死者の書
折口信夫
|
彼の人の眠りは、徐かに覚めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝ふやうに来るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて来る。
膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの──。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけてゐるのだ。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見廻す瞳に、まづ圧しかゝる黒い巌の天井を意識した。次いで、氷になつた岩牀。両脇に垂れさがる荒石の壁。した〳〵と、岩伝ふ雫の音。
時がたつた──。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであつた。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつら〳〵思つてゐた考へが、現実に繋つて、あり〳〵と、目に沁みついてゐるやうである。
あゝ耳面刀自。
甦つた語が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。
耳面刀自。おれはまだお前を……思うてゐる。おれはきのふ、こゝに来たのではない。それも、をとゝひや、其さきの日に、こゝに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もつと〳〵長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思ひ続けて居たぞ。耳面刀自。こゝに来る前から……こゝに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに、一つ事を考へつめて居るのだ。
古い──祖先以来さうしたやうに、此世に在る間さう暮して居た──習しからである。彼の人は、のくつと起き直らうとした。だが、筋々が断れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるやうな、疼きを覚えた。……そうして尚、ぢつと、──ぢつとして居る。射干玉の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様に、厳かに、だが、すんなりと、手を伸べたまゝで居た。
耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓つて、過ぎた日の様々な姿を、短い聯想の紐に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯れたからだに、再立ち直つて来た。
耳面刀自。おれが見たのは、唯一目──唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は、久しかつた。おれによつて来い。耳面刀自。
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。
おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、こゝは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が声を聞いたのだつけ。さうだ。訳語田の家を引き出されて、磐余の池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮叢から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚び声を、挙げて居たつけな。あの声は残らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの喚き声だつたのだ。
其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨鳥の声だつた。今思ふと──待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き声だつた気がする。──をゝ、あれが耳面刀自。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた気がした。俄かに、楽な広々とした世間に、出たやうな感じが来た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた──おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。
あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。
足の踝が、膝の膕が、腰のつがひが、頸のつけ根が、顳顬が、ぼんの窪が──と、段々上つて来るひよめきの為に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として──常闇。
をゝさうだ。伊勢の国に居られる貴い巫女──おれの姉御。あのお人が、おれを呼び活けに来ている。
姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、触つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈み止つて居るのだ。──あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ。──忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、来ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日に暴されて、見る〳〵、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと──あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今の事──だつたと思ふのだが。昔だ。
おれのこゝへ来て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣らぬものになつたことも。かうつと──姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌をうたひあげられたつけ。「巌岩の上に生ふる馬酔木を」と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌け初めた頃だと知つた。おれの骸が、もう半分融け出した時分だつた。そのあと、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる様にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、腊のように、ぺしやんこになつて居た──。
臂が動き出した。片手は、まつくらな空をさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩牀の上を掻き捜つて居る。
うつそみの人なる我や。明日よりは、二上山を愛兄弟と思はむ
誄歌が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。
よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた気がする。伊勢の巫女様、尊い姉御が来てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後見たいな気がする。あの音がしてる。昔の音が──。
手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎮めて──。鎮めて。でないと、この考へが、復散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり〳〵と訣つて来た。だが待てよ。……其にしても一体、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。
両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。
大変だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの褌は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。
筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳け廻るに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が闇の中に起き上つた。
をゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおつかさま。おれが悪かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を──。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。
彼の人には、声であつた。だが、声でないものとして、消えてしまつた。声でない語が、何時までも続いてゐる。
くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這ひずり廻つてゐるのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばた〴〵やつてゐるおれの、見える奴が居ぬのか。
その唸き声のとほり、彼の人の骸は、まるでだゞをこねる赤子のように、足もあがゞに、身あがきをば、くり返して居る。明りのさゝなかつた墓穴の中が、時を経て、薄い氷の膜ほど透けてきて、物のたゝずまひを、幾分朧ろに、見わけることが出来るやうになつて来た。どこからか、月光とも思へる薄あかりが、さし入つて来たのである。
どうしよう。どうしよう。おれは。──大刀までこんなに、錆びついてしまつた……。
月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。山を照し、谷を輝かして、剰る光りは、又空に跳ね返つて、残る隈々までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、沢山の峰があつた。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあつて、深々と畝つてゐる。其が見えたり隠れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て来た霞の所為だ。其が又、此冴えざえとした月夜を、ほつとりと、暖かく感じさせて居る。
広い端山の群つた先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く続いた、輝く大佩帯は、石川である。その南北に渉つてゐる長い光りの筋が、北の端で急に広がつて見えるのは、凡河内の邑のあたりであらう。其へ、山間を出たばかりの堅塩川─大和川─が落ちあつて居るのだ。そこから、乾の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列つて見えるのは、日下江・永瀬江・難波江などの水面であらう。
寂かな夜である。やがて鶏鳴近い山の姿は、一様に露に濡れたやうに、しつとりとして静まつて居る。谷にちら〳〵する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小桜の遅れ咲きである。
一本の路が、真直に通つてゐる。二上山の男嶽・女嶽の間から、急に降つて来るのである。難波から飛鳥の都への古い間道なので、日によつては、昼は相応な人通りがある。道は白々と広く、夜目には、芝草の蔓つて居るのすら見える。当麻路である。一降りして又、大降りにかゝらうとする処が、中だるみに、やゝ坦くなつてゐた。梢の尖つた栢の木の森。半世紀を経た位の木ぶりが、一様に揃つて見える。月の光りも薄い木陰全体が、勾配を背負つて造られた円塚であつた。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深く眶を閉ぢてゐる。
こう こう こう。
先刻から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂けさに馴れた耳は、新な声を聞きつけよう、としなかつたのであらう。だから、今珍しく響いて来た感じもないのだ。
こう こう こう──こう こう こう。
確かに人声である。鳥の夜声とは、はつきりかはつた韻を曳いて来る。声は、暫らく止んだ。静寂は以前に増し、冴え返つて張りきつてゐる。この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重つた、葛城の峰々である。伏越・櫛羅・小巨勢と段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、真黒に立ちつゞいてゐる。
当麻路をこちらへ降つて来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳けおりて来る。
九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物・白い鬘、手は、足は、すべて旅の装束である。頭より上に出た杖をついて──。この坦に来て、森の前に立つた。
こう こう こう。
誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだまは、驚いて一様に、忙しく声を合せた。だが、山は、忽一時の騒擾から、元の緘黙に戻つてしまつた。
こう。こう。お出でなされ。藤原南家郎女の御魂。
こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂を、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
九つの杖びとは、心から神になつて居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯真白な布に過ぎなかつた。其を、長さの限り振り捌いて、一様に塚に向けて振つた。
こう こう こう。
かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の鬱屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九体の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。
をい。無言の勤めも此までぢや。
をゝ。
八つの声が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽一度に、草の上に寛ぎ、再杖を横へた。
これで大和も、河内との境ぢやで、もう魂ごひの行もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬の中で魂をとり返して、ぴち〳〵して居られようぞ。
こゝは、何処だいの。
知らぬかいよ。大和にとつては大和の国、河内にとつては河内の国の大関。二上の当麻路の関──。
別の長老めいた者が、説明を続いだ。
四五十年あとまでは、唯関と言ふばかりで、何の標もなかつた。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。大和では、磯城の訳語田の御館に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸を、罪人に殯するは、災の元と、天若日子の昔語りに任せて、其まゝ此処にお搬びなされて、お埋けになつたのが、此塚よ。
以前の声が、まう一層皺がれた響きで、話をひきとつた。
其時の仰せには、罪人よ。吾子よ。吾子の為了せなんだ荒び心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に来向うのを、待ち押え、塞へ防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壮盛りぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。
今一人が、相談でもしかける様な、口ぶりを揷んだ。
さいや。あの時も、墓作りに雇はれた。その後も、当麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢が、此ほどの森になつたものな。畏かつたぞよ。此墓のみ魂が、河内安宿部から石担ちに来て居た男に、憑いた時はなう。
九人は、完全に現し世の庶民の心に、なり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現実にひし〳〵と、感じられ出したのだらう。
もう此でよい。戻らうや。
よかろ よかろ。
皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言ふだけの姿になつた。
だがの。皆も知つてようが、このお塚は、由緒深い、気のおける処ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。
長老の語と共に、修道者たちは、再魂呼ひの行を初めたのである。
こう こう こう。
をゝ……。
異様な声を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも変に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、
こう こう こう。
其時、塚穴の深い奥から、冰りきつた、而も今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。
をゝう……。
九人の心は、ばら〴〵の九人の心々であつた。からだも亦ちり〴〵に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又当麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。
唯畳まつた山と、谷とに響いて、一つの声ばかりがする。
をゝう……。
万法蔵院の北の山陰に、昔から小な庵室があつた。昔からと言ふのは、村人がすべて、さう信じて居たのである。荒廃すれば繕ひ〳〵して、人は住まぬ廬に、孔雀明王像が据ゑてあつた。当麻の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の伝へでは、万法蔵院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の御発起からだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍を建てさせられた。其際、山田寺の旧構を残すため、寺の四至の中、北の隅へ、当時立ち朽りになつて居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と伝へ言ふのであつた。
さう言へば、山田寺は、役君小角が、山林仏教を創める最初の足代になつた処だと言ふ伝へが、吉野や、葛城の山伏行人の間に行はれてゐた。何しろ、万法蔵院の大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となつて居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、残つて居たと言ふのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激ちの音が、段々高まつて来る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かつた。炉を焚くことの少い此辺では、地下百姓は、夜は真暗な中で、寝たり、坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。
夜を守つて、仏の前で起き明す為には、御灯を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。
姫は寝ることを忘れたやうに、坐つて居た。
万法蔵院の上座の僧綱たちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならぬ。横佩家の人々の心を、思うたのである。次には、女人結界を犯して、境内深く這入つた罪は、郎女自身に贖はさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの浄域だけに、一時は、塔頭々々の人たちの、青くなつたのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂つたぐらゐではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思つた。其で、今日昼の程、奈良へ向つて、早使ひを出して、郎女の姿が、寺中に現れたゆくたてを、仔細に告げてやつたのである。
其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになつた。たとひ、都からの迎へが来ても、結界を越えた贖ひを果す日数だけは、こゝに居させよう、と言ふのである。
牀は低いけれども、かいてあるにはあつた。其替り、天井は無上に高くて、而も萱のそゝけた屋根は、破風の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸つて過ぎたと思ふと、其高い隙から、どつと吹き込んで来た。ばら〴〵落ちかゝるのは、煤がこぼれるのだらう。明王の前の灯が、一時かつと明るくなつた。
その光りで照し出されたのは、あさましく荒んだ座敷だけでなかつた。荒板の牀の上に、薦筵二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に直に坐つて居る老婆の姿があつた。
壁と言ふよりは、壁代であつた。天井から吊りさげた竪薦が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から欬嗽一つせぬ静けさである。
貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。昼の内此処へ送りこまれた時、一人の姥のついて来たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた御灯の色で、その姥の姿から、顔まで一目で見た。どこやら、覚えのある人の気がする。さすがに、姫にも人懐しかつた。ようべ家を出てから、女性には、一人も逢つて居ない。今そこに居る姥が、何だか、昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覚えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。
郎女さま。
緘黙を破つて、却てもの寂しい、乾声が響いた。
郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でおざるがや。
一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出した。姫は、この姥の顔に見知りのある気のした訣を、悟りはじめて居た。藤原南家にも、常々、此年よりとおなじやうな媼が、出入りして居た。郎女たちの居る女部屋までも、何時もづか〴〵這入つて来て、憚りなく古物語りを語つた、あの中臣志斐媼──。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤であつた。志斐ノ老女が、藤氏の語部の一人であるやうに、此も亦、この当麻の村の旧族、当麻ノ真人の「氏の語部」、亡び残りの一人であつたのである。
藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。ぢやが、大織冠さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐れました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家摂籙の家柄。中臣の筋や、おん神仕へ。差別々々明らかに、御代々々の宮守り。ぢやが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖、中臣の氏の神、天押雲根と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の国中に、宮遷し、宮奠め遊した代々の日のみ子さま。長く久しい御代々々に仕へた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。
遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命。遠い昔の日のみ子さまのお喰しの、飯と、み酒を作る御料の水を、大和国中残る隈なく捜し覓めました。その頃、国原の水は、水渋臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料に叶ひません。天の神高天の大御祖教へ給へと祈らうにも、国中は国低し。山々もまんだ天遠し。大和の国とり囲む青垣山では、この二上山。空行く雲の通ひ路と、昇り立つて祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八ところまで見とゞけて、其後久しく、日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに参ります。お聞き及びかえ。
当麻真人の、氏の物語りである。さうして其が、中臣の神わざと繋りのある点を、座談のやうに語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。
外には、瀬音が荒れて聞えてゐる。中臣・藤原の遠祖が、天二上に求めた天八井の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたつて漲り激つ川なのであらう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌を合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄暗くさし寄つて来てゐる姥の姿を見た時、言はうやうない畏しさと、せつかれるやうな忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顔にも現れてゐた。今、当麻の語部の姥は、神憑りに入るらしく、わな〳〵震ひはじめて居るのである。
ひさかたの 天二上に、
我が登り 見れば、
とぶとりの 明日香
ふる里の 神南備山隠り、
家どころ 多に見え、
豊にし 屋庭は見ゆ。
弥彼方に 見ゆる家群
藤原の 朝臣が宿。
遠々に 我が見るものを、
たか〴〵に 我が待つものを、
処女子は 出で通ぬものか。
よき耳を 聞かさぬものか。
青馬の 耳面刀自。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
処女子の 一人
一人だに、 わが配偶に来よ。
ひさかたの 天二上
二上の陽面に、
生ひをゝり 繁み咲く
馬酔木の にほへる子を
我が 捉り兼ねて、
馬酔木の あしずりしつゝ
吾はもよ偲ぶ。藤原処女
歌い了へた姥は、大息をついて、ぐつたりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。
姥は居ずまひを直して、厳かな声音で、誦り出した。
とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐土の学芸に詣り深く、詩も、此国ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し伝へられる御方。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再栄えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂が、立ちました。
高天原広野姫尊、おん怒りをお発しになりまして、とう〳〵池上の堤に引き出して、お討たせになりました。
其お方がお死にの際に、深く〳〵思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面刀自と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々、磐余の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくて、こらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御様子を窺うて帰らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心となつたのでおざりまする。
もゝつたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隠りなむ
この思ひがけない心残りを、お詠みになつた歌よ、と私ども当麻の語部の物語りには、伝へて居ります。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父君南家太政大臣には、叔母君にお当りになつてゞおざりまする。
人間の執心と言ふものは、怖いものとはお思ひなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の国を守らせよ、と言ふ御諚で、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお埋けになりました。其が何と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てゝ清々しい心になりながら、唯そればかりの一念が、残つて居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽界の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当麻までお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。
当麻路に墓を造りました当時、石を搬ぶ若い衆にのり移つた霊が、あの長歌を謳うた、と申すのが伝へ。
当麻語部媼は、南家の郎女の脅える様を想像しながら、物語つて居たのかも知れぬ。唯さへ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語り」の癖とは言へ、語部の古婆の心は、自身も思はぬ意地くね悪さを蔵してゐるものである。此が、神さびた職を寂しく守つて居る者の優越感を、充すことにも、なるのであつた。
大貴族の郎女は、人の語を疑ふことは教へられて居なかつた。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、真実を感じて、聴いて居る。
言ふとほり、昔びとの宿執が、かうして自分を導いて来たことは、まことに違ひないであらう。其にしても、つひしか見ぬお姿──尊い御仏と申すやうな相好が、其お方とは思はれぬ。
春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざ〴〵と見たお姿。此日本の国の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の男子たちには、あゝ言ふ方もあるのか知らぬ。金色の鬢、金色の髪の豊かに垂れかゝる片肌は、白々と袒いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆く、眉秀で夢見るやうにまみを伏せて、右手は乳の辺に挙げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて……あゝ雲の上に朱の唇、匂ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤。
日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの様な人もおいでになるものだらうか。我が家の父や、兄人たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女性は、下賤な人と、口をきかぬのが当時の世の掟である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考へられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。
そこの人。ものを聞かう。此身の語が、聞きとれたら、答へしておくれ。
その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣で、姫の前に立ち現れては、神々しく見えるであらうぞ。
此だけの語が言ひ淀み、淀みして言はれてゐる間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡は、気どつたであらう。暗いみ灯の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧ろげに顕しはじめて居た。
我が説明を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子。天若日子こそは、天の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其後、人の世になつても、氏貴い家々の娘御の閨の戸までも、忍びよると申しまする。世に言ふ「天若みこ」と言ふのが、其でおざります。
天若みこ。物語りにも、うき世語りにも申します。お聞き及びかえ。
姥は暫らく口を閉ぢた。さうして言ひ出した声は、顔にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。
「もゝつたふ」の歌、残された飛鳥の宮の執心びと、世々の藤原の一の媛に祟る天若みこも、顔清く、声心惹く天若みこのやはり、一人でおざりまする。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。
其まゝ石のやうに、老女はぢつとして居る。冷えた夜も、朝影を感じる頃になると、幾らか温みがさして来る。
万法蔵院は、村からは遠く、山によつて立つて居た。暁早い鶏の声も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥が、近い端山の木群で、羽振きの音を立て初めてゐる。
おれは活きた。
闇い空間は、明りのやうなものを漂してゐた。併し其は、蒼黒い靄の如く、たなびくものであつた。
巌ばかりであつた。壁も、牀も、梁も、巌であつた。自身のからだすらが、既に、巌になつて居たのだ。
屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巌ばかり──。触つても触つても、巌ばかりである。手を伸すと、更に堅い巌が、掌に触れた。脚をひろげると、もつと広い磐石の面が、感じられた。
纔かにさす薄光りも、黒い巌石が皆吸ひとつたやうに、岩窟の中に見えるものはなかつた。唯けはひ──彼の人の探り歩くらしい空気の微動があつた。
思ひ出したぞ。おれが誰だつたか、──訣つたぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦。其が、おれだつたのだ。
歓びの激情を迎へるやうに、岩窟の中のすべての突角が哮びの反響をあげた。彼の人は、立つて居た。一本の木だつた。だが、其姿が見えるほどの、はつきりした光線はなかつた。明りに照し出されるほど、纏つた現し身をも、持たぬ彼の人であつた。
唯、岩屋の中に矗立した、立ち枯れの木に過ぎなかつた。
おれの名は、誰も伝へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛しいおれの名は、さうだ。語り伝へる子があつた筈だ。語り伝へさせる筈の語部も、出来て居たゞらうに。──なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しく〳〵と胸を刺すやうだ。
──子代も、名代もない、おれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らぬ、大きな穴のあいた気持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、現し身の人間どもには、忘れ了されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子は、罪びとの子として、何処かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌食に、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀なむすこよ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が伝らない。劫初から末代まで、此世に出ては消える、天の下の青人草と一列に、おれは、此世に、影も形も残さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。
恵みのないおつかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。
くそ──外の世界が知りたい。世の中の様子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり瞑つて居たおれの目よ。も一度くわつと睜いて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、……土龍の目なと、おれに貸しをれ。
声は再、寂かになつて行つた。独り言する其声は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであらう。
丑刻に、静謐の頂上に達した現し世は、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えさうだつた四方の山々の上に、まづ木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和国中の、何処からか起る一番鶏のつくるとき。
暁が来たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸から、ひそ〳〵と帰つて行くだらう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保つてゐる。午前二時に朝の来る生活に、村びとも、宮びとも、忙しいとは思はずに、起きあがる。短い暁の目覚めの後、又、物に倚りかゝつて、新しい眠りを継ぐのである。
山風は頻りに、吹きおろす。枝・木の葉の相軋めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひつそとしたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持つたやうに、朧ろになつて来た。
岩窟は、沈々と黝くなつて冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞つて垂れてゐる。
耳面刀自。おれには、子がない。子がなくなつた。おれは、その栄えてゐる世の中には、跡を貽して来なかつた。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝へる子どもを──。
岩牀の上に、再白々と横つて見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが活きてゐるのであつた。
まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあつて、心はなかつた。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であつたに違ひはない。自分すら忘れきつた、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髄の心までも、唯彫りつけられたやうになつて、残つてゐるのである。
万法蔵院の晨朝の鐘だ。夜の曙色に、一度騒立つた物々の胸をおちつかせる様に、鳴りわたる鐘の音だ。一ぱし白みかゝつて来た東は、更にほの暗い明け昏れの寂けさに返つた。
南家の郎女は、一茎の草のそよぎでも聴き取れる暁凪ぎを、自身擾すことをすまいと言ふ風に、見じろきすらもせずに居る。
夜の間よりも暗くなつた廬の中では、明王像の立ち処さへ見定められぬばかりになつて居る。
何処からか吹きこんだ朝山颪に、御灯が消えたのである。当麻語部の姥も、薄闇に蹲つて居るのであらう。姫は再、この老女の事を忘れてゐた。
たゞ一刻ばかり前、這入りの戸を揺つた物音があつた。一度 二度 三度。更に数度。音は次第に激しくなつて行つた。枢がまるで、おしちぎられでもするかと思ふほど、音に力のこもつて来た時、ちようど、鶏が鳴いた。其きりぴつたり、戸にあたる者もなくなつた。
新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が来てゐた。けれども、頑な当麻氏の語部の古姥の為に、我々は今一度、去年以来の物語りをしておいても、よいであらう。まことに其は、昨の日からはじまるのである。
門をはひると、俄かに松風が、吹きあてるやうに響いた。
一町も先に、固まつて見える堂伽藍──そこまでずつと、砂地である。
白い地面に、広い葉の青いまゝでちらばつて居るのは、朴の木だ。
まともに、寺を圧してつき立つてゐるのは、二上山である。其真下に涅槃仏のやうな姿に横つてゐるのが麻呂子山だ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に、乗りかゝつてゐるやうにしか見えない。こんな事を、女人の身で知つて居る訣はなかつた。だが、俊敏な此旅びとの胸に、其に似たほのかな綜合の、出来あがつて居たのは疑はれぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行つた。
此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日前であつた。まだあの日の喜ばしい騒ぎの響みが、どこかにする様に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。
山颪に吹き暴されて、荒草深い山裾の斜面に、万法蔵院の細々とした御灯の、煽られて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な転変に、目を睜つて居るだらう。此郷に田荘を残して、奈良に数代住みついた豪族の主人も、その日は、帰つて来て居たつけ。此は、天竺の狐の為わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から残つてゐる幻術師のする迷はしではないか。あまり荘厳を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆られて、廊を踏み鳴し、柱を叩いて見たりしたものも、その供人のうちにはあつた。
数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼつて来て、唯一宇あつた萱堂が、忽痕もなくなつた。そんな小な事件が起つて、注意を促してすら、そこに、曽て美しい福田と、寺の創められた代を、思ひ出す者もなかつた程、それは〳〵、微かな遠い昔であつた。
以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。当麻の村にありながら、山田寺と言つたからである。山の背の河内の国安宿部郡の山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は、倶舎の寺として、栄えたこともあつたのだつた。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舎をひろげ、住侶の数をお殖しになつた。おひ〳〵境内になる土地の地形の進んでゐる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、風水の相が、「まろこ」の身を招き寄せたのだらう。よし〳〵墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあつた。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのは、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほどの、意味であつた。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すやうな事が、起つたのである。
だが、さう言ふ物語りはあつても、それは唯、此里の語部の姥の口に、さう伝へられてゐる、と言ふに過ぎぬ古物語りであつた。纔かに百年、其短いと言へる時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となつてしまつた。
旅の若い女性は、型摺りの大様な美しい模様をおいた著る物を襲うて居る。笠は、浅い縁に、深い縹色の布が、うなじを隠すほどに、さがつてゐた。
日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。高原の寺は、人の住む所から、自ら遠く建つて居た。唯凡、百人の僧俗が、寺中に起き伏して居る。其すら、引き続く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遅い朝を、姿すら見せずにゐる。
その女人は、日に向つてひたすら輝く伽藍の廻りを、残りなく歩いた。寺の南境は、み墓山の裾から、東へ出てゐる長い崎の尽きた所に、大門はあつた。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立つて居る。丘陵の道をうねりながら登つた旅びとは、東の塔の下に出た。
雨の後の水気の、立つて居る大和の野は、すつかり澄みきつて、若昼のきらきらしい景色になつて居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡で、ほの〴〵と北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の真中に、旅笠を伏せたやうに見える遠い小山は、耳無の山であつた。其右に高くつつ立つてゐる深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安の池ではなからうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具山なのだらう。旅の女子の目は、山々の姿を、一つ〳〵に辿つてゐる。天香具山をあれだと考へた時、あの下が、若い父母の育つた、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き来した、藤原の里なのだ。
もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てゝ伸び上る気持ちになつて来るのが抑へきれなかつた。
香具山の南の裾に輝く瓦舎は、大官大寺に違ひない。其から更に真南の、山と山との間に、薄く霞んでゐるのが、飛鳥の村なのであらう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生ひ立たれたのであらう。この国の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎の立つてゐる平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
かう、その女性は思うてゐる。だが、何よりも大事なことは、此郎女──貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、こゝまで歩いて来てゐるのである。其も、唯のひとりでゞあつた。
家を出る時、ほんの暫し、心を掠めた──父君がお聞きになつたら、と言ふ考へも、もう気にはかゝらなくなつて居る。乳母があわてゝ探すだらう、と言ふ心が起つて来ても、却てほのかな、こみあげ笑ひを誘ふ位の事になつてゐる。
山はづつしりとおちつき、野はおだやかに畝つて居る。かうして居て、何の物思ひがあらう。この貴な娘御は、やがて後をふり向いて、山のなぞへについて、次第に首をあげて行つた。
二上山。あゝこの山を仰ぐ、言ひ知らぬ胸騒ぎ。──藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すつかり違つた胸の悸き。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入つてゐる。さうして、静かな思ひの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂はゞ、──平野の里に感じた喜びは、過去生に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未来世を思ふ心躍りだ、とも謂へよう。
塔はまだ、厳重にやらひを組んだまゝ、人の立ち入りを禁めてあつた。でも、ものに拘泥することを教へられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初重の欄干に、自分のよりかゝつて居るのに、気がついた。さうして、しみ〴〵と山に見入つて居る。まるで瞳が、吸ひこまれるやうに。山と自分とに繋る深い交渉を、又くり返し思ひ初めてゐた。
郎女の家は、奈良東城、右京三条第七坊にある。祖父武智麻呂のこゝで亡くなつて後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は男壮には、横佩の大将と謂はれる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて者であつた。なみの人の竪にさげて佩く大刀を、横へて吊る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まださうした官吏としての、華奢な服装を趣向むまでに到つて居なかつた頃、姫の若い父は、近代の時世装に思ひを凝して居た。その家に覲ねて来る古い留学生や、新来の帰化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするやうなのとも、亦違うてゐた。
さうした闊達な、やまとごゝろの、赴くまゝにふるまうて居る間に、才優れた族人が、彼を乗り越して行くのに気がつかなかつた。姫には叔父、彼──豊成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。その父君も、今は筑紫に居る。尠くとも、姫などはさう信じて居た。家族の半以上は、太宰帥のはな〴〵しい生活の装ひとして、連れられて行つてゐた。宮廷から賜る資人・傔仗も、大貴族の家の門地の高さを示すものとして、美々しく著飾らされて、皆任地へついて行つた。さうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が来た。
寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かつた。この家も世間どほりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあつた。その西側に、小な蔀戸があつて、其をつきあげると、方三尺位な牕になるやうに出来てゐる。さうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあつて、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦いだ。
それから外廻りは、家の広い外郭になつて居て、大炊屋もあれば、湯殿火焼き屋なども、下人の住ひに近く、立つてゐる。苑と言はれる菜畠や、ちよつとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であつた。
武智麻呂存生の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして来てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて来たので、何となく其古い通称は、人の口から薄れて、其に替る称へが、行はれ出した様だつた。三条七坊をすつかり占めた大屋敷を、一垣内──一字と見倣して、横佩墻内と言う者が、著しく殖えて来たのである。
その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の難波に、いつか還り住んで、遥かに筑紫の政を聴いてゐた帥の殿であつた。其父君から遣された家の子が、一車に積み余るほどな家づとを、家に残つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで来た。
山国の狭い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ処に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか〳〵整ふまでには、行つて居なかつた。
官庁や、大寺が、によつきり〳〵、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、処々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに続いてゐる。其外は、広い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群が、ちらばつて見えるだけであつた。兎や、狐が、大路小路を駆け廻る様なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路の植ゑ木の梢を、夜になると、鼯鼠が飛び歩くと言ふので、一騒ぎした位である。
横佩家の郎女が、称讃浄土仏摂受経を写しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒やかにしたのは、此新訳の阿弥陀経一巻であつた。
国の版図の上では、東に偏り過ぎた山国の首都よりも、太宰府は、遥かに開けてゐた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠の宮廷領を通過するのであつた。唐から渡つた書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て来ないものが、なか〳〵多かつた。
学問や、芸術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて太宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた。
南家の郎女の手に入つた称讃浄土経も、大和一国の大寺と言ふ大寺に、まだ一部も蔵せられて居ぬものであつた。
姫は、蔀戸近くに、時としては机を立てゝ、写経をしてゐることもあつた。夜も、侍女たちを寝静まらしてから、油火の下で、一心不乱に書き写して居た。
百部は、夙くに写し果した。その後は、千部手写の発願をした。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に黄葉して、其がもう散りはじめた。蟋蟀は、昼も苑一面に鳴くやうになつた。佐保川の水を堰き入れた庭の池には、遣り水伝ひに、川千鳥の啼く日すら、続くやうになつた。
今朝も、深い霜朝を、何処からか、鴛鴦の夫婦鳥が来て浮んで居ります、と童女が告げた。
五百部を越えた頃から、姫の身は、目立つてやつれて来た。ほんの纔かの眠りをとる間も、ものに驚いて覚めるやうになつた。其でも、八百部の声を聞く時分になると、衰へたなりに、健康は定まつて来たやうに見えた。やゝ蒼みを帯びた皮膚に、心もち細つて見える髪が、愈々黒く映え出した。
八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言ふことを厭ふやうになつた。さうして、昼すら何か夢見るやうな目つきして、うつとり蔀戸ごしに、西の空を見入つて居るのが、皆の注意をひくほどであつた。
実際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなつた。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがひなさを悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出来ように、と思ふからである。
南家の郎女が、宮から召されることになるだらうと言ふ噂が、京・洛外に広がつたのも、其頃である。屋敷中の人々は、上近く事へる人たちから、垣内の隅に住む奴隷・婢奴の末にまで、顔を輝かして、此とり沙汰を迎へた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。其ほど、此頃の郎女は気むつかしく、外目に見えてゐたのである。
千部手写の望みは、さうした大願から立てられたものだらう、と言ふ者すらあつた。そして誰ひとり、其を否む者はなかつた。
南家の姫の美しい膚は、益々透きとほり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。さうして、時々声に出して誦する経の文が、物の音に譬へやうもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。
去年の春分の日の事であつた。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向つて居た。日は、此屋敷からは、稍坤によつた遠い山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄かに転き出した。その速さ。雲は炎になつた。日は黄金の丸になつて、その音も聞えるか、と思ふほど鋭く廻つた。雲の底から立ち昇る青い光りの風──、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽れた。夕闇の上に、目を疑ふほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、あり〳〵と荘厳な人の俤が、瞬間顕れて消えた。後は、真暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝して、何時までも端坐して居た。
郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝つて行くばかりである。
ゆくりない日が、半年の後に再来て、姫の心を無上の歓喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸中日の夕方であつた。姫は、いつかの春の日のやうに、坐してゐた。朝から、姫の白い額の、故もなくひよめいた長い日の、後である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟した光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲く嵐──。
雲がきれ、光りのしづまつた山の端は、細く金の外輪を靡かして居た。其時、男嶽・女嶽の峰の間に、あり〳〵と浮き出た 髪 頭 肩 胸──。
姫は又、あの俤を見ることが、出来たのである。
南家の郎女の幸福な噂が、春風に乗つて来たのは、次の春である。姫は別様の心躍りを、一月も前から感じて居た。さうして、日を数り初めて、ちようど、今日と言ふ日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて、帰ることの出来ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を写し終へて、千部目にとりついて居た。
日一日、のどかな温い春であつた。経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほつと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなつて居る。目をあげて見る蔀窓の外には、しと〳〵と──音がしたゝつて居るではないか。姫は立つて、手づから簾をあげて見た。雨。
苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立つて来た。
姫は、立つても坐ても居られぬ、焦躁に悶えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。
茫然として、姫はすわつて居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加つて来た風の響きも、もう、姫は聞かなかつた。
南家の郎女の神隠しに遭つたのは、其夜であつた。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかずに居た。
横佩墻内に住む限りの者は、男も、女も、上の空になつて、洛中洛外を馳せ求めた。さうした奔り人の多く見出される場処と言ふ場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入つたものは、伊賀境までも踏み込んだ。高円山の墓原も、佐紀の沼地・雑木原も、又は、南は山村、北は奈良山、泉川の見える処まで馳せ廻つて、戻る者も戻る者も、皆空足を踏んで来た。
姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へ〳〵と辿つて来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教はらないで、裾を脛まであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、髻をとり束ねて、襟から着物の中に、含み入れた。夜中になつて、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはつきりと聳えて居た。毛孔の竪つやうな畏しい声を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であつた。其後、頻りなく断続したのは、山の獣の叫び声であつた。大和の内も、都に遠い広瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのやうに、山陰などにあるだけで、あとは曠野。それに──、本村を遠く離れた、時はづれの、人棲まぬ田居ばかりである。
片破れ月が、上つて来た。其が却て、あるいてゐる道の辺の凄さを照し出した。其でも、星明りで辿つて居るよりは、よるべを覚えて、足が先へ〳〵と出た。月が中天へ来ぬ前に、もう東の空が、ひいわり白んで来た。
夜のほの〴〵明けに、姫は、目を疑ふばかりの現実に行きあつた。──横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占つて居るやうだつた。さう言ふ女どものふるまひに、特別に気は牽かれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、「今朝の朝目がよかつたから」「何と言ふ情ない朝目でせう」などゝ、そは〳〵と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを、見聞きしてゐた。
郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂つた語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。
山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奥深く、朱に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかつた。其寂寞たる光りの海から、高く抽でゝ見える二上の山。
淡海公の孫、大織冠には曽孫。藤氏族長太宰帥、南家の豊成、其第一嬢子なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝行り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女のことである。順道ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡の御神か、春日の御社に、巫女の君として仕へてゐるはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の声も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに、おふしたてられて来た。
寺の浄域が、奈良の内外にも、幾つとあつて、横佩墻内と讃へられてゐる屋敷よりも、もつと広大なものだ、と聞いて居た。さうでなくても、経文の上に伝へた浄土の荘厳をうつすその建て物の様は想像せぬではなかつた。だが目のあたり見る尊さは唯息を呑むばかりであつた。之に似た驚きの経験は曽て一度したことがあつた。姫は今其を思ひ起して居る。簡素と豪奢との違ひこそあれ、驚きの歓喜は、印象深く残つてゐる。
今の太上天皇様が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳の南家の郎女は、童女として、初の殿上をした。穆々たる宮の内の明りは、ほのかな香気を含んで、流れて居た。昼すら真夜に等しい、御帳台のあたりにも、尊いみ声は、昭々と珠を揺る如く響いた。物わきまへもない筈の、八歳の童女が感泣した。
「南家には、惜しい子が、女になつて生れたことよ」と仰せられた、と言ふ畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、二十になつてゐた。幼いからの聡さにかはりはなくて、玉・水精の美しさが益々加つて来たとの噂が、年一年と高まつて来る。
姫は、大門の閾を越えながら、童女殿上の昔の畏さを、追想して居たのである。長い甃道を踏んで、中門に届く間にも、誰一人出あふ者がなかつた。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔しく併しのどかに、御堂々々を拝んで、岡の東塔に来たのである。
こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隠しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現し世の目からは見えぬ姿を惟ひ観ようとして居るのであらう。
此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝の勤めの間も、うと〳〵して居た僧たちは、爽やかな朝の眼を睜いて、食堂へ降りて行つた。奴婢は、其々もち場持ち場の掃除を励む為に、ようべの雨に洗つたやうになつた、境内の沙地に出て来た。
そこにござるのは、どなたぞな。
岡の陰から、恐る〳〵頭をさし出して問うた一人の寺奴は、あるべからざる事を見た様に、自分自身を咎めるやうな声をかけた。女人の身として、這入ることの出来ぬ結界を犯してゐたのだつた。姫は答へよう、とはせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には、馴れて居らぬ人であつた。
若し又、適当な語を知つて居たにしたところで、今はそんな事に、考へを紊されては、ならぬ時だつたのである。
姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を観じ入つてゐるのである。寺奴は、二言とは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服装から見てすぐ、どうした身分の人か位の判断は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫音が、びた〴〵と岡へ上つて来た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら〴〵と走つて、塔のやらひの外まで来た。
こゝまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。女人は、とつとゝ出てお行きなされ。
姫は、やつと気がついた。さうして、人とあらそはぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで来た。
見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな処にいらつしやる。
それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに──。
口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめい〳〵、貴い女性をいたはる気持ちになつて居た。
山ををがみに……。
まことに唯一詞。当の姫すら思ひ設けなんだ詞が、匂ふが如く出た。貴族の家庭の語と、凡下の家々の語とは、すつかり変つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其うえ、語其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所化輩には、通じよう筈がなかつた。
でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家の姫は、即座に気のふれた女、と思はれてしまつたであらう。
それで、御館はどこぞな。
みたち……。
おうちは……。
おうち……。
おやかたは、と問ふのだよ──。
をゝ。家はとや。右京藤原南家……。
俄然として、群集の上にざはめきが起つた。四五人だつたのが、あとから後から登つて来た僧たちも加つて、二十人以上にもなつて居た。其が、口々に喋り出したものである。
ようべの嵐に、まだ残りがあつたと見えて、日の明るく照つて居る此小昼に、又風が、ざはつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根々々にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の此方にも小桜の花が、咲き出したのである。
此時分になつて、奈良の家では、誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちのよくする、春の野遊びに出られたのだ。──何時からとも知らぬ、習しである。春秋の、日と夜と平分する其頂上に当る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた〳〵になつて、家路を戻る。此為来りを何時となく、女たちの咄すのを聞いて、姫が、女の行として、この野遊びをする気になられたのだ、と思つたのである。かう言ふ、考へに落ちつくと、ありやうもない考へだと訣つて居ても、皆の心が一時、ほうと軽くなつた。
ところが、其日も昼さがりになり、段々夕光の、催して来る時刻が来た。昨日は、駄目になつた日の入りの景色が、今日は中日にも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなつて居た。
奈良の都には、まだ時をり、石城と謂はれた石垣を残して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符で、其を家の周りに造ることが、禁ぜられて来た。今では、宮廷より外には、石城を完全にとり廻した豪族の家などは、よく〳〵の地方でない限りは、見つからなくなつて居る筈なのである。
其に一つは、宮廷の御在所が、御一代々々々に替つて居た千数百年の歴史の後に、飛鳥の都は、宮殿の位置こそ、数町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帯の内にあつた。其で凡、都遷しのなかつた形になつたので、後から〳〵地割りが出来て、相応な都城の姿は備へて行つた。其数朝の間に、旧族の屋敷は、段々、家構へが整うて来た。
葛城に、元のまゝの家を持つて居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構へて居た蘇我臣なども、飛鳥の都では、次第に家作りを拡げて行つて、石城なども高く、幾重にもとり廻して、凡永久の館作りをした。其とおなじ様な気持ちから、どの氏でも、大なり小なり、さうした石城づくりの屋敷を構へるやうになつて行つた。
蘇我臣一流れで最栄えた島の大臣家の亡びた時分から、石城の構へは禁められ出した。
この国のはじまり、天から授けられたと言ふ、宮廷に伝はる神の御詞に背く者は、今もなかつた。が、書いた物の力は、其が、どのやうに由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代が、まだ続いて居た。
其飛鳥の都も、高天原広野姫尊様の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替へて、新しい唐様の端正しさを尽した宮殿が、建ち並ぶ様になつた。近い飛鳥から、新渡来の高麗馬に跨つて、馬上で通ふ風流士もあるにはあつたが、多くはやはり、鷺栖の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城の坊々に屋敷を構へ、家造りをした。その次の御代になつても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行つて、こゝを永宮と遊ばす思召しが、伺はれた。その安堵の心から、家々の外には、石城を廻すものが、又ぼつ〴〵出て来た。さうして、そのはやり風俗が、見る〳〵うちに、また氏々の族長の家囲ひを、あらかた石にしてしまつた。その頃になつて、天真宗豊祖父尊様がおかくれになり、御母 日本根子天津御代豊国成姫の大尊様がお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの家並みが、不意の出火で、其こそ、あつと言ふ間に、痕形もなく、空の有となつてしまつた。もう此頃になると、太政官符に、更に厳しい添書がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した転変に、目を瞠るばかりであつたので、久しい石城の問題も、其で、解決がついて行つた。
古い氏種姓を言ひ立てゝ、神代以来の家職の神聖を誇つた者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失つて来てゐる事に、気がついて居なかつた。
最早くそこに心づいた、姫の祖父淡海公などは、古き神秘を誇つて来た家職を、末代まで伝へる為に、別に家を立てゝ中臣の名を保たうとした。さうして、自分・子供ら・孫たちと言ふ風に、いちはやく、新しい官人の生活に入り立つて行つた。
ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持は、父旅人の其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり変つて居た。見るもの障るもの、彼の心を苛つかせる種にならぬものはなかつた。淡海公の、小百年前に実行して居る事に、今はじめて自分の心づいた鈍ましさが、憤らずに居られなかつた。さうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざ〴〵省みて、慄然とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に泥んで居た南家の横佩右大臣は、さきをとゝし、太宰ノ員外帥に貶されて、都を離れた。さうして今は、難波で謹慎してゐるではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。
世間の氏上家の主人は、大方もう、石城など築き廻して、大門小門を繋ぐと謂つた要害と、装飾とに、興味を失ひかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出来るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に囲はれた家の中で、家の子どもを集め、氏人たちを召びつどへて、弓場に精励させ、棒術・大刀かきに出精させよう、と謂つたことを空想して居る。さうして年々頻繁に、氏神其外の神々を祭つてゐる。其度毎に、家の語部大伴ノ語ノ造の嫗たちを呼んで、之に捉へ処もない昔代の物語りをさせて、氏人に傾聴を強ひて居る。何だか、空な事に力を入れて居たやうに思へてならぬ寂しさだ。
だが、其氏神祭りや、祭りの後宴に、大勢の氏人の集ることは、とりわけやかましく言はれて来た、三四年以来の法度である。
こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の旧い習しを守つて、どこまでも、宮廷守護の為の武道の伝襲に、努める外はない家持だつたのである。
越中守として踏み歩いた越路の泥のかたが、まだ行縢から落ちきらぬ内に、もう復、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな気がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部少輔から、大輔に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。
今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼が行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて来て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎮める程に、人の心を浮き立たした。本朝出来の像としてはまづ、此程物凄い天部の姿を拝んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の荒神たちも、こんな形相でおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。
まだ公の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒いてゐた。あの多聞天と、広目天との顔つきに、思ひ当るものがないか、と言ふのであつた。此はこゝだけの咄だよ、と言つて話したのが、次第に広まつて、家持の耳までも聞えて来た。なるほど、憤怒の相もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、当今大倭一だと言はれる男たちの顔、そのまゝだと言ふのである。貴人は言はぬ、かう言ふ種類の噂は、えて供をして見て来た道々の博士たちと謂つた、心蔑しいものゝ、言ひさうな事である。
多聞天は、大師藤原ノ恵美中卿だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失はぬあの方が、近頃おこりつぽくなつて、よく下官や、仕へ人を叱るやうになつた。あの円満し人が、どうしてこんな顔つきになるだらう、と思はれる表情をすることがある。其面もちそつくりだ、と尤らしい言ひ分なのである。
さう言へば、あの方が壮盛りに、棒術を嗜んで、今にも事あれかしと謂つた顔で、立派な甲をつけて、のつし〳〵と長い物を杖いて歩かれたお姿が、あれを見てゐて、ちらつくやうだなど、と相槌をうつ者も出て来た。
其では、広目天の方はと言ふと、
さあ、其がの──。
と誰に言はせても、ちよつと言い渋るやうに、困つた顔をして見せる。
実は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保証は出来ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言ふがや。……けど、他人に言はせると、──あれはもう、二十幾年にもなるかいや──筑紫で伐たれなされた前太宰少弐─藤原広嗣─の殿に生写しぢや、とも言ふがいよ。
わしには、どちらとも言へんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さつしやるには、似てゐさつしやるげなが……。
何しろ、此二つの天部が、互に敵視するやうな目つきで、睨みあつて居る。噂を気にした住侶たちが、色々に置き替へて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、眦を裂いて見つめて居る。とう〳〵あきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより為方がない、と思ふやうになつたと言ふ。
若しや、天下に大乱でも起らなければえゝが──。
こんな咡きは、何時までも続きさうに、時と共に倦まずに語られた。
前少弐殿でなくて、弓削新発意の方であつてくれゝば、いつそ安心だがなあ。あれなら、事を起しさうな房主でもなし。起したくても、起せる身分でもないぢやまで──。
言ひたい傍題な事を言つて居る人々も、たつた此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師恵美朝臣の姪の横佩家の郎女が、神隠しに遭うたと言ふ、人の口の端に、旋風を起すやうな事件が、湧き上つたのである。
兵部大輔大伴ノ家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちようど、春分から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやつて居た。二人ばかりの資人が徒歩で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文学の影響を、受け過ぎるほど享け入れた文人かたぎの彼には、数年来珍しくもなくなつた癖である。かうして、何処まで行くのだらう。唯、朱雀の並み木の柳の花がほゝけて、霞のやうに飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎ふばかりである。
資人の一人が、とつとゝ追ひついて来たと思ふと、主人の鞍に顔をおしつける様にして、新しい耳を聞かした。今行きすがうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。
それで、何か──。娘御の行くへは知れた、と言ふのか。
はい……。いゝえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間抜け。話はもつと上手に聴くものだ。
柔らかく叱つた。そこへ今一人の伴が、追ひついて来た。息をきらしてゐる。
ふん。汝は聞き出したね。南家の嬢子は、どうなつた──。
出端に油かけられた資人は、表情に隠さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄し方で、まともに鼻を蠢して語つた。
当麻の邑まで、をとゝひ夜の中に行つて居たこと、寺からは、昨日午後横佩墻内へ知らせが届いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかつたことまで。家持の聯想は、環のやうに繋つて、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであつた。
南家で持つて居た藤原の氏上職が、兄の家から、弟仲麻呂─押勝─の方へ移らうとしてゐる。来年か、再来年の枚岡祭りに、参向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなつて居る。恵美家からは、嫡子久須麻呂の為、自分の家の第一嬢子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が届き、自分の方でも、娘に代つて返し歌を作つて遣した。今朝も今朝、又折り返して、男からの懸想文が、来てゐた。
その壻候補の父なる人は、五十になつても、若かつた頃の容色に頼む心が失せずにゐて、兄の家娘にも執心は持つて居るが、如何に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも初中終来る古刀自の、人のわるい内証話であつた。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を擡げて来て困つた。仲麻呂は今年、五十を出てゐる。其から見れば、ひとまはりも若いおれなどは、思ひ出にまう一度、此匂やかな貌花を、垣内の坪苑に移せぬ限りはない。こんな当時の男が、皆持つた心をどりに、はなやいだ、明るい気がした。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統で一番、神さびたたちを持つて生れた、と謂はれる娘御である。今、枚岡の御神に仕へて居る斎き姫の罷める時が来ると、あの嬢子が替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも応じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が来るのだ。神の物は、神の物──。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだらう。
ほのかな感傷が、家持の心を浄めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾んで居る太宰府へ降つて、夙くから、海の彼方の作り物語りや、唐詩のをかしさを知り初めたのが、病みつきになつたのだ。死んだ父も、さうした物は、或は、おれよりも嗜きだつたかも知れぬほどだが、もつと物に執著が深かつた。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を悩まして居た。おれも考へれば、たまらなくなつて来る。其で、氏人を集めて喩したり、歌を作つて訓諭して見たりする。だがさうした後の気持ちの爽やかさは、どうしたことだ。洗ひ去つた様に、心が、すつとしてしまふのだつた。まるで、初めから家の事など考へて居なかつた、とおなじすが〴〵しい心になつてしまふ。
あきらめと言ふ事を、知らなかつた人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑れた、と伝へられる限りの方々は──。それに、おれはどうしてかうだろう。
家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋らず、段々気にかゝるものが、薄らぎ出して来てゐる。
ほう これは、京極まで来た。
朱雀大路も、こゝまで来ると、縦横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの区画にも区画にも、家は建つて居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて稍茎を立て初めたのとがまじりあつて、屋敷地から喰み出し、道の上までも延びて居る。
こんな家が──。
驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構への家が、建ちかゝつて居る。遅い朝を、もう余程、今日の為事に這入つたらしい木の道の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷廻りの地形が出来て、見た目にもさつぱりと、垣をとり廻して居る。
土を積んで、石に代へた垣、此頃言ひ出した築土垣といふのは、此だな、と思つて、ぢつと目をつけて居た。見る〳〵、さうした新しい好尚のおもしろさが、家持の心を奪うてしまつた。
築土垣の処々に、きりあけた口があつて、其に、門が出来て居た。さうして、其処から、頻りに人が繋つては出て来て、石を曳く。木を搬つ。土を搬び入れる。重苦しい石城。懐しい昔構へ。今も、家持のなくなしたくなく考へてゐる屋敷廻りの石垣が、思うてもたまらぬ重圧となつて、彼の胸に、もたれかゝつて来るのを感じた。
おれには、だが、この築土垣を択ることが出来ぬ。
家持の乗馬は再、憂鬱に閉された主人を背に、引き返して、五条まで上つて来た。此辺から、右京の方へ折れこんで、坊角を廻りくねりして行く様子は、此主人に馴れた資人たちにも、胸の測られぬ気を起させた。二人は、時々顔を見合せ、目くばせをしながら尚、了解が出来ぬ、と言ふやうな表情を交しかはし、馬の後を走つて行く。
こんなにも、変つて居たのかねえ。
ある坊角に来た時、馬をぴたと止めて、独り言のやうに言つた。
……旧草に 新草まじり、生ひば 生ふるかに──だな。
近頃見つけた歌儛所の古記録「東歌」の中に見た一首がふと、此時、彼の言ひたい気持ちを、代作して居てくれてゐたやうに、思ひ出された。
さうだ。「おもしろき野をば 勿焼きそ」だ。此でよいのだ。
けゞんな顔を仰けてゐる伴人らに、柔和な笑顔を向けた。
さうは思はぬか。立ち朽りになつた家の間に、どし〴〵新しい屋敷が出来て行く。都は何時までも、家は建て詰まぬが、其でもどちらかと謂へば、減るよりも殖 えて行つてゐる。此辺は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、続いてたもんだ。
仰るとほりで御座ります。春は蛙、夏はくちなは、秋は蝗まろ。此辺はとても、歩けたところでは、御座りませんでした。
今一人が言ふ。
建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りませう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した築土垣を築きまはしまして。何やら、以前とはすつかり変つた処に、参つた気が致します。
馬上の主人も、今まで其ばかり考へて居た所であつた。だが彼の心は、瞬間明るくなつて、先年三形王の御殿での宴に誦んだ即興が、その時よりも、今はつきりと内容を持つて、心に浮んで来た。
うつり行く時見る毎に、心疼く 昔の人し 思ほゆるかも
目をあげると、東の方春日の杜は、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、御蓋山・高円山一帯、頂が晴れて、すばらしい春日和になつて居た。
あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ気がついた。でも、彼の心のふさぎのむしは迹を潜めて、唯、まるで今歩いてゐるのが、大日本平城京の土ではなく、大唐長安の大道の様な錯覚の起つて来るのが押へきれなかつた。此馬がもつと、毛並みのよい純白の馬で、跨つて居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の気がして来る。神々から引きついで来た、重苦しい家の歴史だの、夥しい数の氏人などから、すつかり截り離されて、自由な空にかけつて居る自分でゞもあるやうな、豊かな心持ちが、暫らくは払つても〳〵、消えて行かなかつた。
おれは若くもなし。第一、海東の大日本人である。おれには、憂鬱な家職が、ひし〳〵と、肩のつまるほどかゝつて居るのだ。こんなことを考へて見ると、寂しくてはかない気もするが、すぐに其は、自身と関係のないことのやうに、心は饒はしく和らいで来て、為方がなかつた。
をい、汝たち。大伴氏上家も、築土垣を引き廻さうかな。
とんでもないことを仰せられます。
二人の声が、おなじ感情から迸り出た。
年の増した方の資人が、切実な胸を告白するやうに言つた。
私どもは、御譜第では御座りません。でも、大伴と言ふお名は、御門御垣と、関係深い称へだ、と承つて居ります。大伴家からして、門垣を今様にする事になつて御覧じませ。御一族の末々まで、あなた様をお呪ひ申し上げることでおざりませう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々──大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になつて初まつた家々の氏人までが、御一族を蔑に致すことになりませう。
こんな事を言はして置くと、折角澄みかゝつた心も、又曇つて来さうな気がする。家持は忙てゝ、資人の口を緘めた。
うるさいぞ。誰に言ふ語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。雑談だ。雑談を真に受ける奴が、あるものか。
馬はやつぱり、しつと〳〵と、歩いて居た。築土垣 築土垣。又、築土垣。こんなに何時の間に、家構へが替つて居たのだらう。家持は、なんだか、晩かれ早かれ、ありさうな気のする次の都──どうやらかう、もつとおつぴらいた平野の中の新京城にでも、来てゐるのでないかと言ふ気が、ふとしかゝつたのを、危く喰ひとめた。
築土垣 築土垣。もう、彼の心は動かなくなつた。唯、よいとする気持ちと、よくないと思はうとする意思との間に、気分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしてゐるだけであつた。
何時の間にか、平群の丘や、色々な塔を持つた京西の寺々の見渡される、三条辺の町尻に来て居ることに気がついた。
これは〳〵。まだこゝに、残つてゐたぞ。
珍しい発見をしたやうに、彼は馬から身を翻しておりた。二人の資人はすぐ、馳け寄つて手綱を控へた。
家持は、門と門との間に、細かい柵をし囲らし、目隠しに枳殻の叢生を作つた家の外構への一個処に、まだ石城が可なり広く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄つて行つた。
荒れては居るが、こゝは横佩墻内だ。
さう言つて、暫らく息を詰めるやうにして、石垣の荒い面を見入つて居た。
さうに御座ります。此石城からしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強ひてとり毀たないとか申します。何分、帥の殿のお都入りまでは、何としても、此儘で置くので御座りませう。さやうに、人が申し聞けました。はい。
何時の間にか、三条七坊まで来てしまつてゐたのである。
おれは、こんな処へ来ようと言ふ考へはなかつたのに──。だが、やつぱり、おれにはまだ〴〵、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる様な、反省らしいものが出て来た。
其にしても、静か過ぎるではないか。
さやうで。で御座りますが、郎女のお行くへも知れ、乳母もそちらへ行つたとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りませう。
詮索ずきさうな顔をした若い方が、口を出す。
いえ。第一、こんな場合は、騒ぐといけません。騒ぎにつけこんで、悪い魂や、霊が、うよ〳〵とつめかけて来るもので御座ります。この御館も、古いおところだけに、心得のある長老の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りませう。
もうよい〳〵。では戻らう。
をとめの閨戸をおとなふ風は、何も、珍しげのない国中の為来りであつた。だが其にも、曽てはさうした風の、一切行はれて居なかつたことを、主張する村々があつた。何時のほどにか、さうした村が、他村の、別々に守つて来た風習と、その古い為来りとをふり替へることになつたのだ、と言ふ。かき上る段になれば、何の雑作もない石城だけれど、あれを大昔からとり廻して居た村と、さうでない村とがあつた。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部などの昔語りから、来た話なのであらう。踏み越えても這入れ相に見える石垣だが、大昔交された誓ひで、目に見えぬ鬼神から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になつてゐる。こんな約束が、人と鬼との間にあつて後、村々の人は、石城の中に、ゆつたりと棲むことが出来る様になつた。さうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入つて来る。其は、別の何かの為方で、防ぐ外はなかつた。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて処女の蔀戸をほと〳〵と叩く。石城を囲うた村には、そんなことは、一切なかつた。だから、美し女の家に、奴隷になつて住みこんだ古の貴びともあつた。娘の父にこき使はれて、三年五年、いつか処女に会はれよう、と忍び過した、身にしむ恋物語りもあるくらゐだ。石城を掘り崩すのは、何処からでも鬼神に入りこんで来い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあつたし、田舎の村々では、之を言ひ立てに、ちつとでも、石城を残して置かうと争うた人々が、多かつたのである。
さう言ふ家々では、実例として恐しい証拠を挙げた。卅年も昔、──天平八年厳命が降つて、何事も命令のはか〴〵しく行はれぬのは、朝臣が先つて行はぬからである。汝等進んで、石城を毀つて、新京の時世装に叶うた家作りに改めよと、仰せ下された。藤氏四流の如き、今に旧態を易へざるは、最其位に在るを顧みざるものぞ、とお咎めが降つた。此時一度、凡、石城はとり毀たれたのである。ところが、其と時を同じくして、疱瘡がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになつて、四月北家を手初めに、京家・南家と、主人から、まづ此時疫に亡くなつて、八月にはとう〳〵、式家の宇合卿まで仆れた。家に、防ぐ筈の石城が失せたからだと、天下中の人が騒いだ。其でまた、とり壊した家も、ぼつ〴〵旧に戻したりしたことであつた。
こんなすさまじい事も、あつて過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざ〴〵と人の心に焼きついて離れぬ、現の恐しさであつた。
其は其として、昔から家の娘を守つた邑々も、段々えたいの知れぬ村の風に感染けて、忍び夫の手に任せ傍題にしようとしてゐる。さうした求婚の風を伝へなかつた氏々の間では、此は、忍び難い流行であつた。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思はぬやうになつた。が、家庭の中では、母・妻・乳母たちが、いまだにいきり立つて、さうした風儀になつて行く世間を、呪ひやめなかつた。
手近いところで言うても、大伴宿禰にせよ。藤原朝臣にせよ。さう謂ふ妻どひの式はなくて、数十代宮廷をめぐつて、仕へて来た邑々のあるじの家筋であつた。
でも何時か、さうした氏々の間にも、妻迎への式には、
八千矛の神のみことは、とほ〴〵し、高志の国に、美し女をありと聞かして、賢し女をありと聞して……
から謡ひ起す神語歌を、語部に歌はせる風が、次第にひろまつて来るのを、防ぎとめることが出来なくなつて居た。
南家の郎女にも、さう言ふ妻覓ぎ人が──いや人群が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り残された石城の為に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み──たぶう──を犯すやうな危殆な心持ちで、誰も彼も、柵まで又、門まで来ては、かいまみしてひき還すより上の勇気が、出ぬのであつた。
通はせ文をおこすだけが、せめてものてだてゞ、其さへ無事に、姫の手に届いて、見られてゐると言ふ、自信を持つ人は、一人としてなかつた。事実、大抵、女部屋の老女たちが、引つたくつて渡させなかつた。さうした文のとりつぎをする若人─若女房─を呼びつけて、荒けなく叱つて居る事も、度々見かけられた。
其方は、この姫様こそ、藤原の氏神にお仕へ遊ばす、清らかな常処女と申すのだ、と言ふことを知らぬのかえ。神の咎めを憚るがえゝ。宮から恐れ多いお召しがあつてすら、ふつにおいらへを申しあげぬのも、それ故だとは考へつかぬげな。やくたい者。とつとゝ失せたがよい。そんな文とりついだ手を、率川の一の瀬で浄めて来くさらう。罰知らずが……。
こんな風に、わなりつけられた者は、併し、二人や三人ではなかつた。横佩家の女部屋に住んだり、通うたりしてゐる若人は、一人残らず一度は、経験したことだと謂つても、うそではなかつた。
だが、郎女は、つひに一度そんな事のあつた様子も、知らされずに来た。
上つ方の郎女が、才をお習ひ遊ばすと言ふことが御座りませうか。それは近代、ずつと下ざまのをなごの致すことゝ承ります。父君がどう仰らうとも、父御様のお話は御一代。お家の習しは、神さまの御意趣、とお思ひつかはされませ。
氏の掟の前には、氏上たる人の考へをすら、否みとほす事もある姥たちであつた。
其老女たちすら、郎女の天稟には、舌を捲きはじめて居た。
もう、自身たちの教へることもなうなつた。
かう思ひ出したのは、数年も前からである。内に居る、身狭乳母・桃花鳥野乳母・波田坂上刀自、皆故知らぬ喜びの不安から、歎息し続けてゐた。時々伺ひに出る中臣志斐嫗・三上水凝刀自女なども、来る毎、目を見合せて、ほうつとした顔をする。どうしよう、と相談するやうな人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで来た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。
才を習ふなと言ふなら、まだ聞きも知らぬこと、教へて賜れ。
素直な郎女の求めも、姥たちにとつては、骨を刺しとほされるやうな痛さであつた。
何を仰せられまする。以前から、何一つお教へなど申したことがおざりませうか。目下の者が、目上のお方さまに、お教へ申すと言ふやうな考へは、神様がお聞き届けになりません。教へる者は目上、ならふ者は目下、と此が、神の代からの掟でおざりまする。
志斐ノ嫗の負け色を救ふ為に、身狭乳母も口を揷む。
唯知つた事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。さう思うて、姥たちも、覚えたゞけの事は、郎女様のみ魂を揺る様にして、歌ひもし、語りもして参りました。教へたなど仰つては私めらが、罰を蒙らねばなりません。
こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃む知識に対する、単純な自覚が出て来た。此は一層、郎女の望むまゝに、才を習した方が、よいのではないか、と言ふ気が、段々して来たのである。
まことに其為には、ゆくりない事が、幾重にも重つて起つた。姫の帳台の後から、遠くに居る父の心尽しだつたと見えて、二巻の女手の写経らしい物が出て来た。姫にとつては、肉縁はないが、曽祖母にも当る橘夫人の法華経、又其御胎にいらせられる──筋から申せば、大叔母御にもお当り遊ばす、今の皇太后様の楽毅論。此二つの巻物が、美しい装ひで、棚を架いた上に載せてあつた。
横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のやうに大事にして居た。ちよつと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人の荷として、持たせて行つたものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言はずにゐたのである。さすがに我強い刀自たちも、此見覚えのある、美しい箱が出て来た時には、暫らく撲たれたやうに、顔を見合せて居た。さうして後、後で恥しからうことも忘れて、皆声をあげて泣いたものであつた。
郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し予期したやうな興奮は、認められなかつた。唯一途に素直に、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、静かな、美しい眼で、人々の感激する様子を、驚いたやうに見まはして居た。
其からは、此二つの女手の「本」を、一心に習ひとほした。偶然は友を誘くものであつた。一月も立たぬ中の事である。早く、此都に移つて居た飛鳥寺─元興寺─から巻数が届けられた。其には、難波にある帥の殿の立願によつて、仏前に読誦した経文の名目が、書き列ねてあつた。其に添へて、一巻の縁起文が、此御館へ届けられたのである。
父藤原豊成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに当る日に志を発して、書き綴つた「仏本伝来記」を、其後二年立つて、元興寺へ納めた。飛鳥以来、藤原氏とも関係の深かつた寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言ふことは察せられる。其一巻が、どう言ふ訣か、二十年もたつてゆくりなく、横佩家へ戻つて来たのである。
郎女の手に、此巻が渡つた時、姫は端近く膝行り出て、元興寺の方を礼拝した。其後で、
難波とやらは、どちらに当るかえ。
と尋ねて、示す方角へ、活き〳〵した顔を向けた。其目からは、珠数の珠の水精のやうな涙が、こぼれ出てゐた。
其からと言ふものは、来る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手写した。内典・外典其上に又、大日本びとなる父の書いた文。指から腕、腕から胸、胸から又心へ、沁み〴〵と深く、魂を育てる智慧の這入つて行くのを、覚えたのである。
大日本日高見の国。国々に伝はるありとある歌諺、又其旧辞。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語り詞を、絶えては考へ継ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々しく、くね〳〵しく、独り語りする語部や、乳母や、嚼母たちの唱へる詞が、今更めいて、寂しく胸に蘇つて来る。
をゝ、あれだけの習しを覚える、たゞ其だけで、此世に生きながらへて行かねばならぬみづからであつた。
父に感謝し、次には、尊い大叔母君、其から見ぬ世の曽祖母の尊に、何とお礼申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて来る。だがまづ、父よりも誰よりも、御礼申すべきは、み仏である。この珍貴の感覚を授け給ふ、限り知られぬ愛みに充ちたよき人が、此世界の外に、居られたのである。郎女は、塗香をとり寄せて、まづ髪に塗り、手に塗り、衣を薫るばかりに匂はした。
ほゝき ほゝきい ほゝほきい──。
きのふよりも、澄んだよい日になつた。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかつきりと、木草の影を落して居た。ほか〳〵した日よりなのに、其を見てゐると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳りもなく、晴れきつた空だ。高原を拓いて、間引いた疎らな木原の上には、もう沢山の羽虫が出て、のぼつたり降つたりして居る。たつた一羽の鶯が、よほど前から一処を移らずに、鳴き続けてゐるのだ。
家の刀自たちが、物語る口癖を、さつきから思ひ出して居た。出雲宿禰の分れの家の嬢子が、多くの男の言ひ寄るのを煩しがつて、身をよけ〳〵して、何時か、山の林の中に分け入つた。さうして其処で、まどろんで居る中に、悠々と長い春の日も、暮れてしまつた。嬢子は、家路と思ふ径を、あちこち歩いて見た。脚は茨の棘にさゝれ、袖は、木の楚にひき裂かれた。さうしてとう〳〵、里らしい家群の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して来てゐる。嬢子はさくり上げて来る感情を、声に出した。
ほゝき ほゝきい。
何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの声ではなかつた。「をゝ此身は」と思つた時に、自分の顔に触れた袖は袖ではないものであつた。枯れ原の冬草の、山肌色をした小な翼であつた。思ひがけない声を、尚も出し続けようとする口を、押へようとすると、自身すらいとほしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行つてしまつて、替りに、さゝやかな管のやうな喙が来てついて居る──。悲しいのか、せつないのか、何の考へさへもつかなかつた。唯、身悶えをした。するとふはりと、からだは宙に浮き上つた。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔り昇つて行く。五日月の照る空まで……。その後、今の世までも、
ほゝき ほゝきい ほゝほきい。
と鳴いてゐるのだ、と幼い耳に染みつけられた、物語りの出雲の嬢子が、そのまゝ、自分であるやうな気がして来る。
郎女は、徐かに両袖を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻れ、皺立つてゐるが、小鳥の羽には、なつて居なかつた。手をあげて唇に触れて見ると、喙でもなかつた。やつぱり、ほつとりとした感触を、指の腹に覚えた。
ほゝき鳥─鶯─になつて居た方がよかつた。昔語りの嬢子は、男を避けて、山の楚原へ入り込んだ。さうして、飛ぶ鳥になつた。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、こゝにかうして居る。せめて蝶飛虫にでもなれば、ひら〳〵と空に舞ひのぼつて、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行かうもの──。
ほゝき ほゝきい。
自身の咽喉から出た声だ、と思つた。だがやはり、廬の外で鳴くのであつた。
郎女の心に動き初めた叡い光りは、消えなかつた。今まで手習ひした書巻の何処かに、どうやら、法喜と言ふ字のあつた気がする。法喜──飛ぶ鳥すらも、美しいみ仏の詞に、感けて鳴くのではなからうか。さう思へば、この鶯も、
ほゝき ほゝきい。
嬉しさうな高音を、段々張つて来る。
物語りする刀自たちの話でなく、若人らの言ふことは、時たま、世の中の瑞々しい消息を伝へて来た。奈良の家の女部屋は、裏方五つ間を通した、広いものであつた。郎女の帳台の立ち処を一番奥にして、四つの間に、刀自・若人、凡三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御館ですることだと言つて、苑の池の蓮の茎を切つて来ては、藕糸を引く工夫に、一心になつて居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになつて、水の反射が蔀を越して、女部屋まで来るばかりになつた。茎を折つては、繊維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、糸に縒る。
郎女は、女たちの凝つてゐる手芸を、ぢつと見て居る日もあつた。ほう〳〵と切れてしまふ藕糸を、八合・十二合・二十合に縒つて、根気よく、細い綱の様にする。其を績み麻の麻ごけに繋ぎためて行く。奈良の御館でも、蚕は飼つて居た。実際、刀自たちは、夏は殊にせはしく、そのせゐで、不機嫌になつて居る日が多かつた。
刀自たちは、初めは、そんな韓の技人のするやうな事は、と目もくれなかつた。だが時が立つと、段々興味を惹かれる様子が見えて来た。
こりや、おもしろい。絹の糸と、績み麻との間を行く様な妙な糸の──。此で、切れさへしなければなう。
かうして績ぎ蓄めた藕糸は、皆一纏めにして、寺々に納めようと、言ふのである。寺には、其々の技女が居て、其糸で、唐土様と言ふよりも、天竺風な織物に織りあげる、と言ふ評判であつた。女たちは、唯功徳の為に糸を績いでゐる。其でも、其が幾かせ、幾たまと言ふ風に貯つて来ると、言ひ知れぬ愛著を覚えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其処までは想像も出来なかつた。
若人たちは茎を折つては、巧みに糸を引き切らぬやうに、長く〳〵と抽き出す。又其、粘り気の少いさくいものを、まるで絹糸を縒り合せるやうに、手際よく糸にする間も、ちつとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出来ぬ掟になつて居た。なつては居ても、物珍でする盛りの若人たちには、口を塞いで緘黙行を守ることは、死ぬよりもつらい行であつた。刀自らの油断を見ては、ぼつ〴〵話をしてゐる。其きれ〴〵が、聞かうとも思はぬ郎女の耳にも、ぼつ〴〵這入つて来勝ちなのであつた。
鶯の鳴く声は、あれで、法華経々々々と言ふのぢやて──。
ほゝ、どうして、え──。
天竺のみ仏は、をなごは、助からぬものぢやと、説かれ〳〵して来たがえ、其果てに、女でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華経ぢやと言ふげな。
──こんなこと、をなごの身で言ふと、さかしがりよと思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの──。
ぢやで、法華経々々々と経の名を唱へるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。
ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に化り変つて、み経の名を呼ばゝるのかえ。
郎女には、いつか小耳に揷んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかつた。その頃ちようど、称讃浄土仏摂受経を、千部写さうとの願を発して居た時であつた。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫とした耳に、此世話が再また、紛れ入つて来たのであつた。
ふつと、こんな気がした。
ほゝき鳥は、先の世で、御経手写の願を立てながら、え果さいで、死にでもした、いとしい女子がなつたのではなからうか。……さう思へば、若しや今、千部に満たずにしまふやうなことがあつたら、我が魂は何になることやら。やつぱり、鳥か、虫にでも生れて、切なく鳴き続けることであらう。
つひに一度、ものを考へた事もないのが、此国のあて人の娘であつた。磨かれぬ智慧を抱いたまゝ、何も知らず思はずに、過ぎて行つた幾百年、幾万の貴い女性の間に、蓮の花がぽつちりと、莟を擡げたやうに、物を考へることを知り初めた郎女であつた。
をれよ。鶯よ。あな姦や。人に、物思ひをつけくさる。
荒々しい声と一しよに、立つて、表戸と直角になつた草壁の蔀戸をつきあげたのは、当麻語部の媼である。北側に当るらしい其外側は、牕を圧するばかり、篠竹が繁つて居た。沢山の葉筋が、日をすかして一時にきら〳〵と、光つて見えた。
郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃き過ぎた色を、眶の裏に、見つめて居た。をとゝひの日の入り方、山の端に見た輝きが、思はずには居られなかつたからである。
また一時、廬堂を廻つて、音するものもなかつた。日は段々闌けて、小昼の温みが、ほの暗い郎女の居処にも、ほつとりと感じられて来た。
寺の奴が、三四人先に立つて、僧綱が五六人、其に、大勢の所化たちのとり捲いた一群れが、廬へ来た。
これが、古山田寺だ、と申します。
勿体ぶつた、しわがれ声が聞えて来た。
そんな事は、どうでも──。まづ、郎女さまを──。
噛みつくやうにあせつて居る家長老額田部子古のがなり声がした。
同時に、表戸は引き剥がされ、其に隣つた、幾つかの竪薦をひきちぎる音がした。
づうと這ひ寄つて来た身狭乳母は、郎女の前に居たけを聳かして、掩ひになつた。外光の直射を防ぐ為と、一つは、男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人の姿を暴すまい、とするのであらう。
伴に立つて来た家人の一人が、大きな木の叉枝をへし折つて来た。さうして、旅用意の巻帛を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を牀につきさして、即座の竪帷─几帳─は調つた。乳母は、其前に座を占めたまゝ、何時までも動かなかつた。
怒りの滝のやうになつた額田部ノ子古は、奈良に還つて、公に訴へると言ひ出した。大和ノ国にも断つて、寺の奴ばらを追ひ払つて貰ふとまで、いきまいた。大師を頭に、横佩家に深い筋合ひのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願はずには置かぬ、と凄い顔をして、住侶たちを脅かした。
郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の浄域を穢し、結界まで破られたからは、直にお還りになるやうには計はれぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖ひはして貰はねばならぬ、と寺方も、言ひ分はひつこめなかつた。
理分にも非分にも、これまで、南家の権勢でつき通して来た家長老等にも、寺方の扱ひと言ふものゝ、世間どほりにはいかぬ事が訣つて居た。乳母に相談かけても、一代さう言ふ世事に与つた事のない此人は、そんな問題には、詮ない唯の女性に過ぎなかつた。
先刻からまだ立ち去らずに居た当麻語部の嫗が、口を出した。
其は、寺方が、理分でおざるがや。お随ひなされねばならぬ。
其を聞くと、身狭ノ乳母は、激しく、田舎語部の老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、畳にしがみつき、柱にかき縋る古婆を掴み出させた。さうした威高さは、さすがに自ら備つてゐた。
何事も、この身などの考へではきめられぬ。帥の殿に承らうにも、国遠し。まづ姑し、郎女様のお心による外はないもの、と思ひまする。
其より外には、方もつかなかつた。奈良の御館の人々と言つても、多くは、此人たちの意見を聴いてする人々である。よい思案を、考へつきさうなものも居ない。難波へは、直様、使ひを立てることにして、とにもかくにも、当座は、姫の考へに任せよう、と言ふことになつた。
郎女様。如何お考へ遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。尤、寺方でも、候人や、奴隷の人数を揃へて、妨げませう。併し、御館のお勢ひには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考へを承らずには、何とも計ひかねまする。御思案お洩し遊ばされ。
謂はゞ、難題である。あて人の娘御に、出来よう筈のない返答である。乳母も、子古も、凡は無駄な伺ひだ、と思つては居た。ところが、郎女の答へは、木魂返しの様に、躊躇ふことなしにあつた。其上、此ほどはつきりとした答へはない、と思はれる位、凜としてゐた。其が、すべての者の不満を圧倒した。
姫の咎は、姫が贖ふ。此寺、此二上山の下に居て、身の償ひ、心の償ひした、と姫が得心するまでは、還るものとは思やるな。
郎女の声・詞を聞かぬ日はない身狭乳母ではあつた。だがつひしか此ほどに、頭の髄まで沁み入るやうな、さえ〴〵とした語を聞いたことのない、乳母だつた。
寺方の言ひ分に譲るなど言ふ問題は、小い事であつた。此爽やかな育ての君の判断力と、惑ひなき詞に感じてしまつた。たゞ、涙。かうまで賢しい魂を窺ひ得て、頬に伝ふものを拭ふことも出来なかつた。子古にも、郎女の詞を伝達した。さうして、自分のまだ曽て覚えたことのない感激を、力深くつけ添へて聞かした。
ともあれ此上は、難波津へ。
難波へと言つた自分の語に、気づけられたやうに、子古は思ひ出した。今日か明日、新羅問罪の為、筑前へ下る官使の一行があつた。難波に留つてゐる帥の殿も、次第によつては、再太宰府へ出向かれることになつてゐるかも知れぬ。手遅れしては一大事である。此足ですぐ、北へ廻つて、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶ふ処は馬で走らう、と決心した。
万法蔵院に、唯一つ飼つて居た馬の借用を申し入れると、此は快く聴き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行つて来る、と歯のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷に向けて、庭から匍伏した。
子古の発つた後は、又のどかな春の日に戻つた。悠々と照り暮す山々を見せませう、と乳母が言ひ出した。木立ち・山陰から盗み見する者のないやうに、家人らを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘ひ出した。
暴風雨の夜、添下・広瀬・葛城の野山を、かちあるきした娘御ではなかつた。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。
日の光りは、霞みもせず、陽炎も立たず、唯をどんで見えた。昨日眺めた野も、斜になつた日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の様にとりまく山々も、愈々遠く裾を曳いて見えた。
早い菫─げんげ─が、もうちらほら咲いてゐる。遠く見ると、その赤々とした紫が一続きに見えて、夕焼け雲がおりて居るやうに思はれる。足もとに一本、おなじ花の咲いてゐるのを見つけた郎女は、膝を叢について、ぢつと眺め入つた。
これはえ──。
すみれ、と申すとのことで御座ります。
かう言ふ風に、物を知らせるのが、あて人に仕へる人たちの、為来りになつて居た。
蓮の花に似てゐながら、もつと細やかな、──絵にある仏の花を見るやうな──。
ひとり言しながら、ぢつと見てゐるうちに、花は、広い萼の上に乗つた仏の前の大きな花になつて来る。其がまた、ふつと、目の前のさゝやかな花に戻る。
夕風が冷ついて参ります。内へと遊ばされ。
乳母が言つた。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて来た。
近々と、谷を隔てゝ、端山の林や、崖の幾重も重つた上に、二上の男嶽の頂が、赤い日に染つて立つてゐる。
今日は、又あまりに静かな夕である。山ものどかに、夕雲の中に這入つて行かうとしてゐる。
まうし〳〵。もう外に居る時では御座りません。
「朝目よく」うるはしい兆を見た昨日は、郎女にとつて、知らぬ経験を、後から後から展いて行つたことであつた。たゞ人の考へから言へば、苦しい現実のひき続きではあつたのだが、姫にとつては、心驚く事ばかりであつた。一つ〳〵変つた事に逢ふ度に、「何も知らぬ身であつた」と姫の心の底の声が揚つた。さうして、その事毎に、挨拶をしてはやり過したい気が、一ぱいであつた。今日も其続きを、くはしく見た。
なごり惜しく過ぎ行く現し世のさま〴〵。郎女は、今目を閉ぢて、心に一つ〳〵収めこまうとして居る。ほのかに通り行き、将著しくはためき過ぎたもの──。宵闇の深くならぬ先に、廬のまはりは、すつかり手入れがせられて居た。灯台も大きなのを、寺から借りて来て、煌々と、油火が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場処には、すさまじいと言ふ者があつて、どこかへ搬んで行かれた。其よりも、郎女の為には、帳台の設備はれてゐる安らかさ。今宵は、夜も、暖かであつた。帷帳を周らした中は、ほの暗かつた。其でも、山の鬼神、野の魍魎を避ける為の灯の渦が、ぼうと梁に張り渡した頂板に揺めいて居るのが、たのもしい気を深めた。帳台のまはりには、乳母や、若人が寝たらしい。其ももう、一時も前の事で、皆すや〳〵と寝息の音を立てゝ居る。姫の心は、今は軽かつた。
たとへば、俤に見たお人には逢はずとも、その俤を見た山の麓に来て、かう安らかに身を横へて居る。
灯台の明りは、郎女の額の上に、高く朧ろに見える光りの輪を作つて居た。月のやうに円くて、幾つも上へ〳〵と、月輪の重つてゐる如くも見えた。其が、隙間風の為であらう。時々薄れて行くと、一つの月になつた。ぽうつと明り立つと、幾重にも隈の畳まつた、大きな円かな光明になる。
幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やつと、遅い月が出たことであらう。
物の音。──つた つたと来て、ふうと佇ち止るけはひ。耳をすますと、元の寂かな夜に、──激ち降る谷のとよみ。
つた つた つた。
又、ひたと止む。
この狭い廬の中を、何時まで歩く、跫音だらう。
つた。
郎女は刹那、思ひ出して帳台の中で、身を固くした。次にわぢ〴〵と戦きが出て来た。
天若御子──。
ようべ、当麻語部嫗の聞した物語り。あゝ其お方の、来て窺ふ夜なのか。
──青馬の 耳面刀自。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
処女子の 一人
一人だに わが配偶に来よ
まことに畏しいと言ふことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざ〴〵と、圧へられるやうな畏さを知つた。あゝあの歌が、胸に生き蘇つて来る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸り出ようとするときめき。
帷帳がふはと、風を含んだ様に皺だむ。
ついと、凍る様な冷気──。
郎女は目を瞑つた。だが──瞬間睫の間から映つた細い白い指、まるで骨のやうな──帷帳を掴んだ片手の白く光る指。
なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。
何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急に寛ぎを感じた。さつと──汗。全身に流れる冷さを覚えた。畏い感情を持つたことのないあて人の姫は、直に動顛した心を、とり直すことが出来た。
なう〳〵。あみだほとけ……。
今一度口に出して見た。をとゝひまで、手写しとほした、称讃浄土経の文が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も、寺道場を覗いたこともなかつた。父君は家の内に道場を構へて居たが、簾越しにも聴聞は許されなかつた。御経の文は手写しても、固より意趣は、よく訣らなかつた。だが、処々には、かつ〴〵気持ちの汲みとれる所があつたのであらう。さすがに、まさかこんな時、突嗟に口に上らう、とは思うて居なかつた。
白い骨、譬へば白玉の並んだ骨の指、其が何時までも目に残つて居た。帷帳は、元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな気がする。
悲しさとも、懐しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、白々とした掌をあげて、姫をさし招いたと覚えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。
長い渚を歩いて行く。郎女の髪は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ乱れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の中道である。浪は、両方から打つて来る。どこまでも〳〵、海の道は続く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて来る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と気がつく。姫は身を屈めて、白玉を拾ふ。拾うても〳〵、玉は皆、掌に置くと、粉の如く砕けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ続ける。玉は水隠れて、見えぬ様になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬はうとする。掬んでも〳〵、水のやうに、手股から流れ去る白玉──。玉が再、砂の上につぶ〴〵並んで見える。忙しく拾はうとする姫の俯いた背を越して、流れる浪が、泡立つてとほる。
姫は──やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく、裳もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現し身。
ずん〴〵と、さがつて行く。水底に水漬く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹の白い珊瑚の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、揺れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り──。ほつと息をついた。
まるで、潜きする海女が二十尋・三十尋の水底から浮び上つて嘯く様に、深い息の音で、自身明らかに目が覚めた。
あゝ夢だつた。当麻まで来た夜道の記憶は、まざ〴〵と残つて居るが、こんな苦しさは覚えなかつた。だがやつぱり、をとゝひの道の続きを辿つて居るらしい気がする。
水の面からさし入る月の光り、さう思うた時は、ずん〴〵海面に浮き出て来た。さうして悉く、跡形もない夢だつた。唯、姫の仰ぎ寝る頂板に、あゝ、水にさし入つた月。そこに以前のまゝに、幾つも暈の畳まつた月輪の形が、揺めいて居る。
なう〳〵 阿弥陀ほとけ……。
再、口に出た。光りの暈は、今は愈々明りを増して、輪と輪との境の隈々しい処までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩・頭・髪、はつきりと形を現じた。白々と袒いだ美しい肌。浄く伏せたまみが、郎女の寝姿を見おろして居る。かの日の夕、山の端に見た俤びと──。乳のあたりと、膝元とにある手──その指、白玉の指。
姫は、起き直つた。天井の光りの輪が、元のまゝに、たゞ仄かに、事もなく揺れて居た。
貴人はうま人どち、やつこは奴隷どち、と言ふからの──。
何時見ても、大師は、微塵曇りのない、円かな相好である。其に、ふるまひのおほどかなこと。若くから氏上で、数十家の一族や、日本国中数万の氏人から立てられて来た家持も、ぢつと対うてゐると、その静かな威に、圧せられるやうな気がして来る。
言はしておくがよい。奴隷たちは、とやかくと口さがないのが、其為事よ。此身とお身とは、おなじ貴人ぢや。おのづから、話も合はうと言ふもの。此身が、段々なり上ると、うま人までがおのづとやつこ心になり居つて、いや嫉むの、そねむの。
家持は、此が多聞天か、と心に問ひかけて居た。だがどうも、さうは思はれぬ。同じ、かたどつて作るなら、とつい聯想が逸れて行く。八年前、越中ノ国から帰つた当座の、世の中の豊かな騒ぎが、思ひ出された。あれからすぐ、大仏開眼供養が行はれたのであつた。其時、近々と仰ぎ奉つた尊容、八十種好具足した、と謂はれる其相好が、誰やらに似てゐる、と感じた。其がその時は、どうしても思ひ浮ばずにしまつた。その時の印象が、今ぴつたり、的にあてはまつて来たのである。
かうして対ひあつて居る主人の顔なり、姿なりが、其まゝあの盧遮那ほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。
お身も、少し咄したら、えゝではないか。官位はかうぶり。昔ながらの氏は氏──。なあ、さう思はぬか。紫徴中台の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。家に居る時だけは、やはり神代以来の氏上づきあひが、えゝ。
新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土の才が、やまと心に入り替つたと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを言ふ。家持は、感謝したい気がした。理会者・同感者を、思ひまうけぬ処に見つけ出した嬉しさだつたのである。
お身は、宋玉や、王褒の書いた物を大分持つて居ると言ふが、太宰府へ行つた時に、手に入れたのぢやな。あんな若い年で、わせだつたのだなう。お身は──。お身の氏では、古麻呂。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言ふがひない話ぢやは。
兵部大輔は、やつと話のつきほを捉へた。
お身さまのお話ぢやが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て来る元になつて居る──さうつく〴〵思ひますぢやて。ところで近頃は、方を換へて、張文成を拾ひ読みすることにしました。この方が、なんぼか──。
大きに、其は、身も賛成ぢや。ぢやが、お身がその年になつても、まだ二十代の若い心や、瑞々しい顔を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか〳〵隠れては歩き居る、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保証する。おれなどは、張文成ばかり古くから読み過ぎて、早く精気の尽きてしまうた心持ちがする。──ぢやが全く、文成はえゝなう。あの仁に会うて来た者の話では、豬肥えのした、唯の漢土びとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾うてくれるだらうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、読んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる──そんな空恐しい気さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな経験は、おありでがな。
大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなるのぢや。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが──。ぢやが、女子だけには、まづ当分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。第一其が、われ〳〵男の為ぢやて。
家持は、此了解に富んだ貴人に向つては、何でも言つてよい、青年のやうな気が湧いて来た。
さやう〳〵。智慧を持ち初めては、あの鬱い女部屋には、ぢつとして居ませぬげな。第一、横佩墻内の──
此はいけぬ、と思つた。同時に、此臆れた気の出るのが、自分を卑くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落す心なのだ、と感じる。
好、好。遠慮はやめやめ。氏ノ上づきあひぢやもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏ノ上に任ぜられた訣ぢやあ、なかつたつけの。
瞬間、暗い顔をしたが、直にさつと眉の間から、輝きが出て来た。
身の女姪が神隠しにあうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつを、さう解るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。実はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたつて見た、と言ふ口かね、お身も。
大きに。
今度は軽い心持ちが、大胆に押勝の話を受けとめた。
お身さまが経験ずみぢやで、其で、郎女の才高さと、男択びすることが訣りますな──。
此は──。額ざまに切りつけるぞ──。免せ〳〵と言ふところぢやが、──あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。枚岡の斎き姫にあがる宿世を持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。
大師は、笑ひをぴたりと止めて、家持の顔を見ながら、きまじめな表情になつた。
ぢやがどうも──。聴き及んでのことゝ思ふが、家出の前まで、阿弥陀経の千部写経をして居たと言ふし、楽毅論から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習ひしたらしいし、まだ〳〵孝経などは、これぽつちの頃に習うた、と言ふし、なか〳〵の女博士での。楚辞や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬはなう。霜月・師走の垣毀雪女ぢやもの。──どうして、其だけの女子が、神隠しなどに逢はうかい。
第一、場処が、あの当麻で見つかつたと言ひますからの──。
併し其は、藤原に全く縁のない処でもない。天ノ二上は、中臣寿詞にもあるし……。斎き姫もいや、人の妻と呼ばれるのもいや──で、尼になる気を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな気持ちばかりでも居られぬて──。
押勝の眉は集つて来て、皺一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顔も、思ひなし、ひずんで見えた。
何しろ、嫋女は国の宝ぢやでなう。出来ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、──人間の高望みは、さうばかりもさせてはおきをらぬがい──。ともかく、むざ〴〵尼寺へやる訣にはいかぬ。
ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが…。
九族が天に生じて、何になるといふのぢや。宝は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。どだい兄公殿が、少し仏凝りが過ぎるでなう──。自然内うらまで、そんな気風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ──。時に、お身のみ館の郎女も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家の久須麻呂が泣きを見るからの。
人の悪いからかひ笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出さうと努めるのは、考へるのも切ない胸の中が察せられる。
兄公殿は氏ノ上に、身は氏助と言ふ訣なのぢやが、肝腎斎き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年ぢや。去年春日祭りに、女使ひで上られた姿を見て、神さびたものよ、と思うたぞ。今一代此方から進ぜなかつたら、斎き姫になる娘の多い北家の方が、すぐに取つて替つて、氏ノ上に据るは。
兵部大輔にとつても、此はもう、他事ではなかつた。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏ノ上職を持ち堪へたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせが重かつたからである。其には、一番大事な条件として、美しい斎き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた為でもある。大伴の家のは、表向き壻どりさへして居ねば、子があつても、斎き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。今の阪ノ上ノ郎女は、二人の女子を持つて、やはり斎き姫である。此は、うつかり出来ない。此方も藤原同様、叔母御が斎姫で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯の数知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。かう考へて来た家持の心の動揺などには、思ひよりもせぬ風で、
こんな話は、よそほかの氏ノ上に言ふべきことでないが、兄公殿があゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが表面だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度づゝ、其外、週り年には、時々鹿島・香取の東路のはてにある旧社の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。実際よそほかの氏ノ上よりも、此方の氏ノ助ははたらいてゐるのだが、──だから、自分で、氏ノ上の気持ちになつたりする。──もう一層なつてしまふかな。お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。氏ノ上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂げさせるものはない。上様方に於かせられて、お叱りの御沙汰を下しおかれぬ限りは──。
京中で、此恵美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言ふ。門は、左京二条三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を広く空けて、深々とした山斎が作つてある。其に入りこみの多い池を周らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中み門、西の中み門まで備つて居る。どうかすると、庭と申さうより、寛々とした空き地の広くおありになる宮よりは、もつと手入れが届いて居さうな気がする。
庭を立派にして住んだ、うま人たちの末々の様が、兵部大輔の胸に来た。瞬間、憂鬱な気持ちがかぶさつて来て、前にゐる大師の顔を見るのが、気の毒な様に思はれる。
案じるなよ。庭が行き届き過ぎて居る、と思うてるのだらう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き継がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。それあの山部の何とか言つた、地下の召し人の歌よみが、おれの三十になつたばかりの頃、「昔見し旧き堤は、年深み……年深み、池の渚に、水草生ひにけり」とよんだ位だが、其後が、これ此様に、四流にも岐れて栄えてゐる。もつとあるぞ──。なに、庭などによるものぢやないは。
恃む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立つた個処々々を指摘しながら、其拠る所を、日本・漢土に渉つて説明した。
長い廊を、数人の童が続いて来る。
日ずかしです。お召しあがり下されませう。
改つて、簡単な饗応の挨拶をした。まらうどに、早く酒を献じなさい、と言つてゐる間に、美しい采女が、盃を額より高く捧げて出た。
をゝ、それだけ受けて頂けばよい。舞ひぶりを一つ、見て貰ひなさい。
家持は、何を考へても、先を越す敏感な主人に対して、唯虚心で居るより外は、なかつた。
うねめは、大伴の氏ノ上へは、まだくださらぬのだつたね。藤原では、存知でもあらうが、先例が早くからあつて、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になつて居ります。
時々、こんな畏まつたもの言ひもまじへる。兵部大輔は、自身の語づかひにも、初中終、気扱ひをせねばならなかつた。
氏ノ上もな、身が執心で、兄公殿を太宰府へ追ひまくつて、後にすわらうとするのだ、と言ふ奴があるといの──。やつぱり「奴はやつこどち」ぢやの。さう思ふよ。時に女姪の姫だが──。
さすがの聡明第一の大師も、酒の量は少かつた。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して来た。家持は、一度はぐらかされた緒口に、とりついた気で、
横佩墻内の郎女は、どうなるでせう。社・寺、それとも宮──。どちらへ向いても、神さびた一生。あつたら惜しいものでおありだ。
気にするな。気にするな。気にしたとて、どう出来るものか。此は──もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。
末は、独り言になつて居た。さうして、急に考へ深い目を凝した。池へ落した水音は、未がさがると、寒々と聞えて来る。
早く、躑躅の照る時分になつてくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどほしいぞ。
大師藤原ノ恵美ノ押勝朝臣の声は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじへて居なかつた。
つた つた つた。
郎女は、一向、あの音の歩み寄つて来る畏しい夜更けを、待つやうになつた。をとゝひよりは昨日、昨日よりは今日といふ風に、其跫音が間遠になつて行き、此頃はふつに音せぬやうになつた。その氷の山に対うて居るやうな、骨の疼く戦慄の快感、其が失せて行くのを虞れるやうに、姫は夜毎、鶏のうたひ出すまでは、殆、祈る心で待ち続けて居る。
絶望のまゝ、幾晩も仰ぎ寝たきりで、目は昼よりも寤めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかつた。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板の面の光り輪にすら、明盲ひのやうに、注意は惹かれなくなつた。こゝに来て、疾くに、七日は過ぎ、十日・半月になつた。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨の花のやうだつた小桜が散り過ぎて、其に次ぐ山桜が、谷から峰かけて、断続しながら咲いてゐるのも見える。麦原は、驚くばかり伸び、里人の野為事に出た姿が、終日、そのあたりに動いてゐる。
都から来た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と佗びる者が殖えて行つた。廬堂の近くに掘り立てた板屋に、かう長びくとは思はなかつたし、まだどれだけ続くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に会ふことばかりを考へた。親に養はれる者は、家の父母の外にも、隠れた恋人を思ふ心が、切々として来るのである。女たちは、かうした場合にも、平気に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何かと為事を考へてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もつと廬に接して建てられて居た。
身狭乳母の思ひやりから、男たちの多くは、唯さへ小人数な奈良の御館の番に行け、と言つて還され、長老一人の外は、唯雑用をする童と、奴隷位しか残らなかつた。
乳母や、若人たちも、薄々は帳台の中で夜を久しく起きてゐる、郎女の様子を感じ出して居た。でも、なぜさう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎの女たちである。
やはり、郎女の魂があくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と単純に考へて居る。ある女は、魂ごひの為に、山尋ねの咒術をして見たらどうだらう、と言つた。
乳母は一口に言ひ消した。姫様、当麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした当麻真人の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。当麻語部とか謂つた蠱物使ひのやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起したのだ。
その節、山の峠の塚で起つた不思議は、噂になつて、この貴人一家の者にも、知れ渡つて居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女様におつけ申しあげたに違ひない。もう〳〵、軽はずみな咒術は思ひとまることにしよう。かうして、魂の游離れ出た処の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだらう。こんな風に考へて、乳母は唯、気長に気ながに、と女たちを諭し〳〵した。
こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、桜の後、暫らく寂しかつた山に、躑躅が燃え立つた。足も行かれぬ崖の上や、巌の腹などに、一群々々咲いて居るのが、奥山の春は今だ、となのつて居るやうである。
ある日は、山へ〳〵と、里の娘ばかりが上つて行くのを見た。凡数十人の若い女が、何処で宿つたのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髪にかざして、降りて来た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林が練つて降るやうだ、と声をあげた。
ぞよ〴〵と廬の前を通る時、皆頭をさげて行つた。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ来た。当麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植ゑをする。其時は、見に出やしやれ。こんな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑ふ者もあつた。
こゝの田居の中で、植ゑ初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田ぢやげな。
若人たちは、又例の蠱物姥の古語りであらう、とまぜ返す。ともあれ、かうして、山ごもりに上つた娘だけに、今年の田の早処女が当ります。其しるしが此ぢや、と大事さうに、頭の躑躅に触れて見せた。
もつと変つた話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下はあつても、同じ若い同士のことゝて、色々な田舎咄をして行つた。其を後に乳母たちが聴いて、気にしたことがあつた。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどう〴〵と踏みおりて来る者がある。ようべ、真夜中のことである。一様にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、真下へ〳〵、降つて行つた。がら〴〵と、岩の崩える響き。──ちようど其が、此盧堂の真上の高処に当つて居た。こんな処に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案の定、赤岩の大崩崖。ようべの音は、音ばかりで、ちつとも痕は残つて居なかつた。
其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく〳〵、子から丑の間に、里から見えるこのあたりの峰の上に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪の凄い唸りが、聞えたりする。今までつひに聞かぬこと。里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言つた。
こんな話を残して行つた里の娘たちも、苗代田の畔に、めい〳〵のかざしの躑躅花を揷して帰つた。其は昼のこと、田舎は田舎らしい閨の中に、今は寝ついたであらう。夜はひた更けに、更けて行く。
昼の恐れのなごりに、寝苦しがつて居た女たちも、おびえ疲れに寝入つてしまつた。頭上の崖で、寝鳥の鳴き声がした。郎女は、まどろんだとも思はぬ目を、ふつと開いた。続いて今ひと響き、びしとしたのは、鳥などの、翼ぐるめひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたやうに、虚しい空間の闇に、時間が立つて行つた。
郎女の額の上の天井の光の暈が、ほの〴〵と白んで来る。明りの隈はあちこちに偏倚つて、光りを竪にくぎつて行く。と見る間に、ぱつと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、仏の花の青蓮華と言ふものであらうか。郎女の目には、何とも知れぬ浄らかな花が、車輪のやうに、宙にぱつと開いてゐる。仄暗い蕋の処に、むら〳〵と雲のやうに、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髪である。髪の中から匂ひ出た荘厳な顔。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩・胸・顕はな肌。──冷え〴〵とした白い肌。をゝ おいとほしい。
郎女は、自身の声に、目が覚めた。夢から続いて、口は尚夢のやうに、語を逐うて居た。
おいとほしい。お寒からうに──。
山の躑躅の色は、様々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎む。さうして、凡一月は、後から後から替つた色のが匂ひ出て、禿げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交つて、馬酔木が雪のやうに咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあはれである。
もう此頃になると、山は厭はしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隠されてしまふ。郭公は早く鳴き嗄らし、時鳥が替つて、日も夜も鳴く。
草の花が、どつと怒濤の寄せるやうに咲き出して、山全体が花原見たやうになつて行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたつて、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑にも、立ち替り咲き替つて、栽ゑ木、草花が、何処まで盛り続けるかと思はれる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返つたやうな時が来る。池には葦が伸び、蒲が秀き、藺が抽んでゝ来る。遅々として、併し忘れた頃に、俄かに伸し上るやうに育つのは、蓮の葉であつた。
前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の暴状が、目立つて棄て置かれぬものに見えて来た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言ふ命のお降しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰員外帥として、難波に居た横佩家の豊成は、思ひがけぬ日々を送らねばならなかつた。
都の姫の事は、子古の口から聴いて知つたし、又、京・難波の間を往来する頻繁な公私の使ひに、文をことづてる事は易かつたけれども、どう処置してよいか、途方に昏れた。ちよつと見は何でもない事の様で、実は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不断な心癖は、益々つのるばかりであつた。
寺々の知音に寄せて、当麻寺へ、よい様に命じてくれる様に、と書いてもやつた。又処置方について伺うた横佩墻内の家の長老・刀自たちへは、ひたすら、汝等の主の郎女を護つて居れ、と言ふやうな、抽象風なことを、答へて来たりした。
次の消息には、何かと具体した仰せつけがあるだらう、と待つて居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失はれたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止つて居た。物思ひに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立つて、伸びた蓮の茎を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女が、其はまだ若い、まう半月もおかねばと言つて、寺領の一部に、蓮根を取る為に作つてあつた蓮田へ、案内しよう、と言ひ出した。
あて人の家自身が、それ〳〵、農村の大家であつた。其が次第に、官人らしい姿に更つて来ても、家庭の生活には、何時までたつても、何処か農家らしい様子が、残つて居た。家構へにも、屋敷の広場にも、家の中の雑用具にも。第一、女たちの生活は、起居ふるまひなり、服装なりは、優雅に優雅にと変つては行つたが、やはり昔の農家の家内の匂ひがつき纏うて離れなかつた。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田荘へ行つて、数日を過して来るやうな習しも、絶えることなく、くり返されて居た。
だから、刀自たちは固より若人らも、つくねんと女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかつた。てんでに、自分の出た村方の手芸を覚えて居て、其を、仕へる君の為に為出さう、と出精してはたらいた。
裳の襞を作るのに珍い術を持つた女などが、何でもないことで、とりわけ重宝がられた。袖の先につける鰭袖を美しく為立てゝ、其に、珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれを世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫ひが、家々の顔見合はぬ女どうしの競技のやうに、もてはやされた。摺り染めや、擣ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあつたが、浸で染めの為の染料が、韓の技工人の影響から、途方もなく変化した。紫と謂つても、茜と謂つても皆、昔の様な、染め漿の処置はせなくなつた。さうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになつて来た。表向きは、かうした色の禁令が、次第に行きわたつて来たけれど、家の女部屋までは、官の目も届くはずはなかつた。
家庭の主婦が、居まはりの人を促したてゝ、自身も精励してするやうな為事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ぬと言ふばかりで、家の中での為事は、まだ見参をせずにゐた田舎暮しの時分と、大差はなかつた。とりわけ違ふのは、其家々の神々に仕へると言ふ、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加へられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ様に、笠を深々とかづき、其下には、更に薄帛を垂らして出かけた。
一時たゝぬ中に、婢女ばかりでなく、自身たちも、田におりたつたと見えて、泥だらけになつて、若人たち十数人は戻つて来た。皆手に手に、張り切つて発育した、蓮の茎を抱へて、廬の前に並んだのには、常々くすりとも笑わぬ乳母たちさへ、腹の皮をよつて、切ながつた。
郎女様。御覧じませ。
竪帳を手でのけて、姫に見せるだけが、やつとのことであつた。
ほう──。
何が笑ふべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上﨟には、唯常と変つた皆の姿が、羨しく思はれた。
この身も、その田居とやらにおり立ちたい──。
めつさうなこと、仰せられます。
めつさうな。きまつて、誇張した顔と口との表現で答へることも、此ごろ、この小社会で行はれ出した。何から何まで縛りつけるやうな、身狭乳母に対する反感も、此ものまねで幾分、いり合せがつく様な気がするのであらう。
其日からもう、若人たちの糸縒りは初まつた。夜は、閨の闇の中で寝る女たちには、稀に男の声を聞くこともある、奈良の垣内住ひが、恋しかつた。朝になると又、何もかも忘れたやうになつて績み貯める。
さうした糸の、六かせ七かせを持つて出て、郎女に見せたのは、其数日後であつた。
乳母よ。この糸は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛の巣より弱く見えるがよ──。
郎女は、久しぶりでにつこりした。労を犒ふと共に、考への足らぬのを憐むやうである。
刀自は、驚いて姫の詞を堰き止めた。
なる程、此は脆過ぎまする。
女たちは、板屋に戻つても、長く、健やかな喜びを、皆して語つて居た。
全く些しの悪意もまじへずに、言ひたいまゝの気持ちから、
田居とやらへおりたちたい──、
を反覆した。
刀自は、若人を呼び集めて、
もつと、きれぬ糸を作り出さねば、物はない。
と言つた。女たちの中の一人が、
それでは、刀自に、何ぞよい御思案が──。
さればの──。
昔を守ることばかりはいかついが、新しいことの考へは唯、尋常の婆の如く、愚かしかつた。
ゆくりない声が、郎女の口から洩れた。
この身の考へることが、出来ることか試して見や。
うま人を軽侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな軽しめに似た気持ちが、皆の心に動いた。
夏引きの麻生の麻を績むやうに、そして、もつと日ざらしよく、細くこまやかに──。
郎女は、目に見えぬものゝさとしを、心の上で綴つて行くやうに、語を吐いた。
板屋の前には、俄かに、蓮の茎が乾し並べられた。さうして其が乾くと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒し、晒しては水に漬でた幾日の後、筵の上で槌の音高く、こも〴〵、交々と叩き柔らげた。
その勤しみを、郎女も時には、端近くゐざり出て見て居た。咎めようとしても、思ひつめたやうな目して、見入つて居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出来なくなつた。
日晒しの茎を、八針に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言はぬまなざしが、ぢつと若人たちの手もとをまもつて居る。果ては、刀自も言ひ出した。
私も、績みませう。
績みに績み、又績みに績んだ。藕糸のまるがせが、日に〳〵殖えて、廬堂の中に、次第に高く積まれて行つた。
もう今日は、みな月に入る日ぢやの──。
暦の事を言はれて、刀自はぎよつとした。ほんに、今日こそ、氷室の朔日ぢや。さう思ふ下から歯の根のあはぬやうな悪感を覚えた。大昔から、暦は聖の与る道と考へて来た。其で、男女は唯、長老の言ふがまゝに、時の来又去つた事を教はつて、村や、家の行事を進めて行くばかりであつた。だから、教へぬに日月を語ることは、極めて聡い人の事として居た頃である。愈々魂をとり戻されたのか、と瞻りながら、はら〳〵して居る乳母であつた。唯、郎女は復、秋分の日の近づいて来て居ることを、心にと言ふよりは、身の内に、そく〳〵と感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長けて、莟の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女は、今が刈りしほだ、と教へたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が続いた。
彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のやうに深碧に凪いだ空に、昼過ぎて、白い雲が頻りにちぎれ〳〵に飛んだ。其が門渡る船と見えてゐる内に、暴風である。空は愈々青澄み、昏くなる頃には、藍の様に色濃くなつて行つた。見あげる山の端は、横雲の空のやうに、茜色に輝いて居る。
大山颪。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。たゞ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から真正面に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空様に枝を掻き上げられた様になつて、悲鳴を続けた。谷から峰の上に生え上つて居る萱原は、一様に上へ〳〵と糶り昇るやうに、葉裏を返して扱き上げられた。
家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかつきりと、物の一つ〳〵を、鮮やかに見せて居た。
郎女様が──。
誰かの声である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎよつとした。其が、何だと言はれずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言ひ難い恐怖にかみづゝた女たちは、誰一人声を出す者も居なかつた。
身狭ノ乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人のけはひで、覚め難い夢から覚めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の両腕両膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が来た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凜として、反り返る様な力が、湧き上つた。
誰ぞ、弓を──。鳴弦ぢや。
人を待つ間もなかつた。彼女自身、壁代に寄せかけて置いた白木の檀弓をとり上げて居た。
それ皆の衆──。反閇ぞ。もつと声高に──。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。
若人たちも、一人々々の心は、疾くに飛んで行つてしまつて居た。唯一つの声で、警驆を発し、反閇した。
あっし あっし。
あっし あっし あっし。
狭い廬の中を蹈んで廻つた。脇目からは、遶道する群れのやうに。
郎女様は、こちらに御座りますか。
万法蔵院の婢女が、息をきらして走つて来て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の砌に立つて叫んだ。
なに──。
皆の口が、一つであつた。
郎女様か、と思はれるあて人が──、み寺の門に立つて居さつせるのを見たで、知らせにまゐりました。
今度は、乳母一人の声が答へた。
なに、み寺の門に。
婢女を先に、行道の群れは、小石を飛す嵐の中を、早足に練り出した。
あっし あっし あっし……。
声は、遠くからも聞えた。大風をつき抜く様な鋭声が、野面に伝はる。
万法蔵院は、実に寂として居た。山風は物忘れした様に、鎮まつて居た。夕闇はそろ〳〵、かぶさつて来て居るのに、山裾のひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝いてゐた。こゝからよく見える二上の頂は、広く、赤々と夕映えてゐる。
姫は、山田の道場の牕から仰ぐ空の狭さを悲しんでゐる間に、何時かこゝまで来て居たのである。浄域を穢した物忌みにこもつてゐる身、と言ふことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあつたのであらう。門の閾から、伸び上るやうにして、山の際の空を見入つて居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山に廻つたらしい。だが、寺は物音もない黄昏だ。
男嶽と女嶽との間になだれをなした大きな曲線が、又次第に両方へ聳つて行つてゐる、此二つの峰の間の広い空際。薄れかゝつた茜の雲が、急に輝き出して、白銀の炎をあげて来る。山の間に充満して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。
さうして暫らくは、外に動くものゝない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。
肌 肩 脇 胸 豊かな姿が、山の尾上の松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顔ばかりは、ほの暗かつた。
今すこし著く み姿顕したまへ──。
郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となつて靉き、次第々々に降る様に見えた。
明るいのは、山際ばかりではなかつた。地上は、砂の数もよまれるほどである。
しづかに しづかに雲はおりて来る。万法蔵院の香殿・講堂・塔婆・楼閣・山門・僧房・庫裡、悉く金に、朱に、青に、昼より著く見え、自ら光りを発して居た。
庭の砂の上にすれ〳〵に、雲は揺曳して、そこにあり〳〵と半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、清しく見ひらいた。軽くつぐんだ唇は、この女性に向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低れて来る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御姿から、目をそらさなかつた。
あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸り出た。
なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。
瞬間に明りが薄れて行つて、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほの〴〵と暗くなり、段々に高く、又高く上つて行く。
姫が、目送する間もない程であつた。忽、二上山の山の端に溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。
あっし あっし。
足を蹈み、前を駆ふ声が、耳もとまで近づいて来てゐた。
当麻の邑は、此頃、一本の草、一塊の石すら、光りを持つほど、賑ひ充ちて居る。
当麻真人家の氏神当麻彦の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏ノ上の拝礼があつた。故上総守老真人以来、暫らく絶えて居たことである。
其上、まう二三日に迫つた八月の朔日には、奈良の宮から、勅使が来向はれる筈になつて居た。当麻氏から出られた大夫人のお生み申された宮の御代に、あらたまることになつたからである。
廬堂の中は、前よりは更に狭くなつて居た。郎女が、奈良の御館からとり寄せた高機を、設てたからである。機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる筬や梭の扱ひ方を、姫はすぐに会得した。機に上つて日ねもす、時には終夜織つて見るけれど、蓮の糸は、すぐに円になつたり、断れたりした。其でも、倦まずにさへ織つて居れば、何時か織りあがるもの、と信じてゐる様に、脇目からは見えた。
乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顔を、此頃よくしてゐる。
何しろ、唐土でも、天竺から渡つた物より手に入らぬ、といふ藕糸織りを遊ばさう、と言ふのぢやものなう。
話相手にもしなかつた若い者たちに、時々うつかりと、こんな事を、言ふ様になつた。
かう糸が無駄になつては。
今の間にどし〴〵績んで置かいでは──。
乳母の語に、若人たちは又、広々として野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだつた。
さうして、女たちの刈りとつた蓮積み車が、廬に戻つて来ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、当麻の邑の騒ぎの噂である。
郎女様のお従兄恵美の若子さまのお母様も、当麻ノ真人のお出ぢやげな──。
恵美の御館の叔父君の世界、見るやうな世になつた。
兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあらうなう──。
あて人に仕へて居ても、女はうつかりすると、人の評判に時を移した。
やめい やめい。お耳ざはりぞ。
しまひには、乳母が叱りに出た。だが、身狭刀自自身のうちにも、もだ〴〵と咽喉につまつた物のある感じが、残らずには居なかつた。さうして、そんなことにかまけることなく、何の訣やら知れぬが、一心に糸を績み、機を織つて居る育ての姫が、いとほしくてたまらぬのであつた。
昼の中多く出た虻は、潜んでしまつたが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して来る。日中の興奮で、皆は正体もなく寝た。身狭までが、姫の起き明す灯の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。
郎女は、断れては織り、織つては断れ、手がだるくなつても、まだ梭を放さうともせぬ。
だが、此頃の姫の心は、満ち足らうて居た。あれほど、夜々見て居た俤人の姿も見ずに、安らかな気持ちが続いてゐるのである。
「此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩うてあげたい。」
其ばかり考へて居る。世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。
ちよう ちよう はた はた。
はた はた ちよう……。
筬を流れるやうに、手もとにくり寄せられる糸が、動かなくなつた。引いても扱いても通らぬ。筬の歯が幾枚も毀れて、糸筋の上にかゝつて居るのが見える。
郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。
どうしたら、よいのだらう。
姫ははじめて、顔へ偏つてかゝつて来る髪のうるさゝを感じた。筬の櫛目を覗いて見た。梭もはたいて見た。
あゝ、何時になつたら、したてた衣を、お肌へふくよかにお貸し申すことが出来よう。
もう外の叢で鳴き出した、蟋蟀の声を、瞬間思ひ浮べて居た。
どれ、およこし遊ばされ。かう直せば、動かぬこともおざるまい──。
どうやら聞いた気のする声が、機の外にした。
あて人の姫は、何処から来た人とも疑はなかつた。唯、さうした好意ある人を、予想して居た時なので、
見てたもれ。
機をおりた。
女は尼であつた。髪を切つて尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあつたが、剃髪した尼には会うたことのない姫であつた。
はた はた ちよう ちよう。
元の通りの音が、整つて出て来た。
蓮の糸は、かう言ふ風では、織れるものではおざりませぬ。もつと寄つて御覧じ──。これかう──おわかりかえ。
当麻語部ノ姥の声である。だが、そんなことは、郎女の心には、問題でもなかつた。
おわかりなさるかえ。これかう──。
姫の心は、こだまの如く聡くなつて居た。此才伎の経緯は、すぐ呑み込まれた。
織つてごらうじませ。
姫が、高機に代つて入ると、尼は機陰に身を倚せて立つ。
はた はた ゆら ゆら。
音までが、変つて澄み上つた。
女鳥の わがおほきみの織す機。誰が為ねろかも──、御存じ及びでおざりませうなう。昔、かう、機殿の牕からのぞきこうで、問はれたお方様がおざりましたつけ。──その時、その貴い女性がの、
たか行くや 隼別の御被服料──さうお答へなされたとなう。
この中申し上げた滋賀津彦は、やはり隼別でもおざりました。天若日子でもおざりました。天の日に矢を射かける──。併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。
截りはたり、ちようちよう。それ──、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまゐりますがよ──。
郎女は、ふつと覚めた。あぐね果てゝ、機の上にとろ〳〵とした間の夢だつたのである。だが、梭をとり直して見ると、
はた はた ゆら ゆら。ゆら はたゝ。
美しい織物が、筬の目から迸る。
はた はた ゆら ゆら。
思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。
望の夜の月が冴えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた一反の上帛を、夜の更けるのも忘れて、見讃して居た。
この月の光りを受けた美しさ。
縑のやうで、韓織のやうで、──やつぱり、此より外にはない、清らかな上帛ぢや。
乳母も、遠くなつた眼をすがめながら、譬へやうのない美しさと、づゝしりとした手あたりを、若い者のやうに楽しんでは、撫でまはして居た。
二度目の機は、初めの日数の半であがつた。三反の上帛を織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて来た。五反目を織りきると、機に上ることをやめた。さうして、日も夜も、針を動した。
長月の空は、三日の月のほのめき出したのさへ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思ふだけでも、堪へられなかつた。
裁ち縫ふわざは、あて人の子のする事ではなかつた。唯、他人の手に触れさせたくない。かう思ふ心から、解いては縫ひ、縫うてはほどきした。現し世の幾人にも当る大きなお身に合ふ衣を、縫ふすべを知らなかつた。せつかく織り上げた上帛を、裁つたり截つたり、段々布は狭くなつて行く。
女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかつた。何を縫ふものとも考へ当らぬ囁きに、日を暮すばかりである。
其上、日に増し、外は冷えて来る。人々は一日も早く、奈良の御館に帰ることを願ふばかりになつた。郎女は、暖かい昼、薄暗い廬の中で、うつとりとしてゐた。その時、語部の尼が歩み寄つて来るのを、又まざ〴〵と見たのである。
何を思案遊ばす。壁代の様に縦横に裁ちついで、其まゝ身に纏ふやうになさる外はおざらぬ。それ、こゝに紐をつけて、肩の上でくゝりあはせれば、昼は衣になりませう。紐を解き敷いて、折り返し被れば、やがて夜の衾にもなりまする。天竺の行人たちの著る僧伽梨と言ふのが、其でおざりまする。早くお縫ひあそばされ。
だが、気がつくと、やはり昼の夢を見て居たのだ。裁ちきつた布を綴り合せて縫ひ初めると、二日もたゝぬ間に、大きな一面の綴りの上帛が出来あがつた。
郎女様は、月ごろかゝつて、唯の壁代をお織りなされた。
あつたら 惜しやの。
はりが抜けたやうに、若人たちが声を落して言うて居る時、姫は悲しみながら、次の営みを考へて居た。
「これでは、あまり寒々としてゐる。殯の庭の棺にかけるひしきもの─喪氈─、とやら言ふものと、見た目にかはりはあるまい。」
もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信をうちこんで聴く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶ〳〵と物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも、笑ひ咄のやうに言はれるやうな世の中になつて居た。当麻語部の嫗なども、都の上﨟の、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違つた氏の語部なるが故に、追ひ退けられたのであつた。
さう言ふ聴きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又廬堂に近い木立ちの陰でも、或は其処を見おろす山の上からでも、郎女に向つてする、ひとり語りは続けられて居た。
今年八月、当麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再己が世が来た、とほくそ笑みをした──が、氏の神祭りにも、語部を請じて、神語りを語らさうともせられなかつた。ひきついであつた、勅使の参向の節にも、呼び出されて、当麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た予期も、空頼みになつた。
此はもう、自身や、自身の祖たちが、長く覚え伝へ、語りついで来た間、かうした事に行き逢はうとは、考へもつかなかつた時代が来たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追放はれてゐる気がして、唯驚くばかりであつた。娯しみを失ひきつた語部の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまつた。水を飲んでも、口をついて、独り語りが囈語のやうに出るばかりになつた。
秋深くなるにつれて、衰への、目立つて来た姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近い処をところをと覓めて、さまよひ歩くやうになつた。
郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩色の数々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて、彩色を持つて還れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人残つて居た長老である。つひしか、こんな言ひつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復、何か事の起るのではないか、とおど〳〵して居た。だが、身狭乳母の計ひで、長老は渋々、夜道を、奈良へ向つて急いだ。
あくる日、絵具の届けられた時、姫の声ははなやいで、興奮りかに響いた。
女たちの噂した所の、袈裟で謂へば、五十条の大衣とも言ふべき、藕糸の上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉しげにとり上げられた。線描きなしに、うちつけに絵具を塗り進めた。美しい彩画は、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に、輝き増して行く。
姫は、緑青を盛つて、層々うち重る楼閣伽藍の屋根を表した。数多い柱や、廊の立ち続く姿が、目赫くばかり、朱で彩みあげられた。むら〳〵と靉くものは、紺青の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、画きおろされた。雲の上には金泥の光り輝く靄が、漂ひはじめた。姫の命を搾るまでの念力が、筆のまゝに動いて居る。やがて金色の雲気は、次第に凝り成して、照り充ちた色身──現し世の人とも見えぬ尊い姿が顕れた。
郎女は唯、先の日見た、万法蔵院の夕の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔・伽藍すべては、当麻のみ寺のありの姿であつた。だが、彩画の上に湧き上つた宮殿楼閣は、兜率天宮のたゝずまひさながらであつた。しかも、其四十九重の宝宮の内院に現れた尊者の相好は、あの夕、近々と目に見た俤びとの姿を、心に覓めて描き顕したばかりであつた。
刀自・若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて来る光りの霞に、唯見呆けて居るばかりであつた。
郎女が、筆をおいて、にこやかな笑ひを、円く跪坐る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。まして、戸口に消える際に、ふりかへつた姫の輝くやうな頬のうへに、細く伝ふものゝあつたのを知る者の、ある訣はなかつた。
姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様は、そのまゝ曼陀羅の相を具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかつた。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻る画面には、見る〳〵、数千地涌の菩薩の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐひかも知れぬ。
底本:「死者の書」中公文庫、中央公論社
1974(昭和49)年5月10日初版
1989(平成元)年8月5日21版
底本の親本:「折口信夫全集 第廿四巻」中央公論社
1955(昭和30)年6月刊
初出:「日本評論 第十四巻第一号~三号」
1939(昭和14)年1月~3月
入力:菅野朋子
校正:成宮佐知子
2012年7月17日作成
2016年7月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。