林の底
宮沢賢治
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「わたしらの先祖やなんか、
鳥がはじめて、天から降って来たときは、
どいつもこいつも、みないち様に白でした。」
「黄金の鎌」が西のそらにかゝつて、風もないしづかな晩に、一ぴきのとしよりの梟が、林の中の低い松の枝から、斯う私に話しかけました。
ところが私は梟などを、あんまり信用しませんでした。ちょっと見ると梟は、いつでも頬をふくらせて、滅多にしゃべらず、たまたま云へば声もどっしりしてますし、眼も話す間ははっきり大きく開いてゐます、又木の陰の青ぐろいとこなどで、尤もらしく肥った首をまげたりなんかするとこは、いかにもこゝろもまっすぐらしく、誰も一ペんは欺されさうです。私はけれども仲々信用しませんでした。しかし又そんな用のない晩に、銀いろの月光を吸ひながら、そんな大きな梟が、どんなことを云ひ出すか、事によるといまの話のもやうでは名高いとんびの染屋のことを私に聞かせようとしてゐるらしいのでした、そんなはなしをよく辻棲のあふやうに、ぼろを出さないやうに云へるかどうか、ゆっくり聴いてみることも、決して悪くはないと思ひましたから、私はなるべくまじめな顔で云ひました。
「ふん。鳥が天から降ってきたのかい。
そのときはみんな、足をちゞめて降って来たらうね。そしてみないちやうに白かったのかい。どうしてそんならいまのやうに、三毛だの赤だの煤けたのだの、斯ういろいろになったんだい。」
梟ははじめ私が返事をしだしたとき、こいつはうまく思ふ壺にはまったぞといふやうに、眼をすばやくぱちっとしましたが、私が三毛と云ひましたら、俄かに機嫌を悪くしました。
「そいつは無理でさ。三毛といふのは猫の方です。鳥に三毛なんてありません。」
私もすっかり向ふが思ふ壺にはまったとよろこびました。
「そんなら鳥の中には猫が居なかったかね。」
すると梟が、少しきまり悪さうにもぢもぢしました。この時だと私は思ったのです。
「どうも私は鳥の中に、猫がはひってゐるやうに聴いたよ。たしか夜鷹もさう云ったし、烏も云ってゐたやうだよ。」
梟はにが笑ひをしてごまかさうとしました。
「仲々ご交際が広うごわすな。」
私はごまかさせませんでした。
「とにかくほんたうにさうだらうかね。それとも君の友達の、夜鷹がうそを云ったらうか。」
梟は、しばらくもぢもぢしてゐましたが、やっと一言、
「そいつはあだ名でさ。」とぶっ切ら棒に云って横を向きました。
「おや、あだ名かい。誰の、誰の、え、おい。猫ってのは誰のあだ名だい。」
梟はもう足を一寸枝からはづして、あげてお月さまにすかして見たり、大へんこまったやうでしたが、おしまひ仕方なしにあらん限り変な顔をしながら、
「わたしのでさ。」と白状しました。
「さうか、君のあだ名か。君のあだ名を猫といったのかい。ちっとも猫に似てないやな。」
なあにまるっきり猫そっくりなんだと思ひながら、私はつくづく梟の顔を見ました。
梟はいかにもまぶしさうに、眼をぱちぱちして横を向いて居りましたが、たうとう泣き出しさうになりました。私もすっかりあわてました。下手にからかって、梟に泣かれたんでは、全く気の毒でしたし、第一折角あんなに機嫌よく、私にはなしかけたものを、ひやかしてやめさせてしまふなんて、あんまり私も心持ちがよくありませんでした。
「じっさい鳥はさまざまだねえ。
はじめは形や声だけさまざまでも、はねのいろはみんな同じで白かったんだねえ。それがどうして今のやうに、みんな変ってしまったらう。尤も鷺や鵠は、今でもからだ中まっ白だけれど、それは変らなかったのだらうねえ。」
梟は私が斯う云ふ間に、だんだん顔をこっちへ直して、おしまひごろはもう頭をすこしうごかしてうなづきながら、私の云ふのに調子をとってゐたのです。
「それはもう立派な訳がございます。
ぜんたいみんなまっ白では、
ずゐぶん間ちがひなども多ございました。
たとへばよく雉子や山鳥などが、うしろから
『四十雀さん、こんにちは。』とやりますと、変な顔をしながらだまって振り向くのがひはだったり、小さな鳥どもが木の上にゐて、
『ひはさん、いらっしやいよ。』なんて遠くから呼びますのに、それが頬白で自分よりもひはのことをよく思ってゐると考へて、憤ってぷいっと横へ外れたりするのでした。
実際感情を害することもあれば、用事がひどくこんがらかって、おしまひはいくら禿鷲コルドンさまのご裁判でも、解けないやうになるのだったと申します。」
「いかにも、さうだね、ずゐぶん不便だね。でそれからどうなったの。」
(あゝ、あの楢の木の葉が光ってゆれた。たゞ一枚だけどうしてゆれたらう。)私はまるで別のことを考へながら斯うふくろふに聴きました。ところが梟はよろこんでぼつぼつ話をつゞけました。
「そこでもうどの鳥も、なんとか工夫をしなくてはとてもいけない、こんな工合ぢゃ鳥の文明は大ていこゝらでとまってしまふと、口に出しては云ひませんでしたが、心の中では身にしみる位さう思ひつゞけてゐたのでございます。」
「うんさうだらう。さうなくちゃならないよ。僕らの方でもね、少し話はちがふけれども、語について似たやうなことがあるよ。で、どうなったらう。」
「ところが早くも鳥類のこのもやうを見てとんびが染屋を出しました。」
私はやっぱりとんびの染屋のことだったと思はず笑ってしまひました。それが少うし梟に意外なやうでしたから、急いでそのあとへつけたしました。
「とんびが染屋を出したかねえ。あいつはなるほど手が長くて染ものをつかんで壺に漬けるには持って来いだらう。」
「さうです。そしていったいとんびは大へん機敏なやつで勿論その染屋だって全くのそろばん勘定からはじめましたにちがひありません。いったい鳶は手が長いので鳥を染壺に入れるには大へん都合がようございました。」
あっ、私が染ものといったのは鳥のからだだった、あぶないことを云ったもんだ、よくそれで梟が怒り出さなかったと私はひやひやしました。ところが梟はずんずん話をつゞけました。それといふのもその晩は林の中に風がなくて淵のやうにひそまり西のそらには古びた黄金の鎌がかかり楢の木や松の木やみなしんとして立ってゐてそれも睡ってゐないものはじっと話を聴いてるやう大へんに梟の機嫌がよかったからです。
「いや、もう鳥どものよろこびやうと云ったらございません。殊にも雀ややまがらやみそさざい、めじろ、ほゝじろ、ひたき、うぐひすなんといふ、いつまでたっても誰にも見まちがはれるてあひなどは、きゃっきゃっ叫んだり、手をつないだりしてはねまはり、さっそくとんびの染屋へ出掛けて行きました。」
私も全くこいつは面白いと思ひました。
「いや、さうですか。なるほど。さうかねえ。鳥はみんな染めて貰ひに行ったかねえ。」
「えゝ、行きましたとも。鷲や駝鳥など大きな方も、みんなのしのし出掛けました。
『わしはね、ごくあっさりとやって貰ひたいぢゃ。』とか、
『とにかくね、あんまり悪どい色でなく、まあせいぜい鼠いろぐらゐで、ごく手ぎはよくやって呉れ』とかいろいろ注文がちがって居ました。鳶ははじめは自分も油が乗ってましたから、頼まれたのはもう片っぱしから、どんどんどんどん染めました。
川岸の赤土の崖の下の粘土を、五とこ円くほりまして、その中に染料をとかし込み、たのまれた鳥をしっかりくはへて、大股に足をひらき、その中にとっぷりと漬けるのでした。どうもいちばん染めにくく、また見てゐてもつらさうなのは、頭と顔を染めることでした。頭はどうにか逆まにして染めるのでしたが、顔を染めるときはくちばしを水の中に入れるのでしたから、どの鳥もよっぽど苦しいやうでした。
うっかり息を吸ひ込まうもんなら、胃から腸からすっかりまっ黒になったり、まっ赤になったりするのでしたから、それはそれは気をつけて、顔を入れる前には深呼吸のときのやうに、息をいっぱいに吸ひ込んで、染まったあとではもうとても胸いっぱいにたまった悪い瓦斯をはき出すといふあんばいだったさうです。それでも小さい鳥は、肺もちひさく、永くこらへて居れませんでしたから、あわてて死にさうな声を出して顔をあげたもんだと申します。こんなのはもちろん顔が染まりません。たとへばめじろは眼のまはりが染まらず、頬じろは両方の頬が染まって居りません。」
私はこゝらで一つ野次ってやらうと思ひました。
「ほう、さうだらうか。さうだらうか。さうだらうかねえ。私はめじろや頬じろは、自分からたのんであの白いとこは染めなかったのだらうと思ふよ。」
梟は少しあわてましたが、ちょっとうしろの林の奥の、くらいところをすかして見てから言ひました。
「いゝえ、そいつはお考へちがひです。たしかに肺の小さなためです。」
こゝだと私は思ひました。
「さうするとどうしてあんなにめじろも頬白も、きちんと両方おんなじ形で、おんなじ場所に白いかたが残ってゐるだらうね。あんまり工合がよすぎるよ。息がつゞかないでやめたもんなら、片っ方は眼のまはり、あとはひたひの上とかいふ工合に行きさうなもんだねえ。」
梟はしばらく眼をつむりました。月光は鉛のやうに重くまた青かったのです。それからやっと眼をあいて、少し声を低くして云ひました。
「多分両方べつべつに染めましたでせう。」
私は笑ひました。
「両方別々なら尚更をかしいぢゃないかねえ。」
梟はもうけろっと澄まして答へました。
「をかしいことはありません。肺の大さははじめもあとも同じですから、丁度同じころに息が切れるのです。」
「ふん、さうだらう。」私は理くつは尤もだ、うまく畜生遁げたなと心のうちで思ひました。
「こんな工合で。」梟は云ひかけてぴたっとやめました。どうも私にいまやられたのが、しゃくにさはってあともう言ひたくないやうでした。すると今度は又私が、梟にすまないやうな気になりました。そこで言ひました。
「そんな工合でだんだんやって行ったんだねえ。そして鶴だの鷺だのは、結局染めなかったんだねえ。」
「いゝえ。鶴のはちゃんと注文で、自分の好みの注文で、しつぽのはじだけぽっちょり黒く染めて呉れと云ふのです。そしてその通り染めました。」
梟はにやにや笑ひました。私は、さっきひとの云ったことを、うまく使ひやがったなとは思ひましたが、元来それは梟をよろこばせようと思って云ったことですから、私もだまってうなづきました。
「ところがとんびはだんだんいゝ気になりました。金もできたし気ぐらゐもひどく高くなって来て、おれこそ鳥の仲間では第一等の功労者といふやうな顔をして、なかなか仕事もしなくなりました。尤も自分は青と黄いろで、とても立派な縞に染めて大威張りでした。
それでもいやいや日に二つ三つはやってましたが、そのやり方もごく大ざっぱになって来て、茶いろと白と黒とで、細いぶちぶちにして呉れと頼んでも、黒は抜いてしまったり、赤と黒とで縞にして呉れと頼んでも、燕のやうにごく雑作なく染めてしまったり、実際なまけ出したのでした。尤もそのときは残ったものもわづかでした。烏と鷺とはくてうとこの三疋だけだったのです。
烏は毎日でかけて行って、今日こそ染めて貰ひたい今日こそ染めて貰ひたいとしきりにうるさくせつきました。
明日にしろよ、明日にしろよ、と鳶がいつでも云ひました。それがいつまでも延びるのです。
烏が怒って、たうとうある日、本気に談判をしたのです。
『一体どう云ふ考だい。染屋と看板がかけてあるからやって来るんだ。染屋をよすならきちんとやめてしまふがいゝ。何日たっても明日来い明日来いぢゃもう承知ができない。染めるんならもうきっと今すぐやって呉れ。どっちもいやならおれも覚悟があるから。』
鳶はその日も眼を据ゑて朝から油を呑んでゐましたが斯う開き直られては少し考へました。染屋をやめても、金には少しも困らんが、たゞその名前がいたましい。やめたくもない。けれどもいまごろから稼ぎたくもないしと考えながらとにかく斯う云ひました。
『ふん、さうだな。一体どう云ふふうに染めてほしいのだ。』
烏は少し怒りをしづめました。
『黒と紫で大きなぶちぶちにしてお呉れ。友禅模様のごくいきなのにしてお呉れ。』
とんびがぐっとしゃくにさはりました。そしてすぐ立ちあがって云ひました。
『よし、染めてやらう。よく息を吸ひな。』
烏もよろこんで立ちあがり、胸をはって深く深く息を吸ひました。
『さあいゝか。眼をつぶって。』とんびはしっかり烏をくはへて、墨壺の中にざぶんと入れました。からだ一ぱい入れました。烏はこれでは紫のぶちができないと思ってばたばたばたばたしましたがとんびは決してはなしませんでした。そこで烏は泣きました。泣いてわめいてやっとのことで壺からあがりはしましたがもうそのときはまっ黒です。烏は怒ってまっくろのまま染物小屋をとび出して、仲間の鳥のところをかけまはり、とんびのひどいことを云ひつけました。ところがそのころは鳥も大ていはとんびをしゃくにさはってましたから、みな一ぺんにやって来て、今度はとんびを墨つぼに漬けました。鳶はあんまり永くつけられたのでたうとう気絶をしたのです。鳥どもは気絶のとんびを墨のつぼから引きあげて、どっと笑ってそれから染物屋の看板をくしゃくしゃに砕いて引き揚げました。
とんびはあとでやっとのことで、息はふき返しましたが、もうからだ中まっ黒でした。
そして鷺とはくてうは、染めないまゝで残りました。」
梟は話してしまって、しんと向ふのお月さまをふり向きました。
「さうかねえ、それでよくわかったよ。さうして見ると、おまへなんかはまあ割合に早く染めて貰ってよかったねえ、なかなか細く染まってゐるし。」
私は斯う言ひながらもう立ちあがりその水銀いろの重い月光と、黒い木立のかげの中を、ふくろふとわかれて帰りました。
底本:「新修宮沢賢治全集 第十巻」筑摩書房
1979(昭和54)年9月15日初版第1刷発行
1983(昭和58)年4月20日初版第5刷発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年4月2日作成
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