふゆの火すばるを高み、  のど嗽ぎあるじ眠れば、

千キロの氷をになひ、    かうかうと水車はめぐる。




  〔天狗蕈 けとばし了へば〕



天狗蕈、けとばし了へば、

親方よ、

朝餉とせずや、こゝな苔むしろ。

 ……りんと引け、

   りんと引けかし。

   +二八!

   その標うちてテープをさめ来!……


山の雲に、ラムネ湧くらし、

親方よ、

雨の中にていつぱいやらずや。




  牛



そは一ぴきのエーシャ牛、  夜の地靄とかれ草に、  角をこすりてたはむるゝ。


窒素工場の火の映えは、   層雲列を赤く焦き、

鈍き砂丘のかなたには、   海わりわりとうち顫ふ、

さもあらばあれ啜りても、  なほ啜り得ん黄銅の

月のあかりのそのゆゑに、  こたびは牛は角をもて、

柵を叩きてたはむるゝ。




  〔秘事念仏の大師匠〕〔二〕



秘事念仏の大師匠、     元信斎は妻子もて、

北上ぎしの南風、      けふぞ陸穂を播きつくる。


雲紫に日は熟れて、     青らみそめし野いばらや、

川は川とてひたすらに、   八功徳水ながしけり。


たまたまその子口あきて、  楊の梢に見とるれば、

元信斎は歯軋りて、     石を発止と投げつくる。


蒼蠅ひかりめぐらかし、   練肥ダラを捧げてその妻は、

たゞ恩人ぞ導師ぞと、    おのがつまをば拝むなり。




  〔廐肥をになひていくそたび〕



廐肥をになひていくそたび、  まなつをけぶる沖積層アリビーム

水の岸なる新墾畑にひばりに、     往来もひるとなりにけり。


エナメルの雲 鳥の声、    唐黍焼きはみてやすらへば、

熱く苦しきその業に、     遠き情事のおもひあり。




  黄昏



花さけるねむの林を、    さうさうと身もかはたれつ、

声ほそく唱歌うたひて、   屠殺士の加吉さまよふ。


いづくよりか烏の尾ばね、  ひるがへりさと堕ちくれば、

黄なる雲いまはたへずと、  オクターヴォしりぞきうたふ。




  式場



氷の雫のいばらを、  液量計の雪に盛り、

鐘を鳴らせばたちまちに、  部長訓辞をなせるなり。



  〔翁面 おもてとなして世経るなど〕



翁面、  おもてとなして世経るなど、  ひとをあざみしそのひまに、

やみほゝけたれつかれたれ、  われは三十ぢをなかばにて、

緊那羅面とはなりにけらしな。




  氷上



月のたはむれゆるころ、  氷は冴えてをちこちに、 さゞめきしげくなりにけり。


をさけび走る町のこら、  高張白くつらねたる、  明治女塾の舎生たち。


さてはにはかに現はれて、  ひたすらうしろすべりする、 黒き毛剃の庶務課長。


死火山の列雪青く、  よき貴人の死蝋とも、  星の蜘蛛来て網はけり。




  〔うたがふをやめよ〕



うたがふをやめよ、  林は寒くして、

いささかの雪凍りしき、  根まがり杉ものびてゆるゝを。


胸張りて立てよ、  林の雪のうへ、

青き杉葉の落ちちりて、  空にはあまた烏なけるを。


そらふかく息せよ、  杉のうれたかみ、

烏いくむれあらそへば、  氷霧ぞさつとひかり落つるを。




  電気工夫



(直き時計はさまかたく、   ぞうに鍛へしは強し)

さはあれ攀ぢる電塔の、   四方に辛夷の花深き。


南風かけつ光の網織れば、     ごろろと鳴らす碍子群、

艸火のなかにまじらひて、  蹄のたぐひけぶるらし。




  〔すゝきすがるゝ丘なみを〕



すゝきすがるゝ丘なみを、  にはかにわたる南かぜ、

窪てふ窪はたちまちに、  つめたき渦を噴きあげて、

古きミネルヴァ神殿の、  廃址のさまをなしたれば、

ゲートルきりと頬かむりの、  闘士嘉吉もしばらくは、

萱のつぼけを負ひやめて、  面あやしく立ちにけり。




  〔乾かぬ赤きチョークもて〕



乾かぬ赤きチョークもて、   文を抹して教頭は、

いらかを覆ふ黒雲を、     めがねうつろに息づきぬ。


さびしきすさびするゆゑに、  ぬかほの青き善吉ら、

そらの輻射の六月を、     声なく惨と仰ぎたれ。




  〔腐植土のぬかるみよりの照り返し〕



腐植土のぬかるみよりの照り返し、  材木の上のちひさき露店。


腐植土のぬかるみよりの照り返しに、  二銭の鏡あまたならべぬ。


腐植土のぬかるみよりの照り返しに、  すがめの子一人りんと立ちたり。


よく掃除せしラムプをもちて腐植土の、  ぬかるみを駅夫大股に行く。


風ふきて広場広場のたまり水、  いちめんゆれてさゞめきにけり。


こはいかに赤きずぼんに毛皮など、  春木ながしの人のいちれつ。


なめげに見高らかに云ひ木流しら、  鳶をかつぎて過ぎ行きにけり。


列すぎてまた風ふきてぬかり水、  白き西日にさゞめきたてり。


西根よりみめよき女きたりしと、  角の宿屋に眼がひかるなり。


かつきりと額を剃りしすがめの子、  しきりに立ちて栗をたべたり。


腐植土のぬかるみよりの照り返しに  二銭の鏡売るゝともなし。




  中尊寺〔一〕



七重の舎利の小塔に、  蓋なすや緑の燐光。


大盗は銀のかたびら、  をろがむとまづ膝だてば、

赭のまなこたゞつぶらにて、  もろの肱映えかゞやけり。


手触れ得ず十字燐光、  大盗は礼してゆる。




  嘆願隊



やがて四時ともなりなんを、  当主いまだに放たれず、

外の面は冬のむらがらす、   山の片面のかゞやける。


二羽の烏の争ひて、      さつと落ち入る杉ばやし、

このとき大気飽和して、    霧は氷と結びけり。




  〔一才のアルプ花崗岩みかげを〕



一才のアルプ花崗岩みかげを、    おのも積む孤輪車ひとつわぐるま


(山はみな湯噴きいでしぞ)  髪赭きわらべのひとり。


(われらみなぬしとならんぞ)  みなかみはたがねうつ音。


おぞの蟇みちをよぎりて、   にごり谷けぶりは白し。




  〔小きメリヤス塩の魚〕



小きメリヤス塩の魚、  藻草花菓子烏賊の脳、

雲の縮れの重りきて、  風すさまじく歳暮るゝ。


はかなきかなや夕さりを、  なほふかぶかと物おもひ、

街をうづめて行きまどふ、  みのらぬ村の家長たち。




  〔日本球根商会が〕



日本球根商会が、       よきものなりと販りこせば、

いたつきびとは窓ごとに、   春きたらばとねがひけり。


夜すがら温き春雨に、     風信子華の十六は、

黒き葡萄と噴きいでて、    雫かゞやきむらがりぬ。


さもまがつびのすがたして、  あまりにくらきいろなれば、

朝焼けうつすいちいちの、   窓はむなしくとざされつ。


七面鳥はさまよひて、     ゴブルゴブルとあげつらひ、

小き看護は窓に来て、     あなやなにぞといぶかりぬ。




  庚申



歳に七度はた五つ、   庚の申を重ぬれば、

稔らぬ秋をかしこみて、   家長ら塚ををさめにき。


汗に蝕むまなこゆゑ、  ばうの鎖の火の数を、

七つと五つあるはたゞ、 一つの雲と仰ぎ見き。




  賦役



みねの雪よりいくそたび、  風はあをあを崩れ来て、

萌えし柏をとゞろかし、   きみかげさうを軋らしむ。


おのれと影とたゞふたり、  あれと云はれし業なれば、

ひねもす白き眼して、    放牧のがひの柵をつくろひぬ。




  〔商人ら やみていぶせきわれをあざみ〕



商人ら、やみていぶせきわれをあざみ、

川ははるかの峡に鳴る。


ましろきそらの蔓むらに、 雨をいとなむみそさゞい、

黒き砂糖の樽かげを、   ひそかにわたる昼の猫。


病みに恥つむこの郷を、

つめたくすぐる春の風かな。




  風底



雪けむり閃めき過ぎて、  ひとしばし汗をぬぐへば、

布づつみになふ時計の、  リリリリとひゞきふるへる。




  〔雪げの水に涵されし〕



雪げの水に涵されし、   御料草地のどての上、

犬の皮着てたゞひとり、  菫外線をい行くもの。


ひかりとゞろく雪代の、  土手のきれ目をせな円み、

兎のごとく跳ねたるは、  かの耳しひの牧夫なるらん。




  病技師〔二〕



あへぎてくれば丘のひら、    地平をのぞむ天気輪、

白き手巾を草にして、      をとめらみたりまどゐしき。


大寺のみちをこととへど、    いらへず肩をすくむるは、

はやくも死相われにありやと、  粛涼をちの雲を見ぬ。




  〔西のあをじろがらん洞〕



西のあをじろがらん洞、    一むらゆげをはきだせば、

ゆげはひろがり環をつくり、  雪のお山を越し申す。


わさび田ここになさんとて、  枯草原にこしおろし、

たばこを吸へばこの泉、    たゞごろごろと鳴り申す。


それわさび田に害あるもの、  一には野馬 二には蟹、

三には視察、四には税、    五は大更の酒屋なり。


山を越したる雲かげは、    雪をそゞろにすべりおり、

やがては藍の松こめや、    虎の斑形を越え申す。




  卒業式



三宝または水差しなど、  たとへいくたび紅白の、

甘き澱みに運ぶとも、   鐘鳴るまではカラぬるませじと、

うなじに副へし半巾は、  慈鎮くわ尚のごとくなり。




  〔燈を紅き町の家より〕



燈を紅き町の家より、      いつはりの電話来れば、

(うみべより売られしその子)  あわたゞし白木のひのき。


雪の面に低く霧して、      桑の群影ひくなかを、

あゝ鈍びし二重のマント、    銅版の紙片をおもふ。

底本:「新修宮沢賢治全集 第六巻」筑摩書房

   1980(昭和55)年215日初版第1刷発行

底本は、1作品が1ページにおさまるように行間を調整している。ただし、このファイルでは、作品の末尾にそのつど

と書き込むことはせず、頁の変わり目ごとに3行をあけた。

※底本は、「作者専用の詩稿用紙に書かれた詩篇を収録し」、多くの詩篇で、詩稿の形式に合わせて上下に二句を配置し、字間スペースなどを調整して下の句の頭が横にそろうように組んである。この形を取っている詩篇に関しては、本ファイルでも、句間を最低全角2字空けとし、下の句の頭を横にそろえた。

入力:junk

校正:今井忠夫

2003年94日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。