ふらんすの女
岸田國士
|
マダム用応接間にて
──あなた、旦那さんのどういふところに、一番感心してゐらつしやる?
──上手に嘘をつくところ。
──…………?
──あの人の嘘は、それや嘘らしくないの。だから、騙されてゐながら腹は立たないの。
或る日の朝
──出て行けつたら出て行け。
──出て行きますとも……後悔するんぢやありませんよ。
──後悔なんかするもんか。
──もう後悔してるくせに……。
海岸にて
──ねえ、あなた、あたしを愛してる?
──うむ、愛してるよ。
──たくさん?
──うむ、たくさん。
──きつと?
──うむ、きつと。
──こんだ、あたしに訊いて頂戴。
──なんて?
──あなたを愛してるかどうか。
──ぢや、お前、僕を愛してるかい?
──えゝ、愛してるわ。
──どれくらゐ?
──これくらゐ…………(接吻しようとする)
──まあ、待つてくれ。言葉でさ。
──言葉で…………ぢや、死ぬほど。
──…………?
──…………!
──どつちが?
波止場にて
──ぢや、六ヶ月ね、きつと?
──大丈夫だよ。それより長くなるやうだつたら呼び寄せるから…………役所の方にもその話はしてあるんだ。
──六ヶ月でも永いわ。(ハンケチを眼にあてながら)それ以上待たせたら、どんなことになるか、あたし保証しないことよ。
──(心の中にて)神よ、われを護り給へ。
劇場の廊下にて
──細君は?
──細君は旅行中だ。
──…………?
──例のと一緒にさ。
──…………?
──吾輩かい…………? 君、吾輩のボツクスを見なかつたかい?
サロンにて
──君の近作を読んだよ。大したもんだね。
──さうか。奥さんはいかゞです。読んでくださいましたか。
──えゝ、拝見しましたわ。あなたの詩は、あなたほど面白くないのね。
──ひどいなあ。
──あたしたちにはよ。
地下電車の中にて
──さ、どいて下さい。それは車掌専用の腰掛けです。
──君が立つてゐる間だけ借りたんだよ(しぶしぶ立ち上る)
──一寸の間、ね、いゝでせう(腰かける)
──いけません、それや…………。
──(腰かけたまゝ)今日はね、ムウドンの親戚へ用があつて行つたんだけれど、行きも帰りも立ちどほし……くたびれちやつた。
──わたしも立ちつゞけです。
──ほんとにね、車掌さんも楽な商売ぢやないわね。
──好きでやつてるんぢやありませんや。
──あたしだつて好きでメトロなんかへ乗るもんですか。
──(もぢもぢしながら)どこまでおいでゞす。
──終点までよ。(間)あんたは、何時だつて腰掛けられるぢやないの。
電車の停留場にて
──また満員らしいわ。
──こら、びしよびしよ、あたしの帽子、あなたのも……。
──足が凍えさうね、あたし、泣きたい。
──アルマ、アルマ……お降りの方はありませんか。はい、お早く……二等は満員……一等お二人さんだけ……。
──(片足を踏段にかけたまゝ)どうする?
──もう一台待ちませう。
公園のベンチにて
──あなた、あたしの許嫁をどう思つて?
──どうとは?
──かう、見たとこ……。
──さうね、しつかりした方ね。
──それだけ?
──でも、優しさうだわ……妬くわよ。
──だあれ、あの人?
──…………!
──(夢みるやうな徹笑)さうか知ら。
或る日曜の午後
──ジヤン、あたしも連れて行つて。
──駄目だよ、お前なんか……すぐ泣いちまふから……。
──今日はきつと泣かない。うそだつたら百度接吻してあげるわ。
──いらないやい、そんなもの。来るんぢやないよ。アンリエツト。今日は男の子ばかりで遊ぶんだから……。
──男の子ばかり……つまらないぢやないの、女の子も、一人ぐらゐゐなくつちや……。
庭の一隅にて
──まあ、お嬢さまがた、こゝにいらしつたんで御座いますか。あの、奥様がお召しでいらつしやいます。
──だあれ、来てるのは。
──だれつて、訊かなくつてもわかつてるぢやないの。
──御存じなんでございませう。
──姉さん、行つてらつしやいよ、姉さんに用があるんだから……。
──うそばつかし……。いや、あんたも来なくつちや。
──あたしはいや。
──ぢや、行かない。
──もうお帰りになるところで御座いますよ。
──姉さんは行かないのね。そんなら、あたしが行くわ。
商館の売場にて
──Bちやん、いゝわね、一寸、あのスタイル。
──誰かさんに似てやしないこと、どうせ。
──むろん。
──あ、お腹が痛い。(急に)は、手袋でございますか、お安いところを、ビヤン・ムツスイウ!
ギャルソニエールにて
──よく来て下さいましたね。
──来たわ、また棄てられる気で……。
──冤して下さい。
──そんなこと云ひつこなし。あなた、ちつとも変らないのね。
──心だけは入れかへました。
──このつぎ入れかへるまで、可愛がつて頂戴。
──いやだなあ。
──また「いやだなあ」が始まつたわね。(間、いきなり立ち上り)何か飲まして……。
雨の夜
──ねえ、アンリイ、一寸こゝへおいで。
──また「お祖母さんが若い時には……」だらう。
──なるほど、お前たち若いものに、若い時分の話でもあるまい。……といつて、今のお祖母さんに、どんな話ができやう。
××にて
──あたしの宝……あたしの愛……あたしのキヤベツ……あたしの好きな好きな、いとしいいとしい人……あたしの狼……あら、いや、そんないたづらをしちや……豚!
之を要するに
──(夫の靴下を編みながら)それで、あなた方は、どうしようつておつしやるの。
──だから、われわれ女は、力を併せて、男の圧制から脱しなければならないのです。
──圧制つて、どんなこと。
──(靴下をちらと横目でにらみ)女を自分の都合のいゝやうに作り上げたことです。
──それはお互ひぢやないの。
──とにかく、われわれは、すべての点で、男の位置まで自分たちを引き上げなければなりません。
──(眼を編棒の先からはなさずに)おや、男つて、そんなにえらいもの?
底本:「岸田國士全集19」岩波書店
1989(平成元)年12月8日発行
底本の親本:「言葉言葉言葉」改造社
1926(大正15)年6月20日発行
初出:「女性 第六巻第四号」
1924(大正13)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。