山本有三氏作「真実一路」について
岸田國士


 婦人雑誌にかういふ本格的な小説が掲載されたことはまさに類例がないのみならず、さういふ小説が、編輯者の期待以上、読者の反響を呼んだといふこともまた、実に画期的であつたといはれてゐる。

 なるほど、山本有三氏の作品は、単に良心をもつて書かれ、熱情と信念をもつて世に訴へんとするところを訴へてゐるばかりではない。主題は平明で厳粛で、祈りの歌に似た昂揚性をもち、しかも、読者の頭次第では、真実の適度の深さにおいて、力強い思想の結実を看ることができるのである。

「真実一路」は、特に、人生の幸不幸、肉親の愛憎、女性の宿命、更に偽りなき魂の昇華について語られた、深刻にして清純、波瀾に富んで、しかも、一望千里の趣を呈する大叙事詩である。

 若き読者は、頁の進むにつれて、胸ををどらし、夢想に耽り、微笑し、さては、声をあげて泣くであらう。世間の親は義平の心境に粛然と己れを省み、睦子と共に、希望とはなんであるかを知るであらう。

 作者の創造になる人物は、何れも平凡な生活者ではあるが、稀にみる豊富な生命感によつて各々紙上に躍動し、微妙な心理の綾が、息づまるやうな光景をいたるところに現出して、物語の興味を倍加させてゐるのは、流石に老巧非凡な手腕を思はせるが、わけても、少年義夫の描写は、観察の妙と作者の父性的愛情によつて、その技、神に達すといふべきであり、最後の運動会の場における象徴的な挿話は、全篇のフイナーレとして、少年義夫の輝かしい「青春の像」を浮き出させてゐる。近代悲劇の好模範と称してよからう。

 山本有三氏は、要するにこの一作によつて、更に古典的な新風をわが文壇にもたらしたといへるが、氏の健康をいくたびか案じさせた長日月の努力が、やうやく酬いられて、今、この美装の名篇を机上に見る愉快は、また格別である。

底本:「岸田國士全集23」岩波書店

   1990(平成2)年127日発行

底本の親本:「東京日日新聞」

   1936(昭和11)年1111

初出:「東京日日新聞」

   1936(昭和11)年1111

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2009年1112日作成

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