中村・阪中二君のこと
岸田國士



 中村正常君は戯曲家として世間の一部に名前を知られてゐる人である。僕は同君の作品を殆どみな読んだが、その世界の狭さには一寸驚いた。狭いだけならそんなに驚かないが、その狭い世界をはつきり掴んでゐるのに驚いた。どの作品も、悉く「ある青年がある少女を愛してゐるが、その少女は別に許婚なり恋人なりがあり、その青年をそばへ寄せつけておきながら、その青年の悩みを募らせることしか考へず、青年も亦恋の勝利者たることは一向夢みないで、だが、その少女が時々自分の方を振り向いてくれるといふ不幸な幸福のために、あらゆることを忘れてしまふ」物語である。

 このれつたい物語は、中村君一流の甘つたれた調子で諄々と語られるのであるが、それを上の空で聞いてゐると、時々、坊つちやん臭い洒落が耳に残るくらゐで、苦笑の果ては「うるさいツ」と怒鳴りつけたくなるだらう。

 ところが、その人物の一人一人を眼に浮べながら──殊にその人物をおどけた人形か何かに見たてて──ぢつと耳を澄まして聴いてゐると、これはまたとない面白い場面である。Ćest drôle ! である。ユウモアとかペエソスとかいふ言葉では現はし難い一種の遣瀬ない可笑味がある。

 僕が中村君の中にミュッセとチャップリンとを見出すと云つたら、誰か異議を挟むものがあるだらうか。実際、中村君は、わが国の文壇に於て、ミュッセの如く、またチャアリイの如く独特な存在である。

 中村君は、しかし、まだ感情のなかで生活してゐる。それ故に、詩にイマアジュがなく、機智に風韻を欠いてゐる。やがて、多くの優れた芸術家の如く、生活のなかで感じ得る時代が来るだらう。『赤蟻』は、既にその時代を約束してゐる。


 阪中正夫君は、詩集『六月は羽搏く』の著者であり、紀の川のほとりに生れた純情多感な自然児である。

 彼は戯曲を書きはじめた。「こつちの方がいい」といふところを、「これしかない」と書き始めた。しかし、その戯曲は言葉を超越して脈々たる詩心を感ぜしめた。それだけではない。彼は戯曲の象徴を会得してゐた。

 欧羅巴の劇作家は、大概劇作を始める前に一二冊の詩集を公けにしてゐる。日本の劇作家中にその例を求めることは困難である。然るに阪中君は期せずしてその範に傚つた訳なのである。詩集を出したからそれだけで詩人だとはいへないし、詩人は必ずしも名戯曲家たりともいへないが、阪中君はたしかに賢明であつた。詩から戯曲へ……この道は、若い人々によつて、もつと選ばれなければならない道である。

 余談はさておき、果して阪中君は、日本有数の劇詩人(実は戯曲家)たり得る資格を示したのである。

 なるほど、今日まで、わが劇文壇でいろいろな特質をその作品の上に示した戯曲家は少くないが、事相を通じて描かんとする対象の中に、生命のシンボルをこれくらゐ鮮やかに抽出した作家が幾人あるだらうか。会話のギコチなさや、機智の不足や、性格の混乱やは、今ここで問題にする必要はないだらう。

 阪中君は、中村君と対蹠的なものを多くもつてゐる。中村君は都会児であるに反し、阪中君は田舎者である。中村君は疑ひ深く、阪中君は信じ易い。中村君は婉曲な悪戯者であり、阪中君は我武者羅な人情家である。中村君は泣きながら舌を出し、阪中君は怒りながら愛してゐる。

 僕はこの二人の芸術家に等しく興味をもつてゐる。そしてその成長を楽しんでゐる。(一九二八・一〇)

底本:「岸田國士全集21」岩波書店

   1990(平成2)年79日発行

底本の親本:「現代演劇論」白水社

   1936(昭和11)年1120日発行

初出:「悲劇喜劇 創刊号」

   1928(昭和3)年101日発行

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2007年1114日作成

2016年512日修正

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