それができたら
岸田國士
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吾妻養狐場には、もう狐は牡牝二頭しか残つてゐない。いづれも樺太産の優秀な種狐であるが、場主の星住省吾は、これさへ適当な買ひ手があれば、手放してもよいと考へてゐる。
戦争この方、贅沢品にちがひない銀狐の毛皮はぱつたり売行がとまり、そのうへ、飼料たる生ニシンや馬肉の入手もすこぶる困難になつたので、増殖はおろか、百頭あまりもゐた狐をどう始末するかゞ頭痛の種であつた。飼料不足のため自然に死ぬのは別として、毛皮はほとんど投げ売りを覚悟で、やうやく、養狐場の看板だけは外さずに来たのである。
戦争はすんだ。あちこちの同業者が輸出景気を見込んで、狐小舎の金網の修繕など始めるのをみて、星住省吾も、ぢつとしてはゐられなかつた。
かつては、この地方で一二を争つた吾妻養狐場の再興を疑ふものは誰ひとりなかつた。
広大な自然林を含む敷地のなかに、四百坪の狐小舎、その中央に望楼のやうに聳えたつ監視塔、正門からはいると、白樺の植込みを縫つて砂利道が大きなS字形を措き、青ペンキ塗りの事務所の玄関に通じてゐる。この建物は事務室、陳列室、応接間に区切られて、奥の住宅に廊下でつながり、周囲は一面の芝生で、日溜りには主人自慢の甲斐犬がからだをまるめて眠つてゐた。
星住省吾は当年とつて六十三歳である。
シベリヤ、カムチャッカ、樺太を渡り歩いたといふだけで、なにをしてゐたか誰も知らない。漁業関係の仕事で、いくらか産を成したといふ想像をしてゐるものもある。二十年前に突然この土地にはいり込んで、まだその頃は二束三文の土地をしこたま買ひ込み、なにをするのかと思つてゐると、見たこともないやうな毛色の狐を飼ひはじめたのである。
一頭の毛皮が、その頃千円も二千円もすると聞いて、ひとびとは度胆をぬかれた。狐は見る見るうちに数を増していつた。軽井沢あたりから自動車を飛ばして来る客もあつた。生きながら毛皮を予約される狐の運命について、地元の連中は、「たいした狐もあればあるものだ」と言ひ合つた。
檻を潜つて逃げ出す狐もたまにあつた。無傷のまゝ捕つたものには五百円の懸賞がつけられた。青年といはず壮年といはず、土地の男たちは日傭の賃金を棒にふつて、山の中を探し廻つた。懸賞にありついたものは一人もなかつた。
吾妻養狐場の名は近隣に鳴り響いた。
ぼろい儲けを一人にさせておく筈はない。模倣者競争者が、あちこちに現はれた。完全に失敗するものもあつたが、どうやら恰好をつけてゐるものもあつた。
星住省吾は、不思議に慌てる風はなかつた。無益な対立は双方のためにならぬといつて、同業組合の設立を提案し、相手がほとんど素人であるのを知ると、種狐の斡旋や飼育法の指導に乗り出した。ことに、病狐の診療にかけては、土地の獣医も頼りにはならず、いちいち彼の手を煩はすよりほかなかつた。
好物の鶏さへ、鼻を近づけるだけで、あとはそつぽを向いてしまふ食慾不振の狐を、彼はひと目で寄生虫の仕業だと判断し、急に脚腰が立たなくなり、小舎の隅でうとうとと眼を細めてゐるやつを、注射一本で元気にしてしまつた。そして、その序でに、必ず、小舎を一巡して皮膚病の検診をした。毛皮を生命とする狐に、この病気は致命的だと、飼主に警告を発することを忘れなかつた。
同業者たちは、なるほど彼には頭があがらなかつたけれども、まだ、彼の本心を疑つてゐた。いはゆる商売がたきとして、まことに腑に落ちぬ好意の示しかたのやうに思はれた。なるほど、理窟のうへでは、共存共栄といふ言葉もあるくらゐだし、同業相扶け、相励ますことはもちろん望ましいことにちがひないけれども、星住省吾の場合は、なんとしても、ひとのことに力を入れすぎ、自分の都合を云々するやうなことは露ほどもないので、結局、あの男はもともと「狐には眼がないのだ」といふ説を立てるまではよかつたが、あゝみえて、そのうちにおれたちを喰ひものにするつもりだ、などと、警戒の眼を光らせる手合もゐた。
「あなたみたいに、そんなに、よその世話ばかり焼いていらしつたら、おからだがもちませんよ」
細君の品子は、夕食をすましてからまで、小一里もある隣り部落の養狐場へ、急病の狐を見に行く夫の小まめさにあきれかへる。
しかし、これは今にはじまつたことではない。樺太にゐる時から、この流儀のために、ひとから悦ばれたり、うるさがられたり、バカにされたりしたのである。そして、とどのつまり、同じ流儀がたゝつて、つひに、とんでもない誤解を受け、そのために、財産の半分を投げ出したことさへある。
星住省吾は、三十五の年に、カムチャッカを引きあげて、樺太へ渡つた。裸一貫であつた。T大学で鉱物学をやり、鉱山勤めの口はあつたのだけれども、月給取りは性に合はぬと思ひ、夢のやうな計画を抱いて、朝鮮から満洲、それからシベリヤを歩きまはつた。
放浪の旅に慣れた彼は、鉱石採集の興味以上に、原始的な自然の息吹に執着を感じ、足の向くまゝに、大陸の果てを目指して、北へ北へと歩いた。
日本をはなれてから九ヶ月目に、やつと辿りついたのが、オリウトルスコエといふ町である。それはカムチャッカ半島のつけ根にある海沿ひの漁師町で、日本の船もたまにはいるといふことを聞いて、なんとなく、そこに腰を据ゑてしまつたのである。ギリシャ教の司祭が彼のために祝福を与へ、宿と職とを見つけてくれた。
彼は、露人経営の木材会社で、現場監督のやうな役をあてがはれ、勤めをすますと、養狐を副業にしてゐる下宿屋の亭主と、露西亜文学の話をした。この亭主は、革命前、地下運動に加はつて大学を追はれた自称インテリであつたから、プウシュキンの詩を口吟んだり、チェエホフの極東旅行について意見を述べたりした。
星住省吾は、こゝで最初の恋愛──恋愛といふほどのものではないが、恋愛まがひの経験をした。ダッタンの血を引いた三十女の、黒水晶のやうな瞳が、彼の情慾を駆り立てたのである。もとより娼婦上りにちがひなかつたが、白系将校の未亡人といふ触れ込みで、同じ下宿の一室に住んでゐた。
カムチャッカの十年間は、彼にとつて、まつたく新しい人生であつた。
本国の革命の波は、徐々にしか伝はつて来なかつたが、一年の大半は氷に閉されたこの大陸の末端にも、目に見えぬ人心の動揺は感ぜられた。日本軍がシベリア鉄道を占領したといふ噂のひろまつたのもその頃であつた。
やがて、会社は、共産党員と称するいくたりかの人物の手によつて、有無を言はせず没収され、整理され、運転された。彼は、日本人たる科をもつて監禁の憂き目に遭つたが、下宿の亭主ゴーリエフの特別な計らひで、一応、期限づきの自由を得た。三ヶ月以内に国外へ退去せよといふ条件はどうすることもできなかつた。
しかし、彼は、実のところ、例のダッタン女との腐れ縁に手を焼いてゐた。
一千九百二十九年の春、解氷期のベーリング海を、ソヴィエート連邦旗をなびかせた小さな機帆船に乗せられて、彼は、樺太に着いた。
着のみ着のまゝ、国境に近いO製紙会社のパルプ工場に、住込み人夫として、ともかく、籍をおくことができた。幸運といふべきか、どうか、彼にはわからなかつた。彼は、ロシヤ人が恋しかつた。彼等に関する限り、なにひとつ胸くその悪い印象は残つてゐなかつた。いくどかは、ひどい目に遭ひ、腹の立つこと、情けなくなること、ふるへあがるやうなおそろしいことはあるにはあつた。しかし、あんなに多くの人々が、知ると知らざるとに拘はらず、あんなにまで、底知れぬ善良さ、寛大さ、こだはりのなさで、一外国人たる彼に接し、彼を遇してくれたといふのは、そもそも、彼にはその理由が想像できぬくらゐである。
彼の日本領樺太における生活は、それにくらべれば、なんといふせせこましさであつたらう! 絶えず周囲に気を配らねばならぬ。思ひがけないところに敵意を含む視線を発見する。ひとの成功をねたみ、ひとの失敗を囃したてる周囲の風潮のなかで、彼は、黙々として、一切の噂話に耳をかさず、ひたすら、養狐場経営の準備を怠らなかつた。
現在の妻品子は、その頃、附近の町の小学校に勤めてゐた。満々たる野心を秘めるかにみえる一インテリ労働者と、クリスチァンで、植民地の児童教育に一生を捧げようとしてゐた美貌の一女教員とは、いかなる機縁によつてか、相惹かれ、相結ばれたのである。
星住省吾が、若い妻を携へて樺太を去つたのは、一千九百三十五年の秋である。
業者の間ではまだその名を知るものは少なかつたけれども、その道にかけては、既にいつぱしの専門家であり、数百の狐舎もろとも、バラックではあるが二十坪あまりの住居を売り払つて、彼は数万の現金を懐にし、二頭の種狐を子供のやうに大切にしながら、内地に引きあげて来た。
吾妻養狐場は、かうして、時代の波に乗つた。
が、それは、永くは続かなかつた。日華事変以来、輸出は急激にとまり、内地の需要は、それに並行して下降線を辿つた。銀狐の襟巻は、国賊の象徴とさへなつた。千円の代物が、二十円でも買ひ手がつかない有様であつた。生きものでさへなければ、ストックにして時節を待つといふことも考へられる。だが、一日少くとも五百匁の魚肉、獣肉を必要飼料とする、口のおごつたこの生きものは、非常時においては、まつたく、無益な穀つぶし、猫にも劣る無芸の居候である。
養狐業組合の対策協議会は、たゞ、いかにして、経費を最少限度に喰ひ止めるかといふ問題に論議が集中した。ニシンにしても、馬肉にしても、値上りは日に日にめざましく、あまつさへ、入手困難の兆候がありありと見え、輸送の道がもう途絶えることはわかりきつてゐた。
星住省吾は、専務理事として、最後の手を打つことを提議した。一頭残らず、今のうちに毛皮にして、上海の市場へ売り込むといふことであつた。
「種狐はとつておかんでもいゝかね?」
常務の細川が、諦めきれぬやうな顔つきで口を挟んだ。
「とつておきたい方はとつておかれたらいゝでせう。しかし、それさへ、飼料はきつと続かなくなりますよ。野兎だつて、人間が探し廻りますからね」
それはその通りであつた。飼犬も撲殺しろといふ、どこからともない布令がまはつて来た。
七軒の養狐場は、一斉に、門を閉めた。
星住省吾は、妻の品子の反対を押し切つて、いく番ひかの種狐だけ、もうしばらく、飼ひつゞける決心をした。これなら、誰の手をかりる必要もない。飼料としては、山羊の牡を相当の値で買ひ入れることにした。
さて、狐はつぎつぎに、殺され、皮を剥がれた。まだ乳をはなれたばかりの仔狐は無惨であつた。
「旦那、こいつもやるのかね」
番人兼下男の為木音也は、まだ疑ひを知らぬ無心の仔狐にだけは愛情をもつてゐた。
「やるさ。毛皮はものにならんが、口を減らすのが目的さ」
「いくらも食はんでなあ」
もう、硫酸マグネシューム溶液が心臓にうちこまれてゐた。ピクリともしなかつた。
星住省吾は、かうして、手際よく、片つぱしから、狐の始末はしたが、どうにも、頭にこびりついてゐてはなれない、困つた問題がひとつ残つてゐた。
それはほかでもない、一年前から雇ひ入れた小舎番兼下男の為木音也を、この際、仕事も減るし、経費節約のため、暇を出したいのだが、さうすれば、当人が途方に暮れるだらう、といふことであつた。
こんなことは、世間にはいくらもあることだから、無態な追ひ出しかたさへしなければ、因果をふくめてほかの職を探させるぐらゐのことは、さまで苦にする必要はないと思はれるのだが、そこが、いろいろと他人にはわからぬ事情があつて、星住省吾は、明けても暮れても、そのことを想ひ悩んでゐるのである。
その事情といふのは、決して、複雑でも、深刻でもなく、言つて、わかるものにはわかり、わからぬものにはわからぬやうな、一種微妙な人間と人間との関係から成り立つてゐる。
そもそも、為木音也とはどういふ人物であらう。まづ手短かに、彼の経歴と人柄とを語らねばならぬ。
為木音也は四国の生れである。貧農の家に育ち、小学を終へるとすぐに丁稚奉公に出された。高松のペンキ屋で五年の年季をすますと、人にすゝめられて神戸へ渡つた。塗料会社といへば大きいやうだが、職人はたつた三人で、彼は昼夜をわかたずこき使はれ、そして、二年足らずで首になつた。親方の仕事にケチをつけたといふ理由であつた。彼は、当てもなく大阪をさ迷ひ歩き、やつと洗ひ屋の下仕事の口を見つけたと思つたら、そこでは、能率があがらぬと言つて、賃金を人の半分しかくれず、彼は業を煮やしてそこを飛げ出し、世話するものがあつて、ある法華寺の寺男に住み込んだ。これはかなり長続きしたのだが、戦争で徴用になり、どういふはずみか、あちこちの軍事工場へ転々と引き廻され、処もあらうに、上州の山の中の、焼け石とスヽキの原のまんなかで、労務に適せずといふ軍医の証明をもらつて、やつと自由なからだになつた。
大阪で寺男をしてゐる頃、住職の肝入りで、血色のよくない銭湯の出もどり娘と祝言をあげた。期待は小さかつたが、得るところは大きかつた。しつかりした、よく気のつく女房で、裁縫が得手であつた。子供が五年の間に六人でき、そのうち二人は、幸か不幸か育たなかつた。
徴用の紙ぎれを前において、彼は妻と相談した。妻は、子供さへゐなければ、と言つた。住職は、寺に必要なのは屈強な男の手であつて、女や子供の手は、いく本あつても間に合はぬと断言し、残していく妻子の身のふり方を考へてはくれなかつた。彼は止むなく、郷里の実家へ頼んで、母子五人の面倒を引きうけさせた。思つても暗い月日であつた。
徴用解除の日、彼がまづ身を寄せたのは、顔見知りの運送屋深井某の家であつた。
「どこへ行つても働くあてはないで、しばらくこの土地で厄介にならうと思ふが、どうだらう」
と、相談をもちかけた。
「わしのところでよけれや、なんていふことなしに、ちつたあ、おめえの仕事ぐらゐあるべえ」
深井某は、それでも、土地の顔役である。
「なにぶん、よろしく頼みます」
為木音也は、それ以来、トラックの助手、荷馬車曳き、薪の伐り出し、時には、畑仕事や、鶏小舎の世話までさせられた。それで、妻子の手許へは一文も送れなかつた。
「言ひにくいこつたが、わしは、自分ひとり食はせてもらふために、こんな労働をせにやならんのかね?」
ある時、彼は、思ひ余つて、親方の深井某につめ寄つた。
「それが不服なら、どうしようつていふんだ? いゝ気になりやがつて……」
「いゝ気になつてるのは、そつちのことぢやないかね? 煙草銭にも事を欠いて、それで仕事をする張合があるか、どうか……」
「ねえなら、はつきり、ねえと言ひな。いつでも、どこへでもやつてやるから……。いゝ年をしやがつて、餓鬼の手間にも追つつかねえぢやねえか!」
さう言はれゝば、さういふところもある。早い話が、薪伐りの仕事は、一束いくらといふ貸仕事になつてゐる。直接それだけの現金を受けとるわけではないが、一日がかりで彼の仕上げる薪束はやつと六十束そこそこである。小学生でも上級になると、楽に八十束といふのが標準になつてゐるのだから、彼の能率がどんなに上らぬかといふことは、親方でなくても万人これを認めるところである。そこで、彼は三度の麦飯にありつくだけで、小遣などは親方がよほど機嫌のいゝ時でないと、鐚一文もらつたことはない。
酒は一滴も飲まず、バクチの真似はしたことがなく、女には戯談ひとつ言へない彼が、働いても働いても、配給の煙草さへ買へぬ始末はこれでやうやくわかつたが、このことは必ずしも、彼自身の罪ばかりではない、といふことを、彼はぼんやり感じてゐた。
彼の顔面は、日一日と硬直し、笑ひたくても笑へなくなり、ひとに誘かけられても、返事をするのが億劫になつた。
世間はこれを自業自得とみるのが普通であるが、駐在の有馬巡査は、ある日、彼をつかまへてかう言つた。
「どこかほかへ、働き口をみつけたらどうだ。今のまゝぢや、どうにもなるまい」
「働かしてくれるところが、ほかにあれば、だが……」
「なくはないぜ。君さへその気なら、わしが世話するがどうだ? ほれ、楢沢の別荘地に疎開してござる神田さんちふを知つとるだらう?」
「知らん」
「知らんこたねえよ。誰でも知つとるえれえ学者だ。もうえゝ年で、隠居も同然だが、ちつとばかり畑を作つたり、薪を割つたりするに、男手がほしいつて言つてござるんだ。奥さんと、お嬢さんと、三人暮しだで、用心もわるかんべえ。たしかな留守番にもなるやうな、ひとり者の男はねえかつていふ話を、ついきのふ聞いたばかりさ。君、行つてみる気はねえか?」
「わしはひとり者ぢやねえ」
「ひとり者も同然ぢやないか」
「いくら出すちふかね?」
「さあ、それが、話のしやうだと思ふがね。現在よりわるいことはねえと、わしは保証するよ」
「そんなら、行つてみるか」
神田老博士は、大学を停年でやめ、著述に専念してゐる植物学の地味な学究である。東京の家を焼け出されて、この山荘へ命からがら逃げ出して来た、おそらく最後の疎開者の一人である。ほかの季節ならばともかく、酷寒の生活が思ひやられるところから、どうしても、使ひ走りをする男が必要であつた。細君のゆかり女史も、どこを切りつめても、労働力だけは確保したいと、切に望んだ。
有馬巡査の紹介で、早くも為木音也といふ見るからに適任らしい人物が現れたことを、神田夫妻はよろこんだ。
よろこんだのは束の間、三月もたゝぬうちに、まづ、細君のゆかり女史が、夫博士に向つて苦情を並べだした。
「ねえ、あなた、あのひとは、てんでダメですよ。第一、呼んでも返事をしませんよ。用事を頼むと、きまつてそつぽを向きますよ。わかつたか、つて念を押してごらんなさい、眉間に皺を寄せて、へえつていふだけですよ。それから、ちよつと面倒な仕事を言ひつけでもすると、しばらく考へて、なにやら、ぶつぶつ、口の中で言ふんです。それが、きまつて、かういふことなんです。だいたい自分にこんなことをさせるやうになつた原因はどこにある? はじめから、気をつけて、こんな面倒なことにならないやうにすべきではないか? 今ごろになつて、やいやい言ふのは、言ふ方がをかしい。この仕事がどんなにバカげた仕事かといふことは、実際に手をつけるものでないとわからない。簡単なことだと思はれては、甚だ迷惑だ。つまり、さういふことなんです」
「まさか、その通り言やすまい」
と、老博士は、細君の弁舌に釘を刺す。
「もちろん、言葉どほりぢやありませんけれど、あのひとの言ひたいことは、さうなんです。顔つきでわかりますもの」
「うん、多少、頑固なところはあるやうだね。だが、とにかく、頼んだことを、一度で、すぐやつてくれんのは困るな。わたしが、門柱が曲つてるから直しておけと言つたこと、鶏小屋を鷹がねらはないやうに、上へ十文字に綱を張つておけといつたこと、そのどつちも、もう三日になるが、まだやつてない」
「さうなんですよ。いやに勿体ぶるところがあるんですよ。自尊心が強いんでせうか?」
「さういふところもないぢやないね。しかし、結局、スローモーションなのさ」
「スローでもいゝから、すぐにかゝつてくれゝばいゝんですがねえ」
「だからさ、次の仕事に移る、その移り方もスローなのさ。さうだらう、どこも平均してスローでなければ、スローとは言へんからね」
「さうですよ、あなたみたいに、あることだけ、せつかちなひとがありますものね」
「まあ、わたしにまで当りなさんな。為木のことは、折をみて、わたしから注意してみよう」
「注意ぐらゐでなほるもんなら、あたくしはこんなにぢりぢりしませんわ。もう、匙を投げました、匙を……」
「それに、百姓のことは、てんで興味がないらしいね。どうも、畑仕事をみてると、われわれよりうまいとは言へんね。どうだい、肥タゴを担いでるのを見たことがあるかい?」
「ありません。それも、あたくしが、再三、お茄子とキウリに薄い下肥をやつてくれるやうにつて、言つてあるんです。かうなると、スローなんていふ問題ぢやありませんわ。むしろ、怠慢そのものですわ。横着以外のなにものでもありませんわ」
「いや、いや、そこまで言ふと言ひすぎだ。ねえ、ゆかり、わたしはね、あの男の、かくれた美徳を、たつた一つ発見したんだ」
「なんですの?」
「いゝかい、昨日のことだがねえ、家の前をトラックが一台通つた。夕方のことだ。君は多分台所にゐたから知るまいが、そのトラックが炭をいつぱい積んでゐるんだ。ところが、丁度家の曲り角で、車輪が石ころかなにかに乗りあげて、えらく揺れたんだ。その途端、積んである炭俵の口があいたらしく、炭がばたばた道の上へ落ちこぼれた。拾ひ集めたら、あれでも一貫目以上あつたらう。わたしは、もつたいないな、と思つた。すると、すぐ道ばたの畑でジャガイモの土寄せをしてゐた為木のやつが、ちらとそれを見て、あとは知らん顔をしてゐる。実は、わたしは、彼が後で、それをどう始末するかと思つて、今朝、ちよつと散歩の序でに、たしかめてみた。驚くぢやないか。この炭代の高い時代に、彼は、その炭に手をつけようともしないのだ。ひとの落したものは、自分のものぢやないと信じきつてゐるんだ。どうだい、ゆかり、かういふ人物なんだよ、あの為木といふ男は」
「感心なさるほどのことぢやないわ。それほど、頭の廻転が鈍いんですよ」
「鈍きものに幸あれ、か。わたしは、ちよつと見どころがあると思つてるんだ」
しかし、好漢為木音也は、夫博士の支持にも拘はらず、ゆかり夫人の神経をいらだたせることおびただしく、遂に、半年目の終り、もう楢の葉が色づきはじめる頃、突如として解雇を申し渡された。
駐在の有馬巡査が、為木音也を連れて、吾妻養狐場を訪れたのは、それから間もなくであつた。
「狐はもういくらも残つちやゐないが、その代り、畑が忙しくなるんでね。人間の食糧増産は、これや、わしひとりの手にはおへんよ。どうだらう、畑仕事の方は? 経験はありますか?」
有馬巡査が、ある、と答へた。実家が四国の農家で、若い頃は野良へも出てゐた、といふ履歴がものを言つた。
「土地はいくらでもあるんだから、ひとつ、せつせと開墾してもらふんだな。できたら、果樹なんかもやつてみようと思つてる」
「いゝですなあ。このへんなら、まづ、桃と梨でせうな」
「いや、林檎もいゝでせう。だが、なによりもまづ、ジャガイモと小麦だよ、現在は。給料の希望はありますか?」
「どうだね?」
と、有馬巡査がたづねた。
「べつにありません。前とおなじで結構です」
「前つていふと、神田さんのところでは、いくらもらつてたの?」
星住省吾は、神田博士の自筆になる人物証明書なるものを、今、見せられたところである。
──為木音也、頭書ノ者、昭和十八年五月ヨリ十月マデ、当方ニ勤務シ、住込番人トシテ大過ナキノミナラズ、誠実寡慾、一徹ナレドモ矯激ノ風ナク、俊敏卜言ヒ難キモ、命ヨク之ヲ守リテ、苟クモ行動ニ表裏アルヲ見ズ。此度当方ノ都合ニヨリ円満退職セシム。右証明ス。
とあつた。
「食事つき、十五円だつたかね」
有馬巡査が代弁した。
かうして、為木音也は、吾妻養狐場に新たな職を得て、饑餓を免れた。
しかし、戦争は激しくなる一方で、食糧は日増しに不足勝ちになつた。当てにしてゐた開墾は、一向に捗らず、今年の夏は野菜にも事を欠くといふ状態であつたから、星住省吾は、先に立つて鍬を振つた。
「あなたがそんなことなさるくらゐなら、音さんつていふひとはなんのためにゐるんです?」
妻の品子は、彼が腰をさすりながら地下足袋を脱ぐたびごとに、繰り返すのであるが、彼は笑ひながら、
「音さんは正直ないゝ男だが、百姓は無理だとわかつたよ。えらい誤算だが、しかたがない」
「だから、気の毒でも、いくらか間に合ふひととかへませうよ。女でも、慣れてれば、もうちつと気の利いた畑を作りますよ」
「わかつてるよ。だけど、すぐに代りが見つかるか、どうかだ」
「お米代だつて、バカになりませんからねえ」
「そのことも考へてる。一番いゝのは、かうなつたら、君とわしと二人で、ひつそり暮すことだ。戦争はなん年続くかわからないが、二人でカユをすゝつてる分には、さう急にへたばりもすまい」
「いやですわ。あたしは、そんな消極的なことを言つてるんぢやありませんよ。せつかくこれだけの土地があるんですもの。いくらだつて、やり方によれば、生産的に使へると思ひますわ。あなただつて、あゝもしたい、かうもしたいとお思ひになるでせう。音さん相手ぢや、なんにもおできにならないぢやありませんか」
「その通りだ。その通りぢやあるが、まあ、考へてごらん。少し働きのある人物が、今どき、休業中の養狐場へ傭はれて来るかね? 日傭取りの稼ぎだつて、当節、けつこう、家族をまかなつていけるんだぜ。音さんは、どこへ行つても、あれは、使ひもんにならんのだよ。だから、かうして、こゝにゐるんだよ。ゆつくり、わしが、仕込んでみるよ」
「気の長いことをおつしやるわ」
為木音也の首は、こんな風にして、遂に、戦争が終るまでつながり、しかも、戦争が終つてからも、相変らず、ちやんとつながつてゐるのである。
「旦那、山羊が一頭、ゆんべ死にました」
と、ある日の朝、為木音也は報告した。
「なに、どの山羊?」
星住省吾は、驚いてたづねた。
「子持ちの大きな方です」
星住省吾は、下駄を突つかけて山羊小屋へ駈けつけた。
「音さん、これはなんだい? 綱で首がくゝれてるぢやないか。綱は短かくしとけつて、あれほどふだん、注意しといたらう?」
「でも、旦那……」
「でも、ぢやない。君の責任だよ。まあ、死んでしまつたものはしかたがない。序でだから、もうひとつ言ふがね、大根の葉を一度にこんなにぶちこんぢや、丈夫なやつだつて病気になるよ。これも、いつだつて言つてることだ。兎にキャベツをやり過ぎて、あぶなく殺すところだつたのを忘れてやしないだらう」
「あれだけは、知らんぢやつたもんで……」
「あれだけぢやない。君はすぐ、さういふ風に言ふが、鶏の餌だつて、二度に分けて、朝晩やらなけれや、なんにもならんのだよ。面倒だから、一度に余計、はふり込んでおけぢや、鶏を飼つてるとは言へないんだ。それに、カキの殻が、ちつとも減つてないぜ」
「…………」
「なんとか返事をしたらどうだ」
「旦那、わしは、いろんなことをいつぺんに言はれるのが、どうもきらひでな」
と、為木音也は、眉間に大きな皺を寄せて、肩をぴくぴくさせながら、言つた。
「ふむ、いつぺんに言はれるのがきらひか」
星住省吾は、それは初耳だ、といはんばかりに、眼を押し開いて、為木音也の顔を見た。
「いつぺんに言はれると、なにがなんだか、わからんやうになるでなあ。頭がぼうとなるでなあ」
「いつぺんに言つたのは、今日はじめてだ。この三年間、こんなことはなかつたと思ふが、どうだらう? わしは、今日といふ今日、ちよつと我慢がならなかつたんだ」
「山羊が死んだのは、綱のせゐばかりぢやねえと思ふだよ。子持の山羊つてやつは、ヤケに首ばかり振るでなあ」
「その話は、もうよろしい。鶏には、いつカキの殻をやつたね?」
「まだ小屋の中に、たんと落ちとるでなあ」
「ひとかけでも落ちてる間は、やらないつもりかい?」
「わしは、なにかしはじめとる時に、別のことを言ひつけられるのが、とてもいやなんでござんす」
ござんす、といふ言葉使ひを、彼は、はじめてした。星住省吾は、これには面喰つた。
「いやかもしれないが、こつちも、思ひついた時に、すぐ言はないと忘れることがあるからねえ。ぢつと君の仕事がすむまで待つてるわけにいかんのだ」
「わしは、まつたく、ノロマだでなあ」
「それがわかつてれば、まあ、いゝさ。仕事が遅いのは、丁寧にやるからでもあるんだ。心配することはない。たゞ、わしが一度言ひ、二度言ひすることは、大事なことなんだから、ちやんと守つてもらはんと困る。朝飯はまだなんだらう。食つて来なさい」
星住省吾は、戦後の経済界を見渡して、養狐事業は当分見込なしと、さつぱり思ひ切りをつけた。
そこで、名目だけの組合を解散すると同時に、妻の品子を説き伏せて、生活費をうんと切りつめ、できるだけ、ある機会に備へて資本の蓄積を計ることにした。
そのためには、不必要な狐舎の資材を売り払ひ、その代金を有利な株へ廻す手も考へられた。
かうなると、どうしても、男一人を雇つておく無駄をはぶかねばならぬ。
「村の女の子を、時々、通ひで雇ひませう。その方がずつと安くつくし、気骨が折れなくつていゝわ」
「やつぱりさうするよりしやうがないか。ちよつと残酷のやうでもあるな」
「これだけ我慢すれば、もういゝでせう。こつちの誠意は十分尽したことになるわ」
「ひとつ、今夜あたり、呼んで話してみよう」
星住省吾は、しかし、その話を切り出すのは、細君の前でない方がいゝと思つた。妻の品子は、横から口を出すにきまつてゐる。相手の気持は、細君よりも自分の方がよく呑みこんでゐると、彼は信じてゐた。
彼は、その日の夕方、家畜小屋を見廻りながら、押切りで乾草を切つてゐる為木音也に話しかけた。
「この養狐場も、いよいよ廃業にきめたよ。われわれ夫婦は、おとなしく、この山の中で、ある物を売つて食ひつないでいくつもりだ。そこで、もう、人手を借りなけれやならん用事もなくなるし、せつかく慣れてくれて惜しいとは思ふが、君にもひとつ、これからの身の振り方を考へてもらひたいと思ふんだ。いや、別に、今すぐといふわけぢやない。ゆつくり適当な口をみつけるといゝ。しかし、さうかといつて、いつまでも給料を出して食はしてあげるわけにいかんのだから、どうだらう、ひとまづ、今月限りといふことにして、まあ、退職金とでもいふか、さきざき、すぐに困らんやうに、半年分ぐらゐの生活費を出すことにするから、それでまあひとつ、早いとこ、落ちつき先を作つてもらひたい。細君や子供を呼び寄せられるやうにとも考へてゐたんだが、かうなつては、それもわたしたちの手では諦めなきやならんといふわけだ。君には、いろんなやかましい註文をしたが、結局、君はよくやつてくれた。わたしたち夫婦は、感謝こそすれ、決して、不満には思つてゐない。そこのところは、どうか、誤解のないやうに……」
かう言ひ終つて、彼は、ジャンパアのポケットから「光」の箱をとり出し、相手にも一本喫へと差し出した。
「旦那、わしはなにを言はれたか、ようわからんぢやつたが、つまり、わしに暇を出すちふわけかね?」
「まあ、さういふことになるかな。但し、円満にだよ。神田さんから暇を取つた時と、おんなじだ」
「わしは、なんと言はれても、暇を出されるやうな、わるいことをした覚えはねえだ」
「わるいことをした、なんて、誰が言つた? 気に入らん、とも、言つてやしないぜ」
「気に入らんことは、わかつてるだ」
「いや、少くとも、気に入らんから出て行けとは、決して、わたしは言つてゐない。はつきり言へば、もう用事がないといふこと、こつちの経済がゆるさないといふこと、理由はこの二つだ」
「用事はいくらでもあるだ。間に合はんくらゐあるだ」
「さういふ用事は、これから、一切、なくなすつもりなんだ。山羊も緬羊もアヒルも兎も、一切合切、手のかゝるものは飼はないことにするんだ」
「鶏もかね?」
「え? 鶏? それや、わたしたちで飼へる範囲で、二三羽は飼ふかも知れない。とにかく、君のやうな男手を煩はす必要のない生活をしようつていふんだ」
「わしはそんなことかまはねえだよ」
「わからないかなあ。君のためぢやないんだ。こつちのためなんだ」
「女房をもうぢき呼んでやるつていふ手紙を、ついこなひだ、出したばかりだでなあ」
「それは君の自由だ。わたしは、さつき言つた通り、退職金として、だいたい、これまでの食費を含めた月額を、月五千円と見積つて、その六ヶ月分を一度にあげようと思つてるんだ」
「三万円かね」
「さう、三万円、それぢや足らんか?」
「第一、寝る家がねえで、そいつをこさへるに、ざつと三万はかゝるでなあ」
「どつかへ、住み込みで働くんなら、家はいらんぢやないか」
「もう、住み込みはこりこりだ」
星住省吾は、なるほど、それはさうかも知れんと思つた。
「あんまり贅沢を言はん方がいゝぜ。しかし、わたしは、君に出ていつてもらひさへすればいゝんぢやない。君の将来のことも心配してるんだ。率直な話、君ひとりが働いて、君ひとりが食ふ分には、まあ、なんとかなるだらうが、それぢや、いつまでも、細君や子供の顔が見られないね。どうだね、いつそ、細君を呼んで、一緒に働いてみちや?」
「旦那のところでかね?」
「いや、いや、独立に家を持つてさ。三万円あれば家が建つと言つたね。そんなら、あと二万円奮発するから、家族の旅費と、すこしは、当分の生活費をそれから出すやうにしてさ、ひとつ、がんばつてみたらどうだね?」
為木音也の眼は、心もち、明るく輝いたやうに思へた。
「それ以上のことは、わたしにはできない。それでよかつたら、駐在の有馬君に来てもらつて、はつきり話をつけよう。先生も、きつと、あとのことを考へてくれるだらう。もしまた、このつぎの就職に役に立てば、わたしも、神田さんのやうな人物証明を書いてあげてもいゝ」
しかし、星住省吾は、さうは言つたものゝ、それだけは、なるべくならしたくないと思つた。
為木音也は、家畜小屋の柱に背をもたせかけて、しばらく冥想にふけつてゐた。
黄ばんだ楢の葉が、もう、風に散る頃であつた。
長い沈黙の後、とつぜん、為木音也は、ぐつと唾を呑みこんでおいて、さて、かう言つた。
「旦那、そんなら、さうするだ。五万円もらつて、わしは、こゝから暇を取ります。すぐにもらへるかね、その五万円は? さうすれや、女房や子供を呼んで、どこでもえゝ、掘立小屋をおつ建てるだ。あとに、いくら残るか知らんが、まづ、やれるとこまでやつてみるつもりだで、万一、どうしても食へんやうだつたら、旦那、また、使つておくれんかね? それだけ、お頼み申します」
為木音也は、ペコリと頭をさげて、大きくはなをすゝつた。
星住省吾の顔が、つぶれるやうに、ゆがんだ。
底本:「岸田國士全集18」岩波書店
1992(平成4)年3月9日 発行
底本の親本:「新潮 第四十九巻第一号」
1952(昭和27)年1月1日発行
初出:「新潮 第四十九巻第一号」
1952(昭和27)年1月1日発行
※初出時の表題は「それができたら(コント)」です。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2011年10月13日作成
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