諸家の芸術価値理論の批判
平林初之輔
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はしがき
私が「新潮」三月号に発表した「政治的価値と芸術的価値」は、私の頭に疑問として残されてゐた一つの問題を、雑然と、無秩序に、しかも甚だ例証的に、従つて、非常に単純化された姿に於いて、そして何よりも率直に、表白して、私自身その問題に対する一つのサジエツシヨンを試みつゝ、大方の示教を乞ふために書かれたものであつた。
多くの批評家と読者と先輩と友人とが、或は公けに、或は私に、この小論文に対して、多かれ少かれ各自の見解を吐露して、私に対して啓蒙、示教、駁撃、共鳴等の態度を表示されたことは私の非常に感謝するところであつた。
私自身また、その後、この問題を多少系統的な形に於いて熟慮する余裕を得たのと、前記諸氏によつて、直接間接に教へられるところがあつたとのために、私の前の提言が如何にも粗雑であつたこと、そして全く妥当を欠いた引例などもあつたことに気がつくやうになつた。
とは言へ、私の提出した問題の最も根本的な部分は、依然として未解決のまゝに残されてゐるし、問題自体が、前記諸氏の大部分の人々によつて、私の当初の目的とは全く別な方向へ展開せられ、いはゞ側線へ導かれて、一見簡単に片附けられてしまつたやうな観を呈した。私の批判者の大部分は、私の提出した問題を他へそらすためのポインツマンの役割を演じたに過ぎなかつた。
これには勿論私自身の、あの小論文を起稿するに際しての甚だしき不用意、用語の不注意、引例の不妥当、論理の混迷、非系統的に問題を無暗にひろげてしまつたこと等が禍ひしてゐることは私の躊躇するところなく認めるところである。だが批判者たちが、先づ事実から出発することを忘れて、粗笨な公式で事実を無理矢理に規定してしまひ、かくて問題を問題として取り上げることを拒んだことも認めなければならぬと私は考へる。
といふのは私の提出した問題が、私の意味する通りに理解された場合は殆んどなかつたからである。そしてこの問題の実践的重要性は遂に何人によつても発見されずに、かゝる問題は、既に一応片附いた問題であるとして通り過ぎようとされてゐるのである。
この論文は、あの問題に対する批判者の批判を批判しつゝ、でき得べくんば、もつと系統的な姿に於いて、問題の所在を明かにする目的をもつて書かれるのである。私はせめて私の提出した問題の意味が正しく理解されることを希望するのみである。
一 私はマルクス主義文学を如何に解したか又解するか?
私は先づこの初歩的な問題から説明してゆく必要を感ずる。何故かといへば、私は前記の論文でマルクス主義文学について論じてみたに拘はらず、マルクス主義文学とは何かといふ問題を多くの批判者は私と同じやうには理解してゐないやうに思はれるからである。そしてこの出発点に於ける些かの見解の相違は、到達点に於ける千里の差となつてあらはれてゐるからである。
私はマルクス主義文学とはマルクス主義者の文学、即ちプロレタリア前衛の文学であると解釈する。従つて、それは一定の、意識された任務をもつてゐる文学である。そしてこの任務は、個人の霊感によつて感得せられるものではなくて、マルクス主義政党の最高方針によりて規定されるものであり、且つさうされざるべからざるものであると解する。マルクス主義政党の一般的活動の中へ浸透して、その目的のために役立たなければならない文学であると解する。ルナチヤルスキーが、「プロレタリアの解放の仕事に助力する」ことを、マルクス主義文学の大前提として規定してゐるのはそのためであり、レーニンが、マルクス主義文学を、社会民主党の「歯車でありネヂである」必要があると言つてゐるのもそのためである。こゝで私の批判者たちが、文学は形象の文字で語られねばならぬといふ点を重視して、レーニンの歯車とネヂの説を曲解し、この一語によりてマルクス主義文学に於ける政治的優越性が消散してしまふやうに説いてゐるのは甚だしい間違ひである。
更に進んで私はかりに私自身が、マルクス主義的イデオロギイの持ち主であると仮りに定めよう。(さういふ仮定をするのは僣越だと考へる人があるなら、私のかはりに田中総理大臣とかへても差支へない。仮定は飽くまでも仮定であるからだ。)その私が、マルクス主義政党の外にありて、党の仕事とは関係なく、たゞ文学的感興の湧くがまゝに一つの文学作品を書いたとする。この場合、たとひその作品が、マルクス主義的イデオロギイにつらぬかれてゐるとしても、私は、その作品を厳密な意味でマルクス主義文学の作品とは呼ばないであらう。何となれば、それは、マルクス主義政党の仕事を意識してかゝれた文学ではないからである。これに反してAといふマルクス主義作家が、或る明確な意識をもつて大衆を啓蒙するために、社会生活に於ける極めて初歩の階級性を面白く読ませながらわからせるやうな一篇の大衆小説を書いたとする。それは、一見マルクス主義者でなくとも、良心ある作家なら誰にでも書けさうな作品であつても、やはり、私はそれをマルクス主義の作品と呼ぶであらう。何となれば、この場合には党の仕事、従つてそれから規定された作家としての彼自身の任務が十分に意識されてゐるからである。
この極端ではあるが、実際には屡々起り得る例によりてわかるやうに、マルクス主義文学とは、プロレタリアの前衛たるマルクス主義者が、プロレタリア政党の任務を意識し、その任務の実現にそふやうな目的をもつて書かれた武装した文学である。勿論、その政党が十分広汎な文化の領域を見とほす視野をもつてゐる有力な政党であるならば、レーニンが言つたやうに文学者には最大限の自由を与へなければならぬといふ見解を支持するであらう。といふのは政治的にはクーデタが有効な場合もあり、経済的には最も峻厳な諸種のレギユレーシヨンが必要である場合もあるであらうが、文学は、その本来の特殊性のために、さうした厳密な政治的規定を与へる瞬間に、その効果、従つてその価値を減殺してしまふからである。その価値が社会的な価値であることなどはこの場合きまりきつたことで問題は起らない。私はそんなことを問題とするために「政治的価値と芸術的価値」を書いたのではない。この価値は、社会的価値であることは無論であるにしても、それは、他のものの社会的価値、米や酒のもつてゐる社会的価値とも、宗教や科学がもつてゐる社会的価値ともちがつた、芸術的価値であるのである。このことはあとで説明する。
ところでこの場合レーニンが文学者には最大限の自由を与へなければならぬと言つたのは、無制限の自由を与へなければならぬと言つたのとはちがふことを理解しなければならぬ。即ち最大限といつても矢張り限度があるのであつて、その限度は政治的に規定される。マルクス主義作家がどんな自由をもつにしても、反マルクス主義思想を宣伝するやうなおそれのある作品を書く自由ももたなければ、更に甚だしきは、同じマルクス主義者と称しつゝ、党の政策に反対する小数反対派の(現在のロシアではたとへばトロツキズムの)思想を宣伝する自由ももたない。自由といふのは表現の手法や技術上の自由であり、どこの国でも作家の頭は概して理論的には粗雑であるところから生ずる、認識の不十分に対する寛容であつて、政治的に反対の見解をも包容することを意味しないのである。さういふ場合にはどんなすぐれた作家でも「涙をのんで」粉砕する条件をつけられた上での自由である。私がマルクス主義作品に於ける政治的価値のヘゲモニイを主張した理由はこゝに起因するのである。
「政治的価値と芸術的価値」には、此の点が、私が今言つたやうにはつきりと説明されてゐなかつた。「プロレタリア文学の別名若しくはその一部分としてのマルクス主義文学」といふやうな、誤解を招き易い言葉が用ゐられてあつた。しかし、その後青野季吉氏の批判に答へた「目的意識の昇華」といふ小論の中では、簡単にではあるがはつきりとこの点を述べておいた筈であるに拘らず、その後にあらはれた批判者たちも、依然として青野氏と同様に自然発生的プロレタリアの文学とマルクス主義文学とを混同して議論を展開してゐるのである。
私はプロレタリアの間から自然に発生する文学作品を、それがたとひマルクス主義的イデオロギイに浸透されてゐるものもあるとしても、マルクス主義文学と呼ぶことを欲しない。何となれば、それは、マルクス主義者の政治的目的を意識されずに書かれたものだからである。それはちやうど十八世紀の啓蒙派の作品や、十九世紀のロマンチツク初期の作品は革命的文学であるけれども、同じブルジヨア的イデオロギイをもちながら、十九世紀中葉以後のブルジヨア作家の作品を革命的文学と呼ぶのが不適当であるが如くである。尤もこの例は適当ではない。当時のブルジヨアの意識は全人類的意識の外観を帯びてゐて真に階級的ではなかつたからだ。真の階級意識はプロレタリアと共にはじまつたからだ。
広義に於けるプロレタリア文学とマルクス主義文学との相違は、前者は大衆の文学であり、後者は前衛の文学であるといふ点に存する。前者は政治的目的を意識せずに自然に発生し成長して来た文学であり、後者は明確に政治的目的を意識して、その目的を遂行するために書かれた文学であるといふ点に存する。こゝで、殆んどことはる必要もないのであるが、何でもすきさへあれば、誤解しようと待ちもうけてゐるやうな批評家たちのために断つておくが、私がこゝで大衆の文学といふのは、所謂大衆文学即ち大衆のために書かれた文学とは無関係であり、その中にはこの意味の大衆文学もあれば極めて非大衆的な文学があつても差支へないのであり、その逆に、前衛の文学といふのも、前衛のために書かれる文学の意味ではなくて、前衛が大衆のために書く文学も含まれてゐるのみか、むしろこの場合は後者の方が普通である位であるのである。
以上で、私が、マルクス主義文学といふ言葉を如何に解して来たか、又現在如何に解するかといふことはほゞ明かになつたであらう。これでもまだ不明瞭だといふ人に対しては、私は遺憾ながらこれ以上はつきり説明する術を知らないと答へておくより他はない。
二 此の一連の事実は如何に説明されるか?
ロシア共産党の一指導者が、彼の国のプロレタリア文学について論じたときに、プロレタリアは既にすぐれた作家と作品とをもつやうになつたが、まだ欠けてゐるのは、トルストイとドストエフスキーとをもつに至らないといふ点である、といふやうな意味のことを言つた。
この言葉を私たちは如何に解すべきであらうか? いふまでもなくそれはロシヤのプロレタリアの前衛が、トルストイとドストエフスキーとの文芸作家としての偉大さを正当に、且つ十分に認識して、現在のプロレタリア作家には相当すぐれた作家は出て来たが、この両人のやうに図抜けて偉大な作家はまだあらはれてゐないといふことを自認した言葉であるとより解釈する道はない。ではこの両作家は何によつて偉大であるか? 明かにそれはマルクス主義的イデオロギイの卓越してゐるために偉大なのではなくて、「マルクス主義イデオロギイ」や、プロレタリアの「政治闘争」と「直接の関係をもたぬ」に拘らず、彼等が芸術家としてすぐれた資質をもつてゐるために偉大なのである。それは私の言葉によれば、「芸術的価値」の優越してゐるために偉大なのである。キツプリングがすぐれた詩人であるのは、彼の詩がイギリスの帝国主義的思想を歌つてゐるだけのためではないと同じく、ゴリキイの小説が偉大なのは彼の作品が社会主義的思想に浸透してゐるだけのためではない。両者は、共通の芸術家としての偉大さをもつために、少なくも、そのためにも偉大なのである。私が「芸術的価値はマルクス主義イデオロギイや政治闘争と直接の関係をもたぬ」と言つたのは(この言ひ表はしかたが拙劣であるのは別として)その意味なのであるが、ロシヤのマルクス主義者のやうに寛容でも率直でもない日本のマルクス主義文学批評家たちは、この事実を認めることを、マルクス主義にとつて一大事であるかの如く誤解して、事実をおほひかくさうとこれつとめるのである。私はこの事実を認めたつて、マルクス主義の真実性はびくともするものでないことを以前も現在も十分に信じて疑はぬ。
またある論者は、この価値を歴史的価値といふカテゴリーの中へ編入することによりて、この問題のすべての困難をあつさり片附けようとする。だがその瞬間に論者は歴史的価値といふ言葉のもつ内容を無制限に拡大して、マルクス主義と相容れないものは凡べて歴史の中へ編入し、現代の大衆を活発に支配してゐる文学作品でも、明日の大衆を支配しつゞけてゆくであらうところの作品ですらも、一切合財、歴史的価値といふ合財袋の中へ入れてしまへば、それで問題は片附いてしまつたと考へるのである。だがこの種の人たちが過去帳の中へ記入してしまつた価値が、現代の生きた大衆を生き生きと支配してゐることには、遂に彼等は気がつかぬのであり、気がついてもそれを公言するのをはゞかるのである。何故かと言へば、この種の人たちは事実よりも一つの公式の方が大事なのであつて、しかもこの公式は、事実の暗礁の中をよけて通つてゆかねばすぐに壊れてしまふ程脆弱なものだからである。
今一つの場合を私は指摘しよう。或る作家たとへば片岡鉄兵、もしくは細田民樹といふ作家が、その文学的生涯の或る時期に、非マルクス主義陣営から、マルクス主義陣営に移籍し、はつきりしたマルクス主義的イデオロギイを獲得すると同時に、その所属団体の紀律に従つて爾後の文学的行動をつゞけて行つたと仮定する。そしてこれは、この二人の作家がそれ〴〵その文学団体を統制する政治的な党の綱領に忠実である限り、仮定であるばかりでなく事実である。この「移籍」の場合にこの二人の作家の文学的活動に起つた変化は何であるか? 明かに、二人の作家としてのタレントには何等の変化も起つてゐないであらう。若し起つてゐるとしても、それは附随的な変化に過ぎぬであらう。そして本質的な変化は二人の作品活動が、それ以来、一定の政治的目的を意識して営まれるといふ点に存することになるであらう。二人の作家の作品の芸術的価値は従つて殆んど増減しないに拘らず、それ等の作品は新たに政治的価値を獲得し、又は従来の作品のもつてゐた政治的価値と異つた政治的価値をもつて来るであらう。この二つを社会的価値といふ一つの価値に直ちに還元してしまふことのできないのは、次の例によりて明かである。
こゝに文学的タレントのすぐれたAといふ作家と文学的タレントの劣つたBといふ作家とが同時にマルキシストになつたとする。この場合前者は矢張りすぐれたマルクス主義作家になるであらうが、後者はマルキシストになつたといふ理由だけではすぐれたマルクス主義作家にはなれぬであらう。だが後者はいかに拙劣な作家であるにしてもマルクス主義作家であるといふ点にはかはりはない。といふのは彼は、マルクス主義政党の規定する紀律に服して、一定の目的を意識して作品行動を営んでゐるからである。
そこで私たちは、マルクス主義作家をしてマルクス主義作家たらしむるものは、政治的なものであるが、彼をすぐれた作家たらしめたり、拙劣な作家たらしめたりするものは、芸術的なタレントであるといふ重要な結論に到達する。
ところが、「芸術的価値」は社会的価値であるといふ、わかりきつた説を繰り返すことに忙しい「一元論者」たちは、この明々白々たる事実を無視し、現実にある芸術的価値を頭の中でのみ抹消して、私の「二元論」を撃破し得たと称するのである。そしてまるで「芸術的価値」が社会的価値であることさへ証明すれば私の理論が成立しないかのやうにしふるのである。
三 芸術的価値は独自性をもたぬか?
私は「政治的価値と芸術的価値」の中で、「これ(芸術的価値)を、私は神秘的な先験的なものだとは解してゐない。それは社会的に決定されるものだと信じてゐる」とわざ〳〵ことはつてゐるのに、それを詳しく説明しなかつたといふ理由で、多くの批判者から手厳しい批判を受けた。
だが、この批判は、厳密にいへば批判とは言ひがたい。何故なら、私が今更くど〳〵しく説明する必要はないと思つた事柄を、どんなに詳しく説明したつて、それは私の理論の補足になつても批判にはならぬからだ。たゞ、私の批判者たちが独創的である点は、芸術的価値が社会性をもつこと、社会的に決定されること、換言すれば社会的価値であることが証明されゝば、芸術的価値は如何なる意味に於いても成立しないと考へ、そのついでに、私がまるで、芸術的価値は社会から絶縁され、孤立されて、天からでも降つて来たやうに存在する価値であると信じ又言つたかの如く曲解し曲言することであつた。
凡そ社会の現象はすべて何等かの社会的価値をもつ。自然現象でも、社会と連関する限りに於いては社会的価値をもつ。たとへば、水力は、人間が全然これを利用し得なかつた時代には一つの自然力としては存在してゐたに相違ないに拘らず、社会的価値をもつてはゐなかつたが、人間がこれを水車に利用し、これを利用して発電所を設けるやうになると、社会的価値を獲得して来る。その逆に汽船ルシタニア号はそれが人間や貨物を積んで太洋を横断してゐる限りに於ては、即ち社会的存在であつた限りに於ては社会的価値をもつたが、それが海底に沈んでしまつた、その瞬間からそれのもつてゐた一切の社会的価値は消滅して自然物に帰する。
文学作品も、それが社会的に生産され、且つ、社会的に利用されるものである以上、社会的価値をもつものであることは勿論である。だがそのために文学作品の芸術としての価値即ち芸術価値は何等の独自性をもたぬことになるだらうか?
疑ひもなく、近世に於ける社会科学の発達は、社会の諸現象を、ばら〳〵に独立して存在するものでなく、相互依存の関係にあるものとして理解する方法を確立した。私たちは今や社会の諸現象を統一的に説明し、理解することが或る程度までゞきるやうになつたし、今後社会科学の発達は、この見解を益々助長し、完成せしめてゆくであらう。これは自然科学に於いても見られるところの傾向であつて、両者は相まつて、私たちの統一的世界観の確立に貢献しつゞけてゆくであらう。そして社会現象を統一的に理解せしめる最もすぐれた方法を与へたものは、少くも現在に於いてはマルクス主義の社会観であることを私は信じてゐる。
だがマルクス主義は、芸術も、宗教も、道徳も、科学も、別々に無関係に発達してゆくものではなく、相互に依存しあひ、相関々係のもとにおかれてゐるものであり、しかもこれ等をひつくるめての所謂上層建築の変化は、経済的基礎の変化によつて条件づけられるものであることを教へはするけれども、社会の文化の各部門がそれ〴〵の独自性を、従つて価値を失つて、社会的価値といふ一つの価値しか成立し得ないなどゝは決して教へない。かやうな見方はたしかに日本の或るマルクス主義文芸批評家たちにその発見の全名誉が帰せらるべきものである。たとへばブハリンは、「史的唯物論」の中で文化の各部門の価値といふ言葉をつかつてゐるし、もつと具体的な例をあげるならば、プレハノフは「芸術と社会生活」(蔵原惟人氏訳)の中で『フロオベルの「マダム・ボヴアリイ」とオーヂエの「ル・ジヤンドル・ド・ムシユウ・ポアリエ」とその芸術的価値に於いていづれが高く立つてゐるか?』とはつきり言つてゐる。
そこで芸術的価値とは何かといふ問題が残される。
私の批判者たちは、芸術的価値を社会的価値に還元することによりてこの問題を簡単に片附けてしまつたが、さういふことなら、十頁の唯物史観の入門的パンフレツトを読んでもわかるし、テエヌの芸術論を二三十頁よんでもわかることなのであつて、あへて優秀なマルクス主義文芸批評家たちの頭脳を煩はすには及ばなかつたのだ!
とはいへ、実をいふと、私は芸術的価値とは何かといふ問ひに対して、十分説得的な答へをする準備をもつてゐない。この問題は非常に難しい問題であつて、まだこれに十分な解答を与へた人はないと言つてよい。だから私は、私自身が答へる代りに、プレハノフの言葉を断片的に拾ひ上げて、彼に答へさせることにする。
「ラスキンは見事に言つてゐる──少女は失はれたる愛について歌ふことはできる、しかし守銭奴は失はれたる金について歌ふことはできない、と。そして彼は正当にも、芸術的作品の価値はそれによつて表現さるゝ気分の高さによつて決定される、と言つてゐる。……中略……芸術は人と人との間の精神的結合の手段の一つである。そして与へられたる芸術的作品によつて表現されたる感情が高ければ高いだけ、それだけ都合よく、他の諸条件とゝもに、この作品は上記の手段としての自己の役割を果し得るのである。何故に守銭奴は失はれたる金銭について歌ふことはできないか? 至つて簡単である──たとひ彼がその損失について歌つたとしたところで、彼の歌は何人をも感動せしめない、言ひ換へれば、彼と他人との間の結合の手段に役立たないからである」(前掲書四〇──四一頁、傍点引用者)
無論この引用文によつて「芸術的価値」の何たるかを理論的にはつきりと把握することは困難である。しかし芸術的価値が一つの独立した価値を形成するものであることは明白に知ることができる。即ち或る芸術作品のうちに表現されてゐる気分の高さ或は感情の高さこそ芸術的価値の大いさなのである。
この芸術的価値が、社会的に決定されるものであるに拘らず直接には政治的価値と無関係であることは、プレハノフの同じ書物からの次の引用によりて明かである。
「初期レアリスト達の、保守的な、そして部分的には反動的でさへある思想形態は、彼等が彼等を囲繞する環境をよく研究し、芸術的意味に於いて非常に価値のある作品を創作するのを妨げなかつた。しかしそれが彼等の視野を甚だしく狭めたことには何等の疑ひがない。」(前掲書五六頁、傍点引用者)
この種の引用はいくらでもあげることができるであらうが、たゞこの論文を煩雑にするだけであるから、たゞ社会的価値以外にその一部分としての芸術特有の価値を認めない愛すべき吾が国の一群のマルキシスト・クリチツクたちに反省の一つの材料を提供するだけにとゞめておかう。そして、正直なマルクス主義批評家林房雄氏が、藤森成吉や前田河広一郎のやうな左翼の作家の作品とならべて、島崎藤村や菊池寛のやうな右翼の作家の作品を賞揚したのは、政治的価値と芸術的価値とを分離せずして、如何にして理解されるかを宿題として考へて貰うことにしておかう。
一九二九年に地球の円いことを証明するのが退屈な仕事であると同様に、芸術作品に芸術的価値があるといふことを証明するのも、実に退屈なことである! 人間は一般にわかりきつたことを繰り返し言ふことを好まぬものだ。そのためにのみ、私は、前の論文で芸術的価値の説明を省略したのだ。
次に私は簡単に主なる批判者の批判を個々に批判してゆくであらう。
四 小宮山明敏氏の公式の破砕
私の批判者のうちで、最も愛嬌に富んだものゝ一人は小宮山明敏氏である。氏は「近代生活」六月号に於ける「芸術的価値における相対値及び絶対値の問題」といふ私と谷川徹三氏とにあてた論文に於いて、私の前述の見解を批判されてゐる。
氏が私たちを批判するためにポケツトに用意されてゐる公式は、マルクス主義の公式ではなくて、テエヌ主義、若しくは、テエヌよりももつと漠然たる俗学主義の公式、しかも非常にかたくなで且つ瓦斯灯のマントルのやうにちよつとさはつてもこはれるやうな脆弱な公式である。
ある時代に価値のあつた作品は次の時代には全く無価値となり、次の時代に価値のあつた作品も、第三の時代には全く無価値となるといふ公式が、氏の理論的全財産である。しかもこの価値の喪失と獲得とは、頗る機械的に根こそぎに行はれるのである。即ち或る時代の作品は、同時代人一般に亘つて享受せられ、彼等を全生活的に、または全方向的に感動せしむるものであり、これに反して前時代の作品は、次の時代には全く無価値となり、社会的には成立しないといふのである。
私は小宮山氏が一度でも文学史上の事実を見たことがあるかどうかを疑問とせざるを得ないのである。先づ第一に一つの時代は常に異つた、対立する階級を含んでゐるから「同時代人一般に亘つて享受せられる」作品があるとするのは、その作品の価値が階級を超越してゐることの証明になつて氏の期待とは全く反対の結論を生むことになるであらう。だが私は、これは氏の用語の不用意として、同時代といふのはほゞ同階級といふ意味に解すべきものだと勝手に変改しよう。だがさう変更しても氏の公式は猶ほ忽ち事実と衝突する。文学作品の評価は、決して全階級的に一致するものでもなければ、或る階級の作家の作品が、他の階級の読者に対して全的に魅力を喪失するものでない。ドストエフスキーもアレキサンドル・ヂユマも前時代のブルジヨア作家である。だが、ブルジヨア階級が全的にドストエフスキーを享受したといふ事実も、ヂユマを享受したといふ事実も私はきかぬ。それと同時にこれ等の作家がプロレタリア階級に対して根こそぎ魅力を失つたといふことも事実に反する。今日ロシアのプロレタリアによつてトルストイがなほ最も広く読まれてゐることは彼国の統計が示してゐる。
ところが私がブルジヨア作家の作品にもプロレタリア作品にも、そのすぐれた作品には魅力を感ずると言つたのは、氏によれば私一個人の趣味好尚であつて、個人の趣味によつて政治的生命の、従つて政治的価値のなくなつた作品に芸術的価値を認めるのはやゝ僣越的誇大であると氏は叱正されるのである。そしてこの矛盾? は私が『芸術的価値が個人によつて決定されるものであるか或は社会的に決定されるものであるかといふことを自ら判別することができるかの如くして、なほ、明確には判別することができなかつたところに』原因があると主張されるのだ。
これによつて氏は芸術的価値が社会的に決定されるといふ意味を全く理解してゐないことがわかる。或る芸術作品に価値を認めるのと認めないのとは全く個人的であつて、個人の趣味好尚がこの評価に重大な力をもつてゐることは氏の公式に都合がよいと悪いとに拘らず事実である。それにも拘らず芸術作品の価値が社会的に決定されると私たちがいふのは、さうした個々人の趣味好尚そのものが大体に於いて、社会的に決定されたものであるといふ意味に外ならないのである。同じ時代の同じ階級の人々の中にも島崎藤村を好む人もあり、田山花袋を好む人もあり、同じ藤村の作品の中でも、「家」を傑作とする人もあり、「新生」を傑作とする人もあるのはそのためだ。
私が政治的価値と芸術的価値といふ二つの価値を設定することによりて説明し、小宮山氏がそれは私の前時代的趣味好尚であるとして片附けてしまつた矛盾を、マルクスは、小宮山氏が谷川氏の文章の中から引用した言葉によれば、次の如く言ひあらはしてゐる。
「困難はむしろそれら(希臘の美術や英雄詩)が我々に対してもなほ芸術的享楽を与へ一定の点に於いては、規範として、また到達し得ざる模範として通用することを理解する点に存する。」
マルクスは問題を正当に提出した。こゝでマルクスははつきりとギリシヤの芸術が我々に対してもなほ芸術的享楽を与へると言つてゐる。ところが小宮山氏にとつてはマルクスに困難であつたところのものが「容易に理解」できるのである。即ちマルクスが「我々に対しても」と言つてゐるのは氏によればマルクスの理解力の不足のためであつて実は、それは単に歴史的に保存されてゐる趣味に過ぎないものとなるのである。
マルクスと小宮山明敏氏との差は、しかし、マルクスよりも小宮山氏がすぐれた芸術の理解者であるがためではなくて、マルクスは事実を解釈しようとしたが、小宮山氏は前掲論文のはじめの方で氏が規定した児戯に類する公式を事実におゝひかぶせようとしたといふ点にある。
そしてその刹那に氏の脆弱な公式は粉微塵に破砕してしまつたのである。公式は常に事実の中からひき出されなければならぬ。
五 大宅壮一氏の「再吟味」の対象
大宅壮一氏は「新潮」五月号で「マルクス主義文芸の自殺か暗殺か」といふ論文を発表され、それに『平林初之輔氏の「マルクス主義文学理論の再吟味」の再吟味』と傍題をつけてをられる。
ところで大宅氏はほんたうに私の再吟味を再吟味したか? 氏の再吟味の対象はほんたうに私の「再吟味」であつたかどうか? 不幸にして私はかういふ問題から出発しなければならぬ。
私はマルクス主義文学者といふ一人の人間を、マルクス主義者であつて且つ文学者である人といふ風に分析した。言ふまでもなくマルクス主義者にして文学者でない人もあり、文学者にしてマルクス主義者でない人もあるのだから、この分析は決して不当でないのみか、マルクス主義文学者をさうでない文学者から区別し、その特殊性を知るためには、この分析の過程を省略するわけにはゆかないのである。この場合にもその他の場合に於ても一貫してゐる大宅氏の誤謬は、マルクス主義は社会に関する統一的理論であるから、マルクス主義の方法は分析的方法と相容れない方法であるかの如く考へてゐる点である。マルクスが資本主義社会の全機構の綜合的理解に達したのは商品の顕微鏡的分析から出発してのことであつたことなどは、大宅氏の理解の限度を越えてゐたのか、氏の注意の外に逸脱してゐたのだ。
私はマルクス主義文学者を以上のやうに二つの要素に分析して、それ〴〵の機能をのべ、この二つの要素は五十パーセントづゝの割合で機械的に加算されてゐるのではなくて、マルクス主義者の方が優位にたつてゐること、従つて、マルクス主義文学の作品の評価の場合にも、芸術的価値は政治的価値のへゲモニイのもとに立たしめねばならず、ある作品が芸術的にどんなにすぐれてゐても、マルクス主義文学の作品、一定の政治的任務をもつた作品としては、政治的価値の欠如のために、それは低く評価されねばならぬことを主張したのである。さうすることによりて、私はマルクス主義文学評価の基準を示した。(それが間違つてゐると否とは別として。)
然るに大宅氏は、私の以上の主張は「マルクス主義に立脚した文芸理論を樹立することは全然不可能」であることを証明したものだと理解するのである。ついでに言つておくがマルクス主義文学といふものは既に存在するものである。存在するものゝ意味を説明するのが理論である。私はそれを説明するために先づ分析の道をとり、さうして分析によりて得られた二つの要素の結合関係をのべたのである。私は理論をたてたのであつて、理論を不可能だとしたのではない。たゞ不可能だとしたのは、マルクス主義文学のほかにも文学があるといふ事実をわすれて、文学そのものがマルクス主義と密接不離の関係にあり、それ以外に文学はないかの如き事実を無視した理論なのである。
私が「芸術や文学はマルクス主義から命令され、規定されて、政治的闘争の要具となる約束を少しももつてゐない」と言つたのは、現実の文学作品を一眼でも見たものには明白な事実であり、それだからこそマルクス主義文学がマルクス主義者によりて唱へられたのであるとすら言へるのだが、氏はこの事実を認めることはマルクス主義の危急存亡にでも関するかの如く考へられるらしい。私はこの事実を説明しようとしたのであるが、大宅氏には面倒くさい事実などはどうでもよいので、さういふ事実を認めることは、文学や芸術が「マルクス主義の外に全然独立してそれ自体の王国を形成してゐる」ことを示すものだと指摘するだけで、氏自身がこの事実を認めるのか拒むのかは遂にわからない。こゝで、全然といふのは大宅氏の誇張だから省いて、いま大宅氏の用語法を借りて、「文学芸術がマルクス主義と独立の王国」であることを私は認めてよい。(尤もこの王国と他王国とは互に独立しながら頻繁に交通し影響を及ぼしあふのであるが)そしてその王国内には芸術そのもの若くは文学そのものに関する原理があることは私のかつて指摘した通りである。これは既に私がマルクス主義文学を文学とマルクス主義との二つの要素に分析したことから当然に導き出されることである。それ自身の原理をもたぬ二つのものなら二つでなく一つであつて、二つのものが区別される限り、二つはそれ〴〵別の原理をもつてゐることは自明である。
さてマルクス主義文学作品に於けるこの二つの要素の結合関係を私は、政治的価値が芸術的価値に対して力をもつて、権威をもつてヘゲモニイを握るやうな具合に結合されてゐるのであるとした。これは芸術文学が政治闘争の用具となる必要はなく、さうでない文学芸術もあるといふ事実と、マルクス主義はプロレタリアの勝利のために文化の凡ての部分を階級的に武装しなければならぬといふ要請とが、マルクス主義文学といふ一つのものに具体化されるとき、当然にとる結合関係である。それは内面的、必然的関係ではなくて、言はゞ力による、意志による、権威による結合関係である。従つてこの結合関係は安定的でも永続的でもなく、政治闘争の終結とゝもに武装を解くのである。マルクス主義文学といふのはブルジヨアとプロレタリアとの階級戦線に武装してたつ文学であつて、武装をといたあとまでもマルクス主義文学と呼びつゞける必要はない。
尤も結合関係は、力で、権威で結合するのだが、一たん結合したあとは一つの作品としての調和をもつことは、ちやうど、水の中へインキを混ぜることそのことは、言はゞ力で、権威で混ぜられるのであつても、混合された液体中には水とインキとははなれ〴〵になつてはゐないのと同じである。
ところが以上の事柄を検討して来た大宅壮一氏は「これを要するに氏(平林)に従へばマルクス主義文学理論は決して最も正しい文学理論でないばかりでなく、厳密には一種の文学理論でさへあり得ない」といふ結論をひき出される。この途方もない誤解もしくは曲解のしかけはどこにあるかは誰にだつて明白である。といふのは氏は部分と全体とを混同してゐるのだ。私はマルクス主義者が、文学の歴史を書きかへたあの光輝ある事実、史的唯物論による文学史の改造を決して低く評価するものではない。或る意味では文学史家としてもテエヌよりもプレハノフの方を偉大とさへするに躊躇しない。たゞ私が問題としたのは、最近に、(日本ではこの三四年来、ロシヤでもせい〴〵十二三年来)新しく勃興したマルクス主義文学──意識的プロレタリア文学の作品を如何に評価するかといふ非常に限られた問題だつたのである。そしてこの問題に関連する限りの理論だけしか吟味もしなければ、私自身提出もしなかつた。マルクス主義文学を政治的部分と芸術的部分とにわけたとき、私は芸術的部分のうちへ当然史的唯物論の解釈を入れて考へてゐたのである。それだからこそ、芸術的価値も亦社会的に決定されるとことはつておいたのだ。一日か二日で書いた三十枚のあはたゞしい論文で史的唯物論を「批判」するには、私はあまりに貧小であつたといふよりもあまりに健全であつたといふこと位は、私は大宅氏に認めて貰ひたかつた。
最後に、私が二つの価値の結合関係を、力による、権威によるものであるとしたにかゝはらず、マルクス主義文学即ち私によれば、政治のヘゲモニイのもとにたつ文学を合理化したのは「階級と階級とが、抑圧者と被抑圧者といふ形で対立してゐる社会をそのまゝにしておいて文学をたのしむよりも、一時文学そのものゝ発達には多少の障碍となつても、階級対立を絶滅することを欲するからである」と説明したのに対して、大宅氏は、これは道徳論であり唯心論であり、観念論であると、ありつたけの批難の言葉を並べ、氏自身は、マルクス主義者からとんぼ返りして正義派になつて、マルクス主義文学は最も正しい文学だから支持されるのだと説かれる。こらはあたかもツガン・バラノウスキーから福田博士に至る、そして今でも田舎の小学校の先生などの間には見出されるであらうところのマルクス主義批評家の口吻のヂユプリケーシヨンである。こんな批難にまで答へてマルクス主義の闘争性を講釈しなければならぬなら、私は筆を折つてしまひたい位だ。
要するに大宅氏の批判は徹頭徹尾誤解若しくは曲解をもつて貫かれてゐるので、反駁は一行一行に加へなければならぬのだが、そんなことは、私にも、「新潮」編輯者にも、読者にも我慢のできないものであるから、私は「再吟味」の「再吟味」の「再吟味」を大宅氏に勧告して次に移るであらう。
六 勝本清一郎氏の主張
勝本清一郎氏の「新潮」六月号に発表された「芸術運動に於ける前衛性と大衆性」及び「芸術的価値の正体」は、少くも前者は、直接私の理論を対象として批判されたものではないが、非常に密接にそれに関連した問題が取り扱はれ、後者は殆んど専ら私の理論が対象とされてゐる。
この二つの論文に於ける勝本氏の私に対する批判は、小宮山氏や大宅氏のそれに比べて遥かに、理解が深められ、問題の中心に接近してをり、且つ多分に示唆的なものをもつてゐる。言はば小宮山氏は何んにも考へずに俄づくりの公式をもつて漫然と問題に向ひ、大宅氏は私の文章から、言葉だけを拾つて、問題そのものは氏自身の頭の中で組み合はせて、更にそれを壊して見せられたのであるが、勝本氏は問題の意味を正しく理解することにつとめられたといふことができよう。
先づ「芸術的価値の正体」の中に展開されてゐる氏の価値論は、結論としては正しいことを私は躊躇なく承認する。
『我々は芸術の芸術たる姿を政治的見地からの側面や、商業的見地からの側面やその他の各種の側面やをすべて切り払つて、それから離れての「純粋」な方向に見ようとする態度の誤りであることを覚らなければならない。さういふ風にして行けば、芸術の、従つて芸術的価値の正体は、何もなくなつてしまふのである。……我々はさうした方向とは反対に各種の複雑な側面をもつ全的芸術現象をこそ芸術の姿として見、その内面に統一されてゐる各種の観念の複雑な全結合をこそ、そのまゝ芸術の内容として認め、あらゆる社会的条件と連合した社会的尺度によつての社会的価値をこそ、その芸術品の真の価値であると主張したいのである……』
これが大体に於いて氏の結論である。そしてこれは私の考へと殆んど一致してゐる。私はかつて、「文学の本質について」といふ論文の中で、文学の本質は経験的なものであつて、経験的なものをすべて取り去つてしまへば、本質は消滅してしまふことを説明した。勝本氏は私が経験的なものと言つたのを「側面」といふ言葉で言ひあらはしてゐるだけであつて論旨は殆んど符合してゐる。
だが、芸術は社会現象のすべてゞはない。その一部分でしかない。しかも一部分といふのは量的な一部分といふ意味ではなくて、質的に異つた一部分である。芸術も科学も社会的な一つの機能をもつてゐるが、それは同じ機能ではない。両者はひとしく社会に有用なものであり、従つて社会的価値をもつてゐるのであるが、その価値は別箇の価値である。これはちやうど水素も窒素もラヂウムも物質であるが、これ等の元素はそれ〴〵別箇の性質をもつてゐるのと同じである。もとよりこれ等の性質が、究極に於いてヘリウム核の周囲に排列された電子の数によつて決定されるやうに、各種の社会的価値は、一つの社会的価値に帰することはできる。だがそのために、芸術的価値がその特殊性を全く失ふだらうか。
また芸術価値は純粋なものでなくて、多くのものゝ複合によつて形成されるものであり、この複合物を全部とり去ればあとには何も残らなくなることも真実である。同様に商業価値も、倫理価値も、政治価値も純粋なものではない。しかし、重要なのはさういふ側面を数へ上げることではなくてその複合される各要素の種類や、比例の差によつて、即ち複合状態によつて芸術的価値と政治的価値とが区別されることを知ることである。水の中にも硫酸の中にも酸素が含まれてゐるからといつて、両者が区別して考へられないことはない。大宅氏の言葉を借りると両者を独立の王国と見做すことが不合理とは言へない。
勝本氏が芸術的価値の純粋性、先験性を否定してこれを複合的に、経験的に、社会的に考察されたことは、それ自身で正しいにかゝはらず、私の主張はそのために少しも手傷を負ふものではないのである。
芸術性と芸術的価値との区別についての蔵原惟人氏と勝本氏との考へ方は、全くの論理的遊戯でしかない。しかもこの遊戯は勝本氏の理論の一貫性を破綻せしめる危険な遊戯である。それは芸術性といふ神秘的なものを設定して、芸術的価値といふものを全く功利的なものとしてそれから区別せんとするものだからだ。プレハノフの所謂ある作品の気分の高さ、感情の強さ、換言すれば人を動かす力は、芸術作品の芸術性であつて、同時に芸術的価値である。それは複合物であつても純粋物であつてもかまはないのだ。新奇な言葉をつくり出すことは、決して問題を解決する所以ではない。「人間の行為には倫理性はあるが倫理価値はない」といふやうな主張は、マルクス主義からソフイズムへの復帰以外の何物でもない。
次に同氏の「芸術運動に於ける前衛性と大衆性」は、最近にあらはれたこの種の論文の中で最もブリリアントなものであつた。
勝本氏のこの論文に於ける主張の中心問題は「プロレタリア芸術の確立のための運動」と「大衆化のための運動」とを一応分離し、更にこの両者は一つの方向に向つて統一されるといふ点にある。この考へ方によつて、私は明かに私の多くの批判者よりもより高度の認識に達してゐることを示してゐる。氏は、いま現在ある文学作品をその外部にあらはれた相貌によつて分類した。分類といふ方法はたしかに現象を理解するに必要欠くべからざる方法ではある。だが、この外部的分類は徹底的に現象を理解せしめる方法ではない。徹底的理解に達するためには、外部的分類でなしに、内部的分析の方法によらねばならぬ。私は勝本氏が外部から分類したことを、内部からその価値構成要素を分析して、政治的価値と芸術的価値といふ二つの価値の結合をマルクス主義文学の中に認めたのであつた。勝本氏が作品の相貌によつて分つたことを、私は作品の機能によつて分つたのである。
従つて氏が、私の所謂マルクス主義文学を、「昨年の三月十五日事件以後の政治的情勢に結びついた大衆化の過程に於けるプロレタリア的アヂ・プロ文学運動の場合を主として指したに違ひない」といふのは、あまりに問題を局限しすぎてゐる。私は意識的マルクス主義の文学全体について言つてゐるのだ。強ひて日附を示すなら、日本では目的意識の理論が文学に導入された時から以後の文学作品をさしてゐるのだ。氏等の所謂「プロレタリア文学確立のための運動」をも政治的ヘゲモニイのもとにたつ意識的運動であると解してゐるのだ。この点では私の見解は、勝本氏よりも寧ろ、鹿地、中野両氏に近い。これはナツプに於いてプロレタリア芸術確立の運動が政治的に規定されてゐるし、又さうされねばならぬことが証明してゐる。たゞことによると私が両氏と異つてゐるであらう点は、志賀直哉の作品にも中野重治の作品にも、歴史的価値ではない、アクチユアルな芸術的価値を認め、その芸術的価値はマルクス主義批評家の場合にも一応は取り上げられ、然る後、マルクス主義文学の政治的ヘゲモニイの故に、「涙をのんで」志賀氏の作品はすてられねばならぬと考へる点にある。ついでに言つておくが、大宅氏は私に対して、実際の作品批評の場合に私がどんな基準をとるかと詰問揶揄されたが、私は大体今述べたやうな基準をとるし、これは私がマルクス主義者でないとしても(実際、私は少なくともどんなマルクス主義団体の紀律にも服してゐないといふ点でマルクス主義者では決してないことを承認する。せい〴〵マルクス主義の真実性を認めるといふ意味での同伴者でしかないことを認める。)凡ての進歩的批評の基準であると信ずる。たゞ或る作品のイデオロギイの稀薄である場合は芸術性のみを批評の対象とする場合もあり、その逆の場合には芸術性がすぐれてゐればゐる程、深刻に批判しなければならぬ場合があること、並びに私が理想として信じてゐることを文字通り実現する能力が私にないことは認める。批評と数学とはその点でちがふのだ。
七 川口浩氏の理論的混乱
「戦旗」五月号に掲載されてゐる川口浩氏の「平林初之輔氏の所論その他」は、以上に私が述べた問題以外に何等重要な新しい問題を提起してゐないのだから、特別こゝに論評する必要はないのだが、たゞこの論文が、ナツプの機関紙に掲載されてをるといふ重要さのために一言しておく。
先づ氏は『問題の焦点は、芸術作品の価値とは、社会的乃至政治的価値以外の何物でもないか、或はそれ以外に芸術的価値といふ特殊な価値が存在するかどうかといふ所にあるらしい』といふ甚だしく曖昧な問題のとらへ方をしてゐる。こゝで眼立つのは、社会的価値といふ一般的な価値と政治的価値といふ特殊な価値とが同義語に解されてゐる点だ。そして氏は芸術的価値といふものは成立しないとし、芸術の価値は、その社会的価値乃至政治的価値(乃至階級的価値)にのみありとし、しかもこの問題は既には一応解決されてゐる問題であるとされるのである。無論氏が主張されるやうに、奇妙な風に解決? されてゐたのであらう。
芸術でなく、わかりやすいために大砲を考へて見よう。大砲の価値は社会的価値であるとする勝本、大宅氏等の考へ方は、それだけでは正しい。だが、大砲の価値が、政治的価値であるとか、階級的価値であるとかいふことは何を意味するか。大砲の価値を生ぜしめるものは、その破壊力である。(芸術の価値を生ぜしめるものが人と人とを感情的に結合する等々にあるが如く)この価値は、ブルジヨアの武器として用ひられる時と、プロレタリアの武器として用ゐられる時とでは目的がちがふ。だが両者ともに大砲の破壊力を利用するので、それがなくなつてしまへば、ブルジヨアにもプロレタリアにも大砲としての価値は消滅する。階級によつてかはるのは大砲の筒先の方向だけである。芸術も同様に、階級によつて、異つた方向への歪みを受ける。だが精巧な大砲はどの階級が用ゐても強力な武器となるやうに、すぐれた芸術作品はどの階級から生産されても有力な効果をもつ。芸術の価値を政治的価値乃至階級的価値にのみ局限するのは、社会的価値としての芸術価値をも拒むことになり、階級といふものが、魔法使のやうに凡てのものに価値を与へたり、とりあげたりすることを許すことになる。マルクス主義は社会に階級を発見した。それは不朽の功績であつた。だが川口氏の階級のやうな不思議な力をもつた階級を発見した名誉は川口氏自身がほしいまゝにすべきものであらう。
古今の芸術の傑作がすべて芸術性をもつに拘らず芸術的価値をもたないといふ説は蔵原、勝本説を祖述するもので、そのソフイズム的性質は既に私が証明したところのものである。
だが、つけ加へてこゝで言つておくが、これ等の諸君が、芸術的価値といふ言葉そのものがどうしても気にくはぬといふなら、私は芸術性といふ言葉とかへてもよい。この芸術性はマルクス主義文学の作品にも然らざる作品にも共通したものであることは、之等の諸君が挙つて認めてをるものであり、この芸術性が芸術を芸術たらしめてゐるものであることも亦、以上の諸君にひとしく認められてゐる。しからばこの芸術性の大小、強弱、濃淡によつて、その芸術の価値がはかられるのは当然ではないか。
川口氏は私のやうな議論は「無用な混乱をひき起す危険をもつてゐる」と言はれる。だが、氏の頭の中に矛盾のまゝでそつとしまつてある観念に、一度混乱を惹き起させることは、氏自身の頭脳の整理のために必要なことだ。
「問題の後戻りは運動の実践にとつては不利益だ」と川口氏は言はれる。だが問題を矛盾のまゝに残し、何一つ整理しないで頭の中へごちやごちやに詰めこんで、先へ〳〵とパツスしてゆくのは更に不利益だ。マルクスは川口氏とは反対に、プロレタリアの闘争は、一進一退、進んだかと思ふと又退き、征服したものを更に征服しなほさねばならぬ、非常な忍耐を要する闘争だと言つてゐる。
青野季吉氏はつい二年前に、「コンミユニストの文学観はたしかにまだ組織されてゐない、……プロレタリアの文学観の建設は今日、世界の共同の仕事なのである。……そんなわけでマルクス主義の文学観を示せと言はれたつて、私たちは何の恥づるところも無く、そんなものゝ持ち合せはありませぬと率直に、ぶつきら棒に答へるより外はないのである」(新潮、昭和二年五月号所載「マルクス主義文学観について」)と言つてゐる。二年の間にそれ程事情が変つたと思はない私は、今もなほ青野氏のこの言葉は大部分真実であると思ふ。だから私は外の理由でなら兎も角、川口氏の粗雑極まる芸術論を支持しないからといふ理由で、「彼は非マルクス主義的な泥沼に片足を踏みこんだことになる」と決定されることは少々不服なのである。相手の議論をよく理解もしないで、自己の理論を何等整理もしないで、少し勝手のかはつた理論にぶつゝかると、彼は非マルクス主義者だといふ目つぶしを投げるのは、たとひその人がマルクス主義者であつても、卑怯なマルクス主義であることを示す。
附記、 この他、青木壮一郎、細田民樹、谷川徹三、安田義一諸氏の主張を検討するつもりだつたが既に許された紙面を超過したし、大体以上の答への中に谷川氏を除く諸氏への解答は含まれてゐると思ふから、これで一先づこの論稿を終ることにする。谷川氏は私よりもはつきりと私と同じ問題の提出のしかたをして、ちがつた結論に到達されたゞけに過ぎない。
底本:「平林初之輔文藝評論全集 上巻」文泉堂書店
1975(昭和50)年5月1日発行
入力:田中亨吾
校正:松永正敏
2004年5月31日作成
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