富士
岡本かの子



 人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さいこぶしを振り上げて争う様子をみせることがある。ときとしては眺めているうちこどもはむこうの草木に気持を移らせ、風に揺ぐ枝葉と一つに、われを忘れてゆららに身体を弾ませていることがある。いずれにしろ稚純な心には非情有情の界を越え、の区別をみする単直なものが残っているであろう。

 天地もまだ若く、人間もまだ稚純な時代であった。自然と人とは、時には獰猛どうもうに闘い、時には肉親のようにむつび合った。けれどもその闘うにしろ睦ぶにしろ両者の間には冥通する何物かがあった。自然と人とは互に冥通する何者かを失うことなしに或は争い或は親しんだ。

 ここに山を愛し、山に冥通するがゆえに、山の祖神おやのかみと呼ばるるおきながあった。西国に住んでいた。

 平地に突兀とっこつとして盛り上る土積。山。翁は手をかざして眺める。翁は須臾しゅゆにして精神のみか肉体までも盛り上る土堆と関聯した生理的感覚を覚える。わが肉体が大地となって延長し、在るべき凸所に必定在る凸所として、山に健やけきわが肉体の一部の発育をみた。

 翁は、時には、手を長くさし出して地平の線に指尖を擬する。地平の線には立木の林が陽を享けてすすきの群れのように光っている。翁は地平のかなたの端から、擬した指尖をおもむろに目途めじの正面へとで移して行く。そこに距離の間隔はあれども無きが如く、翁の擬して撫で来る指の腹に地平の林は皮膚のうぶ毛のように触れられた。いつまでもたいらの続く地平線を撫で移って行く感覚は退屈なものである。人間の翁がそう感ずると等しく、自然自体も感ずるのであろうか、翁の指尖が目途の正面を越して反対側へ撫で移るまもないところから地平は隆起し、ふもとから中腹にさしかかり、ついにそびえ立つ峯巒ほうらんとなる。遠方から翁の指尖はこつはまったその飛躍の線に沿うて撫で移って行くと音楽のような楽しいリズムを指の腹に感ずる。地の高まりというものは何と心を昂揚さすものであろう。人を悠久に飽かしめない感動点として山は天地間に造られているのであろう。

 火のはたで翁は、つれづれであった。翁は腕を動かして自分の肉体の凸所を撫でまわす。肩尖、膝頭、臀部、あたま──翁の眼中、一々、その凸所の形に似通う山の姿が触覚より視覚へ通じ影像となって浮んで来た。

山処やまと

ひと本すゝぎ

朝雨あささめ

狭霧さぎり将起たゝん

 翁は身体を撫でながら愛に絶えないような声調で、微吟した。

 山又山の峯の重なりを望むときの翁は、何となく焦慮を感じた。対象するもののあまりに豊量なのに惑喜させられたからだった。翁は掌を裏返しに脇腹をれったそうに掻いた。

 峯々に雲がかかっているときは、翁はうれたげな眼を伏せてはまた開いて眺めた。藍墨の曇りの掃毛目はけめの見える大空から雲ははがれてまくれ立った。灰いろと葡萄ぶどういろの二流れの雲は峯々を絡み、うずめ、解けて棚引く。峯々の雲は日のある空へ棚引いては消え去る。消え去るあとからあとから、藍墨の掃毛目の空は剥離して雲を供給する。峯はいつまで経っても憂愁の纏流てんりゅうから免れ得ないようである。それを見ている翁は、心中それほどの苦悩もないのだが、眼だけでも峯の愁いに義理を感じて、憂げに伏せてはまた開くのであった。そのうち翁は眼がだるくなって草原へごろりとてしまった。雲の去来は翁の眠っている暇にも続けられていた。だが、やがて雲は流れ尽き、峯は胸から下界へ向けて虹をかけ渡していた。

 西国にて知れる限りの山々を翁はみな自分の分身のように感じられた。翁は山々を愛するがゆえに、それ等の山々の美醜長短を、人間の性格才能のように感じ取った。事実、山には一目見ただけでも傲慢であったり、独りよがりのお人好しであったりしそうな性格に見立てられるものがある。翁がみるところによると、どの山の性格でも翁自身の性格の中に無い性格はなかった。中には自分に潜んでいて、かえって山に現れ出て、逆に自分に気付かせられるようなこともあった。翁は山を愛するが、しかし山をおそれ、そして最後に山を信じた。

 翁は妻との間にたくさんこどもを生んだ。こどもが生れて一人動きできるようになると、翁はこれを山に持って行って置いて来た。

 山の麓にこどもを置去りにして来て、果してそれで育つものかどうか危ぶまれた。しかしどこへ置いたところでそのさちのないものは、育った方が却って面白からぬことになるような育ち上りをしてしまうかも知れない。それなら一っそ、こどもを好きな山に賭けよう。山が育つべく思うほどのこどもなら山は育てよう。少くともこれほど信頼する山が悪しゅうは取計う筈はあるまい。もしこの上にして育たぬようだったら、山よ、わたしは諦める。だが、山よ、出来得べくはなるけ育てて呉れ。翁はこどもを山の方に捧げ、ひょこひょこひょこと三つお叩頭じぎをして、置いて帰った。愛別離苦の悲しみと偉大なものに生命を賭ける壮烈な想いとで翁の腸は一ねじり捩れた。こどもを山にかずける度びに翁の腹にできたはらわたの捻纏ねんてんは、だんだん溜って翁の腹をになの貝の形に張り膨らめた。それに腹の皮を引攣ひきつられ翁はいつも胸から上をえびづるのようにたわめて歩いた。

 こどもの中には餓え死んだり、獣の餌になるものもあったが、大体は木の実を拾って食い、熊、狼の害を木の股、洞穴に避けて育った。山は害敵とそれを免れるものと両方を備え無言にして生命それ自ら護るべき慧智を啓発した。

 こどもたちは父親の翁に似て山が好きだった。その性分の上にあけ暮れ馴染む山は、はじめは養いの親であり、次には師であり、年頃になれば睦ぶ配偶でもあった。老年には生みの子とも見做される情愛が繋がれた。死ぬときには山はそのまま墓でもあった。しかし、生涯、山に親しみ山に冥通する何ものかを得たこどもたちは、老年に及び死を迎えるまえに生命を自然の現象に置き換える術を学び得ていた。彼等は死の来る一息まえ、わがいのちを山の石、峯の雲に托した。それゆえ彼等は悠久に山と共にしずもり、峯にまとって哀愛の情を叙することができる。

 翁はその多くのこどもを西国の名だたる山に、ほぼ間配まくばりつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山──当時はその名さえ無かったのだが、便利のため後世の名で呼んで置く──山ほどの山で翁のこどもの棲付かぬ山もなかった。

 山に冥通を得たこどもたちは、意識に於て「妙」というほどの自在を得た。離れたときには山と自分と相対した二つとなり、融ずるときには自分を山となし、或は山を自分とする一致ができた。山におのおの特殊の性格があることは前の条で説いた。こどもたちは育った山の性その如き人間となった。身体つき容貌まで何やら山の姿、峯のおもかげに似通って見えた。西国の山は冬は脱ぎ夏は緑を装った。こどもたちもまた冬は裸に夏は藤ごろもを着た。緑の葉に混る藤の花房が風にゆらいで着ものから紫のしずくねさした。

 もとより山のことにかけては何事でもそらんじているこどもを、麓の土民たちはその山の神と呼んだ。そしてかしずき崇むる外に山に就ての知識を授けて貰った。たつきのわざを山からかずけられて生活する麓の土民は、山の秘密や消息を苦もなく明す人間を、感謝し、おそれ、また親しんだ。ときどきは神秘に属する無理な人間の願事ねぎごとをも土民はこどもに山へ取次ぐよう頼んだ。こどもは苦笑しながら、しかし引受けた。冥通の力によって山に土民たちの望むことを聴き容れさしてやった。土民たちは助った。

 山の祖神おやのかみの翁は西国の山々へはほとんどこどもを間配り終り、その山々の神としての成長をも見届けた。いまは望むこともないように思われた。ただ東国に目立った二つの山があって神々を欠くという噂を聞いていた。それは、どんな容貌性格の山だろうか、その性格は自分如きには無い性格の山だろうか。まだ見ぬ東国の山は翁に取っていま、一層に、したわしいものとなった。それへも骨肉を分けて血の縁を結んだなら自分の性格の複雑さも増す思いで、分身を雲の彼方にも遺す思いで、自分はどのようにかこの世に足り足らいつつ眼が瞑れることだろう。翁に、末のこどもの姉と弟があった。深く寵愛していたのでまだどこの山へも送らず、手元で養っていたのであるが、翁はとうとう決心した。翁は姉と弟を取って東路あずまじへ帰る旅人の手に渡した。翁は眷属けんぞくの繁栄のため、そのおもい子を遥なるまだ見ぬ山の麓へおもい捨てた。


 自然に冥通の人間の上に、自然が支配する時間の爪の掻き立て方は人間から緩急調節できた。翁の上に幾たびかの春秋が過ぎた。けれども、翁のよわいおいに老の重なるしるしらしいものは見えなかった。翁は相変わらず螺の腹にえび蔓の背をしてこそおれ、達者で、あさけ夕凪には戸外へ出て、山々の方を眺めた。そして心の中で、わが眷属は、分身は、性格の一面は、と想った。想う刹那せつなに、山々の方から健在のしるしのうけ答えが翁の胸をときめかすことによって受取られた。翁は手をその方へ掲げて、彼等を祝福した。

 ただ東国の方へ遺った、まだ見ぬ山に棲める筈の姉と弟の方からは、翁のこれほどの血の愛の合図をもってしても何の感応道交も無かった。翁は白い眉を憂げに潜め

除汝なおきて除汝なおきて、はや」

 そういって力なく戸の中に戻った。

 空間といえども自然の支配下のものであろう。自然に冥通を得た翁の、僅にあずまと離れた空間の隔りに在る二人のいとし子に冥通の懸橋をさし懸けられぬいわれはなかった。だが翁の心に於て、まず最初に、こどもの存否を気遣う疑念があった。懐疑、躊躇ちゅうちょ、不信、探りごころ──こういう寒雲の翳は、冥通の取持つ善鬼たちが特に働きを鈍らす妨げのものであった。この翳が心路の妨げをなすことはただ人同志の間にもあることであろう。危む相手にまごころをばにわかにはうち出しにくい。

 翁は謙遜けんそんな人であった。たとえ長寿を保つことに自在を得ているにしろ、翁は人並を欲した。翁はこの時代の人寿のほどをおもんばかっておよそこれにならおうとした。その目安をもって計るに、もはやわが期すべき死は生き行きつつあるいまの日よりだいぶ前に過ぎ越している。翁は苦笑しながら直ちにも雲を変じ巌に化しても大事ないとは思った。しかし人間に居し人情を湛えた生涯を尽す最後の思い出にはどうか東国に送った二人のこどもの身の上を見定めてからのことにしたいと考えた。すでに死を期しては月色に冴えまさり行く翁の心丹に一ひら未練の情がうす紅色に冴え残った。翁は意識にこれを認めると、ぽたりぽたりと涙を零した。

 翁は、螺の腹にえび蔓の背をしたまま旅のかれいいを背負い、杖を手にして東路に向った。妻は早く死に、陽のさす暖い山ふところの香高い橘の木の根方にやすらかに葬ってある。もはやうしろ髪ひかるる思いのものは西国には何ものも無かった。


 とりが鳴いてあずまの国の夜は開けかけた。翁はきょうこそ見ゆれと旅路の草のふすまから起上がった。きょうもまた漠々たる雲の幕は空から地平に厚く垂れ下り、行く手の陸の見晴しを妨げた。風は淼々びょうびょうたる海面から吹き上げて来て空の中で鳴った。風の仕業しわざか雲の垂幕は無数の渦を絡み合せながら全体として、しずかにしずかに、東の方へ吹き移されて行く。いくら吹き移されても雲の垂幕は西のあとから手繰たぐられて出た。翁は目あての山の一つが見える筈の東国へ足を踏み入れてから毎日この雲の垂幕に向って歩んでいる。山の祖神おやのかみの翁はその冥通の力をもって、これはこの山は物惜しみする中年女の山なのではあるまいかと察した。また恥かしがりやの生娘の山なのではあるまいかとも思った。西国の山にかけては冥通自在な翁も、東国へ足を踏み入れ東国の山に対するとき、つい不勝手な気がしてその冥通の働きをためらわした。そこに判断を二亙ふたわたらすさわりがあった。

 季節は初冬に入っていた。旅寝の衣には露霜が置いていた。翁は湿り気をふるって起上った。僅かに残っている白い鬢髪からも、長く垂れた白い眉尖からも雫が落ちた。雨風に曝され見すぼらしくなった旅の翁をどこでも泊めようとしなかったのだ。翁は煩わしく雫を払いながら朝餉あさがれいを少し食べた。持ち亙って来た行糧ももはやほとんど無くなっていた。翁は朝餉を食べ終ると冷えた身体を撫でさすりいささかの暖味に心を引立たして貰って、きょうの旅路の踏出しにかかった。

 鶏はおちこちで鳴き盛って来たが、行く手の垂れ雲は晴れようともしなかった。捲き返す浪打際のいさごを踏んで翁はとぼとぼと辿たどって行った。海上の霧のうすれの明るみに松の生え並ぶ白州の浜が覗かれた。翁は島かとも見るうちにまた霧に隠れた。

 その日の夕近く、翁は垂れ雲を左手にした、垂れ雲の幕の面を平行する行路の上を辿るようになった。落日の華やかさもなく、けさがたからの風は蕭々しょうしょうと一日じゅう吹き続けたまま暮れて行くのであるが、翁には心なしか、左手の垂れ雲の幕の裾が一二尺かすのぞかれて行くように思われた。あたりが闇に入る前に、翁はその幕の掠り除れた横さまの隙より山の麓らしい大ような勾配を認めたように思った。

 草枕、旅の露宿に加えて、夢もしわかく老の身ゆえに、寝覚めがちな一夜であるのはもっとものことだが、この夜は別けて翁をして寝付かれしめぬものがあった。翁は興奮に駆られて自ら歓びをたしなめる下からまた盛り上る歓びにうたた反側しながら呟いた。

「山近し、山近し」

 と。

 あくる日は翁は一日歩いて、また一二尺掠り除かれた雲の裾から山のふもとを、より確かに覗き取ったが、歩めども歩めども山の麓の幅の尽きらしい目度めどを計ることができなかった。

 年寄の歩みはたどたどしいにしても翁は次いで三日も歩んだ麓の幅を計ることはできなかった。

 これはひょっとしたらいくつかの山の麓が重り合っているのではないかと翁は疑った。でなければ、麓の丸のへりに取り付いてぐるぐる廻りをしているのではあるまいかとも思った。

 雲の裾は、今度は数間の丈けに掠り除られ、そのまま止まって少しも動かなくなった。その拡ごりの隙より、今や見る土量の幅は天幅をふたぎて蒼穹は僅かに土量の両ひれに於てのみ覗くを許している土の巨台に逢着した。翁はあきれた。これが普通いう山の麓であることか、おおらおおら。

 翁は、慄えながら行き合せた野の人に訊ねた。そして、山は福慈岳ふくじのたけ、います神は福慈神ふくじのかみというのであると教えられた。


 たそがれは天地に立籠め、もの皆は水のいろに漂いはじめたが、ただ一つ漂わされぬものがあって山ふもとの薄明りの野に、一点の朱を留めていた。それは庭の祭りのかがり火であった。神楽かぐらの音も聞えて来る。

 かがり火は、薪木の性と見え、時折、ぷちぱちと撥ね、不平そうに火勢をよじりうねらすが、寂莫たる天地は何のき乱さるる様子もなく、天地創ってこのかた、たそがれちょうものの待つ、それは眠るにも非ず覚めたるにも非ざる中間に於て悠久なるものを情緒に於てとらえようとするかれ持前の思惟の仕方を続けている。水のいろをかがり火のまわりに浸して静に囲んでいる。

 かがり火も張合いがなく、まもなく火勢をもとのしべ立ちの形に引伸しほのおの末だけ、とよとよとよとよと呟かしている。神楽の音が聞えて来る。

 晩秋の夕の露気に亀縮かじかんだ山の祖神おやのかみの老翁は、せめてこのかがり火に近寄ってあたりたかったが、それは許されないことである。今宵のこの庭のかがり火は純粋な神のみが使う資格のある聖なる祭の火であった。一点の人情をつけて恋々西国より東国へ娘の生い立ちにを見に下った螺の如き腹にえび蔓のような背をした老翁は、たとえ自然には冥通ある超人には違いないが、なお純粋の神とはいわれなかった。生きとし生けるものの中では資格に於ていわば半人半神の座に置かるべきものであった。

 娘の福慈ふくじの神もそれをいい、純粋の神の気を享けて神の領から今年、神がはじめてなりいでさせ給うた神のなりものによって純粋の神をあえまつることのよしを仲立に、一元にく貫くいのちの力により物心両様の中核を一つにひらいて、神の世界をまさしく地上に見ようとする純粋にも純粋を要する今宵の祭に、鶏の毛ほどでもこと人の気のある生けるものは、たとえ親でも遠慮して欲しいといった。娘の神が神としていちばん大事な修業をする間、少しでも娘の気を散らさないよう、爪のあかほどのけがれを持来さしめぬよう心懸けて呉れるのがほんとの親子の情だといった。

 山の祖神は、山の裾野へさしかかって四日目にもう一日歩いて、たそがれ、かがり火を認めてたずね寄ったのではあったが──

 東の国のまだ見ぬ山へ、神として住みつきもやすると思い捨てた覚悟のもとに旅人に托けて送った末の娘が、思い設けたより巨岳の山の女神となって生い立ちなりわいつつあるのに、山の祖神は首尾よくめぐり会ったには違いないが──

 その夕は相憎あいにくとこの麓の里で新粟を初めて嘗むる祭の日であり、娘の神の館は祭の幄舎あくしゃに宛てられていた。この祭にはのあるものは配偶さえ戸外へ避けしめる例であった。生みの親の、その肉親の纏白てんぱくの情は、殊に老後の思い出に遥々たずね当ったまれなる歓びは心情の捻纏を一層に煩わしくしよう。娘の神は父の老翁に、こういう慮りから、宿は村里の誰かの家へ取ってあげますから、祭の今夜一夜だけは自分の家をば遠慮して欲しいと頼んだのであった。

 翁のふる郷の西国の山々にも新粟を初めて嘗むる祭はあった。しかしかかる純粋と深刻さで執り行う祭を、修業としての心得を、翁は東国へ来て生い立った娘の神からして始めて聞いた。

 翁は娘の神が口にしたこと人という言葉をしきりに気にした。遥々尋ねて来た生みの親に向ってこと人だという。何という薄情な娘なのだろう。しかしわけを聞いてみればその道理もないことはない。ふる郷を立つときから紅色に萌し始めた人情の胸の中の未練のほむらは子の慕わしさにかき立てられ旅の憂さに揺り拡げられ、こころ一面に燃え盛っている。福慈の神に出会い一目それをわが娘と知るや無我夢中になってしまって、矢庭やにわに掻き抱こうとした旅塵の掌で、危うく白妙しろたえいつきの衣をけがそうとして、娘に止められて気が付いたほどである。これからしてみれば、一夜の間は心を静め澄さねばならない女神のいつきむしろにかかる動きゆらめくものが傍におることは親とはいえ娘の神の為めにならないことは判り切った話だ。ならば娘の神のいう通り村里へ下って娘の神のいい付けて呉れた誰かの家へ行って泊ってもやり度い。だが翁にはそれはできなかった。

 娘の神が自分をこと人といったのは今夜の神聖に対し一夜だけのことにしていったのであろうか、それとも幼くして遥な国へ思い捨てた父に対しての無情の恨みの根を今も深く持ち添えそれでいったのであろうか、それが気になった。前の方の理由からならば一夜ぐらい離れていることはとかくに辛棒はしてもいい。しかし後の方の理由からとしたならこれは卒爾そつじには済まされんことだ。そうしたことには山の祖神として自分にわけも気持もあってしたことの解き開きを娘の神にとくとうなずかして、根に持つ恨みを雪解の水に溶き流さすまではかの女の傍からは離れられない。そのことで今世の親子の縁は切られ度くない。そう思ってかさにかかって翁の娘の神に詰め寄りなじりかかろうとする刹那に神楽の音が起り祭が始ってしまった。本意なくも庭外まで退いたのであったが。腹はむしゃくしゃすると同時に堪えぬなつかしさの痛み、悔いないでよいことへの悔い──そういったことでごちゃごちゃになっていた。せめて娘の姿の望まれるところでしばらく心をなだめよう。それにしても子というものは、しばらく離れてめぐり会った子というものは何と人間のような血の気を神の胸にも逆上さすものであろう。これが大自然に対しては冥通自在を得た山の祖神ともいわれるものの心行かよ。翁は庭のはずれの台のところに来てうずくまりながら苦笑した。

 台の傾斜からは麓の野を越して、たそがれの雲のとばりが望まれた。上見ぬ鷲の翔らん天ぎわから地上へかけて雲の帳は相変らずかけ垂れていたが、深まり来るたそがれの色にあらがうように帳の色は明るく薄れ行きつつある。それにつれて帳の奥の福慈岳ふくじのだけの姿はいまや山の祖神の前に全積を示しかけて来た。祖神の翁は片唾かたずを呑んだ。

 およそ山を見るほどのものの胸には山の高さに対して心積りというものがある筈である。見るほどのものはあらかじめの心積りの高さを率て実山に宛嵌あてはめ眺めるのであった。実山の高さが見るものの心積りの高さにかなりの相違があっても、全然見るものの心積りを根底から破却し去らない限り、そこに観念なるものと実在なるものと比較し得られるかけはしがあってその上に立ち見るものをして両端の距りを心測しておどろきの妙味を味い得しめるよすががある。ここにもし実在が観念と別な世界ほどの在りようで比較の桟はしを徹し去らるるときわれ等の心路は何によって味覚に達すべき。かかるとき愕きもない平凡もない。強いていおうならば北斗南面して看るという唐ようの古語にでも表現をゆずるより仕方はあるまい。

 さて、山の祖神の老翁は、雲の帳に透く福慈岳の全積を、麓の方から目途を攀らしていただきへと計って行った。麓の道を横に辿たどってその幅によりこれは只事でないと感じ取った翁の胸には、福慈岳の高さに就ても、その心積もりに相当しんにゅうをかけたものを用意していた。翁はそれを目度めどに移して山の影を見上げて行った。翁は息を胸に一ぱい吸い込み思い切り見上げたつもりでそこで眼を止めた。山の峯はまだそこで尽きようともせぬ。翁の息の方が苦しくなった。翁はそこであらためて息を肺に吸い更え、もそっと上へ目度を運び上げて行った。

 また息の方が苦しくなったけれども山の高さは尽きようともしない。螺の腹でえび蔓の背をした老いの身体は後の丘の芝にいまや倒れるばかりに仰向いて天空を見上ぐるのであった。

 それかあらぬか、翁は天宙から頭上へ目庇まびさしのように覆い冠って来る塩尻の形の巨きな影を認めたかに感じた。そのときもはや翁の用意していた福慈岳に対する高さの心積りはあまりの見込み違いに切って数段に飛ばし散らされていた。翁は身体を丘の芝に上から掴み押えられた窮屈な形を強いて保ちながら愕き以上のものになぶられている。翁に僅に残っている頭の働きはこういうことを考えている。これが同じ地上に在って眺めらるものの姿であるのか。この仰ぎ見る天空の頂は麓の土とどういう関係に在るのか。麓はよし地上の山にしろ、頂はそれに何の縁もない雲に代って空から湧くまた一つの気体の別山なのではあるまいか。南の海の蚢螺ごうらが吐くという蜃気が描き出す幻山のたぐいではあるまいか。幻山を証拠立てるよう塩尻がたの尖から何やら煙のようなもののくすぶり出るのが見えるようでもある。

 薄れ明るむ雲の垂れ幕とたそがれる宵闇の力とあらがう気象の摩擦から福慈岳の巨体は、巨体さながらに雲の帳の表にうっすり浮出で、または帳の奥に潜って見えたりする。何という大きな乾坤けんこんの動きであろう。しかも音もなく。呆れた夢にしびれさせられかけていた翁の心は一種の怯えを感ずるとぶるりと身慄いをした。翁の頭の働きはやや現実によみがえって来る。

 翁は西国に於て、山ちょう山により自然と人間のことはほとんど学び尽し、性情にもあらゆる豊さを加えたつもりでいた。また永い歳月かかって体験から築き上げた考えと覚悟はもはや何物を持って来ても壊せず揺ぎないものと思っていた。ところがいま、模索した程度に過ぎないものの、福慈岳の存在に出遇ってみると、それ等のものは一時にけし飛び、自分なるものを穴に横匍う蘆間の蟹のように畸形にも卑小に、また、経めぐって来た永い歳月を元へ投げ戻されてただ無力の一孩児がいじとにしか感じられない。

「これは何ということだ。上には上があるものだ」

 翁は人の世の言葉ではじめてこういった。物の絶大の量と絶大の積は説明なくしてそれが一つの力強い思想として影響するものであることを翁は悟らせられた。

「負けたよ」

 翁はこうもいった。

 山と山神とは性格も容貌も二つに分つべからざる関係を持つことは翁が西国の諸山に間配って諸山の山神に仕立てた自分の子供たちによって知れるところのものである。この山の岳神となったわが娘福慈神の性格が果してこの山の如くならば、自分がこの娘に対して抱く考えも気持もまるで見当外れである。およそけたが違っていよう。そしてまた西国の諸山と諸山に間配った自分の子どもたちの性格はおよそ山の祖神自身の性格の中に在るものであり、たとえ無かったものにしろそれは新にみ入れて自分の性格の複雑さを増し得た程度の積量のものであった。それゆえ自分はかれ等を分身と思い做され、総ての上に臨んで自分は山の祖神であったのだが、いまこの山の娘の神に向ってはまるでそういうこともそうすることも覚束おぼつかなくも思われる。

「この山は嚥み切れない。もしもそうしたなら、自分の性格の腹の皮の方が裂けよう」

 翁はいまにもそれを恐れるように大事そうに螺の如き自分の腹を撫でた。

 夕風が一流れ亙った。新しい稲の香がする。祭の神楽の音は今まさ劉喨りゅうりょうたけなわである。

 翁が呆然眺め上げる福慈岳の山影は天地の闇を自分に一ぱいに吸込んで、天地大に山影は成り切った。そう見られるくろずみ方で山は天地を一体の夜色にならされた。打縁流うちよする駿河能国するがのくにの暮景はかくも雄大であった。


 神の道しるべの庭のかがり火は精気を増して燃えさかっている。

 山の祖神の翁は、泣いていいか笑っていいか判らない気持にされながら、かがり火越しに幄舎あくしゃの方を観る。

 わが子でありながら超越のへだたりが感じられる福慈の神は、白の祭装で、楉机しもとづくえ百取ももとり机代つくえしろを載せたものを捧げ、運び行くのが見える。

 長なす黒髪をうなじの中から分けて豊かに垂れ下げ、輪廓の正しい横顔は、無限なるものを想うのみ、よこしまなる想いなしといい放った皎潔きょうけつな表情を保ちながら、しら雲のくきを出づるおもむろなる静けさで横に移って行く。清らかないつきの衣は、鶴の羽づくろいしながら泉を渡るに似て爽かにもおごそかである。

 蛍光のような幽美な光りが女神の身体から照り放たれ、その光りの輪廓は女神の身体が進めば闇に取り残され、取残されては急いで、進む女神の身体に追い戻る。

 常陸ひたちの国の天羽槌雄神が作った倭文布しずりの帯だけが、ちらりと女神の腰に艶なる人界の色をあやどる。

 翁はわが子ながら神々しくも美しいと見て取るうち、女神の姿は過ぎた。

 娘の神が捧げて過ぎた机代のものの中で、平手ひらてに盛った宇流志禰うるしねの白い色、本陀理ほだりに入れたにいしぼりの高い匂いが、自分に絶望しかけて凡欲の心に還りつつある翁の眼や鼻から餓えた腸にかぐわしく染みた。

 翁はから火を見ながらかさかさ乾いて亀縮かじかむ掌を摩り合わせて「娘が子というものは」と考えた。

「手頃の育て方をして置くものだ」

 と、これは口に出していった。

「あの娘は、あまり偉くなりすぎたよ」

 口惜しさと悔いがぎざぎざと胸を噛んだ。

「あれじゃ、まるで取り付くしまもありはしない」

 ふと、翁にふる郷の西国の山と山神が懐しまれた。あれ等のものにはつんもりとした、ちょうど愛の掌で撫で廻される手頃なものがある。それ等の山には背があれば必ず山隈や谷があった。そのようにこどもの山神たちにも秀でた性格の傍、叱りたしなめはするがそれによってまた憐れみがかかり懐き寄せられもする欠点なるものがあるのだったが。

 この山の娘にはそれが無い。美しく偉いだけで親さえ親しめる隙が無さそうである。

「この娘を東国へ旅人の手にかずけて送ったときの気持に戻って、いっそ、この娘を思い捨てるか。それにしてはこれだけになったものを、あまりに惜しい気もする。第一、山神の眷属の中からこれ程の女神を出したことは、山の祖神としていかなる気持の犠牲を払っても光栄とすべきではないか」

 そう思うまた下から、親ごころの無条件な気持でもって「娘よ」と呼びかけても、かの女の雪膚の如き玲瓏れいろうな性情に於て対象に立ち完全そのものの張り切り方で立ち向われて来るときの、こなたの恥さえ覚えるばかりの手持無沙汰を想像するとき、やはり到底、親子としては交際つきあい兼ねる女なのではあるまいかと、懸念がすぐ起って来るのでもあった。

 とつおいつ思いあぐねるうち、いよいよ無力の孩児がいじとしての感じを自分に深めて来た老翁は、いまは何もかもかなぐり捨て、ひたすら娘にすがり付き度くなった。それは福慈神に向って娘としてよりも母らしいものへの寄する情に近かった。偉れて立優っているこの女神に対しこの流れの方向の感情に心を任せるとき、却って気持は自然に近いことを老翁は発見した。

 女神が捧げものを徹して持ち帰る姿が望まれた。

 翁は堪られなくなって声をかけた。

「娘よ。福慈神よ」

 それは始めから哀訴の声音だった。

 女神の片眉が潜められたが声は美しく徹っていた。

「あら、まだ、そこにいらっしゃいますの。お寒いのに、なぜ、おとり申上げた村里の宿へお出でになりませんの」

 翁は頑是がんぜない子供が、てれながら駄々を捏ねるように、掌に拳を突き当てつつ俯向うつむき勝ちにいった。

「寂しいんだよ」

「では、どうして差上げたらよろしいのでございましょう」

「どんな端っこでもいい、おまえの家へ泊めとくれよ」

 翁の声は小さかったが強訴の響は籠っていた。「おまえの居ると同じ屋の棟の下にいれば気が済むのだから、決して祭りの邪魔はしないのだから」

「それが、おさせ申上られないことは、お出でにすぐ申上げたではございませんか。無理をおっしゃっては困りますわ」

 娘の声は美しく徹ったまま、山が頂より麓へ土を揺り据えたように、どっしりとした重味が添わって来た。その気勢に圧せられた翁は、却ってあらがう気持を二つ弾のような言葉で、あと先立て続けに女神へ向けて放った。

「情のこわい女だぞ」「何をまだ、この上、親を断っても修業の祭をしようというのだ。いやさ、これほど出来上った山やおまえに何の力や性格を増し加えようというのだ、慾張り」

 女神は、しばらく黙って父の翁のいう言葉の意味の在所を突き止めていたが、やがて溜息をついたのち、静にいった。

「結局、おとうさまは、山の祖神の癖にこの福慈神だけはお知りになっていないことに帰着いたしますわね。よろしゅうございます、暁の祭までにはまだ間の時刻もございます。お話いたしましょう」

 といって、ちょっと美しく目を瞑り考えをまとめているようだったが、こう語り出した。

「おとうさま、この福慈岳は火を背骨に岩を肋骨ろっこつに、砂を肉に附けていて少しの間も苦悩と美しさと成長の働をば休めない大修業底の山なのでございますわ。見損じて下さいますな」

 雨気が除かれたかして星が中天にきらめき出した。天空より以下巨大な三角形の影をもちて空間を阻み星が燦めきあえぬ部分こそ夜眠の福慈岳の姿である。頂の煙のみ覚めてその舌尖は淡く星の数十粒をねぶっている。


「わたくしが」

 と福慈の女神は静に言葉をついだ。女神の顔は氷花のように燦めき、自然のみが持つ救いのない非情と、奥底知れない泰らかさとが、女神の身体から狭霧のようにくゆり出す。

 岳神が変貌して、そしてこういうふうに言い出すとき、その「わたくし」は、最早岳神みずからのことを指すのではなかった。岳神が冥合しているところの山そのものを岳神の上で語らしめるその「わたくし」であった。

 山の祖神はさすがに、それとすぐ感じ取り、啓示を聴く敬虔けいけんな態度で、両の掌を組み合せ、篝火かがりび越しに聴こうとする。組んだ指の一二本だけ、組み堅め方を緩めて、ひょくひょくうごめかしているのは、娘が何を言い出すことやらと、まだ、親振った軽蔑の念と好奇心と混ったものを山の祖神がいささか心に蓄えていることの現れと見れば見られる。

「わたくしが、わたくし自身を知ったということの誇らしさ、また、辛さ。それを何とお話したらよいでございましょう。判って頂ける言葉に苦しみます。ここでは、ただそれが、いのちを張り裂くほどの想いのもので……かも、たとえ、いのちが張り裂けようとて、心は狂いも、得死ぬことすら許されず、窮極の緊張の正気を続けさせられるという気持のものであるというぐらいしか申上げられないのを残念に思います」

 と言って、女神は、ここで溜息を一つした、白い息が夜気に淡くにじんだ。

「わたくしが、物ごころついた時分からでも、この大地の上に、四たびほど、それはそれは永く冷たい歳月と、永く暖かい歳月が、代る代る見舞うたのでありました」

 冷たい時期の間は、おぞく寒い大気の中に、ありとあらゆるものは、端という端、尖という尖から、氷柱つららを涙のように垂らして黙り込んでいた。暖かい時期の間は、このわたりの林の中にもまめ桜が四季を通して咲き続け、三光鳥のギーッギーッという地鳴き一年じゅう絶間なかった。

「そして只今、この大地は、四度目に来た冷い時期の、そのまた中に幾たてもこまかく冷温のきざみのある、ちょうどその二つ目の寒さの峠を下り降った根方の陽気の続いている時期にあるのでございます」

 まめ桜はひと年の五月に一度咲き、同じその頃、三光鳥はこの裾野の麓へ来て鳴く。生けるものにはここしばらく住み具合のよい釣合いのとれた時期の続きであるだろう。

「この大地は、島山になっております。蜻蛉あきつの形をしたこの島山の胴のまん中に、岩と岩との幅広いれ目の溝があって、そのあわいから、わたくしは生い立たせられつつあるのを見出したのでした」

 西の海を越えて、うねって来た二つの大きな山の脈系、それは島山の胴の裂け目を界にして南北に分けられる。そのおのおのには、内側のものと外側のものとの脈帯のひだたがっている。それすら、複雑蟠纏ばんてんを極めているのに、下より突き上げ上からし重なるよう、十一の火山脈が縦横に走る。

 かくて、この島山は、潮の海から蜻蛉型に島山の肩を出すことが出来たのであった。重ね重ねの母胎の苦労である。その上、重く堅いいわおを火の力によりつんざき、山形にわたくしを積み上げさせたということは、あだおろそかのすさびに出来る仕事ではない。非情の自然が、自らそのかたくなな固定性に飽いて、あらがい出た自己嫌悪の旗印か、または非生の自然に却って生けるものより以上の意志があって、それを生けるものに告げようとする必死の象徴ででもあるのであろうか。

 あるべきもののある理由は、そのものになり切ったものにしてはじめてうなずけるほど、深刻なものであるのであった。山一つさえその通り──

「まだそのときのわたくしは、きしゃな細火を背骨にし、べよべよしなるほどの溶岩を一重の肋骨として周りに持ち、島山の中央のれ目から島地の上へ平たく膨れ上っただけの山でした」

 世の中は、ただうとうとと、あま葛の甘さに感じられた。ただひとりぽっちが寂しかった。

 幼い青春が見舞った。「環境わたり」と「」を感じた。突き上げて来た物恋うこころ。自らによって他を焼き度く希う情熱をはじめて自分は感じた。

 自分は眩暈めまいがして裂けた。息を吹き返して気が付いたときに、自分は見る影もない姿に壊れていた。胸から噴き流れて凝った血が、岩となって二枚目の肋骨としてまわりに張っていた。

 自分は泣く泣く砂礫を拾って、裸骨へ根気よく肉と皮を覆うた。

 しばらく、爽かで湛えた気持の世の中が見廻わせた。自分は第二の青春を感じた。

 同じく物恋うるこころ、それには、「疑い」と「恥かしさ」が、厚い殻となって冠っていた。それをしも押しのけて、自らによって他を焼き尽そう情熱、自分はまたしても眩暈めまいがした。裂けた。息を吹き返して気が付いたときに、自分は醜い姿に壊れていた。けれども自分の胸から噴き流れて凝った血は、三枚目の肋骨となって、まわりに張っていた。自分は泣く泣く砂礫を拾って裸骨へ根気よく砂礫の肉と皮を覆った。

 しばらく、物く、たく、しかも陽気な世の中が自分にまみえた。自分は娯しい中に胸迫るものを感じ続けて来た。

 第三の青春を感じた。

 同じく物恋うるこころに変りはないけれども、自分はそれにも増して、「知る」ということのおそろしさとうれしさを始めて感じ出した。これほどに壊れても裂けても、また立上って来る自分。蘇っては必死に美しさに盛返そうとするちから。これは一体何だろう。他と競いごころを起すこの自分は一体何だろう。自分を自分から離して、冷やかに眺めてさばき、深く自省に喰い入る痛痒いたがゆ錐揉きりもみのような火の働き、その火の働きの尖は、物恋うるほど内へ内へと執拗しつこく焼き入れて行き、絶望と希望とが膜一重となっている胸の底に触れたと思ったとき、自分はまた裂けた。蘇って壊れた自分を観ると、そこにはまた第四の肋骨が出来上っていた。

 自分はそれに砂礫の肉と皮をつけた。

 しばらく、明暗が渦雲のように取り組む世の中に眺められる。自分をき分けて、近くへ寄ってみれば、焼石、焼灰の醜い心と身体、それは自分ながら吐き捨ててしまい度いようである。けれども、やっと取り纏めて、離れて眺めみれば、芙蓉のように美しく、「」を魅する力があるもののようでもある。それにつれて、希望のぞみという虹がうつらうつら夢みられて来る。

 美しくも力強い希望のぞみ。だが果して、その希望を実現し得られる力が自分の中にあるのだろうか。その力としてありそうに思える火の背梁だけは確に逞しくなっている。

 しかしまたこの大きな虹のような希望を捉えようと考え出したことがおおそれた想いのようでもあり、身体に激しい慄えが来る。かくてまたもや自分は裂けた。

「わたくしは只今、最初から数えて八枚目の肋骨まで出来ております。わたくしの身体の根は、この島山の北の海岸にひき、また南は遠い南の海の硫黄を吐く島までひいています。わたくしの身体の続きの上で同じく火を吐く幾つかの眷属。この島山に小さいながらも姿は等しい三十余の山々。それ等はみなわたくしを母のようにしております。わたくしに較ぶ山はございません。わたくしは確かに選まれたという自覚を今更どう取り消しようもございません。それにつれて、幼ない競い心も除かれました。選まれたということの孤独の寂しさ、また晴れがましさ、責任の重苦しさと権利の娯しさ。

 ですが、折角ここまで育ち上ったものに、またもや成長の破壊が来て、これからさき何度も死ぬような思いをするのはまだしものこと、女の身として、一度々々あの醜さになるのを自分の眼でまざまざと見なければならないということは、考えてもぞっといたしますわ」

 可哀そうにおしのような自然、それでいて、意志だけは持っている。その意志を人によって表現したがっている。一体、人というものはなまけもので、小楽こらくをしたがる性分である。驚異を与えないでは動かない。この島山に住む人は、山のわたくし同様、驚異でいのちに傷目をつけられ、美しさにいのちの芽を牽出され、苦悩にしごかれて、希望へと伸び上がらせられなければならない。

「わたくしは、それを人に伝えるために選まれました。

 父よ。あなたが、山の神の眷属としてわたくしを、ただ眷属中での褒められ者として育つのを望んだ娘は、この福慈岳に籠れる選まれた偉大ないのちの中にい込められ、いまや天地大とも久遠劫来のものとなってしまいました。いまや娘はあなたの望まれる程度に程良くなることも、娘子として可愛らしくあることも出来ません。それはどんなにか悲しいことでしょうが、運命です。仕方ありません。おとうさま、あなたはもう一度娘を東国へ思い捨てた気持になって、わたくしを思い捨てて下さい。さあ、暁が白みかけました。わたくしは、暁の祭りにいそしまねばなりません。早く、取って差上げた村の宿屋へおいでになって、おって下さいまし。いつでもそうしておいでては身体にお毒ですわ。あしたは、もっとゆっくり、これに就てのお話も出来ましょうから」

「わしゃ、偉大なものへ生命を賭けることは大好きなのじゃよ。わしは最愛のこどもでそれをした。その愛別離苦の悲しみや壮烈な想いで、わしの腸はこんなに螺の貝のように捻じ巻いたのじゃないか」と山の祖神の翁は負けん気の声を振り立てていった。「だが、親子の縁は切り度くないもんじゃよ」

 とその言葉の下から縋り声で寄り戻した。

「あなたは生みの親、わたくしのいのちの親は、このあめつちと、この島山の人々。もはやあなたとわたくしを継ぐとか切るとかいうせきは放れております」と女神は淡々としていった。

「あなたが、わたくしを思い捨てなさるほど、わたくしはあなたに親しい愛娘になりましょう。その反対に、あなたが一筋でも低い肉親の血をわたくしにおつなぎのつもりがあったら、それは却ってわたくしから遠ざかりなさることになるのです。お判りになりませんか」

「わしが、おまえを東国へ思い捨てた歳からいま娘になるまでの歳月を数えてみるのに、いくら山の神々の歳月は人間の歳月と違うにしろ、数えてたかが知れている。それを何十万年何百万年の生い立ちの話をするなんて、あんまり親をばかにし過ぎるぞ。……いくらこの山の座り幅が広いたって、三国か四国に亙っているに過ぎまい。それを海山遠く取入れた話をするなんて、あんまり大袈裟おおげさだぞ。女の癖に」

 山の祖神のこういうたしなめ方に対し福慈の女神はもう何ともいわなかった。

「おい、娘、何とかいわんかい」

 と催促されてもうそ寒そうに袖の中に手を入れ合して立っているだけだった。

 山の祖神は

「こいつ氷のように冷たいおなごじゃねえ」

 といった。

「よし、きさまがそういう料簡りょうけんなら、こっちにもこっちの料簡がある」

 といい放った。

 山の祖神の翁に、噎返むせかえるような怒りと愛惜の念、また、不如意の口惜しさ、老いて取残されるものの寂しさがこもごも胸に突き上げて来た。

 翁はじっとしていられなくなって廻された独楽こまのように身体のしん棒で立上った。娘をはたっにらみ、焦げつく声でいった。

「よし、こうなったら、やぶれかぶれ。おれはきさまをのろってやる。金輪際こんりんざいまで詛ってやる。今更、この期になってびくつくまいぞ」

 娘の冴えまさる美しい顔を見ると、その毒心もつい鈍るので翁は眼を娘から外らしながら声を身体中から振り絞るべく、身体を揉み揺り地団太じだんだ踏みながら叫んだ。

「福慈の山、福慈の神、おまえは冷たい。骨の髄に浸みるまで冷たい。えい、冷たいままで勝手におれ、年がら年中冷たい雪を冠っておるのがいいのさ。草木も懐かぬ裸山でおれ。凍るものから、餌食を見出して来やがれ」

 ぺっぺっぺっと唾を三度、庭に吐き去りかけたが、ふとそこに落ちている小石の一つを拾って手早く懐に納め、

「ざまを見よ。やあいやあい」

 といって出て行った。

 この山の祖神の福慈の神に対する呪詛の言葉を常陸風土記では、

 汝所居山、生涯之極、冬夏雪霜、冷寒重襲、人民不登、飲食勿奠者

 という文字で叙している。またこれにより富士は常に白雪を頂き、寒厳の裸山になったのだ、と古常陸地方の伝説は構成している。


 東国へ思い捨てたこどもに邂逅めぐりあう望みを、姉の福慈岳の女神に失望した山の祖神は、せめて弟に望みを果し度いものだと、なおも東の方を志して尋ね歩るき出した。姉に訊いたら、あるいは消息を知ったかも知れないが、薄情を怒るどさくさ紛れに、つい訊くのを忘れたのを今更残念に思うものの、取って返して訊き直すこともならない。山の祖神の翁は行き合う人に訊ねることを唯一の手がかりにしてひたすら東の方にある山を望んで足を運ばせた。

 行糧の料はすでに尽き、衣類、履ものも旅の責苦に破れ損じた。この身なりで物乞うては餓を満たして行く旅の翁を誰も親切には教えて呉れなかった。

 足柄の真間の小菅を踏み、箱根のろのにこ草をなつかしみ寝て相模さがみへ出た。白波の立つ伊豆の海が見ゆる。相模小嶺おみねを見過し、真砂余綾よろぎの浜を通り、岩崩いわくえのかげを行く。

 東の国へ行くには二手の道があった。一つは山寄りの道を辿るのと、一つは海を越えて廻って行く道とであった。

 山寄りの道を行く方が山の岳神を探すに便利は多いようなものの、それ等の山は多く未開の山で、ちょっと人に訊いただけでも、山の主は、百足むかでであるとか、猿であるとか、鷲であるとか、気の利いた山の神ではなかった。これでは訪ねずとも判っている。翁は身に疲れも出たことなり、漸く舟人に頼み込み、舟の隅に乗せて貰って浪路を辿った。

 海路は相模国三浦半島から、今の東京湾頭を横断して房総半島の湊へ渡るのが船筋だった。

 土地不案内に加えて、右往左往した上、乗った船もここにはやてを除け、かしこに凪ぎを待つという進み方なので山の祖神の翁の上に人間の歳月の半年以上は早くも経ってしまった。

夏麻なつそ挽く、海上潟うみかみがたの、沖つ州に、船はとどめむ、さ夜更けにけり。

 しとしとと来た雨の夜泊の船中で、ねがてたとまの雫の音を聞いていると翁の胸はしきりに傷んだ。翁は拾って来た娘の家の庭の小石を懐から取出して船燈のかげで検めみる。普通の石とは違っている。

 すべすべして赤く染った細長く固い石である。頭と尾は細く胴は張っている。背及び腹にえらのようなものが附いている。魚の形と見られぬこともないが、より多く涙が結晶した形と見る方が生きて眼に映る石の形であった。それは福慈岳が噴き出した火山弾の一つであるのだった。

「娘が変っているだけに、庭の小石も変っていら」

 翁はそういって、なおも燈のかげで小石を捻っていた。

 傷むこころに、きらりと白銀の丸のような光りが刺した。

「おれはいま娘の涙を手に弄んでいるのではあるまいか」

 すると、娘がいったことであのときは不服のあまり胸に受けつけなかった意味のことが、まざまざと暗んじ返されてく来るのだった。

「庭の小石まで涙の形になってやがる。ひどい苦労は確にしたのだな」

 それに凝りずに、娘はなおも苦労を迎えてそれを支えた成長の肋骨を増やす積りでいる。凍るほど冷く感じられたおんなだったが、執拗しつこく逞しく激しい火の性を籠らしている。その現れのようにこの涙型の石が血の色に赤く染っていることよ。石が尾鰭まで生やして、魚になっても生き上らんいのちの執拗さを示している。娘が何度も青春を迎えるといった言葉が思い出される。

 翁は掌の上に載せた火山弾にだんだん切ない重みを感じながら、その娘に対し氷にもなれというような呪詛をかけたことのおよそ見当違いでもあり、無慈悲な仕打ちであることが悔まれた。

 今頃、娘はどうしているだろう。福慈岳には夏に入るので白雪でも頂いていやしないか知らん。

 翁はすごすごと小石をまた懐へ入れた。苫に当る雨音を聞きながら一夜を寝苦しく船中に明した。


 房総半島に上り、翁は再び望多うまぐさろの笹葉の露を分け進む身となった。葛飾かつしかの真間の磯辺おすひから、武蔵野の小岫ぐきがほとり、入間路いりまじの大家が原、埼玉さきたまの津、廻って常陸の国に入った。

筑波に、雪かも降らる、否諾いなをかも、かなしき児等が、布乾にぬほさるかも

 山の祖神は、平地に禿立とくりつしている紫色の山を望み、それは筑波という山であって、それには人身の形をした山神が住んでいることを聞き知った。


 その山は全山が森林で掩われて鬱蒼としていた。麓の方はかしの林であり、中腹へかかるとそれがもみの林に代る。頂に近いところは山毛欅ぶなとなった。山の祖神おやのかみの翁はまだ山に近付かないさきから山の林種はこれ等で装われていることを、ゆる山緑の色調で見て取った。この様子の山なら草木の種類はまだ他にたくさん宿っている筈だ。

「豊な山だな」

 翁は手を翳してほほ笑んだ。

 山の頂は二つに岐れていた。尋常な円錐形の峯に対し、やや繊細かぼそく鋭い峯が配置よく並び立っている。この方は背丈けは他より抽んでているが翁には女性的に感じられる。翁はこの山には人身の岳神が住み守ると聞いたが、それにしたら、その岳神は結婚していて、恐らくその妻は良人より年長のいわゆる姉女房であるであろうと山占いをした。

 東国の北部の平野は広かった。茅草ちがや・尾花の布きなびく草の海の上に、ならはりの雑木林が長濤のようにうち冠さっていた。榛の木は房玉のような青い実をつけかけ、風が吹くと触れ合ってかすかな音を立てた。丸く見渡せる晴れ空をしら雲が一日じゅうゆるくわたって過ぎた。

 その山は北の方から南へ向けて走る大きな山脈の、脈端には違いないのだが、繋がる脈絡の山系はあまりに低いので、広い野に突禿とつとくとしてもたげ出された独立の山塊にしか見えない。母体の山脈は、あとに退き、うすれ日に透け、またはむれ雲の間から薔薇色に山襞やまひだを刻んで展望図の背景を護っていた。

 平野のどこからも眺められるその山は、朝は藍に、昼はよもぎ色に、夕は紫に色を変えた。山の祖神の翁は、夕の紫の山をいちばん愛した。

 翁が、草のしとねに座って、しずかにその暮山を眺めやるとき、山のむらさきから、事実、ほのかで甘く、人に懐き寄る菫の花の匂いを翁の嗅覚は感じた。

 翁は眼を細めて

「山近し、山近し」

 と呟いた。

 その言葉は、翁が福慈神に近付くとき胸に叫んだと同じ言葉ではあるが、翁はただ呟いただけで山に急ぐこころは無かった。その山は急いで近寄らなければ様子が判らないというような山容ではなかった。離れて眺めているだけでも懐しみは通う山の姿、色合いだった。むしろ近付いたら却って興醒めのしそうな懸念もある遠見のよさそうな媚態びたいがこの山には少しあった。

 広野の中に刀禰とねの大河が流れていた。こも水葱なぎに根を護られながら、昼は咲き夜は恋宿こいするという合歓ねむの花の木が岸に並んで生えている。翁はこの茂みの下にしばらく憩って、疲れを癒やして行こうと思った。何に疲れたのか。もちろん旅の疲れもある。しかしもっと大きいのは娘に対する疲れであった。

 福慈岳で女神の娘と訣れてから旅の中にすでに半歳以上は過ぎた。訣れは憤りと呪いを置土産にいで立ったものの、渡海の夜船の雨泊中に娘の家の庭から拾って来た福慈岳の火山弾を取出してみて、それが涙痕の形をしており、魚の形をしており、また血の色をしているところから福慈岳神としての娘の苦労を察し、決意のほどもほぼうかがえた。それにつれて一時それなりにし去れたと思えた娘の主張が再び心情を襲うて来て、手脚の患い以上に翁を疲らすのであった。

 娘のいったことは自然の意志としたならあまりに生きて情熱に過ぎている。もちろん人間の考えだけであれだけの超越の霜は帯ばれない。娘はいのちということをいったがそれは自然と人間を合せて中から核心を取出したそのものをいうのであろうか。翁は今までの生涯に生きとし生けるものの逃れず考えることは生活と幸福と生死ということであると思っていた。そしてこれ等のことは人間が山に冥通する力を得て二つの山の岳神となり得たとき総ては解決されるとまた思っていた。山の生活、山の幸福、そこに何一つ充ち足らわぬものがあろうか。命終せんとして雲に化しいわおに化す。そこに生死を解脱げだつして永世に存在を完うしようとする人間根本の欲望さえ遂げ得られるのではないか。

 それに引代え娘はいくたたびの生死を語り、その生死毎に苦悩と美への成長を語り、生活とも幸福ともいわない。いてそれらしいものを娘の言葉の中から捕捉するなら娘がいったいくたたびか迎える辛くも新鮮な青春、かくてついに老ゆることを知らずして苦しくも無限に華やぎ光るいのち。娘にしたらこれをこう生活とも幸福ともいうのだろうか。おう!

 山と人間を冥通するところの力に座して世に経るを岳神という。岳神も神には神である。だがこの程の生き方を望もうとも経られようとも思わぬ。

 それは人界の理想というものに似ている。現実に遠く距るほど理想である。しかもあの娘はその遠く距るものを現実にけ生かそうとするものではなかろうか。

 娘は祭の儀を説いて神の中なる神に相逢うといった。

 思えば思うほどひとり壁立万仭ばんじんの高さに挺身ていしんして行こうとする娘の健気けなげな姿が空中でまぼろしと浮び、娘の足掻あがく裳からはうら哀しいしずくが翁の胸にしたたって翁を苦しめた。

 取り付きようもない娘の心にせめて親子の肉情を繋ぎ置き度い非情手段から、翁はのろいという逆手ぎゃくてで娘の感情に自分を烙印らくいんしたのだったが、必要以上に娘を傷けねばよいが。

「どうしたらいいだろうなあ」

 山の祖神の翁は螺の如き腹と、えび蔓のように曲がった身体を岸のくさむらもたせて、ぼんやりしていた。道々も至るところで富士の嶺は望まれたが見れば眼が刺されるようなので顧ってみなかった。

 岸の叢の中には、それを着もののひもにつけると物を忘れることができるという萱草わすれぐさも生えていたが、翁はそれも摘まなかった。せめて悩んでいてやることが娘に対する理解の端くれになりそうに思えた。

 前には刀禰とねの大河が溶漾ようようと流れていた。上つ瀬には桜皮かにわの舟に小檝おがいを操り、藻臥もふじ束鮒つかふなを漁ろうと、狭手さで網さしわたしている。下つ瀬には網代あじろ人が州の小屋にこもって網代にすずきのかかるのを待っている。

 翁はときどき、ひょんなところで、ひょんな憩い方をしていると、苦笑して悩みつつある一人ぼっちの自分を見出すのであったが、なかなか腰は上げにくかった。

 東国のこのわたりの人は言葉や気は荒かったが、根は親切だった。餓えて憩っている老翁のために魚鳥の獲ものの剰ったのを持って来て呉れたり、菱の実や、黒慈姑えぐを持って来て呉れたりした。雨露を凌ぐこもの小屋さえ建てて呉れた。

 昼は咲き夜は恋宿こいするという合歓の木の花も散ってしまった。翁は寂しくなった。翁がこの木の下にしばし疲れを安めるために憩うたのは、一つは、葉の茂みの軟かさにもあるのだろうが一つは微紅とき色をした房花に、少女として自分の膝元に育て上げていた時分の福慈の女神の可憐な瞳の面かげを見出していたのではあるまいか。ぱっと開いてしかも煙れるような女神の少女時代の瞳を、翁は娘の成長に伴う親の悩みに悩まされるほど想い懐しまれて来るのだった。

 刀禰とねの流れは銀色を帯び、渡って来た、秋鳥も瀬のに浮ぶようになった。筑波山の夕紫はあかあかとした落日に謫落たくらくの紅を増して来た。稲の花の匂いがする。

「山近し、山近し」

 山の祖神の翁は今は使い古るしになっているこの言葉を呟いた。そしてやおら立上った。その山は確に葉守はもりの神もいそしみ護る豊饒な山に違いない。そしてまた、そこに鎮まる岳神も、かつて姉の福慈の女神と共に、東国へ思い捨てたわが末の息子が成長したものであろうという予感は沁々しみじみとある。それでいてなお急ぐこころは湧き出でない。

 河口に湖のようになっている入江の秋水に影をひたすその山の紫をもう一度眺め澄してから翁は山に近付いて行った。


 山ふもとの端山の千木ちぎたかしる家へ山の祖神の翁は岳神を訪ねた。

 一年は過ぎたが不思議とその日は翁が福慈岳の女神を訪ねたと同じ頃で、この辺の新粟を嘗むる祭の日であった。岳神の家は幄舎あくしゃに宛てられていた。神楽かぐらの音が聞えて来る。

 山の祖神の予感に違わず、この筑波の岳神は、自分の息子の末の弟だった。

 しかし息子は、父親の神の遥々の訪れをそれと知るや、直ちに翁を家の中へ導き入れ、紹介ひきあわせたその妻もろとも下へも置かない歓待に取りかかった。そうしながら祭の儀も如才じょさいなく勤めた。

 その妻は翁の山占い通り、いささか良人より年長で良人の岳神を引廻し気味だった。彼女はいった。

「ふだん、どんなにか、お父上のことを二人して語り暮らしておりましたことでしょう。有難いことですわ。これで親孝行をさして頂けますわ」

 家の中のいちばんよい部屋を翁のために設けて呉れた。この山にるものの肥えて豊なさまは部屋の中を見廻しただけでも翁にはすぐそれと知れた。

 黒木の柱、梁、また壁板の美事さ、結んでいる葛蔓の逞しさ、簀子すのこの竹材の肉の厚さ、翁は見ただけでも目を悦ばした。敷ものの獣の皮の毛は厚く柔かだった。

 壁の一側に楉机しもとづくえを置き、皿や高坏たかつきに、果ものや、乾肉がくさぐさに盛れてある。一甕の酒も備えてある。

 狩の慰みにもと長押なげしに丸木弓と胡籙やなぐいが用意されてあった。

 息子の夫妻は朝夕の間候を怠らず、食事どきの食事はいつも饗宴のような手厚さであった。

 息子夫妻のそつの無い歓待振りはまことに十二分の親孝行に違いなかった。普通にいえばこれで満足すべきであろう。だが父の祖神の翁には物足りないものがあった。

 息子夫妻が父の祖神の翁に顔を合すとき、大体話は山の生産の模様、山民の生活の状況、それ等をたばねて行く岳神としての支配の有様、そのようなものであった。それは誰が聴いても円満で見上げたものであった。山民間に起った面白そうな出来事を噂話のように喋っても呉れた。だが、それだけだった。

 親子関係を離れて誰に向っても話せる筋合いの事柄ばかりである。折角、親子がたまにめぐり合うのは、もっと心情に食い込んだ、親子でなければできないという気持の話はないものか。人知れない苦労というものが息子の岳神にはないのか、囁いて力付けて貰ったり、慰めて貰ったりしたい秘密性の話はないのか。

 気を付けてみるのに、息子の岳神のこの公的な円満性は、妻に対してでもそうであった。

 夫妻はむつまじくて仲が良い。良人を引廻し気味に見える才女の姉女房も、良人を立てるところには立派に立てた。岳神の家としての事務の経営は少しの渋滞もなく夫妻共に呼吸は合っている。それでいて何となく夫妻の間に味がない、お人良しでしかも根がしっかり者の良人の岳神が少しにやにやしながら、

「働けそうな女なので、共稼ぎにはいいと思いましてね、この奥地の八溝やみぞ山の岳神の妹だったのをもらって来ましたのです。これでも求婚の競争者が相当ございましてね」

 という意味のようなことを話しかけると、妻は

「まあまあ、そんなお話、どうでもいいじゃございませんか」

「それよりかまだ山の中でおとうさまがお見残しのとこもございましょう。幸いよい天気でございますから、あなたご案内して差上げたら」

 と、とかくに事物の歓待の方へ気を利かして行くのであった。

 翁の方からは何もいい出せなかった。いい出せる義理合いではないと翁は思っていた。すでに東国へ思い捨てた子である。それが自力でかかる豊饒な山の岳神ともなっていて呉れてるのだから何もいうことはない。山の祖神としては、この分身によって自分にも豊かさという性格を附け加え得られ、眷属けんぞくの繁栄を眼に見ることである。感謝すべきだ。

 姉娘に対してはとかく恋々たる山の祖神の翁も弟の岳神に対してはどういうものかこの点は諦めがよかった。

 ただ一言この弟の岳神の口から聞かして貰い度いのは姉娘の福慈岳の女神の批評だった。翁はそれを聞いて、もし悪罵あくばの声でも放って呉れるなら不思議に牽かれる娘の女神への恋々の情を薄めてでも貰えるようにさえ感ずるのだった。

 翁はここに於てはじめて姉娘に就いての口を切った。

「来る道で、実は福慈岳へも寄ってみたよ」

 弟の岳神は顔の色も動かさず

「それは何よりでございました。姉さんもお歓びでございましたでしょう」

「ところが生憎あいにくと祭の日だったのでね。泊めて貰うこともできなかったよ」

 翁はこういって弟の岳神の顔を見た。弟はうなずいたが声はあっさりしていた。

「そりゃお気の毒なことでございました。あちらはこちらと違って諸事、厳しいところもございましょう」

 翁はいらだつように訊いた。

「おまえ等は、福慈とは交際つきあっていないのかい」

 すると弟の岳神は言訳らしく

「なにしろ自分の持山のことで忙しく、ついついご無沙汰をしております」

 そのとき岳神の妻が傍から、ちょっと口を入れた。

「前にはお姉さまのところへも、ときどき伺ってみましたのですが、ああいうお偉い方のことですから、すぐこっちに話の接穂つぎほが無くなってしまう場合も多く、それにああいうご勉強家のことですから、お邪魔しましても、何かお妨げするような気もいたしますので、ついついご無沙汰勝ちになってしまったのでございますわ」

 それからちょっと間を置き、

「ずいぶん、普通の女の子とは変っていらっしゃいますわね」

 その言葉につれて良人の岳神も

「どういうものか、あの人の前へ出ると、威圧される気がするところから、つい心にもない肩肘の張り方をしてしまう。どうも姉弟ながらうち解けにくい」

 とこぼした。

 山の祖神が息子夫妻から衷情を披瀝したらしい言葉を聴いたのは、この姉娘に対する非難めく口振りを通してだけだった。

 山の祖神はこれを聴くと、息子夫妻と一しょになって姉娘を非難したい気持なぞは微塵みじんもなくなった。腹の中で、「この平凡な若夫婦に、何であの福慈の女神のことなぞが判るものか」と想いながら、こういう言葉で姉娘に関る話は打切りにした。

「なに、あれで、なかなか女らしいところもあるんだよ」と。


 この山は人間がなじみ易い山だった。水無みなの川を越えて山腹にかけ山民の部落があった。石も多いがしかしそれに生え越して瑞々みずみずと茂った、赤松、もみ山毛欅ぶなの林間を抜けて峯と峯との間の鞍部に出られた。そこはのびのびとしていて展望も利いた。

 二つに分れている峯にはどちらにも登れた。岳神の息子夫妻の象徴のように一方は普通の峯かたちで、一方はいくらか繊細きゃしゃで鋭くけも高かった。山の祖神の老いの足でも登れた。

 東の国の平野が目の下に望まれた。その岸に寝た刀禰の川水がうねうねと白く光って通っている。河口の湖のような入江。それから外海の波が青く光っている。

 西北の方には山群が望まれて、翁の心を沸き立たした。も少し自分の齢が若かったらこどもをあれ等の岳神に送るのにと思わしめた。山郡のところどころに高い山が見えた。煙りを噴いてる山も望まれる。遠く福慈岳が翁の眼に悲しく附きまとう。

 奇妙な形をしたいろいろの巨きな岩、滝──女体の峯から戻って来る道には、そういう目の慰みになるものもあった。虫を捉えて食べるという苔、実の頭から四つの羽のつとが出ている寄生木やどりぎの草、こういうものも翁には珍らしかった。

 息子の岳神は暇な暇な、父の祖神を山中に案内して見せて廻るうち、ある日、山ふところの日当りの原を通りかかり、そこに二坪近くの丸さに、小竹之葉ささがはが剥げ、赤土がき出ているのを見付けると、息子の岳神は指して笑いながらいった。

「猪が仔猪をつれて来て相撲すまって遊ぶところです」

 赤土は何度か猪のひづめに蹴鋤かれたらしく、綿のように柔かに、ほかほか暖そうであった。

「なるほど、この辺は人里離れて、猪の遊ぶのに持って来いだ」

 翁はそういって、傍の保与ほよ(寄生木)のついている山松を見上げた。その日は何心なくそれで過ぎた。

 岳神の父親が滞在すると聞き付けて、配下の土民たちはところところの産物を父の祖神に差上げて呉れと持って来た。

 加波山で猟れた鹿らしく鹿島の猟で採れたあわび新治にいばりの野で猟れた、しぎ、那珂の川でとれたという、蜆貝しじみがい。中にははるばる西北の山奥でとれたのをまた貰いに貰って来たといって、牟射佐妣むささびという鳥だか、獣だか判らないものをお珍らしかろうと贈りに来た。老衰を防ぐにはこれが第一だといって武奈岐むなきを持って来て呉れるものもある。

 夜の奥の綾むしろは暖く、結燈台の油つきに油はなみなみとしている。

 翁は衣食住の幸福ということも考えないではいられなかった。

 それで常陸風土記ひたちふどきによると一応はこうも事祝ことほいでやった、

「人民集賀、飲食富豊、代々無絶、日々弥栄、千秋万歳、遊楽不窮」と。

 しぐれ降る頃には、裳羽服もはきの津の上で少女男が往き集う歌垣が催された。

 男列も、女列も、青褶あおひだの衣をつけ、紅の長紐を垂れて歌いつ舞った。歌の終り目毎に袖を挙げて振った。それは翁の心に僅かに残っている若やぐものに触れた。

 岳神の妻は、笑って冗談のようにして、

「この中に、もし、お気に入りの娘でも見当りましたら、お身のまわりのお世話に侍かせましょう」

 といって呉れた。

 しかし翁は寂しかった。

 ある日、土民の一人がうりわらべを拾って持って来て呉れた。それは猪の仔で、生れて六七月になる。筒形をしていて柔かい生毛の背筋に瓜のような竪縞が入っていた。それで瓜わらべと呼び慣わされていた。

「これはよいものを貰った。肉は親の猪より軟かでうまいものです」

 息子の岳神はそういって、父の祖神に食べさすように妻に命じた。

 翁は、ういういしく不器用な形の獣の仔を見ると、何か心の喘ぎが止まるような気がした。とても殺して食べさせて貰う気なぞ出なかった。

「ちょっと待って呉れ。これはそのままでわしが貰おう」

 翁は、瓜わらべを抱えて戸外へ出た。瓜わらべはくねくね可憐な鳴声を立てて鼻面を翁の胸にこすりつけた。翁は何となく涙ぐんだ。

 翁は螺の腹にえび蔓の背をした形で、瓜わらべを抱え、いつの間にか、いつぞや、息子の岳神に教えられた山ふところの猪の相撲場に来ていた。蹄で蹴鋤いた赤土はほかほかしている。

 山の祖神は、あたりを見廻した。見ているものは保与ほよのついた山松ばかりだった。翁は相撲場の中へ入り瓜わらべを土の上へ抱き下した。

 螺の腹にえび蔓の背の形をした老翁と、筒形の瓜わらべとは、猫がまりを弄ぶように、また、老牛が狼にまれるように、転びつ、倒れつ千態万状を尽して、戯れ狂った。初冬の風が吹いて満山の木が鳴った。翁は疲れ切って満足した。瓜わらべにちょっと頬ずりして土に置いた。瓜わらべの和毛にこげから放つらしい松脂の匂いが翁の鼻に残った。

 翁はしばらく息を入れていた。瓜わらべは小竹の中へ逃げ込みそうなので片手で押えた。

 膝がしらがちくちく痛痒い。翁が検めみると獣のだにが五六ぴきはかまの上から取り付いていた。猪の相撲場の土には親猪が蝨を落して行ったのだった。

「こいつ」

 といって翁は、膝頭の蝨を、宝玉を拾うように大事に、一粒ずつ摘み取る。老いの残れる歯で噛み潰した。獣の血臭いにおいがして翁の唇の端から血の色がうっすりにじんだ。満山の風がまた亙る。

 翁にはもう何の心もなくなった。手を滑った瓜わらべは逃れて小竹の茂みに走り込んだ。代りに親猪の怒れる顔面を翁は保与ほよのついた山松の根方に見出した。

 山の祖神の事である、山に棲めるほどのものを自由に操縦できないいわれはない。けれども、翁は、

「命終のとき」

 といって、従容とその親猪の牙にかけられて果てた。


 初夏五月の頃、富士の嶺の雪が溶け始めるのに人間の形に穴があく部分がある。「富士の人型」といって駿南、駿西の農民は、ここに田園の営みを初める印とする。その人型は螺の腹をしえび蔓の背をした山の祖神の翁の姿に、似ている。いやそれにやや獣の形を加えたようでもある。

 ここにまた筑波の山中に、涙明神という社がある。本体には富士の火山弾が祭ってある。


 山の祖神おやのかみが没くなるとまもなく子が無いことをかこっていた筑波の岳神夫妻の間にこれをきっかけに男女五人ほどのこどもができた。

 風の便りに聞けば、山の眷属の西国の諸山にも急にこどもの出生の数を増したという。

 老いたるは、いのちを自然に還して、その肥田から若きものの芽を芽出たしめるという。

 生命の耕鋤順環の理が信ぜられた。

 水無瀬女は、豊かな山に生れ、しかも最初に生れた総領娘なので、充分な手当と愛寵の中で育てられた。ふた親は常にひめにいって聴した。「東国では、あなたが、あの偉大な山の祖慫神おやのかみさまの一番の孫なのですよ」と。孫娘はおさな心に高い誇りを感じた。

 ふた親は、なお、祖父の神の偉大さを語るにこういう言葉を使った、「なにしろ、西国の山々はもちろんのこと、東国でも、福慈とか、この筑波とかいう名山には必ず、こどもをお遺しになり、山を拓かすと共に、眷属の繁栄さかえをお図りになった方なのだから」と。

 祖父の偉れた点を語ることは、また、その孫娘に偉れることを慫慂しょうようすることでもあった。

 ふた親は、自分たちのことに就ては「わたし達は、何ということはない平凡なものさ。けれども、山を拓くことにかけては、これでも人知れない苦労はしたものさ」

 ひめは、幼いときから、礼儀作法を仕込まれた。女のたしなみになる遊芸の道も仕込まれた。しかし最もしつけに重きを置かれたのは生活の調度の道だったことは、ふた親の性格からして見易き道理であった。麻野には麻をき、蚕時こどきには桑子くわこを飼う。──もし鯛が手に入ったらひると一しょにひしお酢にし即座の珍味に客に供する。もし小江さえの葦蟹を貰ったら辛塩を塗り臼でついて塩にして永く貯えの珍味とする。こういう才覚が母によって仕込まれた。女は歌垣に加わって歌舞する手並も人並以上に優れたが、それよりも、繭を口に含んで糸を紡ぎ出し、機糸の上を真櫛でもって掻きさばく伎倆の方が遥に群を抜いていた。

 女は容貌みめかたちも美しかったので、かかる才能と共に、輩下の部落の土民の間でめものにされた。ふた親にとっては自慢の総領娘となった。

 ふた親にとっては姉に当り、自分にとっては伯母に当る駿河能国するがのくにの福慈の女神のことについては、どういうものかふた親はあまり多くを語らなかった。語るのを好まないようだった。強いて訊くと「あんな伯母さんのことを気にかけるものではありません」「仔細あって私たちは交際つきあってはいません」「あれで、なかなか裏に裏のある女でね」「あんな大きな山に住えば誰だって評判はよくなるさ。いってみれば運のよい女さ」「私たちと違って苦労知らずの女さ」「女のことは何一つできないあれが、どうして評判がいいのだろう」まずは悪評に近い方だった。しかしそれでいて、人々がふた親の目の前で福慈岳と女神のことを褒めると、ふた親は女神は自分たちの姉であることを明して、近しい眷属であることを誇った。

 水無瀬女は、ときどき山の峯の鞍部のところへ上って、伯母の山を眺めた。煙霧こそ距つれ、その山は地平の群山を圧して、白く美しく秀でていた。

「やっぱり、立派だわ、うらやましいわ」

 と声に出して言った。そしてふた親はいかにあれ、女神があの山の如きであるなら、どうか自分もあの伯母さんのようになり度いものだと、理想をかの山に置いた。

 女にだんだんもの心がつき、比較によって自分と他とを評価する力が生れて、福慈岳の評判を聞いてみると、その秀でさ加減はあまりにも自分の資格とはかけ離れたものであった。積といい量といい形といい、もはや生れながらにも及びつかない素質の異りがあると感じないわけには行かなかった。一つ山の眷属の女でどうしてこうも恵まれ方に違いがあるのだろう。女は福慈岳を眺めて、美しさよりぬけぬけとすまし返っているような感じが眼につくようになった。

「お伯母さまが、なにもかにも眷属中の女の良いところのものは一人で持ってらしってしまったのだわ」

 うらやましさが嵩じてねたみともなった。

「だから、あたしのような屑の女も、眷属中にできるのだわ」

 そして、ふた親がとかく福慈岳に対して反感を持つような態度であるのは、平凡が非凡から受ける無形の圧迫から来るものであること、また、自分に山の祖神の嫡孫の気位を高く持たせ、それに相応ふさわしい偉れた女に生い立たしめようとするのも、伯母に対するふた親の無意識の競争心から来るものであることを感付かないわけにはゆかなかった。

「駄目々々。偉くなることなんて。あたしに、さっぱりそんな慾はなくってよ」

 捨てるともなく誇りと励みに背中を向けかけると、ふた親が説く、山の祖神の偉さというものより部落の間の噂に遺っている山の祖神の偉からざる方面のことが女には懐しまれて来た。

 祖父さまは山中の猪の相撲場で、猪の仔の瓜わらべと遊び戯れているとき、猪の親に襲われ、牙にかかってお果てなされた。祖父さまは娘の福慈の神のつれない待遇を恨まれ、娘の神に詛いをかけたのみか、執着は、峯のしら雪に消え痕ともなって自形じぎょうの人型をとどめられた。それは稚気と、未練であるでもあろう。それゆえ、ふた親は自分に秘して語らない。しかし部落の土民たちがこれを語るときに現す、山の祖神に対する親しげな面貌よ。稚気と未練に含まれて、そこに何かあるに違いない。

 女は年頃になった。相変らずこの界隈の褒めものの娘であり、ふた親の自慢娘ではあった。女はもはや山の鞍部へ上って伯母の山の姿を眺め見ることはせず、理想なるものを持たず、ただその日その日を甲斐々々しく働いた。雁金かりがねが寒く来鳴き、新治にいばりの鳥羽の淡海も秋風に白浪立つ頃ともなれば、女は自分が先に立ち奴たちを率いて、裾わの田井に秋田を刈った。冬ごもり時しも、旨飯を水にかもみなし客をねぎらう待酒の新酒の味はよろしかった。娘はどこからしても完璧の娘だった。待酒を醸む場合に、女はまずその最初の杯の一杯を、やしろいつき祭ってある涙石に捧げた。それは祖父の山の祖神が命終のとき持てりしものの唯一の遺身かたみの品とされていた。

 年頃になって、完璧の娘で、それでいて女に男の縁は薄かった。異性にしていい寄る恰好かっこうをするものもあるが、それは単に年頃にかかる娘への愛想か、岳神の総領娘に対しての敬意を変貌させたようなもので、恰好だけに過ぎなかった。もとより女自身からは乗り出せない。そういう触手は亀縮かじかんでいる。双親を通して申込まれる山々からの縁談も無いことはないのだが、ぜひ自分でなくてはと望むらしい熱意あるもとめとは受取れなかった。良山良家の年頃の娘でさえあれば、一応、口をかけて問合わされる在り来りのものに過ぎなかった。双親はまた、自分たちの眼からしてたいしたものに思いしている娘を、滅多な縁談にやれないといい張った。相手の山や岳神を詮議して、とかくそれ等に不足を見付け出した。娘の婚期は遅れて来た。双親は負け惜しみもあり、なに、それなら、水無瀬は筑波の岳の跡取にして、次の代の筑波は女神、女族長でやらして行くといっている。

 水無瀬は何となく生きて行くことにくさくさして来た。さほど醜くもなく、これだけ物事ができる自分が、せめて、どうして男の縁が薄いのだろうか。女が男に対する魅力とは、全然こういう資格や能力とは関係ないのか。それにつけても久振りに伯母の福慈の女神のことが思い較べられて来るのであった。

 往来の道が拓けるにつれ、東国の西の方よりこの東国の北部の方へ入り込んで来る旅人が多くなった。女はその人々の口からして伯母の女神のその後の消息を少しずつ詳しく聴くことができた。

「福慈の女神はだんだん若くなるようである」と旅人たちはいった。七つ八つの童女の容貌を持ち、ただそのままで身体は大きい。怒るときは、山腹にかみなり稲妻を起し満山は暗くなった。笑うときは峯の雪を日に輝して東海一帯の天地を朗なものにした。悲しむときは、鳴沢に小石が滑り落ちる音が止めどもなくしくしくと聞えて来る。

 平野に雲の海があるとき、霞棚引けるとき、それ等を敷莚しきむしろにして、幽婉な寝姿が影となって望まれる。それは息もないようなしずかな寝姿であり、見る目はばからぬこどものようにあおむき踏みはだかった無邪気な寝姿でもある。

 しかも、女神のさとさと敏感さは年経る毎に加わるらしく、天象歳時の変異を逸早く丘麓の住民たちに予知さすことに長けて来た。従来、ただ天気の変りを予知さすだけに、峯の頂の天に掲げ出した、笠なりの雲も、近頃では、その色を黒白の二つに分け、黒の笠雲の場合は風雨のある前兆とし、白い笠雲の場合は風ばかりの前兆としたようなこまかさとなった。

 幾人の神人や人間が、この女神に恋をしたことであるだろう。女神は一々、まじめに、その恋を求むる男たちに見向ったらしい。だが何人がこの女神の逞しい火の性、徹る氷の性に、また氷火相闘つ矛盾の性にけ応えられるものがあったろう。彼等のあるものは火取り虫のように却って羽を焼かれ、あるものは虫入り水晶の虫のように晶結させられてしまった。矛盾の性に見向われたものは、裂かれて二重の空骸となった。それ等の空骸に向って女神は、涙をぽたぽた垂しながら、でさすり「可哀相に、いのちの愛までは届かぬ方」というというが、誰もその意味を汲取ったものはない。ただ女神にそういわれて撫でさすられた空骸は、土に還ると共に、そこからはこけ桃のような花木、あざみのような花草が生えた。深山みやまはんの木の根方にうち倒れた、醜い空骸は、土に還ると共に、根方に寄生して、そこから穂のような花をさし出すおにくという植物になった。

 生けるものに失望したのか、それとも自分自身現実離れして行くのか、女神の姿は、住いのふもとの館をはじめ地上ではだんだん見受け悪くなった。空間に浮ぶ方が多くなった。形よりも影、体よりも光り、姿よりも匂いで、人のまみゆる方が多くなった。水にひたす影に於てこそ、もっとも女神の現身うつしみをみることができる。

 見ぬ恋に憧れたあちこちの若い河神たちが、八人と集って来た。彼等は思い思いの麓の野に土を掘り穿うがち水を湛えた。水に映る女神の影を捉えようためである。たまたま女神は湛えた水の一つに姿をうつす。その場を張り守っていた河神は猶予なく姿を掴む。うたるる水の音のみ高く響いて、あとに残ったものは掌から肘に伝わる雫のみである。一とき聞くに堪えないような失望の呻き声が聞える。だが河神は肘の雫を啜っていう「私はこの女神のために諦めということを取失わされてしまった。消ゆるかに見えて、また立つさざなみ……」

 岳麓にできた八つの湖、その一つ一つを見まもる八人の河神の若い瞳。その辛抱を試しみるように、湖面に、ときどきさざ波が立つ。

 旅人たちの話を綜合してみて、いちいち驚かれる伯母が持てるものである。水無瀬女は、また「お伯母さまが、なにもかにも持ってらしってしまったのだわ。眷属中の良いところのものを一人で」とかこったが、男のこころまでかくも牽くということを聴くと、うらやましさが嵩じてなった嫉みは、更に毒を加えて燃えさせられ、激しい怒りとなった。女は「お伯母さまが、なにもかにもってってしまいなさるのだわ。あたしの分まで……」こういい直さないわけにはゆかなかった。女のこころは、決闘目はたしめとなって来た。かにかくに自分は一度伯母に会い、このなじらないでは措けないものをうちかけてみたい気持に、迫られた。

 あのつんとすまし、ぬけぬけと白膚を天にそびえ立たしている伯母の山が、これだけは拭えぬ心の染班しみのように雪消ゆきげの形に残す。伯母にとっては父、自分にとっては祖父の執着未練な人型なるものを見度かった。それを見ることによって自分に一ばん懐しまれる性格の祖神にも会えるような気がした。

 母はやや老い、筑波の岳神の家では、働きものの水無瀬が主婦のような形になっていた。世間の男たちからは距てを構えられる女も、家の中の弟妹たちからは母よりも頼みとされ、親しまれた。彼等は外なぞから帰って来ると、まず「姉さまは」と、探し求めた。

 水無瀬はその弟妹の中の上の弟をかたらって、三月の行糧を、山のいわやに蓄えた。姉の確りしたところで、いつも気を引立てられている勝気にも性の弱い弟は、この秘密で冒険な行旅を、姉の敢行力のかげに在って、共々、行い味われたので、一も二もなく賛成した。

 さしむかう鹿島の崎に霞たなびき初め、若草の妻たちが、麓の野に莪蒿うはぎ摘みて煮る煙が立つ頃となった。女は弟を伴ってひそかに旅立った。うち拓けた常識の国から、未萌の神秘の国へ探り入る気ずつなさはあったが──


 甲斐々々しくとも足弱の女の旅のことである。女が駿河路にかかったときには花後のおうちの空に、ほととぎす鳴きわたり、らずとも草あやめの色は、裳に露で染った。

 近づくにつれ、いよいよ驚かれるのは伯母のうしはく福慈岳の姿である。姪の女はただ圧倒された。これがわが肉体の繋りかよ。しかもこのものに向って、あらがおうと蓄えて来た胸の中のものなぞは、あまりに卑小な感じがして、今更に恥入るばかりであった。この儘に帰ろうか。それも本意ない。うち出して会おうとするには、すでに胸中見透されている気がして逡巡しりごまれた。ぎかくるは伯母のまにまにである。そしてこっちは、ゆくりなく、漂泊さすらう旅の路上で、ふと伯母に見出されたという形であらしめ度い。胸中いかに見透されていようと少くともこの形の態度なら超越の伯母に対し、初対面の姪むすめの恰好はつけられる。

 水無瀬女は弟を伴って福慈岳の麓の野をあちらこちらと彷徨さまよった。かつて常陸の山に在って旅人から聞いた話の、八つの湖に女神の姿を待ち侘ぶ河神たちの姿も眼の前に見た。河神たちの若い瞳は、陽炎かげろうを立てて軟く燃えているが、姿は骨立って痩せていた。冬はかくて痩せ細り夏に雨を得て肉附くことを繰返しながら、瞳は一途にあえかなるものに向って求めているのだと土民はいった。女はその瞳の一つだもち得たなら自分はどんなに幸福だろうと考えないわけにはゆかない。

 恋い死の空骸から咲き出でたという花木、花草は、今を春と咲き出していた。高く抽き出でた花はあつまってまぼろしの雲と棚曳き魂魄を匂いの火気に溶かしている。林や竹藪の中にくぐまる射干しゃが、春蘭のような花すら美しき遠つ世を夢みている。これをしも死から咲き出たものとしたなら、この花等は自らの花をも楽しく謳っているようである。ぴんちょぴんちょ、たちからたちから。北から帰って来たという小鳥たちは身籠る季節まえのまだ見ぬ雄を慕うて、さえずりを立てている。

 麓の春の豪華を、末濃おそごの裳にして福慈岳は厳かに、また莞爾かんじとして聳立そびえたっている。一たい伯母さんは幾つの性格を持っているのか知らん。

 晴れた日は全山を玲瓏と人の眼に突付けて、きずもあらば、看よ、看よと、いってるような度胸のよい山の姿である。曇った日は雪のとばり深く垂れ籠めて、臆した上にも病的な女が、人嫌いし出したようである。

 くさぐさの山の変化を見経ぐり、見分けながら、女はまだ伯母の女神の姿に遇わない。弓矢をたずさえて来た弟は、郷国くにの常陸には見受けない鳥獣を猟ってその珍しさに日の過ぐるのを忘れていたが、それも飽きていうようになった。

「伯母さんなんかに遇ったってつまんないじゃないか、もう帰ろうよ」

 部落の土民の間では、こういういいならわしがあった。「それはたぶん、女神が季節の変り目で、夏の化粧をされてるからだろう。でなければかわやに上られてはこされているからだろう」女神の化粧は自分で納得なっとくゆくまで何遍でも仕代えさせられるので永い。女神の上厠は、はこそのものよりも、うつらうつら物うち考えられるのでこれも永い。厠神の植山はにや姫、水匿女みずはのめも永く場を塞がれて手を焼くそうであるという。

 若い瞳がうち看守る八つの湖、春を敷妙しきたえの床の花原。この間にところどころ溶岩で成れる洞穴があった。形よき穴には生けるものが住んでいた。形悪しきには死にかかっているものが住んでいた。

 彷徨さまよいあぐねてこの洞穴の一つのまえを通りかかった水無瀬女は、穴の中からうめき声に混ってこういうのを聞いた。

「あの方は、いのち、いのちというが、ああ、いのちは、健康であるときにのみ有意義なのだ、この病める姿の醜さ。昼も夜もそのための尽きぬ嘆きに、ああ、わたしは、わたしに残れる僅かないのちの重味にさえ堪え兼ねている」

「この堪えられない程、烈しい息切れと、苦しい動悸のする身体。つくづく情無さを感ずる。呼吸を吸い込むと胸の中に枯枝か屑のようなものがつかえ、咽喉はいらいらと虫けらが這うように痒い。その不快さ。咳、濁って煤けた咳。六つも七つも続けさまに出る。胸から咽喉へかけて意地悪い痩せこけて骨張った手がねくり廻しているようだ。辛い。わたしは顔をしかめる。思わず口を醜く開く。さぞ醜いさまだろう。この辛さ醜くさを続けてまで、いつまであの方はいのちを担って行けといわれるのだろうか」

「こんなに痩せ細ってしまって、この先どうするのだろう。私はともかくこうして二十七まで生きたんだから、もう死んでもいいのだと思うのだが。一日々々と醜く苦しませないで早く死なせて貰いたい。丈夫な時には、希望も、歓楽も、恋もあったが、病気になってみれば何にもない。死ねばどうなるのか私はそれを知らない。病が苦しいから死のうと思うだけだ」

「蛙の声が穴の中まで聞えて来る。外は春なのだなあ。蛙よ、唄ってくれ唄ってくれ。私はお前の唄に聞き惚れつつ、さまざまな思い出の中に眠るのが今はたった一つの楽しみなのだ。死というものの状態に似ているらしい眠りに就くことが……」

 その声は妙に水無瀬女の心に染みた。この時代に在っては、およそ生きとし生けるもので、生こそは欲すれ、死を望むことはいかなる条件の代償を得るにもせよ心に無いことだった。従ってその声のいうところは女に珍らしかった。女は、ここにも女神のために出来た奇妙な怪我けが人が一人いるのかと、久振りに伯母に対する義憤を催して、弟はその辺の狩に出し遣り、自分は洞穴ほらあなの中へ入って行った。

 弟が用意して呉れた僅な松明たきまつの灯を掲げて、女は洞穴の中へ入って行った。歯朶しだが生い囲んでいる入口の辺を過ぎると、岩窟の岩肌が灯に照し出された。頬を掠めて蝙蝠こうもりらしいものが飛んで女を驚した。

 僅な松明の灯に照し出される岩肌は、穴の屈曲に従って ねじけたこぶをつけ 波打つひだを重ねる。岩室がぽっかり袋のように広くなったところもある。洞内の貫きよう、壁皴かべひびの模様、かてて加えて、岩徹る清水は岩の肌を程よく潤して洞は枯石の成るところのものとは思えない。女はなにかしら柔かくふにょふにょしたものの中を行くと思いされて来た。しかもそのなにかしらと感じていたものが、ふと生けるものの、女性の胎内とはかかるものではないかと思い浮べられて来たときに、女はわれ知らず、身体が熱くなり、顔の赭くなるのを覚えた。

 岩角を一つ曲ると、かすかな燈火の灯かげに照し出され、一人の若い男が、天井から垂れ下っている大きな乳房に吸い付いて余念もなく啜っている不恰好なさまを見出した。女はつい松明を取落し「あらっ!」と叫ばざるを得なかった。

 この若い男は、科野しなの国の獣神であって、福慈の女神により人間に化せしめられつつあるうち病気をしてしまったのでこの洞窟内で療養せしめられているのだといった。

 男の吸う乳房は、やはり岩瘤の一つで天井から垂れ下ったものであるが、尖には乳首の形もあった。これに伝わって滴る雫は、霊晶の石を溶し来て白濁し、人間の母が胸から湧かすところの乳の雫そのままであった。

 若い獣神はいう「この乳を、あの方は、生に対しても根が尽き果て、さればといって死へも急げない、生けるものに取っていちばん遣り切れないときに飲めとおっしゃるんです。そのときがいちばん利くと。でも、そういう場合に飲もうとする努力は苦しいものですね」

 若い獣神はしきりに咳き込んだ。水無瀬女は背を撫でて介抱してやった。

 燈火のかすかな灯かげで女は獣神をよく見た。眼は落ち窪み 頬はげているが、やさしいたちの男らしかった。獣神にもこんな男がいるのか。女は眼を瞠った。ただ顔立ちに似気なく厚肉の唇はなまの情慾に燃え血を塗ったようだった。男は荒い毛の獣の皮を着ていた。その衣の裾が岩床に敷くまわりに一ぱいたんが吐き捨ててあった。その痰の斑には濃い緑色のところと、黄緑色のところと、粘り白いところとある。淡く白いのは唾らしく無数の泡を浮べていた。眉をひそめて、それを眺めていると見て、男はそれを指しながらいった。

「こいつ等が、咽喉にうにょうにょして停滞しているときは、全く無作法な獣たちですね。私はそれが邪魔だから吐き出す。だがその度びに私から獣としてのいのちは吐き出されて行き、そのあとに果して人間のいのちが私に盛り上って来るか判りゃしません。いくらあの方が神仙の乳を飲まして下すったって……」

 いうことがどういうふうに女に響くか窃視ぬすみみしたのち、

「ねえ、お嬢さん。それで私はこの憎らしい、私を苦しめる痰を、吐き出すときに、一々、舌の上に載せて味ってやるんですよ。獣のいのちの名残りにしてそれには淡く塩辛いのもあり、いくらか甘くて──」

 といいかけたとき、女は急いで袖を自分の鼻口に当て手を差し出して止めた。

「もういいもういい。話は判っててよ」

 女は、このたぐいで、この若き獣神が生きとし生けるものの醜悪の底の味いを愛惜し、嘗め潜って来たであろうことを察して、悪寒おかんのある身慄いをした。と同時に不思議や亀縮かじかんでいた異性に対する本能の触手が制約のむちを放れてすくと差し延べられるのを感じた。

 男は苦しく薄笑いしながら、

「じゃ、こんな話は止めにしましょう、だがね、お嬢さん、洞の外は、すっかり春でしょう。青々とした春でしょうねえ。うらやましいこった」

 といったときには、女はもうこの男の傍を離れ難くなっていた。女は、

「たとえ、この男が、伯母さんに失恋した、いわば伯母さんの剰りものにしたところで、いいや、あたしはこの男を得るかも知れない。あたしはもう伯母さんに嫉みも恨みもなくなった。伯母さんにはまた伯母さんとしてのたくさんな担いものがあるらしいから」

 胸にこう自問自答して、女は洞の中の男の傍に介抱すべくとどまった。


 山は晴れ、麓の富士桜は、咲きも残さず、散りも始めない一ぱいのときである。洞から水を汲みに出た水無瀬女は、浅黄の空に、在りとしも思えず、無しと見れば泛ぶかの気の姿の、伯母の福慈の女神に遇った。

 女神はころころと笑った。

「水無瀬女よ、めぐし姪姫よ。山と岳神と二つになってる時代は去った。しばらくは人を中心にあめつちは支えられる。ただし、神を享けぬ人は低かろう、ただし獣の力を帯ばない人は弱かろう。看よ、看よ。わたしは山一つを人に遺して置く。山一つ。すべての訓えはこれにある。岳神のわたしはする。失することの楽しさ。失するということはあんた方の中に得ることである。あんたが悩むとき、美しくあるとき、青春に萌ゆるとき、わたしは在る。ほんとうに在る。あんたの肉体そのものに感ぜられるまでに、わたしは在る。今ぞわたしは失する。さくらの空に朗々と失することの楽しさ」

 またころころと笑う声は、珠うち鳴らしつつ距り行くが如く、霞を貫きおお空の宙にまであとをひいていつとしもなく聞えなくなった。

 福慈の岳の噴煙は激しくなって、鳴動をはじめた。


不二ののいや遠長き山路をも妹許いもがり訪へばはず


 富士の西南の麓、今日、大宮町浅間神社の境内にある湧玉わくたま池と呼ばれる湛えた水のほとりで、一人の若い女が、一人の若い男に出会った。

 頃は、駿河国という名称はなくて、富士川辺まで佐賀牟さがむ国と呼ばれていた時代のことである。

 若い男は武装して弓矢を持っている。若い女は玉など頸にかけ古びてはいるがちょっとした外出着である。若い男は女をみると、一時立竦たちすくむようにとまり、まさ眼には見られないが、しかし身体中から何かを吸出されるように、見ないわけにはゆかないといった。

 女は、自分の前に佇った男は、身体の割に、手足が長くて、むくつけき中に逞しさを蔵している。獣のように毛深い。嫌だなと思うほど、女をとろかす分量のものをもっている。女は生れ付きの女の防禦心から眼をわきへ外らした。しかし身体だけは、ちょっと腰を前横へ押出して僅かなしなを見せた。池のほとりの桔梗きちこうの花のつぼみをまさぐる。

 しばらく虚々実々、無言にして、天体の日月星辰を運行めぐる中に、新生の惑星が新しく軌道を探すと同じ叡智が二人の中に駈けめぐった。

 やがて男は、女の機嫌を取るように、ぎごちなく一礼した。

 女も、一礼した。

 今度は、男は眼に熱情を籠めて、じーっと見入った。女は下態はそのままで、上態は七分通り水の方へ捩じ向け、ふくふく水溜りの底から浮く、泡の湧玉を眺めている。手は所在なさそうに、摘み取った桔梗の枝の莟で、群る渚の秋花を軽くうっている。

 男の心の中に、表現し得ずして表現し度い必死の気持が、歯噛みをした。

 事実、男の歯はぱりぱりと鳴った。

 男は切なく叫ぶ、

「この大根おおねとつかずであれ、──今に」

 といい、あとをも見ずに駈け去った。その走り方は、不器用な中に鳥獣のような俊敏さがあった。

 女は、きゅっきゅっと上態を屈めて笑った。男が精一杯のやけ力を出して自分をこの蕪野な蔬菜に譬えたのがおかしかった。

 女は笑いながら、しかしこしらえたものでなく、自然に、このことをおかしみ笑える自分を、男に見せられなかったのを残念に思った。そこにすでに男の虚勢を見透し、見透すがゆえに、余裕綽々しゃくしゃくとした自分であることを男に示したかった。その余裕から一層男をらせて、牽付け度い女の持前の罪な罠もあろう。

 笑ったあとで、女は富士を見上げた。はつ秋の空にしんと静もり返っている。山は自分の気持の底を見抜いていて、それはたいしたことはない、しかしいまの年頃では真面目にやるがよいといっているようでもある。

 高い峯を起して、鳥が渡って行く。次に次に。

 それは水溜りの泡の湧玉のように無限に尽きない。絶頂をわざわざ越す鳥は純な鷺だけだといわれているが、あの鳥はそうなのか。

 女は、

「ばかにしている」

 といって、つまらなさそうに、桔梗の莟の枝を水溜りに投込んだ。落魄おちぶれた館へ帰って行った、

 二三日経って女はまた湧玉の水のほとりで、男と会った。男は、手頃に傷けてまだ息を残さしてある雄鹿を小脇に抱えていた。女を見出すと、片息の鹿を女の足元に抛り出した。それから身体中が辛痒ゆい毒の歯に噛まれでもするようにくねらせた。眼から鉾を突出すよう女を見入った。

 女は思慮分別も融けるような男の息吹きを身体に感じた。しかし前回での男とのめぐり合いののち、富士を眺め上げて、それはただ血の気の做すわざなんだか、もっと深く喰入るべきものがあるような気がしたのを想い出して、自然と抑止するものがあった。

「どうなしたの」

 とすずろのように訊いた。女は足元に投出された血だらけの矢の雄鹿を見ても愕かず、少しわきへ寄っただけであった。男の何かしら廻りくどい所作の道具に使われて、命を失いかけている小雄さお鹿を、その男と共に、無駄なことの犠牲になった悲運のものと思うだけだった。ただ、しゅくしゅく鳴きながら苦しみを訴える鹿の眼の懸命に戸惑う瞳の閃きに一点の偽りもないのを見ると掻き抱いてやり度いようだった。

 男は口を二三度もぐもぐさしたが、やはりいい出せなかった。女の方が却って男の不器用を察して気ずつない思いをまぎらすために、わきを向きながら小さな声で唄った

など  ける利目とめ

など  ける利目とめ

 これは、男の顔を、ちらと見たとき、自然と思い浮べられた歌の文句だった。

このはじかみ、口ひび

 男は、叫ぶと猛然、女の代りに鹿に飛びかかって、毛深く逞しい拳を振り上げて、丁々と撃った。すでに傷き片息になっている毛もののこととて、もがくまもなく四股をくいくいと伸して息絶えた。なべてものの死というものの、何かおかしみがありながら頭を下げずにはいられない神秘を女は見透した。

「なんて、可哀相なことをなさるの」

 女は務めのようにそういった。

 男は、夢中で狂気染みた沙汰を醒めて冷く指摘されたように、口くぐまり、みると額に冷汗までかいている。「この大根、嫁かずであれ、──今に」そういうかと思うと、たちまち、男はまた、不器用にも俊敏に去った。

 女は、何となく本意なく、富士の高嶺を見上げた。その姿は、いま眼のまえに横っている小雄鹿の死と同じ静謐さをもって、聳えて揺り据っている。今日も鳥が渡っている。


 男はそのかみ、神武御東征のとき、偽者にしもの土蜘蛛と呼ばれ、来目くめの子等によって征服されて帰順した、一党のすえであった。その祖先は天富命あめのとみのみことが斎部の諸氏もろうじを従え、沃壌地よきところき、遥に、東国の安房の地に拓務を図ったのに、加えられて、東国に来り住んだ。種族の血を享けてか、情熱と肉体の逞しさだけあって、智慧は足りない方だった。彼は強いままに当時の上司の命を受けて、東国の界隈の土蜘蛛の残りの裔を討伐に向った。たまたまこの佐賀牟の国の富士の山麓まで遠征した。

 一方女は水無瀬女と獣の神の若者との間から生れ出て多くの門裔がこの麓の地にはびこったその宗家の娘であった。祖先の水無瀬女から何代か数知れぬ継承の間に、宗家は衰え派出した分家、また分家の方が栄えた。どういうわけであろう。界隈の昇華した名家々々の流れを相互に婚姻を交えている間に、家の人間に土より生い立てる本能の慾望を欠き、夢以外に食慾が持てない咀嚼力の精神になってしまったのも原因の一つであろう。この女も人情のことは何でも判っていて、あまり判り過ぎるが故に、男に興味が持てなくなったという側の女となってしまっていた。

 ところがこの頃、湧玉の水のほとりで、度び度び遇う男は、女の醒めたものを攪乱する野太く、血熱いものを持っている。下品で嫌だなと思いながら、無ければ寂しい気がする。そして興味を牽いて救われるのは、その男が唖者のように表現の途を得ないで、いろいろに感情の内爆や側爆のこういう所作をすることである。

 それから後も、男は、得意の弓矢の業をもって、麓に住む荒い獣を半殺しの程度にして狩り取り、湧玉の水のほとりに待受けていて、女を見ると、ほふり殺した。

 小牛ほどの熊を引ずって来て、それに掌で搏たれ、爪で掻れながら彼は、組打ち、小剣で腹を截り裂いた。截り裂くと同時に、彼は顔をぐわと、腹の腑の中に埋めた。血潮が迸る。彼は頭を腑中にじていたが、すぐ包もののような塊をくわえ出した。顔中のみか鬚髪まで血みどろになって恐ろしく異様な生ものに見えたと銜えた包もののような塊からも繋る腑の紐からも黒いほどの獣の血が滴った。彼はそうしながら、しょんぼりとして女の前に立つ。これはなんのつもりだろう。すると、不思議に、女は顔蒼ざめさせ体は慄えながら一種の酔心地とならざるを得なかった。生れて始めて力というものが身の中に育まれるのを感じた。

 だが女はこの気持を通しての、酔えるままにこの男と融け合ったならどういうところへ行くであろうと危く思う。

 女は、そ知らぬ顔をして富士を見上げた。碧い空をうす紫に抽き上げている山の峯の上に相変らず鳥が渡っている。奥深くも静な秋の大山。

 女は、所詮、どっちかからいい出さねばならない羽目が近付いているのを悟った。母親も気付いて相手の身分をはかり近頃はぐずぐずいう。しかしこの情熱を生のままでは、たとえこのまま二人は結ばれたにしろ、のちのあくどさが思い遺られる。

 その日はやはり「この大根、嫁かずであれ、──今に」といって駆去った男が、その翌日、何にも獣は持たずに水のほとりに来た。女を見ると、矢庭に弓矢を女に向けて張った。男はこの頃の興奮と思い悩みに、いたく痩せ衰え、逞しい胸で息せき切っている。かくしてもまだ口ではいい出せず、弓矢をもって代弁させなければならない、荒い男の高ぶった憶しごころを女ははじめて憐れとみた。

 女は、手で止め、ふと思い付き

「朝な朝なこの水に湧く、湧く玉の数を、数え尽しなさったら」

 さびしく笑いながらいった。男は弓矢をそこにほうり出し、ぐずぐずと水のほとりに坐した。


 富士が生ける証拠に、その鼓動、脈搏を形に於て示すものはたくさんあるが、この湧玉の水もその一つであった。朝日がひむがしの海より出で、山の小額を薔薇色に染めかけるとき、この水の底から湧く泡の玉は特に数が多い。夜中に籠れる歇気を吐くのであろうか、夜中に凝る乳を粒立たすのであろうか、とにかく、この湧玉をみて、そして峯を仰ぐとき、確に山の眼覚めを思わせる。泡の玉は暗い水底より早昧そのものの色である浅黄色の中に、粒白の玉として生れ出で、途中真珠の色に染め做されつつ浮き泡となり水面に踊って散り失す。あなやの間ではあるが、消えてはまた生まれ、あちらと思えばこちら、連続と隠顕と、ひととき眼を忙失させるけれども、なお眼を放たないなら、眺め入るものに有限の意識を泡にして、何か永遠に通じさすところがある。ふつふつ、ふつふつ。仰げばすでに、はっきり覚めて、朝化粧、振威の肩を朝風になぶらせている大空の富士は真の青春を味うものの落着いた微笑を啓示している。

 男は今度、女が来たとき

「数は数え終えたよ」と微笑した。

 しかし、女はなお、男を試みて

「夕な夕な山を越して来る、鳥の数を数えなさったら」

 といった。

 男は秋の夕山を仰いで、渡り来る鳥群に眼をつけた。

 陽が西に沈むにつれ山は裾から濃紫に染め上って行く、華やかにも寂しい背光に、みるみる山は張りを弛めて、黒ずみ眠って行く。なお残るあかねの空に一むれ過ぎて、また一むれ粉末のまだら。無関心の高い峯の上を、その鳥群のまだらだけが愛を湛えて、哀しい大空にあたたかい味を運んで行く。

 今度女が来たとき男はいった。

「あの山を越す哀しい鳥の数も数え尽した」

「もう、いいわ、じゃ、ね」


さぬらくは玉の緒ばかり恋ふらくは不二の高嶺たかねの鳴沢のごと


駿河の海磯辺むしべに生ふる浜つづらいましをたのみ母にたがひぬ

底本:「岡本かの子全集6」ちくま文庫、筑摩書房

   1993(平成5)年922日第1刷発行

底本の親本:「岡本かの子全集 第五卷」冬樹社

   1974(昭和49)年1210日初版第1刷発行

初出:「文芸」

   1940(昭和15)年11月号~1941(昭和16)年4月号

入力:穂井田卓志

校正:高橋由宜

1999年1014日公開

2013年105日修正

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