放浪者
岸田國士



 二十年ぶりでヨーロッパから帰つて来た旧友のFは、相も変らず話好きで、訪ねて来るたびに、なにかしら突拍子もない話題をひつさげて来る。

 彼は生れながらのヴァガボンドである。母の胎内にゐる頃、すでにすまいを三度もかへたといふし、小学校へあがるまで北海道から九州へかけて県庁所在地を転々とし、中学は一年二年を山口、三年を金沢、四年に台北へ移つて、そこでやつと五年を終へたのである。

 画家を志望したのも、特別に絵が好きだといふ理由以外に、どこででも仕事ができるといふこと、わけても、海外旅行の機会が比較的たやすく得られるやうな気がしたからである。

 家からの仕送りもろくにないのに、それでも東京へ出て二、三年あちこちの画塾へ通ひ、それも面倒になつて、たうとう、日本を飛びだした。もちろん、旅費など満足に持つてゐやう筈はなく、ただぶらりと神戸から貨物船に乗り込み、そのまま、マルセイユでぶらりと船を降りたのである。

 それから後は、なにをしてゐたかわからぬ。時折の便りには、呑気さうにパリの貧乏生活を吹聴してよこした。それにしても、画のことなどはまるで忘れたやうな調子で、やれ、グラン・ブウルバアルのカフエがどうの、やれ、ポーランドの女学生がどうの、といふやうな他愛もないことばかり書きつらねてある手紙を、私は、なんど読まされたか。

 ところが、今度の欧洲戦争がはじまつてから、ぷつつり音信が絶えたと思つてゐると、例の欧洲からの交換船で送り帰されて来た。

「どうだい、絵の方は?」

 私は、久々で彼の顔を見ると、まづ、さう訊ねないではゐられなかつた。

「なに? 絵? そんなものはどうだつていいさ。第一、絵なんぞ描いてたんぢや、腹がすくばかりだ」

「ふむ。ぢや、どうすれば腹がふくれるんだい?」

「腹か、腹はな、これだよ」

 と、彼は、両手を前に差し出して、十本の指を握つたり、伸ばしたりしてみせた。

「なんだい、それや?」

「わからんか。按摩だ」

 彼は、なんでもやつてみたが、これが一番飯のたしになるといふことを発見した。

「相手は、日本人と限つたわけぢやあるまい」

「もちろん。どこ人だつて肩は張るし、腰をもんでやると、好い気持だつて言ふよ」

「女でもか」

「こつちで断る手はないやね」

 にやりとして、彼はうそぶく。

 ある日のこと、一本のビールに陶然として、彼は、こつちで訊きもせぬ諸国美人の品定めをしはじめたが、ふと、眼の色を変へて、

「さういへば、今度の帰りの船で、とてつもない男と一緒になつたよ。年はおれより五つ六つ上だと思ふが、素姓はまるでわからない。別に隠してゐるわけでもないが、あんまり辻褄の合ふ話でもないんだ。外交官崩れのやうでもあり、新聞社関係のやうでもあり、そのくせ、医者の免状を持つてるともいひ、参謀本部の廻し者みたいな口ぶりでもある、といふ風な、変な人物さ。なにしろ、フランス語はペラペラ、英語もまづペラペラ、ドイツ、イタリヤは、これもあつさりやつてのける。そのうへ、トルコとロシヤを、自分ではブロークンだといふんだが、なに、そばで聞いてると相当以上なもんだ。この男と船が同室でね、いや、しやべるしやべる。さすがのおれも口をきくひまがないのさ。なにしろ、おれの知らんことをみんな知つてやがるのには驚いた。ああいふのは、なんていふのかね、事、女に関しては、全智全能の感があるんだ。まあ、聴け、おれもこの年になつてさ、いくらか世の中も見て歩いたつもりだが、こんな変てこな男は、見たことも聞いたこともないよ。あ、さうだ、その男の面相といふのが、ちよつと変つてるんだよ。右左不揃ひの眼がギョロリとして一癖ありげだが、よくスペイン人と間違へられるつていふほど日本人ばなれがしてゐる。ただ、鼻が拳闘選手みたいにつぶれてゐて、その下へ附け髭をくつつけると、いやに貫禄がつきやがるのさ。さうだ、この男のことで、君に是非、話さなけれやならんことがあるんだ。けふは暇かい?」

 その頃は、あまり暇とはいへなかつたが、Fの口から珍しい話を聞くのは、それほど退屈でもないと思つたので、私は首を縦に振つた。

 彼は、コップの底に残つたビールの泡を無念さうにぐつと飲み干して、さて、語り出した。

「おれたちは、地中海をすぎると、もう、ざつくばらんな話をし合ふ友達になつた。いや、友達といつては、すこし言ひすぎだ。つまり、恥を恥としない旅の道づれさ。ポートサイドで、まづ、二人は、一緒に船を降りた。彼はまるで自分の国へ帰つたやうに、裏町から裏町をほつつき歩くんだ。あの国際的な人肉の市を君は知つてるかどうか。おれは、マルセイユ以外のさういふ場所をあんまり知らんので、その男の後をくつついて歩くよりしかたがない。と、いきなり、一軒の家の戸口に立ち止つて、呼鈴を押すんだ。出て来たのは、想像がつくだらうが、丸々と肥つた中年の女で、いくぶん警戒の色をみせながら、万事心得たといふ風に、頤で、はいれといふ合図をした。玄関に続いた応接間へ、彼はさも勝手を知つたやうにさつさとはいり込んで、いきなり、英語で、──この部屋は暑い、とやつたもんだ。──あれ、あんたたちは始めてぢやないのと、女は、しまつたと言はんばかりに相恰を崩すと、彼は鷹揚に、巻煙草を出して彼女とおれにまづすすめてから、自分も火をつけた。──しかし、始めてにしろ、二度目にしろ、暑い部屋は暑い。ビールを持つて来てください。女は出て行つた。やがて、ビールと一緒に、五、六人の若い女が、どこでもおなじやうに、なだれ込んで来た。彼はソファにうづまり、煙草の煙を吹きあげながら、それらの女をひとりひとり点検した。そして、その一人一人に、或は、英語で、或はフランス語で、また、時にはアラビア語かなにかで、いちいち話しかけ、それが、ズバリと、その女の母国語であるらしいのに、おれは面喰つた。なるほど、おれにも、あらましの民族、人種の見当はつけられるつもりだが、かう見事に的を射る芸当はおぼつかないよ。

 しばらく、飲んだり、しやべつたりしてゐるうちに、さつきの太つちよが、彼の正面に座を占めて、今度は向うから、フランス語で、──ムッシュウは、どちらの方かしら? と、いかにもフランス女らしいしぐさを作りながら問ひかけた。──僕? 僕はあなたの同国人とは見えませんか? ここにゐる仲間は、これや、東洋のプリンスさ。──へえ、そつちはなるほどと思ふけど、あんたがフランス人……? 信じられないわ。──おや、お袋がスペイン生れだと、フランス人にはなれないのかねえ。──ぢや、あんた、フランスのどこ、お国は?──おお、お国はパリさ。もつとも、おやぢのおやぢはノルマンディイの産だ。──へえ、ノルマンディイ? 懐しいわ。ラ・ギモレの海岸、モン・サンミシェル……。あたしの故郷よ。そこで、彼は、平然と、ノルマンディイの民謡をひとくさり口吟んでから、モン・サンミシェルのために乾盃した。そして、かう女にたづねた。

──で、僕はどなたとお話をする光栄をもつのでせう?

──パルドン(これは失礼)、あたし、マダム・ルイズ・クレパッツ……あなたは……?

──僕? 僕は、名無し伯爵コント・ド・サン・ノン……実は、芸名、レオ・コンパと申す旅役者です。

──レオ・コンパ……アルチストね。子供の頃、町へ劇団が来ると、胸をわくわくさせたもんよ。ディエップへいらしつたことあつて?

──あるどころぢやない。あの市役所の前で、いくど、おしつこがしたくなつたか、わかりやしない。

──あら、町役場ご存じね。あたしの家はあのすぐ前なのよ。その頃、小さなキャフェをしてたの。

──キャフェ・ド・ラ・ミュニシパリテ……。

──うん、その一軒おいて隣り……キャフェ・デュ・ポン・ルウジュ……。

──あつたな。品のいい栗色の髪をしたお神さんが、薄暗い奥の部屋から出て来て、お客と話し込んでるご亭主の名を優しい声で呼んだもんだ。なんだつけ、大将の名は……ミシェル……いや、ジョルジュ……でもない……。

──フランソワでせう。あたしのお父ツつあん……。十年前に死んだわ。

──マダムは、いつ頃、ここへ来たのさ?

──丁度十年前。それまでル・アーヴルにゐたのよ。

──ル・アーヴル……僕の祖父が市会議員をしてゐた町だ。だが、キャフェ・デュ・ポン・ルウジュにあんたがゐたのは、いくつの年まで? いや、千九百何年まで?

──千九百十九年、第一次大戦の終るまでよ。

──僕は、千九百十八年の秋、ちやんと巡業してるんだよ。もちろん、端役さ。演し物は「フイガロの結婚」……カヌアル一座……覚えてるだらう?

──さうだつたかしら? ああ、あたし、その年の秋は、芝居どころぢやないのよ。言つちまはうか。アメリカの兵隊の後を追つかけて、パリまで行つちまつたのよ。すぐ連れ戻されたけれどさ。

 かういふあんばいで、二人の話はつきさうもないのだが、おれは、まるで、狐につままれたみたいに、口をあけて、ぽかんとしてたよ。

 ともかく、それから、用事だけはすまして、いざ引上げようとすると、件のお神は、名残り惜しげに、彼に接吻した。接吻があんまり長いので、おれは不思議に思つてると、なんのことはない、さういふ訳のもんだつたんだ。外へ出て、おれは、吹き出した。彼は、もう一軒、ちよつと寄つてみようと言ふ。心当りの家があるらしく、しきりに番号を捜してゐたが、──ああ、ここだ、と、その家の戸口に立ち止つた。戸は開いてゐた。

──こつちは二人だ。そつちはいくたり手があいてるね?

 出て来た女に、彼は、フランス語でたづねた。

──いくたりでもあいてるわ。なんなら、二人づつどう?

──いや、残念ながら、さう調法にもできてゐないんでね。まづ、喉のかわきを止めるとしよう。

 ここはいきなり広間へ連れて行く仕組みになつてゐて、人々は、いくつものテーブルを囲んで、飲んだり食つたり、踊つたりしてゐた。

 彼はそばへ来た一人の女に、イタリヤ語で言つた。

──さつき案内してくれたのは、ここのお神さんか?──ううん、あれはお神さんの義理のおツ母さん。──ぢや、お神さんをここへ呼んでくれ。

 やがて、現れたのは、三十そこそこの、女優にしてもいいやうな艶つぽい女で、

──ムッシュウ、なんのご用ですの?

 と、われわれのテーブルに近づいて来た。

──まあ、どうぞおかけなさい。僕たちは、たつた今、船から上つたんですが、マルセイユから直航して来た東洋向けのフランス船です。桟橋からここまでの道を、僕たちは、あなたにお目にかかるために、急いで来たんです。いかがです、かう申しあげたら、あなたはハッとなさりはしませんか、マドゥムアゼル・イヴォンヌ・シャンメエル?

 女は、その緑色の美しい眼を大きく見開いて、おれたち二人を代るがはるに眺めた。

──なんのこと、いつたい……どうして、あたしの名前なんぞご存じなの?

──ご心配には及びません。僕は、三年前に、あなたがあんなに愛していらしつた男の友人なんです。彼が今、どこにゐるかご存じでせうか? 多分、ご存じないと思ひます。

 さう言ひながら、彼は、またも、ポケットから巻煙草を取り出して、女と私にすすめた。

 女はしばらく、彼を見つめてゐた。が、しづかに、

──あなたはフランスの方なの?

──お察しの通り……そして、僕も、共和国の艦隊に籍をおいてゐます。

──で、ジュリアンとおんなじふね

──と、言つてもいいくらゐです。なぜなら、今日まで、偶然にも、三度、同じ艦に乗組んでゐました。

──教へてちやうだい、ジュリアンは、どこにゐるんです?

──それを申しあげに来たのです。しかし、マドゥムアゼル、僕は、あなたのお顔を見て、胸がいつぱいになりました。ここにゐる僕の友人は東洋のサムライですが、僕の眼に涙がたまつたら、きつと、僕を軽蔑するでせう。しかし、お願ひです。僕が率直に、あなたにすべてをお話できるやうに、しばらく二人きりにならうぢやありませんか。その間、僕の仲間を退屈させないやうに願ひたいのですが……。

 彼と彼女とは、やがてそこから姿を消した。おれはすつかり度肝をぬかれてしまつた。どこまでが芝居で、どこからがほんとなのかさつぱりわからない。おれは、アルヂェリア生れだといふ十六娘を膝にのせて、ビールをがぶがぶ飲んでゐた。それでも、かれこれ三十分もたつたか。はじめに門口に出て来た女が、おれを迎へに来た。ついて行くと、奥まつたサロン風の部屋の中に、彼と彼女とは、深々としたディヴアンの上へ、肩を並べて坐つてゐる。

──おい、やつと勇気を出して、なにもかもマドゥムアゼル・イヴォンヌに話してしまつたところだ。おれが如何にこの任務達成のために苦しんでゐたか、君が一番よく知つてゐる。マドゥムアゼルは、この通り、ジュリアン・トレミユ大尉の写真をまだ部屋に飾つてゐるんだ。おれは、思ひきつて、あの事件、君にも話した、あの巡洋艦アミラル・コレエルの砲塔破裂事件を手短かに語り出すと、もう、マドゥムアゼルは、直感で、愛人の不慮の死を頭に描いた。しかし、見給へ。僕は、この気高い女性の許へ、悲しい報らせだけを持つて来たのに、彼女は、その耐へがたい悲しみと同時に、僕のトレミユ大尉に対する友情と、更に、彼女へのささやかなサーヴィスを、満足を以て受け容れてくれた。彼女は、僕をトレミユ大尉の身代りとして、今夜ひと晩、彼女のそばにおいてやるといふのだ。

 彼は、おれに話しながら、彼女にもわかるやうに、それをフランス語で言つて、いかにももつたいらしく、彼女の手を取つて、その甲に接吻した。

 おれは、ちよつと馬鹿らしくなつたが、

──大佐よ、君はまことに果報者だ。マドゥムアゼルの涙を腹いつぱい飲んで、それをトレミユ大尉とやらの墓の前で吐き出すがよい。

 と、これも、フランス語で言つてやつた。すると、女は、うつとりと眼を細めて、おれの方へ、なんとなく、うなづいてみせた。翌朝、出帆に間に合ふやうに、おれたちは少し足を速めなければならなかつたが、道々、彼はかう言ふのだ。

──どうだい、かういふ遊び方は、君も気がつかなかつたらう?

──なんだか知らんが、よくも辻褄を合はすもんだね。あの女の名前は、ほんたうにどうして知つてるの?

──もちろん、前に行つた家の神さんに聞いたのさ。この土地で、ほかにフランス人の女の店はないかとたづねると、かういふ家があるといふんだ。聞き込めるだけの情報を聞いて、あとは筋書をこしらへたのさ。三年前に海軍大尉の馴染があつて、えらくのぼせてゐたといふ話だけが、目のつけどころさ。しかし、あれほどの代物とは思はなかつたよ。今度は、ヂブチイか。つまらん港だが、またなにか拾ひものがあるかもしれん。

 こんな風で、アフリカの東海岸の、君は知らんか、あの焼けつくやうな沙漠の町でも、奴さん、黒ん坊の女と、永年のつき合ひみたいな口をきくんだ。コロンボでも、シンガポールでも……さうさう、シンガポールへ来ると、日本の娘子軍が城を構へてゐる。彼も、珍しいとみえて、誘はれるままに一軒の店へあがり込むには上り込んだが、どうも興が湧かぬと言つて、ぷいと出てしまつた。

──いかんね、同胞は気がさすよ。

 しかし、ここでは、ある日本料理店で、女中が胃ケイレンを起して騒いでゐるのを、ポケットから注射器を出して、簡単になほしてしまつたんだぜ。

 だが、サイゴンに船が一週間碇泊するといふので、おれは楽しみだつた。果して、彼は、最初の晩からおれを不思議なところへ引つ張つて行つたよ。どこだと思ふ。警察だぜ。彼は、宿直のお巡りに、──ちよつと調べたいことがあるのだが、フランス人の戸籍調査の帳簿を見せてもらへまいか、と言ふんだ。お巡りは、──君はいつたい何者だ、と訊いたよ。当り前の話だ。──僕は、かういふもんだ、といつて、名刺を出した。どんな名刺だか見もしなかつたが、どうせ、いかがはしいものさ。お巡りは、ちよつと驚いた風で、急に丁寧に、戸籍調査の帳簿を幾冊も持ち出して来た。彼は、そいつを可なり丹念に調べては、手帳に何か書き込んでゐたよ。

──やあ、ありがたう。これで一杯やつてくれ給へ。

 百フランの紙幣をそこへ投げ出して、外へ出た。

──さて、うまく行つたらおなぐさみだ。さつき乗りすてた三輪車シケロが、後をつけて来る。思ひ出したやうに、彼は、おれに合図をして車に乗つた。

──リュウ・マクマホン、二十一番、わかつたか? 急げ、急げ……。

 二台の車は走り出した。ビンロー樹の並木を左右に眺めながら、もう夕闇の落ちかかるサイゴンの町を、おれはまるで夢の国のやうに思つた。

 車は止つた。金を払はなければ、車は待つものときまつてゐるらしい。

 白い木柵に囲まれたヴィラ風の建物が、窓の明りを透して、小ぢんまりと植込みの間に見える。門は押せば開いた。玄関の呼鈴が鳴る前に、女中らしい安南娘が、そつと玄関の扉をあけて、こつちを見た。

──マダム・ショウタン、おいでかね?

 彼は、やさしく訊ねた。

 安南娘の姿が奥へ消えると、薄地の白いワンピースの下から素足をのぞかせた、四十五、六とみえる痩せぎすの品のいゝ女が出て来た。

──どなたですか?

──マダム、わたくしは、ご子息レオポール君のお宿をしてゐる、ルモンジュ家のものでございます。

──あら、では、リヨンから?

──さうです。急に官命で東洋に出張して参りました。私、リヨン大学で東洋歴史の講義をいたしてをります、トレパッツ教授でございます。

──まあ、まあ、それはそれは……では、どうぞ……あいにくと、今夜は、電気が暗うございまして……。

──ご紹介いたします。これは私の日本の友人、F、やはりトウキョウの大学で、美術史を受け持つてゐる高名な学者です。フランスからの旅を一緒にして参りました。

 おれは、どぎまぎして、手を出されてゐるのに、それを握るのを忘れてゐた。

 応接間は中流家庭のよい趣味で飾られ、大きな窓には、蚊除けの金網が張つてあるだけで、庭の広い芝生が露で光つてゐた。

──さういたしますと、先生には、レオポールがしぢゆう、ご厄介になつてゐるわけでございますね。

 と、夫人は、彼の返事を待たず、

──なにぶん、あの年で、まだ親の手許を離しますのは気がかりなんでございますが、幸ひ、ご承知のことと思ひますが、サン・シモン高等学校のフリソン先生を宅が存じあげてゐたものでございますから、思ひきつておあづけしたやうなわけでございます。せがれからも、しよつちゆう申してまゐりますんですが、お宿の方も、ほんとに結構なご家庭ださうで。……さういたしますと、先生は、せがれがご厄介になつてをりますルモンジュさまと、どういふご関係で?

──いや、わたくしは、その、伯父に当りますんです。平生、同じ町にゐながら、さう往き来はいたしませんが、ご子息のことは、甥夫婦から、よく承つてゐるもんですから……。今度も、是非サイゴンへ寄るならお訪ねして、ご子息のお元気なことをお伝へしてくれと言はれましたし、丁度、いい機会だと思ひまして……。

──おや、それでは、病院はもう出ましたんでせうか?

──病院? ああ、そんな話も聞きましたが、あれはほんのちよつとした、いや、決してご心配なさるやうなもんぢやないらしいです。とにかく、健康に関しては大事をとるに越したことはありませんから……わたくしも忙しいからだで、お見舞にあがるとよかつたんですが、ついその、出発の準備などがありましてな。

──それで安心いたしました。最近の手紙に、レントゲンの結果がちよつと面白くないから、しばらく学校を休んで病院にはいるとありましたもんですから、すつかりあわててしまひまして……。娘たちとも相談して、あたくし、ちよつと、様子を見に行つてやらうかと思つてをりましたの。

──いやあ、決してそれには及びますまい。それなら甥夫婦から、もつとなんとか、お母さまへ、詳しい報告を私に託する筈です。さう、さう、レオポール君のお姉さんとお妹さんがいらつしやるわけでしたな。

 彼は、驚嘆すべき注意深さで、話を進めていくんだ。

──はあ、姉のエレーヌは、今日はちよつと帰りが遅うございますが、妹のポーレットは、只今、ご挨拶に伺はせます。先生方は、冷たいお茶を召しあがりますか?

──はあ、なんでも頂きます。

 と、彼は、しやあしやあと答へた。

 夫人が引つ込むと、おれは、もうたくさんだといふ眼附を彼にしてみせた。どうも、危ない芸当は見てゐられないんだ。

 ところが、まつたくもつて、彼の神技には頭がさがつた。その晩、夕食はもちろんご馳走になり、おまけに、向うから、宿をさせろと申し出る始末さ。

 妹のポーレットが、紅茶の盆を持つて母の後ろについて来た。まだ幼々しい少女のにほひがした。夕食の時には、姉のエレーヌも、汗ばんだ頸筋にハンケチを当てながら、食卓についた。これは、もう成熟した未婚の女性といふだけで、すべてを知り、すべてを感じ得る溌剌とした精神と肉体の持主だ。

 食事が終ると、母親は、娘二人に、若しあまり疲れてゐなければ、馬車を呼ばせて、客人を植物園にでもご案内したら、と言つた。安南娘が馬車を辻へ呼びに行つた。馬車へは、女たちが正面向きに、男二人は後ろ向きに、向き合つて乗ることができた。ところで、さつきそこまで乗つて来た三輪事シケロが、その時、慌てて料金を請求したのには、みんなが大笑ひをしたよ。

 さて、馬車はすべり出す。微風が頬をなでる。美女の眼ざしがあやしく輝く。おれは、歌を唱ひたくなつた。が、それは思ひ止まつて、ほとんどはじめて、彼女たちに向つて、口を切つた。

──お嬢さんがたは、日本について、どうお思ひですか?

 愚かな質問をしたものだ。

──現在の日本は、あなたにはわるいけれど、ちよつとをかしいと思ふわ。喧嘩を売ることしか考へてないぢやないの。

 と、姉のエレーヌは、すこし眉を寄せながら、しかし、口元に微笑をうかべて、甘へるやうに言つた。

──その通り。喧嘩をしないで、欲しいものを手に入れるのはよろしい。不快を与へずに、相手をだますのが礼儀だ、といふのとおなじさ。エレーヌさんは、たしか、音楽がお好きだと伺つてゐましたが……。

──姉は、女学校でピヤノを教へてますの。

 と、妹のポーレットが、横から口を出した。

──あなたは、ポーレットさん!

 と、おれがやつてみた。

──あたくしは、なんにもできないの。お庭の掃除ぐらゐ……。

 四人の笑ひ声が、鬱蒼たる植物園の森の道を流れた。

 その晩、なにごとがあつたか、君は想像することができるか?

 おれは、二人にあてがはれた寝室に、一人ぽつねんと、眠られない一夜を明かした。きやつめは、朝がたまで、その寝室を抜け出て、どこかへ面白い本でも読みに行つたらしい。それから一週間、きやつは、一晩も、おれたちの寝室でまるまる寝たことはないのだぜ。時刻を見計つて、必ず、もくもくと起きあがり、外の空気を吸ひに行くと称して、廊下へ出る。それきしりだ。

 一週間はすぎた。おれは、別れしなに、彼がどうするかを、ぢつと見てゐてやつた。まづ母親ショウタン夫人に、次ぎに、姉娘エレーヌ嬢、最後に妹娘ポーレット嬢に、それぞれ、儀礼的な握手をして、

──生涯忘れることのできない、こころよい一週間を過させていただきました。レオポール君が、若し大学で、東洋研究を志されるなら、わたくしとあなたがたとの関係は、一層、深まるわけです。では、ご機嫌よう。

 おれは、彼の口上を聞きながら、女たち三人の顔を見比べてゐたが、三人とも、うつすらと眼に涙をためて、その涙をひたすらおしかくすことに努めてゐるやうに見えた。

 船へ帰つてから、おれは、きやつをうんと責めて、真実ありのままを白状させた。いや、おれが真実と言ひきる資格はないが、おそらく真実だと思はれることは、彼が、親娘三人を三人とも征服したらしいといふことだ。あきれた男さ。

 だが、しかし、このあきれた男が、最後にまんまと失敗した話をしなけれや、この話の結末にはならんのだ。いいかね、それは、上海での話だよ。

 舞台は、今度は、旧フランス租界で、白系客人の経営してゐる、その種の家さ。

 彼は例の如く、女主人をつかまへて、かう言つたもんだ。おれのあやしいロシヤ語で、大体わかつた意味はかうだ。

──ハルビンから、いつこつちへ来たの?

──ハルビン? ああ、あれやもう、ずつと昔のことさ。

──昔のことでもいいさ。おれもハルビンにしばらくゐたよ。お前さんの顔は、どつかでたしかに見たよ。

──なにを言ふのさ。あたしや、あんたの顔なんぞ、見た覚えはないよ。

──ぢや、をかしいな。まさか、キタイスカヤの通りですれ違つただけぢやあるまい。

──キタイスカヤを知つてるのかい? ホテル・モデルンのバアも知つてるかい?

──知つてるどころぢやないや。あそこぢや、毎晩のやうに、ウフトムスキイとウオトカを飲んだもんだ。

──ウフトムスキイ公爵とかい?

──素寒貧すかんぴん公爵は、いつもおれに勘定を払はせたが、ハルビンのいい案内人でもあつたよ。

──ウフトムスキイ公爵とそんなに懇意なら、どつかで会つたかもしれないね。ぢや、ゴオリエフを知つてるだらう?

──それみろ、ウフトムスキイの相棒で、酒飲みのユダヤ人……。

──ゴオリエフを知つてるのかい、……ふうん……。

──ニコライ・セルゲウィッチ……。

──うそだよ、アレクセイ・アンドロウィッチ……。

──さう、さう……おれは、ロシヤ人の名前は苦手だよ。そのゴオリエフに、おれは最近会つたんだよ。

──どこでね?

──この上海でさ。

──うそつき! あの男が上海なんぞへ来るもんか。

──ところが来てるんだ。連れて来てやらうか?

──会ひたかないよ。

 そこまでは、なんとかついて行けたが、そのあとはダメだ。からつきしわからない。二人とも、相手かまわずしやべりまくるんだ。婆さんといつてもまだ五十そこそこの大女で、両腕を腰にあてて、なにやら喰つてかかるのを、彼は面白半分に相手にしてゐるらしかつたが、そのうち、女は地団駄を踏み出した。大きな声でどなつた。奥から、髭面の入道と、二人の若い男が飛び出して来て、いきなり、彼の胸倉を突きまくつた。彼は、はづみを食つて、後ろへよろけた。おれはいやといふほど足を踏みつけられた。彼が立ち直ると、髭面の入道がグワンと握り拳の一撃を彼の頤に加へた。おれは、なにがなんだか、さつぱりわからず、助けるにも手の出しやうがないといふ有様で、しばらく落ちついて見物してゐると、彼は、おれの方をみて、

──早く外へ出ろ、と、言ふんだ。おれは、ともかく、その通りにした。家のなかで、なにか大きなものがひつくり返る物音がした。彼は、血の流れてゐる鼻の孔を片手で押へながら、

──やれ、やれ、今度はしくじつた。

 と、多少、ばつの悪さうな笑ひをふくんだ声で、おれの肩へつかまつて来た。

──急がう……。

 二人は、急いだ。

 人力車をつかまへて、桟橋へ走らせた。

 船の甲板の人影のない一隅を撰んで、二人は、デッキ・チェアに倚つた。

──鼻血は大丈夫かい?

──鼻血はたいしたこともないが、下唇が中で割れてるらしい。口の中がなまぐさいや。

──薬をつけるわけにもいくまいが、医者に見せたらどうだ。

──いや、少々、外聞がわるい。なに、ちよつと因縁をつけすぎたんだよ。よけいな人物を登場させなけれやよかつたんだ。ウフトムスキイ公爵まではよかつたが、あとがいけなかつた。知りもしないゴオリエフなんていふユダヤ人が出て来やがつて、話が面倒になつちまつた。あの婆あ、そのゴオリエフなるものを怖がつてやがつて、おれがなにか、そいつの廻し者かなんぞのやうに思ひ込んだんだ。ああいふ婆あはしやうがないもんさ。一旦、さうと思つたら、もう手がつかんのだよ。ああ、痛え、もの言へば唇痛し秋の風だ。

 彼は、はじめて、しよげた顔をおれにみせたよ。

 ワハッハッハ。

 Fは、彼も、なんとなく痛快な物語を終つたやうに、ひとりで肩をゆすつてよろこんでゐた。

底本:「岸田國士全集16」岩波書店

   1991(平成3)年99日発行

底本の親本:「ある夫婦の歴史」池田書店

   1951(昭和26)年115日発行

初出:「オール読物 第五巻第四号」

   1950(昭和25)年41日発行

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2011年1013日作成

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