こんな俳優が欲しい
岸田國士
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現在はいろいろな方面で人物払底が唱へられてゐる時代であるが、それだけにまた、全体のレヴェルがあがつてゐるのだと云へないこともあるまい。芝居の方面でも、新しい仕事を考へる場合に、多士済々のやうに見えて、ほんとうの「専門家」が割に少いといふことを痛感するのである。
殊に、所謂「新劇」の方面では歴史の新しいせいもあるけれども、殆ど「それのみで生活してゐる」ものは一人もないのである。
新劇もしかし、もう三十年の過去をもつてゐるのである。順調に行けば、舞台を踏むこと三十年といふ新劇俳優がゐてもいゝ筈なのに、今日、どの新劇団を探しても五十といふ年配の俳優はちよつと見当らない。
これでは、どんなに秀れた脚本をもつてしても、第一に、役柄の上で、見物を魅了するやうな舞台は観せられないのである。悪く云へば小供芝居の域を脱せず、さうさう、若い役ばかりの脚本を提供してくれる作者はないのである。
私たちは、今度、文学座といふ劇団を作つたが、演りたい脚本はいくらもあるのに、肝腎の俳優が振はない。大切な友田恭助君を失つた今日、年長者としては徳川、田辺両氏がゐるにはゐるが、スタフを完全にするためにはあと六七人、三十五六から五十ぐらゐまでの男女俳優を必要とする。
そこで、甚だ性急な注文だが、ずぶの素人で、特に教養ある紳士淑女のうちに、さういふ芝居ならやつてみたいと思ふ奇特な人はないだらうか? 出来るか出来ないかはやつてみないとわからない。そんな好奇心もないではないが、今更恥をかいてはと尻ごみをしてゐる方なら、不肖私が、そつと試験をして、見込のあるなしを判定して差しあげてもよろしい。失礼ながら、今のままの生活乃至仕事を続けて行つても、大して世のため国のためになるまいと気がつかれたら、一度、文学座へ私を訪ねて来ていたゞきたい。人間の才能といふものは、時によつて自分の知らない部分にひそんでゐるものである。万一、人生半ば以上を過ぎ、或は終りに近づいて、それを発見することができたら、天運これより大なるはなく、躍進日本の歴史で見事な一と役を演じたといふことにさへなるのである。
かういふと戯談のやうに聞えるかも知れぬ。が、芝居といふものは、どんなにそれが真面目なものであらうと、決してしかめつ面をしてやるものではないので、日本の実情としては、俳優を志すといふことが既に聡明な精神にとつて厳粛この上もない事実なのである。それゆえ、どうして俳優を志望なさるのかなどゝ、私は、私と同年輩の人々に訊ねる勇気はなささうである。
念のために、大体、私の希望する条件を左に掲げておけば、
一、報酬を望まないこと。
一、声量の豊かなこと。
一、所謂「役者風」の美男美女たらざること。
一、歌舞伎の真似などした経験のないこと。
一、多少文学に興味をもつてゐる事。
一、嘗て何等か責任ある仕事(自由職業にあらざる)に従事した経歴のあること。
一、俳優の社会的地位を向上させねばならぬといふ意見をもつてゐる事。
一、演劇界の封建的因襲を軽蔑すること。
一、日本の新しい俳優は、既成の劇団からは決して出現しないと信じてゐること。
なほ、場合によつて、半年か一年ぐらゐ基礎的な訓練を経てから舞台に立つことを勧めるかも知れない。そのための機関が既に用意されてゐる。
文学座は、現代日本に欠けてゐる正統的な演劇文化を是非とも育て上げようとしてゐるのである。
底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
初出:「新日本 第一巻第三号」
1938(昭和13)年3月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年3月16日作成
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