世界覗眼鏡
岸田國士
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この覗眼鏡はそんなに珍らしいものではない。ただ、当分用がなささうだから、どこか邪魔にならないところへしまつておかうと思ふのである。
こはれたり、狂つたりしてゐるところがあるかもしれない。殊にほこりだらけだから、手を汚さないやうにして見て下さい。
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セシル・ソレル嬢といへば、パリ人ならだれでも知つてをり、アメリカ人と日本人とに多少名前を覚えられてゐるコメディ・フランセエズの幹部女優であるが、婆さんの癖に器量自慢で、いつもコケツトの役を得意になつて演じてゐる。
鼻が高すぎるので、舞台でも、サロンでも、写真をうつす時でも、きまつて天井を見てゐる。これは僕の発見だ。
この女、ある朝、寝床の中で、コオヒイかなんか飲みながらコメディア(演芸新聞)をひろげると、二段抜きで、だれかの漫画が出てゐる。お化のやうな女だ、眼尻のしわが年を語り、偉大なわし鼻と、あごのしやくれ方に著しい特徴がある。おや、だれかに肖てるな、と下を見ると、驚いた。正しく、コメディ・フランセエズ──セシル・ソレル嬢ではないか。
丁度、その日から漫画の展覧会が開かれるといふことは聞いてゐた。その展覧会に出品された自分の絵姿だと気がついた時、セシル・ソレル嬢は、寝台の上で歯ぎしりをした。
彼女は、卓上電話を取り上げて、知り合ひの弁護士を呼びだした。
「あ、もしもし、あんた、今朝のコメディア見た?」
それから、彼女は、漫画家Bを相手取つて名誉毀損の訴訟を起すことにした。
翌日の新聞は賑はつた。──賠償金十万フランを請求──セシル・ソレル嬢曰く「女優は美しいといふことが義務なのです。いいえ、美しい権利があるのです」
一方、漫画家のBは、自分の作品が名女優の御気嫌を損じたことを遺憾とし、展覧会場に慈善箱をつるして、賠償金十万フラン調達のため、一般観衆の喜捨を求めた。
展覧会場は押すな押すなの騒ぎである。
セシル・ソレル嬢は、もうぢつとしてゐられなくなつた。自動車を命じて会場にはせつけた。見ると、その絵の前は黒山の人だかり。彼女は、その黒山をかきわけて、前に進み出た。そして、あはや番人の留めるひまもなく、繊手を伸ばして、額のガラス板をたたきわつた。
翌日の新聞──「セシル・ソレル嬢の暴行」──「問題の絵は、傷ついたまま、N県選出代議士、某市市長、F氏に買ひ取られた」「嬢はガラスで指を切つた。その上、はめてゐた指輪のダイヤが、その時どこかへ紛失した」──「そのダイヤを拾つて届け出た者には十万フランの懸賞」──云々。
展覧会が済んだ時、B君の慈善箱にはいつてゐた金、総計百十何フラン何サンチイム。
程経て、紛失したダイヤモンドが嬢の手許に届けられた──といふ記事。届けた男は彼女の運転手だつたといふこと。記者は最後につけ加へる。
「その運転手は馬鹿な男だ。なぜ自動車の中に落ちてゐたなら、自分でそれを持つてゆかずに、仲間の一人に、はい私がどこそこで拾ひましたといつて届けさせ、懸賞の十万フランを山分けにしないのだ」
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そこは、カルチエ・ラタンの一隅、パストゥウルの並木道だ。マロニヱの落葉が、十月の風に舞ひながら、石畳の上をすべつてゆく。大戦後間もなく、パリは街燈が消えたままだ。
デセエル一皿を倹約して、僕は行きつけのレストランを出た。
地下鉄道の入口に影絵のやうな人の動きが見える頃だ。
独り歩きの散歩にあきて、傍のベンチに腰をおろした。
すると、どこからともなく、一人の男が近づいてくる。
「今晩は」
「どなたでしたかね」
「初めてお目にかかるんです。君は支那の方でせう」
「…………」
「さうぢやない」と答へるのは野暮の骨頂である。さういふ時〝Non, Jes uis Japonais.〟とでもいつて見給へ、そして相手が気の毒さうに詫でもいふと思つて見給へ。それこそとんだ間違で〝Ca m'est égal〟(どつちだつておんなしだ)が関の山だ。
もつとも、こんな話がある。僕が南仏の旅行をして、ニイスの近くに差しかゝつた時だ。同じ汽車に、フランスの中尉が乗つてゐて、僕にいろいろ東洋の話をもちかける。いい加減にあしらつてゐると、
「君は支那人に珍しく、ひげを生やしてゐるね」とやつたものだ。なるほど、支那人にはひげは珍しいが、僕のひげは日本人のひげだ。面倒臭いから、にやにや笑つてゐてやると、奴さん、図に乗つて、
「君は北京か、広東か」
「どつちでもない。おれはトウケウだ」
「トウケウ、トンキンか」
「日本の東京だよ」
「君は日本人か」
「当り前さ」
「そんなはずはない」
「なけりや、勝手にし給へ」
僕の権幕に、ややたぢろいで、それでもあきらめ兼ねたらしく、
「それぢや、君の両親のどつちかが、支那人だらう」
「…………」
「僕は東洋の植民地に永く勤務してゐたので、東洋人の骨格はちやんとわかる。支那人、日本人、安南人、みんなちがつてゐる」
「なるほど。それで、僕の骨格が支那人だといふんだね」
「疑ひの余地なし」
折角さう信じてゐるものを、証拠まで見せて失望させるにも当らないと思つたが、僕はカバンの裏に張つてある日本大使館のマアクを指して、組んだ脚の爪先を動かしてゐてやつた。然し、僕は、内心、ひよつとすると、先祖に帰化人があるんではないかと思つた。
序だが、ある女から「お前は支那人か」といはれ、味気なくなつて、そのまま帰つて来た日本人がある。同じ女が、別の機会にそれとよく似た男をつかまへ、今度は「お前は日本人だらう」といつて見た。するとその男は、こぶしを固めて、女の下つ腹を突いたさうだ。
話がわき道にそれたが──
その、どこからともなく現はれて、僕のそばへ寄つて来た男に、
「君は支那人でせう」と訊かれ、平然と僕は答へた。
「さうだ」
「僕は貴国の聖人を知つてゐます」
「孔子だらう」
「さやう」と、この男は、眼をギヨロリと光らした。
「貴国の方は、それにみんな詩人ださうですね」
「さうでもない」
「僕は、貴国の留学生を二三人識つてゐます。名前は忘れたが、いづれも極めて愛すべき人達でした」
やや生硬なフランス語だが、なか〳〵達者だ。こつちが黙つてゐるので、
「僕は、ポオランド人です。学生です。貧乏な学生です。苦学をしてゐるのです。自分でパンを得なければならないんです」
「僕もさうだ」
「然し、君は、政府から補助があるんでせう。いくらもらつてゐるんですか」
「一文ももらつてやしない」
「ほんとですか。しかし、レストランで食事ができるんでせう、毎晩」
「できることもあり、できないこともある」
「僕は、昨日から、飲まず、食はずです」
「おれは、明日から飲まず食はずだ」
「冗談でせう。君は時計をもつてゐますね」
「君は服を著てゐる」
「…………」
「君はまだおしやべりができる。おれは、今、ものをいふことさへいやなんだ。あつちへ行つてくれ」
「僕は、一昨日まで、写字と翻訳をやつてゐたんです。写字は一行一文、翻訳は一行二文です。それでやつとパンにありつけるのです。それさへ、もう、だれも仕事をくれないんです」
僕は、その言葉を聞き流して、ベンチを離れた。パリには、到るところ、かういふ手合がゐて、東洋の君子に目をつけてゐるらしい。
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その広い部屋は、イタリイの新領土、南部チロルの山の中にあるホテルのサロンだ。メラノといふ小さな避暑地だ。同時に避寒地だ。まあ、日本なら熱海といふところだが、それが海岸でなく、山の中だ。
隅の方で、こそこそ話をしてゐる一組の男女、男はイタリイ士官で、女はハンガリイ技師の細君、御亭主は、一週間ばかり前に、会社の用事か何かで本国へ帰つてゐる。
ひとり、ミルク入りコオヒイを飲みながら、新聞の為替欄を読みふけつてゐるのが、昨日、ブタペストから寄り道をして来た日本の某名士と、その秘書である。
墺伊国境劃定委員長たる仏国陸軍中佐Rは、その細君と子供とを引きつれて、今、アヂヂ河岸のプロムナアドへ、軍楽隊の演奏を聴きに出かけようとしてゐる。
同じく墺国側の委員Z中佐は、誰かと丸テエブルをはさんで、シユニツツラアを論じてゐる。
イタリイ委員P大佐、これは、決してサロンに姿を現はさない。夕食が済むと部屋に閉ぢこもつて、明日の会議に持ちだす修正案の稿を練つてゐる。
英国のK中佐は、書記に命じて、翌朝の林檎を買はせる。
日本委員M少佐は、ロシヤ人だといふ母娘に、明日午後のドライヴを約束してゐる。
こつちでは、ホテルの支配人がイタリイ語で、盛装の婦人に何かお愛想を云つてゐる。この婦人はブカレストの女優T嬢だといふ噂である。
そして、僕はベルリンで一流のレストランを経営してゐるといふユダヤ人K氏から、ベルリンに於ける日本留学生の金使ひについて聞かされてゐるのだ。
僕はある日、馬車を駆つて、この古い町を一周した。道ばたにたたずんでゐる一人の老人に、何か見ておくべきものがあるかと尋ねた。
すると、その老人は、自分で案内をしようといひだした。僕はその老人と並んで、馬車の揺れ方を気にしながら、それからそれへと話を交へた。
この老人は、この町に古く住む外科医であることがわかつた。よく見ると、彼は、オオスタリイの兵隊服を著てゐる。途中で昼になつた。食事をした。ドクトル・Sは、馬鈴薯のソオテと、卵の半熟しか食はない。
この医者の紹介で、やはりこの町に住む一人の学者を識つた。ドクトル・Fは哲学者である。リウマチで、寝たり起きたりしてゐるといふことである。この訪ふものもない隠退所は、白髪の老哲学者をして倦怠の限りを味はせたに違ひない。彼はフランス文学に明るかつた。日本の政治的地位について、明確な知識をもつてゐた。彼は米国を罵り、支那を讃美した。そして、ユダヤ人の恐るべきを説いた。僕をここに連れて来たドクトル・Sは、その民族に属してゐることを教へた。そして、彼自身は? 僕は、問はずして、彼が純粋のイタリイ人であることを知つてゐた。なぜなら、彼のすべてが、ラテンだ。彼のリベラリズムは、かの、「鳥料理レエヌ・ペドオク」の主人公、アベ・コワニヤアルを想はせた。
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何かの話から、ホテルのサロンは、今、柔道について論じ合つてゐる。
一人のロシヤ婦人──それは、横浜に二年間ゐたといふ女──は日本人のすべてが柔道を心得てをり、指一本で相手を投げ倒すのだと主張してゐる。
日本人尽くがさうであるとは信じられないが、少くとも軍人は柔道の達人であるに相違ない。M少佐はもちろん、その通訳も、多分、ああ見えてもやることはやるんだらう──これは、そのロシヤ婦人の傍を片時も離れない禿頭のルウマニヤ人である。
指一本で投げ倒されてたまるものか。両手でかかつて来ても、俺なら大丈夫、あべこべに奴等の一人や二人、ねぢ伏せて見せる。かういひながら、腕を差しだしてゐるのが、例のイタリイ士官だ。
僕は、その時丁度、その前を通りかかつた。
「ムツスイウ・K、一寸、ここへいらつしやい」
「なんですか」と、生返事をして、空いてゐる椅子に腰をおろした。
「さあ、僕のこの腕を、君の柔道でねぢつて見たまへ」マカロニイは、婦人たちの前で見得を切つた。
「折れてもいいか」僕は笑ひながら訊いた。
「およしなさい、危ないから」ロシヤ婦人は慌てて留めた。
「そんなら、かうしてゐるから、どつちからでも押して見給へ。君の力で僕の身体が動いたら、どこででもお目にかかる」
さういつて起ち上つた。
僕は片手をその胸に当てて、ぐいと突く真似をして、その拍子に、うしろから、一本の指で、腰のあたりをひよいと押した。ドツと女たちが笑つた。大尉は、両手を差しだして泳ぐやうに前へつんのめつた。
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僕は昔、幼年学校にゐる頃、ドイツ大使館付武官の紹介で、オオグスブルグのカデツテン・シユウレにゐる一カデツト・Wと文通を始めたことがある。この文通は、僕が士官学校を卒業する頃まで続いてゐた。その頃Wも学校を出て、同じ地方の砲兵連隊に配属されたことを知つてゐた。
欧洲戦争が始まつた。
彼の生死は全く分らなかつた。
僕はイインスブルグからミユンヘンへの旅を思ひ立ち、ドイツにおけるただ一人の知人が、あの戦争でどうなつたか、それも序に調べられたらと、ある日、ミュンヘンの日本名誉領事館を訪ねた。
領事は早速、オオグスブルグの砲兵旅団司令部にWの消息を問ひ合はせてくれた。その結果W中尉は、休戦になる前に、病気で軍籍を退いたが、今、やはりオオグスブルグに住んでゐるといふことがわかつた。それだけわかれば、あとはなんでもない。詳しい住所を警察で調べてもらつて、取り敢ず「会ひたい」といふ電報を打つた。返事はすぐ来た。
翌日、僕は、オオグスブルグ行の汽車に乗つた。
停車場に出迎へてくれるはずのWは、どんな男だらう。彼がかつて送つて寄越した写真は、どこかへ蔵つてあるはずだが……。汽車が着くと、僕はプラツトフオオムを見廻した。
曇つた、薄ら寒い日だつた。
汽車から降りるものも、乗るものも、みな疲れてゐるやうに見えた。
そのなかで、一人、目立つて血色の悪い男が、外套を著た肩をすぼめながら僕の方に近づいて来た。
二人は暫く顔を見合つてゐた。だんだんわかりだした。それが彼だつた。
しかし、この時、僕は確かに彼よりもにこにこしてゐた。といふよりも、彼は存外無愛想に僕の手を握つた。二人は、黙つて歩きだした。白状をすると、僕はもうこの時、旧友にめぐり遇つたといふやうな興奮状態からさめてゐた。
彼は多分毒ガスにやられたのだ。彼は、まだ耳の奥で、大砲の音が聞えるといひだすのだ。彼は時々、頭を抱へて空を仰いだ。
僕が案内されたのは、彼が若い細君と共に住まつてゐる、可なり上品なアパアトメントだ。細君は、予て話を聞いてゐたものとみえ、いそいそとこの遠来の珍客をもてなした。
燈がつく頃から、Wは急にしやべりだした。その昔、僕が彼に送つた手紙に、こんなことが書いてあつたといふやうな、僕がもうとつくに忘れてしまつてゐる事柄を、さも愉快さうに思ひだしては、話し話しした。
「へえ、君も軍人をやめたんですか。僕はまた、あの手紙に書いてあつた通り、フランスの大使館付武官になつて、ヨオロツパに来られたんだとばかり思つてゐましたよ」
「なんにもございませんが……」
といふことで、食堂に導かれた。草花が食卓を明るく飾り、銀製の古風な食器が、彼等の家柄を思はせた。
最初に型の如くオオル・ドウウヴル。これがまたなかなか凝つたものだ。その上、三人前としては、驚くべき分量だ。ドイツ人は大食だと聞いてゐたが、これはすこしどうかしてゐる。
「どうぞ、お取り下さい。もつと沢山お取り下さい」
Wは盛んにフオオクを動かしてゐる。細君も、なか〳〵達者だ。
「ちつとも召上りませんね。こんなもので、お口に合ひますまいけれど……」
「いいえ、飛んでもない……」
僕が、どうしてもお代りをしないので、細君は、主人公の方へ、一寸合図らしい眼付をしながら、さもいひだし悪くさうに、
「でも、あの、御馳走は、もうこれだけなんでございますよ。あとはお菓子しか差しあげられませんの」
主人公は、これも、やや極りわるげに、
「さうさう、君はまだドイツの現状を御存じないんですね。肉がないんですよ。今日は殊に、なんにも手にはいらなかつたんです」
「ほんとにねえ、折角いらつしつて頂いて、これぢやあんまりですわ。ね。でも、こちらは、これが当り前なもんですから……」
「さうでしたか。そんなら……」
といつて、またオオル・ドウウヴルに手をだしかね、さうかといつて、「いや、それは万々承知してゐます」と鷹揚に辞退するためには、あんまり腹が空いてゐるんだ。
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君は、フランスの前大統領デシヤネルが、寝間着姿で鉄道線路の上を這つてゐたといふ話を知つてゐるかね。線路巡視がそれを見つけて、いろいろ調べて見ると、「おれは大統領デシヤネルだ」といつて威張るもんだから、テツキリ狂人だと思つて交番に渡したといふ話だが、それはほんとなんだよ。なに、公用でどこかへゆく途中、寝台車から抛りだされたまでのことさ。デシヤネルを「出車寝」と書いてもよささうだなんていつた奴がゐる。
これと何も関係はないが、これ以上喜劇的な場面を、フランス人といふ奴は日常平気で創作してゐるんだ。
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それは、ある町医の診察室だ。何かの注射を受けに来た患者が、手術台の上に腹ばひになつて、尻をだしてゐる。
医者は、注射器を手に持つてその尻を撫で廻してゐる。
医者 さう力をいれないで……。
患者 然し、先生、どこへやるんだか、はつきりおつしやつて下さい。その部分だけ力を抜いてゐればいいんでせう。
医者 この辺かな。(指で押す)
患者 その辺だとすると……。(片一方の尻つぺただけやはらかくしようと努力する)あいちツ。(もう針が刺さつてゐる)
医者 動かずに……。ぢつとして……。(注射液を徐々に押し込む)痛くはないでせう。
患者 痛いです。
女の声 (奥で)アルマン、ぢや、一寸行つてくるわよ。
医者 もう出かけるのか。それぢやね……。(患者に)一寸失敬……。(戸口に近寄り、戸から外へ首を突きだし)なんだ、その荷物は……。
女の声 帽子ができて来たんだけれど、飾の花が気にいらないから、取換へにゆくの。だつて、二た目とは見られないやうな赤いばらよ。
医者 赤いばらだつていいぢやないか。それぢや、今度はなんにするつもりだい。
女の声 なんか、もつと、あつさりした、似合ふものにするわ。
医者 (声を低くし)ぢや、帰りに、マルタンのところへ寄るだらう。
女の声 時間があつたらよ。
医者 どこか、まだ寄るところがあるのか。
患者 (苦しさうに)先生。
医者 いますぐ……。それで、どこへ寄るの。
女の声 いいとこ。
医者 (ぢれて)兎に角、マルタンのところへ行つたらね、今夜、勝負をするからつていつてくれ。
患者 (益々苦しさうに)先生、大丈夫ですか。なんだか、針が折れたやうです。
医者 (一寸振り返つて見て、それには答へず)遅くなると承知しないよ。おい、………(キツスの音)
患者 (泣きだしさうになり)痛いです、先生……。
医者 (やうやく元の位置に復し)まだ半分もはひりませんよ。
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僕はマルセイユから、フランスMM会社の汽船ポルトスに乗つた。
一等船客としては、某国の侯爵が愛妻の遺骨を護つて帰朝の途にある。
二等船客として、S銀行の行員Xが、時々甲板の手すりに矮躯をもたせかけてゐる。
三等船客の僕は、同室のギリシャ商人がのべつに歌ふ鼻唄にごうを煮やし、お歯黒をつけた安南の美女に、果敢ない想ひを寄せてゐた。
支那学生の一団が、常に甲板の一隅で議論を戦はしてゐる。
植民地ゆきの軍曹夫婦が、腕を組んで食後の散歩をする。
ポオトセエドで船を下りたアラビヤ人は、絶えず呪文を唱へてゐるやうに見えた。
僕は甲板に出るごとに、予備大佐と自称するルウマニヤの綿布商人につかまつた。彼は日本の官憲が、小国の人民に対して横柄であり、大国の人民に対して慇懃を極めてゐる態度に憤慨した。ヨオロツパのいはゆる小国間に、日本の勢望が頓に失はれつつあることを説いた。彼はまた、世界の人肉市場について驚くべき博識を披瀝した。彼は、船客の誰彼を相手にポオカアの勝負をいどみ、もの凄い腕並みを見せた。彼は、寄港地の到るところに「行きつけの穴」をもつてゐた。
船が上海を出るといふ朝である。この男は上陸したまま帰つて来なかつた。彼の手荷物を陸に残して、船は碇を巻いた。
支那留学生の一団は、僕がその傍を通ると、一斉にこつちを見た。それは明かに敵意を示す眼だ。僕はかういふ時、わざわざ口辺に微笑をたたへて、その一人々々の顔を見返してゐた。──かういふ状態が二週間あまり続いた。
船がアフリカ西海岸のヂブチイに着いた。はしけの数が足りないので、上陸をするために、僕は彼等と同じはしけに便乗した。すると、船頭の黒人君、相手与し易しと見てとつたか、岸まではまだ半分と思ふ頃、不意に漕ぐ手を止めて、賃金割増を要求しだした。
一同は途方に暮れて顔を見合はせた。唯一人の日本人たる僕は、別に相談には与らなかつたが、彼等の視線は、たしかに僕の協力を求めてゐる。彼等は口々に──意味はさつぱりわからぬが──多分「顔が黄色いと思つて甘く見るな」とか、「馬鹿いへ、警官に訴へるぞ」とか、「愚図々々せずに早くやれ」とか、「相共に抱いて海に投ぜん」とか云つてゐるのであらう。
黒人君は黒人君で、白い歯をむきだし、いはゆる「プチ・ネエグル」で、「あとこれだけ……」と指を三本見せ、さもなければ、今度は手真似で、「船をこがぬ」と云ひ張つてゐる。
本船は明日の朝の出帆である。急ぐことはない。これからこの日光と砂の国に上陸したところで、水瓶を腰にかかへた赤銅色の女を見るだけの話である。それよりもこの黒と黄との争ひが、これからどう発展するか見てゐたい。
この時である。傍に座を占めてゐた彼等のうちの一人は、はじめて僕に話しかけた。── Quel sale type !(なんといふ汚ない奴でせう!)
僕は眼でそれに応へた。
たうとう増金をだすことになつて、船は岸に着いた。
僕はいつの間にか、彼等の一行中に加はつてゐた。
最初船の中で僕に話しかけたのは、パリで医学を修めたといふC君である。
次に僕に話しかけたのは、アメリカで政治経済をやつたといふK君である。
その次は、フランスの女を連れてゐるL君、これはパリで支那料理の店をだしてゐる人である。
それからもう一人は、画家のS君、嘗て日本の美術学校にもゐたといふ変り種だ。
親日派と、排日派とに分れてゐるわけでもあるまいが、最後まで口を利かない幾人かがゐるにはゐた。──それすら、いよいよ上海で、僕のために別宴を張るといふ晩、快く食卓についてくれた。
医学士のC君は、一見茫漠として捉へどころのない、そのくせ議論がたまたま東洋精神といふやうな問題になると、顔面朱を注ぎ、口角泡をとばして相手を悩ますのである。
政治経済のK君は、もう、大学教授兼新聞記者といふ肩書をもつてゐるだけに、沈痛な口調で、冷徹な批評を、あらゆる問題の上に加へた。殊に日本の外交をめちやめちやに罵倒した。日米戦争は当然起るべきこと、その場合、支那は勢ひ米国に加担すべきこと、さうなると、日本は支那の海軍を軽蔑して、一挙にヒリツピンを占領すべきこと、すると支那は、ヒリツピンと日本本国との連絡を遮断して、米国艦隊の東京湾攻撃を容易ならしむべきこと、等々、彼は流暢な英語でまくしたて、僕がそれを黙つて聴いてゐると、眼界千里の海上には、音もなく夜がくるのである。
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仏国郵船会社の巨船ポルトス号は、一乗客たる某国侯爵家の要求を容れて、神戸入港の時間をわざわざ三時間遅らした──といふ噂が船内に伝はつた。出迎へを受ける時間の都合でといふのださうだ。
特権階級の専横は、見事に国際化したわけだ。
岸壁から、僕の方を見て切りと合図をしてゐる男に、「どなたですか」と問うた。
それは、「どなた」でもない、五年ぶりに会つた弟だ。(一九二八・二)
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
1936(昭和11)年11月15日発行
初出:「東京朝日新聞」
1928(昭和3)年1月24~29日、2月1~2日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年5月1日作成
2016年5月12日修正
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