「青空語」に寄せて(昭和二年一月號)
『青空』記事
梶井基次郎



 文藝時代十二月號の小説は、林房雄だけが光つてゐる。『牢獄の五月祭』の持つ魅力が他の小説の光りを消すのだ。然し彼の作品の持つ明るさを以て、全世界を獲得すべきプロレタリヤの信念の明るさ、若しくは作者等の戰線を支配してゐる希望の明るさの表現されてゐるものと見ることには贊成出來ない。それは寧ろ彼自身の文學の持つ明るさである。


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 火つきのいゝきり炭のやうな、前者の作風に反して、改造十二月號葉山嘉樹の『プロレタリヤの乳』は凡そ濕つた薪にも似てゐる。話の本筋が燃えたと思ふと、直ぐそれは作者の亢奮に燻る。それはかの作を甚だ讀みづらくさせてゐる(が作者が讀者を燻さうとしたらしいことは、その本筋の振はないことでも感じられる)。然しそのなかには、「今日も日が暮れやがる」といふやうな得難い融合もある。先蹤を持たない表現の難いことを思ふ。それにしても、プロレタリヤの持つ重々しい力の感じはこの作に於て表現されてゐる。


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 文藝城、新思潮、眞晝、葡萄園、山繭、驢馬等、目星しい同人雜誌の十二月號の出ないのはどうしたことか。


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 凡そ同人雜誌は、新しい藝術の苗床であり花床でなければならない。然も今日多數の同人雜誌、同人雜誌作家の大部分は今尚今後幾度のメタモルフオーゼを行はなければ、その發芽にも至らぬやうに思へる。


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 漠然とした新人なるものはあり得ない。

底本:「梶井基次郎全集 第一卷」筑摩書房

   1999(平成11)年1110日初版第1刷発行

初出:「青空」

   1927(昭和2)年1月号

入力:土屋隆

校正:高柳典子

2005年55日作成

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