戯曲時代去る
岸田國士
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「戯曲時代」といふ言葉の定義は僕が嘗て下したところによると「雑誌の創作欄が、昨日までは小説のみで埋められてゐたのに反し、読み物としての戯曲が、可なりの頁数を占めるやうになつた今日の時勢」に外ならぬのであるが、さういふ時勢も昨年の半頃から、そろ〳〵また遷りかけてゐるやうに見える。調べて見ないとはつきりしたことは云へぬが、兎に角、二月号の大雑誌は申し合せたやうに戯曲を一篇も載せてゐない。これは勿論偶然であらうが、かういふ傾向は確かに注目に値する。
元来、戯曲作家は、その製作動機に於て、小説家とやゝ趣を異にし、如何に舞台にかけるといふ意識なしに書かれた戯曲でも、この創造的努力は完全な上演によつて初めて完全に報いられる性質のものである。それと同時に、小説家が絶えず思想と生活から直接にその材料と霊感とを与へられ、それによつて製作の衝動を誘起されるのに反し、戯曲作家は、一面、「今日の舞台」から常に貴重な暗示と刺戟とを受けなければ油の乗つた作品が書けないのではあるまいか。
一般に、文壇の不振を唱へられる折柄ではあるが、就中、戯曲作家の不勉強は、自分だけの気持から推してもさういふ外面的の事情が、大きな原因の一つになつてゐるやうに思はれる。
早く云へば、「今日の舞台」に多くの不満をこそ感ずれ、その中から、殆ど何等の刺戟も受けない今日の戯曲作家は、知らず知らず感興のない仕事に引ずられるか、又は、感興がないから、仕事をしなくなるのである。
固より才能の問題もある。然しながら、何処の国で、何といふ劇作家が、その時代に於けるその国の舞台に興味を持たないで立派な仕事をしたか。殊にまた、何時の時代に、どういふ劇作家が、自分の信ずる俳優、又は、自分を理解する俳優なしに、その作品の価値を世に問ふことができたか。
僕は、必ずしも、所謂「戯曲時代」の去ることを悲しまない。寧ろ、それは当然なことだと思ふ。たゞ悲しむのは、あの華々しい「戯曲時代」の後に来るものは、恐らく、更に大なる新劇の暗黒時代であるに違ひないといふ一事である、だが、その結果、現在の所謂、新劇が滅び去るとすれば、それはそれでもいゝ。畸形児の夭折は、或る意味に於て「双方のため」に望ましきことである。
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「新選岸田國士集」改造社
1930(昭和5)年2月8日発行
初出:「読売新聞」
1928(昭和3)年1月28日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年5月1日作成
2016年5月12日修正
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