シャルル・ヴィルドラックについて
岸田國士
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「演劇の本質は、古来の劇的天才が、その不朽の作品中に遺憾なく之を盛つてゐる。吾々は、その本質を探求吟味して、之を完全に舞台の上に活かし、あらゆる不純な分子を斥けて、真に演劇の光輝と偉大さとを発揮せしめよう」──此の主張の下に生まれたのが、ヴィユウ・コロンビエ座である。新奇を衒ふ似而非芸術家と、因襲を墨守する官学的芸術家への目覚ましい挑戦である。
わがシャルル・ヴィルドラックは、此の運動から生まれた最も注意すべき作家の一人である。
彼は既に詩人として特異の地位を占めてはゐたが、大戦後「商船テナシチイ」がヴィユウ・コロンビエの舞台に於て華々しい成功を収めてから、一躍、劇作家としての確乎たる地歩を築くに至つた。
やがて、同じ舞台で、「ミシェル・オオクレエル」が上演された。「われらをより善きものたらしめるまで感動を与へる作」として、劇評家は一斉に此の「地味で素直な」傑作を賞揚した。
当今、欧洲の芸術界に様々な波紋を捲き起しつつあるかの近代主義の運動、その渦中にあつて、わがヴィルドラックの如きは、その思想及び表現の点から見て、凡そ新奇なるものに面をそむけてゐるらしく思はれる。しかも、その作中に漲る一脈清新の気は、抑も何処から来るのであらう。
「商船テナシチイ」「寂しい人」「ミシェル・オオクレエル」「巡礼」等の諸作を通して見たる戯曲家ヴィルドラックは、その緻密なる写実的手法を裏づけるに、かの詩人のみがよくなし得るところの「魂の直観」を以てした。彼は、「平凡」のうちに真理を、「単純な心」のうちに、尊き生命を見出した。
かすかに片鱗を見せてゐる左傾的な批評精神は、寧ろ宗教と背中合せのものであるに拘らず、彼の本性とも見るべき人間的なつつましい愛によつてしめやかな光を放ち、何人の心をも潤はせずにはおかない。
彼は最も真面目な意味に於ける「真面目な作家」である。
その「真面目さ」は、「学校に行くことの好きな模範学生」のそれではなく、「学校に行くことは嫌ひであるが、学校から帰つて来て、母親の笑顔を見るのがうれしくてたまらない小学生」の真面目さである──と、或る批評家は云つてゐる。
彼は実に、写実主義が生んだ唯一の理想主義者であり、その作品は、自然主義の筆を以て描かれた人生の最初の「美しき半面」であらう。
底本:「岸田國士全集20」岩波書店
1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「近代劇全集 第十八巻」第一書房
1927(昭和2)年6月10日発行
初出:「近代劇全集 第十八巻」第一書房
1927(昭和2)年6月10日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年2月20日作成
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