純粋演劇の問題
──わが新劇壇に寄す──
岸田國士



       一


 あらゆる芸術の部門を通じて演劇の理論といふものは、特にこれを実際に「試み」る機会が少く、従つて、その理論に確乎たる根柢を築くのに容易でない事情にある。

 所謂「近代劇運動」の史的考察が、この意味で絶えずその中心を見失はれようとする傾きがあることも、われわれは既に気づいてゐるのである。

 十九世紀後半に於ける諸芸術の「純化運動」に、演劇も後れ馳せながら参加した事実は、世人も等しく認めてゐることと思ふが、この「手入れ」は、演劇といふ庭に限り、それがあまりに荒れ果ててゐたためと、また、あまりに木石の類が多すぎたために、ほかの庭よりもずつと遅れてしまつた観があり、漸く一と通りの草むしりを終つた程度で、早くも、職人たちは仕事を投げ出してしまつた。

 詩、小説は固より、造形美術、音楽、舞踊、さては、まだ生れて幾らにもならぬ映画の方面でさへ、あらゆる社会層への食ひ込みを目ざす一方、かの「純粋」の名を冠せられる真摯な運動が、今日では、立派に、存在理由をもつてゐるに拘はらず、独り演劇の部門──戯曲をも含めて──に於てのみこの運動が中途半端のまま葬り去られようとしてゐる現象は、どうしたものであらう。

 実際、私の知る範囲では、「演劇の純化」を標榜するフランス自由劇場以後の諸運動乃至その指導者も、未だ嘗て、「純粋演劇」といふ問題には触れてゐないやうである。僅かに、ゴオヅン・クレイグが、その理想家的感傷をもつて、「演劇の独立」を叫んではゐるが、その実、「演劇をして演劇のみの演劇たらしめる」主張は、単に、舞台より「文学」を排除するといふ空漠たる目的のために、却つて、演劇の生命を稀薄にし、而も実際は、常に、優れた文学的作品のみに頼るといふ自家撞着に陥つたことからみても、この理論は最早、空論に終らうとしてゐるのである。

 過去半世紀に至つて、「演劇の独立」は、各方面から、いろいろの分野に於て叫ばれたことは事実である。先づ第一に、商業主義よりの独立である。第二に、職業的因襲よりの独立である。第三に、官学的伝統よりの独立である。第四に、文学的レトリックからの独立である。その間、反動として、素人劇が生れ、詩人劇が生れ、美術劇が生れ、電気劇機械劇などまでが生れようとしたが、結局、舞台はといふよりも寧ろ演出家と俳優は、必然的に、戯曲、即ち文学の指向する道を知らず識らず歩まされて、今日に至つてゐる。彼等は、しかもなほ、口を揃へて、「新しき戯曲出でよ」と云ふのである。

 私は、彼等が何を求めてゐるかを知らないが、少くとも、「新劇運動」の一員を以て任ずる彼等が、一攫千金を夢みてゐるとは信じられないし、「過去に在つた」ものの複製を探してゐるとも考へないから、只単に「変つたもの」「新しいもの」を追ひ求めるスノブの群は別として、他の芸術の部門に於ける如く、「純粋なもの」への欲求が、何等かの形に於て示されて来るであらうと待ち構へてゐるのである。

 で、私は先づ、自分の仕事を始めるに当つて、一つの意見らしいものを公表した。これは、巴里に於けるヴィユウ・コロンビエ座の運動から暗示を得た「演劇の本質主義」とも名づくべきもので、ジャック・コポオの理論は第二として、その仕事から直接、ある意味を嗅ぎ出して、私流に解釈した独断に類するものであつた。この「本質主義」なるものの説明はここで繰り返す煩を避けるが、要するに「純粋演劇」への明らかな趨向を示したつもりであつて、その論旨の中枢は、かの「ドラマチック」なる語の再検討であり、従来の「ドラマツルギイ」への率直な質疑でもあつた。なほ、近代演劇運動の諸相と題する一文中、「近代主義と本質主義」なる項に於て、表面相反する如く見える二つの傾向、即ち、過去の否定と、古典尊重の精神とが、等しく現代の演劇革新運動の中に相対峙し、又は、相交錯する状態についても述べたのであるが、これらの諸相を通じて、私は常に、「純粋演劇」への探求が、その窮極に於て問題とされるであらうと信じてゐたのである。

 そこで、近代劇運動の理論的帰結が、「演劇の再演劇化」にありとして、あるものは、近代主義的舞台の建設に、あるものは、本質主義的演技の訓練に、それぞれ目覚ましい活動を続けつつあつた戦後欧羅巴の劇壇は、われわれに何を齎したかといへば、単に、その中途に於て明滅した個々の流派的宣言と、その運動自体の末梢的輪郭だけであつた。

 事実、欧洲の演劇が、その先駆的精神のみにもせよ、期せずして、「演劇の再演劇化」に一つの合言葉を発見したのは、あらゆる範囲、あらゆる程度の革新運動が、常に、「演劇的ならざるもの」を舞台上に横行せしめる結果となり、演劇それ自身の美は、何物かの背後にかくされて、いはば、主客顛倒の有様を現出したからであつて、殊に、わが国のやうに新劇の発生動機が、全く独特な事情と結びついてゐる場合、この危険は初めから目に見えてゐたのである。

 即ち、わが国の新劇は、云ふまでもなく、時代の文学的欲求から生れたものである。その指導者は勢ひ主として文学者乃至外国劇の紹介者、稀に、文学の重荷を負はされた職業俳優であつた。そして最後に、やや演出専門とも称すべき劇場芸術家の参加を見たが、舞台はその時代から濃厚な思想的色彩に塗り上げられた。

 かういふ次第であるから、演劇は絶えず、演劇本来の姿を見失つて、何者かの手段となるにすぎず、その生命は自然の成長を阻まれてゐたのである。勿論、この間に、欧羅巴流の新演劇論を鵜呑みにして、表面、「演劇より文学を排除せよ」と叫んだ人たちの名も浮ぶのであるが、さういふ人たちの一様に陥つた過失は、その「文学」に代るものを発見し得なかつたことだ。少くとも、それを舞台の上に示すために必要な努力を払はなかつたことだ。

 わが国の新劇は、今日まで、凡そ理論といふ理論を潜り抜けて来た。そして、遂に行きづまつた。罪は、世界的不況にあるのでもなく、「問屋の種切れ」にあるのでもない。要するに、演劇の本質に対し、あまりに無関心であり、あまりに、認識を欠いてゐたからだ。


       二


 私は、コポオの所謂、「演劇の本質は、古今の偉大なる劇的作品の中にこれを発見すべし」と云つた言葉の真意について考へたい。彼は現代欧洲劇壇の先覚者中、「文学」に最も近くその位置を占めてゐる人物であるが、彼の業績は、それにも拘はらず、「演劇の再演劇化」に向つて、最も大きな歩みを歩んだものと私は信じてゐる。

 これを、私の見解に照せば、彼は、演劇精神の伝統を現代に活かす以外、如何なる手段も、如何なる材料も、今日の舞台に生命を与へることができないことに気づいた一人であつて、衒学的軽業師の尊大な新理論よりも、各時代の要求に応じて生れ、それぞれの時代の舞台的革新に役立つた不朽の劇的作品を信じ、古典はそれ自身として現代に再生することはできなくても、そのなかに含まれてゐる要素、即ち、「戯曲でなくては現はせないもの」の実体を掴むことにより、「永遠に新しい美」といふものが、今日の時代に於て、如何なる姿を取るべきかを教へられるだらうと感じたのである。これは、誠に、平凡な真理に似て、先駆者コポオの主張としては物足りなく思ふ人もあらうが、その真意は、かの官学派的伝統主義と異り、これを正当に理解するためには、もう一歩進んだ註釈が必要なのである。この註釈は、しかし、飽くまで私の註釈であつて、恐らく蛇足であるかもしれないが、由来、戯曲が文学として取扱はれて来た結果、戯曲の批評は、専ら文学的観点からのみ行はれ、舞台的価値が云々される場合は、単に、「成功」「不成功」の二語によつて片づけられた傾きがある。ところが、戯曲が文学であることは差支ないとして、また、古来傑れた戯曲が、文学的にも様々な創造的特質を備へてゐたことは争へないとして、然らば、戯曲作家が、何故に、文学の他の様式を選ばずに、この様式を選んでその思想なり感情なりを盛らうとしたか、またこの戯曲なる様式の舞台化から、新たに何を求めようとしたか、さういふ点をはつきりさせた批評家は殆んどないと云つていい。コポオは、戯曲文学を対象として、この点を重大視したやうに思へる。言ひ換へれば、文学としての文学から、文学そのものの特質を引出す代りに、只管、舞台的生命たり得るものを引出さうとしたのである。彼は、しかしまだ、同時に文学の要素をも棄てきることはできなかつた。否寧ろ、戯曲の舞台的生命は、ある種の文学的生命を母胎とし、そこからのみ生れるものと信じてゐるらしい。「カラマゾフ兄弟」の脚色は、その間の消息を語るものと私は解してゐる。

 事実に於て、古今の偉大なる戯曲作家は一面、傑れたる文学者であつたといへるし、また、ある時代の流行劇作家が、この貧弱粗雑な文学的才能のために、その作品は悉く、次の時代に忘れられ、舞台的生命を失つた例も少くない。が、また、傑れた詩人、小説家、必ずしも名戯曲家たらず、さうかと思ふと、文学的には調子の低い主題を、戯曲としては生彩に富み、感激に満ちた作品として示し得る才能、つまりルナアルの所謂「卑俗にして偉大な」芸術家をもわれわれは識つてゐるのである。

 なるほど、コポオは、この最後のものには与しないやうであるが、それはそれで、一個の主義として受け容れればよく、私のここで云はうとすることは、彼れコポオが、取つてもつて舞台の生命としたもの、しようとするものは、決して、単なる戯曲文学の思想や形態ではなく、古今を貫く戯曲文学の精神であり、魂であり、その精神に導かれた共通の韻律美だといふことである。彼は好んで、劇作家といふ代りに「詩人」と呼ぶのであるが、これは旧い語例によつたにもせよ、彼の戯曲に求めるものを暗示してゐるわけだ。

 しかし、注意しなければならないことは、この文学の使徒の如く見えるコポオが、作品をマスタアする力量に於て、近代劇場人の何人よりも優つてゐると思はれることだ。ラシイヌの一齣を朗唱するに当つて、国立劇場の悲劇俳優が達し得ない理解を示し、その表現に於て、伝統的型を破りつつ、この天才詩人の微妙な感覚を浮き上らせるのである。更にまた彼の「フィガロ」は、十八世紀以来忘却されてゐたボオマルシェの創造を遺憾なく分析しそのいちいちのニュアンスに決定的な近代的着色を施した。民衆の英雄フィガロは、コポオの解釈によつて、はじめて、封建制下の床屋気質と、将に勃興せんとする自由主義の血脈を舞台にさらけ出した。彼は、舞台に立つて、さほど偉大さを感じさせる俳優ではないが、これは、俳優として肉体的資質に、どこか欠陥があるためであらう。しかし、如何なる戯曲中の如何なる人物についても、「かくあるべきである」といふ解釈には驚歎すべき発見と独創が含まれてをり、如何なる文体の如何なる白も、一と度び、彼の口を藉りれば、「かく言はるべきである」といふ、生きた人間の魅力ある言葉となるのである。

 このセンスは、彼の主張の根柢をなす強味であり、この才能は、彼の業績をある程度まで世人の脳裡に刻みつけた。しかし、彼は、単なる理論家であることにも甘んぜず、先駆者たる誇りにも安んじることができなかつた。彼は、仏蘭西の演劇を、成し得れば、悉く一手に引受けて、その面貌を一新させたかつたのだ。この欲望は、彼の口からは決して漏らされなかつたし、また、さういふ野心が遂げられるとも思つてゐなかつたらうが、彼の思想的一面に触れたものは、彼が、演劇を以て、直接民族精神の発揚、自国文明の浄化に資せんとしてゐたことは、察し得られるのである。

 これがつまり、私の云ふ、ヴィユウ・コロンビエ座の運動が、「演劇の純化」を標榜しながら、「純粋演劇」といふ問題の一歩手前で、先づ、その理論的進展を中止した原因であらうと思はれる。


       三


 さて、それでは、「純粋演劇」といふ立場から、われわれは、今、何も問題にすることはないかといへば、決してさうではない。殊に、わが国の現状を顧みれば、この問題は寧ろ、欧洲諸国よりも先に解決せられるべきであると思ふ。なぜなら、これこそ、今日の新劇をして、一応、自分たちの姿を正視させることに役立ち、同時に、演劇の本質なるものを、裸のまま、吟味する機会が与へられるであらうから。

 この限られた記述の中で、私の所論を的確に要約することは、甚だ困難であるやうに思ふ。ただ、「純粋演劇」とは如何なるものであるかを理論づける上に、先づ、文学に於ける純粋詩、純粋小説(ブレモン、ヴァレリイの詩論及び作品、ジイド、プルウストの評論及び小説)、造形美術に於ける印象派以後の運動、音楽に於ける交響楽の原理殊にドビュッシイの手法、映画に於ける「伯林」、「ひとで」等の所謂「純粋映画」の傾向等は、極めて示唆に富むものであるが、それ以上に、根本の研究として、希臘劇、シェイクスピイヤ、ラシイヌ、モリエエル、その他、東西の重要なる劇作家を通じて、その「文体」に共通する一つのリズミカルな生命を摘出することが企てられなければならない。そして、更に、舞台の幻象イメエジを形づくる要素が、果して、今日まで、一定不変であつたかどうかを考へてみる。その上、それらの要素が、如何なる関係で、そこに現はれ、また、現在如何なる価値をもつてゐるかを判断する。

 さうした結果、演劇に必要なものと、必要でないものとを区別することができるだらう。必要なものだけで、ある「演劇」が組立てられるとして、それが、如何なる条件で、「美」の観念と結びつくかを考へる。

 私は今、具体的に一例を頭に描いてゐるのだが、どうもうまく云ひ現はすことができない。しかも、説明のために強ひて、過去の形式の中にその例を求めれば、やはり、能楽などは、「純粋演劇」に最も近いものであり、ただ、その古典的色彩のみが今日、われわれの目指すものと凡そ隔りがあるといふばかりである。歌舞伎劇にしても、その形式のあるものは、現代の演劇を通じて比較的「純粋演劇」の体を備へたものであると見られるが、これも亦、その形式の固定と、近代性の欠如によつて、「新しい芸術」とはなり得ない運命にある。能楽と云ひ、歌舞伎劇と云ひ、共に、その形式が、そのまま、将来、「純粋演劇」の一形式として採用せられるとは考へられない。あの形式を生んだ時代は、再び来ないと同様、今後「純粋演劇」の運動が起るとしても、能楽や歌舞伎劇に、直接暗示を得るなどといふ時代錯誤が行はれたら、それこそ滑稽である。外国人には、さういふところがわからないので、珍らしいものが新しいのは当然であるが、珍らしくないものに新しい生命を見出すことは、それ以上の深い根拠がなければならない。

 要するに、「純粋演劇」の見本なるものは、将来、無数に示されるものと予想して、さて、これに伴つて、「純粋戯曲」なるものが現はれて来るであらうといふことも考へられる。或は、この方が、先に現はれるのではないかとも思ふが、それはそれとして、私は差し当り、自分の仕事として、これに向ふ一つの道を開拓することに興味を感じてゐる。

 私のこれまで発表した貧しい作品が、殆んどすべて、その方向を見極めるための、右往左往であつたとも云へるのである。そしてそのことを、私は嘗て、「何かを云ふために戯曲を書くのでなく、戯曲を書くために何かしらを云ふのだ」と公言し、いくらかの誤解を招いたと記憶する。ただ、私の朧ろげに掴み得た「純粋戯曲」といふものは、恐らく、既成観念による文学としては通用し難いもので、これこそ、一連の「声と動作の符牒」にすぎないものである。そんなものを活字として発表することは、今日では無意味のやうに思はれる。それなら、舞台を通して見せるとなると、これを効果的に演出するためには、目下、適当な俳優が見当らない。今日の新劇の如く、辛うじて舞台から文学を感じて満足するなどといふわけには行かぬからである。

 だが、これは多分、私の空想に終るだらう。そこへ行くまでに、まだ、どれだけ廻り路をしなければならぬか、それさへ見当がつかぬ。「純粋戯曲」とは、結局、戯曲文学の頂点に築かれてこそ意味があるのであらうが、ただ、わが国に於ける戯曲壇、乃至劇界の現状に照し、戯曲家も、俳優も、演出家も、それぞれの領域のうちで、手も足も出なくなつてゐる場合、ただ、「佳い仕事」をするといふだけの目標では、なんとなく頼りない気がするかもしれぬので、私は、この原因が、わが新劇運動の第一歩に於て作られてゐる事実を指摘し、更めて正しいコースを与へるため、敢て、「純粋演劇」の問題を持ち出した次第である。

 西洋の近代劇運動も、初め戯曲を主体とするある意味での内容主義に傾き、次いで舞台の形式美が問題にされたのであるが、その間、俳優の演技に関しては、大体、「別な訓練」を必要としなかつた。わが国では、寧ろ、この点に、根本的な「事業」があつたのである。それ故、新しい戯曲の紹介や、舞台装置の変つた工夫もさることながら、誰かが、もつと真剣に、もつと継続的に、そして、何よりももつと合理的に、俳優の新劇化を企てなければならなかつた。その方が寧ろ、わが国に於ける新劇運動をして、真の研究室的使命を果させることになつたのである。早い話が、築地小劇場は、最初、自ら、演劇の実験室と称しながらその実験は、博覧会場流の「見せるための実験」に終始し、決して、実験者自身のための実験をなし遂げてゐないのである。言ひ換へれば、実験済みの実験ばかりを繰り返してゐたのだ。それが、もともと、なんのために成された実験であるかを究めず、また、その実験が、最初何者の手によつてなされたかを考へずに、ただ、誰でもが、気まぐれに行ひ得る程度の実験に満足したことは、今に於て、われわれは惜み且つ悔むのである。

「純粋演劇」の観念にしても、私は、これが総ての新劇運動を指導する精神たれと云ふのではない。運動の方向は、それぞれ異つた目標をもつてゐても、演劇を演劇たらしめる要素の新しい利用、発見、創造がなければ、それは、決して新劇運動とはいへまい。この気魄の欠如が、今なほ、わが国の新劇を不振ならしめ、未来なきものにしてゐることを更に繰り返しておかう。


       四


 近来、わが新劇壇は、目前の窮境打開策として、「面白い芝居」とか、「芸術的で同時に大衆的な舞台」とかいふ標語を持ち出してゐるやうだから、凡そ「純粋演劇」の運動とは縁が遠いやうに思はれるが、しかし、私は、それでも一応、次のことが云ひたいのである。つまり、彼等の所謂「面白い芝居」が、ちつとも面白くなく、「芸術的で同時に大衆的」と称する舞台が、芸術的でもなければ大衆的でもない事実は、誠に皮肉を通り越して、やや悲惨であるが、何故にさういふ結果を招いたかについて、恐らく、一般に認識を誤つてゐはしまいか。

 当事者は考へる──「これほど面白いものが、どうして受けないのか。多分、はじめから、新劇は面白くないものときめてかかつてゐるからだらう」

 また、或は、「これほど大衆的なものが、どうして一般にアッピイルしないか。まだ芸術的すぎるかしら……。もつとレベルを下げてみてやらう」

 観客の方では、かう考へる──「なにしろ、自分たちにはぴつたり来ない。人物の白にしても、何を云つてるかわからないところが多く、それを考へてゐるうちに、次の白を聞き漏すといふ始末だ。いや、それよりも、第一、役者と人物とがばらばらで、見てゐてはらはらしなければならない。頭を使つて冷汗をかくなんざ、近頃の芝居見物も楽ぢやない」

 どちらに理があるかといふと、勿論、後者に理があるのである。但し、見物は素人が多いのだから、この批評は素人流であり、新劇に対する理解を示してゐるとは云へないので、私は、横合から、口を挟むことにする──

「お説はいちいち御尤もであるが、これでも、彼等は諸君を馬鹿にしてゐるわけではない。彼等と雖も、職業俳優として立つ決心をつけはじめてゐるのだし、見物を悦ばすといふ点では、人知れず苦心をしてゐるのだ。先づ演し物の選択にしても、翻訳劇なら、西洋で当つたものを第一に選ばうとするし、日本のものなら、雑誌で評判のよかつたものに目をつけるし、文学として傑れてゐても、筋に「やま」がなく、舞台にかけて退屈ではないかと思はれるものには手を出さないし、俳優の演技にしても、見た眼の変化をなるだけつけようとし、少しでも長く同じ姿勢のままでゐることは避けるし、演出者は、絶えず動きの工夫をして、舞台を賑やかに賑やかにと心懸け、装置の如きは、大劇場に負けず、大掛りなものをこしらへ、そのために、経費の大半を割いて惜まず、やや単調な場面には、レコオドの伴奏で景気を添へ、それこそ、あらゆる手段を尽して、見物の「御機嫌」を取つてゐる。なるほど俳優の中には、まだ素人上りの青年男女がゐるにはゐるが、西洋でも、新劇の団体は大部分素人なので、諸君は、自分の好きな友達や恋人が、舞台の経験はなくとも、一緒にゐて諸君を退屈がらせない事実を経験してゐるだらう。そこで、何が新劇をつまらなくさせてゐるかといへば、実のところ、新劇ぐらゐ「演劇の要素」を除外してゐるものはなく、彼等が、舞台を面白くするために持つて来るものは、悉く、演劇にはあつてもなくてもいいものばかりなのだ。ただ、諸君は、習慣的に、劇場へ足を向ける。舞台に「演劇以外のもの」をも求め、期待してゐることはわかるが、それは、習慣的にさうなのであつて、従来、演劇に携はるものが、悉く商売人であつたから、例の景品政策で客を釣つてゐたのが、客の方では、それまでも含めて「演劇」の内容であると思ひ込んでゐただけだ。新劇も亦、この轍を踏んでゐるわけだ。景品政策、必ずしも悪いといふのではなく、劇場が演劇以外のものをも同時に商ふなら、またそれはそれで許せるのだが、肝腎の「演劇」は仕入を怠り、それ以外のものを、景品ともつかず、恬然「演劇」といふレッテルを貼つて売りつける如きは、甚だ面白くないし、また、それでは、お客も承知しない筈である。諸君は、そこに気がつかなくてはいけない。これは、しかし、極端な場合で、如何になんでも、「演劇的なもの」が零であるといふ劇場はあり得ないが、今度は、その「演劇的なもの」が、どれほどの価値をもつてゐ、どれほど舞台の上で光つてゐるかといふことが問題で、この点のみからいへば、私の意見は、また正当化されるのである。最近上演された二三の新劇についてみても、劇団側で、さほど自信がなかつたやうに聞いてゐる出し物が、案外、見物にも受け、批評家の賞讃を浴びたといふのは、偶々、それが、「演劇的」といふ点で、自分たちの気づかない魅力を発揮したからだ。この消息を自覚し、遅蒔きながら、「演劇の本質」を探究して、自分たちの仕事を建て直す意気さへあれば、彼等はまだ救はれるのだ。見物たる諸君も、救はれるのだ、われわれ作者は勿論……」

 新劇関係者の一人が、若し仮に私を捉へて、かういふ詰問をしたとする──「君は、本質本質と云ふが、一体、何を指して本質といふのか。君は、コポオとやらの言を藉りて、演劇の本質は、古今の偉大な戯曲中に含まれてゐるといふが、われわれは、その偉大な戯曲をこれまで屡々手がけて来た。そして成功して来た。だから、今猶、それを全世界に探し求めてゐるのだ。偉大な戯曲といふものは無数にあるものではない。殊に、現代の演劇が、常に、古典の上演に終始するやうでは、なんのための新劇であるか。われわれの芝居が、仮に、『演劇として』面白くないとすれば、その罪は、当今、傑れたる劇作家が出ないことにあるのだ」

 私は、答へるであらう。──

 本質についての問答は、別の議論になる。早く云へば水掛論だ。諸君が、既に、それを体得してゐるといふなら、また何をか云はんやだ。私は、ただ、それを疑ひつづけ、今、やつと、否定するところまで来てゐる。ただ、反問することを許されるなら、諸君が今まで手がけて来た古今の大戯曲が、見物を感動させ、面白がらせた原因はどこにあると思ふ。それが、大戯曲であつたためではないか。それならなにも、諸君の手を煩はすに及ばないことだ。それよりも、心を虚くして、その大戯曲の上演に遺憾の点がなかつたか、そして、そこから諸君は何を学んだか、何を掴んだかを省みてみ給へ。その学んだもの、掴んだものが、今日の仕事のうちで如何に生かされてゐるかを考へてみ給へ。私の見るところでは、例へばイプセンで成功したものは、次の出し物の何たるを問はず、再び、イプセンの殻を背負つた舞台を見せようとしてゐるだけだ。諸君は、過去のやや得意な舞台を、その舞台の幽霊を、「演劇とは縁も由緒もない一種の影」を、後生大事に引摺つてゐる。イプセンの「戯曲的なもの」「演劇的なもの」は、最初から、半分以上棄てて顧みなかつた諸君は、その自ら演じた舞台の記憶の中に、何を残してゐるか。イプセン張りの思想と、人物と、わざわざ生硬にされた理窟つぽい会話の調子と、諾威の灰色の空だけだ。これが、「演劇の本質」とどう関係がある。よろしい。偉大な戯曲といふものは、ざらにあるもんぢやない。しかし、「面白い舞台」は、西洋にはざらにある。諸君の目指してゐるのは、それなのではないか。「面白い戯曲」が面白くなくなるとすれば、それは誰の罪なのだ。「つまらない戯曲」が、「面白い芝居」になる例を私は、若干知つてゐる。これは、どういふ訳だ。

 はつきり云はう。人間が生きてゐるといふ事実、そして、その「人間」が生きてゐるのを感じるといふことが、先づ、われわれにとつて第一の「興味」である。しかも、今眼前に、その「人間」の一人が、われわれの「夢」をも生活して見せるといふ神秘な芸当は、更に大きな「見もの」である。彼は「語り」彼は「動く」。彼が何を語り、何のために動くかといふことよりも、彼が如何に語り、如何に動くかといふことが、この興味の重点である。なぜなら、われわれは、この「人間」が幸福であらうと不幸であらうと、善人であらうと悪人であらうと、自分は固より、この世の誰彼に何の係りもないことを知つてゐるからだ。われわれは、ただ、一つの魂の微妙な韻律、その韻律の奇怪にして自然な交響楽に耳を澄ます。過去と未来、夢と現実、表と裏の、かの無限に拡大された生活の相と、その生活刻々の「呼吸」に触れ、空間と時間を超越して、所謂、「心理的リリシズム」の陶酔に浸れればいいのだ。それゆゑ、その「人間」は、何等かの意味に於て、人間としての「魅力」を備へてゐなければならず、言ひ換へれば、俳優とこれが扮する人物との間に、この魅力を最高度に発揮させる用意が必要であり、これさへうまく行けば、「演劇の第一要素」は備つたことになる。裸の舞台の上に、一人の「人間」が、黙つて立つてゐる。それが、なんとなく美しく、眼を惹き、心を躍らせれば、もう既に、それは「演劇的瞬間」である。音曲風に云へば「アン・モオマン・テアトラル」である。断るまでもないが、その「人間」の魅力とは、必ずしも俗にいふ美男美女の類ひを指すのでなく、軒下に佇む身すぼらしい一老婦が、その悩ましい風貌によつて、静かな諦めの眼ざしによつて、又は、過去に積み重ねられた生活の影等々によつてある種の「美しさ」を感じさせることを知らねばならぬ。

 さて、その「人間」が、どういふ人間であるかを、われわれは知りたがる。しかし、その時、その「人間」が歩き出す。何をするんだらうと思ふ。すると、独言を云ひはじめる。突然、もう一人の「人間」が現はれる。双方とも驚いて顔を見合はす……。といふ風に演劇は「進行」するのだが、その「進行」に、今云つたやうな「期待」をもつことは、已むを得ないといふだけで、「演劇的」には、重大なことではない。さういふ「期待」を忘れて、瞬間瞬間の「影と動き」に注意を惹きつけられるやうに、見物は訓練されなければならぬ。それは丁度、音楽の演奏を聴く時の態度である。この次はどんな「音」が出るかといふことばかり「期待」してゐる音楽の聴手は、結局、音楽を味ふ資格がないのと同様である。演劇に携はるものは、この覚悟がなくてはならぬ。「まあ、待て、この先が面白くなるのだ」といふ心持が、諸君にありはせぬか。いつまでたつても新劇が進歩しない原因は、これでほぼわかつたらう。

 私は、可なり、「純粋演劇」の立場から説明をしすぎたやうだ。この文章を綴る動機がそこにあつたわけだが、これは決して、「芝居を面白くなくする」目的で云つたのではない。とかく、「純粋」などといふ言葉はさう聞え易いが、少くとも「演劇」にあつては、「純粋なもの」を見せる努力が一層芝居を「面白くする」最大要件であることを私は断言して憚らない。(一九三三・二)

底本:「岸田國士全集22」岩波書店

   1990(平成2)年108日発行

底本の親本:「現代演劇論」白水社

   1936(昭和11)年1120日発行

初出:「新潮 第三十年第二号」

   1933(昭和8)年21日発行

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2009年95日作成

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