玉突の賦
岸田國士



「いくつお突きなります」

「さあ、しばらく突かないんですが……」

 玉突く男は曲者。

 三十? 四十? 五十? …………

「ぢや、百にして見て下さい」

 ──こいつ、百なもんか!


「どうぞ」

「さうですか」

 コツン、コツリン……。

 ──ふたあつ……。

 コチツ、ポツン……。

 ──ふたつ当り……。

 やれ、やれ。


「しつかりおやんなさいよ」──ゲーム取りのおきみちやんが眼で怒鳴る。

 まづ、煙草を一ぷく。

 ──いつうつ…………なゝあつ…………とおお…………十三…………十六…………

 おれは時間を空費してゐる。


 こいつは上等な××タマだ。

 厚く当れば開く。

 薄く舐めれば棒になる。

 押せば狂ふ。

 引けば逃げる。

 こいつは上等な××タマだ。

 が、扨て、弱つた。


 そつとからクシヨン。

 ──よせ、よせ。

 軽くマツセ。

 ──あぶない。

 えゝい、まゝよ、ピチン。

 くそ、ミツスか。


「おきみちやん、ぼく、あといくつ?」

「まだ一本返りません」

「むかうさんは?」

「十八ゲーム」

「むかうさんも、お当りにならないな」

「おつと、そこには、お茶碗があつてよ」


「大まわし…………」

「いや、まづ、こつちから…………」

 こいつ、きたたい。

「引つ張つた!」

「先玉が帰つて来ない」

 うそつけ。

「当りゲーム」

「どうぞ」

「失礼」

 なんだ、あの腰つきは。

 おきみちやんが、鉛筆をしやぶり出した。


「百ぢや、少しお強かない、この方?」

 おきみちやん、察してくれ。

 おれも男だ。

 おまへは女だ。

 おきみちやん、この方は泥棒だよ。


 牧場のやうな緑色の羅紗の上を、魂のやうに、白玉と赤玉とが、緩く、速く、思ひ思ひの方角に走つて行く。

 電燈がつけば、ぱツと象牙の肌が光る。

 おきみちやんが、しびれた股のあたりを撫ではじめる。

 水色の襟に囲まれた、その三角の胸が波をうつ。


「もう一度いかゞ」

 男と男とは、敵意と友情とをほどよく交へた眼で、さりげなく笑ひ合ふ。

「いざ」

「いざ」

 棒を取つて立ち上る。

 この槍で、あの胸元を、やツと一と突き。

 待て、待て、チヨークがついてない。


「どうぞ」

「お先へ」

 無銭遊興者の後姿は寂しい。

 彼も遂に、道楽の味を解しないと見える。

 そして、このおれに、二度頭を下げた彼

 憫れむべき無銭遊興者、この野郎!

 おきみちやん、もう何んとか云へよ。


 寄せては散らし、散らしては寄せ……

 あゝ、此の妙技、老ひたる母に見せたし。

 彼女は云ふならん──

「お前、何時の間に、そんなに玉突が上手になつたんだえ」と。

 おれは云ふならん──

「えゝ、でも、もつと上手な人がゐますよ」

「ほんとかい」と彼女は、疑ふならん。

 それから、わが愛する妻に見せたし。

 彼女は云ふならん──

「まあ、あなた、玉突が、そんなにお上手だつたの」と。

「うん、なあに、これくらゐはね」


 仏人オマアル氏著「球戯考」の序文に曰く

 ──春宵朗らかに球を撞けば、胸に愁ひあるを忘れ、秋夕粛やかにキユウを滑らせば、頭痛忽ちにして去る──と。

 オマアル氏よ、貴国には、帽子を被りたるまゝ、それも鳥打を阿弥陀に、ノンシヤラシヤラとウスキンを覘ふ男ありや。


 コチン、ストン……。

 ブル、ブル、ブル……火事でも起れ。


 来たぞ、万年玉が。

「みいつ…………むうつ…………こゝのおつ…………十二…………十五…………」

 二つの赤玉が親しげに寄り添つてゐる。

 一つが動けば、もう一つも、慌てゝからだをすりつける。

 寄つたはずみに、軽くキツス。

 手玉は、しつつこく、二人の肩を小突く。

 小突かれて、またキツス。

 白玉が、一つ離れて、向うの隅に、クツシヨンの陰に、ぼんやり蹲んでゐる。

 手玉が、それを呼びに行くと、拗ねて、くるりと、逆にまはる。

 手玉は、気を腐らして、ぶらぶらと道草を食ふ。やがて、途中で寝そべる。


「はい、お茶、よく出なくつて、どうも」

 湯上りのお神さん

 独り者にしては、はしやぎすぎるお神さん

「今日は如何です」

「…………」

「お当りですか」

 見ればわかる──と云はずに、

「お神さんは、一体いくつ……」

「へ?」


 押しクツシヨン

 ひねり込み

 縦返し、切り返し

 初キユー突つ切り

 当り残り

 一たて、二たて、三たて

 一あがり、二あがり、…………三さがり。

 ──裏は「初音」か、「ことぶき」か。


「××さん、こちらとお一つ……」

 こちらと云はれた無髯の大男

 やをら

 棒のしごき、あざやかに

「御免」──と

 たゞものならず。

 おきみちやん、これも

 裾を合せて、坐り直せば

 もう、寄せ玉

 せりにせる面憎くさ。

 カラコロ カラコロ

 冬の夜更けの下駄の音

 コツコツコツ

 石屋の職人

 カチツカチツ

 高天ヶ原

 ポカポカポカ

 あやまつた あやまつた


「二百みツつう、二百むツつう…………」

 湯上りの

 お神さんの銀煙管が

 キラキラキラ

 モールス符号

 ──ざ……ま……み……ろ……


 タッチ……占めた。

 しやら臭い、カラマッセ

 スルスル、クルリ

 旅費が足らない

 残飯頂戴。


「ふたッつう、よッつう…………」

 さて、弱つた。

 引つ掛け?

 押し抜き?

 まゝよ、鉄砲……。

 手玉、死なず

 先玉、返らず

 赤々はかぶり

 半押しは、近すぎてリク

 さて、弱つた。


 むかうさんは

 頤を一と撫で

 裏模様の

 錦紗の

 襦袢の袖で

 眼鏡を一と拭き

 ──にやり──

「お神さん、熱いお茶を一杯」

 おきみちやん、助けてくれ。


「今のは、なんだい」

「あれはねえ…………」

 と、おきみちやんは意味ありげに

 お神さんの顔をのぞけば

 お神さんは案外落ちついて

「玉ゴロですよ」


 老いたる母よ

 愛する妻よ、子らよ

 われは、一生、玉を突かじ。

 昨日までは

 膳に向へば

 茶碗や皿が赤玉白玉

 道を歩けば

 行きかふ男女が赤玉白玉

 空を仰げば

 輝く星が赤玉白玉

 そればかりか

 寝言にまで

「や、しまつた!」などゝ

 おろかにも口走り

 一も玉、二も玉、三も玉

 玉ならでは夜も明けね上気のぼせかた

 それが、今日は

 玉ゴロの

 高が知れた棒先に

 まんまと翻弄され

 髭の手前

 怒れもせず、泣けもせず

 と云つて

 あつさり笑ふほど可笑しくもなし

「また、あすの晩」

 かう云つて外には出たが

 水溜りを

 除けて歩くのが

 妙に自尊心を傷けるやうで

 ジャブリ ジャブリ

 泥をこね返せば

 夜気

 そゞろに身にせまり

 壱円六拾銭

 人形でも買ふんだつたと

 ステッキを、やけに振る。

底本:「岸田國士全集20」岩波書店

   1990(平成2)年38日発行

底本の親本:「言葉言葉言葉」改造社

   1926(大正15)年620日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※片仮名の拗促音の大書き、小書きは底本通りにしました

入力:tatsuki

校正:門田裕志、小林繁雄

2006年219日作成

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