新劇の拓く道
岸田國士
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去年の半ば頃から生れて来た所謂新劇の大同団結運動といふのは、簡単にいふならば、それぞれに少数にすぎない熟練的技術者を擁して、一つの劇団としては十分に客を惹く力に乏しいところから、寧ろ各劇団の優秀な技術者を引抜いて、それで一つの劇団を拵へて、十分職業的に自活し得るものにして行きたいといふのがその趣旨であつた。これは一応理想としては結構な考へだと受取れるが、それでは今日あるところのいろいろの劇団の特色といふものが失はれて仕舞ふことになる。それでその特色を生かして行きたいとする連中は、この大同団結の実行を危むに至つた。そしてそれから引いて、少なくとも今日ある劇団が今すぐに合同して一つの劇団を作るといふことは不可能だが、新劇関係の団体や個人達がお互に協力して、将来この新劇が、十分自活して行けるやうな地盤を作らうではないか、それには、今日までこの新劇がどういふ訳で十分に見物を惹くことができなかつたか、或はまた新劇の作家や俳優たちがどういふ訳で、各々の才能を十分に揮ひ得ないうちに、その仕事を擲つて去らなければならなかつたか、これは結局新劇が職業的に独立し得られなかつたからであるか、等々の問題を研究し合つて、早く云へば、新劇が日本の現代文化の中で十分教養ある人達の魅力になるやうな本質的な価値を発揮するやうに、いろいろな方面からその基礎を築いて行かうではないか、といふのがこの暮に成つた新劇倶楽部の趣意であつた。それでそのためには、今すぐにいろいろな新劇の団体を合同して、華々しい仕事に取りかからうといふのではないので、寧ろこの新劇倶楽部では、演劇に関する各専門家が、十分に日本の現状に即しての将来への演劇文化向上といふ問題について、研究協議を行ふことになるものと思ふのである。そのうち現在計画されてゐる事柄といふのは、先づ俳優養成所を設けて、現代劇俳優の基礎的訓練を行ふこと、研究的な演劇をやつて行くための経済組織の合理化、同時に現代の社会状勢に応じる、十分文化的意義をもつと共に、一般大衆の興味を惹き得るやうな演劇の要素を探究すること、などが考へられてゐるのである。かくて新年度からは、倶楽部のいろいろな部門が活動を始め、これが倶楽部加盟の各個人、及び団体の活動と相俟つて、この新劇倶楽部からは、恐らく広い意味での、新劇指導精神といふものが生れるであらうことを期待するものである。(談)(一九三五・二)
底本:「岸田國士全集22」岩波書店
1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「都新聞」
1935(昭和10)年1月6日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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