三八年の女性はかく生きよ!
岸田國士


 事変が起ると同時に、各婦人団体の活躍が急にめざましくなり、何々婦人会の襷をかけた婦人達が、出征兵士の送迎に慰問に飛び歩いてゐるのは、一応婦人の国家的自覚のあらはれとして結構なことゝいはねばならないが、果して婦人のなすべきことはこれに尽きてゐるだらうか。

 今度のやうな大きな事変にぶつつかれば女性も目の前の力に推され、これに適応して行くのは自然なことであるが、今の環境に従ひながらも、将来の成行に対してはつきり眼を開いてゐて貰ひたい。かういふ状態が今後半年一年、或ひはそれ以上も続いたとしたら世の中はどういう風になるか、はつきりいへば社会がどの程度まで文化的後退をするか、これは全部が全部女性の責任ではないが、女性が銃後を護る大きな力である以上、その覚悟如何では、大いに食ひとめることのできる問題だと思ふ、この意味からいつて今年は特に文化的方面での女性の自覚と努力とを期待したい。

 直接政治や経済の方面に利害関係を持つのは男性で、実生活もどうしてもその方に引づられることが多い。この男性の弱点とでもいふやうなものを、女性の立場から、独特の微妙なはたらきによつてリードして行つて貰ひたい。このはたらきの強弱が文明社会の高度を律するものではないかと考へられる。

 現在のやうな文化の危機を生んだ原因には近いものと遠いものと二つある。近因については現在盛んに述べられてゐる通りであるが、遠因は要するに日本の社会制度の欠陥にあるといふことができる。議会制度が腐敗し官僚は独善主義に陥り、知識層は次第に大衆から遊離して行つた、かういふ状態から必然的に生れた一種の社会の風潮が、遂に文化を危機に陥らしめるものを生んだのであり、そこにまた新たな民衆の不幸が始まつたのだと思ふ。

 これはまさに男性の責任である。立身出世主義を目標とした男性のカルチユアによるものである。これに対して敢然と危機にさらされてゐる日本の文化を擁護することができるのは、男性の中では、わづかに知識層の中の良心的な一部の人々に過ぎないので、どうしても女性の協力と支持を俟たねばならない。

 直接に戦つたり、政治経済の方面に関はりを持つたりすることのない女性も、今度の事変では、家族や近しい人々の中から多くの出征者や戦死者を出し、直接間接に得難い体験を得たことゝ思ふ。この生々しい経験を得た女性たちは、恐らく自然に今までより深い自覚をもつやうになるであらうが、その自覚をうながし、深めるためにも女性は自発的に充分に事変の性質を認識してゐて欲しいものである。それはただ国家主義的な立場からだけいふのではなく、個人々々の社会的生存の意義、といふやうな点からも望みたい事である。

 事変の結果が日本にとつて有利であることを希ふばかりでなく、同時にそれが人類全体の幸福にもなることを祈りたい、また戦争に勝つて、政治上経済上、日本が有利な立場を獲得したとしても、同時に社会の文化が後退しては何にもならない、例へば国民の教育や趣味が低下するとか、道徳が古い時代に逆戻りするやうなことがあつては、国家として取返しのつかない大きな損失だといふことを今のうちからよく頭に入れておきたい。

 これは目前の騒ぎに巻き込まれなければならない男性に強いるよりは、まだ直接の利害におどる必要のない女性に、静かな心で考へておいて貰はねばならないことである。

 多分今年のうちには、戦争がおさまるか、長びくかの見透しもつくであらうが、いづれにしても戦ふ相手は支那の軍閥政府であつて民衆ではない、といふことは今も大いに叫ばれてゐるが、戦ひが長びくにつれて日本の民衆の中に起つてくる敵愾心は否めないものがある。これを正しい方向に導くのに女性の力のあづかること大きいのはいふまでもない。

 要するに女性は徒らに事変の騒ぎの中にまき込まれないで、平静であつて欲しい。今年のうちに来るか、数年後に来るか、とにかく来るべき次の社会、戦ひの終つた後の社会にそなへて、文化を見守り、平和を待ち受ける自覚があつてほしいと思ふ。

底本:「岸田國士全集23」岩波書店

   1990(平成2)年127日発行

底本の親本:「河北新報」

   1938(昭和13)年11

初出:「河北新報」

   1938(昭和13)年11

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2009年1112日作成

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