ジュウル・ルナアル
岸田國士
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劇作家としてのジュウル・ルナアルを識る前に、詩人としての──芸術家としてのルナアルを識らなければならない。
彼は自ら称する如く、「幻象」の猟人である。自然を愛し、自然を味ひ、自然を呼吸しつつ、その全生涯を一種の厭世家として終始してゐる。
芸術家としてのルナアルの偉大さは、彼が聡明なペシミストであるが為に、ただそれが為に、屡〻凡庸な批評家を近づけない。
彼は叫ばない。彼は呟くのである。
彼は泣かない。彼は唇を噛むのである。
彼は笑はない。彼は小鼻を膨らますのである。
彼は教へない。目くばせをするのである。
彼は歌はない。溜息を吐くのである。
彼は怒らない。目をつぶるのである。
彼は生涯にたつた七篇の戯曲を書いた。何れも喜劇の部類に属すべきものである。彼をして舞台に興味をもたせたのは、その交友中に、エドモン・ロスタン、トリスタン・ベルナアル、リュシアン・ギイトリイ等がゐた為めに外ならぬが、それらの云はば余技的な作品が今日もなほ悠々たる舞台的生命を保つてゐる所以は、彼が生れながら既に、非凡なる戯曲作家の「息」をもつてゐたからであり、彼が何よりも先づ「魂の韻律」に敏感であつたからである。
彼は、自ら「自然によらなければ書かない」と宣言しながら、所謂自然主義者たるべく余りに現実の醜さを見透した。そして、その醜さを醜さとして描くためには、あまりに詩人であつた。
劇作家としてのルナアルは、愈〻古典作家として仏蘭西劇の雛壇に祭り上げられようとしてゐるが、彼の作品はまだそれほど老い込んではゐない。現代仏国の若き作家は、やうやくベックを離れてルナアルに就かうとさへしてゐるのである。イプセン、マアテルランク、ドストイエフスキイ、これら外国近代作家の影響の中で、わがルナアルは、静かに後進の道を指し示してゐるやうに思はれる。静かに──さうだ。彼の声は聴き取り難きまでに低い。しかし、耳を傾けるものは意外に多いことを注意すべきである。
私が訳した二篇は、自然を愛し、人間を嫌ふルナアルの、最も多くその人間に接触したであらう巴里生活の記録と見て差支へない。
「日々の麪包」(Le Pain de Ménage)千八百九十八年三月、巴里フィガロの小舞台で演ぜられた。この時の役割は、ピエールに当代一の名優リュシアン・ギイトリイ、マルトに同名にして才色兼備のマルト・ブランデスが扮した。
その後、「演劇の光輝と偉大さとを発揮せしめよう」と、古今の名作を選んで上演目録を編んだヴィユウ・コロンビエ座は、首脳コポオ自らの主演で此の作を舞台にかけた。
「日々の麪包」とは家庭で常食に用ふる並製の麪包である。それが何を意味してゐるかは一読すればわかる。
二人の人物は、何れも有閑階級の紳士淑女である。巴里社交生活を代表する相当教養ある男女と見ていい。
「別れも愉し」(Le Plaisir de Rompre)は千八百九十七年三月エコリエ社で上演せられ、現に、これも「赭毛」と共にコメディイ・フランセエズの上演目録中に加へられてある。人物は、この方は、寧ろプチ・ブウルジュワとも称せらるべき小産階級に属する男と、ドウミ・モンドとまでは行かないが、それに似た寄生生活を営む独身無職業婦人、さういふ種類の女とである。
男は多分、会社か商店の書記であらう(彼が自負する唯一のものは「達者な筆蹟」である)小学校ぐらゐを卒業し、簿記学校へでも通つたか、兎に角、早くから家計を助ける為めに職に就いた、さういふ型の男である。
此の年までに、いくらか文学書も読んだらう(ミュッセの詩ぐらゐは小学校でも習ふ)。いろんな話も聞いたらう。「自らパンを得る青年」として、彼の「小さな母」を煙に巻くぐらゐの舌はもつてゐる。学問はなくとも、そこは巴里で育つた仏蘭西人である。人並の洒落や理窟は何時の間にか覚えた。相手がそれほどの才女でなければ、「どうです、少しその辺を……」とかなんとか、あつさり云ひ出して見るくらゐの自信もついてゐる。
女は、恐らく早く両親に別れ、その為めに貞操をパンに代へた一人の少女であつたらう。恋といふ恋をし尽した女、それは彼女の移り気を語るものか、さうではなからう。愛すれば愛するほど男に離れる、さういふ運命をもつて生れた女であらう。
「わざとさうしてるわけぢやないのに、あたしが愛した男は、みんな貧乏なんですもの……」
彼女は、男が貧乏と知つて(一人の女を食はせて置くだけなら金持ちではない)その愛を他の男に遷し得る女の一人ではなかつたのである。
流行と逸楽、追従と気まぐれに日を送るドゥミイ・モンデエヌの社会は、或は彼女の夢みつつあつた社会かも知れない。然し、彼女は夙くの昔、そんな夢から覚めてゐた。彼女は「落ち着いた生活」を心から望んでゐた。彼女はただ、「巷を彷徨ふ娘」に落ちて行くことを恐れた(下には下がある)その為めに、あらゆる男の手に縋つた、さういふ女の一人であらう。
彼女は、昨日まではまだ自分の「若さ」に頼つてゐた。「どうにかなるだらう」──さういふ女の唯一の哲学を、彼女もまた私かに抱いてゐた。
恋に生きる女の矜りと恥ぢを、希望と悔恨を、習癖と道徳を、彼女も亦もつてゐるであらう。
「恋人といふものは、お互に残し合ふ思ひ出のほかに、値打はないものよ」──
彼女ははじめて、「どうにかしなければならない」ことに気づいた。
若くして貧しき男、その男との絶縁は、やがて、過去の悩ましき恋愛生活との離別である。
「なんていふ空虚だらう。あんたは、何もかも持つて行つてしまふのね」──
此の空虚は、重荷を下した後の力抜けに似たものではないか。
外国の作品、殊に戯曲に現はれる人物の白を通して、その人物のコンディションを知る為めには、余程の注意と敏感さが必要である。わけても、その国の社会状態を一と通り研究することが肝腎である。
今、此の「別れも愉し」について見ても、女の生活はすぐに解るとして、此の男が、果してどれくらゐの社会的地位乃至教養の程度を有つてゐる人物か、それがわからなければ、第一、作品を味はふことが出来ず、それをまた、誤つて解釈してゐる場合には、白の妙味は丸で消えてしまひ、却つて、不自然さや、破綻を、読者自ら作り出すことになるのである。
例へば、此の男を、高等教育ぐらゐ受けた青年紳士とでも思ひ違へて、一々の白を追つて行くと、誠に浅間しいオッチョコチョイに見えるばかりで、あの微笑ましい喜劇味が、作者のくだらない気取りとしか思へなくなるかも知れない。
これは註釈を付するまでもなく、少し欧羅巴の都会生活、殊に巴里の生活といふことを考へたら、今日日本の知識階級の男女が好んで使ふほどの言葉は、職工や女売子が平気で日常口にしてゐる程度の言葉だといふことぐらゐわかる筈である。
学問と頭、思想と考へ、これは別物である。現代の日本では、学問をしないと頭が出来にくい。思想がないと考へが述べられない。さういふ傾きがある。これは社会がさうなつてゐるからだ。
もう一方、西洋では、学問のある人間と、学問の無い人間と、そんなに違つた言葉を使はない。日本ではその差がひどい。
西洋の作家は、学問の無い人間に面白いことを言はせる。それを日本語に訳すと、日本でなら学問のある人間しか使はない言葉になる恐れがある。然し、敏感な読者は、さういふ言葉を通しても、「言はれてゐること」が、いろいろの動機から、思想や学問と縁の遠いものであることがわかつて来る。それが一つの場面を通してその人物の学問や教養の程度を決定することになるのである。
ルナアルの描く人物は、必ずしも常に機智に富んだ人物ではない。ルナアル自身の目からは、その機智すらも愚かなる衒気と見えるやうな人物が可なりある。それに、作品そのものは極めて才気煥発といふ感じがする。極めてスピリチュエルである。これは、作中の人物を透して、作者の機智が光つてゐるのである。人物の言葉に耳を澄ましてゐる作者の目──その目つきが、人物以上に物を言つてゐるのである。これは、ルナアルに限らず、優れた喜劇作家の目附である。繊細な心理喜劇が往々浅薄扱ひを受けるのは、此の「作者の目」が見逃され易いからである。
ルナアルは断じて浅薄な作家ではない。
「赭毛」(Poil de Carotte)は、彼の同題の小説から材を取り、千九百年三月、アントワアヌ座で上演された。
ルピック氏の役はアントワアヌ自身が買ひ、「赭毛」にはシュザンヌ・デプレ夫人が扮し、文字通り芸術的舞台の標本を示した。
現在では、国立劇場コメディイ・フランセエズの上演目録に加へられてをり、ベルナアルとボヴィイの当り芸になつてゐる。
「赭毛」といふ訳語は山田珠樹君流で、名訳に違ひないが、原名を直訳すると「人参色の毛」で、此の髪の毛をもつて生れた人間は、ただ髪の毛が妙に赤いといふだけでなく、顔に斑点があり、体質も何処か畸形的なところがあり、性格もひねくれてゐるといふ、日本でなら、「縮れ毛」の女はなんとかだといふやうな例に似てゐるが、ルナアルは、元来此の小説を殆ど自叙伝として書いたものである。
彼は実際に生みの母親を嫌ひ、同時に父親にも懐いてゐなかつたことを、その日記の中で明かに告白してゐる。此の戯曲の中でも、母親の描写には多分の主観が交り、その点ルナアルの作品としては、珍らしく感情の露骨さを見せたものであるが、かれの自伝の一節としてこれを観る時、いろいろな暗示を受ける。
殊に、彼が「沈黙の詩人」であることは、彼の戯曲のみを読む時、この一作がなかつたら、普通の読者には理解し難いであらう。例へば「赭毛」のルピック氏は、モリエールの「人間嫌ひ」アルセストと共に、仏蘭西劇中、稀に見る寡黙な人物であり、然も、その寡黙を仏蘭西流に描いた好典型である。
ルナアルは、千九百十年の春、四十六歳で死んだ。彼は、その日記の最後の頁に於て、病床に横はる己れの無慙な姿を顧みて「赭毛」時代の如しと云ひ、将に終らうとする生涯に皮肉な微笑を投げかけてゐる。
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「近代劇全集 第十九巻」第一書房
1929(昭和4)年2月10日発行
初出:「近代劇全集 第十九巻」第一書房
1929(昭和4)年2月10日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月14日作成
2016年5月12日修正
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