問屋種切れ
岸田國士
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大戦後、欧洲各国の都市に擡頭した新劇運動の余波は、わが国にも及んで、かの表現派、構成派等の新傾向をはじめ、思想的にも技術的にも、様々な流派が一時にわが劇壇の空気を彩つた。
ところが、昨今では、本家本元の欧洲諸国でも、一時華々しく喧伝された新傾向が次第に珍しがられなくなり、珍しくなければちつとも魅力がないから、それ自身滅びるより仕方がなく、かくて、これに代るべき何か新しいものが来るまで、一時、沈滞の色を見せてゐるのである。
フランスなどでは、それほど新しいものが喜ばれないのであるが、それでも戦後の三四年間を通じて幾分でも新しさをもつた新作が、これまでに例のないほど、相次いで表はれ、劇壇に素晴らしい活気を与へたものである、それがどうだらう。その後の三四年といふものぱつたり行詰りの体である。その頃出た作家も、その後これといふ目星い作も書かず、無名作家にして一躍劇壇に乗り出したといふやうな噂は全く聞かないと云つていい。たしかに反動時代が来たのだ。欧米の劇壇は今や、流行を有たず、新奇を求めることに疲れてしばし休息を楽しんでゐるとさへ思はれる。
偉大なる過去の作家が再び世人の心に浮び上つて来るのはかういふ時代である。
今まで流行の輸入に忙しかつた日本の新劇界が「問屋種切れ」の暁に、何事かを教へられるとすればそれは、必ずしも損にはなるまい。
折も折、世界戯曲全集と、近代劇全集とが読者の机上に積まれつつある。そこには、所謂「流行品」は少いであらう。然しながら、「永遠なるもの」が数限りなく集められてある筈である。
諸君は、例へばポルト・リシュ、クウルトリイヌの作品を読む前にその作品の発表せられた時代を見るがいゝ。遡つて、ミュッセの戯曲を読み、何故に此の戯曲が、もつと早く日本に紹介されなかつたかと考へて見るがいゝ。ブリュウやデュマが早く伝へられて、ベックや、キュレルが遅く伝へられたことを不思議とは思はないか。自由劇場の創立者、アントワアヌの最も意義ある仕事は、彼が、遂に「新しいものは出で尽した」と叫んでから後である。
わが新劇界も「新しいものが出で尽して」これから、ほんとうに意義のある仕事が迎へられ、完成されるのかもわからない。
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「新選岸田國士集」改造社
1930(昭和5)年2月8日発行
初出:「読売新聞」
1928(昭和3)年1月29日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年5月1日作成
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