演劇アカデミイの問題
国立俳優学校の提唱
岸田國士
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一
演劇と映画とはどんな関係にあるか? これを理論的にでなく、実際的に、私は考へてみる。西洋では、演劇が先に生れ育ち、映画は、そこから養分と材料を仕入れたのである。日本では、在来の演劇が、新しい映画に何ものを提供したか? なにも提供してゐないと云つていゝ、若干の橋渡しにしたかも知れぬが、それが却て、今日、日本映画の健全な発達を妨げてゐるのである。といふことは、日本の演劇が、所謂「新劇」を含めて、映画より一歩も進んでゐないといふことである。意図に於ては格段の違ひがあるが、実質に於て、先輩面はできないのである。何が欠けてゐるか。簡単に云へば、俳優である。舞台の経験が、本格的訓練を伴つてゐないために正しい演技の感覚を喪失してゐるのである。
ところで、現在では、新劇といふものは、その純粋な文化的使命にも拘らず、実際に於て、大衆にも、資本にも、国家の権力階級にも見はなされてゐる。これは困つたことだが、責任のもつて行きどころがない。つまり不覚な失策のために信用を堕した人間のやうなものである。個人的には名誉恢復もできるだらうが、事「運動」に関しては呼びかける相手がないのである。私の意見では、こゝでひとつ、戦術を変へてみるより外はないと思ふ。つまりそれは、時代の寵兒たる「映画」を先頭に立てることである。幸ひこの弟は兄貴思ひである。大きくなつたらきつと兄貴の苦労を察してくれるであらう。
といふとなんだかじめ〳〵弱音を吐くやうだが、決してさういふわけではない。今日、映画を育てるといふことは、やはり、演劇と共通なものを育てるといふことになると云ふ意味である。
二
さて、映画ならば肩を入れようといふものに、現在、資本家の外に、国家と民衆があるのである。どういふ風に肩を入れて貰ふか、それは、映画関係者と共に、われわれも注文を出す権利があると思ふ。合理的で、且つ、永久性のある俳優養成機関を先づ第一に作つて貰ひたい。
なぜかといへば、もう既に、今日の情勢では、既成の映画会社は勿論、演劇の如何なる組織も、それが民間の事業である限り、われ〳〵が求めるやうな人材を吸収する条件を具へることは困難だといふことである。官尊民卑の弊風にその原因を帰することは容易であるが、これを是正する方策は演劇運動の線とは凡て離れたところに存在するやうである。
国民の気風が改まるのを待つ意志と、日本の新文化建設途上に於けるアカデミズムの功績を認める寛容さとを、同時に示すことは決して矛盾しないと信ずるから、私は、寧ろ、かの美術と音楽に対して与へた明治政府のインテレストを、演劇映画の部門に於て、遅まきながら今日、昭和非常時の統制気運のなかにみることを切望するものである。
こゝで、はしなくも思ひ起すのであるが、かのナポレオンは、モスクワ遠征の陣中に於て、有名な「国立劇場条令」なるものを起草せしめたといふ記録である。乱にゐて治を忘れない文化魂は、西欧武人政治家の嗜みとして、甚だ興味ある話題だと信ずるが、わが日本の歴史にも、これに似た例を残すのは、後世、民族的誇りの一つを加へることになるかも知れないのである。
三
それはともかく、演劇、殊に映画の時代的役割を考へたら、流行風に云つても、文明国の面目上、官公立のアカデミイひとつないといふ法はないではないか。早稲田大学関係者は、早くも国立劇場の建設を提唱してゐるが、これは、順序として少し待つて欲しい。中身のない国立劇場は可笑しいのである。能や歌舞伎を保護するといふ名目は、日本文化宣揚を口癖にする保守的愛国者の気に入るだけである。現代はなによりも国民の精神的怠惰と戦はねばならぬ。祖先の遺産に恋々たるよりも、民族の創造的努力を鼓舞することによつて、世界の知的水準を抜く野心こそ青年日本の意気でなければならぬ、国立劇場は古典劇場の別名ではない筈である。
過剰な国粋主義こそは、新興芸術の敵なのである。この一点で、私は、国立劇場即時建設案の賛否を保留する。そして、この案の提唱者も恐らくは合流するであらうところの、国立(或は官公立)演劇映画専門学校の創設案を、先決的に考究せられんことを当局に希望する次第である。
そして、私が、かゝる潜議な提議を、特に本紙を通じてなす所以は、本紙の読者諸氏を以て、最も有力かつ誠実なる支持者と見做す理由があるからである。
底本:「岸田國士全集23」岩波書店
1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「帝国大学新聞」
1936(昭和11)年11月2日
初出:「帝国大学新聞」
1936(昭和11)年11月2日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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