観て忘れる
岸田國士
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自分で思ひ立つて映画を観に行つたことはまづないと云つていゝ。大ていは女たちの御招伴である。これは映画と女とを一緒に軽蔑してゐるやうに聞えるが、決して女も映画も軽蔑してゐるわけではなく、全く無精だからである。──芝居の方はどうかと訊かれると、これはまた一層ひどい。一年に二三度あるかなし、その代り、これは自分で思ひ立つ。
評判になつた封切ものなど、家の誰かゞ観て来て話をするのだが、つひそのまゝになつてしまふことが多い。
今頃こんな標題を持ち出すとその道の人は嗤ふかも知れないが、「嘆きのピエロ」といふのでも、つひ先達ある機会に初めて観たので、それまでは、なんといふことなしに、もう何処かで観たやうな気がしてゐたのである。実物を観た後でも、その前に想像してゐたいろいろの場面が、はつきりしたかたちこそ取つてはゐないが、何時までも頭にこびりついてゐて、実物の印象がだんだん影を薄くして行くのである。
最近観たものと限られては非常に窮屈になるから、私だけは特別の詮議で、今迄観たものといふ風にして感想を述べさせて貰ひたい。映画について印象めいたものを書くのはこれが始めてだし、さう古いことは思ひ出さうとしても思ひ出せないんですからいゝでせう。
私が活動写真を観て、始めて芸術的感激をうけたのは「車輪」が巴里で封切された時だ。あゝいふ感激は二度繰返されるものでないことは知つてゐるが、その後チヤツプリンの「小僧」といふのを見て悦んだことがある。「面影」は非常に佳い場面と映画には無理だと思ふ場面とが頭に残つてゐる。
「最後の人」は映画の技術と、ヤニングといふ名優型の役者に心を惹かれた。
「ヴアリエテ」はちつとも面白くなかつた。
「レ・ミゼラブル」はユゴオの通俗的半面のみを誇張した愚作であり、「タルチユフ」はモリエールを履き違へ、オート・コメデイイの精神を解しない醜悪な写真である。
こんなものよりは、「チヤング」のやうな実写的のものの方が見てゐて退屈しない。但し、実写なら実写らしく、変な芝居気を抜いて、素直に紹介の役目だけを果して欲しい。裸の土人に、わざとらしい驚きの表情などさせるには及ばない。
「ビツグ・パレード」を観て、かういふ写真が、なぜもつと早く出なかつたか、それが不思議なくらゐだつた。最後の場面は亜米利加式で月並以下だが、所謂「戦線」の生活は巧に物語られてゐる。近来の見つけものである。
「プラアグの大学生」は何処までも「芸術と手術」(?)張りで、あのフアイトとかいふ役者の夢遊病者的演技も大方底が見えたやうである。いや、それよりも、あの魔術使ひ見たいな金貨を、さも深刻らしく使つたところなど、独逸流の悪趣味に相違ないが、これがまた活動写真式とでも云ふのであらうか。
一体、独逸の映画は、芝居がさうである如く、監督の意志が隅々まで行き渡り、あらゆる効果が精密に計算され、観客は、常に与へられたものだけで満足することを強いられるのである。一部の観客は、与へられるが故に満足するが、他の観客は、自ら求めんとするが故に不満を感ずるのである。
さうは云ふものゝ、そんなら独逸映画の向を張る映画が何処にあると問はれゝば自分は知らないと答へるより外はない。
私は固より映画を素人として鑑定してゐるのであつて、それも、多くは単なる娯楽のつもりで出かけるのであるから、観て損をしたと思ふことは滅多にない。芝居なら腹が立つたり、馬鹿々々しくつて顔をそむけたくなるやうなところでも、映画では案外平気で笑つて観てゐられる。「動く写真」といふ興味だけでも、まだ私は惹きつけられる。况や、外国の都会や、田園の風物は、またそれを背景として動く幾多の人物や生活の種々の相は、そのまゝ私の好奇心と、想像と、追憶とを撫でるに十分である。私は時とすると、物語そのものゝ発展を忘れ、断片的な場面々々を、それぞれ勝手に、自分の好みに通つた空想に結びつけて、愉快な一晩を過すことさへある。
さういふ私であるから、映画俳優に対しては、演技の優劣を離れて好悪の感情に支配されることが多い。特別に好きな役者はまだ「決まらない」が、嫌ひな役者は、いくらでもある。アドルフ・マンジユウとダグラス・フエヤバンクスは、どちらもたまらなくいやだ。
家の者同志が、ある映画の話をし合つてゐる。「それはなんだ」と聴くと、最近私も一緒に観たことのある写真だつたといふやうなことがある。茲に到つて、私は、映画を語る資格がないことを覚らなければなるまい。
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「映画時代 第四巻第四号」
1928(昭和3)年4月1日発行
初出:「映画時代 第四巻第四号」
1928(昭和3)年4月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年5月1日作成
2016年5月12日修正
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