兵営と文学
岸田國士



 こゝで所謂「戦争文学」の話をしようとするのではない。また、軍事教育と文学との関係を論じようとするのでもない。まして、軍人なるものが、如何に文学と関係の深い職業であるかを説かうとするのでもない。たゞ、次のやうな挿話を一括して、之に標題をつけるとすれば、まあ、かういふことにでもするより外ないと思ふのである。


 僕は幼年学校にはひつて仏蘭西語を習ひ始めたが、少し本が読めるやうになり出すとユゴオのレ・ミゼラブルと、ルソオの懺悔録を読んだ。あれでもいくらか解つたものと見えて、その頃親しくしてゐた仲間に、処々の筋などを話して聴かせた。そんなことが級全般に知れ亘つて、「あいつは語学ばかり勉強しちよる。愛国心がなか。それにフランスの小説を読んぢよるさうな。怪しからん奴だ。殴つちやれ」と衆議一決したらしく、或る晩、僕は校庭の一隅に呼び出され、あやふく鉄拳の雨を浴びようとした。その時、先づ僕の罪状を述べ立てる役を引受けた男は、何でも生きた金魚を丸呑みにしたといふ「豪傑」である。僕はしかし、フランス語を勉強するのは、結局国家の為めではないかとかなんとか理屈を捏ね、将来軍事探偵にでもなつて敵地の奥深く侵入するやうな気勢を示したものだから、対手の「豪傑」連もやゝ気が挫けたらしかつた。


 その後、僕はモオパツサンを耽読し始めたが、例の「一生ユヌ・ヴイイ」は女が寝台に寝てその傍に男が跪いてゐる表紙絵のついてゐるもので、流石に、この表紙だけは破いてしまつた。何れにしても、学校では文学書などを読むことは禁ぜられてゐたし、そつと隠れて読むより外しかたがなかつた。しまひには、五六頁づゝ引きはがしてポケツトの中へ忍ばせて置き、野外演習の休憩時間などにも出して読み読みした。ある日、それを区隊長に見つかつて、何を読んでゐると聞かれ、その区隊長があまり語学が達者でなかつたのをいゝことにして、「はい、フランスの野外要務令であります」と答へ、その場を切り抜けたこともある。


 習志野に舎営をしに行つた時、頭が痛いと云つて演習を休み、バラツクの陰に蹲つてツルゲエニエフの「貴族の家」を読んだことを覚えてゐる。その頃の区隊長N中尉はなかなか面白い人で、僕のやうな男は、叱つて見たところで役に立たないと見て取り、常に僕の悦びさうな処罰法を考案した。その時も、あのネルソン版の仏訳「貴族の家」を没収した上、僕を衛兵勤務にまはし、肌寒い秋の一夜を歩哨に立たせ、翌朝日出の時刻を正確に計つて報告せよと命令した。僕はそれで「日は何処から出ますか」と聞いたのである。中尉は顔の下半分で怒り、上半分で笑つてゐた。

 クウプリンの「決闘」を読み、徳富蘆花の「寄生木」を読んだのもその頃である。


 それから間もなく、士官候補生として九州のある歩兵聯隊へはひつた。そこに、一年志願兵でXといふ国学院出身の人がゐて、その人が中学校の先生をしたことがあり、僕にいろいろ国文学の知識を授けてくれたやうである。その人の紹介で、長崎にゐる×泉×といふ「文章のうまい青年」と手紙の往復をしたことがある。これが多分、今日の×泉××氏ではないかと思ふ。

 その頃から、僕は、やうやく文芸雑誌といふものを手にするやうになつた。


 いよいよ少尉の辞令を貰つて、これからは誰にも気兼をせずに本が読めると思つてゐると、或る日、聯隊附中佐が僕を呼んで「貴公は大分本を読んどるやうだが、どんな本を読んどるか、我輩に見せい」といふのである。二度目の催促を受けた時に、「西洋の本ばかりだから、御目にかけてもおわかりになるまい」といふやうなことを云つたら、そのまゝ黙つてゐた。

 然るに、二三日して、僕が同僚と将校集会所で玉を突いてゐると、その中佐がのつこりやつて来て、「おい、岸田少尉、なぜ本を見せんか」といふから、僕は、冗談のやうにして笑つてゐると──実は笑ひながら平気で玉をねらつてゐると──いきなり、そのキユー尾をつかんで、大喝一声、「なぜ返事をせんか」と怒鳴つたものだ。その辺にゐた若い士官達──中には将棋をさしてゐる老大尉も交つてゐたが──一斉に立ち上つて不動の姿勢を取つた。僕は、少してれ気味で、「えゝと、いくつだつけな」と云つた。


 特命検閲といふものがある。大将級の検閲使が中央部から幕僚を大勢引連れて各師団の成績を検べに来るのである。

 その時、検閲使は××宮殿下、首席幕僚が××少将(今の大将)その次が××大佐(今の中将)といふ一行で、聯隊は上を下への騒ぎ、隊長の運命は此の検閲の成績で決まるといふのだから仕方がない。

 僕達は、検閲使の中隊巡視を待ちながら、将校室で煙草をふかしてゐると、遂に順番が来た。中隊長室に検閲使一行がはひり込む。何を見られるか知らといふ不安で中隊長以下片唾を飲んでゐる。すると××大佐の声で「此の中隊には、岸田少尉がゐるんだね。こゝへ呼んで……」

 そこで、尋問がはじまつた。

 ──中隊附将校の職務……?

 ──これこれ……(本に書いてある通りを云ふ)

 ──君は文学をやつとるさうだが、どんな文学かね。

 ──……?

 ──軟文学か、硬文学か?

 ──そんな分類には従つてゐません。

 ──それぢや、カーチユシヤなんかはどうだ。

 此処で僕は、一寸、一座の厳めしい人達の顔を見まはした。

 これはもう十何年も前の話である。今は、憲兵大尉が活動のシネリオを書く時代になつてゐるらしい。

 時代と云へば、その時代は島村抱月の芸術座が、松井須磨子を先頭に立てて地方巡業をしてゐた時代である。

 僕の任地×××の劇場でも「復活」と「剃刀」とを演じた。僕がその芝居を観に行つた唯一人の青年将校であつたことも、後で聯隊長の忌諱に触れた。

 やはりシヨペンハウエルなどをかぢつてゐた同僚の一少尉は、とうとう、芸者とピストル心中をした。

底本:「岸田國士全集20」岩波書店

   1990(平成2)年38日発行

初出:「文芸春秋 第四巻第五号」

   1926(大正15)年51日発行

入力:tatsuki

校正:門田裕志、小林繁雄

2005年106日作成

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