演出について
岸田國士
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以前は単に「舞台監督」と呼ばれてゐた者が、今日では「演出者」といふ名称を与へられ、その下に、更に「舞台監督」なるものや、「演出助手」なるものが従属するやうなシステムを、少くとも新劇団体の間で採用してゐるのは、多分、築地小劇場あたりの「独逸流演出法」から範を取つたものだと思はれるが、近代に於ける演劇革命の一特色が、舞台労役の組織化に在つたとすれば、この大がかりな命令系統の樹立は、あながち無益なことではあるまい。
そこで、私は、この旧称「舞台監督」即ち、今日でいふ「演出者」の仕事について、一つ、実際的な問題を提供してみたいと思ふ。
「演出者」といふ言葉は、仏蘭西語の「metteur en scène」の訳であるらしいから、これは別段、新しい意味に解する必要はあるまい。この言葉は、「mise en scène」即ち「板にかけること」から出たものである以上、寧ろ、一般に用ひられてゐるこの言葉を土台にして考へることにしよう。
元来、演出といふものを、一つの纏つた仕事と解するやうになつたことが、近代殊に、自由劇場以後の習慣であり、また、それら運動の功績であつて、それまでは、寧ろ俳優の演技に附随する衣裳、舞台装置万端の工夫整頓を指すにすぎず、伝統を墨守する仏蘭西の一部劇壇人は、今日もなほ、「mise en scène」と云へば、舞台装置のことと解してゐるくらゐである。旧称「舞台監督」は、無論 Regisseur の訳であつて、これは、独逸と仏蘭西とでは意味が違ひ、仏蘭西では、日本在来の「幕内主任」といふやうな役である。この意味から、最近の「舞台監督」が生れて来たのだとすれば、それはそれでいいわけになる。
何れにしても、今日でいふ「演出」なるものには、既に幾多の議論や主張が出てゐて、「演出法」とか、「演出学」とかいふ固くるしい研究も行はれてゐるやうだが、結局、一人の人間の頭で、好い芝居を作り上げなければならぬといふ己惚れを棄てない限り、どんな理論も学説も、机上に於てしか通用しないのだ。
私は、自分の乏しい経験と仏蘭西に於ける若干の実例に照して、次のやうな結論を導き出した。
一、演出法といふものは、上演すべき脚本の種類性質に応じて、常に、一定ではあり得ない。即ち、演出者の意図を舞台の表面に現はし、そのアイディアに効果の重点をおく方法と、演出者は、ただ舞台の蔭にあつて、作者の意図と俳優の演技に舞台の全生命を托し、この完全な調和融合を計ることをもつて満足する方法と、この両極端の何れにも同一の重要性をおく必要がある。
仮に、前者の方法を取る場合でも、演出者の気紛れから、脚本の本質的生命を無視し、俳優本然の欲求を斥けることは、演劇芸術への冒涜であり、これは、強盗や悪資本家の所業と選ぶところはないのだ。芸術の名に於て、他人の苦痛や迷惑を顧慮しないでよいといふ論法は、断じて許し難いのだ。若し仮に、さういふことをしたければ、他人の脚本など使はずに、自分で台本を作るなり、自分の配下に書かせるなりすればよい。個性ある俳優を使はずに、人形なり、またその名に甘んずる「奴隷」を駆り立てるがよい。かうして生れた一種の専制的演出は、必ずしも、芸術的に無意義なものでなく、その価値は、それ相当に批判されていいのだ。
脚本によつては、演出家の「協力」なくして独自の舞台性を保ち得ないものがある。この時こそ、演出者は、自己の独創的才能によつて、脚本の生命を舞台上に躍動せしむべき機会であるが、そのために、作者の領域にまで踏み込むことは、作者の同意を得ること、必ずしも予期し得られないことはない。
二、次に、演出法といふものは、相手の俳優次第で、これまた、伸縮自在なるべきものである。当然すぎるほど当然なことだが、俳優と演出者との脚本解釈上の一致を見た上で、その俳優の才能、経験、その他特殊な素質に応ずる演出法を採用すべきで、この場合、協議的演出ともなり、指導的演出ともなり、また批評的演出ともなるのである。
協議的演出とは、俳優が相当の地位にあり、演出者はその技能貫禄に対して、ある程度の信頼と尊敬を払つてゐるやうな場合、たとへ演出家としての主張は枉げないまでも、演技一般の問題に関しては、その創意を認め、更に、演出全体に至つても、時として、その意見に耳を藉すといふ態度に出ることである。これは、今日、どこででも実際に行つてゐるのだが、多くは、演出者の「意に反して」をり、甚だその矜恃を傷けられつつ行はれてゐるのだ。若き演出家よ、意を安んじて可なりである。如何なる時代にならうとも、この種演出法は、恐らく、最も重宝なものであり、正当なものであるといふ信念を忘れ給ふな。
指導的演出とは、演出家が、俳優以上に演技的素養をもち、俳優も亦、その演出家を自己の教師なりと信ずる場合に生れる方法で、これは、演出家が、一方俳優である場合か、俳優がづぶの素人である場合かでなければ成り立たない。演技指導には、模範又は一例を示すを原則とし、俳優に非ざる演出家は、絶対に、かくの如きことは不可能だからだ。これも、わかりきつたことだが、従来、日本の新劇は、俳優にあらざる演出家の指導的演出によつて禍され、誤られ、片輪にされ、生彩を失つてしまつた事実に気がつけば、今後どうすればいいかといふことが問題となる筈である。
そこで、最後に、批評的演出といふものについて述べなければならぬ。これは、演出家が一個の演劇理論家であり、また、舞台の実際知識と劇芸術の創造的精神に富むものであれば、彼が俳優としての経験はなくとも、俳優の演技について、暗示的な、啓発的な意見と批判を加へることができる。これは、正しく、敏感な俳優にとつては、へたな指導以上に有りがたいもので、自己の演技を規整する上のみならず、その才能の練磨の上に、貴重な参考となるものである。昔から、稽古の方法はいろいろあるとして、これに作者が立ち会ふといふことは、ある意味に於て必要とされたが、これはつまり、批評的演出の一部を、作者によつて行はしめた実例である。
俳優としての素質さへあれば、この批評的演出の賢明な運用によつて、素人でもある程度の「成績」を挙げ得ることは、もはや疑ふ余地はない。但し、これは、一般には已むを得ない場合であり、また、従つて、新劇なるものの、踏まなければならない道である。
敢て直言すれば、坪内逍遥氏、小山内、土方の両氏は、何れも、その統率下にある俳優を指導する立場にあつたのだが、その指導は、ある一点で、その任を越えてゐたと云へるのである。即ち、演劇に関する他の部門は兎も角、演技の実際的指導を如何にしたかといふ点で、少くとも、今日われわれに大きな疑ひを抱かしめる。恐らく無能な職業的俳優が自ら指導者の地位に立つたよりも、原則として無難であるべき筈だが、事実は、俳優の演技的センスを消滅させ、脚本から直接舞台の生命を嗅ぎ出す能力を衰退させたことは、何と云つても、「無理な指導的演出」の罪であつた。
今でもなほ、若い演出家の仕事を見てゐると、俳優に対して、「その台詞で起ち上れ」とか、「甲がこの台詞を云ひ終つたら、そつちを向いて拳を挙げろ」とか云つてゐるのに対し、俳優は易々諾々、これに従つてゐる。勿論、「なるほど」と思つてやるならそれでいいが、さうでなければ可笑しなものである。そのくせ、俳優が一つの白の言ひ方を明瞭に間違へてゐても、彼は、なんとも注意しないのである。俳優に委せることは、いくらでも外にある。
それなら、批評的演出の具体的例を挙げてみよう。断つておくが、批評も批評のしやうでは、「指導」的になることがあり、それも批評の限界に止つてゐる間は弊害がないのである。
今ここに、甲が乙に対し、
「出て行け」
といふ白を云ふ場面がある。甲の俳優は、戸口を指して、叱るやうに「出て行け」と怒鳴つた。
戸口を指すといふト書は台本にないが、俳優がさういふヂェスチュアを工夫したのだ。演出者の眼に、ふと、それが不自然に映つた。そこで、「君はどうして、戸口を指すか」と問ふてみる。答は「その方が、この人物の心理を的確に表現すると思ふ。第一、出て行く場所を明らかに指定する方が、見物にも、ある期待をもたせ、命令が一種の脅威的な力をもつことになりはせぬかと思ふ。」
が、演出者は、まだ不服だ。それなら寧ろ、頤だけで戸口を指し、低く、決意の籠つた声で云ひ放つた方が、一層効果的だと思ふ。それを俳優に説明する。手を挙げて指すといふことは、古典的な舞台なら兎も角、現実生活に於ては、なんとなく、大袈裟な、それだけ隙のある動作だ。効果が寧ろ反対に、滑稽味を帯びて来る。「さういふつもりでやつてみ給へ」と云ふ。俳優は、すぐにそれをやつてみる。「それぢや、また、まるで駄々つ子だ」。内部的にまだ欠陥があることを指摘し、そこの工夫を希望しておく。相手が素人なら、これくらゐ突つ込んで、「批評」しないと形がつくまい。これで、だんだんに、その呼吸が掴めて行けば、俳優は、「自分の力で役を活かす」ことができるやうになるのだ。他の役を演ずる場合に、前の舞台が知らず識らず役に立つてゐる。いつまでも素人ではゐない。演出は楽になる。いや、それよりも、俳優の個人的演技から次第に眼を放して、舞台全体に注意が向け得るのだ。その時、はじめて、演劇は、一つのオオケストラとなり、演出家の意図は完全に表出されるのだ。
まだ云ひたいこともあるが、これは、私のノオト代りで、所謂、各種「演出法」の名称なども、臨時の名称と考へて欲しい。なほ、最後に、この四つが、常に判然と区別されてゐなければならぬといふ法はなく、いろいろな条件によつて、彼此混用することもあつていいだらう。ただ、ある演出の根本方針は、その何れかにおかれねばならず、「意志に反して」それが行はれることがあつてはならぬといふまでである。(一九三三・一)
底本:「岸田國士全集22」岩波書店
1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「劇作 第二巻第一号」
1933(昭和8)年1月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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